【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「だぁらっしゃあああああああああああああああああい!!!!」
悲鳴とも雄たけびともつかない叫びと共に、浜面の身体がノーバウンドで数メートルは吹っ飛んだ。
本日三回目の飛躍であった。
────そこは、既に冗談みたいな戦場と化していた。
神の右席・後方のアックア。
第四位・麦野沈利。
二人の化け物の激突は、もはや人類の領域には収まらない。流れ弾が当たれば死ぬという生易しい時代はとうの昔に終わっていた。
此処は既に、
「クソっ!! 最悪だ!! こんな戦場にいて俺達に何ができるっていうんだ!? っつか、逃げ遅れた民間人ってカテゴリの方が正確じゃねえか!?」
日頃の行いの賜物か、幸運にも無事に障害物のない場所へ軟着陸を成功した浜面はたまらず叫ぶ。
実際に、浜面が今まで生存していたのが不思議なくらいだった。
麦野が破滅の極光を放ち、それをアックアが音速の機動によって回避する。その回避機動の余波によって生まれるソニックブームですら、人ひとりが簡単に吹き飛ぶのだ。
返す刀で放たれる氷の礫に対して麦野が光線を循環させて作った盾で防御しても、それはそれで水蒸気爆発が発生し、これに巻き込まれても当然人間のローストが出来上がる。
どちらに転んでもいくつあっても命が足りない戦場の完成だ。こんな場所で戦い続けてるのはふざけていると浜面は思う。
「電子レンジのスチーム機能よりも性能高いんじゃねえか!? とっとと逃げようぜフレンダ!!
「……いいえ、違うわ浜面。見て」
必死の思いで物陰に引っ込んだ浜面は、ほとんど懇願するようにしてフレンダに言う。
しかし縋りつかれたフレンダは静かに首を振り、物陰の向こうに展開されている戦場を指差した。
──セレストアクアリウムにて展開されている戦場の状況を書き連ねると、それは下記の通りとなる。
まず、戦場の主な場所はセレストアクアリウムの正面入場口。ガラス張りの高層ビルの正面玄関にあたる部分にて展開されている。
戦闘を構成しているのは、主に麦野沈利と後方のアックアの二人。
とはいえ、麦野の方がわずかに劣勢であり、撃ちこぼした攻撃は適宜絹旗がガードに入ることで事なきを得ているような状況なのだが……、
「──どうした、能力者。顔色が優れないようであるが?」
「チッ、涼しい顔しやがって、そのふざけたポーカーフェイスごと焼き潰してやるわよォ!!!!」
根本的な、スタミナの差。
身体能力で言えば麦野も常人を大きく上回っているが、それでもあくまで生身の人間の範疇だ。頭を殴られれば(短い時間だが)意識を失うし、四肢を失えば命に関わってくる。
一方でアックアは聖人である。そもそも演算による先読みで無理をして音速の世界に食らいついている麦野と違い、アックアの場合は『素の戦闘の世界』がそもそも音速の領域となっている。
その分の『余裕の差』は、スタミナの消耗率として如実に表れてくるのだ。
端的に言って、学園都市の第四位はじりじりと追い詰められていた。それも、誰にも分かる程度には明確に。
「どういうことだよ……!? レイシアとだって、麦野は同格の戦いをしていたじゃねえか。負けはしても、あと一歩で勝てるってところにまでは立っていた。互角だった。そんな
「………………魔術サイド」
呻くように言う浜面に重ねるように、フレンダは言う。
その言葉を意識的に口にできるだけの経験値は、既に積み重なっていた。
「今回戦っている『神の右席』って連中は、学園都市とは違う
「…………文字通り、桁が違いすぎんだろ…………」
上澄みとしての、格が違う。
「確かに、私達にできることなんて少ないかもしれない。でも、このままだと麦野は確実に押し切られる。結局、そうなってしまえばアックアの毒牙はシレンにも届くって訳よ」
「その為に俺達が死んじまったら元も子もねえだろ!?」
「…………それに、もう既に私達はアックアに敵って認識されている訳よ。ヤツは麦野っていう目下の戦力を潰し終えたら、余計な横槍を入れられるリスクを嫌って私達をさっさと潰したがるはず。……天下の
「…………クソったれが!!」
ほとんど自棄になりながら浜面は毒づき、
「だったらどうするってんだよ!? いるだけで命がすり減るような戦場で、何の力も持たねえ
「…………策なら、一つだけあるわ」
自らも冷や汗をかきながら、フレンダは人差し指を立てて引き攣った笑みを浮かべる。
「安心しなさい。結局、私が一番好きなのはああいう調子に乗った強者の足元を掬って笑ってやることなのよね」
聖者とはかけ離れた、悪党の笑みを。
「後方のアックアは確かに麦野も圧倒するバケモノだけど、隙が全く無いわけじゃないって訳よ」
フレンダはそう言って、戦況を見遣る。
浜面は、フレンダの言い回しに怪訝そうな表情を浮かべ、
「どういうことだ? 俺の目には完全無欠の化け物にしか見えねえんだけどよ」
「たとえば、アイツは蒸気を操ることはできない」
「…………へ?」
「さっきから麦野との衝突でバンバン水蒸気爆発を起こしているでしょ。それなのに一度も蒸気を利用するそぶりを見せてない。これって結局、『操ることができない理由がある』って考えるべきでしょ」
事実、アックアは麦野の攻撃によって手持ちの水や氷が減らされたら、適宜新たなものを追加することで対応している。
それで対応できているので戦況に影響はないのが現状だが、しかし『補充しなくてはいけない』という事実は確かに存在しているといえるだろう。
「それにアイツは、無から水や氷を生成してはいるけど、大規模な生成はできないわ。結局、もしもできるなら、最初から大量の水を出して私達を押し流せばいいだけだもんね」
これもまた、道理である。
現状のバランスでもじわじわと麦野を追い詰めているのだ。上限に余裕があるなら、最初から費やしておけば簡単に勝負がつく。後方のアックアという『プロ』が、わざわざ麦野に対してそんな手心を加えるとも思えない。
そして、そうした前提を並べれば、とある仮説が見えてくる。
「そして多分……アックアには、さらに多くの水を操る方法があるはずって訳よ」
そう言って、フレンダは
「根拠はこの状況ね。麦野相手に多少の余裕を残して追い詰められる程度の強者なら、この戦場を維持する理由はない。能力者でもないんだから滝壺の追跡も使えないしね。さっさと戦線離脱して、アイツの狙いであろうシレン達や統括理事長に襲撃を仕掛ければいいのよ。……でも、そうしていない」
「…………おいおい、まさか」
フレンダの言葉を引き継ぐように、浜面は呻く。
「セレストアクアリウム。ガラス張りの水族館が蓄えている莫大な水を、そのまま自分の武器にする為にこの戦場に拘っているっていうのかよ…………!?!?」
今の時点でも、
そんな強者がさらに強くなる余地を残しているのは恐怖でしかないが、しかし同時にそう考えれば説明もつくのだ。
ただでさえ、アックアは既に仲間を殆ど失っている。ここから一人で学園都市を相手に目標を達成するとなれば、さらなる戦力の強化は必須。アックアの戦略的合理性に沿わない拘泥もそこにあるのであれば辻褄が合う。
「そして、私達は今の戦況を『麦野でもじわじわ潰されるしかない絶望的戦況』って最初に評価したけど、結局それは相手からしたら真逆かもしれないわ。アックアからしてみれば、『早く戦力を強化したいけど相手が粘りまくっているから思った以上に手こずっている』って状況なんじゃない? 今って」
「……確かにな。よく見てみれば、麦野のヤツも思ったよりキレてねえっつうか……どっちかっていうと、嘲笑ってる感じの表情か? あれ」
「ま、まぁまぁガチで戦ってる時の麦野の話は怖いからこのくらいにしておいて……」
フレンダは冷や汗をかきながら話題を進めていく。
「結局、そういうことなら私達のやるべきことも見えてくる。水の量によって強くなるってんなら、逆に言えば
「具体的には?」
「そうね、例えば…………一面火の海とかどう?」
言うが早いか。
フレンダは懐から取り出した六角形の爆弾を、サイドスローの野球選手のようなフォームでアックア目掛け投げつける。
もちろんそれはアックアにすぐ察知されるが──それすらフレンダにとっては計算済みだった。
「結局、水で消火できない炎をあげる爆弾の用意なんて、両手の数でも足りないって訳よ!!」
フレンダが叫んだ瞬間、投擲された爆弾が起爆する。
──リトルナパーム。
簡単に言えば対人用にまで規模を落としたナパーム弾で、内臓された燃料は引火と同時に一定方向に撒き散らされる。この炎は水では消し止めることはできず、消化するには油火災用の消火剤を用いる必要がある。
当然ながら、人道的観点から言えば『極悪』としか表現のしようがない代物だった。
「……! でかしたわね、フレンダ!」
「調子のいいことを……火からの防御担当の私のことも超考えてくださいよ!!」
当然ながら、爆発が味方を選別してくれるわけがないのでその火の手はフレンダと絹旗にも浴びせられるのだが……そもそも炎という攻撃手段が絹旗との相性が良すぎる。
窒素を操る絹旗にしてみれば、炎を防ぐことなど呼吸をするよりもたやすいのだった。
「……なるほど、水では消せない炎を用いて、私の水を炙って弱体化を図ろうという算段であるか」
実際、効果はあった。アックアの持つ氷の棍棒にも付着した引火油はじわじわとアックアの武器を蝕んでいるし、周辺に飛び散った火の手も純粋に火の手としてアックアの体力を奪っていく。
それに対応する為に戦闘に使っていた水のリソースを消火に向けざるを得なくなったことにより、戦況は徐々に麦野が持ち直していった。
「ハッ……どうした神の右席。顔色がよくないんじゃないかしら!?」
麦野の哄笑と共に、絶滅の輝きを宿した巨腕が豪快に振りかぶられる。
それをギリギリのタイミングで躱したアックアは、己の不調に気づいた。
先ほどからさして時間が経っていないにも関わらず──息が荒くなりつつあるのだ。
もちろん、二重聖人であるアックアがこの程度の戦闘で消耗することはない。いかに火の手に囲まれているとはいえ、この程度の熱は水を司るアックアにとっては大した問題ではないからだ。
では、この状況は何か。
──
「…………なるほど、酸欠であるか」
アックアは神の右席でありながら、通常の魔術も使うことができるという特異な魔術師である。
ゆえに彼は、学園都市という『科学』を抱え込んだ敵の総本山に乗り込むにあたって、大小さまざまな防御術式を用意している。
たとえば、耐毒。『聖母の慈悲』は特に不調の回復と相性が良いため、アックアは様々な種類の加護を抱えていた。その中の一つには、たとえば一酸化炭素中毒に対する耐性も備わっており、実は地味にフレンダの本命であった『一酸化炭素中毒による静かな撃退』という線は人知れず無効化されていたのだが……そもそもの問題として、失われている酸素自体はどこからも供給できない。
「いや……返す言葉もないな」
獣のように笑う麦野に対して、アックアは意外にあっさりと答える。
派手な攻撃の裏に隠されていた見えない牙が自らの喉元に迫っていた事実を、素直に認めた。
その横顔には、どちらかというと自嘲のような色の苦みが滲んでいるように見える。
「正直、貴様達を相手に『どこまで時間稼ぎをされるのか』という失礼な焦燥を覚えていたことは否定できないのである」
そしてアックアは、真摯な面持ちでこう続けた。
「非礼を詫びよう。そして────全力で叩き潰すとするのである」
その直後、アックアの手元にあった長さ二メートル以上もある巨大な氷の棍棒が消失した。
「な…………ッ!?」
己の武器を一ついたずらに手放すような暴挙に、麦野の表情が一瞬強張る。
しかし次の瞬間、麦野の脳裏に一人の少女の姿がよぎった。
「しまッ、コイツ、気流を!?」
気付いた時には、もう遅かった。
巨大な氷の棍棒が消えたことによって生まれた真空空間に、周囲の空気が一気に流れていく。
そしてそれによって発生した暴風は、酸欠状態のアックアに新鮮な酸素を呼び戻す。そしてアックアにしてみれば、それだけで十分だった。
「細工の腕は認めよう。だが教えてやるのである。────私は、『神の右席』であるぞ」
次の瞬間には、アックアの手には同じような長さ二メートルの氷の棍棒が生まれていた。
ゴガガガガギギゴガン!!!! という凄絶な音が、周辺に撒き散らされた。音速を超えてアックアの腕が振るわれる。
「散々苦労したのだ。せっかくだし、お裾分けしよう」
炎を帯びた油に覆われた地面ごと、氷の棍棒が地面を削り──そしてそれを、麦野に撒き散らした。
面食らったのは麦野の方だ。先ほどまでの戦闘でナパーム弾の威力は痛いほど分かっている。すぐさま
轟!!!! と。
『何か』が、麦野の防御の横を掠めるように高速で通過した。
「…………あ?」
戦況に変化はない。
麦野も、絹旗も、物陰に隠れているフレンダや浜面でさえ、今の一撃で傷ついたものはいない。だから誰もが、一瞬何をされたのか分からなかった。
滝壺から切羽詰まった通信が届いてくるまでは。
『みんな!!!! 大変だよ……アックアが投げた氷の投げ槍で……水族館の配水施設が破壊された!!』
その言葉に、一同が息を呑んだ。
つまりアックアは、一瞬の隙をついて自らを蝕む酸欠地獄を回避しただけでなく……本来の目標であるシレン達に対しての攻撃すら行ったというわけだ。
まるで、『アイテム』の妨害など無意味だとでも言わんばかりに。
「テメェ……!! テメェの相手は私らだろうが!!」
「何を勘違いしているのか知らないが、私は別に力比べをしているつもりはないのである。私達が担っているのは世界の命運を賭けた総力戦。……貴様達にその覚悟はあるのであるか?」
「…………!!!!」
世界を背負う覚悟。
アックアが何気なく口にした一言には、異様な重みがあった。それこそ、学園都市の『闇』の中で蠢いている程度の人間では一生かかっても出せないような『重み』が。
その気迫に一瞬気圧された麦野を一瞥してから、アックアは視線を横にずらす。──即ち、フレンダ達の方を。
「……しかし先ほどの機転には危機感をおぼえたのである。とりあえずここは……そちらの方から潰すべきか」
「……っ!! ヤベェフレンダ、こっちに目をつけられたぞ!! 逃げろ!!」
迫るアックアに対して、浜面が咄嗟にフレンダを身を挺して庇おうとした、次の瞬間だった。
ゴッギィィィン!!!! と。
音速で飛来した『何か』が、アックアの凶手から彼女達を掬った。
「──おーおー、散々じゃねえか。大丈夫かよ、『アイテム』」
それは、白い翼だった。
まるで液体のようにするすると伸び縮みする不可思議な翼の持ち主たる少年は、軽薄そうに笑いながら地面に降り立つ。
「…………天使。なるほど、学園都市もなかなかに悪趣味なモノを開発しているのである」
「うるせえな。悪趣味なのは百も承知だっつの」
そしてその横に立つのは、土星の環のようなヘッドギアを被った少年と、赤いドレスを身に纏った少女。
「…………仕方がねえ。こっからは、俺達も協力してやるよ」
誉望万化。
獄彩海美。
そして、垣根帝督。
彼らが所属する組織を、人はこう呼ぶ。
「『スクール』が、な」