GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて斯く戦えり ~帝国の逆襲~ 作:異世界満州国
太陽はすでに沈みかけ、謁見の間に影が落ちた。赤い夕陽を受けて血のように染まった皇帝は、額にしわを寄せていた。
「皇帝陛下。諸王国連合軍の損害は死者、行方不明者合わせて10万人に達する見込みです。敗残兵は統率を失い、帰途についた模様」
マルクス内務相の報告に、皇帝はふっと緊張を解く。
「計画通りだ。これで近隣諸国が帝国を脅かす事もあるまい」
皇帝は満足そうに頷き、次の命令を下す。
「アルヌスから帝都に至る、全ての村を焼き払え。井戸には毒を入れ、食糧と家畜は全て運び出すように命じよ」
「御意、仰せのままに」
マルクス内務相が下がろうとしたところで、一人の女性の声が響いた。
「――お待ちください、陛下!」
玉座の間に現れたのは、第3皇女ピニャ・コ・ラーダ。その顔にはあからさまな嫌悪感が浮かんでいる。
「ピニャか、どうした」
皇帝の鋭い目線にも物おじせず、つかつかと詰め寄るピニャ。
「アルヌス付近で焦土作戦をするという話は本当ですか?」
「敵は我らより遥かに強大だ。それが遠征の失敗と、此度の敗戦でハッキリした。ならば敵の補給を断って封じ込めるしかあるまい。幸いにして、我が帝国にはそれが出来るだけの広大な領土がある」
「しかし……!」
「忘れるなピニャ、今の我々……帝国は“弱者”なのだ。己自身を冷静に見つめ、その弱さを受け入れずして勝利は掴めぬ」
皇帝の言葉を素直に受け入れることが出来ず、ピニャの顔が強張る。
「我々が……弱者っ……?」
無理もない。彼女が生まれた時から帝国は覇権国家であり、つい3か月前までそれが崩れるなど予想だにしなかったのだから。
憮然とするピニャに皇帝は威厳に満ちた声で宣言する。
「よいか、帝国兵の強さは大陸随一だ。にもかかわらず、あの屈強な兵士たちは全滅した。それはつまり、敵が遥かに強大であることに他ならん」
今でこそ戦場に立つことは無くなったが、皇帝も若い頃は自ら前線で剣を振るっていた経験がある。だからこそ、分かるのだ。
「このフォルマート大陸に限定すれば、帝国軍に敵う相手など存在しない。最良の装備と最高の訓練を積んだ余の兵は、最強の兵士“だった”」
過去形――最強と信じて疑わなかった帝国軍が一方的に敗北したという事実は、皇帝に現実を受け入れさせるには充分過ぎる判断材料だった。
「戦には犠牲を恐れぬ覚悟も必要だ。死んだ子は産めばまた増えるし、焼けた田畑も再び耕せばよい」
「それは……そうですが」
冷静に反論され、ピニャは悔しそうに唇を噛む。冷酷なようだが、皇帝の意見は正しい。
(どれほど強大な軍であれ、補給の呪縛は付きまとう……異世界の軍とて、腹がすいては戦はできぬはず)
事実、自衛隊が諸王国連合軍相手に大勝利をおさめられたのも、戦場が比較的補給の容易な“門”周辺であった事が大きかった。
現代の軍隊が戦闘状態で使用する物資の量は、一日当たり1個師団1万5000人で1500トン程だとされている。
しかもこれはあくまで最低限の数字。様々なリスクを考慮すれば予備の物資も必要となるし、単純な重量だけではなく容積の問題も考えなければならない。
何より特地での輸送手段が車両輸送に限られている以上、どうしても行動範囲が限定されてしまうのが現状であった。
もちろん自衛隊の持つテクノロジーは帝国の遥か先を行っており、皇帝の望んだほどの戦果は得られないだろう。
が、焦土作戦は自衛隊が冒険的な行動を控えるに足る、充分な判断材料にはなり得る。
仮に圧倒的な武力で勝利したとして、戦後の占領政策でつまずけば統治は泥沼化し、そのツケは財政赤字となって日本社会への大きな負担となるからだ。
「それより、だ。ピニャ、そなたの騎士団と共にイタリカへ出向け。護送して欲しい人物がいる」
「護送、ですか……?」
皇帝の唐突な命令に、ピニャは面喰ってしまう。そんな彼女の反応も予想通りといった風情で、皇帝は威厳たっぷりに命じた。
「然り。此度の任務は、帝国の命運を左右するほど重要なものだ。帝国の未来が、そなたの活躍にかかっておる」
まるで何かを確信しているかのような、皇帝の口調。ピニャとマルクスは困惑しつつ、互いに顔を見合わせるしかなかった。
◇◆◇
では帝国が決戦に向けて着々と準備を進めていた頃、“門”を超えた自衛隊は何をしていたのだろうか?
結論からいえば、「橋頭堡の構築に勤しんでいた」というのが正しい。
諸王国連合軍を破った勢いに乗って戦線拡大――といった威勢のよい「ありがち」な失敗を犯さず、実に慎重に行動していた。
『日本は何をしているのだね?『門』の周りを亀の子みたいに立て籠っている。あの先は宝の山だというのに』
アルヌスで陣地構築にいそしむ自衛隊を揶揄した、時のアメリカ大統領・ディレルの発言である。
いかにもアメリカらしい、というよりアメリカにしか出来ない発言……世界中に基地を持ち、何度も大部隊を海外へ派遣した経験の豊富なアメリカだからこそ、こんなセリフが言えるのだ。
アメリカ以外の国家指導者なら、間違いなく口を揃えてこう言うだろう。
――動けるワケないだろ、と。
そう、自衛隊はゲートの先へ進まないのではなく、“進めない”のだった。
戦争というのは、膨大な物資を必要とする。実際、自衛隊が未だ“門”付近に留まっている理由の大部分は兵站にあった。
特地に派遣された自衛隊の数は3個師団、およそ2万人の兵力である。それほど多くないように見える数だが、それを動かすのに必要な数字は果たして如何ほどのものだろうか。
兵士一日当たりの水・食糧の消費はおよそ20㎏ほどと言われている。これを基準に考えれば、2万の自衛隊が存在するだけで一日当たり400トンもの物資が吹っ飛んでいく計算になる。
しかも自衛隊員は数字ではなく生身の人間……ということは、「一日の消費量20㎏」にも数字では表せない様々な要素が加わることになる。
たとえば食料の「成分」だ。
士気・健康維持のためには「味」や「栄養」も考える必要がある。保存のきかない野菜や嵩張る果物、輸送に不便な卵やら魚なんかも届けなければならない。
残念なことに数字だけ見て、水とハードビスケットをひたすら食べさせ続けるわけにはいかないのだ。
更にこうした「モノ」は立方体だ。縦・横・高さがある上に、場合によっては温度や湿度も管理しなければならない。
そして「輸送手段」。インフラが整っている日本国内ならともかく、中世レベルの特地のインフラはハッキリ言って使い物にならない。
何より、特地は陸続きである。これはすなわち、大規模貨物輸送手段の中で最も低コストな船舶輸送が使えないことを意味する。
また、“門”が銀座のど真ん中にあることも輸送の困難さに拍車をかけていた。物流や経済に悪影響を与えないよう、緻密な計画と様々な配慮が必要になるからだ。
これだけでも大変なのに、残念ながら今までの話は全て「理論上の数字」である。
書類上の数字と現場の状況が乖離するというのはどの組織でも経験することで、適切なマネジメントを行わなければある物資は在庫の山、別の物資では不足、なんて事になりかねない。
こうしたリスクを考えて、軍隊ではおよそ1割のバッファを用意するのが常識だ。
これだけで、特地に自衛隊を派遣するのがどれだけ大変な作業か分かるだろう。コストもバカにならない。そして上記の莫大なコストは税金によって賄われる。
裏を返せば、国民に「特地で自衛隊が行っている活動は、自分たちが税金を納めるに値する」と納得してもらわなければならないのだ。
これがどこぞの独裁国家ならば、検閲やら情報操作やらで煩いマスコミと左翼を黙らせることが出来るが、あいにくと日本は民主主義国家である。
政府の話を聞かない国民を説得して合意形成まで持ち込まなければいけないし、政府活動には情報開示による透明性の維持が求められるのだ。
“門”の周囲に留まっている限りは「安全保障の為」という事で理解を得られるが、それ以上先に進出するには「自衛隊の派遣コスト<特地の調査で得られるメリット」という事を定量的に数値データで示さなければならない。
油田を得るための戦争で、埋蔵量以上の石油を消費しては本末転倒というものなのだ。
そのため自衛隊は圧倒的な戦力を保有しながらも、アルヌスでひたすら陣地構築に追われる羽目になる。
ようやくアルヌスの先へ調査する許可が防衛省から下りた頃には、特地派遣から一ヶ月が経っていた。
後半ほとんど兵站の話になってしまった……。
見たところアルヌス近辺に穀倉地帯や大都市があるわけでもなさそうですし、本国から輸送する物資も多いんじゃないかと。
最近、イラク戦争や湾岸戦争におけるアメリカ軍の兵站について書かれた本を読んだのですが、現代でもやっぱり大変なんですね……。