最終章 予定調和なんて知らない
Theory_"was"_Broken.
一四四話:大いなる禍の些細な思惑
Productive_Purpose.
麦野達『アイテム』や垣根率いる『スクール』の協力により、なんとか天体水球から脱出することができたシレン達であったが──しかし、その前途は未だ多難であった。
「そもそもなんだけどさ」
大通りに出てから、上条はぼんやりと話を切り出す。
「木原の書はなんでアレイスターと戦ってたんだ? アレイスターの目的もよく分からないけど、木原の書だって何かしらの目的があって動いているはずだよな。そこが分からないと、木原の書がどこにいるかも分からないんじゃないか?」
シレンはアレイスターによって『木原の書の無力化を最優先に行動しなくてはならない呪い』をかけられてしまっている。
この呪いはどうも体内の奥深くに呪いの核が根付いているようで、幻想殺しで触れても解除することができない。だから仕方がなく、こうしてアレイスターの思惑通りになってしまうことは承知の上で木原の書の無力化に向かっているのだが──
「……うぅん、困りましたわね。インデックスにはもう既に別の頼みをしてしまったので、多分連絡もつかないでしょうし……」
魔術の問題であれば百人力のインデックスも、実は当初シレンが協力を依頼した仲間の一人である。今頃はおそらく別の協力者達と行動しているはずなので、彼女の協力は見込めないだろう。
となると、やはり木原の書を見つける必要がある。
「でも、話を聞く限りだと木原の書って明らかにアレイスターを殺害しようとしていたのよね? なら、木原の書の目的ってアレイスターを殺すことなんじゃないの?」
「あのねぇ、御坂さんてば安直力高すぎないかしらぁ? そもそもアレイスターを殺害して、木原の書になんの得があるっていうのよぉ?」
「はぁ!? そんなの私が知る訳ないでしょ! 現に木原の書がアレイスターを殺そうとしてたのは事実じゃない!!」
ギャーギャーと取っ組み合いの喧嘩が始まった少女二人をよそに、上条も上条で木原の書の思考について考えてみる。
「純粋にアレイスター=クロウリーの殺害そのものが目的じゃないにしても、あのタイミングでわざわざ戦闘を仕掛けてたってことは、殺害自体も目的には含まれるんじゃないか?」
「……でも、だとしたら木原の書は目的遂行の為に窓のないビルに行くのではなくて? その場合、アレイスターさんがわたくしと行動を別にした理由が説明できませんわ」
木原の書の目的にアレイスターの殺害が含まれているならば、アレイスターがそれを察知していないはずはないだろう。
ならば、アレイスターの心理としては木原の書対策にシレンを常に傍に置いておきたいと考えるのが自然である。枷によってひとまずの安全は確保できているのだし、レイシアを口八丁で制御できているアレイスターなら何かしらの理由をつけてシレンを手元に置いておくことだって可能だったはずだ。
その選択を捨ててあえてシレンを解放したということは、アレイスターの目から見てひとまずしばらくは自分が襲われる危険性は低いと判断したということに他ならない。
「おそらく、アレイスターとの戦闘自体は木原の書の目的の一部でした。それは間違いないはずですわ。……ですが、殺害自体が目的というのは正確ではないのかもしれません。正確に言えば……アレは過程に過ぎなかったのではないかしら」
「……過程? それって、この学園都市の統括理事長を殺害するっていう暴挙すらも目的の為に必要なタスクの一つでしかないってこと?」
いつの間にか取っ組み合いから復帰していた美琴が、愕然としながら言う。しかし、今の木原の書の行動をひとつひとつ読み解いていくと、そう考えざるを得ないのだ。
「それじゃ……いったい何が目的だっていうのよ!? 世界全部をぶっ壊そうとしてるとか、そういうスケールの話になってこない!?」
「うーん、あながち的外れと言い切れるわけでもないのよねぇ……。木原幻生なんかは実際に御坂さんを進化させた絶対能力を観測する為に学園都市全部を吹っ飛ばすつもりだったでしょぉ?」
「…………、」
そこについては、美琴も覚えがある。
いっぱい食わされた苦い記憶なのであまり思い出したくはないが、確かにあの時の木原幻生は『科学の為に世界を滅ぼす』レベルのことをしていた。
「というか、統括理事長の殺害だとか、そういう俗っぽいものを『木原』が気にしているとは思えないのよねぇ。彼らの目的って、だいたい学術力に向いてなぁい? 即ち……統括理事長の殺害未遂も、結局は何かしらの実験の障害力を排除するためのアクションに過ぎないんじゃないかしらぁ?」
おそらくは木原一族とそれなりに渡り合った経験のある食蜂だからこそ、彼女はある種ドライにそう判断した。
実際、木原一族というのは往々にしてそういう生き物だ。実験の為ならば倫理や良識など投げ捨ててでも結果を得ようとする。そういう傾向が大多数に見られるのは、間違いない。
ただし。
「…………いえ。あるいは、それすら正確ではないのかも」
彼女よりもさらに深く『木原』と関わってきたシレンには、別のものが見えかけていた。
「『木原』は実験を遂行するためのマシーンではありません。彼らには、彼らなりの想いが秘められていることだってあります。……だからこそ、相似さんは今回わたくしの為に協力してくださったわけですし」
木原相似の例が分かりやすいが、彼はレイシア=ブラックガードに対してきわめて個人的な好意を秘めている。それが『木原』という判断基準を通した結果天敵兵装という科学に昇華されているあたりはいかにも典型的な『木原』だが、しかしその原動力については疑う余地もなく科学的な意義とは関係ない『想い』が介在している。
あの事件における木原幻生の動きにしてもそうだ。
彼が美琴やその奥に存在するミサカネットワークを用いた絶対能力の誕生に固執したのも、元を正せば自分の悲願を踏み台にして『計画』を進行したアレイスターへの恨みがある。
木原那由他も、テレスティーナ=木原=ライフラインも、大覇星祭の件ではそれぞれの想いに従って、街を守るために戦っていた。
木原の書にしても、同じことが言えるとしたら?
「木原の書は、わたくしの奇想外しを受けて存在そのものが木原数多の行動の『結果』として失敗させられそうになりました。アレは思わぬハプニングとしてわたくし達も流していましたが……実は、アレこそが重要な判断基準になりえるとしたら、どうでしょう」
木原の書は、『再起』という言葉を口にしていた。
つまり彼自身は、木原数多の害意を発露する存在ではなく、あくまで自らを再起しうる一個の存在だと定義している。
にもかかわらず、奇想外しは木原の書のことを捻じ曲げられる行動の『結果』と判定を下した。木原の書は、シレンの右手で失敗させられる、木原数多の行動の発露にすぎなかった。
それを認識した木原の書は、一体どういう行動をとるだろうか。
「……だとしたら、まず最初に考えられるのは自分にとって危険な排除力を持つ存在の排除。この場合、シレンさんの抹殺か、右手の抹消ねぇ」
「でも、だったらわざわざこっちの追跡を待つまでもなく、あっちからシレンさんのことを襲撃する方がいいわよね? 今のシレンさんに能力はないんだし、正直いくらでも隙はあるわよ?」
しれっと言う美琴に、シレンは身を震わせる。
シレンも演算力だけならば未だに超能力者級なので自覚はあるが、やはり隣に第三位が控えているといっても、この状況は『暗部』の人間ならいくらでも狙い放題なのだ。改めて突き付けられると、やはり生きた心地がしなくなる。
……とはいえ、真っ先に思い浮かぶ可能性があの天体水球のゴタゴタの間にも発生していなかったということは。
「……木原の書にとって、そっちの方策はそこまで重要じゃなかったってことなんだろうな」
「でしょうね……」
シレンは、そこで沈痛な面持ちになる。ある意味、シレンにとってはそちらの方があまり歓迎したくない可能性だった。
「わたくしの右手について、気になることが一つあります。それは……効果範囲の限度」
白いドレスグローブに包まれた右手に視線を落としながら、シレンは言う。
「木原の書は実際に、木原数多の悪意の発露だから奇想外しの対象となりました。なら、たとえば誰かが害意を持って唆した場合、その人の行動は奇想外しの対象になりうるのでしょうか?」
新たに得た異能だからこそ、その答えはまだ実証されたことがない。
だが、解答に至る為の材料はこれまでにシレンも見てきた。
「答えは、おそらくNO。もしもこれも対象になるなら、アレイスターさんがレイシアちゃんを唆して駒にしている今の状況についても、わたくしの右手一本で簡単に解決できてしまうことになりますわ。あのアレイスターがそんなお粗末な作戦を立てるとは思えませんし、これが通るならあまりにも範囲が広すぎることになります」
シレンの行動にしたって、ここに至るまでの盤面で誰かの害意の影響を受けてこなかったなんてことはないだろう。奇想外しを使うたびにそれらも全て『失敗』するとなったら、これはもう使うだけで世界がめちゃくちゃになっていないとおかしい。
「少なくとも生物の場合、その対象の自由意志が優先されるということなのかもしれません。……では、生命を持たない無生物の場合ならば……と考えてみても、その場合も無条件で対象になるとは言い難いはずです」
これも、これまでの例で考えてみれば分かりやすい。
たとえばヴェントの天罰術式の核は舌から伸びた十字架だが、アレは明らかに害意を持って製造された兵器と言っていいだろう。木原の書が誰かの害意によって製造された無生物だから奇想外しに『失敗』させられたのだとしたら、アレも同様に『失敗』して存在の成立すら崩壊していなければ筋が通らない。
これは、何故か。
「…………おそらく、『意図』が関係しているのではないでしょうか」
「意図、だって?」
シレンの言葉に、上条はオウム返しのように問い返す。
しかし、それは上条がシレンの言っていることを理解できなかったからではない。むしろ、上条は思い当たる節があった。だから、思わず問い返してしまったのだ。
シレンは頷いて、
「ええ。霊装をはじめとした兵器は確かに誰かを害する為に製造されたものですが、具体的な加害行動までは想定されていません。この段階のものについては、奇想外しが対象とする『害意』にはあたらない……いや、あたりづらいのですわ」
考えてみれば、ヴェントも戦闘の終盤では狙いを定めずに攻撃を放つことで奇想外しの影響から外れようとした。彼女のそれが必ずしも正しい攻略法とは限らないが、傾向として『害意』というものは具体的に対象を頭に思い浮かべてはじめて成立するものという向きは間違いなくあるだろう。
その上で、
「翻って対象になる例ですが、これはアックアさんの例を考えてみれば分かりやすいでしょう。先ほどは、『投擲によって大量の水を漏出させ、それによってわたくし達を押し潰す』という攻撃の『意図』があったので水を対象にして奇想外しが発動しましたわ。ここから察するに……具体的な加害行動を想定していたならば、おそらくそれは奇想外しの能力対象になりうるのではないでしょうか」
人差し指を立てて言うシレンに対して、一拍遅れて上条もまたその言葉の意味を理解した。
それは、つまり。
「待て待て待て待て! それっておかしくないか? だってそれって……木原数多が事前に木原の書の行動を想定して、木原の書がその通りに動いていたから奇想外しの対象になったってことにならないか!?」
「…………おそらくは」
つまり、木原数多は事前に木原の書の行動パターンを予測していた。
そして木原の書が木原数多が想定したとおりに、彼が設定した製造目的通りの害意を世界にばら撒いたからこそ、奇想外しは木原の書を『木原数多の害意』と判定した。
そう考えれば、あの局面で木原の書が奇想外しによって存在そのものの成立を揺らがされたことに説明がついてしまうのだ。
「そんなのって……」
「おそらく、木原の書自身もある程度前もってその可能性についての考察力はあったんでしょうねぇ。むしろシレンさんとの一件は答え合わせでしかなくて、元々『それ』をどうにかしようと動いていた。統括理事長の抹殺についても、その為の脇道でしかなかった……」
美琴と食蜂も、そこまで聞いて木原の書の目的に思い至る。
統括理事長すらも殺害せんとする『原典』の行動目的。
シレンは目を伏せながら、決定的な一言を口にした。
「『木原数多』からの脱却。おそらくはそれが、木原の書の目的ですわ」