大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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前回までのあらすじ

 順調に推移する戦場に突如牙を剥く金色の深海棲艦、そして摩耶様御乱心。


 それでは何かご意見ご要望があればお気軽にどうぞ。


2016/09/12
 誤字脱字修正致しました。
 ご指摘頂きました坂下郁様、じゃーまん様、拓摩様、黒25様、MWKURAYUKI様、有難う御座います、大変助かりました。


全てをただ一撃に

 ベンガル湾にて幾つか行われている海戦は大きく分けて三箇所、湾の北西深部に届こうかという位置でリンガ泊地を中心とした艦隊と海域ボスが戦う制海権を掛けた戦い。

 

 そのリンガ含め南洋に配置された拠点を襲撃する為出現した戦艦棲姫含む襲撃艦隊を迎撃、鹵獲を目論む吉野率いる大本営麾下第二特務課艦隊。

 

 そして本来第二特務課艦隊と合流するはずだった大本営麾下第一艦隊は、恐らく最初から計画されていたのだろう、姫艦隊が第二特務課艦隊と会敵した辺りから出現し始めた海域の居付き(・・・)だろうと思われる深海棲艦を駆逐する為、当初展開した位置に釘付けになったまま動けなくなっていた。

 

 第一艦隊が対する深海棲艦は重巡を筆頭に小型艦や補給艦が殆どであったものの、数による攻勢を受けそれに応戦し、今は既に4艦隊分程の数を沈めてはいたが、水面に浮かぶ敵の数は沈めた数よりまだ多く見える。

 

 

 

「ザコばっかでもこれだけ集中されると鬱陶しいを通り越してヤバくなってくるな」

 

 

 球磨型五番艦 重雷装巡洋艦木曽は幾度目かの酸素魚雷の斉射を終え、空になった魚雷管へ再装填を行いながら忌々しげに前を睨んでいた。

 

 相手の錬度はそれ程でも無いのだろう一度の斉射で二~三隻は確実に沈めてはいるが、その開けた空間は即座に別の深海棲艦によって埋まり、彼方にあるはずの水平線は殆ど視界に入らない。

 

 

「むぅぅ、幾ら沈めてもキリが無いのじゃ、のぉ武蔵よ、そろそろ交代で島に補給を出さんとマズいのではないか?」

 

「確かに、今見えている深海棲艦程度なら一掃は可能ですが、それ以上だと弾薬切れでこっちは総崩れになりそうですね……」

 

 

 利根型一番艦 航空巡洋艦利根が艤装内にある予備弾を取り出したついでに弾薬残量を確認し、眉根を寄せている。

 

 会敵から現在まで、今まで戦ってきた海戦では経験してきた事の無い程ハイペースな弾薬消費に少なからず危機感が募っていく。

 

 赤城型一番艦 正規空母赤城が今のペースで戦った場合のざっくりとした継戦可能時間を考えつつ、既に三順目になる弾薬補給を終えた天山を空に放っていた。

 

 現在位置は北センチネル島東35海里程、そこからの往復時間を考えれば徐々に戦線を下げつつも補給の体勢に入らなければ弾薬切れで戦闘の継続は難しい状況になっている。

 

 武蔵は51cm連装砲から砲弾を撒きつつ、僚艦から報告される艦隊情報を苦い顔で聞いていた、当初は手早く敵を片付け本隊(第二特務課艦隊)へ合流する予定であったが、それをするにも留まるにも被害という面では軽微であったが肝心の弾薬が足りない状況になっていた。

 

 

「……日向と木曽、そして秋月は先に後退して補給を開始してくれ、残りの者は微速で後退しつつ島の前に陣を張り直す」

 

「一気に半数も抜けて大丈夫か?」

 

「今のペースなら後退しつつの補給は可能のはずだ、全員の補給が済んだ以降に再補給があるとしたら二隻づつのローテになるだろうがな」

 

「判った、なら殿(しんがり)は私が勤めよう、秋月を先頭にして速やかに後退を開始してくれ」

 

「了解しました、それではお先に!」

 

 

 秋月を先頭に木曽、日向の順で三隻が単縦陣を組んで後退を始める。

 

 そして日向が後退を始めた時点で武蔵達も徐々に後ろへ下がり戦線が緩やかに東へ移動していく、しかし敵艦隊はこちらが後退を開始し数が半分になったにも関わらず、一定の距離を保ちながら包囲網を形成する事に専念しているのを見ると、相手の目的はこちらの殲滅では無く足止めが目的だというのは疑い様の無い事実であった。

 

 

向こう(第二特務課)との合流阻止が目的か? 赤城よ、この後全員が補給を終えた後奴らを突破して向こうと合流するという手を打ったらどうなると思う?」

 

「下策ですね、敵が追いかけてくればあちらの敵と挟み撃ちになりますし、そのまま侵攻されると拠点が()ちる可能性がありますよ?」

 

「ちっ、ババを引いたか…… 仕方ない、母艦(轟天号)へはこちらの状況を知らせて合流は適わぬ事を伝えておかんとならんな」

 

「ですね、こっちは消耗戦になってしまいますが、島の補給物資を計算に入れるとまだ半日は余裕があるはずです、しかし…… さっき入った連絡では新たに"金のヲ級"が出現したとありましたが、あちらは大丈夫でしょうか?」

 

「……もしそれが例の個体だっとしたら戦力的には拮抗かやや劣勢という処か、しかし指揮はあの長門が執っている、やり方さえ間違えなければ大丈夫だろう」

 

「ふふっ、吉野さんじゃなくて長門さんが指揮を執っているからですか、艦隊司令形無しの言葉ですね」

 

 

 敵に囲まれている戦場で見せるには呑気な雰囲気と笑顔を表に出す赤城に呆れながらも、大本営第一艦隊の指揮を執る戦艦はつられて口元を綻ばせていた。

 

 

「あいつはまだ指揮を執るには経験が足りん、しかし現場を掌握しそれを手足の様に動かせる長門と、戦略だけ(・・)は一級のアイツが組めばそうそうヘタを打つ事はあるまい」

 

 

 

 武蔵は不適な笑みを表に貼り付け赤城にそう言葉を返し、特に危機感を抱く事はなかった。

 

 

 しかし後に武蔵はそこから南西の海域で戦いを繰り広げる第二特務課艦隊は、現在武蔵の言う処の"ヘタを打っている"真っ最中であった事を後から知る事になる。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 青い空に金色(こんじき)の帯が幾条も刻まれ、海の青はそそり立つ水柱で白に侵食される。

 

 摩耶の視界にはその水柱から金色の異形の姿が微かに確認でき、自分が往くべき場所は空からもたらされた鉄の雨の向こうだという事を認識させる。

 

 12.7cm高角砲+高射装置が上空を旋回する艦攻を幾つか叩き()とすが、それより先に投下された航空魚雷が直近で炸裂し、上がった水柱に煽られ体が横へ飛ばされれる。

 

 よろめく体を捻り、水面を蹴る事で強引に体勢を立て直しながら、速度を落とす事無く前へ体を押し出した。

 

 

『摩耶、聞こえているか! 下がれと言っている!』

 

 

 イヤホンから繰り返し長門からの制止の言葉が聞こえ、耳障りな声に顔を歪めるがそれに答える事も、イヤホンを耳から引き抜く間も惜しい。

 

 今止まれば空からの脅威に加え、ヲ級の脇を固めているだろうタ級からの砲撃の餌食になる事は確実である。

 

 

 摩耶を追う長門は援護の為砲撃を繰り返しはするものの、対空兵装を備えて無い為回避と同時に行われるそれは思った位置へは弾着せず、長門を追い抜きやや先行する陽炎も執拗な空爆から逃れる為に似た様な状況に陥っていた。

 

 

「くそっ、このままバラで突っ込んでも各個撃破されるだけだ、せめて摩耶と合流せんと何ともならん」

 

 

 じわじわと差が広がる先の摩耶は既に本格的な戦闘に入っており、不確かな狙いのまま主砲を放てばそれが摩耶にも当たってしまうかも知れず、援護もままならない状況に突入していた。

 

 現状ヲ級の航空兵力の半分以上は長門達に向けられていたものの、タ級の矛先は全て摩耶に向けられており、砲撃による水柱がその周囲を覆い尽くす程の勢いで吹き上がっている。

 

 そんな状態になってしまっては最早離脱も容易では無く、現状は援護の為長門達が合流しなければどうにもならなくなっている。

 

 

「摩耶、回避だ! こっちが合流するまで回避に専念しろ!」

 

『うるせぇ……ここまで来てそんなチンタラしてられっか、邪魔すんじゃねーよ』

 

 

 怒気を含んだ言葉を吐き出しながら、摩耶は淡々と二号砲の狙いを定める。

 

 

「コイツが……"金色"が目の前に居るんだ、退ける訳ないだろ」

 

 

 脇を通過する砲弾が頬を切り裂く、赤い雫は下に垂れず横に流れ、後方へと散っていく。

 

 

 摩耶は大本営第二艦隊に所属していた時、"なんでも屋"と称される程多岐に渡る任務に従事していた。

 

 そして他の艦に比べこの海域に足を踏み込んだ回数は遥かに多い。

 

 敵の制海権の只中絶望的な戦いが常であり、攻略や殲滅が目的ではない編成での行動は、会敵即ち撤退戦というのが常態化していた。

 

 所属していた艦隊の性質上秘匿事項が多く、味方拠点の直近であっても救援を呼ぶ事すら許されない事の多かった彼女達には、自力のみで生きる道を切り開く事しか許されなかった。

 

 

「ココでコイツを()らなきゃ、誰が沈んだ龍驤や五十鈴の……アイツらの、(鳥海)の仇を討つってんだよ……」

 

 

 繰り返される無謀な作戦は、大本営麾下にありながら艦隊員損耗率は最前線の拠点の倍に近い物になっていた。

 

 最強を謳われる第一艦隊の戦果も、堅牢を誇る最前線の防衛線も彼女達の犠牲の上に築かれた部分も少なくは無かった。

 

 

 そうして重ねられた屍の(戦友の骸の)山は、摩耶という艦娘を狂気と共に前線へ駆り立てたとしても何ら不思議では無かった。

 

 

 それ故前線へ転任は認められたものの、暴走を危惧された摩耶は南方には送られず鬱積した怒りは東の海域で燻り続けていたのだった。

 

 

「何も要らねぇ…… コイツを()る事以外何も要らねぇんだよ! 長門、お前なら判るだろ?」

 

 

 長門は無言で顔を顰める。

 

 確かに彼女は僚艦の多くを失ってきた、そして最後は自分を残して艦隊は全滅し、妹の陸奥もその際轟沈していた。

 

 摩耶の言葉は判らなくも無い、もし目の前に居るのがあの時艦隊を蹂躙した者であったなら長門の心も怒りを含んだ物になっていただろう、しかし摩耶の心中は理解できても尚彼女は同じ行動は取らないと断言出来た。

 

 何故なら彼女は艦隊旗艦長門である、自分が動き、天秤が傾いた結果が破滅に向かう物ならその選択は絶対にしない。

 

 

 だから僚艦にもそれはさせないし、しようとすれば己が盾となってもそれを止めるのが自分の務めであると自負もしている。

 

 

 怒りに身を任せ破滅へ向かう僚艦を引き戻す為に前へ出る、戦況はまだどちらとも答えを出せない程の物であったが、このまま推移すれば多くの犠牲を出す事は容易に想像が付く。

 

 空からの猛威は相変わらずだが既にそれを構ってはいられない状況へとなっていた、多少の被弾があったとしても仕方が無いと覚悟を決め前に出ようとしたが、その瞬間前に展開しているヲ級周辺に幾つが水柱が立ち、同時に頭上を舞う敵機の統率が乱れた為、空を舞う金色の傘下から長門は抜け出す事が出来た。

 

 周囲を注意深く確認すれば、レシプロ特有のプロペラが回る音が微かに響き、豆粒程であったが緑の水上偵察機が旋回して敵機の間を縫う様に飛翔しているのが見えた。

 

 

「瑞雲…… 大鳳か!?」

 

 

 ほんの少数だった緑のそれは、瞬く間に数を増やして金色の帯の中に織り込まれ何かを投下しては旋回し、また()とされていく。

 

 幾ら高速であっても水上偵察機では艦戦の牙から逃れる事は難しい、それでも目の前の瑞雲達は懸架された魚雷を投下した後も援護の為だろう、摩耶の周囲で旋回を続けていた。

 

 

『こちら轟天号、長門君聞こえるかな?』

 

 

 瑞雲が飛来した方向を見ると母艦(轟天号)は見えないが、その代わりに刀を携えた黒髪の駆逐艦と、今も尚瑞雲を発艦させている空母の姿が確認出来た。

 

 

「提督、何故時雨達を前に出した、直掩(ちょくえん)無しで母艦(轟天号)を敵に晒すつもりか」

 

『いやぁ、時雨君がどうしてもと言うから仕方なく、それに彼女達とはそれ程離れてないから粗方そっちが片付いたらまたこっちの直掩(ちょくえん)に戻って貰うよ』

 

「何だと? 母艦を前に出していると言うのか?」

 

『一時的にね、さて長門君、今から援護射撃を行うから出来たら摩耶君をそこから引かせて欲しいんだけど…… 出来そう?』

 

 

 今自分の提督は何と言った? 確か母艦(轟天号)に搭載する兵装で援護射撃をしようとするなら最低20,000mは近付かなければならず、幾ら回りで戦闘が展開されていたとしてもヲ級がそれを放っておく筈は無い。

 

 更にその距離に到達して援護を開始したとしてもその威力は駆逐艦の砲撃程にしかならず、とても援護しとての役割を期待する事は出来ない。

 

 

「残念だがアレ(摩耶)を敵から引き剥がすのは無理だ、それに今更そんな豆鉄砲で何をすると言うのだ、一体何を考えている?」

 

『取り敢えずそこの三体の内一体はこっちが始末出来ると思うよ、ただちょっと問題があってね…… その後悪いんだけど全体の指揮を任せる事になっちゃうけど大丈夫かな?』

 

「何だと?」

 

 

 言ってる事は意味不明であったが、現状対峙している戦力を考慮し三体の敵の内何れかでも一体が減るのならば摩耶の安否は別として殲滅は充分可能ではある、どんな手を使うのかは判らなかったが吉野がやると言えば必ずそれを実行するだろうと長門は確信もしていた、しかしその結果が艦隊の全指揮権の委譲というのはどういう事なのか?

 

 

「敵が一体減れば殲滅は可能だ、暫く時間を貰うだろうが指揮に関しても引継ぎは心配いらん、しかし提督よ…… 一体何をするつもりだ」

 

『ちょっと時間が無いから説明は控えさせて頂きます、そんじゃ摩耶君が沈まない内にとっとと始めようとしますか』

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 あえて軽い口調で言葉を吐き出した吉野の目にはそろそろ射程に収まろうかとしている敵の姿と、それと対している摩耶の姿が映っていた。

 

 漆黒の耐爆スーツに包まれた体はうつ伏せのまま船の舳先(へさき)に固定され、その後方では甲板に据えられた試製50口径14cm速射砲がモーターの唸りと共に敵へその砲門を向けていた。

 

 

 それに装填されているのは直径20mm、全長600mmの陸奥鉄製の矢を格納したサボットと、使用限界のほぼ倍の量の炸薬。

 

 本来使用される筈だった弾薬は榛名の艤装改修の為陸奥鉄の殆どを供給した結果量産される事は無く、僅かに残した物で作ったこの"零号弾"は一発しか造られてはいなかった。

 

 唯一無二のただ一発、砲撃兵装としては成り立たないだろう弾数のそれは二発目を必要としない。

 

 

『提督、やはりそれを使用するのは危険です』

 

「そうも言ってらんないよ夕張君、今使わずにいつコイツをいつ使うって言うんだい?」

 

『でもそれは……』

 

「君が危ないって言っても自分はコイツを信用しているよ、だってコイツは他の誰でもない、君が作った物だからね」

 

 

 仮面の裏で口角が吊り上る、普段何かと()き下ろしては散々な評価をしていたが、その実吉野は夕張の装備には絶対の信頼を置いていた。

 

 例えそれが無茶を詰め込んだトンデモ兵器であっても彼女はいつも全力をそれに注ぎ、吉野の要求に応えてきた、ならばそこに疑問を挟む余地は無く、例え結果が伴わなくても其処に後悔は存在しない。

 

 

『その言い方は卑怯ですよ…… もう止める事が出来なくなっちゃうじゃないですかぁ……』

 

 

 夕張の湿った声色を耳にしつつ狙いを定めていく、狙う先は本来設定された射程距離の倍である40,000m先に居る戦艦タ級。

 

 狙う精度も何もかもが想定外であったが、それを命中させねば恐らくこの作戦は失敗に終わる。

 

 ヘルメット内には未だ異形と死闘を繰り返す摩耶の叫びが聞こえてくる、色々言ってはいたが、本音としては作戦云々よりも吉野にはその声から伝わる怨嗟を止めたいという欲求の方が勝っていた。

 

 

 呼吸を止め狙い澄まし、引き絞られるトリガー。

 

 刹那、轟音と共に撃ち出される鉄の矢。

 

 砲身の強度を遥かに超えた量を炸裂させた結果、弾体は凄まじい初速を伴い射出されるも試製50口径14cm速射砲は粉々に爆散し、炎と破片混じりの衝撃は舳先(へさき)の吉野へ襲い掛かる。

 

 最初に作られた耐爆スーツは通常弾を撃つ際の衝撃に備えた物であり、それでは零号弾が撃ち出された後の結果に耐える事は出来なかった。

 

 それに備え急遽仕立てられた黒い鎧甲冑、ただ一撃、この一発の為だけに造られたそれは、夕張が自分の命一杯を詰め込んだ、それでも吉野の身を守るには足りないかもしれない黒い鎧(・・・・・・・・・・・・・)

 

 砲身から射出された筒は空中で分解し、そこから現れた鉄の矢は遥か彼方、金色を振り撒く異形へ向けて銀色の光を引きながら空を切り裂いていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 目の前が赤く染まる、艤装からは金属が擦れる嫌な音と共に不自然な振動が伝わってくる。

 

 自分が進みたい方向へ体を向けてもそれはいつもの半分も反応せず、結果敵から吐き出される砲弾が体を捉える回数が増えていく。

 

 口の中には鉄の味が充満し、それを吐き出す為に口を開けるが肺の中の空気が足りて無い為か、ただヒューヒューとか細い音が耳に聞こえるだけであった。

 

 

 摩耶の前ではヲ級がやや後方に下がり、変わりにタ級が並んで砲を向けている。

 

 長門や陽炎の援護があるので持ってはいたが、それが無ければ既にその身は水底(みなぞこ)に没していただろう。

 

 至近に見える仇敵は砲があれば確実に一撃は入れられるであろう距離ではあったが、それを成す為の手に持つ二号砲には既に砲弾は残されていなかった。

 

 

「やっとここ迄来たってのに、この時の為に生きてきたってのに……」

 

 

 時間がゆっくりと流れる感覚が体を支配し、それを置いて精神だけが加速する。

 

 

「こんなギリギリで届かないってのかよ……」

 

 

 タ級の砲門が完全に自分を捕らえたのを肌で感じた、それを構えた無表情な白い(かお)が愉悦に歪むのを見た、それは間違い無く訪れるだろう死の予感。

 

 

「あたしはまたナンも出来ないってのかよ鳥海ぃぃぃ!!」

 

 

 摩耶が吐き出した慟哭は目の前に居る異形の耳には届かなかった、そしてそれを吐き出した摩耶本人にさえ聞こえなかった。

 

 圧縮された空気が流れる様な音と共に左のタ級の頭が弾け飛び、更に衝撃で進路が捻じ曲がった銀色の軌跡は隣のタ級の腹部を貫いて後方に盛大な水柱を発生させた。

 

 膨大な運動エネルギーを運んできた銀の矢は、本来狙っていた獲物の頭を穿っただけではなく、あろう事かその勢いのまま次の獲物を真っ二つにしてしまった。

 

 

 呪いの言葉を吐き、死を受け入れざるを得なかった摩耶は突然の事に呆然とそれを見るしかなかった。

 

 それは摩耶だけでなく、長門や陽炎はおろか、後方で艦載機を放っていたヲ級の思考すらも停止させていた。

 

 

 突如生まれた空白を切り裂き、摩耶の体が何かに引かれヲ級から離れていく。

 

 流れる空気を頬に感じつつ自分の襟を掴んで(はし)る者を見れば、そこには日本刀を片手にお下げを風に揺らした駆逐艦の後ろ姿が見える。

 

 

「な……んだ今の、何がどうなったんだ……」

 

「提督だよ」

 

「……あ?」

 

「提督がやったんだ」

 

 

 呆けた頭で自分を引っ張る時雨の言葉を咀嚼する、何が起こったのかは理解出来ないが、この駆逐艦の言葉を信じるなら自分に止めを刺そうとしていた異形を一瞬で屠ったのは後方で指揮を執っている筈の艦隊指揮官だという。

 

 

「……提督って……あの青瓢箪(あおびょうたん)か?」

 

 

 まだ完全に覚醒していない意識を巡らせ、ただ浮かんだ言葉を口から搾り出す、轟沈こそしていないが摩耶の受けたダメージは大破状態であり、精神をすり減らしての戦闘は緊張が切れた今では正常な思考をするのが困難な状況にさせていた。

 

 遠ざかる彼方では集中砲火を浴びるヲ級の姿が見える、幾らflagshipとはいえ空母であり、姫や鬼の様な頑強さを備えていない者では戦艦に近付かれては一溜まりもない。

 

 タ級という盾を失い、更に長門の斉射を浴び、止めとばかりに放たれた陽炎の雷撃を受ければ艦載機の制御はままならず、もはや金色の異形には水面(みなも)に膝をつくしか出来なかった。

 

 

「嘘だろ…… 何しやがったんだアイツ……」

 

 

 摩耶には吉野に対して特に思う処は無かった、そこに好意も悪意も存在せず、言い換えればそれは己の指揮官でありながら『どうでもいい存在』であった。

 

 それに対し第二特務課の面々は逆に絶大な信頼を摩耶が青瓢箪(あおびょうたん)と称した男に寄せていた。

 

 それは恐らく人柄から来る物か、情で繋がれた物なのだろうと思い摩耶は無関心を貫いた。

 

 それは戦闘指揮は長門が執り、その『どうでもいい男』の存在は戦闘に介入する事は無いので問題は無いと納得していたから。

 

 しかしその『どうでもいい男』が放った一撃は、摩耶が死を覚悟した時、叶わぬ願いに呪いを吐き出した時、その言葉を叶えるが如く飛来した銀色の何かに形を変えて摩耶に迫る死の運命も、怨嗟も、一切合切(いっさいがっさい)目の前から全てを吹き飛ばしていた。

 

 

「提督はやるって言ったら絶対にやるんだ、だったら僕達がやる事なんて決まってるさ」

 

 

 押し殺した声で力強く呟く駆逐艦は、最後の足掻きと飛び込んできた金色の艦載機を手にした刀で切り飛ばす。

 

 少しの衝撃と爆煙が流れ、摩耶の体は戦場の外へと引かれていく。

 

 向かう先は母艦轟天号、それは黒々とした煙と僅かばかりの炎が甲板から立ち上り、まるで爆撃を受けたかの様な有様を見せていた。

 

 

「提督が体を張って流れを変えたんなら、僕が後ろで黙って見ている事なんて……できる訳ないじゃないか」

 

 

 轟天号脇で哨戒していた妙高に摩耶の体を投げる様に預け、愛刀片手に踵を返し再び戦火へ(はし)る時雨を誰も止めなかった。

 

 いつもは小動物然と吉野の傍に立つ小さな秘書艦の顔は既に無く、(はし)るそれは北の海域を縦横無尽に駆け巡り、数々の敵を沈めてきた"北の時雨"の物になっていた。

 

 

 残るは戦艦棲姫率いる一艦隊であったが、ヲ級が沈んだ事で統率が無くなったからであろうか、無数の異形が周囲へ浮上する姿が確認される。

 

 

 

 そうして戦場は更なる混迷を深め、夥しい砲火を撒き散らせつつも終わりへ収束していく事になる。

 

 

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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