【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
『──少しだけ』
かつて、こことは違う──『正しい』歴史の中で、とある少年は右拳を握りしめてそんな言葉を口にした。
街を破壊し。
友人を殺害せんと迫る外敵を前にして。
『お前を救ってやる』
自らも確実に体力を消耗しているはずなのに、ただの
『もう一度やり直して来い』
不良の一人も倒せず、テストの点も上がらず、女の子にもてたりする事もない、ちっぽけなただの右手を握り締めながら。
『この大馬鹿野郎!!』
見当違いの罪を背負って世界を敵に回していた一人の馬鹿な女を、確かに救った。
──さて、
「バカな、オマエ────!!」
「相似さん、ありがとうございましたわ!!」
消え去った竜巻の前に立つ相似と入れ替わるようにして、シレンが飛び込む。それを見て、ヴェントは脇に視線を巡らし──舌打ちする。
ヴェントは『
説明自体は、やろうと思えば可能だろう。『遮音結界を解除するか否か』という選択で、誤って中途半端に遮音結界を形成する竜巻を解除してしまったことで気流が乱れ、それによって後詰の暴風も失敗した。言葉にすれば説明はつく。だが、前方のヴェントという『魔術のプロ』がこの土壇場でそれをやるかという問いに変えれば異常性が分かる。
(こんなもの、過程どうこうの問題じゃない。結果そのものを、『失敗』ってカタチに捻じ曲げていやがる…………!!)
ゆえに、
迎撃も、この近距離であれば誰かを傷つけてしまう。それを相似に認識させられたヴェントは、術式による迎撃が使えない。今度それをやれば、今度こそ発動そのものを失敗させられて、体内に直接、術式失敗のダメージを負ってしまう。
つまり、ヴェントの手札はこの時点で風による防御術式しかなくなるわけだが──この防御術式にしたって、たとえば相手が拳を使った殴打をしかけた場合、その拳を無傷のままに防御するような類の術式ではない。
当たり前だ。ヴェントの扱う術式である以上、防御とはいえ天使クラスの術式であることは大前提。下手に拳を使って攻撃などしようものなら、その時点で風に摺りつぶされて指が飛ぶのは必定である。
そして、それを認識してしまった以上、そこに害意を宿さずにいることなどヴェントにはできない。
(クソが、あのガキ、よくよく厄介なモンを──!!)
下手に術式を失敗させられたらどうなるか分かったものではないので防御術式を解除したヴェントは、そこであるものを見つけてギョッとする。
拳を握り迫るシレンの向こう側。佇む木原相似よりもさらに後方。
「さて、シレンのお陰で解法の一億一五〇万三二〇一が使えるな」
ドッペルゲンガーが、菌糸による槍を作り出していた。
──仮にヴェントが迎撃のために魔術を行使すれば、あらゆる術式が『天使』のスケールとなってしまうヴェントではシレンを巻き込まないということは不可能に近い。それを相似に自覚させられてしまったヴェントは、もはやこの至近距離で魔術を行使できない。ドッペルゲンガーはそれを利用して、ヴェントが術式による防御をしなければ間違いなく一撃で抹殺できる手を打ってきたのだ。
(クソが、科学に身を浸した、こんな野郎ドモに…………!!!!)
断末魔の一瞬。
既に万策尽きたヴェントは、それでも最期まで足掻いた。こちらに向かってくるシレンに対して手に持ったハンマーを振りかぶり、迎え撃つように殴りかかっていく。
「この程度で私が折れるとか思ってんじゃないわよ、科学の尖兵ドモが!!」
「──この因果は捻転する」
それを前に、シレンは指を弾き、
「これで終わ、がッ!?!?」
────その直後、背中に白亜の巨槍を叩き込まれた。
シレンの右手に宿る異能であり、その能力は右手の発した音の届く範囲内で発生した『害意』に基づくあらゆる干渉を『失敗』させること。
『失敗』の程度は行動の進み具合によって変動し、たとえば相手が行動を意図した段階で『失敗』した場合、それが異能によらないものであれば思考が空転する程度で済むが、たとえば魔術や超能力の行使が思考段階で『失敗』した場合、演算や魔力の生成に失敗することによるダメージが発生する。
実際に行動に移した段階で『失敗』した場合、そうしたダメージは発生せず、攻撃が外れる、空中分解するといった程度に収まる。たとえば『周囲一帯を破壊する』といった攻撃を発動した後で失敗した場合、『周囲一帯を破壊する』という意図は攻撃が空中分解する形で失敗するが、失敗の余波が他者を傷つけること自体は普通にあり得るため防御をとる必要がある。
これとは対照的に、特定個人を害する目的で行った攻撃を『失敗』させた場合、その対象
一方で。
右手が発した音が届く範囲内であれば、たとえそれが誰であれ──たとえシレンのことを助ける為にチカラを振るう協力者であろうと、平等に『失敗』させてしまう。
たとえばその時。
あらゆる行動が『害意』に直結する木原相似は、思考そのものを『失敗』させられて一瞬棒立ちになっていたし。
たとえばその時。
前方のヴェントに対する『害意』に基づいて白亜の巨槍を振るったドッペルゲンガーの攻撃は、『失敗』させられて──本来守るべきシレンの背中へと命中してしまっていた。
「ば、かな……!? これは……『失敗』!?」
当然、シレンの体は枯れ木のように軽く浮き上がり、攻撃を『失敗』させられて躓きかけたヴェントの真横を通り過ぎるようにノーバウンドで吹っ飛ばされていった。
驚いたのは、ヴェントのほうだった。
状況は完璧に詰んでいた。何か致命的なエラーが相手に生じていない限り、この状況でヴェントが生き残る未来なんてありえなかったはずだった。
(相手が最後の詰めを誤った……失敗した? …………『失敗』?)
しかし、そんな極限の状況下でもヴェントはすぐさま状況を整理し、把握する。
この状況は──
……あるいは、この顛末そのものが、その右手を扱うことで得られる『プラス』に伴う『マイナス』であるかのように。
「……アハ☆ ナニナニ、ナニよソレ!! ひょっとしてその女の右手、味方の攻撃も無差別に『失敗』させるっての!? アッハハハハハハハ!! バッカじゃねぇの!? 味方の攻撃で殺されてちゃ話にならねぇってのよ!!」
嘲笑。
今のタイミングは、ヴェントという強大な外敵を抹殺する千載一遇のチャンスだったはずだ。
だが、相手はそれを棒に振った。よりにもよって、ヴェントの防御を打ち崩す最強のジョーカーを自らの手で潰してしまうという最悪極まりない一手で。ヴェントにとっては降って湧いた僥倖だが、これを生かさない手はない。
この一瞬。
この一瞬だけは、菌糸による空気の排除も少ない。本来のスペックのヴェントの力を遺憾なく発揮することができる。
ヴェントは、大気を操り一つの大きな槌に作り替えようとして、
「…………この因果は、捻転する」
パチン、と。
響くはずのないフィンガースナップの音によって、その行使を『失敗』させられた。
「あ、ぇ?」
視界が傾く。
自らが膝を突いていることをヴェントが認識したのは、喉の奥からこみ上げる熱い何かを知覚した瞬間だった。
「なに、が、ボバァッ!?!?」
ヨーロッパの街並みを思わせる煉瓦作りの車道に、赤黒い塊が吐き出される。
よろよろと視線を上げて後ろを振り返れば──そこに立っていたのは、頼りなく揺らぎながらも、しかし二本の足でしっかりと立つ令嬢、シレン=ブラックガードだった。
「バカ、な……? テメェは確かに、私に食らわせるつもりだった一撃を背中に食らったハズ。防御をする余裕なんかなかった。そもそもテメェにそんなモノを用意する手札はなかった!! 確実に外敵を抹殺するつもりの一撃を背中に食らって、どうしてまだ五体を保っていられるのよ!?」
「アナタを抹殺するつもりだと、わたくし、一言でも言いましたか?」
動揺するヴェントに対し、シレンは本当にきょとんとした様子で言い返した。
振り返り見ると、先ほどまで血気に溢れていたドッペルゲンガーも相似も、何か気まずそうにヴェントから視線を背けている。
言わんとしていることが、ヴェントには理解できなかった。
「ナニ、言ってんだ、テメェ……。私は!! 科学をぶっ潰す為にこの街へ来た!! 民間人も非戦闘員も関係ねぇ!! ニクイニクイ『科学』をぶっ潰す為に!! なのに、あの絶好のタイミングで!! 放った一撃が、私を殺す為のモノじゃなかった!? あまつさえ、その程度のダメージを与えるモノでしかなかったって!?」
「わたくしが立っているということは、そうだと思いますけど……」
『敵意』を剥き出しにしているというのに。
シレンはなんでもないことのように、ヴェントに答えた。
あまつさえ、そんなシレンに引っ張られるように、二人の協力者の毒気まで抜かれていく。
「……別にそういう理由で手を抜いたわけじゃない。射線近くにお前がいたから、誤射の可能性も考慮して威力を抑えたまでだ。どうせ命中すれば菌糸を『憑依』させることはできるわけだしな」
「ま、『不殺』が我らがお嬢様のオーダーですからねぇ」
戦闘の『ジャンル』が。
いつしか、塗り替えられていた。外敵から街を守る存亡をかけた殺し合いから、街を守った上で──それと同じくらい尊い何かを『護る』戦いへ。
いや。
最初から、この戦いが殺伐とした命のやりとりであると考えていたのは、ヴェントだけだった。
そしてそこで、ヴェントは気づく。
シレンの右手には、確かに『害意』に基づく行動を『失敗』させる右手がある。だが、その起点はあくまでも右手で発した音に限る。ヴェントの『天罰術式』はすでに発動しており、今この瞬間も『失敗』することなく発動し続けている。発動タイミングの関係で自動で維持し続けているモノは対象にできないのか、あるいは何らかの理由で天罰術式は対象にできないのか。答えは定かではないが、明確なことが一つだけある。
──つまり、シレンは別にその右手に宿る異能で以て神の右席の切り札から逃れているわけではない、ということ。では、いったい、どんな不可思議な秘法を以てこの少女は『天罰術式』から逃れているというのか。
答えは、一つしか考えられない。
「この、異常者が…………!!!!」
この女は──ここまでされて、自分の住む街を襲われて尚、この神の右席、前方のヴェントに対して一片の敵意も抱いていやがらない。
何かのイレギュラーがあるわけじゃない。
異能を打ち消す右手だとか、敵意なしに害意を向けられる精神性だとか、心を封じて敵対する機械の意思だとか、そんな反則技じゃない。
ただの当たり前な精神性。『相手にだって事情はあるんだから』というごくごく一般的な範疇にある共感性のみで、『天罰術式』の対象から外れているのだ。
拳を振るい、ヴェントを追い詰めているその時にも。
シレンは、ヴェントのことを敵視しない。ヴェントの奥底にある『何か』に対し、同情し続けている。
もちろん、戦闘に加わっていること自体には彼女なりの利害があるのだろう。でも、そこには害意も敵意も存在していない。
だって、
もしも指を弾きながら相手を傷つける為に突進していたら、右手の持ち主であっても攻撃は『失敗』する。なのに、シレンの行動だけは今まで一度も失敗していない。それは、何故か。
先ほどまでの理論とは真逆。
近視眼的な因果計算の外に『害意』があるから『失敗』しないのではなく。
もっと大規模な因果計算の中に『善意』があるから、行動そのものの意図は問題にならない。
ならば、今ヴェントの前にいるこの女は。
「ふざ、けるな……」
その事実が、何よりもヴェントの神経を逆撫でしたのは──言うまでもないだろう。
「ふざけるな!! 『敵意』が、ない? 害意すら包み込む『善意』がある? そんなふざけきった話が認められるワケがないでしょう!? こっちがどんな想いで術式を組んでると思ってんだ……どんな想いで世界全てを敵に回してると思ってんだ!!!! ふざけんじゃねえって、言ってんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
ヴェントは癇癪を起こしたみたいにハンマーを振り、空気の礫を空中で破裂させる。
その余波によって発生した気流が、シレンのことを四方から襲う。
シレンは、
これ以上ヴェントの体内にダメージが蓄積すれば、あるいは命に関わると判断したのだろう。
代わりに、発生した殺人的な暴風は、シレンがほんの一歩右に動くだけで完璧に逸れていった。
「……狙いから外れただけじゃありません。わたくしが動くことによって発生する『気流』。それだけでも、ほんの少しではありますが気流は歪む。わたくしは、そうして生まれたほんの小さな安全地帯に体を滑り込ませるだけでいい」
「私の魔術を……『科学』で語るなァァあああああああああああ!!!!」
ゴンガンゴゴンガン!!!! と、ヴェントは乱雑にハンマーを振り回し、その動きに応じて無数の風の礫が発生していく。
「ハハッ……! 今回は狙いなんか定めちゃいない!! ただ適当に風の礫を生み出したダケだ! その結果誰が傷つこうが、それは私の意思とは無関係だ!! テメェに『失敗』させるコトなんかできない!!」
至近距離──『失敗』を恐れて防御術式を展開できないヴェントにとっては、あまりにも危険すぎる諸刃の剣だ。
だが、それでもヴェントは笑う。
最早、学園都市を滅ぼし科学サイドを潰すことよりも──目の前の女を排除することのほうが、ヴェントにとっては重要なことになっていた。
弟を救わなかった科学を、許さない。
だから、科学は嫌い。科学は、憎い。
弟と引き換えに救われた自分が、許せない。嫌い。憎い。
──だからこの生き方は、それに相応しい『天罰』なのだ。
「──それは違いますわ」
自らを傷つける刃めいて発動した風の礫の中で、シレンは毅然と言い放った。
「
ただ拳を握り、シレンは言う。
無差別に降り注ぐ風の礫は彼女にも降り注ぐが、白亜の巨腕がそれをあっけなく受け止めていく。
相似の周囲を漂うUAVが放つ電磁波によって操られた水塊が、暴風の余波を流して散らしていく。
それは、敵であるヴェントに降りかかるはずだったものも同様だった。
シレンは。
相手の幻想を受け止める右手を持たない彼女には、ヴェントの事情をきちんと受け止め、その歪みを指摘し、そして救いの拳を叩きつけるようなヒーローとなることはできない。害意を挫くことしかできない彼女には、そんな完璧な結末は描けない。
『正しい』歴史のような素晴らしい結末を導くことは、彼女にはできない。
シレン自身も、それはよく自覚している。
彼女はあくまで、上条当麻には及ばないのだと。
でも、それでも巡り合ってしまったからには、最善を尽くす。見捨てたり、妥協したりすることなどできない。だって、この歴史で巡り合ったのは自分なのだから。
何もかもが歪んでしまったこの歴史で自分が手を伸ばさなければ、目の前の彼女が救われる保証などどこにもないのだから。
ならば、完成されきった『正しい』歴史に及ばない道だとしても、逆にそこに到達する道筋を断つことになったとしても、シレンは迷わず拳を握る。
たとえ正しくなくとも、自分の作り出した未来こそが『最善』の未来だったのだと、胸を張るために。
それが、『正しい』歴史に唾吐くことを意味するのだとしても。
その姿を。
鮮烈な不敵さを、目の前の女に魅せつけることはできる。
かつて自分が、とある悪役令嬢にしてもらったように。
「世界全てを敵に回すというのは…………こういうことを言うのです!!!!」
ゴッガン!!!! と。
ちっぽけな少女の拳が、神の右席の顔面に突き刺さった。
今度は、女が立ち上がってくることはなかった。
「──よし、捕縛完了。言われた通り舌の十字架も破壊したし、有刺鉄線まみれのハンマーも破壊したが……これで大丈夫なのか? 平然とカムバックしかねない気もするが……」
「多分、大丈夫でしょう。ヴェントさんは結局、風を操る時にはその二つのアイテムを絶対に使っていましたわ。それがなくなれば、少なくとも今までのような脅威はなくなるはず」
「うーん。殺せれば楽なんですがねぇ」
のほほんと言う相似に、シレンがじろりと視線を向ける。
相似は苦笑しながら両手を挙げて降参の意を示し、
「分かってます、殺しはナシ。『不殺』が今回のオーダーですもんね。……やれやれ、なんだって侵略者相手に正義のヒーロー縛りでやっていかなくちゃいけないんですかね?」
「諦めろ。これでもあのツンツン頭周りよりはマシな職場だろう」
念の為菌糸でヴェントを縛り上げ終えたドッペルゲンガーは、いっそ悟りの境地にたどり着いたかのような穏やかさで言う。
確かに、と思ったのか、相似はそのまま、すでに次のことを考えているシレンの横顔を一瞥し、呟いた。
「しかし、『アレ』で世界全てを敵に回してる……とは」
呆れというよりは、どこか畏怖にも似た色を滲ませながら。
「いったい、どれだけ強大な仮想敵を想定しているんでしょうかね? あの人」
転生オリ主再構成二次小説である以上、原作という『正しい歴史』との比較は避けては通れない道だと思います。
その上で、ここまでオリ主をやってるシレンならすんなり自分の答えを出してくれないとな、と。