【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
それは、世界が壊れる前兆のようだった。
上空に浮かび上がった『亀裂』は、白黒の断面──なんてものではなく、その亀裂の奥に『真っ黒な何か』を覗かせる本当の意味での亀裂だった。
まるで、世界そのものに亀裂が走っているかのような。
「アレイスター……!! まさかこんなモノまで仕込んでいたなんて……!」
シレンの横に立つレイシアが、静かに戦慄する。
水心の枷によるシレンの誘導。レイシアの召喚。木原の書を利用した『堕天』の計画。それらが頓挫しても発動した『堕天術式』。すべての手札を失った後に現れた木原脳幹と『ファイブオーバー』の大群。
ここまで多種多様な戦略を見せてきて、挙句の果てのこれである。こちらに多数の戦力が集まっている状況とはいえ、予断は許されないという現実を痛感させられる。
改めて敵の強大さに打ち震えるレイシアに対し、アレイスターは静かに笑い──
「…………アレはなんだ?」
と、冷や汗をかきながらぶっちゃけた。
「はぁ???」
束の間、空気が凍った。
ややあって、シレンが半ばキレながらアレイスターに突っかかる。
「なんだって……、アレはアナタが仕込んだ策なんじゃありませんの!? 木原の書とか! レイシアちゃんとか! 色々利用して時間を稼ぎまくって、ようやく出てきた最後の手札がアレなんじゃありませんの!?」
「いや、私にも何のことだかさっぱり分からない。というか、アレは君達が覚醒して得た新たな能力とかではなかったのか? 『亀裂』だろう」
今まで、シレンは最悪の事態というのを『アレイスターがこちらの打開不能な策を発動すること』と無意識に定義していた。
だが、実はそうではない。
本当に最悪の事態とは──『誰も正体の分からない現象が突然発生すること』なのだ。
アレは一体何なのか。
アレイスターに利するものなのか? シレン達に利するものなのか? 放置していていいものなのか? 放置すれば学園都市に被害をもたらすものなのか? そもそも、破壊したりできるものなのか? ──何一つ、分からない。
それは、アレイスター側からしても同じだ。だからこそ、分からない。アレイスターが不安要素を嫌ってあの亀裂の消滅を優先するか、あるいはそれを無視して目下の敵対者を攻撃するのか。それゆえに、シレン達の方も亀裂の方にかかりきりになるわけにはいかない。明らかに、不穏な気配を感じる異変であるにも拘らず。
シレンが動きあぐねていた、その瞬間──
「あー、いよいよもって余裕がなくなってきたわねぇ」
やけにクリアな声が、すぐそばから聞こえてきた。
「!?」
反射的に振り返ると、そこにいたのは見慣れたウェーブがかったブロンドヘアの女──『魔女』の姿が見える。
ただし、今朝シレンが会った時とは様相が大幅に変わっていた。
その服装は常盤台中学の制服ではなく、グレーとダークグレーが入り混じった混沌のようなマーブル模様のナイトドレス。手足は白と黒のドレスグローブとタイツで覆われているが、それも四肢の付け根に行くにつれてナイトドレスと同様のマーブル模様に呑まれている。
洒落のように被っていた魔女のようなトンガリ帽子は既になく、年のころも二〇代中盤くらいにまで変化していた。
「そ、その恰好──」
そこまで言いかけて、シレンは気付く。
自分以外の世界の時間が、停止していることに。
「言ったでしょう? アナタにとって一番に気にすべき凶兆は、レイシアちゃんの不在じゃない。
『魔女』は今や、鏡の中なんて不確かな場所にではなく、現実世界に顕現するほどにまで至っていた。
まるで、空の向こうにうっすらと見える巨大隕石のように──その姿は、遥かな破滅を象徴しているような不気味さを伴っている。
「この状況は……一体何なんですの?」
「ああ、あの亀裂? いやいや、見たままよ。『世界の亀裂』。要するに──世界が壊れかけてるってことねぇ。もちろん、このままいけば亀裂は進行して、世界は崩壊する。放置なんてできないわよ?」
あっさりと、『魔女』は最悪のカタストロフを告げる。
最悪の強敵・アレイスター=クロウリーなど、危機の本質ではなかった。
かの『人間』は確かにすべての黒幕であり、レイシアとシレンを引き離し、
その動きはむしろ、暴走した
「………………、」
必死に脳内で状況を整理しているシレンに対し、『魔女』は悲し気な視線を向ける。
「……もう、無理よ。わたしが現実世界に顕現できてしまったということは、本当にタイムリミットが間近ってことなの。今はまだ、停止した時間という『異界』を介しているけど……ここまで来たら、もう『わたし』になるしかないわ。だから、アナタには決断をしてもらいたい。きちんと、レイシアちゃんとお別れをする時間を作ってほしい。わたしは、それを告げに来たの」
「いいえ……いいえ! まだ時間は残されていますわ! アレはどうやれば消滅させられますの!? この場には当麻さんも、頼もしい仲間達もいます。この際、アレイスターは彼らに任せましょう! レイシアちゃんとわたくしで『亀裂』の方に対処すれば、まだ間に合います! わたくしは最後まで諦めません!!」
悲痛な響きを持つ『魔女』の最後通告に、シレンはコンマ一秒の逡巡もなく答えた。
それに対し、『魔女』は泣きそうな顔で笑う。
「……そうね、そうねぇ。きっとアナタならそう言うって思ってた。分かったわ。それなら、わたしの中に残る『シレン』の後悔に従って……一つだけ、手助けしてあげる。わたしはアナタの『可能性』の一つでしかないから、アナタにしか干渉できないけれど……」
すい、と。
『魔女』はそっと指先で空間を撫で、シレンと『亀裂』の間をなぞる。
するとふわりとシレンの身体が浮かび上がり、『亀裂』の方へと吸い寄せられ始めた。
「な……、」
「『亀裂』の奥底。そこへ運んであげるわ。……あの『亀裂』を潰す方法自体は、きっとアナタは既に想像がついているはずよ。
その瞬間、『魔女』の姿が消失し。
止まっていた時が、動き始めた。
「ちょっ!? お待ちを、レイシアちゃんがまだ向こう側に……!」
咄嗟に言うシレンだが、既に『魔女』の姿がない。
必死に伸ばした手は、同じく手を伸ばしたレイシアの指先を僅かに掠り────
そのまま、シレンは『亀裂』の中へと呑み込まれていった。
──そこは、モノクロの世界だった。
見た目は、学園都市の第七学区の街並みとそう変わらない。
学生用マンションに、街路樹が立ち並ぶ歩道。二車線の車道に、横断歩道。遠くに見える高層ビル。どこまでも見覚えのある日常の世界は──ただし、『色彩がない』という一点によって完全なる異界と化していた。
「此処は……どこだ?」
思わずお嬢様口調で話すのも忘れて、シレンは呟く。
何気ない一言だったが──これが既に、異常の発露でもあった。
画像ファイルを無理やりテキストエディタで開いたときのような無理やりな文字化けが発生してしまう為、『この世界』の見方では解読できないのだ。
シレンの言葉にしてもその例に漏れず──何だかんだいってボロを出すことが多いシレンがこれまでお嬢様的な挙動を全うすることができていたのも、実はこの
もっとも、シレンはそんなことにはまったく気が付かないのだが。
「『魔女』の話によると……此処はあの『亀裂』の中ってことらしいけど」
辺りを見渡すが、『世界の崩壊』なんて物騒な前振りの割に、この世界は穏やかだった。──いや、穏やかすぎた。
シレン以外の存在が何一つ存在していないのか、生物の気配は一切ない。それだけでなく、風も吹いていないのか葉が擦れ合う音すらも発生していなかった。
『魔女』は──シレン達が迎えた一つのバッドエンドは言った。『あの「亀裂」を潰す方法自体は、きっとアナタは既に想像がついているはず』と。
今のシレンには心当たりはないが、つまりそれはシレンにどうにかできる材料があるということで、手助けしたということは『亀裂』の中に入るのがその解決への近道ということで間違いないだろう。
(……流石に、この期に及んで『魔女』の罠を疑ってもしょうがないしな。これまでだって助けられているし、『魔女』だって俺達の成れの果てなら、ハッピーエンドの為に協力してくれているだろう)
とりあえず思考のリソースを無駄な方向へ割くことはやめ、シレンは『世界の崩壊』を止めることについて考え始める。
そもそも、『魔女』の言う『世界の崩壊』はいったい何故起きているのか。そこからしてシレンには分からない。おそらく、『魔女』の口ぶりからして
──と、そこまで考えたところで、シレンは違和感に気付いた。
「
木原数多によって指摘され、そしてシレン自身も思い当たる節があった為に勢いでそのまま呑み込んでいたが……考えてみれば、違和感があった。
その性質上、
神の右席の襲来。
シレンは今まで『回避してきたイベントが一気に押し寄せてきた』という理解でいたが、よくよく考えてみればこれはおかしい。確かに、前方のヴェントや後方のアックアの襲来といったイベント自体は変わらないが、
しかも、襲撃の結果引き起こされる世界への影響は、明らかにイコールとはならない。というか、決定的に歪む。ローマ正教が『ブリテン・ザ・ハロウィン』の前にここまで消耗すれば、あの事件の推移も大きく変わるし、欧州を取り巻く情勢が変化すれば当然第三次世界大戦の展開も全く違うものになるだろう。そうなれば『グレムリン』の動き方も変わるし──それ以前に、アレイスターがここまで表に出た以上、コロンゾンだって『正しい歴史』通りの動きをするはずがない。
挙句の果てに、上条当麻とアレイスターは既に激突してしまった。こうなれば、もう歴史はどう足掻いても特大の乖離を生み出すに決まっている。
歴史は、最早取り返しがつかないくらいに変貌していた。
僅かな乖離と最終的な収束を齎す今までの
(…………もしも)
そこで、シレンの脳裏にとある推論が成り立つ。
それは、認めたくない推論だった。
(もしも、この事態は
──『真なる外』。
シレンがやってきたのは、『とある魔術の
この事態に、シレンが『真なる外』から転生してきたこと自体が関わっているとしたら、どうだろうか。
「……考えてみれば、俺が転生してきた時点で、この世界と『世界の外』は繋がっていたはずだ。そして、その二つの世界は俺の魂が通って来れるような『通り道』があった。でないと、そもそも俺はこの世界に転生することすらできずに世界の外で彷徨っていなければおかしい」
『通り道』──あるいは、『穴』か。
ともかく、シレンが実際にこの世界に転生で来た以上、この世界にはシレンの魂が入って来れるだけの『穴』があったはずだ。
しかし、今までそのことに誰も気付かなかった。もしも──もしもだ。
生物の傷跡が徐々にふさがっていくように、世界の穴も自然と修繕されるのならまだいい。だがしかし──そこを起点にして、まるでヒビ割れていくみたいに破壊が広がっていくような性質のものだとしたら。
「
それが、あの『亀裂』か。
そして『魔女』が此処に送り込んだのも、その『穴』をどうにかしろということなのかもしれない。
そこまで考えが至ったシレンは、自ずと解決策にも辿り着いていた。
「……簡単な話だ。穴が空いていてそのせいで世界が壊れてしまいそうなら……
まるで、風船に空いた小さな穴をテープで修復するみたいに。
世界そのものに空いた穴を何かで覆ってしまえば、ひとまず世界崩壊の危機については回避できるだろう。
そして、ヒントもまた用意されていた。
いたではないか。
異界の理として、世界に焼き付いたとある少女が。
「『魔女』は……このカタストロフを回避する為にあえて『異界の理』となって世界に焼き付いたんだ」
自然と、シレンはその答えに辿り着いていた。
そうやって世界の理となって世界に焼き付けば、世界に空いた穴を埋めることができるのだから。
「……なるほどな」
そしてシレンは納得していた。
『この事件が起きたならば、確実に「魔女」になる』というのは、そういうことだったのだ。
おそらく、世界の崩壊のトリガーは
結局どう転んでも最終的な世界への影響はプラスマイナスゼロになるあたり、正しく『
『魔女』は、
その答えに辿り着いたシレンは、『魔女』の言っていた『アナタにとってはその方が都合がいいでしょ?』という発言の意味も理解していた。
「そして…………この結末に、レイシアちゃんの犠牲は必要ない」
確かにそれを実行すれば、シレンは自分の本質の暴走によって今までのシレンではいられなくなるかもしれない。だが、それは何もレイシアを巻き込む必要がないものだ。
これまでのシレンはレイシアとの合流を並行で実行していたせいで、『魔女』化にレイシアを巻き込んでしまった。だが、今回は『魔女』の計らいによってシレン一人で行動している為、『魔女』化にレイシアを巻き込む心配がない。『魔女』となるのは、シレンだけで済む。
もちろん、今シレンはレイシアの肉体を使っているので、そこは道連れになってしまうことになるが──学園都市の科学力ならば、肉体の問題は必ずしも取り返しがつかない訳ではない。だが、『魔女』化は取り返しがつかない。どちらを優先するべきかは、明白だった。
(……きっと、こんな決断はレイシアちゃんは認めない)
シレンは、静かに考える。
『シレン一人で
その選択肢は、どこまでも独りよがりな自己犠牲は、これまでのシレンとレイシアの歩みからは明確に逆行するものだろう。
──だが、世界の為を想えばこれが最善だ。
(レイシアちゃんに、事前に相談できないのが……ちょっと申し訳ないけれど)
レイシアを巻き込めば、きっと最後の最後まで『自分たちは消えず、世界も救える』方法を探すだろう。それはシレンにとって魅力的な未来だったが──そんなことをすれば、最悪の場合は異界の理として世界に焼き付くことにすら失敗し、世界を滅亡させてしまうかもしれない。
それに、犠牲なしに世界の滅亡を回避する方法は、今のシレンには皆目見当もつかない。
達成できるかも分からない、可能性の低い未来の為に、世界の存亡を天秤にかける──そんな我儘な行為、最低最悪に決まっている。
だから。
だから。
「…………ごめん、レイシアちゃん」
シレンは、一つの決断をした。