【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
ドッペルゲンガーに後詰を託したレイシアは、急いでアレイスター達を追っていた。
一刻を争う状況だったが、しかしレイシアの表情には笑みが浮かんでいる。
(……そりゃあ、そうですわよね。シレンだってこの状況で、自分から動いていて当然ですわよね!)
大切な相棒と離れ離れになってしまったというこの状況。
通常であれば精神的に大ダメージを負ってもおかしくないところで、シレンは間髪入れずに手を打った。それも、『かつての仲間達を頼る』というこの上なく彼女らしい方法で。
そのことがレイシアにとっては頼もしく、そして嬉しかった。なればこそ、自分もシレンの為にできる最善を尽くそうと思えた。
だから──
「お待ちなさ、」
アレイスターがいるであろう、常盤台中学の校内に入ったタイミングで声を上げたレイシアだったが──その口上は、途中で遮られることとなる。
何故?
「チッ……!」
──そこには、片膝を突いたアレイスターがいた。
相対しているのは、常盤台中学の学生服を身に纏った
彼女は絶対零度の眼差しで以て、傷一つない状態でアレイスターを見下ろしていた。
「レイシアちゃんをわたくしから引き剥がして、
よく見なくても分かる。
──シレンは、激怒していた。その理由はおそらく、レイシアと引き離されたことに起因しているだろうが。
「……待て、シレン。何か……君は誤解している。私は別に君に危害を加えようとして術式を発動していたわけではない」
「だから、敵の敵は味方になるとでも? 現にアナタはこうして失敗しています。その時点で信じられる道理などありませんわよ。……どうせアナタは、この事態を解決する為にわたくしやわたくしの大切なモノを使い潰すつもりなのでしょう?
取りつく島もなかった。
アレイスター=クロウリーの行動は全て害悪を成す。その前提で以て、シレンは既に対話の未来を断ち切っている。
実際のところシレンのその考えは寸分違わず正しいし、実際にうっかりシレンがアレイスターに心を開こうものなら、即座にアレイスターは彼女のことを利用しようとするだろう。その意味で、最初から対話の道を断つのは極めて合理的な『対アレイスター』の対応だと言える。
……しかし一方で、『そのやり方』はシレンらしくない、とレイシアは感じていた。たとえ最善策が断絶であったとしても、シレンはそれを承知の上で対話の道を模索する。そういう精神性を持った
それが、たとえ相手が諸悪の根源であるとはいえ、ここまで冷徹な判断を下せるものだろうか。
「……、……返す言葉もない、な!」
言葉とともに、アレイスターは右手に持つ『衝撃の杖』を振るう。
虚空に数字のイメージを伴う火花が散り──、
「
ぱちん、と。
シレンが指を弾いた瞬間、火花の中の数字がブレてぼやけて消える。
直後。
「ごぼッッ!?!?」
アレイスターが、口から血を吐いた。
「あら。どうやらまた
たった一度、指を弾くだけで。
シレンは間違いなく、この街の王を手玉にとっていた。今まで誰もが不可能だったほど短時間で、根本的に世界最悪の魔術師アレイスター=クロウリーを圧倒していた。
信じられない程、冷徹に。
「し、シレン……」
だからレイシアは、思わず弱弱しく声を上げてしまった。
先ほどのように自信に満ち溢れた声色じゃなかったのは、レイシア自身怖かったからだ。
今のシレンは、明らかにキレている。アレイスターの手によってレイシアと切り離されたことで、今学園都市に起きている大事件そのものよりも、その原因を作ったアレイスターに矛先を向けるほどに。普段のような優しさで対話を選ばなくなってしまうほどに。
そんなシレンが、今の自分を見てどう思うだろうか。己の半身だと認識してくれるだろうか。ひょっとして、アレイスターが生み出した罠だと思われないだろうか。……いや。
レイシアを、その姿を認識したシレンの反応は、
「!!」
酷く動揺したように、顔を強張らせていた。
それこそ、ほんの一瞬で彼女の意識がアレイスターから完全に外れるくらいに。
そして。
その一瞬は、アレイスターにとって値千金でもあった。
「陣は出来た。
その直後。
レイシア=ブラックガードは、学舎の園から
アレイスターの言葉と同時、レイシアの視界はまるで水に溶かした絵具のように形を失い、歪んで溶けていく。
形容しがたい浮遊感に思わず目を瞑ったレイシアが、目を開けると──そこは、学舎の園とは似ても似つかない現代的な街並みだった。
「……、こ、此処は!?」
「おそらく、第七学区といったところか。撤退だよ。完膚なきまでの敗走だな。いや、保険を残しておいてよかった」
そう言って、レイシアの隣にうずくまっていたアレイスターは口端についた血を拭って立ち上がる。
「……保険、でして?」
レイシアの問いかけに、アレイスターは頷く。
召喚術の応用──というよりは、悪用であった。
『学舎の園』を一種の儀式場と見做し、そこに不正な方法で侵入したアレイスター一行を『不正な被召物』と定義し、追儺の術式──不都合な被召物を退散させる術式で以て、アレイスター一行を『学舎の園』の外へと『退去』させた訳である。
しかし、アレイスターはそんなことをレイシアに説明せず、
「それより……参ったな。私はこの通り手傷を負わされたし、
言われて、レイシアは気付く。
そういえばあの場では、アレイスターと同様に先行していた垣根の存在感がなかった。どこにいたのか──と思っていると、
いた。
アレイスターの足元で、俯せになって横たわっている。
「シレンの攻撃を受けて、迎撃を
「な……、」
なんでそんなことに、とレイシアは言いたかったのだが、あまりにもあんまりな状況に言葉を失ってしまった。
「そ、そもそもアレは一体どういうことなんですの!? シレンが指パッチンしたら、アナタの魔術が急に失敗して! あんなもの
「そんなもの、私が知りたいくらいだ。あんなものは
「…………、」
またもや予想外ですの、とレイシアは心底うんざりした気分になる。この黒幕、敵に回すと本当に厄介なくせに、味方になった途端本当に頼りにならない。いや、厳密にいうと味方でもないのだが。
「ですが……ざまあないですわね。その様子ではやはりシレンに対して何か悪さをしたのでしょう? 殺されなかっただけでもシレンに感謝するべき、」
「いや……そうではない」
気を取り直して言うレイシアに、アレイスターは短く言い切った。
その表情には、常の余裕さはない。むしろ、焦りがあった。今まで何だかんだと言って全ての状況を受け入れていたこの『人間』にしては本当に珍しく──『どうしようもないモノ』に直面したような焦りを。
「シレンは、私の話を一切聞かなかった。いや……実際に君が肉体を離れた原因は私の術式にあるわけだが、そうした最低限の因果関係を確認するよりも前に、
「…………、」
それは、レイシアにとってはにわかに信じがたいことだ。
たとえ相手がどんな極悪人だろうと、シレンならばまずは話を聞こうとするだろう。それがどんなに愚かしい真似であってもだ。そのシレンが、アレイスターに対してここまで一方的に敵対するだろうか。……筋の通る推論を立てるとするならば、シレンにとってはレイシアという存在が途轍もなく重要で、それを欠いた状態だから精神的に不安定になっていて、常よりも攻撃的になっている、とかが考えられるが……。
それに、あの能力。
レイシアがいなくなったことで、
しかし──代わりに発生した、あの異能は。
(シレンは、『右手の能力』とか言っていましたっけ。……何か、どこかで聞いたことがあるような気がしないでもないですけど……。……ともかく、雰囲気からして当麻の
当然、今までシレンは指パッチンしたら魔術師が血を吐くようなトンデモ異能は使ったことがないし、持っていた素振りも見せたことはない。
普通に考えれば、レイシアがアレイスターに召喚されてから今までの間に習得していたと考えられるが……。
「…………」
本当に、そんなことがあり得るのか?
今まで見たことのない苛烈な一面。
今まで見たことのない強力な異能。
それらが、レイシアに
即ち──彼女は本当に、レイシアの知るシレンなのか? と。
(……いえ! わたくしは何を迷っていますの!? わたくしを見て一瞬手を止めたあの時の表情、アレは間違いなくシレンだったではありませんの!)
シレンがキレているのは間違いなかっただろう。
だが、それは突然今までにない状況に陥ったせいで気が動転していた部分もあるに違いない。レイシアだって、突然シレンが消えたところにアレイスターが現れれば、よほどアレイスターがマシな言動をとらない限りは敵と断定して攻撃を仕掛けていたと思う。
それにシレンは、一人で突っ走っているわけではない。ドッペルゲンガーをはじめ、彼女の今まで築いてきた縁を頼って行動しているのだ。誰かを頼るという選択肢を残している時点で、彼女が完全に今までの温かい精神を失っているとは思えない。
(……ええ、そうですわ。わたくしが考えるべきことなど、最初から決まっているではありませんの)
心が定まれば、色々なものが見えてくる。
冷静さを取り戻しながら、レイシアは考える。
(……そう。わたくしが不安な気持ちになっているのと同様に、シレンだって心細い思いをしているはずではありませんか。きっと今だって、わたくしに本物かどうか疑われるんじゃないかとか、そんなしょーもないことを考えて怯えていることでしょう。だったら!! わたくしが考えるべきことは臆病風に吹かれたような情けない心配ではなく! 一刻も早くあの子のもとへ参じて、安心させてやることでしょうが!!)
「──やれやれ。これはもしかしたら、
──そんなレイシアの決意は、アレイスターのたった一言で急停止することになる。
「……は?」
「これは私の不利益となる情報だから、なるべく隠しておきたかったが──木原数多は、生命体としては死亡している。私の手の者が、ヤツを殺した」
「ば……ヤツは
あの食蜂達を救った一件で、レイシア達は作戦中に相似から『木原数多を裏切って襲撃し、これを生け捕りにした』という報告を受けていた。
尤もそれを伝えようとした瞬間に上条の容態が急変してしまったのでそれどころではなくなり、その後も奇跡とかでやっぱりそれどころではなくなってしまったのでそのまま流されていたが……。
「ふむ? まさかそう伝わっているとはな。……おそらくそれは、彼なりの『優しい嘘』だろう」
アレイスターは悪びれずに言い、
「しかしどうやら……あの男、完全に死なずに
「…………、」
アレイスターの言葉は。
レイシアに、最悪の予測を立てさせるには十分だった。
そして『継承』を司るかの木原らしくもある。
「まさしく
「そ……、んな……こ、根拠は!? 何もかもアナタの推測でしょう、そんなこと!!」
「
反駁したレイシアだったが、アレイスターの一言によって言葉を失わざるを得なかった。
確かに、おかしくはあった。
唐突に現れた、右手の能力? たとえそれを生み出すに足る材料があったとしても、シレンがこの短時間であんなものを自力で生み出せるとは到底思えない。何かの外部入力があって、初めて成立するような状況なのだ、あれは。
では、その入力元は何なのか? と考えたときに、これほどお誂え向きの回答はないだろう。
『木原』。
その、人外のインスピレーション。
それがあれば、シレンに何かしらの素質を見出して特異な能力を生み出したとしても、何らおかしくない。
先ほどのシレンの言動から言って、完全に肉体を乗っ取られているわけではないだろう。おそらく、彼女自身は憑依されていることにすら気付いていないのかもしれない。
だが、そのインスピレーションにはある程度『木原』の影響が与えられている可能性がある。だからこそ、先ほどのシレンは彼女には珍しくアレイスターとの対話を一切拒絶するような排他性が──攻撃性があらわれていた。
そして、『木原』のインスピレーションを持つがゆえに、ある種の冷徹さから『手駒』を用意しているのだとしたら、レイシアが安心材料として見ていた彼女の行動すらも、不安材料に早変わりする。
そして、もし。
シレンが『木原』のインスピレーションに囚われている状態なのだとしたら。
レイシアが彼女の許に無策で現れるのは……危険かもしれない。
もちろん、これは推測だ。
仮定に仮定を重ねた、単なる深読みに過ぎない。
だが、実際にその可能性がある以上。そして、実際にその推測が当たっていた場合、取り返しのつかないことになりうる以上。
「……逸る気持ちは分かる。だが、今のシレンは危険だ」
──そう、認めざるを得ない。
「……、……あ、アナタが、正しいことを言っているとは……限りませんわ。そうです、調子の良いことを言って、わたくしを騙そうとしているのかも」
「
絞り出すように言うレイシアに、アレイスターは一喝するように声を張る。
びくりと肩を震わせるレイシアのその態度こそ、彼女の内心を如実に表していた。
「君が冷静な判断のもとにそう言っているならば、良い。私は所詮君達にとって本質的に敵対者だし、実際に君の立場を悪くしている自覚はある。その判断に異を唱えることはしない。だが……
「…………、」
「もし君が願望に縋る為にあえて疑念から目を逸らしているのならば、私は統括理事長として──この街の教育者を束ねる者として、生徒である君を止めなくてはならない」
真っ直ぐに。
アレイスター=クロウリーは、レイシアの瞳を見据えてそう言い切った。
自然と、レイシアの視線が伏せられる。それが、彼女の答えを示していた。
「…………どうしますの」
「心配するな。もしも憑依しているのだとしたら、君にやったようなやり方で憑依を解除することは可能だ。ただ……あの右手の能力が厄介だな」
俯いたまま言うレイシアに、アレイスターは顎に手を添えながら答える。
「あの右手の能力。
アレイスターは考え込むようにして、
「一番手っ取り早いのはあの右手を切断することだが……」
「……、」
「ただ思考の途上を口にしただけだ。当然、その方針をとるつもりはない」
一瞬にして表情がものすごく険しくなったレイシアに、両手を挙げて降参の意を示す。当然ながら、憑依されて思考が異常になっているとはいえ、シレンはレイシアにとってこの世で最も大切な存在だ。いたずらに傷つけることは許されない。
「あの指パッチンは? 当麻で言う『触れる』に該当する、能力の発動条件とみるべきではなくて?」
「……フム、なるほどな。右手を媒介に発動する能力、即ち発動条件も右手に起因する、と……。……ありそうなのは、右手が出した音が届く範囲に効果を及ぼす、といったものか。だとするならば……」
ちらり、とアレイスターは天を見上げる。
音を媒介にして、あらゆる意思を無力化する能力。
そんなバケモノじみた能力に対して、アレイスターは希望を見出していた。
「策は、ある。これはもしかすると、