【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
ぱちん、と。
シレンの右手から響いたフィンガースナップの音に掻き消されるように、都市を根こそぎ吹き飛ばすほどの威容を誇っていた大気の『壁』は、一瞬にして散り散りになった。
とはいえ。
「『失敗』させたとしても、それは
シレンの言葉を裏付けるように、散り散りになった大気の欠片は辺りに散らばる様に殺人的な突風をまき散らした。
ドッペルゲンガーの操る白亜の巨腕が周囲の街並みへの被害を抑え、相似が自分やドッペルゲンガーに迫る気流の余波を何かしらの『科学』で吹き散らしている中、
シレンは、防御もせずに暴風の雨の中を真っ直ぐ走っていた。
「な──コイツ、この暴風の中を掻い潜って……!?」
「
それは、能力そのものではなく応用によって風を操っていたシレンだからこそ至れた境地。
多くの『ヒーロー』達がそうであるように──彼女にとっての気流操作もまた、もはや能力開発に依らない『異能』の域へと到達していた。
「────!!!!」
彼我の距離、五メートル。
あと一息で接触するというタイミングで、ヴェントも動く。今まさに渾身の一撃を謎の力で吹き消されたというのに、流石の切り替えの早さだった。
じゃらりと舌から伸びた十字架つきの鎖を翻しながら、ヴェントは言う。
「だから言ったわよねぇ、神の右席をナメるなってさぁ!! 単なる風と、同じに思うなよォ!!!!」
振り回された鎖に呼応するようにして、無差別に降り注いでいた暴風の雨に指向性が与えられる。暴風の雨が槍となり、一斉にシレンへと向けられていく。
しかし、それはシレンも先刻分かっていた事態だった。つまり。
「──この因果は捻転する!!」
直後。
ゴギン!! と空中で静止していた暴風の槍が圧し折れ、そしてヴェントの身体がくの字に折れ曲がる。
魔術の失敗。
そのペナルティとしての、身体へのダメージ。あまりの異常事態に、ヴェントの全身を覆うように展開されていた風の防御も一瞬だけ解除されてしまう。
シレンも、その一瞬のスキを見逃さなかった。
ゴッ!!!! と、シレンの右拳がヴェントの頬に突き刺さる。
思い切り振り抜かれた拳をモロに受けたヴェントの身体は、そのまま後方へ一メートルも投げ出された。
前方のヴェントは、動かない。
既に学園都市の警備の一割を停止させた女は、仰向けに投げ出されたまま、不気味な沈黙を保っていた。
「…………ナルホド」
空を見上げたまま。
前方のヴェントは、静かに呟いた。
当然ながら、この程度でヴェントの戦意を圧し折ることなどできない。術式を貫通して右拳を直接食らわせたからといって、男子高校生の上条当麻と違い、女子中学生の拳である。まして虚数学区による消耗もない以上、この程度でヴェントが意識を失っていないのは分かり切ったことだった。
だからシレンも右手を構えながら、後ろの仲間達との連携を意識する。
ヴェントは、そんなシレンの警戒を鼻で笑った。
「術式の──いや、これは、攻撃の失敗? キーはその右手ってワケ? 随分と──」
轟!!!! と。
ヴェントを取り囲むように暴風が渦巻き、シレンとの間を隔てる壁となる。
暴風の壁に対し、シレンは
「小癪なマネをしてくれたわね、能力者」
暴風の壁が掻き消えたとき、そこにはすっかり二本足で立つヴェントの姿があった。
ヴェントは片手で口端の血を乱暴に拭い去ると、シレンの右手を見て言う。
「アンタの能力。……攻撃を失敗させる能力のようだけど──どうやら無差別ってワケじゃあないみたいね」
その視線を受けて、シレンは自らの背筋にぞくりとしたものが走ったのを感じた。
前方のヴェント。
神の右席の第一陣。
『読者』であるシレンにとっては、どうしても作中での直接の活躍が印象深い。つまり、アレイスターの虚数学区の策にハマって甚大なダメージを受け、本命の天罰術式も
だからこそシレンは『天罰術式』を対策した上で
実際、シレンの分析は間違いではなかった。少なくとも、ドッペルゲンガーと木原相似がいれば前方のヴェントをこの戦場に縫い留めることは可能だし、都市への被害も最小限に抑えることができただろう。
だが、彼女の知る『前方のヴェント』は、ヒューズ=カザキリの顕現を目の当たりにして精神的余裕を失い、虚数学区の術的圧迫によって身体的余裕を失い、そして上条当麻との戦闘で己の根幹を揺さぶられた状態だったということを忘れてはならない。
つまり。
それらのない状況下においては、彼女の真価が発揮されるということ。
──聖霊十式『アドリア海の女王』の拡張用術式『刻限のロザリオ』を開発・調整したのは、前方のヴェントである。
この術式は限定的ながらも一般の魔術師にも使用できる術式であり、つまりヴェントは神の右席としての体質を獲得した後であるにも関わらず、ローマ正教に伝わる秘伝の術式を拡張するような術式を一般人向けに構築するような魔術の技巧を持っているということだ。
これが意味することは、即ち。
「──!! 相似さん!!」
「全く、人遣いが荒いですねぇ!!」
ズヴァチィ!!!! と。
相似の周辺から浮かび上がったUAVから、紫電が迸る。それはかつて、レイシアの
「!? どういう理論ですかぁ!? 相手の扱う異能はあくまで気流操作のはず……!?」
「これが魔術よ、科学者!!」
風を操るということは、大気を操るということ。
それは即ち大気中の水分の分布をもコントロールできるということにも繋がる。今のは、水分の分布を調節することで電気の流れやすさを変更し、電撃を捻じ曲げた──というのが
攻撃が捻じ曲がる。
そういう結論に間に合わせるように、大気の方がそれを実現できるように
科学的な説明では、確実に無理の生じる現象。
これを魔術的な表現に置き換えると、こうなる。『星を洗い流した大洪水を退けた神の風の伝承をモチーフに、あらゆる危難を退ける風の壁を展開した』、と。
「そして──」
「っ、この因果は捻転する!!」
攻撃態勢に入ったヴェントを見て、パチン!! とシレンが指を弾く。
しかし。
「──その指パッチンが能力の発動条件ってワケ」
気流は、ヴェントの周辺を渦巻くだけだった。
(……! しまった、ハメられた……!)
自分がまんまと敵の作戦に乗ってしまったことを瞬時に理解するシレンだったが、すぐさま思考を切り替える。
そもそも、
それと同じ。
シレンは、そうした『前例』を知っているからこそ、初出の事態に対して冷静に構えることができる。
(
右手を、構える。
それを見て、ヴェントは嘲るような笑みはそのままに、その身を強張らせた。
やはりそうだ。タネが割れたからといって、
だが、人の領域を超えた術式を不発にさせられたのは事実なのだから。
「オマエの右手……使徒ペトロが魔術師シモンを墜落させたのと似たようなモノね。人が死に物狂いで研鑽した成果を失敗させるなんて、随分上から目線なシロモノじゃない」
轟!! とヴェントの四方を取り囲むように、複数の竜巻が発生する。
それ自体は他への害意を伴った術式ではない、『ただの竜巻』だ。ただし。
「でも……タネが……れて…………策も……易い……!!」
そこで。
急激に、ヴェントの声が通らなくなっていく。シレンがそれを怪訝に思った瞬間、横合いから衝撃が飛んだ。
「馬鹿野郎!! 何をぼさっとしている!! あの魔術師、
突き飛ばしたのは、ドッペルゲンガーの粘菌だった。真っ白いクッションで押し飛ばされたシレンは、そのまま別の粘菌に巻き取られて空へと舞い上がる。
ズドォ!!!! と真っ白な粘菌の中ほどに人の胴体がまるまる収まるほどの大穴が開けられたのは、その後の事だった。
──あのままの場所に立っていれば、シレンがああなっていた。
その事実を否応なく見せつけられ、シレンは喉がひきつる。
「ははぁ、なるほどぉ。空気を操ることで、音の反響を調整できるわけですかぁ。確かに、気流操作という点で見れば
と。
粘菌によって空中を舞うシレンに追従するように、無数のUAVを伴いながら空中を浮遊する相似が言う。
おそらく、電磁波による引斥を利用して空中浮遊を実現しているのだろうが……意味が分からない技術だ、とシレンは思う。原理が分からなければ、科学も魔術も大した違いはない。
「どうします? あの分じゃ、シレンさんの右手はそのままじゃ通用しそうもなさそうですけど」
「いえ……通用はしますわ」
楽し気に笑う相似に、シレンはあくまでも冷静に答えた。
「
竜巻そのものには他者を傷つける害意は存在していないから、失敗させることはできない。
だから、その竜巻によって発生させた遮音の壁の中で攻撃を生成することで、
「……でも、ちょーっと納得がいかないような。それって結局、自分の攻撃を邪魔されることなく成功させる為の竜巻ってことで、突き詰めて考えれば結局は『害意』に行き着いちゃいませんかねぇ?」
「その辺りは、相手の感性次第だと思いますわ。もしもこの世に全く『害意』を持たないままに他者を傷つけることができる精神性の人間がいたら、わたくしの右手は無力でしょうし。ヴェントさんはあくまでも『わたくしの右手によるダメージから身を守る為』というつもりで竜巻を展開しているのだと考えられますわ」
言ってしまえば、アレイスターがレイシアを焚きつけているのも、そうした脆弱性に当て込んでの部分が大きいはずだ。大きな視点で見れば明らかに害を意図しているのに、レイシア自身はその事実に気付いていないから
そういう意味では、奇しくも『天罰術式』とは似た特性を持っているのかもしれない。尤も、
「だが結局のところ、あの竜巻による防音空間をどうにかしないことには……、」
粘菌による『偽装憑依』で自分を操作したドッペルゲンガーが、二人に向かって呼びかける。
彼女の言葉を裏付けるように──
ドシュウ!! と。
竜巻の中で『育て』られた風の槍が、またしても襲い掛かる。
『偽装憑依』や
シレンはたまらず声を上げる。
「ドッペルゲンガーさん、どうやって今まで戦局を保っていたんですの!?」
「そんなもの物量作戦に決まっているだろう。とにかく粘菌で空間を埋め尽くして、相手が操る『空気』を減らしていた。そうすれば敵の攻撃力は落ちるからな。もっとも、私自身も相手の防御を貫ける攻撃力がなかったので千日手状態だったが」
つまりこの状況では、シレンと相似がいるせいで物量作戦は使えない。もしもそんなことをすれば、粘菌の波に二人も巻き込まれてしまうからだ。
その代わりにシレンの
「こちらの手札の中で現状、あの前方のヴェントの防御を貫けるのはシレンさんの右手のみ。やはり、彼女の術式を無効化するのが一番手っ取り早いですかねぇ……」
適当そうに相似が言うと、彼の周辺を飛び回っていたUAVの一機が突然向きを変える。
それはヴェントの周囲を巡る四本の竜巻のうち一本に狙いを定めると、猛然と突進をしかけた。
「な、相似さん、一体何を──?」
当然、防音用に展開されている竜巻とはいえ、腐っても天使のステージの術式である。
たかがUAVを一機体当たりさせたところで気流を乱せるとは思えないシレンの戸惑い通り、UAVは竜巻に呑まれてバラバラに砕け散った。ヴェントも、全く危機感を覚えた様子なくその姿を一瞥し、また新たな風の槍を『育て』ていく。
「おー、やっぱりすごい威力ですねえ。ただの妨害用オブジェクトと言っても、やはりそこらの兵器とは比べ物にならない攻撃力を持っているわけですか。あれは、もしも生身で触れたらと思うとぞっとしてしまいますねえ」
相似は適当そうに分析しながら、お返しとばかりに放たれた風の槍を何とか躱していく。
透明な上に攻撃速度の速い風の槍は、シレンの動体視力では『見てから』右手を動かさなくてはならない。タイミング勝負に持ち込まれてしまっては、
シレンは歯噛みし、
「なんとか……なんとかあの防音空間を消し去ることができれば……。そうすればヴェントさんの攻撃を直接『無効化』できるのに……!」
「いえ? そんな必要は、もうないと思いますよ?」
と。
唐突に、相似はそんなことを言った。
直後だった。
今まで粘菌によって空中で回避機動をとっていたシレンやドッペルゲンガーに追従していた相似が、突如移動方向を切り替えて、ヴェントの元へと突貫したのである。
もちろん、ヴェントの防御術式を貫く方法は相似にはない。一応まだヴェントは風の槍を『育て』きれてはいないようだが、その四方を取り囲む竜巻にしても、触れるだけでUAVをバラバラにする危険な術式である。無策で突撃すれば、今度は相似の身体の方がバラバラになりかねない。
シレンは思わず声を上げた。
「何を!? 相似さん、危険です! 遮音を行っている竜巻を操るだけでも、相似さんの身体がバラバラにされかねないんですのよ!? 此処は一度距離を取って手元の兵装を再確認するとかして……、」
「…………いや。違う、シレン。あの野郎……そうか、
しかし、シレンの傍らにいるドッペルゲンガーの見解は違うようだった。
ドッペルゲンガーの言葉を裏付けるように、相似は続ける。
「ええ。確かに僕のやっていることは危険でしょうねぇ。何せさっきあんな風にUAVをバラバラにした竜巻に自分から突撃しているんです。あと一秒後には僕が同じ被害を被るのは誰の目から見ても明らか。……
そんな、決定的な一言を口にした。
「…………あ」
言われて、シレンも気付く。
たとえ大きな目で見れば害をなす行為だったとしても、行為者本人がそれを自覚していなければたとえ右手の音を浴びたとしても行動を失敗させることはできない。
──ならば、自覚させることができたなら?
「UAVをバラバラにしたほどの破壊力を持つ竜巻。そこに自分から飛び込もうとする相手を見て、あえて術式を解除しない『選択』。……
いとも容易く。
人の心に『害意』を植え付けてみせたその男は、引き裂くように悪辣な笑みを浮かべてヴェントに呼びかける。
その言葉は、遮音の壁を展開していた彼女には聞こえていないだろうが。
「…………これが『木原』だ。『害意』が自分の中からだけ出てくるモノだと思っているなら、大間違いだぞ」
勝ち誇るような相似の言葉を後押しするように、シレンは宣言した。
「──っ、この因果は捻転する!」
パチン、と指を弾く軽質な音が響き。
前方のヴェントを覆っていた遮音の壁は、跡形もなく消し飛んだ。