【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
まず一番危険なヴェントへの対応を終わらせたシレンは、次にレイシアを奪い何故か敵襲で居城を陥落させているアレイスター=クロウリーの情報収集を始めた。
とはいえ、相手は腐ってもラスボス候補である。生半可な相手では身の危険の方が大きすぎる。となると、うまい具合にアレイスターの動向を探れる賢さがあって、なおかつ戦力的にも最強格である──垣根に白羽の矢が立った。
もちろん、杠を救う過程で諸々の借りができたとはいえ、垣根は別にそれでシレンに一〇〇%協力を約束するような甘い人間ではない。
だが、既に学園都市の混乱に乗じてアレイスターに干渉して直接交渉権を要求するつもりだったこともあり、そのついでにシレンへの借りを清算できるならという利害計算が働いた。
かくして利害が一致した二人は協力関係となり──垣根がアレイスターの動向を調べ、不穏な要素を発見したらシレンにそれを伝えるという契約が成り立ったのだった。
垣根がレイシアの仲裁
アレは戦況の分が悪いと垣根が自覚していたのもあるが、それ以上にシレンとの契約を果たすいいチャンスだから、これ幸いと乗っかっていたにすぎない。というか、その前の襲撃からして、突然友好的だとアレイスターに怪しまれるからということでポーズで敵対していたように見せかけていたにすぎない。
……本人に自覚はないが、本来の垣根帝督は借りを清算するチャンスだからといって不倶戴天の敵に対してここまでプライドを捨てた行動はとらない。
このあたりは、例のツンツン頭の少年との衝突の中で何らかの心境の変化があったのかもしれないが──
「──つか、時間がねえから手短にまとめるぞ」
当の垣根は、時間を気にしながらどんどん話を進めていってしまう。
「まず、窓のないビルが陥落したのは事実だ。襲撃してきた『神の右席』は三人」
「ちょ、ちょ、ちょ……」
「……なんだ? 時間がねえって言ってるだろ」
垣根は少し面倒くさそうな表情を浮かべるが、シレンの心情を考えれば責めるのは難しいだろう。
何せ、神の右席が三人である。そもそも二人来るかも怪しいと言っていたのに、急に三人。シレンでなくても『ちょっと待ってくれ』と言いたい事態だ。
「来たのは……来たのは誰なんですの!?」
「あん? ……前方、後方、左方とか言ったか? 何の暗号かまでは分からなかったが。ちなみに、アレイスターの野郎の話じゃ既に学舎の園に一人乗り込んでるってよ。テメェのお仲間も、案外もうこっちまで来てるんじゃねえの?」
「な……!」
垣根は、アレイスターがシレンとレイシアの分離の原因であることも協力依頼時に聞かされていた。
その為、アレイスターとレイシアが分断された時点で万一のことを考えて
一緒に急行していたアレイスターを置いて垣根が一人でシレンと接触しているという奇異な状況には、そういう事情がある。
「……そしてこれが一番大事な情報だ」
もちろん、こんなことをすればアレイスターからは警戒心を持たれるだろうし、直接交渉権獲得に向けたいろいろな動きに不都合が生まれる可能性は高い。
だが──アレイスター=クロウリーという『人間』を間近で見て、直接交渉権云々よりも
──そこに生ぬるい感情論はない、はずだ。
「今、この場にアレイスターの野郎が向かってきている。一応対『神の右席』で同じ方向を向いちゃあいるが、どこまで信頼できるかは分かったもんじゃねえ。とっとと身を隠した方が身のためだと思うぜ」
「──やれやれ。勝手がすぎるな、
と。
そこで唐突に、垣根の後ろから声がした。
瞬間。
平和ボケしたシレンの感性でも分かるほどに濃密な気配が、その場を蹂躙した。
その予感の名は──殺意。
シレンがそれに対して右手を構えかけたところで、それよりも早く垣根が動く。
シレンを庇うように翼を発現し、そして一本をその声のもとへと差し向け──
「忘れたか? 君が幾万幾億の違法則を敷こうと、その始点となる『一』は私が握っていると言ったはずだが」
ゴッッッッッ!!!!!! と。
垣根帝督の身体が、分かりやすく宙を舞った。
くるくると枯れ葉のように回転しながらノーバウンドで数メートルも吹っ飛ばされた垣根の向こう側に立っていたのは──床に着きそうなほどの銀髪を風に靡かせた、手術衣の『人間』。
統括理事長。
アレイスター=クロウリーだった。
「ア、レイスター……!」
「初めまして、と言ったところかな。シレン=ブラックガード。いや……
「…………!!」
どさり、と。
吹っ飛ばされた垣根が、両者の中間あたりに落下した。
落ち方からして、致命的な怪我ではないだろう。その事実に心のどこかで安堵しつつ、シレンは目の前の敵へと意識を向ける。
垣根帝督を、一撃でダウンさせた。その事実が、シレンの警戒心をいや増す。此処からは、一挙手一投足を見逃すだけで命取りになる。そう、思わざるを得なくなる。
「……ああ、済まない。手荒な真似をしたせいで緊張させてしまったようだ。実は先ほどそこで彼に裏切られたところでな。まさか君に危害を加えるのでは──と思い、先手を打たせてもらったまでだ。重傷ではないよ」
「………………彼は、わたくしの協力者でした」
「それが彼の真意である保証はあるかね?
「それでも!! わたくしは彼の大切なものを知っているつもりですし、手を取り合えると思っています! こんな一方的な……!!」
先ほどの、『魔女』とのやりとりを。
『ねえ、シレンは
ひび割れた鏡の中で。
『魔女』は、展開された『亀裂』のようなものに肘を突きながらそう問いかけた。
『は……? いや、当麻さんの右手に関してはそもそも異能を打ち消すから幸運も打ち消されているのでは? わたくしは右手が先だと……』
何故そんな考察勢みたいな問いを……? という疑問は呑み込みつつ、当時のシレンは答える。
実際、『正しい歴史』においてもインデックスからはそんな言及がされていたはずだ。しかし、『魔女』はやれやれとばかりに溜息を吐いて、
『駄目ねぇ。物事は疑ってかからないと。「正しい歴史」において証言があったとしても、証言者の認識が正しいわけじゃない。現に、上里翔流を取り巻く運命の変化について説明はついたかしら? 彼は右手に潜む能力以外のファクターを指摘してから去らなかった?』
『…………、』
言われてみれば、確かにその通りだった。
シレン自身今ではもう記憶も薄れているが、
となると、単に能力の作用として説明するのも難しい──ということになってくるのだろうか。
『答えは、不可分。鶏が先か卵が先かって話ね。「右手の能力」と「歴史の異変」っていうのはそれぞれ独立してはいるけど、根っこは同じ。だからどっちが先かとは断言することはできない。歴史の異変があるから右手の能力があるし、右手の能力があるから歴史の異変があるともいえる』
堂々巡りではあるが、一応納得はできる理論だ、とシレンは思う。
問題は、突然『魔女』がそんな話を始めた理由が全く分からない、という点だが──。
『
鏡の中の『魔女』はそう言ってシレンのことを指差し、言った。
『ねえ。
決定的な、一言を。
『な……、』
『既に元となる因果があるのなら、後はそれを束ねるだけ。集約すれば──あら不思議』
パチン、と。
『魔女』は指を弾いた。
劇的な変化はなかった。
ただ、奇妙な実感だけがあった。
この右手に異能が宿ったという────そんな確信が。
『
つまり、この『魔女』と同じ。シレンが抱えている可能性を一時的に表出させた──といったところだろうか。
『魔女』は懐かしむ様に、シレンの右手を眺めながら、こう言い添えた。
『おめでと。異能を宿す右手を持っているなんて、なんだか主人公みたいでカッコイイじゃない☆』
あの時、『魔女』は言った。
『その右手の異能は、
右手を構え、シレンは目の前の『人間』を油断なく見据える。
アレイスターはというと、シレンとは対照的に肩からを力を抜き、敵意らしい敵意も見せずにシレンに向き合っていた。
「やれやれ……。これは私の失敗だな。どうも私は悪意を前提に他者との繋がりを測りがちらしい。すまない、
アレイスターはそう言いながら、垣根に視線を向ける。
「警戒されるのは身から出た錆というのも承知しているが……分かった。ならばこうしよう。魔術で、彼のことを癒す。先ほどの一件については彼が目覚めた後できちんと話し合おう。君がいれば
アレイスターがそう言うと、いつの間にか彼の手の中に銀色の杖が浮かび上がる。
植物の花のような造詣の杖の先を垣根に向けるアレイスターを見ながら、シレンは思い返していた。
鏡の中の『魔女』は、こう言っていた。
『アナタの体質が歴史の歪みを巻き込んで均すように、
指をパチンと弾いて、『魔女』は続ける。
『トリガーは音。アナタが右手で発した音の届く範囲内で発生したあらゆる「害意のある干渉」は、歴史の波に流され均される。「右手で触れた異能を打ち消す」とか「右手の影と重なった願望の重複を異世界に追放する」とかみたいな言い方をするなら──「右手の音を浴びた害意を失敗させる」って感じかしら?』
──その言葉を思い返し、シレンは一度だけ目を瞑り、そして目の前の『人間』のことを見据える。
「……いえ。わたくしの方こそ、失礼しました。確かに彼は協力者ですが、アナタの言うことももっともですわ。アナタは、レイシアちゃんとも行動を共にしているのですものね」
「分かってくれてよかった。
「ところで、今回のレイシアちゃんの離脱についてはアナタが犯人だということは既に分かっておりますの」
「…………、」
アレイスターの言葉が止まる。
「──誰からそれを? 彼女の
「さあ、アナタの知らない情報網があるのですわ。わたくし、魔術サイドにも通じているんですのよ? それより、早く垣根さんを治療してくださいませんこと? それで、今回の件は水に流して差し上げますから」
そう言って、シレンは何気なく髪をかき上げた。
アレイスターは気まずそうに肩を竦めると、垣根の傍へ歩み寄って屈み、
「──この因果は、捻転する」
アレイスターの手元で数字のイメージを持つ火花が散ったのと同時。
シレンは、ぱちんと指を弾いた。
直後、だった。
「ぐ、ふッ!?」
口を押えて、アレイスターが蹲ったのは。
「…………ああ、やはり、でしたのね」
その様子を見て、シレンは悲しそうに呟いた。
であれば、それによって失敗する干渉というのは、どこかしらに害意を忍ばせていると確定してしまう。
今のが垣根にトドメを刺すか傀儡にするかの術式にせよ、垣根を治療するように見せかけたシレンへの不意打ちだったにせよ、少なくともアレイスターは、口では都合の良いことを言っておきながら、裏では害意に溢れた行動をとろうとしていた──そういうことになる。
ふつふつと、怒りが沸き上がって来るのを感じた。
この外道は。
レイシアを自分から奪っただけでなく、自分に協力してくれた垣根を攻撃し、あまつさえ卑劣な嘘をついて自分のことを騙そうとしている。
おそらくは、この異常事態を打破する為、この身に宿る
「この右手は、害意を伴った干渉を失敗させます。何か弁解は、ありまして?」
それでも。
それでも、シレンはアレイスターに呼びかける。
確かにアレイスターは外道だ。見下げ果てたクズだ。だが、アレイスターにだって何か譲れない想いがあったことは示唆されているし、そうでなくても本当にただの悪人であることなんてないとシレンも思う。
だから、状況が悪くなった上でこちらが対話が可能な姿勢を見せれば態度を変えてくれるかもしれない。そう、考えていたのだが──
アレイスターは、手に持った銀色の杖を振るう。
「──っ、この因果は捻転する!!」
シレンの右手が間に合ったのは、対話の姿勢を見せつつも心のどこかでは『アレイスターはそんなに甘くないよなあ』という警戒の念を忘れていなかったからだ。
アレイスターが放った不可視の衝撃はシレンの頬をかすめるように軌道を逸らし、攻撃としては『失敗』する。
──先ほどのようなダメージは、アレイスターにみられない。
(……攻撃の出始めのところで『失敗』させれば、魔術自体の失敗ってことでダメージを与えさせられるけど、攻撃が成立した後で『失敗』させても『攻撃』が失敗しただけであってダメージにはならない……ってことか……!)
やはり
むしろ明確な長所と引き換えに決定的な短所も存在する。ピーキーな異能と考えるべきだ。
「チッ……!」
しかし、相対する者からすれば厄介極まりない状況だろう。
アレイスターは苛立たし気に舌打ちをする。──それを見て、シレンはもう一押しだと判断する。
アレイスターは確かに問答無用のクソ野郎だ。今だって、対話の姿勢を見せたシレンにここぞとばかりに不意打ちをかましてきた。もう、どう考えたって言い逃れはできない。
だが、アレイスターは一方でだからこその利害計算ができるはずだ。ここでさらに言葉で畳みかければ、敵対よりも友好による利益をとってくれるかもしれない。
シレンの目的はレイシアとの合流ではなく、来たるバッドエンドの回避なのだ。その為に、余計な敵を作っている余裕などないのだから。
「──レイシアちゃんをわたくしから引き剥がして、
だから、ふつふつと沸き上がる怒りを抑えながら、シレンはアレイスターの言葉を待つ。
──そうして冷静になろうとつとめていたから、シレンはアレイスターの意識が一瞬背後の物陰へと向けられたことに気付けなかった。
いや、そこに立っていた少女の存在に、気付けなかった。
そして。
目の前の『人間』がこれまでどれほど世界を手玉にとってきたのかを、忘れてしまっていた。
「……待て、シレン。何か……君は誤解している。私は別に君に危害を加えようとして術式を発動していたわけではない」
この期に及んで、誤魔化す発言。
アレイスターが命乞いをするような小悪党でないことは分かっているが、シレンはその意図が分からなかった。
(……時間稼ぎ? もしかして、また不意打ちをしようとしている? ならいいさ。そういう手を打つような状況の曖昧さもなくしてやる)
「だから、敵の敵は味方になるとでも? 現にアナタはこうして失敗しています。その時点で信じられる道理などありませんわよ。……どうせアナタは、この事態を解決する為にわたくしやわたくしの大切なモノを使い潰すつもりなのでしょう?
かつての歴史でやっていたような、虚数学区による術的圧迫は、セキュリティを更新したミサカネットワークでは使えない。
アレイスターにとってはつつかれると痛い部分をあえて指摘することで、退路を絶っていく。ただでさえ不利な状況で、これ以上敵対するよりも懐柔策を打った方が得ではないかと、アレイスターに思わせる為に。
「……今なら、」
「……、……返す言葉もない、な!」
シレンが言いかけたタイミングで、アレイスターは右手に銀色の杖を浮かび上がらせ振るう。
虚空に数字のイメージが伴う火花が散り──
「
ぱちん、と。
見え透いた不意打ちに、シレンはただ作業的に指を弾いた。当然の帰結として──火花の中の数字はブレてぼやけ、そして消え失せる。
アレイスターは魔術の失敗による反動で、その場で派手に吐血した。
「あら。どうやらまた
魔術が失敗すれば、ダメージが発生する。
まさに魔術師殺しだ。アレイスターにとっては悪夢のような状況だろう。
そしてその事実を以て、降伏勧告をつきつけようとシレンが口を開こうとした、その瞬間だった。
「し、シレン……」
一言。
その一言で、シレンの思考の一切が消し飛んだ。
聞き間違うはずもない。骨伝導を通して音の高さが変わろうと、その声色は魂に刻まれている。
レイシア=ブラックガード。
失われた己の半身。
──その彼女が浮かべている表情を一目見て、シレンは愕然とする。
レイシアの表情は、恐怖と動揺でいっぱいだった。
そしてその視線は、シレンへと向けられていた。
(れ、レイシア、ちゃん……? どうして? 俺……俺を見て、そんな顔を? 今の俺が……何か……あっ)
そこで、シレンは自分の状況を客観視するに至る。
普段レイシアには見せないような激情を露にしながら。
今まで見せたことのない異能を振るって。
そして最強のはずのラスボスに膝を突かせて、一方的になじる様に言葉を突き付けている。
そんな異常な行動をとっている
これが。
これこそが、アレイスターの目的だったのだ。
自分の攻撃が失敗させられると分かった時点で、レイシアが来るまで時間を稼ぎ、シレンが怒りゆえに高圧的な物言いで降伏を進めることさえ見越して、そしてレイシアにシレンが『おかしくなった』と誤認させる。
この『人間』は、土壇場で発生したイレギュラーとそれによる自分の敗北すらも織り込んで、シレンとレイシアを分断させる一手を打ってきたのだ。
(ち、違っ──)
誤解をときたい。
目の前に散らばったあらゆる事情よりもその感情を優先してシレンは口を動かす。
そしてその判断は、まさに致命的だった。
「陣は出来た。
アレイスターの一言を以て。
レイシア=ブラックガード、垣根帝督、アレイスター=クロウリーの三名は、一瞬にして掻き消えてしまったのだった。
シレンだけを、その場に残して。
Facts
◆木原数多は、AIM思考体化のような逃げ道を使うことなく死亡した。
◆正しい想いがあっても、正しい道へ向かえるとは限らない。
◆特に、嘘つきが傍らにいる場合には。