【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
──もちろん、俺はともかく『レイシア=ブラックガード』が全く対策を講じていなかったかというと、そうではなかった。
確かに、俺の意識は駒場さんのダメージでひどく動揺していた。彼の魔術行使を停止させるため、まずは数多さんの操作を止めようと、そこに意識のリソースを割かれていたことは否定できない。
とはいえ、レイシアちゃんは、俺と違って多少薄情な部分もある。
だから、俺が駒場さんを救う為に躍起になっている裏側で、数多さんの狙いに対して思考を巡らせる余裕もあった。
だから、数多さんが『
実際に、レイシアちゃんは術式発動前に『亀裂』を展開し──実際に、『
ただし。
忘れてはいけないのは、魔術はあくまでも超能力──通常の物理法則の範疇に沿って動く攻撃とは異なる、という点だ。たとえば、気流を何かで防いだとして──
結論から言うと、レイシアちゃんの警戒だけでは、俺達に必要な防御は足りていなかった。
数多さんの油断を誘う為に透明な形で展開した『亀裂』によっていったんは遮られた透明な気流の槍は、しかし一度拡散したあとに再度虚空で集約し──そして、再度俺達へと降り注いだ。
流石のレイシアちゃんも、そこまで攻撃が継続するとは予測できておらず、そして駒場さんを止めることに意識を割かれていた俺も当然対応はできず。
結局、『
その瞬間。
気付けば俺は、大都市の大通りのような場所に立っていた。
そこは、白と黒に支配された世界だった。
天空は、白と黒で構成されたマーブル模様。数車線分はある大きな車道を挟むようにして立ち並ぶビル街も、その白と黒の空を反映するようなモノクロスケールの色合いを反射している。
右を見ても左を見ても、そこはあらゆる色合いを失った世界だった。
「シレン」
そんな世界で、俺の目の前に立つレイシアちゃんは、どこか清々しささえ感じる表情を浮かべながら、俺に呼びかけていた。
「今回、わたくしはここまでのようです。あとは、アナタに任せましたわよ」
事態を理解するまでもなく。
レイシアちゃんはそう言って、俺の肩を叩いた。
何かを言うような暇もない。
それでも俺は慌てて口を開こうとして────
「Insert/ヒャハッ」
駒場利徳の声から、下卑た笑いが漏れた。
あるいはそれこそが彼自身に対する最大の侮辱であるかのような感情の色を帯びた笑みの根源は、分かりやすい勝利への確信からだった。
『
風の黄色と、風を意味する文字を組み合わせた『原典』の術式で、その効果は名前の通りの『昏睡』。意識を強制的に外界から内側へ向け直すことで対象を気絶させる術式である。
もちろん、この『風』は魔術によって生み出されているものであり、通常の物理法則に沿う現象ではない。具体的には──この術式は、標的を追尾する。
レイシアが『亀裂』によって防御したにも関わらず術式を受けてしまったのは、これによるところが大きい。
そして、食らえば昏睡する風の槍をレイシアはモロに受けた。
当然、レイシアの身体は前のめりに斃れ──
「Insert/は?」
素っ頓狂な声を挙げながらも、木原数多は瞬時に思考を巡らせ、そして思い至る。『暴発だ』、と。
レイシアはその戦法の都合上、戦闘中に幾つもの『亀裂』の繭を展開し、それを適宜解除することで気流操作を実現している。高速移動は『亀裂』の翼によるものであることが多いが、そうでない場合も当然あり得る。
今回レイシアを昏倒させたということは、レイシアが状況に応じて使うつもりだった気流操作が一気に解放されることになる。つまり、その結果気流が暴発して、それでレイシアが急加速したと考えるのが最も妥当な展開だ。
(……いや、あるいはその方向性を制御して、最後の最後に捨て身でタックルをかまして相打ちに持ち込もうとしてるって可能性もあるっちゃああるか。んじゃ、最後まで気は抜かずにピッチャーフライを処理するとしますか)
そう結論し、数多は駒場に防御の姿勢を取らせる。
その直後。
ゴガン!! と、猛烈な衝撃と共に駒場の身体が傾いだ。
数多は、駒場の肉体と痛覚は共有していない。平衡感覚や触覚、視覚などの一部の感覚を、まるでVRゲームのように認識して操作している。だから、一瞬何が起こったのか理解できなかった。
レイシア=ブラックガードの全力の右拳を側頭部に食らったのだと理解したのは、駒場の足腰から実際に力が抜け、尻餅を突いた後の事だった。
「Insert/…………オイオイオイオイ」
もちろん、不意のダメージを受けただけで、この程度は大した負傷ではなかった。
運動神経があるとはいえ、所詮は女子中学生の拳である。側頭部にもろに受けたとしても、そんなものは大したダメージにはなりえない。
だが。
そんな些細な問題を塗り潰すほどの不条理が、数多の目に前にあった。
「Insert/ぎゃはははははは! どういうことだそりゃあ! きっちり攻撃食らってんだろ、ノーダメは筋が通んねえんじゃねえか!?」
「……ノーダメでは、ありませんわよ」
危なげなく佇むレイシア=ブラックガードの双眸は──エメラルドグリーンに輝いていた。
「
「Insert/……チッ。術式の仕様ってか? 全く科学的じゃねえなあ! 面白れえなあ!!」
当然、戦闘が続行可能だと分かれば数多は警戒を再開する。
後転してから立ち上がり、両拳を掲げてファイティングポーズをとる数多に対し、レイシア──シレンはただ仁王立ちで佇むだけだった。
そしてシレンは、すっと数多のことを指差す。
「アナタの思惑、わたくしは分かっていますわよ」
──その言葉を聞いて、数多の動きが止まった。
「最初から、ちぐはぐだとは思っていたのです。結界の崩壊を用いた時間制限の話ではありませんわよ? 相似さんにわたくしを回収させようとしている傍ら、こうしてわたくしを離脱させようとしているその態度が、です」
「…………、」
確かに、木原数多のレイシアに対する行動には一貫性がなかった。
木原相似を使ってレイシアを襲撃させ、そして鹵獲しようとしているかと思いきや、いざ研究所に踏み込んだら一転して駒場利徳を利用して戦線離脱を目論む。近づけたいのか遠ざけたいのか不明だ。
だが、数多がその場しのぎで行動方針を変えているとは思えない。つまり、『近づけたい』か『遠ざけたい』か、そのどちらかはシレンの方が数多の意図を取り違えているのだ。
では、どちらが木原数多の本音なのか。
「アナタは、
真相は、『近づけたい』。
いや、正確には『手に入れたい』だろうか。
「確信したのは、先ほどの術式の効果を体感してからです。……オリアナさんの扱う術式を利用できるのであれば、他に殺傷力の高い攻撃はいくらでもあったはずです。それでもアナタは、無数の術式の中から『相手を無傷で昏倒させる術式』を選んだ。それは、わたくしを無力化させて捕獲したいという狙いの現れですわ」
「Insert/…………チッ」
それに対し、数多は舌打ちをする。それこそが、全ての回答を物語っていた。
そしてそれを認めたシレンは、さらに続ける。
「そう考えると、アナタの思惑も自然と見えてきます。そうまでしてわたくしを此処から脱出させたいということは……裏を返せば、アナタは他の突入メンバーについては崩壊に巻き込ませたいと考えている」
崩壊に巻き込まれることによって被害を被るのは、一体誰か。
上条、原典と化したオリアナはもちろん、先に突入したインデックス、ショチトル、サイボーグの那由他もその対象だが、そもそもこの研究所の最奥には食蜂、那由他やオリアナの本体、そして何より木原数多本人がいるはずだ。上条が入った時点で食蜂や那由他が研究所内部にいるのは確定しているので、このまま結界が崩壊すれば彼女達が崩壊に巻き込まれるのは確定である。
そうすると、困るのは数多のはずなのだ。
何故ならそもそも木原数多の目的は、食蜂の
まだそれが完成する前の状態で食蜂も那由他もオリアナも崩壊に巻き込まれて死んでしまっては、そもそもの目的が達成できなくなってしまう。何より、数多自身が死んでしまっては何の意味もない。
では、何故数多はそんな自滅めいた行動をとっているのか。
その答えは一つ。
「
そもそも食蜂もオリアナも那由他も、ここで使い潰してしまって問題ない、という結論。
「思えば外装血路の話自体、情報源は那由他さん一人だけです。彼女の経験も含め、尤もらしい話だったので信じ込みましたが……もしも彼女のインスピレーション自体が、アナタに誘導されたものだとしたらどうでしょう」
木原那由他もまた、盤上の駒の一つ。
そこから提示された情報が正しいとは限らない。しかも、彼女は数多に本体が囚われているというかなりの極限状況にあるのだ。その事情を鑑みれば、情報が数多にとって都合の良い形に偏っているのは当然の帰結でもある。
そして死んでもいい存在しかいないということは、そもそも木原数多がこの研究所にいないという可能性もまた、充分あるということになる。いや、結界の崩壊を考えると、間違いなくいないと言ってもいいだろう。
「アナタは……いえ、『木原』は今までの経験上、脇道に逸れるということはしません。
シレンの指摘に対し、数多は面倒くさそうに頭を掻く。
そして、
「Insert/
と、愚痴を吐くように呟いた。
「Insert/ったく、ぶっ飛ばすだけぶっ飛ばせばそっちの方に『収束』が働いて本丸の方は誤魔化せると踏んでいたんだがな。そう上手くはいかねえか。やーっぱテメェって『因子』が干渉した時点で駄目になっちまうみてえだなあ」
「…………、何を言っていますの?」
怪訝そうな表情を浮かべるシレンに、数多はむしろ心外そうな表情を浮かべた。
駒場の無骨な顔面が、嗜虐的な笑みの形に歪む。
「Insert/おいおい、テメェも薄々気付いてはいるはずだぜ。テメェの存在によって、この世界の流れが
「…………、」
数多の言葉に、シレンは何も答えない。
心当たりがなかったから、ではなく。
彼女自身、確かにそうした事象に対して思い当たる節があるからだ。
たとえば、麦野との戦闘。
あの時はレイシアとシレンの決断によって両者五体満足で戦闘を終わらせたが、あの時も収束の方向性を僅かだが動かした感覚がシレンにはあった。
その後のドッペルゲンガーの顛末もそうだ。
間違いなく、当たり前の事象の連続ではあった。だがその起点には、シレンが収束の方向性を僅かに動かした感覚があった。
思い返せば、大覇星祭の際に幻生と戦ったときから、そんな感覚はあったかもしれない。
「Insert/そうだ。それが
数多は嬉しそうに笑う。
大好きなゲームの話をする少年のように、本当に本当に、嬉しそうに。
「Insert/……ま、俺自身も深く踏み込んだのは大覇星祭の後だがな。テメェがアレイスターのお気に入りであることは分かっちゃいたが、それが何なのかまでは分からなかった。……だが、そこにこんなモンがあるって分かっちまったら話は別だろ?」
歴史の流れを広げ、そしてその中から好きな未来を選び取る。
言うなれば、
だが、その『ほんの少しの差異』を利用することができないわけでは、ないはずだ。おそらくそれは最早
「Insert/忌々しい話だがな」
「……、」
「Insert/何千何万と実験してると、理論だけじゃあ演算できねえ、妙な値ってのがチラリと出てくることがある。あのクソガキを開発したあたりから、教科書でお勉強するような完璧な理論のどこかに穴があるっつー感覚があるんだよ」
これは、実際に正史の木原数多も抱えていた感覚だ。
だからこそ、彼は前方のヴェントと相対しても大してうろたえなかったし、ヒューズ=カザキリの顕現を興奮しながらも受け入れた。
その彼が、
何千何万と行ってきた実験の中に生ずる僅かな『ブレ』──それを制御する術が目の前にあると知ったらどうするか。
「Insert/そりゃあ、欲しいだろ。喉から手が出ちまうほどに! だがテメェはアレイスターの玩具だ。だから構築した! あの野郎に邪魔されねえ舞台ってヤツをなあ!」
言われて、シレンはようやく理解した。
これは、アレイスターの意識を誘導する為のデコイでもあったのだ。もしも仮に上条が結界に圧殺されそうになったならば、アレイスターは彼を救助しようと動くだろう。彼自体が動くのか、木原脳幹が動くのか、あるいは別の何かが動くのかは定かではないが、しかしアレイスターはそちらの方に注力せざるを得なくなる。
そのタイミングならば、所詮メインプランの脇で動かしている計画に過ぎない
その隙を突いて、シレンを捕獲しようとしているわけだ。
「Insert/その眼。もう収束は始まっているみてえだが、まだまだ計画は終わりじゃねえ。テメェがテメェ自身で収束の形を選べるってことは、逆に言えば、テメェを出し抜けば俺の思う通りの形に歴史を収束させられるってことだからなァ!!」
言って、数多はシレン目掛けて攻撃を再開する。
──実のところ、客観的に戦況は厳しいものだった。
そもそも
ただし。
「…………言ったでしょう」
それでもなお、シレンは余裕を失っていなかった。
「アナタの思惑は、分かっている、と!!」
人一人くらいなら簡単に捻ることができる暴力を前に、シレンはちっとも臆さずに前進する。
するとどういうわけか、今度は数多の動きの方があからさまに鈍りだした。いや──動きに迷いが生じ始めた、というべきか。
「アナタはわたくしを殺すわけにはいかない!! つまり、下手に攻撃力のある行動をとって、万が一にもわたくしが死ぬような行動をとれないのです!!」
それは、先ほどまでの数多の戦略の再演だった。
数多は、
「Insert/……ッ、だが、それじゃあテメェの目的が達成できねえぞ! 俺の目的を潰す為にこの空間と心中でもするってかァ!?」
それでも数多は、嘲るように言う。
これは、明らかにシレンの焦燥を誘う為の挑発だった。だからシレンはそれには取り合わず、ポツリと言葉を返した。
「『Insert』」
「────」
「同じネタが二度通用すると思ったら、大間違いですわよ」
そして、レイシアの拳が、数多の首筋に直撃した。
それ自体は、鎧のような筋肉に覆われた駒場のことを倒すには至らない、本当に児戯のような一撃にすぎない。
しかし──そこに、
「──ご、あ、」
首筋に拳を叩き込まれ──正確にはそこにあったチョーカー型の変換器を破壊された駒場は、そこで動きを止めた。
「ミサカネットワークを模したシステムを構築していたようでしたが、弱点も共有していたのが運の尽きでしたわね」
木原数多がこの研究所にいないと分かった時点で、駒場を操っている方式がAIMネットワークであることは確定していた。何せ、馬場のロボットが動かなくなってしまうのだ。電波などのありきたりな方式での操作は受け付けない。となると、銀河系の果てでも届くAIM拡散力場ならば、いくら空間が歪もうが安全な操作方式だと言えるだろう。
そして声に混じる不自然な文字列。これは、以前御坂妹を操作していたときに出てきたものと同じものである。そう考えると、木原数多は御坂妹を操作していたときと同じように、駒場を含むAIMのネットワークを生成し、そこにウイルスを流し込むことで彼を傀儡にしていたのだと考えられる。
だが、クローンというAIMの同一性によって作られたAIMのネットワークと違い、駒場を介したAIMネットワークには脳波の同調が存在しない。
ここで、同じように異なる脳波によるネットワークに接続しているとある人物を支える技術が登場する。
これを駒場にとりつけることで、
だが──裏を返せば、そのチョーカーさえ破壊すれば駒場を縛るものは何もなくなるということになる。
「Insert/だ、が……状況ジジジらねえぞ。どうせ此処はあと数分もジジジジちに崩壊する。テジジジ生き残るたジジは、ここから脱出ジジジかねえ!」
「さて、それはどうでしょう」
この期に及んでも依然として勝ち誇る数多に対し、シレンは腕を組みながら落ち着き払って言う。
あるいは、己の大好きなヒーローを自慢するかのように。
「そもそも、ずっと前から言いたかったのですが。──どうして、『彼』がこの程度のカタストロフも乗り越えられないと思っているのです?」
ここまで引っ張っておいてアレですが、外装血路なんてものはありませんでした。
でもまぁ、意味ありげに出てきたものがただのブラフっていうの、とあるだとよくありますよね。(刺突杭剣とか、明王の檀とか……)