ビブリア古書堂 事件の裏で   作:ayaka_shinokawa

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はじまり

 

 

横須賀線。

この路線は東京から横浜・鎌倉を経由して横須賀、三浦半島を結ぶ首都圏の幹線だ。

あたしの家は、この首都圏の大動脈の湘南側の入り口にあたる北鎌倉の駅前で古書店をやっている。

店の名前は「ビブリア古書堂」。世間ではショッピングセンター並みに大きな古書店が流行っているけど、古都鎌倉ではうちのような古本屋でもやっていけている。

姉によると、「人の手を渡って古い本には、中身だけではなく本そのものにも物語があるのよ」とのこと。

最近になって、あたしも姉の言っていることがなんとなくわかるようになってきた。

大きな古書店ではわからない、「人の手によって生まれた物語」についてそのきっかけになった事件から話していきたいと思う。

 

ところで北鎌倉がどんな町か説明しておこうと思う。横浜と鎌倉の境界である「大船駅」と古都鎌倉の中心「鎌倉駅」それぞれから一駅。大船は駅ビル、ショッピングセンター、大学に囲まれたにぎやかな街。鎌倉が鶴岡八幡宮をはじめとする鎌倉幕府の中心地だったことから世界中から観光客の来る観光の街であるのに対し、寺社や住宅に囲まれたとても閑静な街である。

駅はそんな閑静な住宅しかないのにとんでもなくホームが長い。また、改札口が鎌倉駅側にしかない上きっぷ売り場は1番線にしかない。

ホームが長いのは首都圏の大動脈ゆえ10両以上の電車が行きかっているからという理由はわかる。ただ、改札口がなんでそちら側にしかないのかはわからない。利用者としてはちょっと不便。

 

うちの店はそのような閑静な住宅地にあって、店を開けていても一日数人のお客さんしか来ないことだってある。だけど維持できているのはなぜか。それは昨今のインターネットと宅配便事情にある。

父が店主だったころは、看板にもある「古書買取・誠実査定」をお客さんが持ち込みこの店で行っていた。

今は店のウェブサイトにあるメールフォームから「買取依頼」「販売」まで何でもできてしまうのだ。実際現在の売り上げの6割以上はウェブサイト経由のお客さんだったりする。

だから毎日毎日開ける必要は無いけど、学校から帰宅すると「営業中」のプレートをかけ「店番」をするようになっていた。

父が亡くなり、姉があのような不幸な事故?事件?に巻き込まれてしまい家に帰って来られない状況になってしまい「家を守るのはあたしだ」という気になっていたからかもしれない。

 

あの日はウェブサイト経由で送られてくる姉宛のメールを「買取依頼」「古書捜索依頼」

「販売」「私用」に分類し、入院している姉のパソコンに転送しようとしているところだった。

 


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