【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
その瞬間、世界の流れがゆっくりになったかのような錯覚があった。
幻生さんの手から放たれた光の刃が、当麻さんの右腕を、根元から切断して────
「ッッ!!!!」
直後、肩口から落下し始めた当麻さんの右腕を認識しながら俺は『亀裂』の展開を意識した。
狙いは、当麻さんの右腕の切断面。『亀裂』によって切断面を覆い、止血を試みるのだ。肩全体を覆うような形で固定すれば、出血は大分抑えられるはず。ここから全力で飛ばせば病院はすぐ近くだ。この程度の負傷なら、
《馬鹿!! シレン
──しかし、そんな俺の思考はレイシアちゃんの一声によって一喝された。
《冷静になりなさいな!!
《あっ!!》
言われて、俺はようやく思い出した。
アウレオルス戦、フィアンマ戦、オティヌス戦、上里翔流戦。
頼みの綱である
現然たる事実として────
《アウレオルスは記憶を失いました。上里翔流は何か大ダメージを負っていました。それが塗替に適用されるなら? ただでさえ幻生の無理な
《………………っ!!》
でも、ここで当麻さんの右腕から出てきた『何か』を意識した行動をとれば、それは確実に不自然な行動に映るだろう。
当麻さんが此処まで追い詰められているんだ。アレイスターは確実にこちらの様子を観察しているだろうし、幻生さんだって目の前で俺達のことを見ている。本来であれば知るはずのない事実を知っているということは、この街に潜む黒幕連中に対して──いや、この世界の裏側に潜んでどこぞからこの様子を見ているであろう魔神連中から警戒されるリスクを大幅に上げることになる。
俺は、そのリスクを正しく認識する。
その上で。
「当麻さん!! 何とか『それ』を抑えてください!!」
そのリスクを無視することにした。
躊躇している暇なんてない。俺達が魔神やアレイスターに警戒・特別視されるリスクなんてものは、塗替さんの命の危険に比べたら微々たるものだ。多分こうなってしまえば俺達の知る『正史』の知識の有用性なんてあってないようなものになってしまうんだろうけど……でも、そんなことはもう今更だ。
そもそも大覇星祭からこっち、俺達の知る事件なんて一個もないからね。────そう決意すると、不思議と『ガチリ』と何かの歯車が噛み合ったかのような感覚がした。
「ッ!」
その、直後。
音もなく、だった。
まるで食塩水の中で塩が結晶するように、当麻さんの右腕が
そのドラゴンは、そのまま音もなく幻生さんへと突き進み。
幻生さんの半身ほどを、
いや──物理的な話じゃない。
三次元世界においては、幻生さんはドラゴンの攻撃をすんでのところで回避している。にも拘らず、ドラゴンの攻撃の余波のようなものが、明らかに幻生さんの保有している『力』を食らったのが見えた。
「な──ッ!? こ、れは……!? 僕が蓄えた力が……!? なん、だ!? は、は、ハハハハハ! 何だねそのチカラは!! もっと……もっと見せたまえ上条君!!!!」
「…………ッ!!」
《駄目ですわ! 自分の理解を超えた未知の現象を前にして我を失っています! 完全に木原の死亡ルートに入ってますわよアレ!!!!》
《分かってるよ……ッ!!》
ゴッ!! と。
なおもドラゴンに対して向かっていこうとする幻生さんを突き飛ばすように、『残骸物質』を横合いに叩き込む。常人なら確実に即死している一撃だけど、『天使』級の出力を持つ幻生さんなら問題はない。……いや、力の半分を食われた状態で攻撃を食らったわけだから、多少のダメージはあるかもしれないけどさ。
ともあれ、そちらの方は一旦意識の外から弾いて、俺は幻生さんを食らおうとしていたドラゴンの方を見遣る。
──
俺は、その姿に見覚えがあった。とはいえ、憑依してからの経験じゃない。これは、
《う……嘘でしょう!? ほ、
《いや……
仮説はいくらでも立つ。
推理の材料はいくらでもあるようで、決定的なモノがない。だから現状に一番即した推測を事実として動くしかない。……まさに、自分の命をベットした賭けだ。生きた心地がしないが……でも、やるしかない。
「ここで、仕留めるしかありませんわね……!」
当麻さんの右腕の奥の存在──
確かに全能の力を得たアウレオルスに最強の力を得たフィアンマを倒すなどその戦績は輝かしいが、個々の戦闘を鑑みると、そもそも当麻さんのブラフに呑まれたアウレオルスと、
さらに、フィアンマと戦ったときは当麻さんは自分の意思で
ともあれ、当麻さんの意思で封じることができ、またオティヌスにあっさりと倒されるあたり、決して
塗替さんを無事に救って、そして俺達も生還する。その為には……このドラゴンは、倒さなくちゃいけない!!
覚悟を決めた瞬間、ドラゴンと目が合った。
その、威圧。
それはまるで、あの時インデックスが展開したあの『裂け目』の向こう側にいた『何か』。
その時に至って、俺達は気付いた。
…………ヤバイ。これ、勝ち目のある相手じゃない。
一時的な時間稼ぎとか、そういう甘い判断が通用する存在じゃなかった。これは……規格が違い過ぎる。魔神のような、世界のトップクラス中のトップクラスだから手が出せたんだ。対抗するには、
身の裡から、焦燥と共に『何か』が沸き上がりかけた、その瞬間。
「…………今は、お前の出番じゃねえ」
肩口を抑えた当麻さんは、ぽつりと呟いた。
「シレンとレイシアは、俺の大事な後輩だ。傷つけるのは、許さない」
ボッッッ!!!! と。
当麻さんがそう言った瞬間、ドラゴンは蒸気を上げるようにして消し飛び──そして、その後には、元通りの右腕が生えた当麻さんの姿があった。
…………え???
同日、同時刻、某所。
窓が一つも存在しない、モニターの明かりのみが星明りのように暗闇を照らす空間にて、逆さ吊りの『人間』はたった一言だけ呟いた。
「────まずいことになったな」
「と……当麻さん?」
俺は、おそるおそる当麻さんに近寄って、右手の様子を伺ってみる。
右腕のワイシャツは肩口あたりで吹き飛んでいるし、間違いなく当麻さんの右腕は一度吹き飛んでいる。幻覚なんかじゃない。でも、これは……明らかに腕が生えてるよね?
い、いやいや。確かにフィアンマ戦でも生えていたし、今思い返せばアウレオルス戦の後も
間近で見ると、やっぱりびっくりする。腕、ほんとに生えるんだ……。
「ああ、もう大丈夫だ。……でも、これからどうする? 幻生はレイシアがぶっ倒したみたいだけど……」
「いえ」
そこに関して、俺は短く答えた。
確かに攻撃は幻生さんにクリーンヒットしたらしく、幻生さんの動きは鈍い。だが、気流感知によると幻生さんは普通に起き上がっているし、戦闘の継続は問題なく可能そうだ。
先ほどドラゴンに半分くらい力を食われていたけど、そもそもが桁違いの戦力。『天使』を半分に割ったところで人間よりはるか上なのは変わらないのだから、あのくらいでは決定打にならないのはある意味当然なんだけど。
「幻生さんは……まだ戦えるようです。でも、もう例のドラゴンに頼ることはできませんわよ。アレは……塗替さんの身体にどんな悪影響を及ぼすかわかったものではないので」
「ああ。分かってる。アレをもう一撃食らわせたら、本当にヤバイことになりそうだしな……」
当麻さんは自らの右手に視線を落としながら、
「それに、もう大丈夫。シレンもレイシアもいるんだ。何とかなるだろ」
うぐっ……。また当麻さんは、平然とそういう恥ずかしくなることを言う……。
《シレン。ここで照れたりするようでは他の凡百ヒロインと同レベルですわよ。当然のこととして受け入れるのです。正妻の余裕を見せつけるのでしてよ》
《レイシアちゃんが既にそれを体現しているのが凄い……》
いや、この人ホント恋愛関係に関してはメンタルめちゃくちゃ強いな……今更だけど。
「ですが、わたくしが離脱したことによってドッペルゲンガーがフリーになってしまいましたわ。これはいったいどうしたものか……」
「あぁ、それなら大丈夫よぉ」
────と。
そんな話をしていたところで、突然横合いから声がかけられた。
蜂蜜をたっぷりかけたかのような、甘ったるい声色は──
「食蜂さん!?」
第五位、食蜂操祈。
……そういえば、確かそもそも美琴さんは食蜂さんの依頼で今回の事件に介入したんだっけ。なら、幻生さんが首を突っ込んできて色々と変質してしまった事件でも、食蜂さんはなんとか手綱を握ろうと頑張っていたかもしれないわけで……。
こうやって当麻さんが介入してきた以上、そこに接触をとってくるのは当然の流れだよね。
「あっあー。事情力は大体把握してるわぁ。まったく、まさか御坂さんの馬鹿電力が使い物にならなくなるとは思わなくてちょっぴり焦ったけどぉ……」
「……アンタは……?」
「ああ、私のことは気にしないでねぇ☆
食蜂さんは怪訝そうな表情を浮かべる当麻さんの一言をそうバッサリと切り捨てて、俺の方に目配せする。
……ああ、記憶の欠落によって生まれる当麻さんの疑念諸々は俺がなんとかフォローしろってことね。まぁ、例の
俺は無言で頷き、
「そこも問題ですわよ。美琴の戦力が失われた以上、わたくし達の手勢はわたくし自身と『メンバー』、帆風、弓箭妹ですが……」
「勝手に私の帆風をカウントしないでもらえるぅ?」
食蜂さんはぶすっと唇をとがらせ、
「心配力はいらないわぁ。御坂さんについては、私がちょおーっとだけ手助けしてあげたから。多分、
「…………?」
どういうことだ……? 綱引き……?
まぁでも、食蜂さんがこうして心配いらないって言っているんだから、多分本当に心配はいらないんだろうけど……。
「ともかく。そういうわけだから、ドッペルゲンガーは御坂さんに任せても大丈夫。アナタ達は、幻生に集中力を働かせておいてねぇ」
そう言い含める食蜂さんに、俺はふと疑問を抱いた。
その情報は確かに俺達にとっては福音だった。でも、別に電話でも済む内容だろう。むしろ、美琴さんに何かしらの協力をしている以上、本体は非力な食蜂さんがこの場に来るメリットが……?
《いえ、あるでしょう。特大のメリットが》
首を傾げそうになる俺に対し、レイシアちゃんはしれっとそう断言した。
《愛しのダーリンが、恋敵と共同作業ですのよ? そんなもの当然邪魔するに決まっているでしょう。当たり前の思考回路ですわ》
《ええ……》
そ、そんな単純な……。戦闘で一緒にいるとかいないとか、そんなの恋の行く末とは関係ないんじゃないかなぁ……?
《それに》
そんな与太話に付け加えるように、レイシアちゃんが言いかけた、直後。
バヂィッ!!!! と、雷が、食蜂さんの傍らに落ちた。
……いや、違う。
《己の腹心が傷つきつつも現場で戦っているんですのよ? あの女はそれを黙って見て居られるような『女王』ではありませんわ》
──紫電を羽衣のように纏う、天女。
おそらく一旦退場したときに着替えを準備してきたのだろう。傷一つない常盤台の制服に身を包んだ、帆風さんが──そこにいた。
「帆風。やれるわよねぇ?」
「もちろんです。女王」
そのやりとりに呼応するように、遠くの空に最低限回復したらしい幻生さんの姿が浮かび上がる。
──半減したとはいえ、相手は天使級。
ただし、こちらも手勢は負けていない。
そして──
今度こそ────塗替さんを、幻生さんの魔の手から救って見せる!!!!