【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
その後、『魔女』はほどなくして消えてしまった。
時の止まった世界での出来事はあくまでもシレンの精神の中の出来事に過ぎず、鏡は罅割れていないし拳も負傷していなかった。
『魔女』の言葉を借りるなら、彼女の影響がそこまでで済んでいるうちはまだいい、ということなのだろう。さらに『魔女』の存在が色濃くなっていき、実際にシレンの精神の外へと出てしまうようなことがあれば──その時は、本当にバッドエンドが近いということになる。
ならば、すぐさま行動に移さなければならない。
レイシアと合流するのは大前提。そこから、最低でも
(……こういうの、『魔女』が知っていたらそれが一番なんだろうけど……)
しかしそれを期待するのも難しいはずだ。
何故なら、『魔女』はそれができなかったばっかりに『魔女』になったのだから。つまり、『魔女』と同じことをしても、バッドエンドの回避は不可能ということになる。
(だとするならば……やっぱり、盤上の駒は俺や美琴さん、白井さんだけじゃ足りない)
『魔女』が歩んできた歴史がどこまでシレン達と共通しているかは謎だが、シレンの『再起』が共通しているならば仲間を頼ることはまず最初に考えるはずだ。
ならば、頼れるだけ仲間を頼るのは必要最低条件。そこからさらなるプラスアルファの要因を生み出さないと、バッドエンドの回避には至れないだろう。
(ならまず最初に呼ぶのは……、)
そう考えたタイミングで。
『ブラックガード嬢! 聞こえているか!?』
「っ」
シレンが携えていた携帯機器から、突如無線の音声が繋がる。
それは、焦燥した様子のショチトルの声だった。
「徒花さん? どうしたのですか?」
『いいか、落ち着いて聞け。……落ち着いて聞けよ……』
言いながら、ショチトルは自分の方を落ち着けているようだった。
その声色を聞いて、シレンも呼吸を整える。
なんだかんだで、シレンはまだ美琴と白井以外の人間に自分の窮状を教えていなかった。それなのにこれだけショチトルが取り乱しているということは、相応のイレギュラーが発生したということだ。
一通りの『最悪の可能性』を脳裏に並べた上で、シレンはショチトルの次の言葉を待つ。
ショチトルは震える声で、
「…………窓のないビルが、もうじき陥落する」
と告げた。
シレンは最初、その言葉の意味がよく理解できなかった。
窓のないビル……は分かる。誰だって知っている施設だ。アレイスター=クロウリーが、この街の王が坐す、科学サイドの中枢。あらゆる物理兵器による攻撃をものともせず、自転を流用した第一位の一撃ですら容易く防ぎ切った、難攻不落の王城。
だが、この次が分からない。
(かん、らく……? 歓楽? カンラク? 何を言っているんだ…………???)
「『神の右席』が現れた。連中の影響で、学園都市の警備網の一割が既に麻痺している。…………時間帯に救われたな。このまま手をこまねいていたら、さらに被害は拡大していくぞ!」
「……かみの、うせき?」
理解できないから、ではなく。
理解したくないからこそのオウム返しを無知ゆえの疑問と解釈して、ショチトルは勝手に説明を続けてくれる。
「ああ、この間いたオリアナ=トムソンのようなローマ正教系の、さらに深部に位置する連中だ。私も詳しい話は知らない。何せさっき『暗部』の情報網で初めて耳にしたくらいだからな。……だが、先日の『原典』を遥かに超える化け物であることは間違いなさそうだ。今情報収集を進めてい、」
「お待ちくださいっ!! 今すぐ調査は中止するよう指示してください!! 今!! すぐに!!」
ショチトルの言葉に、現実への帰還を果たしたシレンはすぐに叫んだ。
神の右席のうちの誰が学園都市に来ているか不明だが……もしもヴェントだった場合、悪くすれば『メンバー』やGMDWが全滅してしまう可能性すらある。
『正しい歴史』で語られた事件を知っている以上、シレン自身はヴェントには同情の余地が多々あると思っているし、もしも衝突することになれば彼女の抱えている苦しみに少しでも寄り添いたいと思っているが、流石のシレンもそんな自分が少数派であることくらいは理解している。
もしも『メンバー』やGMDWがヴェントの姿を目撃してしまえば、強い敵意を抱くのは間違いないだろう。そうなってしまえば、仮死状態は確定だ。それは絶対に避けたい。
そして。
(……ヴェントさんが来ている……とも限らないのですわよね……!)
『正しい歴史』であれば、学園都市に襲撃に来るのはヴェントだけだ。いや、アックアも襲撃に来てはいたが、アレは上条当麻のみを狙ったものであって学園都市全体への襲撃ではなかった。
だが、この歴史においてもそうとは限らない。
『起きていなかったイベントの帳尻合わせ』という意味であれば、二人同時とはいかずとも、どちらも歴史の表舞台に登場していないのは不自然なのだから。
(まぁ、流石にそれはないか……)
悪い想定は意図的にそこで打ち切って、シレンは次を考える。
どちらにせよ、神の右席がやってきたということはまともな戦力では相手にならないということだ。ヴェントもテッラも、当たり前の科学兵器にはめっぽう強い防御力と意味不明な攻撃力を持つ。
特にヴェントは、並の人間であれば視認しただけで無力化されてしまうという恐ろしいオプションつきだ。
(俺も……実際にヴェントさんを見たらどうなっちゃうか分からないしな)
実際にはシレンはヴェントと直接対峙しようと『天罰術式』の対象にはならないのだが、こういうものは本人ほど自覚がないものである。
もしもここにレイシアがいれば外部から自信を入力してやることができたのだが、レイシアのいないシレンは自分も『天罰術式』の影響下に置かれるという前提で戦略を練っていく。
(となると……まずはヴェントさんの無力化、最低でも足止めが必要だ。それを、神の右席相手にこなせそうなのは…………)
考えたシレンは、迷わず電話をかけた。
「もしもし。相似さんですか?」
──一人目は、木原相似。
『魔女』がどんな歴史を歩んできたにせよ、彼はレイシア=ブラックガードの持つ人脈の中でも特大のイレギュラーのはずだ。
何せ、『正史』には顔を出すことのなかった『木原』。その極彩色の知識から得られる知見は確かに危険ではあるが、あと二時間でバッドエンドという状況ではそれが突破口に繋がるかもしれない。
電話をかけた少年は、ワンコールで通話に応じた。
『はいはぁい!! もしもし、ブラックガードさんですかぁ? 実験の協力をしてくれる気になってくれましたかねぇ!?』
「…………、いえ。というか朝からテンション高いですわね、アナタ……」
シレンはちょっとげんなりしながら、
「ところで相似さん。アナタ、今学園都市が襲撃を受けていることはご存じで?」
『ん? ああ、はい。なんでしたっけ? 数多さんがこの間「継承」してた魔術とかいう技術を使ってるって報告が上がっていたような。それがどうかしましたか?』
「……わたくし、その敵に好き勝手されるととても困りますの」
『まぁ、それはそうでしょうねえ。というか大体みんなが好き勝手されたら困りますよねぇ。それで?』
「一日。投薬・電気刺激・暗示等こちらの肉体・精神に干渉しない範囲でなら、アナタの実験に協力しますわ。好きにわたくしのバイタルサインなり能力使用を研究してくださって構いません。それを対価に、今からわたくしが説明する特徴の魔術師を足止め……できれば無力化してくださいませんか?」
『殺しは?』
「もちろんナシですわよ」
『ですよねー。んー……ま、いいでしょう。僕も僕で、この街が今メチャクチャにされるのはあまりよろしくないですしねえ。利害の一致ということで!』
相似は含みのある笑みを浮かべているのがありありと分かる声色でそう言って、
『それで? 特徴というのは?』
「黄色い、修道服めいたフードを被った若い女性ですわ。顔の至るところにピアスをしていて、見るからに恐怖感とか敵意とかを抱きそうな見た目をしています。風を操る術式と……敵意を向けてきた対象を問答無用で卒倒させる術式を持っています」
『なるほどぉ、それで殺意はあっても敵意はない「木原」を。納得しました。で、向かうのは僕だけですかね? 僕って人見知りなんで、だと有難いんですけど』
「いえ…………他にもう一人」
シレンはそこで言葉を区切って、こう続ける。
「操歯涼子さん。彼女の助力を借りようと考えていますわ」
──そうしてその後操歯にも協力を依頼したシレンは、他にも何人も知り合いに連絡した。
現時点でシレンが連絡をとれる全ての人材には助力を頼んだだろう。そして、助力を頼んだ者は皆一様に協力を約束してくれた。
それが、シレンとレイシアが今まで築いてきた道程の価値だった。
(……ああ、有難いな)
素直に、シレンはそう思う。
有難い。
この非常時に、突然電話をかけて、それでも協力に応じてくれる。そんな人達が、いつの間にかレイシアの人生にはこんなにもいたのだ。
そして、改めて考える。
(この人たちに、きちんと報いないと。最悪のバッドエンドなんて打ち壊して、最高のハッピーエンドを掴み取る。それが、俺の頼みを引き受けてくれた人たちに対する、一番のお礼のはずだ)
考えながら、シレンはそこで足を止めた。
シレンの異常はともかく、学園都市全体を襲う緊急事態については既に常盤台にも激震の余波を及ばせている。三人もの
このドタバタで余計な横槍を入れられないようにと、シレン、美琴、食蜂を含めた能力者達で学舎の園内部で集まって対応のすり合わせを行っていたのだ。
もっとも、結果は『その他大勢はノータッチ』というものだった。
とりあえずシレン、美琴、食蜂が個人個人で動き、派閥戦力は学舎の園が混乱によって被害を被らないよう、防御に注力しようということになった。
これは彼女達が必ずしも戦闘に慣れているわけではないというのもあるが、シレンによって『敵意を向けただけで相手を昏倒させる術式を持っている敵がいる可能性がある』という未確認情報があったことも大きかった。
今のシレンは、その会合を終えて常盤台中学から移動しようとしていたところだった、のだが──。
「──よう」
と。
そこで、一人の男がシレンの頭上に現れた。
声を聞いて、シレンは苦笑しながら自らの上に立つ者へと視線を向ける。
「……駆けつけてくださったのは有難いですけど、此処、男子禁制なのですが……」
「安心しろ。お嬢様学校の校則なんざ俺には通用しねえよ」
音もなく降り立った少年は、そう気安く言って
──第二位。
──垣根帝督。
先ほどまでアレイスターと行動を共にしていたはずの少年が、一人で空中に佇んでいた。
「そういう問題ではない気もしますが……」
対するシレンは、突然の垣根の登場にも特に慌てずに、むしろ呆れすら伴わせながら口を開いた。
常識は通用しなくても、校則くらいは気にしてくれ──そんなツッコミは呑み込みながら、シレンはまったりと頭を下げる。
そう。
突然現れたはずの乱入者に対して、まるでやって来ることが最初から分かっていたかのように、
「……ええと、まず協力に応じてくださって有難うございます。それも、あんな危険なところに……」
「ああ、いいよいいよそういうのは。俺もテメェにはデカい借りがあるからな」
やはり垣根は、そう気安く言って手を振った。
それから、垣根は言う。
「ともあれ、だ。……『契約』を果たしに来たぜ、