【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
一方、レイシアと別れた上条達は、研究所の奥へとひた走っていた。
研究所──と一口に言っても、木原数多が展開した結界の影響で中の空間座標が捻じれている為、見た目の広さは廊下でも体育館ほどある。それだけに、タイムリミットである一〇分以内に目標である食蜂や那由他、オリアナ──そして先遣隊のインデックスとショチトルを回収するには、全力疾走が前提となるのだが……。
「くそっ、いったいどこまで続いているんだ……!?」
長距離走には自信のある上条だが、そもそも彼は先ほどの戦闘で脇腹を貫かれている。応急処置は受けているので傷口は塞がっているが、こうしている今もじくじくと傷口が痛むのを感じていた。端的に言って、次の瞬間には傷口が開いて大量出血しても何ら不思議ではない。
「……大丈夫。このまままっすぐ進めば目的地には辿り着けるわ。お姉さんが保証してあげる」
「…………空間の歪み具合とかも分かるのか?」
「いえ? ただ、オリアナ=トムソン本体は今もお姉さんからいけない
オリアナは悪戯っぽく微笑み、
「どうも、木原数多は自分で魔術を使いたくはないみたいね。捕えたお姉さんを通じて魔術を使っているみたいなんだけど……あの状態じゃ術式を構築する思考能力がね。だから、執筆者という魔術的ラインを通じてお姉さんの裡に刻まれた術式を使っているみたい」
上条は知らないことだが、オリアナの魔術知識を使った木原数多が操る駒場も、蓮の花のように開花したオリアナの右腕同様、四原色の輝きを纏っていた。これはオリアナ=トムソン本人の『
「それよりお姉さんが心配なのは、木原数多が用意している『番人』ね。彼の責め手があれっぽっちの淡泊な一手だけで終わるとも思えないし……」
「ああ、まぁそうかもしれねえけど、多分そりゃ大丈夫だろ」
心配げに言うオリアナだったが、対する上条はというと、割合あっさりと返す。
思わず怪訝な表情を浮かべたオリアナに、上条は何でもないように返す。
「木原数多は、アンタの肉体を使って『魔術』を新たな武器にしてるんだろ? なら、大丈夫だ」
笑みに、どこか不敵な色さえ浮かべながら。
「なんてったって『一〇万三〇〇〇冊』だぞ。釈迦に説法もいいところだろ」
──結局、上条達は研究所の最奥に辿り着くことはなかった。
といっても、彼らの奮闘むなしく最終地点に到達する前にタイムリミットが来てしまったとかではなく……
「あっ、とうま!」
救助目標の方から、合流してきたのだった。
インデックス、那由他、メイド姿のショチトル。
ショチトルは那由他と食蜂を抱え──そして那由他は、人一人分以上の大きさの十字架を肩に担いでいた。
インデックスも那由他もショチトルもどことなく埃に塗れているので、おそらく上条達と合流する前に一戦交えてきたのだろう。
「それは……、」
上条が言葉を濁すのも無理はなかった。
その十字架には、虚ろな目をしたオリアナが磔にされているのだから。
「って、え!? アナタは……?!」
遅れて、インデックスが上条の隣に立つオリアナを見て目を丸くする。
インデックスは偶発的に発生した『原典』のことなど全く知らないので、よくよく考えてみれば意味不明な状況である。
オリアナの方も苦笑すら浮かべながら、
「ああ、お姉さんはちょっと訳ありでね……。簡単に説明すると、オリアナ=トムソンが扱っていた出来損ないの『原典』が偶発的に形をなした存在、ってところかしら」
「……『原典』だと?」
「お姉さんも自分で言ってて信じられないんだけどね~」
疑問の声をあげたショチトルに、オリアナは頬を掻きながら言う。
ともあれ、これで全員が揃った訳だ。どうやら食蜂もまだ廃人になっていないようだし(もっとも、上条は知らないことだがそもそも食蜂はブラフの為に攫っているので廃人になどなりようがないのだが)、後はどうにかして此処から脱出するだけである。
これについては、実は上条にはアテがあった。
「……これまでは奥深くに入っていくために動いていたから道なりに進んでたけど、別に脱出するなら出口に向かう必要もない。那由他、壁壊してくれないか? もし魔術で塞がれてても、俺の右手ならなんとかなるだろ」
そもそも、この研究所に入ったときだって
「もちろん、レイシアと合流してからっていうのが前提になるけどな。もしまだ足止めを食らってたらまずいし」
上条にしてはかなり理性的な提案なのであった。
ここからレイシア達と別れたところまでなら、ほんの数分でつく。タイムリミットまでには十分間に合う計算だ。
「……ううん。残念だけど、それじゃダメかも」
しかし、インデックスは端的な否定を返した。
「壁を破壊して脱出するのは、私達も考えたんだよ。施設ごと破壊して結界の構成条件を無効化する案も考えた。でも、そもそもこの結界は『外から中に入る』ことはできても、『中から外へ出る』ことはできない仕様になっているんだよ」
「…………なんだって!?」
インデックスの言葉に、上条は思わず目を剥く。
いや、木原数多の目的を考えればあり得る範疇の事態ではあった。上条達は知らないことだが、そもそもこの結界の崩壊は上条達をまとめて始末し、アレイスターの注意をそこに集中させる為に仕組んだものである。
なら、万が一にも『異常を感知した上条達が早々に結界から出てしまう』という事態は防がなくてはならない。だから、あらかじめ結界の出入りを自由にできる権限をレイシアにだけ与えて、他のイレギュラーには出る権限を与えない──という手法をとっているのだった。
「じゃ……じゃあどうやって脱出するんだ!? なんかこのままだと空間がめちゃくちゃ圧縮されて全員死んじまうらしいんだけど……」
上条は当惑したように声を上げる。
あまりにもな即死トラップだ。こうまでされてしまってはどうしようもない。しかし、インデックスは意外にも落ち着き払って、
「うん、問題ないよ。というか……とうまは気付いていてほしかったかも?」
「はぇ?」
「あのね。アウレオルス=イザードのことを覚えてる? あの時とうまはアウレオルスが結界を張ったビルの中に入って行ったよね? その時に結界は破壊されていた?」
「……あ」
言われて、上条の口からマヌケな声が出た。
──八月。姫神やインデックスを救う為にアウレオルスに支配された三沢塾のビルに侵入した上条だったが、そこはアウレオルスによる結界の中だった。しかしあの時は、結界内に侵入しても『右手のせいで位置がバレバレ』なことはあっても、結界自体が破壊されることはなかった。
つまり。
「確かに現状の結界の異変はとうまの右手に結界が反応して起こっていることだけど、とうまの右手はまだ結界を本当の意味で殺してはいない。そもそも、本当に結界自体が破壊されるなら、とうまの右手だと一瞬で結界自体が消えているはずだもんね」
一〇万三〇〇〇冊の叡智によるありがたいアドバイスであった。
だが、そうなるとこの研究所のどこかにある結界の核を右手で殺さない限りどうしようもないという話になってしまう。この状況でどこにあるのかも分からないモノを探し当てるなんて途方もない作業のように上条には思えたが、インデックスはもちろんショチトルも那由他も冷静そのものだった。
……その様子を見て、上条も何となく事態を察し始める。
「その様子だと……もしかして、もう既に俺が壊すべき『核』を見つけているのか?」
「というか、既に」
そう言って、インデックスは自分の後ろ──十字架を肩に担いだ那由他の方を指差した。
「最初から、とうまの目の前にいるけど?」
状況は至ってシンプル。
この研究所に渦巻くあらゆる魔術は、磔になったオリアナ=トムソンを起点に運用されている。魔術という異界の知識を脳に入れる『実験台』となることを木原数多が嫌ったがゆえの状況だが──つまり、オリアナに上条の右手で触れれば、その時点で術式の核は破壊され、研究所が極小に圧縮されて全員が死亡する危険もなくなる。
「……今はおとなしいけど、ここまで鎮静化させるのはかなり大変だったかも。かなり粗雑だったけど、自動防衛システムみたいなものまで構築されていてね。何とかこの人の脳をこれ以上傷つけないように防衛システムを解除しなくちゃいけなかったから」
愚痴るように言うインデックスだったが、当然、そんなことを万人ができるわけではない。一〇万三〇〇〇冊の叡智があって初めて実行可能な荒業であることは、横で渋い顔をしているショチトルの様子を見れば一目瞭然だった。
ともあれ。
「でも、助かったよ。正直俺達だけじゃかなり出たとこ勝負だったもんな」
「ふふん。今回ばかりは、私がいてよかったね? とうま」
得意そうに言うインデックスに苦笑しながら、上条はオリアナに右手で触れようとして、
ゴッッッ!!!! と。
突如横殴りに吹っ飛ばされた。
「ごっ……あァァああああああああああああああッ!?!?」
衝撃の源は、脇腹か。
まるで体内に直接熱した鉄を突きこまれたような熱さに、上条の意思に関係なく口から苦悶の声が漏れ出る。
「とうま!!」
「下がれ魔道図書館!! クソったれ、木原数多のヤツ、此処に来て伏兵とはな……!」
一拍遅れ、ショチトルがインデックスを庇うように立ち、那由他が十字架を肩にかけながら距離を取る。
その様子を見ながら、『そいつ』はたった一言だけ呟いた。
「……………………え?」
その呟きは。
オリアナ=トムソンの口から発せられていた。
「あれ……お姉さん……え? なん、で……?」
茫然と、己の手に視線を落とすオリアナ。
彼女の手には、真っ赤な血がべっとりとついていた。
「クソったれ!! 何故気付かなかった!?
苛立ったように叫ぶショチトル。彼女としては、まさしく痛恨の極みであった。
……そもそも『原典』とは、根本のところで『自分の知識を広めようとする』存在である。だから自分の知識を受け入れようとせずに死蔵しようとする利用者のことは許さないし、反対に自分の知識を広めようとする利用者のことは積極的に保護する。
この場において、オリアナ=トムソン本体は『原典』と魔術的リンクを繋いで術式を利用する存在。これを
『原典』自身の意思に関係なく。
『原典』としての本能とも呼ぶべき機能に従って、『原典』オリアナ=トムソンは上条当麻を許さない。
(木原数多は此処まで計算していたというのか!? ……いや、あんなものの誕生まで魔術のド素人であるヤツが想定できたはずがない!!)
つまりは、『不幸』。
全くの偶然によって、この局面にして最大の難関が立ちはだかってくる。
「そんな……お、お姉さん、
オリアナは、顔面蒼白になりながら呟き、そこで表情が固まる。
──それは、彼女にとっては最悪のトラウマだった。
善意の為に動いた結果、それが不幸な偶然のせいで誰かを傷つける結末になってしまう。オリアナ=トムソンという人間の人生は、そんな間の悪さの連続だった。
だからこそ、彼女は善悪の基準を設定することを求めた。単一の基準が世界で適用されれば、その基準の通りに動けばいい。自らの善意が誰かを傷つけることになるという悲劇はもう二度と起きないのだから、と。
だが。
よりによって、それがまた起きた。もう既に『本体』は廃人になってしまったけれど、それでもレイシアや上条の助けになるならばと行動していたのに。
「なゆた!! どうしよう、とうまの傷口が開いて……! 血が、血が止まらないよ!!」
「あ…………あ…………ああァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
認めたくない現実。
それを拒絶するかのように、オリアナの身体から紙吹雪が舞う。
その一枚一枚が、『原典』を構成するページ。四原色を伴った渦の中心に立ちながら、オリアナは言う。
「…………殺して。もう、おしまいにして? なんでもするから。何だってやるから!! だからもう、こんな最悪なシステムの端末なんて跡形もなく消し飛ばして!!!!」
それは、紛れもなく悲鳴だった。
善意が、誰かを不幸にする。
これに勝る不幸が、この世にあるだろうか? 誰かの笑顔を見たかったのに、ただそれだけしか望んでいなかったのに、結果として自分が誰かの笑顔を奪ってしまう苦しみ。
オリアナ=トムソンの心は、その苦しみによって粉々に砕けかけていた。
「ふざ、けんなよ」
悲痛な叫びに答えたのは、少年の声だった。
心配そうにへたりこむインデックスの横で、脇腹に赤い染みを作った少年は、それでもしっかりと二本の足で立っていた。
「よく見ろよ、オリアナ=トムソン。俺はまだピンピンしているぞ」
「……もういいのよ。攻撃の手はちゃんと伝えるわ。魔道図書館がいるなら対応はできるはず。お姉さんを破壊して、こんな胸糞悪い事件はさっさと解決して?」
「ふざけんなって言ってんのが聞こえねえのか、この馬鹿野郎!!!!」
今度こそ吼えるようにして、上条は牙を剥いた。
脇腹に穴が空いているとは到底思えない剣幕で、上条は続ける。
「たった一回の失敗で何を絶望していやがんだ!! ああ、さっきの一撃は予想外だったよ。傷口だって開いたかもな。だからどうした!? 想定できなかったのはテメェ一人の落ち度じゃねえだろ!! インデックスだって徒花さんだって気付けなかったし、もちろん俺だって考えもしなかった!! なのになんでテメェ一人の罪みてえに勝手に抱え込もうとしていやがんだ!!」
「……一回なんかじゃないのよ……」
ぽつり、と。
オリアナの口から、疲れ切った言葉が漏れた。
「お姉さんはね、ずっとそうだった。誰かの為に行動しても、結局は誰かの事を傷つけてしまう。一生懸命プレゼントを運んだら、その中身が実は爆弾だった──みたいなことをね、ずっと繰り返してきたの」
『だから、もういいのよ』と、オリアナは笑った。
「そもそもお姉さんは、厳密な意味でオリアナ=トムソン本人じゃない。『原典』が彼女の思考を模倣する形で組み上がっただけ。……本来のオリアナ=トムソンは、既に廃人になっているわけだしね。だからこれは、エラーを起こしたシステムを廃棄するようなモノなの」
そして最後に、畳みかけるようにして、オリアナは言う。
「ねえ、お願い。お姉さんもう…………