【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)   作:家葉 テイク

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九六話:その手に掴むは

「よお~やくだ」

 

 

 女性──そう表現をすることすら、憚られた。

 栗毛の髪を夜風に靡かせたその立ち姿は、もはや誰が見ても、得体のしれない触手を蠢かせる化け物に等しい悍ましさを帯びている。それこそが、極彩色の彼女の内面を表しているかのようだった。

 

 原子崩し(メルトダウナー)

 

 学園都市・第四位。

 

 麦野沈利。

 

 弱冠一六歳の少女は、薄く笑みを浮かべ、顔の前で拳を握りしめる。

 パキリ、と指の骨が鳴る音がした。

 

 

 戦闘の開始は、その直後だった。

 

 

 まず、眼前にいた金髪の令嬢──レイシア=ブラックガードの姿が掻き消える。

 『亀裂』の翼の発現から上空への移動には〇・一秒の間隙すらなかっただろう。そして麦野もまた、その速度域での戦闘に食らいついていた。

 彼女たちの戦闘において、五感による感知は意味をなさない。必要なのは、演算能力。己の能力による知覚を介した精密な演算能力は、今を超え未来を見据える千里眼となる。それこそが、能力者の最高峰での戦闘の本質である。

 

 彼女の背後から迸る様に浮かび上がった二本の巨腕。破滅と凶兆に満ちた輝きを帯びたそれは、まるで格闘家が構えるようなファイティングポーズで油断なくレイシアのことを待ち構える。

 小康状態となった戦場で、二つの言葉が交わされた。

 

 

「ようやく、テメェをブチ殺せる」

 

「一敗地に塗れておいて、よく言いますわね?」

 

 

 そして、言葉を虚空に残してレイシアの姿がまたしても掻き消えた。

 

 

(……超音波アーマーを帯びての突撃! アレを食らえば私でも一発で意識を刈り取られるのは必至!! ……だが!!)

 

 

 攻め手の多彩さ。とれる手段の豊富さ。

 それが第四位と裏第四位(アナザーフォー)を分かつ最大の壁で、それがゆえに先の戦闘で麦野はレイシアに敗北した。

 しかし、ならば発想を逆転してやればいい。

 

 

「手札が多いなら、消し飛ばしてやりゃあいいんだよなァァあああああああああああッ!?!?」

 

 

 ズガガガガガガガガガガッッ!!!! と。

 

 巨人が、癇癪を起こした。

 

 

 破滅を意味する両腕が、乱雑に周辺へと振り回される。

 レイシアは最初それを自身に対する牽制と捉え、その稚拙さを鼻で嗤おうとしたが──彼女の内面に潜むもう一つの人格が、その浅慮を止めた。

 

 

《違うレイシアちゃん! アレは牽制じゃあない!》

 

 

 レイシア=ブラックガードにおいて、戦闘時の役割分担は流動的だ。

 その前後の戦闘の流れや敵対者に対する人間的相性などを踏まえて、どちらが言うでもなく自然にスイッチして分担を行う。時にはどちらも戦略を練り、どちらも能力演算を行うなんて変則的な対応をとることすらあるほどだ。

 今回の戦闘においてはレイシアが肉体操作を、シレンが能力の演算を担当していたが──それゆえに、シレンは気付いた。

 

 

《破壊しているんだ! 『繭』を!!》

 

 

 ──暴風発動の為に戦闘開始時より展開されていた、『亀裂』の繭。

 それが、今の一撃で破壊されていることに。

 

 

「アンタの能力はもう知っているわよォ、裏第四位(アナザーフォー)! アンタの能力はあくまでも『分子間結合力』に干渉して万物を分断する『亀裂』! 気流操作はその応用で行っているにすぎない! そう……『亀裂』を折り重ねるようにして生み出した『真空地帯』を解除することによってねェ!」

 

 

 勝ち誇るような笑みとともに、麦野は吠える。

 

 

「ならよォ……テメェが解除する前に、それ──破壊しちまえばいいんだよなァ!? そうすりゃ、フザけた気流なんざ使えねえ! それだけで、テメェの無数にある手札はたった一つの『亀裂』しか残らなくなる!!」

 

 

 ──『亀裂』の繭が破壊されれば、当然超音波による鎧は使用できなくなる。

 原子崩し(メルトダウナー)では対応できない手札の数々も制限できる以上、白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の優位性はほぼ失われると言っていい。

 もちろん、闇雲に原子崩し(メルトダウナー)の巨腕を振るうだけですべての『繭』を破壊できるわけではない。だが、応用のうちの何が破壊されるかどうか分からない状況では、レイシアはそれを計算に入れて行動しなければならない。

 

 

(飛行自体は、『亀裂』の翼が破壊されない限りは可能……だからまだ死に体ではない。でも……! 確実に暴風を使った応用は封じられた……! ……ここから、どう動く……!?)

 

 

 戦慄しつつ、シレンとレイシアは次の手を打てずにいた。

 

 空高く舞う令嬢を見上げながら、光の双腕を携えた鬼の女はゆっくりと、しかし冷徹に盤面を見下ろす。

 

 

 ────敵もまた、超能力者(レベル5)

 

 

 高みへ羽撃(はばた)くのが、一人だけとは限らない。

 

 

 


 

 

 

第三章 魂の価値なんて下らない Double(Square)_Faith.

 

 

九六話:その手に掴むは "ZERO"_or_Pride.

 

 

 


 

 

 

 

 戦闘開始より五分。

 

 レイシアと麦野の戦闘は、鬼ごっこの様相を呈するようになっていた。

 というのも、

 

 

「オラオラぁ!! 逃げてばかりじゃ私のことは倒せねェぞォ!?」

 

「……! あら、いつからわたくしとアナタが対等な勝負をしていると? わたくしが時間稼ぎをしているだけという可能性を考慮に入れなくてよろしいのかし、らッ!!」

 

 

 原子崩し(メルトダウナー)の放射による加速。

 それを利用して、麦野は接近しての高速戦をレイシアに挑んでいた。『繭』を破壊したことで超音波の鎧を警戒する必要がなくなったことが、要因としては大きいだろう。

 そして肉弾戦において、レイシアが麦野に勝てる道理は存在しない。ゆえにレイシアは、自分と麦野の間にあえて白黒の『亀裂』による繭を展開していた。もちろん風向きなど計算に入れてない、ただの空気の爆発しか起こさない程度のものだ。

 だが、それでも最短距離を結ぶ延長線上に存在する障害物を麦野が無視することはできない。原子崩し(メルトダウナー)の放射による加速はあくまで直線の移動であり、進路上に現れた障害物を回避しながら高速機動を続けようとすれば、その負担は麦野の肉体に蓄積されていくからだ。

 それに何より──『繭』を放置することは、敵の手数を増やすことにも繋がる。

 ゆえに。

 

 

「拙いブラフだなァ!! んなもん、テメェをぶち殺してからでも十分考慮は間に合う!!!! テメェは一秒でも長く生き永らえることだけ考えていればいいのよ!!」

 

 

 剛腕一閃。

 光の巨腕を薙ぎ払うことによって、『亀裂』の繭はいとも簡単に破壊される。また、()()()()()『亀裂』によって麦野の注意を惹きつつ透明の『亀裂』を使ってひそかに準備を推し進めている可能性も考え、もう一本の巨腕で定期的に戦場を一掃することも忘れない。

 お陰で山頂付近は木々が一本も残らない禿山と化していたが、これはむしろ、超能力者(レベル5)の戦闘で地形が原型を留めている方が珍しいと考えるべきだろう。

 麦野もまた、同じ考えだった。

 

 

「……どうした」

 

 

 そして──それゆえに、怒りに満ちていた。

 

 

「いつまで『暴風』に拘ってんだ!! テメェの能力は風か!? あァ!? ()げェだろうが!! テメェの能力は万物を切断する『亀裂』! だったらそれを直接私に向けるのが本来の運用なんじゃねェのかよ!!!!」

 

 

 もし仮に、レイシアが己の能力を十全に使っていれば。

 この逃避行の際に、幾度も『亀裂』を麦野に差し向けていただろう。もちろん目に見えるものであれば原子崩し(メルトダウナー)の双腕で薙ぎ払えるが、たとえば透明の『亀裂』を使って振るうようなことがあれば、麦野はもっと慎重な戦いを余儀なくされていた。あるいは、既に手を誤って四肢の一本でも失っていたかもしれない。

 だが、裏第四位(アナザーフォー)はそれをしない。

 できないのだ。

 敵対者の四肢を奪う──そんな取り返しのつかない負傷を与えることを、『人の道を外れた行為』と見做している。相手が命を狙ってきていると知っていても、その一線を崩さないまま、あろうことか第四位を倒そうと目論んでいる。──それができる気でいる。

 

 

「馬鹿にすんのも大概にしろ小娘!! この街の!! 闇を目の前にして!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ァ!!!!」

 

 

 侮辱、と麦野は素直に受け取っていた。

 

 能力者同士の、プライドを賭けた真剣勝負。

 だというのに、目の前の裏第四位(アナザーフォー)はそこへ目を向けようとしない。手札を残して、余力を蓄えて、安全地帯のヒーローごっこに興じようとしている。その生き方そのものが、自分に対する侮辱──麦野はそう思っていた。

 

 

「立ち塞がるなら殺す気で来い!! 殺す気がねェなら立ち塞がるな!!!! その程度の覚悟もねェくせに────(わたし)に立ち向かおうとか考えてんじゃねェよッッ!!!!」

 

 

 激情。

 叫びと共に麦野は、あえて双腕を山頂に叩きつけた。下手をすれば、レイシアの展開した『繭』に正面衝突しかねない危険な賭け。

 だが麦野は賭けに勝利した。幸運にもそのタイミングで『繭』は現れず──そして下方からの爆裂によって、レイシアは一瞬だけバランスを崩し、飛行速度が遅くなる。

 

 一瞬にも満たない時の流れの中、レイシアの表情が確かに狼狽の色に染め上げられるのを、麦野は確かに確認していた。

 そしてそのときには、既に原子崩し(メルトダウナー)の放射によって、レイシアに肉薄していた。

 

 ──一撃目に蹴りという肉弾戦による攻撃を選んだのは、別に温情によるものではなかった。

 レイシアのバランスを崩すために『循環』を二つ使用している為、攻撃に使える能力使用は『放射』しかない。しかし『放射』には照準の為のタイムラグが存在するため、音速を超える速度の戦闘ではとても使えないのだ。

 だから、すぐさま扱える肉体の礫をレイシアの腹に叩き込んだ麦野の判断は、至極当然のものだったと言えよう。

 

 

「ごあッ…………!?」

 

 

 腹に尖ったヒールが突き刺さったレイシアの口から、胃液と共に苦し気な吐息が漏れ出す。

 麦野が足を振り切る動きに合わせ、レイシアの身体は真下目掛けて弾丸のように吹っ飛んで行った。

 原子崩し(メルトダウナー)で追い打ちを仕掛けることも可能だったが、麦野はあえてその手を選ばなかった。照準までの間にレイシアが体勢を立て直すことは想像に難くなく、『放射』によって発生する土煙はレイシアに次の手を打たせるのに十分な時間を与えかねないからだ。

 

 

(嬲り殺す為じゃない。最短ルートで殺すために、能力は使わない)

 

 

 怒り狂いながらも、麦野は冷徹に盤面を支配していた。

 しかしそれは、レイシアの側からしても想定外ではなかった。

 

 

《やっぱり……! 麦野さん、肉弾戦に切り替えてきた!》

 

《当然の帰結ですわ。原子崩し(メルトダウナー)は高速戦には対応できない。なら筋肉自慢のゴリラ馬鹿が、次の手に何を選んでくるかなんて明白ですもの!》

 

 

 高速戦を挑めば、麦野が肉弾戦に頼るのは想定の範囲内。

 これまでの戦闘は、麦野に一つの誤認を生むための作戦であった。

 つまり──

 

 

《これで麦野さんはこう思ったはず》

 

《レイシア=ブラックガードは、暴風さえ封じれば自分に何もできない!》

 

 

 

 そしてそれこそ、レイシア達の戦略でもあった。

 レイシアが肉弾戦に対して有効な打開策を見いだせなければ、麦野は当然それが有効だと判断する。攻め手を重ねていくうちにその確信は深まり──より攻撃に意識を割き、肉弾戦で向かってくる。

 

 何度目かの応酬の後。

 再度レイシアへの肉薄に成功した麦野に対し、レイシアは土壇場で『亀裂』の壁を展開した。これならば肉弾戦に対する防御になるとの判断だったが──麦野はあっさりと光の腕でそれをむしり取り、レイシアを眼下に収める。

 『亀裂』を障子でも破るかのようにあっさりと破壊された事実に、レイシアの思考が一瞬だけ空白に染まる。

 

 それを見ながら、麦野はスッと足を高く上げる。

 

 

「どうして、『亀裂』程度で私の猛攻を防げると思った?」

 

 

 そして、それこそがレイシアの望んでいた展開だった。

 

 

「──暴風だけ。……どうして、それ以外の手札がないと思いましたの?」

 

 

 直後。

 踵落としを狙っていた麦野の身体は、横合いから飛び出してきた『残骸物質』に撥ね飛ばされた。

 

 

「三次元の豆腐を切断すれば、その断面は二次元の平面となるように。三次元よりも高次の『何か』を切断すれば、その『断面』は物質としてわたくし達の世界に現れる。暴風さえ抑えれば勝てるとでも思いまして? ……アナタごとき『格下』など、暴風がなくてもどうとでもなりますわ。身の程を知りなさいな」

 

 

 吐き捨てるように言い切ったレイシアはしかし、『亀裂』の翼による高速移動の手を止める気はなかった。

 今の煽りはあくまで麦野の冷静さを奪うための舌戦。原子崩し(メルトダウナー)を防げるかどうかも分からない程度の『残骸物質』で麦野を攻略できるなど、レイシアの方も考えてはいない。

 

 

「…………道理でな」

 

 

 吐き捨てるような呟きがあった。

 フッ飛ばされて地に伏していた麦野は危なげなく起き上がると、そのままレイシアを見上げる。

 月光に照らされた彼女は、頭から血を流してはいるものの、それ以外に目立った負傷はない。そしてその眼差しも、怒りに満ちてはいるものの、狂気に染まってはいなかった。

 

 

「仮にもこの街の上が私の上に置くような能力者だ。暴風なんざ潰した程度で終わるとは思っていなかったわよ。だから警戒していた」

 

 

 『残骸物質』の直撃は、乗用車の正面衝突に匹敵する威力を秘めている。いかに麦野といえど、攻撃の途中で食らえばひとたまりもない。

 であれば、なぜ彼女がいまだに意識を保てているのか。それは単純──彼女が攻撃の瞬間、『循環』によって作り出した両腕による防御を意識していたからだ。

 

 

「しっかし……クソ頑丈な物質だな。私の原子崩し(メルトダウナー)でも滅しきれねェとは思わなかったわ」

 

 

 地面に沈み込むように消えていく『残骸物質』の表面は、大きく溶かされ破損していた。

 原子崩し(メルトダウナー)は、『残骸物質』を破壊できる。

 ただしその威力と強度は殆ど拮抗しているため、今回は『残骸物質』の移動速度の分だけ受け止めきれずに麦野も吹き飛ばされた──というところだろう。

 瞬時にその事実を理解した二人は、それを計算に入れたうえで未来の戦局を演算していく。

 

 

『もしもアイツの能力で「意味が分からねえモン」が出てきたら、そいつは狙い目だぜ』

 

 

 麦野の脳裏に、男の台詞が蘇る。

 

 実のところ、『残骸物質』は計算外なんかではなかった。

 だからこそ、麦野は突然現れた伏兵に対して咄嗟に防御という行動を選択できたのだから。

 

 ──助言の主は、この男。

 金髪に、顔面の半分を覆う刺青。チンピラのような科学者、木原数多だった。

 彼女たち『アイテム』を雇った張本人である彼は、この戦闘の直前のタイミングで、麦野にあるアドバイスを送っていた。

 

 

『物質ってのは、切断すれば次元が一つ下がる。立体は平面に、平面は直線に。……そして直線は、極点に』

 

 

 それは、ある歴史では世界を破滅に導いた知識だった。

 

 

『テメェの原子崩し(メルトダウナー)は、電子を粒子でも波形でもない曖昧な状態で操る能力。極小の一点を、一点にして全体のまま扱うのにはこれ以上ないってほど適した能力だ』

 

 

 しかし本来、それは専用の実験器具や数多の戦闘を経てパラメータをセッティングすることで初めて得られる境地でもある。

 正しい道のりを通るのであれば、たった一戦の中で麦野が得られるものではない。しかし。

 

 

『……そして裏第四位(アナザーフォー)は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 悪魔のような笑みを浮かべ。

 

 

『俺は以前、ヤツが実際に「次元」を切断してみせたのを見た。順当にやりゃあ、一次元をまとめて切断するのがテメェには観測できるはずだ。そのパラメータを利用すりゃあ、テメェにも手が届くはずだぜ。……「〇次元の極点」にな』

 

 

 科学者は、少女を唆す。まるでイヴに悪意を吹き込むサタンのように。

 

 

『踏み台にしちまえよ。テメェを超えた忌々しい小娘を。そうすりゃ、名実ともにテメェが第四位──いや、それ以上だって狙えるかもしれねえぜ?』

 

 

 〇次元の極点。

 それは、世界の集約。これは極小の一点であると同時に、世界全てでもある。この極点を経由すれば、能力者はこの世のあらゆる物質をどこへでも飛ばすことができる。

 欲しいものはいくらでも手元に置いておくことができ。

 要らないものは銀河の果てへでも吹き飛ばせる。

 それが、〇次元の極点の本領である。

 そして麦野には、それを扱う資格があった。

 

 

(あと一回だ)

 

 

 『放射』による高速移動でレイシアとの距離を詰めながら、麦野は内心でほくそ笑む。

 

 

(ヤツの『残骸物質』。おそらくまとめて幾つかの次元も切断しているはず。十中八九、一次元もその範囲に含まれているだろう。あとはそれを間近に観測すれば…………極点(しょうり)は私の手の中に落ちる)

 

 

 レイシアは逃げながら、『暴風』を使うための繭を展開しようとする。

 麦野はレイシアに追いすがりながら、これを『光の腕』で薙ぎ払う。そうこうしているうちにレイシアは麦野に追いつかれ、そして打撃を浴びそうになり──

 

 

「しつっ……こいですわね! このゴリラ!!」

 

 

(──来た!!!!)

 

 

 横合いから発生した未知の感覚に、麦野は全神経を集中させる。

 糸が解れる感覚があった。

 世界という一つの構造体が解れに解れ──そしてその一番奥にある『何か』に、手が届く感覚。

 恍惚とでも表現すべき快感と共に、麦野はそれに触れ────

 

 

「ご苦労だったな、クソアマ。テメェのお陰で無事に私はコイツを『収穫』できた」

 

 

 その手の中に、光の玉が生まれた。

 

 それは、原子崩し(メルトダウナー)による粒子でも波形でもない曖昧な状態の電子ではない。

 もっと、根源的な輝き。

 まるで遥か遠くにある星々の光を手元に寄せ集めたかのような、そんな輝きだった。

 

 『残骸物質』は、いつの間にかどこかに消えていた。

 

 否。麦野が、どこか銀河の果てに吹っ飛ばしたのだった。

 これが、麦野の本領。原子崩し(メルトダウナー)の果て。たとえ一方通行(アクセラレータ)でも、反射を無視してその奥へ直接働く力には対応できない。極点を介した空間移動は完全に同座標とみなされるから、そもそもベクトルが存在しないのだ。

 つまり、最強。

 

 この瞬間、麦野沈利は超能力者(レベル5)の頂点に立ったと言っても過言ではなかった。

 

 

「そんじゃ、手始めにテメェを銀河系の果てまで吹っ飛ばしてやるか。安心しろよ。誰もテメェの醜い死に顔は見なくて済むようにしてやっからよォ!!!!」

 

 

 ──はずだった。

 

 

「…………あ?」

 

 

 ふと気づくと、麦野の手の中にある極点に、一筋の『亀裂』が差し込まれていた。

 白黒の面を持つ、『亀裂』。レイシア=ブラックガードの能力だった。

 

 

「……なんだ。そんなもん……触れた瞬間に、銀河の果てに吹っ飛ばして……?」

 

 

 消し飛ぶはずだ。麦野は既にそういうふうに能力を操っている。にもかかわらず、『亀裂』は消えない。それどころか、極点自体に亀裂が走るような、嫌な音が手元から響き続ける。

 

 

「どういうことだ!? 極点はっ、確かに! 私の手に! テメェの能力を踏み台にして、私は……っ!?」

 

「アナタが何を手にしたのか、わたくしには分かりませんけれど」

 

 

 対するレイシアは、あくまで落ち着きを払いながら、狼狽する麦野を見据えている。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 つまり。

 

 この場に、『極点の支配者』は二人いる。

 

 レイシアに、『〇次元の極点』を扱うことはおそらく不可能だろう。彼女の本質は切断することであり、極点を作り出すことはできても、それを制御することはできない。だが一方で、レイシアは極点を作り出すことはできる。

 麦野が扱おうとした極点のほかに極点を生み出し続ければ、世界の基準点を複数持つ状態では麦野の能力がエラーを起こし、正しく機能しない。

 

 この瞬間、麦野は理解した。

 

 

 目の前のコイツは、不倶戴天の敵だ。

 

 

「ブチコロシ、カクテイね」

 

「オシオキなら、してさしあげてもよろしくてよ!」

 

 

 極点は使い物にならない。

 その事実を認識した麦野は、掌の中に収めた世界をいったんすべて破棄し、再度光の双腕を振るってレイシアを屠らんとする。

 高速で空に移動したレイシアはしかし、既に十分すぎるほどの時間を得ていた。その証拠に、彼女の頭上には──太陽が輝いていた。

 

 それは正しくは太陽ではない。

 気流を収束させることにより、空気を極限まで圧縮した──摂氏一億度の巨大なプラズマ球体である。

 

 

「……()()()()

 

 

 せせら笑うように、レイシアは言う。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 麦野の答えは、決まっていた。

 

 

「上ッ等だ!! クッソガキがァァあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 気流に押し出されるように、ゆっくりと麦野へと降りかかるプラズマ。

 麦野は言われずとも分かっていた。これが、レイシア=ブラックガードの──白黒鋸刃(ジャギドエッジ)の奥義。最大戦力。即ち、これを上回れば、裏第四位(アナザーフォー)の手札はすべて征服したことになる。

 そして、破壊力勝負ならば──原子崩し(メルトダウナー)に負ける道理などあるわけがない。

 

 

「ああ……あああああァァァあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 プラズマと原子崩し(メルトダウナー)の双腕が、激突する。

 一億度にもなるプラズマを生成するほどの気流は、確かに凶悪だった。原子崩し(メルトダウナー)の出力を以てしても一瞬たじろぐほどの威力がそこにはある。だが──所詮は気体。粒子でも波形でもない曖昧な状態のまま高速で射出することにより、疑似的な固体としての性質を得るほどの『抵抗力』を獲得した電子の前では、あまりにも脆弱。

 最終的に、原子崩し(メルトダウナー)の双腕はレイシアの最大戦力であるプラズマをも切り裂いて打破した。

 

 

 ──その瞬間、レイシアは高速で移動し、麦野の死角に立っていた。

 

 プラズマは、囮。

 破壊力勝負を持ち掛ければ、たとえそれが見え透いた罠だったとしても、麦野沈利は受ける。むしろ、受けないという選択肢はない。それは、彼女の誇りを捨て去る行為だからだ。

 特にレイシアが『殺さず事を収めようとしている』ことに憤りを感じるような人間性の相手であれば。

 プライドの為に最適解を投げ捨てる麦野の精神性を知るレイシアだったからこそ選び取った、あまりにもピーキーな策だ。

 

 

(…………!)

 

 

 しかし、見事に麦野を出し抜いたレイシアだったが、それでもその表情はすぐれない。

 演算リソースを大きく使用するプラズマの生成に加え、瞬時の高速機動まで行ったのだ。かつてないほど間断なき演算戦闘に、レイシアの脳も悲鳴を上げ始めていた。

 さらに──レイシアの気流感知は、眼前の麦野が原子崩し(メルトダウナー)による盾を展開していることを示していた。

 プラズマの時間稼ぎが続くのも、あとほんの一瞬程度。原子崩し(メルトダウナー)の盾を迂回して高速機動を行い、麦野に超音波の鎧を帯びた突進を食らわせるには、あまりにも時間が足りなさすぎる。

 

 

 ──二人の脳裏に、ある選択肢がちらつく。

 

 

『立ち塞がるなら殺す気で来い!! 殺す気がねェなら立ち塞がるな!!!! その程度の覚悟もねェくせに────(わたし)に立ち向かおうとか考えてんじゃねェよッッ!!!!』

 

 

 『亀裂』による、直接攻撃。

 

 たとえば左腕を切り飛ばすような激痛を与えれば、まず演算はできなくなる。その隙にさらなる一撃を与えて昏倒させれば、確実に麦野を倒すことができるだろう。

 殺すわけじゃない。

 正史のままに進めば、結局はその通りになる程度の負傷だ。

 別に今ここでレイシアがやってしまっても、どうせ大勢に影響はない。

 

 

 ……レイシアの右目に映る麦野のブレが、僅かに収まりだした。

 

 

 かくして、広がり散らばった未来は収束を始める。

 

 まるで、伸び切ったゴム紐が元の場所に戻るかのように。

 

 

 そして、そのブレは完全に静止して────

 

 

《いや、ダメだ》《いえ、ダメですわ》

 

 

 ──しかし、再始動する。

 世界の歪みは、収束しない。少なくとも、そんなつまらない結末へは。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それが──真価の違い。

 〇次元の極点と、臨神契約(ニアデスプロミス)の差。

 

 

《なら、どうする? 最短距離には原子崩し(メルトダウナー)の盾。迂回しようものなら時間稼ぎのプラズマを蹴散らした麦野さんの反撃が来るけど》

 

《なら、真っ直ぐ行けばいいだけですわ。盾をどうするかは────》

 

 

 空を翔けながら、レイシアは断言する。

 

 

《──シレン、アナタに任せました!!!!》

 

《完全に人任せじゃん!!》

 

 

 呆れながら、シレンは既に答えを見つけていた。確かに、この距離で高速機動を仕掛けても、迂回しながらでは時間稼ぎのプラズマを蹴散らし、麦野はこちらの攻撃に応対してくるだろう。

 ならば、その距離をさらに縮めることができれば?

 

 

《プラズマの制御は既に手放した。高速機動だけしか今の演算タスクは残っていない。それなら……余裕はある! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!》

 

 

 ズッ──と。

 唐突に発生した浮遊感に、麦野は虚を突かれる。そして気付く。蹴散らしたプラズマのその先に、レイシア=ブラックガードがいない。

 

 

「……クソが、こいつは囮……ッ!? だが、その距離なら十分反撃が間に合……!?」

 

「間に合いませんわよ。アナタもこちらに向かっているのですから!!」

 

 

 自身が移動させられているという事実への驚愕。

 その一手分の遅れもまた、勝敗を分ける一つの要因となった。

 

 原子崩し(メルトダウナー)の盾をくぐり、拳が届く距離に肉薄したレイシアは、右手を静かに振りかぶる。

 そして、超音波念動で移動させられながら、なおも肉弾戦による反撃を行おうとする麦野に向かって──

 

 

「覚悟がどうだのとか、抜かしておりましたわね」

 

 

 ギリギリと握りしめた右拳を振り抜き。

 

 

「誰も殺さない。誰も死なせない。それがわたくし達の、覚悟ですッ!!!!」

 

 

 ゴガンッ!!!! と。

 一つの決着がつく音が、宵闇に響いた。

 

 

 


 

 

 

 ──麦野さんとの戦闘が終わった後。

 

 演算のし過ぎでいつもよりも重く感じる頭を手で押さえながら、俺達は他の戦場──美琴さんと絹旗さんの方へと向かっていた。

 美琴さん、どうも本調子じゃなかったからなぁ……。おそらく苦戦はしていると思うけど、大丈夫だろうか……。

 

 そんなふうに、心配していたのだけれど。

 

 

「…………ようやく捕まえたわよ。もう観念したらどう?」

 

「……超その通りみたいですね。どうやら麦野も敗北したようですし」

 

 

 俺たちが到着したちょうどそのときに、絹旗さんはおびただしい量の砂鉄によって捕縛されたようだった。

 ……いやぁ、本調子ではないとはいえ、やっぱり大能力者(レベル4)相手なら危なげないなあ、美琴さん……。いや、よく見たら色々と擦り傷があるし、直撃を防いだだけでけっこう攻撃はもらっていたのかもしれないけど。そのへんはさすが絹旗さんだ。

 

 

「えっ? ……あ! レイシア! シレンさん!」

 

 

 遅れて、美琴さんも俺達に気付いたようだった。

 

 そして、その一瞬の油断が命取りとなった。

 

 

「捕縛したって言っても超戦闘中によそ見なんていけませんよ」

 

 

 ボバッ!!!! と。

 おそらく、圧縮した窒素缶でも爆裂させたのだろう。その衝撃で砂鉄を散らした絹旗さんは、そのまま一目散に駆け出し、戦場から離脱していった。

 

 

「また、縁があれば会うこともあるでしょう。……個人的には、アナタとは超敵対はしたくないですしね」

 

 

 ……あの分じゃ、多分麦野さんも回収されてるだろうなあ。下手に麦野さんの身柄を確保して途中で暴れられたら本当に死んじゃうのであえて放置したけど。ああ、またことあるごとに麦野さんと戦わなくてはいけないのだろうか。今度はどんな強化がされるんだろ……。

 あの良く分かんない光については、多分俺達が何かをしない限り出せないものだとは思うけど、それもよく分からんしなあ……。ちゃんと後日研究しないとダメかも。

 

 

「どうする? 追撃しよっか?」

 

「いえ。あれだけ完膚なきまでに叩きのめしたのです。少なくとも今夜中は復帰してはこれないでしょう。それよりも今は、塗替の救出に全力を注ぎたいですわ」

 

「了解。……っつっても、私はなんでかよく分からないけど、そろそろ電池切れがきそうなのよね……」

 

「それについても、原因は分かっています」

 

 

 おそらくは──もう一人の操歯さんの背に咲く大きな花のようなアンテナ。

 アレが、超電磁砲(レールガン)を横取りしているのだ。つまり、アレさえ破壊できれば美琴さんが消耗することもなくなるはず。

 それよりなにより、今は任せきりにしてしまった当麻さん達への救援に向かわないと!

 

 

「わたくしは、もう一人の操歯さんを抑えに行きます。美琴さんは、帆風さん達のサポートに回っていただけますか?」

 

「しゃーないわね。分かったわ。最後まで付き合ってやろうじゃないの!」

 

 

 頷き合って、俺達は当麻さん達のいる戦場目指して、山を下っていく。

 向かっていく戦場の先から、まるで雷雲が這うような低い轟きが近づいていた────。






【挿絵表示】

作:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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