ビブリア古書堂 事件の裏で 作:ayaka_shinokawa
2学期が始まってしばらく経つというのに、暑い日が続いている。今日は部活もあり、どうしても帰宅してすぐに交代する気がしなかったので、母屋で洗顔をしている。すると窓の外が暗くなり夕立が降ってきた。
雨が降ってきたということは、店頭においてあるワゴンケースに雨よけのビニールシートをかぶせなくてはならない。ワゴンケースは大規模古書店で言うところの廉価品が入っている。査定がつかない本でも程度の良いものはこのケースに入れられる。
五浦さんのことだから、夕立の気配を察知して早々にシートをかぶせているとは思うが、もしも店内で手の放せない作業をしているとたらと思い、母屋から店内に通じる引き戸を開ける。
ちょうどカウンターに戻ってきたと思われる五浦さんと鉢合わせした。洗顔をするために筆頭にしたまま店に来たので五浦さんはちょっと引き気味。姉だったらお小言がくるかも…。
とりあえず空気を換えるべく話を振ってみる。
「あーあ。降っちゃったね」
そういえば、ちょっと前までは五浦さんを警戒の目で見ていたのに、今じゃこんなだらしない格好をしているのはなんでだろ。まぁ、姉に訪れた春じゃなかった、姉が認めた人なのであたしとしては全然問題ないんだけど。まだ引き気味なので
「お客さん、来てる?」
と聞いてみた。
「いや、あまり……平日だし」
至極当然の返事が返ってきた。
「やっぱり不景気だねえ。つぶれちゃうかなあ、うちも」
帳簿的には全然問題ないけどちょっと不安をあおるようなことを言ってみる。
すると、五浦さんがちょっと不安そうな顔になった。確かに姉が入院して2ヶ月、バイトに毛が生えたようなあたしが切り盛りしてきたんだ、それでもどうにかなってきたんだぞ。と言ってやりたいがしばらく五浦さんの不安を煽っておこう。
不安げな顔をしながら五浦さんがパラフィン紙に包まれた一冊の本を取りだし、棚に飾った。出された本を見てあたしは驚いた。
「あれ?その本!」
というのも、その本は祖父の代からあったすごい高い本だ。
「それ、昔からあったすっごい高い本じゃなかった?あのほら、太宰の…」
「……晩年」
と助け舟が出される。
「この本、店に出しちゃうんだ。これだけはなにがあっても売らないってお姉ちゃん言ってたのに。やっぱりここんとこ売り上げがダメだから?」
売り上げについてはカマかけだ。売り上げなんて姉の査定とお客さんからアルバイトと勘違いされているあたしの体力でどうにかなるということはとっくにわかっている。
「……最近、この本を買いたがってる客っていた?」
「いないよ、全然」
と首を横に振った。
「お姉ちゃんと同じようなこと言うね。しょっちゅうお姉ちゃんにも訊かれるんだ……この本を買いたいって人は来てないか、もし来たらすぐに連絡しなさいって。ね、なんか大事なこと?」
「いや……別に」
五浦さんは顔には出さないがちょっとした仕草でうそをついていることが分かる。あたしと同類だ。あたしがうそをつくときの動揺には全然気づいていないようだけど。
何がしかの事件がこの本には関わっている。たぶん姉が入院したのもこの本が原因なのかもしれない。
あたしはガラスケースを覗きこみ『晩年』を凝視する。なんか違和感。
「あのさ、これってお姉ちゃんが病室の金庫に入れてたやつだよね?」
「うん、まあ……」
「こんなに綺麗な本だったっけ……?」
そうだ、こんなに綺麗な本ではなかったはずだ。もうちょっと古びたというか汚れていたというか……。
「前に見た時は、もうちょっと汚れてたような気がするけどなあ……角の方とか」
ニセモノか…やっぱりなにかある。
もう少し情報を得ようと五浦さんに話しかけようとしたとき、外から「どーん!」という雷鳴が聞こえた。
「おおう。凄かったね、今の。きっと近くに落ちたよ!」
あたしの関心はそちらに移ってしまった。
あたしが母屋に戻った後で小菅さんが来たらしい。あたしとしてはボーイッシュでかっこいいクラスメイトとしてしか認識していなかったんだけど、志田さんや五浦さんと姉と関わったことであたしとも関わりができていた。
実は、小菅さんの事件のあと、あたしは使える情報網を使って西野のことを調べ上げた。で、いろんな子に話しているうちに学校中に広まっていた。でも、あたしが広めたことは分からないはず。
小菅さんの後に、あのにぎやかな奥さんがご夫婦で来店したらしい。その際に店の外にいた男が看板にガソリンをまいて火をつけようとしていたとのこと。
そんなことがあってから数時間後、うちの前に消防車と警察が来る羽目になった。駅にいた人と駅員さんがうちから火の手が上がっていると通報したらしい。
幸い五浦さんが消しとめ、犯人も志田さんと笠井さんの協力によって捕まえられた。なんと犯人は西野だった。
北鎌倉駅前の山ノ内交番のお巡りさんと五浦さんに取り押さえられた西野は、そのまま大船警察署にパトカーで連行されていった。
そして大船消防署の火災調査官と五浦さんの話しによれば、坂口さんご夫婦が帰られた後火をつけようとした男がいたことを姉に伝えていたところ、店の前から火の手と黒煙が見えたので五浦さんが消しとめ、たまたま近くにいた志田さんと笠井さんが西野を捕まえる形になり、五浦さんと通報を受けて飛んできた交番のお巡りさんが捕まえたのだとか。
ただ、消防の調査官からはうちもちょっと注意を受けた。坂口さんご夫婦が来た時点でガソリンがまかれたことから消防にその旨報告して、まかれたガソリンを適切に処理する必要があったらしい。特にうちのような燃えやすい物件はそうなんだとか。
警察と消防については五浦さんが対応してくれたし、
「妹ちゃんは出てこなくていいよ」
と志田さんと笠井さんが店番を買って出てくれた。
五浦さんが事情聴取から戻って笠井さんが開口一番
「……結局、ただの逆恨みってことかな」
とのことだった。
西野が五浦さんや刑事さんに言った話によると、「学校で他の生徒たちから無視されるようになったのは、誰かが自分のプライバシーを調べ上げ、陰で言いふらしたからだ。怪しいのはもちろん小菅奈緒だが、他にも「犯人」がいるに違いない。小菅を尾行するうちにこの店にたどり着いた…」ということらしい。
で、小菅さんと五浦さんが話しているのを見て、「店を全焼させるつもりはなかったが、痛い目に遭わせてやろう」と考えたらしい。
さらに、同じように小菅さんの家にも火をつける予定だったらしい。
それって、現住建造物放火ってやつで死刑までありうるんだよ…西野。
ただ、これについてはあたしも反省だ。あたしの情報網というか仲間うちも似たような調査能力とスピーカー機能があるってことだ。今回は看板を燃やしただけですんだが、店に燃え移っていたらと考えると恐ろしい。
しばらく表は男の人に任せてしまおう。
しばらくして、笠井さんがうちに侵入した空き巣だったりしたことが分かって、これまたぞっとする話を聞かされしばらくへこんだのは内緒だ。
そして、姉と五浦さんの間にも亀裂が生じたらしい。笠井さんに面会に行ったはずの五浦さんが、
「ここ、辞めたから…」
と未払いの給料を取りに来た。
一ヶ月だけの店員、姉としっかりとしたかかわりを持つことのできた男性なのでちょっと残念に感じた。
しばらくたって、あたしは近況を聞くために電話してみた。就職活動がうまくいってたらいいし、うまくいっていなかったとしたらまたうちに戻ってもらうきっかけとして…。
「……店、どうなってる?」
しょっぱなから聞かれてしまった。やはりちょっと気にしていたらしい。
「うん。新しい店員さんが入るまで、ちょっと閉店してるの。あ、別に五浦さんが気にしなくてもいいからね。もともと、お姉ちゃんがいないのに店を開けてるのが無理だったんだし」
実際にはあたし一人でもやっていけたんだけど、今回の件があって一人でやっていくのはちょっとまずいと姉も考えて閉めることにした。
さすがに放火事件のあった後だし。
「……」
五浦さんはきっと閉めるきっかけになったのは自分なのではと自問しているんじゃないかと思っている。
だから聞きにくいけど聞いてみよう。
「それよりもさ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「……」
「五浦さん、お姉ちゃんとなんかあったんだよね?」
答えにくい質問をしてしまった…とそのときは思ったけど、でもストレートに聞くほうがいいだろう。
「うん、まぁ……ちょっと」
「ちょっとってひょっとして……ちょっとあの巨乳に触っちゃったとか?」
低い声で言われてしまったのでちょっとひねりを入れてみた。
「そんなわけねぇだろ!」
ちょっとからかったことで気分がほぐれたんだろう。普段の五浦さんの調子に戻った。
「でも、ほんと大きいよね、お姉ちゃん。形もなかなかですよ~」
とさらにからかってみる。
「……電話切るぞ」
確かに就職活動で携帯の連絡先を教えているんだろうから、つながらないと大変なことになりかねない。くだらないことばかり言ってられないな。
「ごめん、ちょっと待って!お姉ちゃん、様子が変なの」
「え?」
「本をね、読まなくなったんだ」
そう。店を閉める一因にはこれもあるのだ。今までだったら査定といいつつ、たくさんの本を病院に持ち込んで看護師さんから文句を言われていたあの姉がだ。
「五浦さんが辞めてから、ずーっとぼんやりしてて……せっかくもうすぐ退院なのに、元気がないんだ。だから心配になっちゃって。ちょっとでいいから、見舞いに行ってくれないかな?」
確約の返事は取れなかったが一応こちらからの現況報告をした。
しばらくして五浦さんの就職活動は失敗に終わり、再びうちの店に通ってくれることになった。