【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)   作:家葉 テイク

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一二二話:これからの話を

「…………あれ? 此処は…………?」

 

 

 ──とある研究施設にて。

 一人の少女が、そんなぼんやりとした呟きと共に、意識を取り戻した。

 

 あたりには、研究施設らしからぬ調度品が転がっている。ソファに本棚に観葉植物にガラス製のローテーブル……放課後の学生であればここで数時間は潰せそうな場所だった。

 そんな『放課後のたまり場』と化した研究施設に、数人の男女がいた。

 

 

「よお」

 

 

 目を覚ました少女に対して真っ先に口を開いたのは、そのうちの一人。

 インナーセーターの上に学生服を纏った、ホストかヤクザ予備生のような雰囲気の少年だった。

 垣根帝督。

 この街の第二位に坐す少年は、なんでもなさそうに目覚めた少女──杠林檎に声をかける。

 

 

「随分な寝坊だったじゃねえか。良い夢見れたか?」

 

「なんで……。……どうして……? 私……」

 

「この街の闇に潜むクソどものせいで、死ぬはずだったって?」

 

 

 茫然とする林檎のことを、垣根は鼻で笑う。

 そんな疑問を持つこと自体が、馬鹿げているとでも言いたげに。

 

 

「馬鹿が。そんなクソったれな陰謀、この俺の未元物質(ダークマター)に通用するわけがねえだろ」

 

「……俺もかなり頑張ったんスけどね」

 

「まぁいいじゃない。とりあえず無事に林檎は救えたんだし。……それよりも」

 

 

 ぼやくヘッドギアの少年──誉望に、ドレスの少女──獄彩はあっさりと言い、視線をその場で巡らせる。

 そこにいたのは、彼らだけだった。

 この集まりの中に、数日前までいたツーサイドアップの少女はいない。

 

 

「どうするの? 彼女、ほんとにもう駄目かもしれないわよ」

 

「別にいいだろ」

 

 

 此処にはいないツーサイドアップの少女──弓箭猟虎は、先日『表』にいた旧知の相手と接触した。

 その後、レイシア=ブラックガード率いる『メンバー』に回収され、今は療養施設にいるのだが──『表』の旧知と触れ合い別組織に確保されてしまった以上、もう『スクール』としての復帰は見込めないだろう。

 そう考え、構成員としてどう始末をつけるのか──そう問いかけた獄彩に、垣根は本当に適当に答えた。

 

 

「……っつか、第五位の野郎との『契約』の部分もあるしな。どのみちそっちには手出しするつもりもねえよ。……ま、しばらくはコイツが穴埋めってことでいいだろ」

 

 

 ぽすっ、と垣根は杠の頭を撫でながら言う。

 どんな話の筋なのかも分からずにきょとんと彼を見上げる杠を一瞥して、獄彩は怪訝そうに眉をひそめた。

 

 

「ちょっと。それ、本気で言っているの? この街の『闇』にこの子を巻き込むって? それに、忘れていないわよね。私達はそれぞれ、目的があってこの組織に合流しているってこと」

 

「馬鹿にすんじゃねえよ。もちろん忘れてねえ。『ピンセット』の入手。『直接交渉権』の獲得。どちらも『スクール』の目的だ。ただなあ──」

 

 

 垣根はそこまで言って、面倒くさそうに頭を掻く。

 

 彼には、杠の救出と引き換えに第五位と交わした、とある『密約』があった。

 

 

 


 

 

 

「猟虎ちゃん……!!」

 

 

 病室にて。

 少女が、もう一人の少女に抱き締められていた。

 

 抱き締められている少女の名は、弓箭猟虎。

 かつて『スクール』という組織にて、スナイパーとして活躍していた少女だった。

 そして、そんな彼女達から少し離れたところで様子を見守っているのが、帆風潤子や悠里千夜。

 ただし、感極まる様に抱き締めている少女──弓箭入鹿と違い、他の少女たちの表情はあまり明るくなかった。

 

 

「……ありがとう、ございました」

 

 

 猟虎はそう言って、静かに目を伏せる。

 ──弓箭猟虎は、学園都市の『暗部』に属していた少女だ。当然、彼女は後ろ暗い行為を幾つもしてきたし、相応の罪だって犯してきた。それらは私欲で行われたわけではなく、多くは学園都市の『上層部』による指令だったが──だからといって彼女の罪がなくなるわけではない。

 それに、学園都市の『闇』に身を浸して来た人間が、あっさりとそこから脱することができるわけでもない。

 

 だから猟虎は、静かに感謝した。

 そこまでで、もう満足だとでも言いたげに。

 

 

「でも、これ以上はきっと、アナタ達のことを巻き込んでしまう。わたくしの問題に。……垣根さんがどう動くかは分かりませんけど、わたくしはこの街の『闇』に関わりすぎている。今更、統括理事会はわたくしの離脱を許さないでしょう。だから──」

 

 

 皆の気持ちを受け入れた上で。

 その上で、弓箭猟虎はなお別離を選択する。嫌いだからではない。離れたいからではない。そんな自分の都合よりも、もっと優先すべきことがあるから。

 

 

「──それなんだけどねぇ」

 

 

 がらら、と。

 そこで、乱入者があった。

 

 星のように勝ち気な光を瞳に宿した、蜂蜜色の少女。

 第五位、心理掌握(メンタルアウト)、食蜂操祈。

 

 その少女には、異様な活力が溢れていた。

 まるで今までの彼女が、致命的な異常を抱えていたのではないかと思うくらいに。

 

 

「そもそも、そもそもよぉ」

 

 

 食蜂操祈は、とある少年を彷彿とさせるような力強さで、話し始める。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 根本の前提について、切り込む。

 誰もが考えもしなかった観点だった。この街の闇は、ハッピーエンドを許さない。狙われれば日常は崩壊してしまう。だから、希望は制限しないといけない。この街の『闇』に目を付けられない範囲の平和で我慢しないといけない。

 それが、分相応というものだから。

 そんな諦めに、食蜂操祈は真っ向から疑問を抱く。

 

 『そもそも、そんな風に諦めなくちゃいけない理由なんてあるのか?』と。

 

 

「この間、第二位と話す機会があったのよねぇ。向こうは私にお~っきな借りもあることだしぃ。で、その時こう思ったのよねぇ」

 

 

 きっと、誰もが思っていて、だけど実際に口に出すことなんてできなかったことを。

 

 

 

「『闇』だの『暗部』だの、いい加減鬱陶しくないかしらぁ? って」

 

 

 

 思いつきでも話すように、あっさりと言ってのけた。

 

 

「私もね。ずっと諦めていたことがあるんだゾ。奇跡が起きないと叶いっこないって、そんな風に自分の希望力の上限値を設定していた。でも、現実って意外と素敵にできていてねぇ。望んでいたことは、思っていたよりもずっとあっさりと叶った。それで気付いたわぁ」

 

 

 その一言一言を聞くにつれ、その場の少女たちにも、意志が伝播しはじめた。

 希望の上限値が、上塗りされていく。

 それまでは望みすらもしていなかった領域が、視野に入っていく。

 

 

「始まる前から諦める必要なんてない。そして諦めなければ、案外奇跡は簡単に起こせる」

 

 

 食蜂はそう言って、猟虎の手を取る。

 それは救いを求める弱者の手を取るヒーローのようでいて、己の臣下に手を重ねる女王のようでもあった。

 

 

「だから、猟虎さん。入鹿さん。悠里さん。潤子さん。……かつて才人工房(クローンドリー)の地獄を生き残った私の仲間達。私のワガママ、聞いてもらえるかしらぁ?」

 

 

 まるで世界全てを敵に回すような不敵さで。

 女王は、高らかに宣言した。

 

 

「クソったれな大人達の設定したこの鳥籠。学園都市の『暗部』。──こんなもの、跡形もなくぶち壊しちゃいましょう?」

 

 

 ──実験動物たちの、逆襲の狼煙を。

 

 

 


 

 

 

 慌ただしかった。

 ……いやいやいや、正直半分は自業自得みたいなところはあるんだけどね。食蜂さんの心のエンジンを点火したのは、俺達みたいなところはあるわけだし。

 でもまぁ、諦めなくてもいいんだってことを知ってしまった食蜂さんの動きは、劇的だった。

 学園都市の『暗部』の解体。それを提示した食蜂さんは、まず杠さんを救う情報を与えた恩義とかを利用して、垣根さんの協力を取り付けてしまった。学園都市のナンバー2と、人の心を操る能力者がタッグを組んでしまったわけだ。

 

 そうなってくると、事の騒ぎは俺達にも広まっていくわけで。

 当然俺達やGMDWも協力するし、美琴さんも同様に参戦することになる。

 そうなってくると美琴さん経由で白井さんも話に食い込んでくるわけで──ここに至り、猟虎さんの証言が風紀委員(ジャッジメント)という公的機関に流れ込むという事態が発生する。

 

 ここまで言えば、まぁ分かるだろう。

 

 猟虎さん経由で、上層部の不正が公的に明らかになる手筈が整ってしまったわけだ。

 それも、『スクール』という統括理事会にも近しい組織の構成員の証言が。

 

 ぶっちゃけ、そんなことして大丈夫なの? と思ったりしなくもなかったわけだが、なんと食蜂さんのバックには常盤台の理事長──統括理事の一人がついているらしく。

 なんというか、結局この一連の流れも、統括理事会の中でも比較的クリーンな人と暗部どっぷりな人同士の権力闘争、みたいな感じになるみたいだった。

 

 で、そうなってくると当然、同じ常盤台所属の俺達も忙しくなってくるわけで。

 

 その前に、やらねばいけないことがあるのだが……。

 やっぱり慌ただしいせいで、なかなか今に至るまで動けないのだった。

 

 

「あのう、すみません」

 

 

 GMDWのたまり場でもある研究施設の一室。

 俺達は、そこに足を運んでいた。

 

 放課後の研究室には、既に夢月さんや燐火さんをはじめとしたいつもの面々が詰めていた。

 なんだかんだで例の天賦夢路(ドリームランカー)の一見で情報組織としての経験値を積んだGMDWの面々は、既にちょっとしたプロフェッショナル集団の一面も獲得していた。

 まぁ、大覇星祭の後から半月以上も本物のプロと一緒に行動してきたんだから、当然かもしれないけどね。

 

 ともあれ、『メンバー』と行動を共にすることで、急な超能力(レベル5)認定によって脆弱だった『レイシア=ブラックガード』の地盤を補強するという当初の作戦については、概ね成功したと言ってもいい。

 

 『メンバー』からしたら、任務は達成した。

 その上、これから統括理事会と相対することになる俺達からは離反した方が、きっと『メンバー』としては真っ当な選択肢になるのだろう。

 でも。

 

 

「……なんだ。こっちはお前らの無茶振りのせいで今もてんやわんやなんだ。要件は簡潔に済ませてくれよ」

 

 

 ──今も、『メンバー』の面々は俺達と共に行動してくれていた。

 

 

「……ふふ」

 

「なんだ? その嬉しそうな笑みは。やめろよ、勝手に平和ボケした解釈で僕達の善意を読み取らないでくれ」

 

 

 馬場さんは心外そうに溜息を吐き、

 

 

「学園都市の『暗部』といっても、別に一枚岩って訳じゃない。むしろ、個々の持つ戦力は強大であっても一つ一つのピースは敵対していることの方が大きい。そんな中で、人心を掌握できる第五位と『闇』の中でも特に強力な『スクール』が反旗を翻して、統括理事をバックにつけた常盤台まで動くんだろう? それならもう、戦況は五分五分どころかこちらの方が優勢だ。僕らとしては、順当に勝ち馬に乗っただけなんだからね。博士も一緒にいるのがその良い証明だ」

 

「私としては、色々と満足したというのもあるがね」

 

 

 研究室の一角で。

 優雅に紅茶を飲んでいた博士は、照れ隠しめいた馬場さんの早口にゆったりと言葉を乗せる。

 

 

乱雑解放(ポルターガイスト)幽体離脱(アストラルフライト)理想の力(アイデアル)。君達と行動していれば、どうやら新鮮な世界の法則の裏側に触れられるらしい。私としては、数式を好きなだけ愛でられる環境にいられれば勢力はどうでもよいのでね。それが善に触れるなら、それも良いだろう」

 

 

 ……まぁ要するに、別に利害計算があるわけじゃなくて、普通にこっちにいた方が面白いものが見れそうだという話なのだった。

 馬場さんとしては、それまでの『こっちの方が優勢なのは博士がいることからも分かる』みたいな言い訳がいきなり梯子を外された形になるわけだけど……。

 

 

「…………ま、まぁ雇用主としては悪くないとは思っている。働き甲斐、なんてものを標榜するつもりもないが!」

 

「──ブラックガード嬢。長居するようなら茶を淹れるが」

 

 

 バツが悪そうにそっぽを向いた馬場さんの横で、もうすっかりメイド服姿が板についた徒花さん──ショチトルさんが心底どうでもよさそうに言う。

 ショチトルさんも、もともとは海原さんを粛清する為にやってきたわけなので、こうして俺達と一緒にいること自体が寄り道ではあるわけなんだけど……こうして、今でも行動を共にしてくれている。

 

 

「いえ、ちょっと伺いたいことがあるので立ち寄ったまでですわ。お構いなく」

 

「伺いたいことっ、ですかっ?」

 

 

 ショチトルさんに答えると、興味津々といった様子で燐火さんが問いかけてきた。

 俺は、少し言いづらさを感じながらも頷く。

 

 

「ええ。……その、当麻さんの居場所について伺いたく」

 

「……上条様、ですかっ……?」

 

 

 俺達の現在のムーブメントに、当麻さんは関わっていない。

 ぶっちゃけ当麻さんの強みって拳の激突とかそういう段階になってから効いてくるものだから、今の色々と調整している段階では話してもしょうがないというか、まぁ言ってなくてもどうせ必要な段階になったら勝手に嗅ぎつけてくるんだろうなという信頼感があるというか……。

 

 なのでまぁ、別にそういう方面の理由があって当麻さんに用事があるわけじゃないんだけど、さっきも言ったように、俺達は最近どんどん慌ただしくなってきてるんだよね。

 そしてこれからも、きっといろいろと忙しくなってくる。だから、このくらいのタイミングでちょっと会っておかないと、きちんと話ができる機会がいつになるのか分からないみたいな感じなんだよね。

 下手をすると、ハロウィンくらいまで会う機会がなくなってしまうかもしれないし。

 

 端的に言うと、私用のためにウチの情報網を使いたい、というわけだ。

 

 

「イ~ロ~ボ~ケ~~…………」

 

「ひぃっ!?」

 

 

 と。

 真後ろから、怨念めいた声を聞いて俺は思わず飛び退いてしまう。

 そこにいたのは、非情に不機嫌そうな表情をした夢月さんだった。

 

 

「いやいやその、個人的な話ではあるのですが、けっこう重要というか、区切りとしては必要不可欠と言いますか……」

 

「まぁまぁっ。……でもっ、シレンさんなら個人的に上条様に連絡をとれるのではありませんかっ? どうしてまたっ……」

 

「それが、当麻さん、電話に出なくて……」

 

 

 何度かかけてみたのだが、一向に繋がらないのだった。

 単なる不幸で携帯がぶっ壊れてるとか圏外になってるとかなら良いんだけど、まぁ彼のことだし、何かしらの事件に巻き込まれてる可能性もあるので……。せっかくだから居場所を調べてこっちから向かおうかな~と思った次第なのである。

 

 

「ケッ、放っておけばいいじゃありませんか。どうせそのうち病院か家に戻りやがりますよ」

 

「病院に戻られたら困るんですのよ。せっかくこの間退院したばかりなんですから」

 

 

 単位的にもね。上条さん、多分そろそろ進級が危ぶまれてくる頃だと思うから。

 

 

「…………はぁ、仕方ないですね。……千度さん、どうです?」

 

「はははい。もうすぐ……出ますね」 

 

 

 千度さんがいじっているモニタに、ほどなくして映像が表示される。

 同時に現れたマップによると──そこは、第七学区にほど近い路地裏のようだった。ついでに言うと、何やら女の子を背中に庇って、変な能力者相手に拳を握っている。

 

 

「なんというか。あの野郎、いっぺん自分が囲った女性にボコボコに殴られるべきでは?」

 

「……べ、別にわたくしは囲われているわけではありませんけど……」

 

 

 あくまでもね、自分の意思で動いているわけだからね。

 別に、当麻さんの獲得したトロフィーになったつもりもない。俺は俺で、自分がやりたいから上条さんのやろうとしてきたことを手助けしてた訳だから。

 

 

「では、行ってきますわ」

 

 

 そう言って、俺は研究室の窓枠に足をかける。

 ちょっとお行儀が悪いけれど──まぁ、ゆったり歩いていたら、なんかもう終わっちゃいそうな勢いだったしね。

 

 

 それじゃ。

 

 

《レイシアちゃん、行こうか》

 

《ええ。さっさと片付けましょう。これからの話をする為に》

 

 

 


 

 

 

終章 世界全てを敵に回すような Are_You_Ready?

 

 

一二二話:これからの話を Broken_Engagement.

 

 

 


 

 

 

 ──そんなわけで。

 

 音速を越えて現場に急行した俺達は、サクッと女の子を保護して警備員(アンチスキル)のところまで送り届け、ほどほどに敵の能力者を殴り倒した上条さんに大した怪我がないのを確認すると、とりあえず能力者さんの方も警備員(アンチスキル)に送り届けたのだった。

 

 

「あー、びっくりした」

 

 

 と。

 あらかたの報告作業を終えた俺達に、当麻さんはのんきな調子でそう言った。

 

 

「何がです?」

 

「いや、急に飛んでくるもんだからさ。よくここが分かったよな」

 

「ああ。……いやいや、乙女の情報網というヤツですわ」

 

 

 感心するような物言いの当麻さんに、俺は適当に言う。

 まぁ、俺達の情報網、まぁまぁ広大だからね……。流石に個人をぱぱっと特定するようなのは難しいけど、なんか派手にバトルしていればそれなりに分かる。いやあ、博士のロボット情報網ってけっこう便利だよ。

 

 

「…………思えば、こうして一緒に事件に取り組むのも、もう数えきれないほどですわねぇ」

 

 

 まぁ、成り行きというよりは俺が当麻さんに絡んでいったから結果的に、という感じではあるけど。

 今回もそうだし……最初のインデックスの件にしたって、そういう流れだった。

 

 

「…………、ああ」

 

 

 当麻さんは少しだけ言い淀んでから、俺の言葉に頷いた。

 まぁ、当麻さんの気持ちは大体分かる。確かに一緒に事件に取り組んだ回数は数えきれないほどあるけど、一方で当麻さんには今年の夏以前の記憶がない。夏以前からの付き合いである俺達との『最初の記憶』はないから……そこが引け目なのだろう。

 そんな彼を見ながら、俺はすっと話し始めた。

 

 

「──覚えていないのは、引け目ですか?」

 

「っ!!!!」

 

 

 当麻さんの呼吸が死んだのが、分かった。

 

 

「……すみません。実は、最初から分かっていたんです。あの夜、当麻さんが記憶を失ったこと。気付いていて、わたくしは臆病で……なかなか切り出すことができませんでした」

 

 

 これ以上はレイシアちゃんを救うことを第一義としていた当時の俺の領分を出てしまうから。

 上条当麻の記憶という領域に踏み込むことで、歴史がどのように変質するか分からないから。

 あの頃の俺は、そんな言い訳でそれ以上踏み出すことができなかった。

 

 

「当麻さんが望むのであれば。記憶を取り戻すお手伝いを、しようかと考えているのです。方法は、具体的には思いつきませんけれど。でも、やる前から諦めることもないんじゃないかって」

 

 

 そう言って、俺は当麻さんの表情を伺ってみた。

 

 ──この間の一件。

 食蜂さんが掴み取った『奇跡』を間近で見て──俺も、思ったのだ。別に、『上条当麻の記憶』をそこまで聖域視する必要もないんじゃないか、って。

 確かに、当麻さんの記憶は『正史』においては重要な要素になるんだろう。それが変わってしまえば、歴史は多分今までに輪をかけてめちゃくちゃになってしまう。それが良いものになるという保証だってない。

 でも別に、だからといって『もう取り戻せない』と諦めるようなものでもない、と思う。

 

 

「…………レイシア、は」

 

 

 当麻さんは。

 少し怯えるようにしながら、口を開いた。

 

 

「レイシアは、どっちが良い? 記憶を取り戻した俺か、記憶を失ったままの俺か」

 

 

 ──それは即ち、当麻さんの恐怖の根源だったかもしれない。

 記憶のあるなし。思い出のあるなし。それは重要なことだ。思い出がなければ、たとえどれだけ過去に行動を共にしようが、主観としては赤の他人になってしまう。当麻さんは、そのことを多分誰より理解しているから。

 

 その心情に寄り添った上で。

 

 

「う~~ん、正直、どうでもいいですわ」

 

 

 俺達は、あっさりと答えた。

 ……あ、図らずもなんかインデックスと似たような答えになっちゃったような。

 

 

「…………え?」

 

 

 ぽかん、と。

 当麻さんは拍子抜けしたみたいな表情で、唖然としてしまう。

 でも、これが俺達の偽らざる本心だった。

 

 

「確かに、記憶を失う前の当麻さんとわたくしは、お友だちでした。それなりに思い出だって重ねてきたと思います。でも、だからこそわたくしは断言できます。──記憶を失う前も、記憶を失った後も、どちらも変わらず『上条当麻』だと」

 

 

 たとえば、俺が勝手に消えて、レイシアちゃんがそれに対して当麻さんに助けを求めた時。

 記憶を失う前と後で、当麻さんの行動に何か違いがあっただろうか。

 これまでの道筋で、もしも当麻さんに記憶が残ったままだったとして──それで当麻さんが誰かを救うという決断を変えたりしただろうか。

 

 そんなもの、答えは最初から分かっている。

 

 ありえない。

 たとえ今この瞬間に今までの記憶が消し飛んだとしても、それでも上条当麻は誰かの為に拳を握ることができる。

 誰かの為に戦うときに、最大の力を発揮できる。

 そんな最強のヒーローであるところがブレることは、絶対にない。

 

 ……もっとも当麻さんだって普通の少年だから、時には悩んだりすることもあるだろうけど、そこはまぁ、ね。

 

 

「だからわたくしは聞いているのです。記憶がないのは、引け目ですか? アナタは失った記憶を取り戻したいですか? ……わたくし達は、どう転ぼうが何も問題ありません。ほかでもないアナタが幸せになる為に、過去の記憶は必要ですか?」

 

 

 俺達の問いに、当麻さんはしばらく黙っていた。

 自分の心に問いかけて、本当にそれでいいかと考えて。もちろん、答えを出したからといってそれで何かが変わるわけでもない。当麻さんの脳細胞は物理的に破壊されていて、記憶は普通の医学ではもとに戻らない。一〇万三〇〇〇冊の魔道書にだって、当麻さんの消えた記憶を取り戻す方法は載っていない。

 きっと、やるとしたってとても長い道のりになるはずだ。魔神やらなにやらの事件が片付いて、十何年と費やしたって辿り着けないかもしれない。

 でも、決めれば何かが動き出す。

 それだけは、はっきりと分かっていた。

 

 

「…………ごめん。シレン、レイシア。俺は……まだ、答えを出せない」

 

 

 当麻さんは、しばらくの沈黙の後にそう答えた。

 

 

「取り戻せるなら、取り戻したいって気持ちもある。俺も、記憶を取り戻したところで俺は俺だって思う部分はあるし。インデックスやお前達との馴れ初めを思い出したい。食蜂や御坂との記憶も取り戻したい。俺が今まで取りこぼしてしまった過去の人たちとのやりとりを取り戻したい。……そんな気持ちは、確かにあるよ」

 

 

 当麻さんはそこで拳を握って、

 

 

「でも、それは筋を通してからだ」

 

 

 そう、言い切った。

 

 

「俺は、今まで皆の事を騙して来た。シレンは最初から分かっていて付き合ってくれたのかもしれないけど、インデックスは違う。御坂も、食蜂もそうだ。俺は、記憶を失う前の『上条当麻』を演じて、大切な人たちを騙して来たんだ。本来は別の誰かがいるはずだった場所に、苦労せずに居座っている」

 

 

 そんなことはない、と反射的に叫びたくなるような言い分だった。

 だって、何も苦労していないわけがない。当麻さんがどれだけ苦労して今の関係を築いてきたか、俺はいっぱい知っている。……でも、当麻さんはそうは思っていないようだった。

 

 

「だから俺は、詫びなくちゃいけない。俺が今までズルをして、本来得るべきじゃない関係性を得てしまっていた全員の人たちに。……そうしてみんなに許してもらわないと、俺には記憶を取り戻したいと言う資格すらない」

 

 

 それが、当麻さんが一歩踏み出す条件らしかった。

 それらならそれでいい、と俺は思う。それが当麻さんの決めたことなら、俺達はそれに寄り添うまでだ。

 

 

「なら、最初はわたくし達がいただいても、よろしいかしら?」

 

 

 そう言って、俺達は手を差し伸べた。

 

 

「……俺は……俺は、今まで自分の記憶がないことを黙って、お前達の世界に入り込んでいた。……本当に、済まなかった」

 

「許しますわ」

 

 

 差し伸べ返された手を握りながら、俺は答える。

 ……そして、ズルをして、アナタの世界に入り込んでいたというのなら。……それはきっと、俺も同じことなんだよな。

 

 

「当麻さん、覚えていますか? わたくし達、一応名目上は婚約者なんですのよ?」

 

「…………あっ」

 

 

 当麻さんは言われてからハッとしたような表情を浮かべる。

 ああ、やっぱり忘れてたのね。まぁ、口約束だしそりゃそうなるわな。

 塗替さんとの一件があって、露払いをする為に──という名目で、レイシアちゃん主導で取り決められた口約束の婚約者。その後も、ことあるごとに口にしてきた肩書ではあるわけだけど──。

 

 

「……わたくしの方こそ、すみませんでした。こんなの、ズルをして、アナタの世界に自分の席を無理やり作り出しているのと同じですものね」

 

 

 『上条当麻の婚約者』。

 そんな肩書を使って、当麻さんの世界に席を確保する。それはまぁ、『ヒロインレース』……少女たちの戦いの世界では、戦略として許されるのかもしれないけどさ。

 でも俺は、元男で、レイシアちゃんから乙女だのなんだのって言われても、やっぱりそこは、正々堂々としたいなと思う。

 だから。

 

 

《……はぁ、せっかくわたくしがお膳立てしてあげたのに、全部無駄にしますの?》

 

 

《ごめんね、レイシアちゃん。でもさ……なんというか、こっちの方がすっきりするから》

 

 

 

 繋いだ手を離し、俺は意を決して言う。

 本当の意味で、スタートラインに立つために。

 

 

「当麻さん。わたくし達の婚約を────破棄しませんこと?」

 

 

 まぁ、なんというか。

 

 ──こういう筋の通し方の方が、悪役令嬢らしいんじゃないかな?

 

 

 


 

 

 

《……破棄しちゃったねえ》

 

 

 その後。

 当麻さんと別れ、自室に戻った俺達は、一人で──いや、二人でベッドの上に寝転んで、ぼんやりしていた。

 

 

《まったくですわ! せっかくわたくしがヒロインレースで有利になるように立ち回ってあげたというのに、シレンときたらどれもこれも無視して……。……あとで後悔して泣きを見ても、知りませんわよ!》

 

《あはは……。案外レイシアちゃんの言うとおりになっちゃうかもしれないけどさ》

 

 

 何度も聞いたレイシアちゃんの小言に、俺は思わず苦笑してしまう。

 レイシアちゃんの行動って強引なようでいて、本当の根っこの方には俺への思いやりがあるんだよね。当麻さんとのことだって、レイシアちゃんの第一理由には俺の幸せがある。それに、俺の気持ちのことだって慮ってくれているというのもあると思う。

 俺はほら……レイシアちゃん曰く鈍感だからそういうのはぶっちゃけ今でも実感が沸かないんだけどさ。

 

 

《でも、それで俺が後悔することになっても、きっとその後は前を向いて生きていけるよ》

 

 

 そう、俺は断言する。

 もしもこの先、俺が当麻さんのことを本当に愛するようになって、でも当麻さんが他の女の子を選んで、それで本気で悲しむようなことがあっても……その過程で常に胸を張れるような行動をとっていれば、俺は真っ直ぐに生きていけるはずだ。

 

 

《だって、当麻さんが隣にいない未来でだって、俺の隣には絶対にレイシアちゃんがいるんだから。でしょ?》

 

《……………………………………まぁ、そうですけど》

 

 

 少し拗ねたような、照れ隠しのぼやきに、俺は嬉しくなって笑ってしまった。

 

 ならまぁ、最終的に前を向いて生きていくだけだ、と俺は思う。

 

 だって俺達の前には、色んな未来が広がっているんだから。

 

 

「──それじゃ」

 

 

 拗ねてしまったレイシアちゃんの機嫌も直ったところで、俺達はベッドから起き上がる。

 なんだかんだ言って、まだまだやることは山積みだ。

 

 ──まだ見ぬハッピーエンドを掴み取る為に。

 

 

「これからの話を、しましょうか」

 

 

 

 

とある再起の婚約破棄(ニアデスプロミス)

 

 


 

 

二年間にわたるご愛読、ありがとうございました!

 

しばらくしたらマイページの方にあとがきを書きますので、お気に入りユーザ登録などをしていただいてお待ちいただければ~。

……しばらくしたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ──それは、蜂蜜色の少女に『奇跡』が起きる、前日のこと。

 

 

 真っ暗闇の研究所に足を踏み入れる、一人の少年の姿があった。

 

 

「──ああ? なんだ、相似か。遅かったじゃねえか」

 

 

 雑多なページが撒き散らされた室内で机に向かっていた男は、そう言いながら振り返る。

 顔面の半分を刺青で覆ったその男は、木原数多と呼ばれていた。

 

 研究所では彼が確保していた『原典』の知識が失われ、手駒としていたスキルアウトも制御を離れていたが──だが、彼自身は特にダメージも何もなかった。

 これからも、臨神契約(ニアデスプロミス)を狙う動き自体は何も変わらない。お誂え向きに、個人的な友誼を結ぶに至った少年もこちらにいるわけだし──

 

 

 

『悪いね、邪魔しているよ』

 

 

 

 そこで。

 

 数多は、相似の横に一匹の老犬がいることに気付いた。

 

 

「……まぁ、そりゃそうか」

 

 

 うんざりしたように、数多は呟く。

 予想していたことではあった。

 臨神契約(ニアデスプロミス)を手中に収める為に、メインプランやら超能力者(レベル5)やらを潰す動きをしていたのだ。アレイスターからすれば片方だけでも逆鱗に触れる行為だというのに、よりにもよって両方。

 粛清する為の刺客が投入されるのも当然の流れだった。

 

 とはいえ。

 

 

「……しかし、意外だったな。まさか相似、テメェが裏切るとはよ」

 

「すみませんね、数多さん。でも、『木原』同士が裏切るのなんて日常茶飯事ですからねぇ」

 

「ギャハハ、そりゃ違いねぇ!」

 

 

 それだけだった。

 特に親密だったはずの二人の会話は、それで終了した。それが、『木原』という一族の本質だ。根本的に、同族間での絆など存在していない。

 そんなものを感じているのは、とある出来損ないの少女くらいだろう。

 

 

『残念だ、数多。君のことを、この手にかけないといけない日が来るとはな』

 

「もう勝てる気でいやがんのか? おめでたい野郎だなあ。それとも、もう耄碌しちまったってか?」

 

 

 言いながら、数多は座っていた椅子から立ち上がる。

 バサバサと、その拍子に机の上に散らかっていた紙が幾つか滑り落ちた。それを見て、初めて脳幹の表情にも動揺が浮かぶ。

 

 

『……これは、魔道書……!?』

 

「おいおい。俺は『継承』する木原だぞ。いくら知識を排除したっつっても、全く何のエッセンスも受けてねえわけねえだろ。まして、これから学園都市が敵に回るって時によ」

 

 

 バササササ!! と。

 風もないのに、ページが宙を舞う。

 完璧なはずの物理法則に、風穴が開けられる。

 

 

「っつーわけで!! それじゃあ見せてもらおうか、脳幹。この街の王の──アレイスターの野郎が振るうっつー科学が、俺の振るう魔術にどこまで食らいつけるかをよ!!!!」

 

 

 ──ガシャコン!! と、研究所の暗がりの奥で機械の音が響いた。

 

 

『……やれやれ。アレイスターの読みは正確だな。そして正解だった。慢心せずにこれを持ち運んでおいてよかったよ』

 

 

 レディリー=タングルロード。

 フロイライン=クロイトゥーネ。

 『ドラゴン』。

 

 理解できない領域への安全弁としての機能を持つ老犬は、次にこう言ったのだった。

 

 

アンチアートアタッチメント(A.A.A.)()()()()()()()というものを、知っているかね?』

 

 

 


 

 

 

 ──戦闘は、ものの五分もかからなかった。

 

 木原数多がどれほど『原典』の知識を継承しようとも、老犬の扱うチカラはこの街の王のそれ。

 どれほどのスペックを誇ろうが、それを超える一撃を叩き込むことができてしまう。

 ゆえに、決着はあっさりとついた。

 

 

「ひゃはは、なんだそりゃ。反則技だろ……」

 

 

 木原数多は。

 胸から下を綺麗に消し飛ばした男は、死に向かいながらも笑っていた。

 

 

「……あー……クソったれ。何も分からねえ。理論のりの字も分からねえとは、本当に大した科学者だな、アレイスターの野郎は…………」

 

 

 命が抜け落ちていきながら、数多は悔しそうに呻く。

 そんなかつての教え子に、脳幹は寂しそうに視線を落としていた。

 

 

『…………数多』

 

「………………んだよ、ジジイ。もう少しで死ぬんだ。少しでも現象を考察させる時間にあててえんだが」

 

『済まなかった』

 

 

 両者の間には、当人にしか分からない文脈が含まれていた。

 老犬が、この『継承』を司る男に詫びる理由を、余人が知る由もない。そしてそれはきっと、浪漫を解する老犬の口から語られることは決してないのだろう。

 死にゆく男は、その心遣いを鼻で嗤った。

 

 

「はっ、くだらねえな。何浸ってやがんだか」

 

 

 数多は、言う。

 これは終わりではない、と。

 

 

「俺が死んで終わりだと思うか? 収まるべきものが、収まるべきところに収まったと? 違げえな。逆だよ。これは、始まりだ」

 

 

 声はどんどん掠れていく。

 だがそれでも、木原数多は寿ぐように笑った。

 

 

「覚悟しろよ、脳幹、アレイスター。ここで終わりじゃねえ。……ここから先に……セオリーなんてもんは……ねえ。……イレギュラーが……ありふれちまった世界で……テメェらの『プラン』が……どれだけ……無事でいられる……か……見もの……だ……な…………」

 

 

 木原数多は、それきり言葉を吐き出すことはなかった。

 

 それでも、口だけは動いていく。

 壊れた人形が、最後に少しだけ動くように。

 

 木原数多は、最期にこう口を動かした。

 

 

 


 

 

 

 さあ。

 

 予定調和をぶち壊す準備はいいか?




終章はラストだと言ったが、最終話だとは言っていない。

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