【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
翌日、七月六日。
お昼前に起きた俺は、ベッドから這い出て身嗜みを整えに洗面所に向かった。
俺の身体は――――やはり、レイシアちゃんのもののままだ。昨日のことは、夢ではなかったらしい。まぁ、そこは別に良い。
髪を整えたり化粧をしたりしながら、俺は考える。
レイシアちゃんの周辺人物について、特に派閥のメンバーについては…………レイシアに悪感情を抱いているのは間違いないが、それは『自分よりも強大な存在に立ち向かう』という、およそ悪意とは縁遠い感情によるものだ。
根本的に、心根が純粋なのだろう。
だが、この先俺が彼女達に謝罪をしたら、どう転んだりするか分からない。相手が自分より強い存在ではないのだ、と気付いた彼女達が、俺に対してこれまでの恨みを晴らそうと動く――なんてことも、十分考えられる。
…………俺――いや、レイシアちゃんの身体が傷つけられるのも問題だが、それはそれとして、そういう展開になるのは困る。
現時点での彼女達を見れば分かるように、彼女達は悪い子じゃない。でも、人間っていうのは魔が差してしまうものだ。心根が腐っているわけでなくても、状況と流れで悪意に突き動かされてしまうことだってある。
そういうときに悪意に負けてしまうのは、弱い人間じゃない。逆に、そういうのに打ち勝てるのが強い人間なだけなんだから。
だったら、そんな悪意で自分を貶めるような選択をするかもしれない状況は、
まぁ、要するに、彼女達との接触はもう少し盤面を整えてからにした方が良いな、ということなんだけど…………。
具体的にどう盤面を整えるかについては、もう決まっている。
イメチェンだ。
これまでの、傲岸不遜、傍若無人、残酷非道、悪役令嬢なレイシア=ブラックガードではなく、――もちろん、レイシアちゃんが後々復活することも考えてやりすぎないようにするが――もっと家庭的で、親近感の湧きやすいレイシア=ブラックガードになってやるのだ。
そうすれば、派閥の子達も『あれ? なんかレイシア変わった?』みたいな心の準備ができるはずだ。
彼女達との関係修復は、それからでも遅くはないと思う。
そして、その為に何をするかだが――――俺は、寮の外に出かけようと思っている。
色々と、買い足さないといけないものがあるのだ。
…………と、そこまで思考を働かせながら気付く。
そういえば俺、普通にやってたけど、何でレイシアちゃんのやっていたような身嗜みが普通にできてんの?
……………………手続記憶?
***
***
記憶野のお話については、レイシアちゃんの知識と俺の知識、両方から同じ情報がある。
記憶には、思い出を司るエピソード記憶、知識や常識を司る意味記憶、運動の慣れを司る手続記憶などがあり、それぞれ脳の別の場所に保存されている。これは、
エピソード記憶はその名の通り、
意味記憶は、その人の持つ知識がまるまる分類される。ただ、知識といってもその人の経験が含まれたりするものはエピソード記憶になるらしい。つまり、『林檎は赤くて丸い』は知識だが『林檎は甘くておいしい』は経験なのでエピソード記憶になる。『甘くておいしいらしいと言われている』になると知識扱いらしいので、当人の中で客観性があれば意味記憶扱いなんだろう。
最後に手続記憶だが、これはいわゆる習慣・運動の慣れを司る。自転車の乗り方みたいな体の動かし方。携帯の操作みたいな手順めいたもの。歩き方みたいな殆ど生得的なもの。果ては新約一四巻に出た上里君の『何かマジになるときに首をコキリと鳴らす』みたいなクセのようなものに至るまで、分類としては手続記憶になるだろう。およそ身体を動かす類の知識はこれに当てはまるわけだ。
俺の場合は、このうちレイシアちゃんのエピソード記憶を思い出すことはできないが、彼女の意味記憶や手続記憶については簡単に呼び起こせる。
彼女の生活にどんなものや習慣があったかは分かるが、それが一体どういったものだったかというのはそこから推測するしかない、って感じだ。
ただ、その代わり本来俺が知らないはずの物理学の知識を引っ張り出すこともできるし、化粧くらいやりなれた動作なら考え事をしながらでも済ませられる。そういうところでボロが出る心配はないってことだ。これはとてもありがたい。
一方俺の記憶は、意味記憶や手続記憶だけでなくエピソード記憶まで全部引っ張り出せる。
というのも、料理を始めようと思ったのだ。
改心しましたと皆に伝えたとしても、口だけでは信じてもらえないだろう。美琴や黒子が信じてくれたのは、二人が底抜けに優しかったからだ。
だから、まずは自分が変わったことを行動で示す。何でもいいから、とりあえず親しみやすいイメージを持ってもらう。
その為の第一歩が、料理だ。俺は前世で料理とかけっこうやっていたから、手続記憶が引き継げるなら大半の『料理で使う動作』への慣れはそこそこあるはず。少なくとも、包丁を持ったら全自動で手が震えるってことはあるまい。
日記を読んで知ったが、レイシアちゃんは金遣いがわりと荒い。
食事に関しても必要以上に金をかけまくったりしていたし、むしろムダ金を使うのが力ある者のたしなみと考えていた節もある。それが顰蹙を買っているようでもあった。そういうところを一つ一つ変えていくのが大事だと思うのだ。
…………あ、そうそう。あと、服も変えた。
今朝の俺の服装は、常盤台の制服にプラスして、右が白、左が黒のドレスグローブだった。なんか手続記憶のせいかぼけっとしている間に勝手に身に着けていたのだ。
だが、これ…………正直とても恥ずかしい。学園都市的にはそれがノーマルなのか知らないが、他の人達は何も言わない。疑問にすら思っていない。でも、俺的には……こう、中二くさい気がしちゃうんだよ。おじさんにはちょっと無理だよ。
なので、こういう気合の入った格好じゃない、ユニクロとかしまむらとかで買える気の抜けた服装を買った。金髪碧眼のレイシアちゃんの身体には似合わないかもしれないけども、流石に部屋着がネグリジェっていうのは要求する経験値が厳しすぎるよ……。
校則で服装は制服限定ってことだが、せめて部屋着くらいは普通にしたって良いと思うのだ。
「…………………………」
周囲の視線が、俺に突き刺さるような錯覚がある。
一応、俺が常盤台の生徒だってことは……バレてないよな? うん。服装違うし。
というわけで、俺は可及的速やかに文房具屋でノートを何冊か買いつつ、装いも新たに第七学区のスーパーに向かっていた。
学舎の園の中の店を利用しないのは――――あの中、普通に物価がクッソ高いのだ。
お嬢様学校の集合体な上に生徒達の平均レベルも高いから奨学金も多い。必然的に生徒達は金回りが良いので、お店も平気で値段を高く設定する。その分良い物も多いんだろうが……ちょろっとスーパーを眺めて、あっこれアカンと思って早々に第七学区に方向性を絞ることにしたのだった。
それで、スーパーの中で常盤台の制服だと目立つこと限りなしなので、今の俺の格好は黒地に白のラインが入ったジャージにジーパンという実に雑ないでたちだ。伊達眼鏡をかけている上に髪はポニーテールで纏めているので、おそらく俺がレイシア=ブラックガードであることなど誰にも分からないはず。
……だが、ここで一つ誤算があった。
確かに、レイシアちゃんの手続記憶や意味記憶を引き継いでいる俺は、レイシアちゃんがいつもやっている習慣については意識しなくともこなすことができる……。日記帳のお蔭もあって、常盤台の中で迷うってことは早々ないだろう(昨日早速食堂行くまでに迷ってたけど)。
しかし当然ながら、レイシアちゃんの知らない情報については何もできないのだ。
そう………………彼女は、殆どの時間を学舎の園で過ごしていた……その為、外界の地理知識が著しく欠けていたのだ。
つまり。
「……………………」
ここ、どこ?
って話になる訳だ。
いや、一応この近くにスーパーがあることは分かってるのよ? 俺も立派な大人だからね、そのくらいは見知らぬ街でも行けるよ。でも…………このへんで、スーパーの目印となるものがなくなってしまったのだ。
服とか買って、大分遅くなってしまったし……もうそろそろ夕方だ。急いで買い物をして帰らないと門限破りになってしまう。
………………ううむ、素直に誰かに聞こう。恥ずかしいけど。
「あのう、すみません」
そう言って、俺はたまたま近くにいた高校生くらいの少年の背中に声をかける。ツンツンの黒い頭をした少年だ。
「は? あー、何でせうか?」
「ええと……実は道に迷ってしまって、スーパーはどこにあるのか、と…………」
そこまで言いかけて、俺は思わず言葉を止めてしまった。
こちらの方を振り向いた少年の風貌に、何故だかとてつもなく見覚えがあったからだ。
ツンツンの黒髪に、覇気の感じられない垂れ気味の目。
白いワイシャツの下にはオレンジ色のTシャツを着こみ、制服のズボンにバッシュといういかにも『普通』な高校生。ちなみに名前も知ってる。
上条当麻。
これが、彼の名前だ。
「あー、スーパーか。それならちょうど良かった。俺もこれからスーパーに行こうと思ってたんだよ。……でも大丈夫か? 夕方の特売なんて正直言ってかなりハードだぞ?」
「あ、はい。大丈夫です。そのくらいなら…………」
俺は、何とか頷くことに成功した。
内心ではそのくらい動揺していたのだ。
上条当麻――――俺にとっては言わずと知れた、『どこにでもいる平凡な高校生』にして最高のヒーロー。
今日は七月六日だから…………まだ記憶喪失じゃないのかな? しかし、思わぬところで出会ったもんだなぁ…………。
「そういえば、何買うつもりなんだ?」
「ええっと……色々……。野菜とか、お肉とか、あと卵も欲しいですね」
レイシアちゃんの部屋には、生活必需品は大体揃っていた。小型の冷蔵庫も置いてあったし、電気コンロも備わっている。美琴の部屋にはあったっけ? と思ったが、レイシアちゃんだし多分後付けで設置したのだろう。料理をするタイプには見えなかったけど、几帳面な性格っぽかったし自分のことはなるべく自分でやりたい性格なのかもな。
「卵か……卵の特売は難易度高いぞ。いけるか?」
「いけるところまでやってみせましょう。なぁに、心配要りません」
俺は胸を張って答えて見せる。まぁ無根拠なんだけどな。
……しかし、上条相手だと話すの楽だなぁ。これがコミュ力ってヤツなのか? 流石にのちのち世界を救うヤツは違うな。
あと、お嬢様言葉じゃないと話すのがすごい楽だ。お嬢様言葉だと恥ずかしいとかボロ出さないかとかで自然と口数が減ってしまうが、こっちだと自分の考えてることをすらすら話せる。
で、歩くこと数分。
「…………これでも同じことが言えるか?」
そんなことを言う上条の目の前にはまるで獣のように卵売り場に群がる生徒達の集団がいた。おおう……これちょっと予想以上だぞ……。っていうか卵残るのか? そもそもあんなに群がって卵割れないのか?
「しかも連中、能力使ってくることもあるからな。低レベル帯の連中だけど気を付けろよ」
「あ、はい。分かりました……」
正直困惑しかないが、まぁこれも経験だ。多分、能力食らうのは上条が不幸だからだと思うが…………。
俺も男だ(外見は女だけど)。
卵特売争奪戦(おひとり様二つまで)、やってやんよ………………!!!!
***
「………………し、死ぬ、これは死んでしまう…………!!」
「……あの、頑張ってください。あともうちょっとですから」
俺と上条は、スーパーから帰還していた。
卵については俺は無事二つ獲得したが、上条は案の定ボコボコにされて敗退した。
仕方がなく俺が一つ譲ってやり、その後スーパーを巡って色々と買い溜めしていたのである。上条はしきりに俺に詫びていたが。
「…………いやほんと、偉そうなこと言っておいて情けない……」
「いや、あれは仕方ないですよ……」
なんて思いながら上条のことをフォローしていたが、上条は逆にやりづらそうにしながら言う。
「あー……別に敬語使わなくても良いぞ?」
「いやでも…………私、中学生ですし」
「え!? 本当に中学生なのか?」
暗にタメ口を求められたので、年下であることを伝えたのだが……上条的には信じられなかったらしい。
まぁ、レイシアちゃんの身体、わりと発育良いからな。
外国の血が流れているせいか、身長は今の時点で一六〇近くあるし、胸もそれなりに大きい。あと顔つきがキツイから自然と大人びて見えるのだ。
…………ちなみに、お嬢様言葉ではなく普通の敬語を使っているのは、なんとなくだ。最初に素の敬語で話しかけてしまったから、なんとなくそのままって感じなのである。
それに、せっかく普通の格好してるのにお嬢様言葉使ったら、何の意味もないというかね…………。
「はい。だから、先輩相手には敬語じゃないと……」
「う、せ、先輩か…………」
というような事情は伏せて言うと、上条は若干嬉しそうに呻いた。どうやら先輩扱いが地味に心の琴線に引っかかったらしい。
「…………そういえば、中学生といえば
「あはは…………」
しみじみと言う上条に、俺は苦笑するしかなかった。
…………まぁ、美琴はそういうキャラしてないしね…………。
そういえば食蜂も記憶によれば上条に対して生意気盛りな態度をとっていたような。インデックスも大概だしな。御坂妹は慇懃無礼だし。そのうち出て来るバードウェイやオティヌスなんかはもはや生意気の領域を超えてるからな。
そう考えると、上条に対して敬いの態度を見せてくれるのって、五和と神裂くらいしかいないんじゃないか? やはり天草式は良心…………。
「では、そろそろ門限がありますので私はこれで。……お礼をしたいので、お名前と所属校を伺っても良いでしょうか?」
「え! 流石にそれは悪いぞ! 俺、結局案内した後は卵もらっただけだし」
「ですが、その案内がとても助かったんです。私、このあたりの土地勘はなかったので…………」
「いやいや! 先輩として、後輩を助けるのは当然のことだからな、うん!」
先程のやりとりを引き合いに出されてしまっては俺としても面子を立てるしかない。
「……まあ、名前くらいは教えておくか。俺は上条当麻。お前は?」
「レイシア。レイシア=ブラックガードと言います」
自己紹介をし合うと、上条は感心したような表情で、
「仰々しい名前だ…………」
「それ、私じゃなかったらキレてるところですよ?」
素直なのはいいことだと思うけどな。