GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて斯く戦えり ~帝国の逆襲~ 作:異世界満州国
翌日――。
伊丹たちは高機動車の中で椅子にもたれながら、じっと時間が過ぎるに任せていた。
眼前に広がる村と、広く広がる森林。時折、森のそよ風が伊丹の頬を撫でた。森の香りが空気を浄化しているためか、深呼吸すると幾ばくかリラックスしたような気分になる。
(コダ村と違って、随分と平和な村だな……)
見上げる空は青く、気温と湿度が理想的な状態で存在し、太陽の空はやや強いものの、日陰に入れば十分に涼しい。森からは先ほどから鳥や小動物の鳴き声が絶えず、時折いくつもの群れが木から木へと移動している。その数と頻度を考え合わせると、森にはそれを支えるに足る充分な資源が存在するのだろう。
村の周囲の森林はよく手入れされており、日中でも適度な日差しが明るく照らしてくれる。が、奥に深入りするにしたがって、鬱蒼と茂った森林が昼間なお暗い『黒い森』と化す。
伊丹はじっくりと周囲を眺めまわす。車の中から見えるものを観察するだけでも、かなり多くのことが分かる。
まず、エルフの村は森の中に存在し、かなり原始的な生活スタイル――貨幣経済によって分業の行われていない、自給自足社会に近いこと。その生活基盤は豊かな森の恵みに支えられており、狩猟と採集によって成り立っている。
一方で社会構造としては原始共産制に近く、伊丹の観察した限りでは権力者や階級支配は存在していないように見える。リーダーらしき人物はいるものの、行動に移る前にしきりに合意形成をしていたことから、他のメンバーへの強制力は弱いような印象を受けた。
「――隊長、いつまで今の状態を続けるつもりですか?」
だらだらと時間だけが過ぎていく現状に、栗林が疑問を呈した。
「焦るなって。今はこれが最善」
缶詰の中に入った「とりめし」の戦闘糧食(レーション)を頬張りながら、伊丹は気の無い調子で答えた。不満そうな顔の栗林に、“対話”による交渉の重要性を説く。
「情報収集だけが目的なら、銃で脅して無理やり言う事を聞かせるのが一番てっとり早い。武力なら、俺たちが圧倒的に優位だ」
「それは、そうですけど……」
「だが、それじゃ問題は解決しないんだ。攻撃も譲歩もわざわざ俺たちから仕掛けてやることは無い」
伊丹たち自衛隊は相変わらず、膠着状態のまま待機していた。伊丹は椅子に深くもたれかかり、行儀悪く足をハンドルの上で組んでいる。他の隊員はもう少し警戒しているものの、いつまで続くともしれぬ睨み合いに退屈し始めていた。
「隊長……この水、飲めますかね?」
気晴らしに井戸を調べていた倉田が、桶の中を指さす。現在、伊丹らが使っている水はすべて本国から搬送されたものであり、もし特地の水が飲めることが分かれば大手柄だ。
なにせ水の場合、炊事・洗濯・風呂なども含めると日本人は一日当たり300Lもの水を消費している。さすがに特地にいる2万の兵士は節水を心掛けているが、それでも兵器のメンテナンスなど作業用に使う水を考えれば100Lは下らない。
水だけで一日当たり2000トン、2000立方メートルを搬送しなければならないのだ。特地の水が使えれば、どれほど負担が減るかは言うに及ばずだ。
「まぁ、お前なら大丈夫だろ。………未知の病原菌とか入ってても」
「ボソッと怖いこと言わないで下さいよ!?」
繰り返すが、ここは特地。異世界だ。水にしろ食糧にしろ、どんな細菌リスクが潜んでいるか全く不明。特地の物質を口にした自衛官が正体不明の疫病を発症しようものなら、すぐさまゲートは再封鎖される。
事実、ゲートと東京を行き来する補給部隊は、厳しい疫病検査とメディカルチェックに放射線検査と、過剰なまでの安全対策を受けた上で任務に送り出されている。
何せゲートを潜り抜ければ、すぐに首都の中心地・銀座なのだ。最悪の場合、東京発のバイオハザードになる。異世界の軍隊なんかより、疫病の方がよっぽど恐ろしい。
「冗談だ。アルヌスでひたすら塹壕掘ってた1ヵ月の間に、特地の水の安全性は本国の研究所で保障済みだよ。検査は国民を安心させるためのパフォーマンスだ。科学的な“安全”と心理的な“安心”は別物だからな」
伊丹が苦笑いで答える。
「需品科に行った知り合いが愚痴ってたよ。『無知な一部の国民を安心させるためだけに、血税使って本国から水を運ぶなんて勿体ない』って」
「隊長はどう思っているんですが?」
「さぁな。俺は所詮しがない一兵卒だし、上の指示に従うだけさ」
伊丹がロープが括り付けられた桶を井戸へ投げ落とした――その時。
「――隊長、相手に動きが」
唐突に富田が声を発する。伊丹はすかさず姿勢を正すと、足元の突撃銃を握りしめる。
窓から慎重に様子を伺うと、昨日のエルフ少女が近づいてくるのが見えた。
「富田、どう思う?」
「気を付けてください、何かの罠かも」
「ふむ……それも一理あるな」
相手が少女とはいえ、何を企んでいるかわかったものではない。伊丹はおもむろに腰を上げ、探るような視線で少女を見つめる。
最初に見つけた金髪の少女だ。肩から大きな革のバッグを斜めにかけ、真昼の空のように澄んだ瞳でじっとこちらを見据えている。
(見たとこ、丸腰のようだ。武器らしいものも見えないし、特使かなんかか……?)
少し考えて、伊丹は指示を出した。
「倉田、エンジンをかけてくれ」
「逃げるんですか?」
「念には念を入れて、だ」
伊丹はそう言うと、胸ポケットから無線機を取り出して口を開く。
「みんな聞いてくれ! こちらに近づいてくる相手は丸腰だ。迎撃の必要はないが、妙な動きを見せたら援護してくれ――対応は俺がやる」
「「「了解」」」
突撃銃を再び足元に置くと、伊丹はドアを開けて車から出た。
**
テュカはハッと顔を強張らせた。足がすくんだが、大丈夫と自分に言い聞かせてさらに歩みを進める。
(う……何なの、この臭い?)
異臭が鼻をつき、思わず手で鼻をつまむ。油と硫黄が混じったような臭いが僅かに漂う上に、空気そのものが煙っぽい。
顔をしかめ、あらためて異臭の発生源を探すテュカ。
くんくんと鼻を動かして臭いの発生源を探ると、小刻みに震える鉄の馬車に辿り着く。アイドリング状態の高機動車――異臭の発生源はそれが原因のようだ。
もともとエルフの五感は人間より遥かに鋭い。およそ排気ガスとは無縁の生活を送ってきたテュカにとって、初めて嗅ぐ車のガス臭は鼻にねっとりと絡みつくようだった。
それでも、テュカは怖じげず更に一歩足を踏み出す。上りゆく月の薄明かりと沈みかかる太陽の残光を浴びて、向かい合う両者。
相手から目を逸らさないようにしながら、テュカはそぉっとバッグの中を探る。そして目的のモノを見つけると、警戒の色を薄めず見つめる伊丹の目の前に“ソレ”を突き出した。
「へ……?」
エルフ少女のとった予想外の行動に、伊丹は思わず面食らう。
(剥きエビ……?)
剥き身のエビのようなものが数匹、エルフ少女の手の平に置かれている。油で揚げたのか、表面はきつね色をしていて微かに香ばしい臭いがした。
が――。
(待てよ、ここは森だぞ。森にエビ……だと?)
ふと違和感を覚える伊丹。河エビなら獲れそうだが、それにしては大き過ぎる。
改めてよくよく目の前のエビ(仮)を眺めてみると、ある異変に気づいた。
――なんか先っぽに、堅そうな黒い塊が付いてる。
どことなく見覚えのあるシルエット。まるで小学校の頃、学校の傍にあった雑木林でとったカブトムシの幼虫のような……。
「んなァっ!?」
衝撃に顔を歪め、あられもない恐怖の声をあげる伊丹。
(幼虫だコレ!絶対コレ幼虫だ!)
なぜ幼虫が!?どうしてエルフが虫の幼虫なんか持ってるんだ!?しかも何故か油で揚げて調理済み!
様々な疑問が頭を回ってどうしたものか分からず、伊丹は少女と幼虫を交互に見る。
「ん!!」
狼狽える伊丹に、少女――テュカは挑むような視線を向けたまま口をあぁんと開けると、幼虫のひとつを頭からばくばくと食い始めた。
「あむっ、もぐもぐ。むぐもしゃ。ごくん」
「い……」
ものすごい速さでフライド幼虫――カミキリムシ幼体の素揚げ――を噛み砕いて飲み込むエルフの少女。
ファンタジー世界に抱いていた幻想を粉々に打ち砕くその光景に、伊丹はただただあっけにとられるしかない。謎めいた迫力に圧され、思わず一歩後ずさる。
「ん!」
ところが少女はさらに虫の幼虫をバッグから取り出すと、再びグイと伊丹の前に突きつけて来た。
「……お、お嬢さん?俺にどうしろと?」
「クレオ・ダス、セルバ(貴女も食べてみて)」
「まさか食えってんじゃ……」
「アメ、ヴィ・ハス・ケンジャ(仲良くなる第一歩だと思うの)」
「だって幼虫だよ!?ムリ、無理だから!」
「レイ、シャ―ミ・チャ、ショー(栄養たっぷりで、ご馳走なんだ)」
幼虫は依然としてグロテスクで、少女の視線はあくまで真剣だ。
一歩間違えれば、何が起こるか分からない緊張感――伊丹は覚悟を決めた。
「っ……よし――!」
ごくりと唾を飲み下し、幼虫を受け取る。恐る恐る指で摘むと、思い切って口を開けた。
「はむっ……っ!」
そしてエルフ少女がやったように頭からかぶりつき、もぐもぐと噛み砕く。
異様な味と食感が口の中に広がる――囓ると中から凝固したタンパク質の旨みが広がり、思ったよりマシな味であることに少しばかり驚く。
揚げてあるからか風味は香ばしく、味は炒めたばかりの落花生に動物性の旨味を足した感じ。皮と頭はパリパリとさっくりした感じになっており、身はしっかり固まって豆腐よりやや堅めの食感。
「……!」
少女が青い目を見開き、ぐいと身を乗り出した。固唾を呑んで見守る住人たちからも「おお」と声が上がる。テュカのすぐ後ろにいるホドリューも「食った……」とエルフ語で小さく叫ぶ。
そうしている間にも、伊丹は目を白黒させながら口を動かして何とか幼虫を飲み下した。
「シン・ティク、オーン、ション・セー(やった!食べてくれたんだ!ありがとう!)」
テュカは思わず笑みをこぼした。
――大事なのは、一歩踏み出す勇気。それが出来れば、後はどうにかなるのだ。
もしかしたら気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、今回の話は「彗星のガルガンティア」2話のオマージュです。
だって同じ異文化交流だし、ヒロインのCV金元さんだし……。
あと虫は貴重なタンパク源。