【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「…………や、やってしまいましたわ…………」
何がまずいのか?
それは、明瞭だ。
「ししししししし、締切が…………明日ですわ…………!!」
……きっと誰しも、この恐怖だけは共有できるはず。
***
***
そして当然の帰結として、その日、GMDWに激震が走った。
「な、なんで作業を完全に放り出しているんですのっ!?」
「だってぇ……レイシアさんがいきなり倒れやがったから、心配でぇ……」
「ぐ、ぬぅ……!」
一日目。
GMDWが利用している研究室の一つ。
全員を招集したレイシアは、テンパるあまり思わず言っても意味のない叱責をして、しょんぼりした一同を見て何も言えなくなっていた。
実際、レイシアが倒れたからって作業はできるでしょというのが仕事人としては適切なツッコミであるのは疑う余地もない事実。しかしながら、彼女たちは仕事人ではないのである。
ちょっと特殊な能力を持っているだけで、本質は思春期の少女。そんな少女たちが、大切な友達が突然誰かに襲われて、そのあと何事もなく作業を進められなかったからといって、いったい誰が責められるだろう?
……強いて言うなら、責めるべきはそんな原因を作ってしまった不用心な間抜けだろう、とレイシアは自責する。ついでに言うなら、流されてパーティとかしてたのだから作業の遅延というなら全員同罪の感もある。
「………………すみません。焦って八つ当たりをしました。というか、わたくしが言えた義理ではないですしね……」
「まぁまぁっ、どちらにしても、今言ってもしょうがないことですしっ。……切り替えましょうっ。ねっ」
頭を下げたところで、苑内がひとまずの総括をしてくれた。こういうときに、彼女の存在は本当にありがたい、とレイシアは思う。
気を取り直して、レイシアは先のことを話していく。
「……ともかく、現状の進捗ではまず締切には間に合いません。わたくしは発表会運営の方に連絡して、締切を少しでも延ばしていただけるよう掛け合ってみます。その間にアナタがたは……この部屋の整理を」
と、微妙な顔で言うレイシア達がいるこの研究室は――戦場跡かと言うくらいにとっ散らかっていた。
というのも、無理はない話だ。ここは、先日の
これが、一〇人が余裕をもって歩き回れる程度のサイズがある部屋の全域で起こっているのだ。
…………それはもう、大変な掃除になることだろう。
「……では、武運を祈ります」
そんな大変な作業を彼女たちに託して、レイシアはお偉いさんに頭を下げる電話を入れるために、部屋を出ていく。
……彼女たちも大変かもしれないが、レイシアもレイシアで、かなりきつい作業の矢面である。久方ぶりに胃がきりきりしだすのを、レイシアは感じていた。
***
「……はい、はい。ええ、そうです。すみません……わたくしが原因ですわ」
「……いえ、その、昏倒しておりまして……あ、はい? そうでしたか。はい、そういうわけで……」
「はい……え? ああ、はい。もうこの通り……ですが、メンバーの方が動揺してしまっていて、今まで作業が滞り……」
「大変申し訳ありませ、……え? あ、はい……ありがとうございます。はい、はい……」
「……………………………………有難うございます! はい、よろしくお願いいたします。はい、はい……はい。では、失礼いたします。……………………」
「………………意外と怒られなかったですわね?」
***
「レイシアさん、どーでしたか?」
実に二〇分ほどに及ぶ電話面談を終えたレイシアは、納得がいかなそうな顔をしながら、絶賛掃除中の研究室に帰還していた。
「ええまぁ……締め切りの延長は、快諾していただけましたわ」
刺鹿に問いかけられたレイシアは、歯切れが悪いながらも応える。
朗報のはずなのにいまいち煮え切らないレイシアに、苑内は首をかしげながら、
「どうかなさったのですかっ? いまいち浮かない顔をしていらっしゃいますがっ」
「それが、どうも向こうの様子がおかしくて……」
怪訝そうな表情を浮かべながらも手は動かしているレイシアは、そんなことを言った。
てっきりレイシアは締切をブッチするのだからお小言を言われたり、怒鳴り散らされるだろうと覚悟をして通話に臨んだのだが、意外にも電話口の相手(老年の教師のようだった)は怒るどころか、レイシアが遅れた理由を話すや否や、すべてを悟ったかのようにこちらのことを気遣ってくれたのだった。
「『体調は大丈夫なのか』とか『自分を責めないでくれ』とか……いったい、どうしたのでしょう……?」
「そりゃー、レイシアさんが誰かに襲われたことをどっかで聞きやがってたんじゃないですか?」
「あの一件は緘口令が敷かれているはずなのですが……」
なお、レイシアは知らないことだが、彼女が自殺未遂をしたというのはそういった――生徒の不登校や自殺などの――事情に詳しい教育者の間ではけっこう有名な話である。当然だろう、開発の名門常盤台での自殺未遂事件である。生徒たちへの影響を配慮してあまり表沙汰にはなっていないが、常盤台の上層部の顔ぶれが三分の一ほど変化したほどのスキャンダルなのである。
そんな彼女が、立ち直ってこうして頑張っている――心ある教育者であれば、『私達大人の不手際の歪みを一身に背負わせてしまって申し訳ない』などといった罪悪感によってついつい贔屓してしまうのも仕方がないというものであった。
「まぁ、考えても仕方のないことですわね。さぁ、作業に集中すると……あら? ここに置いてあった長机はどこですの?」
「あ……それなら、この間の一件の時に演算用のパソコンを持ち込んだら邪魔だったので、別の場所に移したはずですね」
「…………それで、どちらに?」
「えーっと……燐火さん、どの部屋に置きやがりましたっけ、あれ」
「えっ? あーそれなら確か
「ええーっ!? あの大きさを!?」
「ええっ、ですので二人がかりでっ……」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいっ! ももも、もう長机が入るスペース、ないんですけど……」
「はぁ!? 桐生さんそりゃどーゆーことですか!? もともと入ってたんだから入らなかったらおかしいじゃないですか!」
「夢月さんっ、多分置き方を変えてしまったからじゃないかとっ……」
「…………ってことはつまりもう一回整理しなおしってことじゃないですかー! やだー!!」
その様子を見て、レイシアはぽつりとつぶやく。
「……………………これ、今日はもう作業とか無理そうな感じですわね……」
なお、知っての通り実際にそうなった。
***
三日目。
研究合間の休憩時間、何の気なしにレイシアに話しかけようとした刺鹿は、ふと珍しいものを見た。
部屋の隅のほうで、レイシアが何やら英語で文章をしたためているのだ。
「……レイシアさん? 何してやがるんです?」
まぁ、部屋の隅にいる以上他人にはあまり見せたくないものだろう。無粋と知りつつ、見てしまった以上興味には抗えなかったので、少し遠い距離から話しかけてみることにした。
「ひぇっ!?」
……案の定、レイシアはびくりと体を震わせ、それから反射的に手で文面を覆い隠した。これは、遠目の距離から話しかけて正解だったな――と刺鹿は思う。プライバシーの侵害は趣味ではないのだ。
一応、隠れて何やら日記だかメモだかをノートにしたためているのは知っているが……この修羅場でも欠かさずやっているあたり、とても重要なことであるのは想像に難くない。あえて指摘するようなことでもなかった。
「……な、なにって、少し、イギリスにいる友人に連絡事項がありまして。そこそこに緊急なので、今のうちにしたためておいただけですわ」
「なるほど、こいつは失敬しました」
そんなことをするくらいならせっかくの休憩時間なのだしきちんと休め、もっと言うなら少しくらい寝ろ、と言いたいが、まぁ言っても無駄なことは想像に難くない。
これで作業スピードは派閥随一というあたり、作業効率を理由に休ませることもできないからたちが悪い。というかなんで彼女はここまでデスクワーク適性があるのだろう、と刺鹿は内心で首を傾げる。自分たちですら、慣れない作業に四苦八苦しているというのに。
「ただ、少しは肩の力を抜きやがったほうがいいですよ。休憩時間なのに眉間にシワ寄せて手紙を書くのはいかがなもんかなと」
「……そんな顔、してました?」
「ええ。普段に輪をかけて」
「でしたか……」
そういうと、レイシアは無言で眉間のあたりを揉む。その姿は、あまりにも大人びて――というか、くたびれて見えた。
「なんだかよくわかりませんが、お疲れ様です」
「よくわかられてませんが、ありがとうございます」
互いに言い合うと、なんだかおかしな気がして、どちらともなくくすりと笑いがこみあげる。
なんだかんだ、少しは心の休憩に寄与できたのでは? と後から思って誇らしくなる刺鹿であった。
***
五日目。
研究もあらかた仕上がり、そろそろ完成に向けてラストスパート――同時に疲労も高まっていたこの日に、またしてもGMDWに激震が走った。
レイシアはこの件についてのちに『いやいやいやいや、やっぱりヒューマンエラーって余裕がないときに起こるんだよね』と述懐しているが――まさしくその通りであった。
何が起こったのかというと。
「…………はぁ!? 間違って前のデータで上書きしやがったぁ!? サーバにバックアップは……ない!? なんでですか!? データはどんな細かいもんでも共有するって約束でしょー!?」
「わ、私があげ忘れてしまって……も、申し訳ありませんでございますっ!!」
……とのことだった。
一年生のメンバー――阿宮という少女が、誤って実験データを共有サーバにアップし忘れていたとのことで、その分作業が二〇パーセントほど巻き戻ってしまったんだとか。
刺鹿が吠えるのも宜なるかな。すでに締切をオーバーしている状態で進捗巻き戻しなど、悪夢以外の何物でもなかった。やってしまった阿宮もそのことは重々承知しているらしく、顔を蒼くして涙目になっていた。
「…………やってしまったもんは仕方がありません! みなさん、作業の手を早めやがってください!!」
刺鹿はそれ以上何も言わずに作業に戻るが……阿宮は、罪悪感からうつむいてその場から動けずにいた。
「…………」
その様をレポートの作業を進めつつ眺めていたのは、レイシアである。レイシアは刺鹿がその場から離れたタイミングを見計らって、阿宮の背後に寄って肩をぽんとたたいてやる。
「れ、レイシアしゃん……」
「……はぁ、そんな顔をするんじゃありませんわ。泣いてもしょうがないでしょうに」
ハンカチで涙をぬぐうと、レイシアは相手を安心させるようつとめて笑みを浮かべる。それを見て、阿宮は少しだけほっと安心したようだった。
「わたくしも作業を手伝って差し上げます。間違いは誰にでもありますわ。刺鹿さんは……ああいう方ですけど、アナタに対して含むところはないはずですわ。あの方は、良くも悪くもサバサバしていらっしゃいますから」
「はい、はい……でも、申し訳なくてぇ……」
「だと思うなら、頑張ってみせなさいな。そうすれば、むしろ褒めてもらえますわ」
「……はいっ、ありがとうございます!」
安心させるように頭を撫でてやると、阿宮はようやく笑顔を取り戻した。
それを見て、持ち直したか……と内心で安堵するレイシアだが、まぁまだ少しの間は気負いすぎとかでパフォーマンスも不安定だろう。結局、そのあとも自分の作業をしつつ合間を見て阿宮の手伝いをしたりなどしていて、自分の作業はそこそこしか進まないのだった。
***
そんなこんなで、最終日。
「…………ここの資料、どこにしまいやがりました……?」
「それならっ……そっちにっ……」
今日中に提出しなくてはいけないということで、朝に集まってからほぼほぼぶっ通しで作業し続けてきたGMDWの面々は、既に死屍累々の様相を呈していた。
泊まりが決定した時は研究所のシャワールームを利用したりして、どこかお泊り気分だった彼女たちも、今では立派な兵士の顔をしている。
レイシアですら、お嬢様らしさをかなぐり捨てて髪をくくってポニーテールにし、おでこには冷えピタ、横には栄養ドリンクを転がしまくっている始末。なお、彼女だけは今日一睡もしていない。
なんか作業しながら『この感じ、懐かしいなぁ』とか内心で思っているのは気にしてはいけない。
……だが、そんな元社会人の風格を漂わせているレイシアも、肉体は根本的に一四歳の少女のものである。
それが、悲劇の引き金となった。
「レイシアさーん……頼んでやがったデータは、サーバにアップしときましたから確認しとい……レイシアさん? …………レイシアさん??」
返事がない。
それだけならまだ集中しているのだろうと片づけられたのだが、それどころかタイプ音すら聞こえない始末。
刺鹿が嫌な予感を感じながら回り込んでその表情を見てみると、
「…………す、座ったまま…………寝やがってる……」
「れっ、レイシアさんっ! レイシアさんっ! だめですよ! 今寝たら作業が間に合わなく……っ! ……、……!! な、なんて安らかな……!」
「すぅ、すぅ」
……それは、普段なんだかんだ言って真顔であることが多いレイシアには珍しい、穏やかな表情であった。それはもう、起こすのが憚られるくらいには。
「……………………寝かせましょー」
それを見て、GMDWの面々は静かに決断する。
この少女の寝顔を叩いて、無理やり作業させることなんか、できはしない。
確かに作業はつらい。もはや一刻の猶予だってありはしない。だが、それでも。――この数日、ろくに寝ていないこの少女を起こしていい理由になんか、ならない!!
……いや、普通に考えて起こすべきなのだが、揃いも揃って睡眠不足でテンションが妙なことになっている彼女たちはなんかノリノリでそんな決断をしていた。
「代わりに、私たちが」
「レイシアさんの――代筆をっ!!」
…………結局、この後三〇分後にレイシアは目覚めて戦線復帰するのだが、そんなこともあったので『終盤のほうは書いた記憶がないなぁ』と後になって首をひねることになったのであった。