【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「
アレイスターはまず、そう言ってレイシアの前に立つ。
フィアンマは、特に何をするでもなくその動きを見守っていた。
「なんですの? 確かにフィアンマ相手ではわたくしも分が悪いですが、この不死身性は有益だと思いますわよ。アナタの弾除けになるくらいならできるはずですわ」
「……流石に割り切りすぎだが……。……それは、フィアンマの戦力を甘く見積もりすぎている。もしも君の損傷が致命的になった場合、後からシレンからの恨みを買われるのは現在誤解を受けている私だからな」
冗談めかして肩を竦めたアレイスターはそう言って、『それに』と言葉を付け加える。
「右方のフィアンマ相手なら、私一人の方が相性的には戦いやすい」
断言するアレイスターの言葉には、不思議な力がこもっているようだった。
レイシアはそれ以上拘泥せず、頷くとそのままその場を離れていく。
「──さて、少し待たせてしまったようだが」
「いや、気にするな。どうせアイツが地球の裏側まで逃げたところで、倒すのは一瞬だ」
フィアンマはそう言って、目の前の『人間』を見据える。
「それより」
そして、欠伸をするように退屈そうな調子で、
「お前は自分の心配をしたらどうだ?」
直後。
ゴッッッッ!!!! と、フィアンマの右肩から伸びる異形の腕が爆発的な光を放つ。
相対する者に、絶対勝利可能な攻撃を自動で導き出し繰り出す術式──『聖なる右』。十字教において奇跡とは右手によって行使される為、フィアンマはありとあらゆる十字教の奇跡を起こすことができる。
言ってみれば、十字教版の
アレイスター=クロウリーがどういった能力を持っているにせよ──例えば相手のイメージの一〇倍の威力を得る
当然、この一撃でアレイスター=クロウリーは敗北する。
「…………おい、なんだそれは」
──はずだった。
フィアンマの必勝の右手から放たれた光は、しかしアレイスターの目の前で不自然にねじ曲がり、見当違いの場所を蒸発させていた。
「……光学的な欺瞞は通用しない。俺様の右手は、俺様が定めた対象に対して作用する。いくらこちらの視覚情報に干渉しようが、その欺瞞を突き抜けて自動で『勝利する』という結果をもたらすはずだ!!」
「それほど驚くようなものでもないだろう。君の打ち損じはこれが初めてではない。
しかし、対する『人間』はけろりとした表情で肩を竦めるだけだった。
確かに、アレイスターは既に『聖なる右』の一撃を回避していた。たとえ不意打ちであれ、『聖なる右』は振れば当たるし当たれば倒せる。そもそも、例のツンツン頭の少年の右手でもない限り『やり過ごす』という選択肢自体が存在していないのに。
「それに、言葉が正確でもない。君が扱う術式はあくまでも『敵対対象に絶対に勝利する
アレイスターは神の右席を前にして、まるで生徒に授業をする教師のような調子で言う。
「
アレイスターは。
男のようにも女のようにも、大人のようにも子供のようにも、聖人のようにも囚人のようにも見える『人間』は、しかしその誰にも見えない異質な笑みを浮かべてフィアンマに歩み寄る。
「さて、魔術の秘奥について語り合おうか。
その手に、銀色の杖が浮かび上がる。
世界最悪の魔術師が、牙を剥いた。
アレイスター=クロウリーは、すいと右手を前に向けた。
ただそれだけ。
それだけの動作で、右方のフィアンマはその手の中にフリントロック式の銃を幻視する。
火花のように、その手元で数字が散った。
32、30、10。
フリントロック式であろうと関係のない、拳銃の『連射』があった。
ドガドガドガドガッッ!!!! という銃撃に対し、フィアンマはその肩から伸びる異形の右手を使って防御を行う。しかし、ここにも計算外があった。
「ぐう……ッ!?」
受け止めた拳銃の衝撃に、『聖なる右』が軋んだのだ。
いや、そもそも異常というのであれば、『受け止めた』時点で異常だった。右手を振るだけで相手に勝利できるのだ。防御どころか銃弾ごとまとめて吹き飛ばしてアレイスターを潰せていなければおかしいし、防戦に回っているというのが既にありえない。
ありえないのに、それが実際にまかり通ってしまっている。
さらにアレイスターは続けて、
「飛沫」
フィアンマの身体が、くの字に折れ曲がる。
内臓が軋むような衝撃に、フィアンマの口から空気が漏れた。
「な、バカな……ッ!? 魔術的痕跡は、何も……!?」
「確かに、魔術的痕跡はないだろうな。今の一撃は魔術によるものだが、原因は魔術そのものではない。
──飛沫。
魔術の行使に伴う位相と位相の衝突によって発生する『運命の歪み』を一極集中して攻撃に転用する技術。
これは、あくまでも魔術の行使によって発生する『余波』をアレイスターが誘導したものであり、発生源は世界──即ち、十字教の理の『外』ということになる。
「オシリスの時代で停滞している君には分からないだろうな。これに懲りたら、次は自分のよって立つ足場の確かさから確認することだ」
アレイスターが改めて手の中の幻の銃を構え、
「…………何やら既に終わった気でいるようだが」
フィアンマの右肩から伸びる異形の右手が、不気味に蠢いた。
「
直後だった。
アレイスター=クロウリーの身体が、一瞬にして数メートルも上空へ吹っ飛ばされる。
「──ぐがっ!?」
最悪の魔術師の口から、絞り出すような空気の音が漏れた。
空中で何らかの魔術を使ったらしく態勢を立て直して着地するアレイスターだったが、しかしダメージは蓄積しているらしく、着地後に片膝を突いてしまう。
「確かに、俺様の『聖なる右』の性能は完璧ではないらしい」
しかしフィアンマは、一撃を放ってぼやけた異形の右手を眺めながらあっさりと言う。
「ただしそれは、『必勝』に例外があるわけじゃない。お前秘蔵の例の右手ならば別だろうが、基本的に『狙いを定めた相手に必ず勝つ』権能については疑う余地がない。なら、どこにこの攻防のカラクリがあったのか? それは、お前自身の存在にあったわけだ」
フィアンマはそう言って、アレイスターのことを指差す。
「たとえば前方のヴェントの『天罰術式』。一つの肉体の中に二つの人格があった場合、どちらの『敵意』を参照することになる? たとえば左方のテッラの『光の処刑』。目の前の人物を指定したとして、そいつが二重人格だった場合、選択していない方の人格の扱いはどうなる?」
それは、既に今日これまでに発生していた戦場から想定できる事態だ。
そして、フィアンマの場合は?
「俺様は指定した対象に対して絶対に勝利することができる。それは指定した対象以外へは無力という意味にはならんが……しかし、『絶対に勝利』とまではいかなくなる。単なる人間に対して絶対に勝利できる戦力程度では、拳銃に対して勝てないのと同じようにな」
だからこそ、『正しい歴史』のフィアンマは第三次世界大戦という星を巻き込む大戦争を引き起こし、その中で醸成された『人類の悪意』を敵として定めるという迂遠な行動をとっていたのだから。
そしてその歴史においては、フィアンマは『人類の悪意』が想定よりも大きくなかったことで失敗した。
ここから導き出される事実が二つ存在する。
一つ目は、『聖なる右』はフィアンマが指定した対象を間違いなく選択するということ。
二つ目は、『聖なる右』の戦力調整はフィアンマの認識に関係なく現実的な脅威によって精密に設定されるということ。
そして、アレイスター=クロウリーには一〇億八三〇九万二八六七通りの可能性が存在している。
もしも、アレイスターがこの可能性を内部的に切り替えることができるとしたら?
その場合、『聖なる右』はあくまでも『目の前にいるアレイスター=クロウリーに対する必勝』を実現するだろう。そのあとで可能性を切り替えれば、それは変更後のアレイスターに対する必勝ではなくなるわけだ。
だが、当然そんなものは『聖なる右』の設定をその都度調整すれば済む話である。
そして現に、攻撃の直前に対象の再設定を行った結果、アレイスターのペテンは打ち崩され、こうもあっさりと片膝を突くハメになった。
「なるほど、世界最悪の魔術師らしい偉業だよ。この俺様の──一〇億の頂点に立つ魔術の秘奥にこうして干渉したのだからな。それだけでも誇るに値する」
だが、とフィアンマは言い、
「これで終わりだ。安らかに眠れ、『黄金』の残滓」
『聖なる右』をただ振るった。
異形の右手が眩い光を放ち、熱線となってアレイスターの肉体を貫く。
──その直前に、不可解な軌道で捻じ曲がり、横合いのビルを丸ごと蒸発させた。
前兆はあった。
攻撃の一瞬前、アレイスターは手の中の
──まるで、『害意』を失敗させるとある少女のように。
「…………おいおいおいおい」
フィアンマは、戦慄するというよりも呆れた様子で声を漏らす。
「
害意ある干渉を失敗させる右手なら、確かにフィアンマの攻撃を失敗させることもできるかもしれない。
だが、その前提が成り立っていない。
「その右手なら既に観測している。だが……アレは能力でもなんでもなかったはずだ。何なら、貴様はその右手を手に入れようとして失敗していたんじゃなかったか!?」
そもそもの問題として、アレイスターの手札に
学園都市には人工の神経網が張り巡らされており、恋査の要領で全能力者のAIMを利用することはできるものの、そもそも
「ああ、確かに失敗した。だが、
アレイスター=クロウリーは、当たり前のようにその前提を踏み越えていく。
「…………チィ!!」
焦れたように構えるフィアンマだが、今度は『聖なる右』を発動することはできなかった。
本来、一度発動した『聖なる右』から逃れることは不可能だ。だが、
つまり、
攻めあぐねたフィアンマの隙をつくように、アレイスターの周囲で火花のごとく数字が瞬く。
30、30、10。
まるでマシンガンのように、フリントロック式の拳銃が本来ではありえない勢いで銃弾を撒き散らしていく。フィアンマはこれを、『聖なる右』ではなく生身で物陰に飛び込むようにして回避する。
「威力が高すぎるというのも考え物だ。君の術式では、銃弾を防ごうとすれば確実に私のことを傷つけてしまうものな?」
「やはり一筋縄ではいかないな……!!」
しかし一方で、フィアンマは意外にも冷静さを保っていた。
実際にヴェントにしろテッラにしろ、その脆弱性を指摘されていた。即ち、『右手が出す音』を媒介にしているという部分だ。つまり、ここを突き崩せればフィアンマの『聖なる右』はアレイスターに突き刺さる。
「さて、さっさと詰めるとしようか」
「できるとでも?
「舐めているのか。君の肉体の魔力循環を見れば、どういう魔術を行使しようとしているのかさえ読めるぞ」
アレイスターの余裕は、揺るがない。
フィアンマはその事実を認めて、
(だろうな……。……さて、ここまでは既定路線。これでアレイスターは俺様が
内心でそうほくそ笑んだ。
そもそも右手を無効化する方法があるならば、真っ先にそれを使うだろう。わざわざタイミングのシビアさを突こうとするということは、無効化する方法の心当たりがないということ。
今のフィアンマとアレイスターの問答には、そういう思惑がある。
(だが、たかが器の紛い物ごときで、俺様の右手を乗り越えられると思ったのが大間違いだったな)
アレイスターは左手で拳銃を握るようなジェスチャーをする。空中に火花のように数字が瞬き、そこに幻の拳銃が現れた。
宣言通り、アレイスターはさっさと詰めるつもりのようだった。
ガガンガン!! と、銃撃音が連続する。
フィアンマは『聖なる右』を発動し、ただその銃弾をガードした。対象設定をしていない『聖なる右』では、銃弾の嵐を受けきるのも一苦労ではあるが──そこでフィアンマは、
「言ったはずだぞ、アレイスター。俺様は指定した対象に対して絶対に勝利することができる、と!!」
そしてフィアンマは、そのままの勢いで銃弾をビルの壁面へと叩きつけた。
ゴゴォォオオオオオオン!!!! という爆音が、一瞬にして周囲の空間に響き渡る。
──そう、あらゆる音を掻き消す勢いで。
(
これで
フィアンマの右肩で、『聖なる右』が隆起するように蠢く。次の瞬間、異形の右手は眩い光へと変貌した。
そして。
ゴッッッッッ!!!! と、アレイスター目掛け放たれる。
音が消えた。
光が消えた。
ただ圧倒的な破壊の力の前に、あらゆる事象は塗り潰される。それは当然、アレイスターも例外ではない。
つまり。
「ふむ、珍しく大成功と言ったところだな」
「…………あ?」
それは、道理に合わない光景だった。
だってそうだろう。アレイスター=クロウリーは
ならば、
にもかかわらず、現実にアレイスターは生きている。あまつさえ、『聖なる右』を止めている。
これが、意味することは。
「…………ま、さか」
フィアンマの顎を、冷や汗が伝う。
「まさか貴様、
「ようやく気付いたか。心理戦の経験値が足りていないのではないかね? 神の右席」
ギャリン!!!! と、『聖なる右』は捻じ曲がり、天空へと突き進んでいった。
「いや、恥じる必要はない。むしろ誇るべきだ。これほどの純度があるからこそ、私もこの方策を取れた」
「……何を、言っている。幻想殺しに奇想外し!! 極大のイレギュラーだからこそ、俺様の『聖なる右』に伍することができるんだ!! なのにお前はそのどちらもなく、どうして俺様の一撃をやり過ごせる!?」
「神の右席の本質は、肉体の組成を天使に近づけた魔術師という部分にある」
アレイスターは、まるで種明かしでもするかのように言った。
実際、神の右席は『原罪』を除去することで肉体の組成を天使に近づけ、
だからこそ、人間とはけた違いの濃度で
つまり、神の右席の扱う術式にはどれも莫大な
「その術式には莫大な
「──天使の、召喚……!!」
たとえば『明け色の陽射し』ではタロットを用いて天使の虚像を召喚する構成員がいる。
このように、『黄金』では
つまり。
「俺様が扱っている
「ああ。
こともなげに、アレイスターは言い切った。
「そんなバカなことがあるか!! 確かに高純度の
「私を誰だと思っている」
アレイスター=クロウリーは。
世界最悪の魔術師として今なお魔術世界にその名を轟かせている正真正銘の化け物は、
「──とはいえ、幾分かは不安要素もあったがな。君が事前にこのことに感づいて術式に専用の防御をかければ流石にここまで劇的にはならなかったし、そもそも私の『召喚』を突っぱねることだって可能だったはずだ」
つまり、
それを明かしたということは。
「『逸らした』のは不意打ちも併せて三回か。これならば、ギリギリコスト七には間に合うな」
その時。
フィアンマの背後から、突如莫大な気配が発生した。
それは、フィアンマには覚えのあるものだ。
「反響召喚。呪い返しのようなものだ。甘んじて受けるといい」
そして、フィアンマ目掛け虚空にて発生した異形の右手が迫る。
右方のフィアンマは──
──それでも生きていた。
ズタボロになって、先ほどいた場所からビルをいくつもぶち抜き数百メートルほど吹っ飛ばされているが、それでも四肢は一つも欠けていなかったし、意識も保っている。
「やはり神の右席だな。頑丈で羨ましいよ」
と、先ほどまで数百メートル先にいたアレイスターが、いつの間にか瓦礫の中で倒れているフィアンマのすぐそばに佇んでいた。
「もしも君が挫折を知っていれば、私が攻撃を逸らした時点で『自分の術式への対抗策を知っているかもしれない』という警戒を抱くことができただろう。だが、君はなまじ勝利し続けてしまったことで、成功し続けてしまったことで、敗北のケースを得られなかった」
だからこそ、フィアンマはアレイスターの虚言を見抜けなかった。
コマンドを入力するだけで勝利できるような術式を持っているせいで頭脳戦の経験値が乏しかったというのもあるが、一番はこれだろう。異能を持つ右手という極限の例外を除けば誰であろうと倒せるという慢心が、『ならば防がれるということは異能を持つ右手に類するものだ』という思考の短絡を生んでしまったのだ。
アレイスターは右手に杖を持つと、最後にこう言い添える。
「君の敗因は、これまでの人生で
32、30、10。
火花のように数字が瞬いて、直後、拳銃の乾いた音がフィアンマの耳にのみ響いた。