【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
その瞬間、四人の命が長らえたのは、幸運以外の何物でもなかった。
その場に磁力を操ることができる第三位の
現在地が水族館のバックヤードであり金属部品が大量に揃っていたこと。
そのどちらかでも欠けていたなら、四人は間違いなく数百トンにも及ぶ水の圧力によってぺしゃんこに押しつぶされていただろう。
「悪い御坂! 助かった!」
美琴が磁力によって引き寄せた大量の金属部品で即席の避難小屋を作成しているその横で、上条は慎重に右手を地面に押し付けながら礼を言う。
しかし、今まさに四人の命を救った立役者の表情は全く明るくならない。
「勝手に安心すんな!! 水ってのは流体。垂直移動の第一波は凌げたけど、流れ出た大量の水は第二波になって私たちを押し流すわよ!!」
見ると、頭上から落下した大量の水については上手くやり過ごせたが、地面に落ちきった水は壁に衝突し、まるで波打つかのように四人に向かって少しずつ迫っていた。
──『波』と違って、水の勢いというのは見た目以上の破壊力を持っている。津波の例を挙げるまでもなく、大量の水はそれだけで人の身体などたやすく破壊してしまう。とにかく波から逃げる為に美琴が三人に瓦礫の上へ移動するよう促したタイミングで──
「……っ、この因果は捻転するっ!!」
やけくそのような勢いで、シレンが指を弾く。
するとどういうわけか、ビーッ!! というアラームと共にバックヤードの壁が開き、そこに水が吞み込まれていった。
「…………ど、どうなったんだ……?」
「おそらく、
そう言ってから、食蜂は肩で息をしているシレンを見やる。
「…………想像以上に凄いわねぇ、その右手」
「今のが『攻撃』ではなく『事故』だったら、終わっていましたわ……」
──
施設のセーフティロックが作動したというのは事実として間違いないのだろうが、四人が水の底に沈む前に
「……都合が良すぎる、とは思っていましたわ。先ほどの高速で放たれた投擲物。戦闘中にアックアさんが放った攻撃が偶然に狙いを外して、これまた偶然に速度を保ったまま配線を傷つける可能性よりは、アックアさんが戦闘中にわたくし達へ攻撃しようとしていると考えた方が自然ですもの」
つまり、今の危機は偶然発生した『不幸』ではなく、きちんとした『害意』に則って発生したアックアによる『攻撃』ということになる。
しかしそうなると、ある問題点が浮かび上がってくる。
「……でも、それってつまり、アックアってヤツが『アイテム』を相手取りながら私達に攻撃してくるくらい余裕があるってことになるわよね? それって大丈夫なの? 私達も追撃を警戒しなくちゃいけないって意味もそうだけど……アイツらが負けちゃうっていう可能性は?」
「…………、」
『そっちについては、問題ねえよ』
と。
そこで、シレンが持つ通信機器から声が発せられた。
馬場ではない。
まるでホストか何かのような、『気安い粗暴さ』を備えた声は──
「……垣根さん!?」
──垣根帝督。
アレイスターの攻撃によってダウンし、救急車で搬送されたはずの少年の声だった。
「垣根さん、どうして……?」
『ちと不覚をとっちまったがな、あの程度の攻撃は大した問題じゃねえよ。
垣根は少し気まずそうに、言い訳でもするように言いながら、
『そういうわけで、俺や──「スクール」も戦線に参加する。神の右席の後方だか知らねえが、頼りねえ第四位のバックアップくらいこなしてや、「あァ!? 誰が頼りねえってェ!? テメェの方を先に消し飛ばしてやろうかァ!?」……おー、怖えぇ怖えぇ』
……どうやら、まだ麦野は元気そうである。
『そういうわけだ。こっちは心配要らねえよ。それよりテメェはさっさとテメェの目的をこなすんだな』
「……恩に着ますわ、垣根さん!!」
シレンは通信を切ると、事の成り行きを見守っていた三人へ向き直る。
状況は、先ほどまでよりも大分改善していた。
「皆さん、急ぎましょう。垣根さん達が作ってくれたチャンスを無駄にするわけにはいきません!」
「……でも、盛り上がってるところ悪いんだけどぉ……」
息を巻くシレンとは対照的に、食蜂は顔を蒼褪めさせながら辺りを見渡す。
──
その中でシレン達は一番下の通路にいたわけだが、当然ながら大量の通路は破壊されてしまっており、本来の通路通りの道順では進むことなどできようはずもない。
「これ、どうするのぉ……?」
「どうって……あ、そうですわ! 美琴さんの磁力でなんとか整備できませんこと!?」
ぱん! と手を叩くフリ(
「いや、ちょっと難しいわね。……っていうのも、ほら、辺り一面水浸しだから」
言いながら、美琴は周辺を手で示してみる。
一応セーフティロックによって施設そのものの完全水没は免れているものの、それでもところどころ通路は水に埋もれているし、現在進行形で水も大量に漏れ出ている。
水に飲まれるのを防げたとはいえシレン達も大なり小なり水に濡れている状態だし、そもそも通路に至っては全面水浸し状態だ。
「磁力を操るって言うけど、それって結局電流を操ることの応用なのよ。だから、こんな風にちょっとでも電気を流せば感電しかねないようなロケーションだと……ね」
つまり、美琴の磁力もほぼ封じられてしまっている状況というわけである。
「ただ、この施設のマップ自体は侵入前にダウンロードしてあるから、非常口までの道順なら分かるわよ。まぁ、この状況でそれが役に立つかは分かんないけどね……」
ところどころの水没に加え、破壊された水道管をはじめとした施設の残骸が撒き散らされた通路。当然ながら元の道順は使えないし、マップと見比べても意味がない可能性はあるが……。
「それでも、大まかな方角が分かるだけでも十分マシだろ。ありがとな、御坂」
「ふぇ!? な、何よ……。感謝なら脱出してからにしてくれる?」
「「…………、」」
男一人女三人。
この構成があまりにも空気を悪くしやすいことに気付いたシレンである。
「しかし……凄まじい破壊ですわね」
大まかな方角をもとに、壊れた通路の上でかろうじて歩ける場所を歩きながら、シレンは空恐ろしげに言う。
実際、破壊された通路の滑落も含めてアックアの『攻撃』でなければ、シレン達の頭上に通路が降ってきてもおかしくない破壊っぷりだった。
水浸しの地面の上、シレン達は破壊された通路の瓦礫を迂回するようにして歩いていく。
しかし、そうした迂回路がいつまでも続くわけもなく。
「……瓦礫で道がふさがれているみたいねぇ」
見ると、そこには人の背丈以上の大きさの瓦礫が通路を塞ぐように聳え立っていた。浄水設備の間に形成された通路を、完全に塞いでしまっている。
困ったような声を上げたのは、食蜂だった。
「どうしましょっかぁ。こんな邪魔力を発揮されたら進めないわねぇ。戻って別の道を探しましょうかぁ?」
「? 別に登ればいいんじゃないの? このくらい簡単でしょ」
困ったように問いかける食蜂の横で、美琴はひょいひょいと簡単に瓦礫を登ってしまう。
運動神経抜群の健康優良児である美琴にとっては、このくらいの瓦礫は『登ってしまえばいいもの』でしかない。ただし、世の中はそれがスタンダードとはならない世界もある。
「冗談やめてくれるかしらぁ!? おサル力満載のアナタと違って、私はこんな瓦礫登れないわよぉ!?」
「……運動音痴がよく言うわ」
「は……はぁーっ!?!? 別に運動神経は関係ないんですけどぉ!? これは……っ、そう、胸!! 胸囲力に乏しい御坂さんと違ってぇ、私は胸がつかえて登りづらいだけなんだゾ!!」
「あァ!?!? ナメてんじゃないわよ駄肉!! それ言ったらシレンさんが登れたらアンタただの駄肉確定だからね!?」
「あ、当麻さん。手を貸していただけますか? ちょっと瓦礫表面が濡れていて滑りやすそうで……」
「ん? ああ、いいぞ」
「「あの女しれっと抜け駆けしてやがる!!!!」」
そんなこんながありつつ。
「……ちょっと、これはどうするのよぉ」
諸々の障害物を潜り抜けてきた四人を待ち受けていたのは、滝だった。
──より正確に説明すると、上層より落下してきた瓦礫によって形成された高さ三メートル、直径五メートル程度の『器』の中に破損した水道管から流れ落ちた水が溜まり、その縁から流れ出た水が外から見たら滝のように見えている、といったところか。
「マップを見た感じだと、この瓦礫の向こう側に脱出用の非常口があるのよねぇ?」
さらに間の悪いことに、目的地である非常口はこの瓦礫の先。
即ち、瓦礫によって形成された『器』の水底にあるというわけである。
「どうするったって、開けるしか……」
「水没している状態の非常口を? 怪力の持ち主でもない限り、まず無理でしょうねぇ。それに、仮にできたとしても、その場合非常口の外へ流れ出す水流力に巻き込まれて無事じゃすまないわよぉ?」
「かといって、この『器』を破壊する方向で考えた場合でも、間違いなく大変なことになりますわよねぇ……」
まず水流の勢いだけでも殺人的だというのに、水流に乗った瓦礫が厄介すぎる。とてもではないが、今のパーティではこれを受けきることはできない。
四人の間に、重い沈黙が広がる。
美琴の磁力を封じられた状態では、時間がかかるのを承知で水を『器』の外へ運び出すくらいしか作戦が思いつかないのが正直なところだった。しかもこの状況でも、アックアとの戦闘は続いているらしい。遠くからゴンガンガギンゴン!!!! と凄絶な音が断続的に響いている状態だった。それでも、こちらのほうにアックアの攻撃が飛んできていないあたり、少しは戦況も改善されてはいるようだったが。
ただ、今回に限ってはむしろ、アックアの攻撃があってくれた方がシレン達にとっては都合がよかったかもしれない。
「もしもアックアさんの攻撃が来れば、わたくしの右手で失敗させてこの状況を少しでも改善できたかもしれませんのに……」
「でもその場合、私達は無事でも非常口が別の何かで破壊されて結局私達が困るみたいなことになる可能性もあるのよね?」
「…………、」
シレンの
と。
そこで、シレンの脳裏にふととある作戦がよぎった。
「……そうですわ」
あるいは、幸運なんかよりもよっぽど堅実な解決策が。
「考えてみれば、回答は一番最初に提示されていましたわ」
思い返すように、シレンは言う。
一番最初──即ち、アックアによる攻撃。
あの攻撃は、一体どのような性質を持った攻撃だった?
魔術によって生成された物質──おそらく氷の棍棒──を高速で射出することによる、施設の破壊。それによって発生した瓦礫や破損した水道管から溢れる膨大な水による、逃げ場のない圧殺。
そのインパクトによって地形の外部破壊が致命的なものだというイメージばかり先行していたが──そうした悪印象を取り払って、もう一度盤面をフラットな視点で眺めろ。
アックア戦が安定したという前提を考慮に入れれば──これと同じ手段は、シレン達にもとることができるはずだ。
「
シレンは、一つの答えを提示した。
「……ちょっとアンタ、正気で言ってんの?」
「もちろんですわ。あの方の能力であれば水ごと瓦礫ごと、残らず障害物を破壊してくれます。そして我々は今、彼女達と連絡を取ることができます。細かい座標指定を行えば、あの破滅の極光は我々にとってもこの上ない武器になりますわ」
ついこの間まで自分の命を狙っていた能力に対し、シレンはすっかり信頼を向けていた。
「そういえば、あの第二位もなんだかんだ言ってアンタに協力していたんだっけ……。アンタのそういう性格、ホント尊敬するわ」
「別に尊敬するようなことなど何もありませんわ」
どこか畏怖すらしているような美琴に対し、シレンは少しだけ目を伏せて、
「ただ、わたくしは知っているだけでしてよ。彼らの中にも、表には出てきていない『輝き』が確かにあるということを」
そこまで言って、シレンは手元の通信機器のスイッチを押す。そして、
「──麦野さん。砲撃要請ですわ!」
『あァ!? ふざけんなよ! こっちはそれどころじゃねぇんだ!! テメェらで勝手にやって、』
「あら? ひょっとして、第二位の力を借りているのに
『……上等だ。テメェのAIM拡散力場は滝壺に記憶させている。そのド
「そこから二メートル右にズラしていただけますと、大変助かりますわ」
そう言って、シレンはさっさと通信を切ってしまう。
呆れているのは、先ほどまで畏怖を含んだ賛辞を向けていた美琴だった。
「…………ええと、今のは?」
「言った通りですわ。わたくしは知っているだけです。神の右席との苦しい戦闘の最中でも、麦野さんがわたくし達のことを手助けできるだけの力量を秘めていると」
「………………、」
『嫌だなぁ、こういう重い期待……』とは口には出さない美琴なのだった。
「それより。皆さん、急いで物陰に隠れてくださいまし!
言いながら、シレンは近場の瓦礫の陰に隠れる。
ほかの三人がそれに倣って大きな瓦礫の陰に身を潜めた次の瞬間、一条の光芒が彼らの真横を通過し。
ドバッグォオオオオオオン!!!! と。
大量の水蒸気を伴う爆風が、先ほどまで彼らがいた空間を席巻した。
「なッばッ!?」
「──
「言うのが!! 言うのが遅い!!!! かなりデッドリー!!!!」
爆発の衝撃で驚いたのか、尻を突き出した非常に無様な格好で地面に倒れた上条の非難が飛ぶ。
ただし、これで状況は一変した。
さっさと物陰から出たシレンは、少しずつ晴れていく蒸気のもやの奥に見える出口を指差しながら言う。
「さて、行きましょうか。本番はこれからですわよ」
──同時刻。
破壊と喧騒が未だ鳴りやまない学園都市で、一組の男女がゆっくりと歩いていた。
彼らの歩いてきた後には、不良然とした学生から優等生然とした学生まで、様々な学生たちが
「……ったく。慣れねェことさせやがって。こちとら活動時間は有限なンだぞ」
「まぁまぁ。一応お兄さんも了承の上なんだし、今更文句を言わないでよ。
──男の方は、正確には男とも女ともつかない見た目をしていた。
色が抜けたような白髪に、血のような赤い瞳。痩せぎすの体躯にグレーを基調とした衣服を纏ったその『怪物』は、退屈そうに頭を掻きながら言う。
「それにしたって別に積極的に承諾したわけじゃねェよ。ただ、俺にとっても都合がよかっただけだ」
──緊急時治安維持協力要請制度、通称『
これは『正しい』歴史においては存在しなかった、
簡潔に言うと、昨今大量に発生し始めた『学園都市の治安維持組織では対応しきれない事件』に対し、
この制度は『闇』との闘争を選んだ学園都市第五位によって提案され、とある統括理事による提唱の末、複数の統括理事の承認を以て試験運用に至ったという経緯がある。
そしてその選定に任されたのが、白髪の『怪物』と同行しているランドセルを背負った金髪ツインテールの少女、木原那由他である。
その彼女が選定し、第一号として白羽の矢が立ったのが──
「…………にしても、殺人鬼が治安維持ねェ。皮肉なもンだな」
──白髪の最強。
「もちろん、いずれお兄さんの罪は裁かれることになる。学園都市が変わって、きちんとお兄さんの罪が裁けるような状態になったときに。そのとき、この行いが罪を雪ぐことには決してならない」
自嘲するように笑う
「でも、その償い方のサンプルにはなる。
「…………、…………くだらねェな。こンな極悪人にそンなもンができると思っているあたりが、特に救えねェ」
つまらなさそうに吐き捨てて、
那由他はそれについては何も言い返さずに、ただ後ろをついていく。
と、先頭を歩いていた
「ちょっとお兄さん! 急に止まらないでよ! 危ないでしょ!?」
「……オイ、金チビ。この場合、俺はどォすりゃイインだ?」
どこか茫然としたような声色の
そこにあったのは、大規模な破壊痕だった。
少なく見積もっても
その中心で倒れている男は、まだ意識を失ってはいないようだった。
ただし、その負傷については一切の予断を許さない有様だ。
特に右腕については負傷がひどく、繋がっているだけでも奇跡というレベルの切り傷が肩にあり、そこから大量の血を流している。──医者でなくとも、すぐに治療しなければ命を落とすことは誰の目にも明らかだった。
ただし、
正確には、
赤髪の男の右肩からは、まるで壊れたテレビの映像のようにブレたヴィジョンの異形の右腕が伸びていた。
「何らかの兵器か? それとも能力か? いや、違げェな。コイツ……情報で出回っている『魔術』って異能を使う連中だろ」
「──聞け、ガキども」
戦闘態勢に入ろうとした瞬間、赤髪の男は息も絶え絶えに言った。
「俺様に協力しろ。でないとあの野郎、とんでもないことをしでかすぞ」
「……? 何を言っているの? アナタは……、」
「クソったれ……。あの野郎、俺様達『神の右席』の襲撃まで含めて全て
話についていけない様子の那由他を無視して、赤髪の男は己の裡の激情を吐き出すように言葉を続けていく。
「このままあの野郎を、アレイスター=クロウリーを野放しにするな! あの野郎、
その男は。
統括理事長に敗北した『右方』を司る男は、危機感を露わにしながらこう続けたのだった。
「俺様を『窓のないビル』に連れていけ。でないと──あの野郎、
打ち止め「……ハッ、あの人がまた変な女を引っ掛けている気配! ってミサカはミサカは突如感じた悪寒に打ち震えてみたり!」