【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
シレンは、とりあえず寝間着から常盤台の制服へと着替えた。
まだレイシア=ブラックガードとして活動するようになってから三か月も経ってない程度だが、このくらいはもはや慣れたものだ。女性としての身だしなみも、もうレイシアの身体の記憶に頼らずとも自前の知識だけでこなせるようになっている。
まずシレンが考えたのは、やはり仲間の協力を募ることだった。
仮想敵が『正しい歴史』に登場した戦力の中でも最強格であることが予想される以上、もう使えるものはなんだって使うしかないし、頼れる人はなんだって頼るしかない。
幸いにも、シレンが今まで歩んできた道のりには様々な人たちがいた。そして彼らはそれぞれの分野におけるトップクラスでもある。『木原』に、
『──本当にぃ?』
と。
身だしなみを整えながら思索を巡らせていたシレンに──突然、そんな声がかけられた。
顔を上げると、そこには身だしなみに使っていた鏡がある。
その、中には。
妖艶な笑みを浮かべる。
──シレンは自らの頬に手を当てた。
当然、彼女自身の口端はピクリとも動いていない。間違っても、こんな風に艶やかな笑みは浮かべない。
「…………誰ですの。早速黒幕のお出ましですか」
能力の使用を意識しながら、シレンは鏡から一歩引いた。
そこで、気付く。
──『亀裂』が、発現しない。
「な…………!?」
これにはシレンも目を剥いたが──しかし同時に納得もしていた。
そもそも
即座に思考を切り替えたシレンは、それでも自分に打てる手を脳裏に並べていく。
そもそもこの鏡の中にいる自分ではない自分という認知、これ自体が敵からの攻撃という可能性は、十分にあり得た。何せレイシアを既に奪われているのだ。その際に自分の中に爆弾を埋め込まれていても少しもおかしくない。
だが一方で、これはチャンスでもあるとシレンは考える。もしも自分の破滅が目的ならば、こんな回りくどいことはする必要がない。少なくとも、相手は人格の強奪などというド級の一撃を炸裂させておきながら、シレン本人は殺さない──殺せない事情があるはずなのだ。
目の前の存在が黒幕の端末なのであれば、やりとりをしていく中でどこぞにいるニヤニヤ笑いの黒幕に辿り着く手がかりを掴めるかもしれない。
『あぁあぁ! ちょっと待って! 別にわたしだってアナタに危害を加えるつもりはないわ!』
──と、シレンは思っていたのだが。
どうにも緊張感のない──率直に言えば間の抜けた動作で、鏡の中のレイシア=ブラックガードは慌てる。
そこで、シレンも気付いた。周囲の様子が、まるで時間が停止したみたいに静止していることに。
そして、さらに気付く。
目の前のレイシア=ブラックガードの両目がエメラルドグリーンに輝き──そして、全身の各所がまるでノイズのようにブレていることに。
「……? アナタは…………」
『わたしは、そうねぇ……。バグ、ってところかしらね? いやいやいや、便宜的に「魔女」とでも呼んでちょうだいな』
にっこりと。
鏡の中のレイシア──『魔女』はそう言って、どこから取り出したのか、名乗った通りのトンガリ帽子をかぶって見せる。
──その語調の適当さを象徴するみたいに、そのトンガリ帽子もノイズ塗れの代物だったが。
『シレン。アナタはレイシアちゃんが自分の中から消えたことに危機感を覚えているようだけど──本当に警戒すべきは、そこではないの。
「…………?」
首を傾げるシレンに、ノイズ塗れのトンガリ帽子をかぶった『魔女』は言う。
『
言われて、シレンはすぐには答えられなかった。
確かに、シレンは
「…………わたくし、というわけですか?」
『その通り! 歪みの歴史的な中心点に位置するアナタだけは、常に様々な可能性を内包している。つまり、アナタが分岐点。心当たりはあるはずよ? だってアナタは、自分の手で未来の収束をある程度選択してきた。それは、アナタ自身が可能性の分岐を内包していなければ不可能な行為のはずだもの』
「…………、」
道理、ではあった。
だが、そんなことがあるのだろうか? とシレンは思う。この世界の中心は、上条当麻のはずだ。たとえ異物だったとしても、だからといって世界の分岐を自分が握っているなんて大きな話がありえるとも思えない。
『もちろん、限界はあるわ。魔神のように世界を作り変えるような荒業は「今の」アナタには無理だし、そんな可能性を引き寄せることは「今の」アナタにはできない。
鏡の中にいる『魔女』は、何やら空中に伸びた『亀裂』のようなものに頬杖を突きながら言う。
その言葉の意味するところは、シレンには理解が及ばないものだったが──
『アレイスターが、
突然、『魔女』はそんなことを切り出した。
『いやいやいや、とはいえあの黒幕気取りの失敗野郎のこと、案の定「収穫」には失敗した。レイシアちゃんがアナタのもとからいなくなったのは、それが原因ね』
「な……ッ!?」
『魔女』の言葉に、シレンは思わず目を剥く。
それが事実なのであれば、シレンにとっては福音だ。敵が強大とはいえ、立ち向かう先が見えてきたのだから。そう考えれば、大いなる前進と言っていいだろう。
『でもね、アイツの企みが完全なる空振りに終わったかというと、そういうわけでもないの。アナタの魂に干渉しようとした術式のせいで──今、
言わんとしていることは、シレンにも理解できた。
そもそも、現状のシレンだって、レイシアと二人の人格が励起することによって存在を保てているようなものなのだ。そういう意味でも危ういのだし、
『二時間』
そんなことを考えるシレンに、『魔女』は突き付けるように切り出した。
『いい? 二時間よ。……あとそれだけの時間が経過すれば、
警句を並べるように、『魔女』は続ける。
翠眼の女は、そこだけは本当に真剣な表情で、シレンに忠告した。
『そしてもう一度言うわ。アナタが真に意識すべきは、レイシアちゃんの不在じゃない。というか、レイシアちゃんの不在だけならどうにでもできる。問題は、このわたし。鏡の中の「魔女」の存在を、アナタが知覚できること。それこそが、最大のバッドエンドの予兆なの』
最初に言われた言葉だったが、シレンはやはり言葉を紡ぐことができなかった。
意味が理解できなかったから、ではない。
既に、何となく鏡の中に映る女の
「レイシアちゃんを見つける
レイシアの魂を回収し、一緒に戻ってめでたしめでたし──それで終わるなら、話は早い。だが、そうではないとしたら? アレイスターですら干渉に手を焼く特別な素質の暴走。それこそが、最後に立ち塞がる問題なのだとしたら。
そしてここにきて、鏡の中に知覚できるようになった『魔女』。
──シレンこそが、分岐点。
歴史の『ブレ』が最も顕著に出るのが、シレン。
であれば。
もちろん、平時ではそこまで『ブレ』が活発化することはないだろう。
もしもそんな特質があるのであれば、これまでの中でそれらが顔を出さなかった理由が説明できない。
しかし、
それは、奇しくもかつてとある魔術師が身を以て体現していた境地。
〇と一のみでは説明できない領域に身を浸した者に現れる、とある特性。
その中で真っ先に顔を出した『魔女』は──。
『…………ええ、そうよ。わたしは、正解を見つけられないままタイムリミットを迎えてしまった
ひっそりと、涙を零すように笑った。
『この事件を回避する未来自体はいくらでもあったわ。でも、この事件が起きたなら、アナタ達は一〇〇%の確率で
絶対のバッドエンド。
今はまだ『可能性のうちの一つ』でしかないが、彼女の存在を知覚することができるということは、それだけバッドエンドに近づいているということ。
ゆえに、彼女を知覚することはそれだけ状況が悪くなっているということになる。
それを理解して、シレンは──
ゴッ!! と。
右拳で、鏡を殴りつけた。
ヒビ割れた世界の中で、金髪翠眼の『魔女』がきょとんとする。
きらきらと光を弾く鏡面の上を、真っ赤な液体が静かに伝っていった。
「レイシアちゃんならこんなとき、アナタに対して叱咤するんでしょうね」
此処にはいない少女に思いを馳せ、静かに笑みを滲ませながら。
「だから代わりに、わたくしが言って差し上げます。『それで、アナタは何をそんな辛気臭い顔をしているのです? アナタも腐ってもわたくしの成れの果てなら、必死になってわたくし達がハッピーエンドを掴み取る為に協力しなさいな』、と!!」
一瞬の静寂があった。
それから、『魔女』はこらえきれないとばかりに笑みを浮かべる。
『あはっ……あははははは! まさかそんな、たった今現れたようなポッと出の正体不明な不審者にそんな台詞をぶつける? いやいや、確かにレイシアちゃんは言いかねないわね。……いやいやいやいや、実際のところ、わたしも諦めてもらうつもりなんて毛頭なかったんだけど』
鏡の中の『魔女』もまた、そんなシレンの拳に己の右拳をぶつけた。
そして、こう続ける。
『──それじゃ、「魔女」としては一つ、不屈のシンデレラに魔法を授けてあげたいところよね?』