【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「……!」
即座に当麻さんを連れて飛ぼうと演算を開始した瞬間、左手をすいと控えめに取られた感覚があった。
掴まれた左手の方に視線を向けると……黒のドレスグローブに包まれた手を取っていたのは、真っ白い手袋に包まれた手。視線を上げると、そこにいたのは食蜂さんだった。
……あれ? 食蜂さんどうしたの? もしかしてついて来たいのかな?
俺と同じことを疑問に思ったのだろう。レイシアちゃんは少しうんざりした表情を作ってから口を開く。
「何ですの。アナタの役目はもう終わったでしょう? まだ足りないんですの?」
「違うわよぉ。
「気に食わないですわ……」
《まぁまぁ、レイシアちゃんもそう言わないで》
ぶーぶー言うレイシアちゃんはさておき、俺はちゃんと食蜂さんを『亀裂』で囲って飛行でついていけるようにしておく。もちろん当麻さんもだ。当麻さん、どうも食蜂さんと一度別れると、それまでの記憶が飛んじゃうみたいだからね。
つかず離れずの距離くらいを保っていれば、なんとなく印象は連続してくれるみたいなんだけれども。
「あ、あらぁ? ブラックガードさん? なんで上条さんとの間に『亀裂』の仕切りがあるのかしらぁ? 一つの空間にまとめておいた方が、アナタの負担力も軽減できるんじゃないかしらぁ?」
「…………、」
「っていうかこれシレンさんよねぇ? あの、ちょっとぉ?」
飛行、開始。
まず大前提として。
時を巻き戻し、レイシアがドッペルゲンガーに吹き飛ばされた直後。
空の彼方へと飛ばされたレイシアを見送ったドッペルゲンガーは、雷の羽衣を纏いながら、地上を見下ろしていた。
「──
視線の先にいたのは、満身創痍の御坂美琴。
同じように全身から紫電を迸らせて、ドッペルゲンガーを睨みつけていた。しかし、両者の関係は対等というわけではない。
むしろ、文字通り天地の差。
能力を自由に使えない美琴はただでさえ体力を消耗しており、疲弊で肩で息をしている状態にも拘らず、対するドッペルゲンガーは機械ゆえに息一つ切らしていなかった。
無表情。機械ゆえに感情も分からない相貌で地上に侍る第三位を見据え、天上に坐すドッペルゲンガーは口を開く。
「──流石に罪悪感はあるな。
「言うじゃない。全然申し訳なさそうな顔はしてないみたいだけど?」
「表情を作る機能は持っていないんだ。苦情は製作者に言ってくれ」
言葉の応酬は、それだけだった。
ドッペルゲンガーが腕を振るうと同時、ズバヂィ!! と紫電が槍となって美琴へと襲来する。
美琴は自身を磁力で以て移動させ、それらを回避しつつパリィして防いでいくが……やはりそれは焼け石に水。躱しつつも、美琴の身体は徐々に電撃に焼かれつつあった。
「くッ……!」
電撃が有無誘電磁場を捉えて強引に肉体を磁力反発で吹っ飛ばした美琴だが、電撃のせいで身体が痺れ、上手く受け身もとれずに地面を転がっていく。
転がりながらも体勢を整えてすぐに起き上がる美琴だが、頭上では既にドッペルゲンガーが次の攻撃となる雷撃の槍を構えていた。
「皮肉だな。己の能力によって徐々に命を削られるのは。退散した方がいいんじゃないか?」
「冗ッ、談ッ……!!」
撤退を勧めるドッペルゲンガーに、美琴は余裕がないながらも不敵な笑みで返す。
転がった勢いそのままに磁力で宙を舞う美琴だったが、それでも躱しきるには至らない。咄嗟に電撃を帯びた裏拳を構え、その反発力を使ってパリィを試みるが……当然、その程度で彼我の戦力差を抑えきれるはずもなく。
美琴の脇腹の服が、僅かに焼き抉られた。焼け焦げたブレザーが宙に散るのを横目に見ながらぐう、と苦し気な吐息を漏らす美琴を、ドッペルゲンガーは無感情に眺めつつ、一旦攻撃の手を止めて切り出す。
「……、一八五手、といったところか」
「…………?」
「決着までの手が、だ。お前がどんな戦略を選ぼうと、私は一八五手でお前を詰ませることができる。
「……。…………言うじゃない」
数瞬の沈黙の後、美琴は呟くように言って、
「
そう言って、人差し指をこめかみに当てた。
ドッペルゲンガーは、答えない。しかし美琴はそんなことは気にせずに、言葉を重ねていく。
「そもそも、やる気が見えてこないしね。今の
最適解を使わない。
使えないのではなく──使わない。
そう考えると、ドッペルゲンガーの思惑も徐々に読めてくる。考えてみれば、ドッペルゲンガーは必要以上に美琴の恐怖を煽ろうとする言動ばかりをとっていた。まるで、美琴に逃げてもらいたいと言わんばかりに。
「アンタのそれ、私の能力を奪っているから……私に死なれたら困るんでしょ? かといって、アンタの出力じゃ本気で戦いでもしたら、何かの拍子に私を殺しかねない。だから、私の戦意を奪って逃げさせようとしている。その為に
「……だったらどうした?」
「
紫電が、爆発した。
チカラを奪われた状態の御坂美琴には到底発揮できないはずの出力が、迸っている。
否──それは美琴から発せられた電撃ではない。気付けば、ドッペルゲンガーは上空を見上げていた。
「…………なんだ、これは」
天空は、分厚い雲によって覆われていた。
そして、夜闇の中にもうっすらと浮かび上がる白を引き裂くように──黒い稲妻が、まるで亀裂のように走っていた。
どこからともなく現れた亀裂は、御坂美琴の頭上で集約され──そして彼女の首筋に直撃していた。
『……驚いたわぁ』
その数刻前。
食蜂操祈は、バツの悪そうな表情でそう呟いていた。
『まさか、アナタが私に会いに来るとはねぇ』
『僕は患者が必要とするものは絶対に用意する医者だからね? 当然、人材もその範疇に含まれるんだね?』
──美琴と別れて別行動をとっていた食蜂の前に現れたのは、カエル顔の医者──
『はじめまして。ミサカは
御坂美琴──否、彼女と全く同じ顔をした、全く別の
検体番号一〇〇三二号──上条からは『御坂妹』などと呼ばれている少女だった。
彼女の真っ当な懸念に対し、
『ああ、心配は要らないね? 言ってしまえば、
『…………どうして、私を?』
引き合わせたんだ、という言葉を飲み込んだ食蜂の恨みがましい視線を真っ向から受けても、
『前回の一件、僕もいたく反省してね? ミサカネットワークの稼働状況を確認・アラートする機構というものを作ったんだね?』
『しれっと何を作ってるのかしらぁ……この名医……』
唖然とする食蜂をスルーして、
『──その機構が、アラートを発した。ミサカネットワークが不正利用されている』
言われて、食蜂は息が止まるかと思った。
否、呼吸は既に死んでいた。食蜂がそれに気付けないくらいの精神的動揺をその一言で与えられていただけだ。
『どう、いう……!?』
『おそらく、木原絡みだろう。戦闘報告がされている「ドッペルゲンガー」あたりが怪しい。体内の組成を組み替えることで、第三位の能力の「噴出点」として機能しているのだろう』
『それ、大丈夫なのぉ!? 大覇星祭では、あの子たちは昏睡状態に……っ!!』
『安心しろ。まだ本格稼働ではない。だが……いずれはその状態になるだろう。だから、君の力を借りに来た』
『…………、どうすれば、いいのぉ?』
覚悟を決めた様子で、食蜂は問いかける。
そこには先ほどまでの動揺に塗れた表情はなく、真っ直ぐに目の前の苦境を見据える強者の横顔があった。
『結論から言うと──彼女に能力を使ってもらいたいね?』
『…………は?』
『ドッペルゲンガーは、御坂さんの能力を利用してミサカネットワークの窓口となって、そのエネルギーを利用している状態なんだね? シャワーから水を出しているときに別の蛇口を捻ると、シャワーの出が悪くなるという経験はないかい? それと同じ。チカラの総量は変わらないのにフルパワーで能力を使われているせいで、おそらく御坂さんは能力が使いづらい状態になりつつあるんだね?』
『そんなの……、』
別に美琴が死のうがどうでもいい食蜂としては『放っておけばいいだろう』と言いたいところだったが、目の前にはそのお姉様を慕う妹がいる。とてもではないがそんなことは言えなかった。
『ただ、それは相手にも同じことが言える。御坂さんの出力が上昇すれば、ドッペルゲンガーの出力も低下するわけだね? つまり、綱引きの構図を作りたいんだね?』
『お願いします』
御坂妹は、そう言って深々と頭を下げた。
そして、頭を下げたまま言う。
『このやり方なら、
『……………………、』
『だから、お願いします。ミサカ達の夢を、守ってください』
それは、食蜂操祈にとって一つの禁忌ではあった。
『あの少女』と同じ顔、同じ境遇を持つ少女に対し、それが少なからず害をなすことを分かっていて、己の能力を振るうこと。それは魂の次元で縛られていると言ってもいいくらいのタブーだった。だが──その決意と、目の前で頭を下げて助けを乞う少女の想い、そのどちらが、一体重いだろう?
答えは、きっとずっと前に決めていた。
『
カバンからリモコンを取り出し、食蜂は短く言う。
『恨むわぁ、アナタのこと』
『問題ない。患者に必要なものを揃える為なら、些細な経費だ』
《何、これ!?》
一方、御坂美琴は困惑の極みに立たされていた。
自分のことをコケにしてくれた相手に啖呵を切ってやった瞬間、突如天空から黒い稲妻が直撃して、眼前が暗転してしまったのだ。
美琴はこの感覚に覚えがある。これは──
《まさか、あの幻生の暴走が、また!?》
《あらぁ? そんな物騒なものじゃないわぁ》
──首筋にほっそりとした両腕を回されたような、そんな気味の悪さがあった。
《しょ……食蜂!?》
《大正解☆ それでもって……今回はあの時みたいな暴走じゃない。きちんと手順を踏んだ、正当な強化力の発揮だと思ってねぇ。その証拠に──》
食蜂の言葉を待っていたかのように、だった。
美琴の眼前の空間に、亀裂が走る。真っ暗な空間を引き裂くような真っ白の稲妻が世界全体を覆い尽くし──そして、バリン、とガラスが割れるような呆気なさで、目の前の景色が開かれた。
──それは、過日の戦闘で見せた姿とは全く異なる形態だった。
常盤台の制服は変色し、迸る紫電と半ば融合して羽衣のような状態を形成している。しかしその肌まではヒトからかけ離れておらず、額から伸びる一対のツノだけが大覇星祭時の形態を彷彿とさせていた。
瞳の色は、意志の確かさを宿した彼女本来のもの。その手には、『物質化した雷』によって形成された槍が携えられている。
《アナタは自由に動けるはずよぉ。ちなみにこの声とサポートプログラムは事前に
《はぁ!? 何を勝手な……っていうか諸々の事情を聞かされてないんですけど!? あの子達の一人にサポートプログラムを託したってどういうこと!? あぁ~~もうせっかく前もってインプットできるなら最初から全部話しておきなさいよォぉおおおおおおッッ!!!!》
内心で一通りキレ散らかした美琴は、ややあって肩から脱力する。
そして、今まさに己が扱っていたチカラを『引き戻された』事実を体感し、警戒して動きを止めていたドッペルゲンガーへ視線を移す。
「……っつーわけで、なんか妹達から託されちゃったみたいだから」
天空に坐す同格の強者を見据え。
「ぶっ倒させてもらうわよ。お姉ちゃんとして」