大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 人は往々にして目に映る物にしか考えが及ばない時がある。
 目の前に対する事実は強大に映り、それに対してしなくても良い手間を弄する時がある。
 しかしその強大と映っていた物が、実は張子の虎であり、どうしようもなく弱弱しい状態であるという部分に気付けず、それが判明するのは全てが終わった後というのは実の処珍しくも無い話であったりする。


それでは何かご意見ご質問があればお気軽にどうぞ。


2017/08/11
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きました黒25様、皇國臣民様、リア10爆発46様、拓摩様、じゃーまん様、有難う御座います、大変助かりました。


武士がカッパに、そして色々な裏話

 

 

「あー……うー……ムツゥ、ホットミルクゥ」

 

「あらあらはいはい、そう言うと思って用意しておいたわ、はい」

 

「ん~……疲れた時にはこれよねぇ~、糖分が脳に染み渡るぅ~」

 

 

 北極点に位置する北方棲姫の棲家、その地下では部屋の隅に置かれたソファーに深く身を沈めた北方棲姫がグダーっと脱力しつつ、港湾棲姫(陸奥)が作った砂糖がタップリINしたホットミルクを啜りつつ休憩に入っていた。

 

 

 この数時間前に髭眼帯(武士)との話し合いを終えた後は、ほんの少しばかりの些細な問題(主に艦娘側が要求した肉体改造系)が勃発はしたものの、結局それをする時間も手間も現実的でないという結論から、話は当初の通り髭眼帯(髷)の生体部分を矯正した後調整をするという話に落ち着き、現在彼女は絶賛その施術を行っている真っ最中であった。

 

 それは碌な設備も無い事から手間と時間が掛かり、また施術中にも刻々と生体が変化していく為にそれを確認する頻度が多いという形で行われている為、当初計画していた滞在予定時間では諸々が収まらないと確定してしまった為、取り敢えず長門と不知火が艦隊員への通達と共に、食料や母艦に搭載してある物資(高速修復剤や医薬品)を持ってくる為に母艦へ一度戻る為、キャリアを切り離したスプーに搭乗して泉和(いずわ)へと戻っていった。

 

 

 そんな現在、施術と言っても大掛かりな手術という手段は用いず、吉野の体内にある深海棲艦の部分を補う為に北方棲姫の体細胞をクソぶっとい注射でブスーして、それと平行して同じく彼女の血液を輸血するという手順で施術が進められていた。

 

 しかしそれは言ってしまえば単純かつ簡単な作業に聞こえるが、先にも言った通り施術中にも生体部分の変化はそれなりの早さで進む為に、それの手順は調整と言うには余りにも手間が掛かり、加えて全身施術をバランス良く進めていく為に、お注射ブスーはそれこそ手足だけに留まらず、全身の至る場所に施さねばならないと言う状態にあった。

 

 そんなある意味バランスを瞬時に調整しなければいけないという状況は、それなりの量の細胞溶液を巨大なガラス製の注射器を用いつつ信じられない程に太い針でブスブスする為に、髭眼帯(武士)は現在全身に止血の為のガーゼが至る処に当てられ、それらを固定する為包帯でグルグル巻きという酷い有様となっている。

 

 そうしてここに髭眼帯(武士)はめでたく髭眼帯? (ミイラ)にジョブチェンジを果す事になった。

 

 因みに何故髭眼帯? なのかと言うと、顔面も包帯でグールグールされている為に、眼帯は外され、更に髭は隠れて見えないという見た目にあるからであった。

 

 

「ムーツー、もうすぐ五分~」

 

「はいはい、時間になったらサンプル取って確認してくるわね」

 

「って言うかあのお下げちゃんにオネーサン……何してんの?」

 

「あーあれ? 何でも髷が邪魔になって作業し難いだろうって気を使ってるみたいで、それの処理をしようとしてるみたいよ?」

 

「え~ 確かにアレ邪魔だったんだけどさ、本人が眠ってる間に断髪式とか勝手にしちゃってもいいの?」

 

「拠点に帰ったら強力な毛生え薬があるから大丈夫だって言ってたわよ?」

 

「へー……そーなんだぁ……毛生え薬ねぇ」

 

 

 とことんだらけた幼女棲姫が見る先には、マミーにジョブチェンジした髭眼帯? の髷先を持って固定するムチムチくちくかんの叢雲と、大上段で大鉈を振りかぶっている時雨という、色んな意味で恐ろしい絵面(えづら)が絶賛展開されていた。

 

 

「し……時雨、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 

「うん、ちゃんと髷を固定してくれてたらスッパリいけるから」

 

「判ったわ……これでいいのね?」

 

「……うん、じゃやるよ……ふっ」

 

「……っ!? あっ!?」

 

「あぁっ!?」

 

 

 ホットミルクを啜りつつ怪訝な表情で見る北方棲姫の前では、パツンという軽やかな音と共に髭眼帯の頭部に生えていた髷が切り落とされる様が見えていた。

 

 結果を先に言ってしまうと、髷を固定していたムチムチ駆逐艦と、小さな秘書艦は首尾よくそれを切り落とす事には成功していた。

 

 しかし事前にショリショリして研ぎ上がっていた大鉈の切れ味が過ぎたのか、それとも時雨の技量故か、狙いであった髷が切り落とされると共に、ギリギリ頭部を掠めた鉈は、その周辺の頭髪をも切り飛ばしてしまった。

 

 

 その結果ここに髭眼帯(髷・マミー)が髭眼帯(カッパ・マミー)にジョブチェンジを果す事になったのであった。

 

 

 大鉈を振り下ろしたままそれ()と吉野の頭頂部を交互に見つつプルプルとする時雨と、髷を片手に同じくプルプルするむちむちくちくかん。

 

 そんな様を見て言葉も無くホットミルクを片手に幼女棲姫はハァァァァと溜息を吐きつつ、首を左右に振っていた。

 

 

「……うん、まぁ仕方ないよ、邪魔になってた物は取りあえず取っ払ったし……目的は達成したと思えば……うん」

 

「そそそそうね、まぁ最低限目的は果したわ、後はほら……鎮守府に帰ればほら、電の薬で生やせばいいだけだし……」

 

「生やすって言えば叢雲さん、ちょっと確認したいんだけど」

 

「……何?」

 

「施術に邪魔だからって剃った……ほら、提督のアンダーヘアー……あれも毛生え薬なんかでリカバリしちゃうのかな……」

 

「えっ!? いやそれは……あの薬ってほら、塗るとボーンって生えちゃうから、使う事になったら当然チョキチョキして整えないといけない訳だし……」

 

「……うん、そのままだと多分パンツからはみ出るだろうし……うん」

 

「て言うかコイツ、ヒョロヒョロだからブツも多分エノキか爪楊枝の軸レベルだと思ってたら案外……うん」

 

「だね……何ていうかその部分だけはちゃんと海軍精神注入棒してたよね……うん」

 

 

 それは髭眼帯(カッパ・マミー)のあずかり知らぬ処で色々と評価の一部が更新されてしまったと言うか、ある意味機密が漏洩してしまった瞬間であった。

 

 

 因みに髭眼帯(カッパ・マミー)は体内に埋め込まれた医療補助機器によって基本的に麻酔の類は効き目が無いのだが、この施術を行うに当たり幼女棲姫が用意した怪しい薬品を用いて現在は強制的に眠らされた状態にあり、その為何をどうしても最低三日は目覚めない状態になってしまっている。

 

 そんなスヤァした状態で色々諸々がされた状態で目覚めた時は、全身を包帯で固定され、更には頭頂部のみがツルンツルンになってしまっている現実が待ち受ける。

 

 そんな救えない未来が髭眼帯(カッパ・マミー)には待ち受けているのであった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「結局安定させる為に全身百八箇所から細胞を注入する必要があったとか、予想外の手間になっちゃったよ……もう」

 

「ご苦労様ほっぽ、輸血の調整と変異状態の監視は私がしておくわ」

 

「うん、お願い~」

 

 

 断髪式が執り行われてから更に半日程、ブッスリブッスリとお注射を繰り返された髭眼帯(マミー)は更に全身を包帯で固められ、完全なミイラ状態で手術台に転がされていた。

 

 地肌を晒していた頭頂部も結局お注射でブスブスされた為に現在は包帯に包まれており、幸か不幸かカッパ属性は今の所秘匿状態になっている。

 

 

「……って言うか、こんなに包帯塗れにする必要ってあるの?」

 

「あーうーん、それなんだけど、細胞変異の影響でね~、血液の凝固因子が弱い状態が続いてるから、止血しとかないと血が止まらないのよ」

 

「え、それって大丈夫なの?」

 

「まぁそれは大丈夫、時間が経って変異が落ち着いたら傷口は塞がるって言うか再生しちゃうし、多分傷跡すら残らないんじゃないかな、なんせ深海棲艦の因子が色濃く出る訳だから」

 

「じゃ顔の傷とか目とかは……」

 

「それは無理、施術前に負ってた傷なんかはどうにもなんないし」

 

「えっと、じゃ死んでるっていう元々の細胞なんかはどうなるのかな?」

 

「そこは深海側の因子が強くなったから、そっちに侵食される形で置き換わると思うよ」

 

「そう……」

 

 

 手術台にミイラ然とした物体が鎮座し、その脇ではお茶をするという珍妙な地下室では、一仕事終えた幼女が『んぁ~』と脱力し切ってソファーに体を投げ出し、叢雲と時雨は取り敢えずやる事が無くなったのでソワソワしつつも茶を啜るしか無いという状態。

 

 結論から言えば施術は終了し、後は結果待ちという形であと数時間はその状態が続く事になり、港湾棲姫(陸奥)が定期的にサンプルを採取してそれを北方棲姫に報告する以外は大きな動きは無いという形に落ち着いている。

 

 そんな弛緩した空気の中、『あ、そうだ』と口にした幼女が地下室の隅にあった紙束のタワー群辺りをゴソゴソし始め、そこから幾らかの紙を抜き出しては内容を確かめつつあーでもないこーでもないと首を捻りつつポイポイとそれらを纏め始めた。

 

 

「……何してんのアンタ」

 

「んぁ~? ああうん、ちょっとね……今まで私が調べて纏めたあれこれをさ……持って帰って貰おうと思うんだけど」

 

「あれこれ?」

 

「そ、そっちにも色々と研究してる人居るんでしょ? その人にこっちの資料渡してくんないかなぁ?」

 

「別にそれは構わないけど、アンタはそれでいいの?」

 

「うん、渡す分の内容は全部頭に入ってるし、今更隠すモンじゃないから、それにね……」

 

 

 書類の山に突っ込んでた頭を一端外に出し、微妙な相でそれを見ていた叢雲に見せた北方棲姫という幼女の顔は楽しげではあったが、それは同時に悪巧みを思い付いた子供の如くの空気を滲ませたかの様な表情になっていた。

 

 

「私の仮説と同じ方向性の考えをしてるニンゲンが居るんならさ、そっち側から見た世界(・・・・・・・・・・)ってどんなのかってのが知りたいの」

 

「知りたいってアンタ、こことウチとじゃ連絡手段も何も無いのに、どうやって情報交換なんてするつもりなの?」

 

「それね~ どうしよっかなぁ、まぁその辺りはこれから考えないとダメだけど、最悪どうしようもなかったらそっちにお邪魔するかも」

 

「待ちなさい、アンタが日本に来るってそれとんでもない事になるわ……て言うかもしそうなったら……」

 

「ああその辺りは安心して、私は縄張りから出られないし、もしその辺り確かめるにしても最悪ムツに行って貰う事になると思うから」

 

「……縄張りから出られない?」

 

「うん、色々あってね、私がここ離れちゃうとマズい事になるから、例えば北極圏の氷が一斉に溶けて陸地の幾らかが一時的に海に沈んだりとか」

 

「何か今とんでもない事をサラっと言ったわねアンタ……」

 

 

 現在の北極圏に浮ぶ氷の殆どは、北方棲姫がそこに居る為に維持されている部分が大半を占め、永久に溶けない状態を保っているのだという。

 

 それは深海棲艦が出現する以前よりも強固に、そして密度がある為、それまで自然に存在していた氷よりも容積が数倍の物として現在も徐々に嵩を増し続けている状態なのだという。

 

 

 北極の氷が溶けてしまうと海面上昇によって海抜の低い陸地は海に沈むという事が俗説として囁かれているが、実際の話、氷の体積と海水の関係上、北極海の氷が全て溶解したとしても地球の海面上昇現象という物は発生しない。

 

 元々海水が凍った物の体積は1.1倍とされ、水より軽い部分が海面に浮遊した状態となっていだけである為、例えそれらが全て溶解したとしても水位の変化は無く、海面が上昇する事は実質起こらないとされる。

 

 

 しかし現在の北極圏は長期に渡り北方棲姫の支配下に置かれた状態で氷が意図的に凝縮され、またそれらの強度を増す為に自然では在り得ない程に空気中の水分も取り込んだ上で氷塊化された影響で、それらが一斉に溶け出した際、北半球の陸地には致命的と言える程の影響を齎す状態になっているのだという。

 

 

「って言うことは、もしアンタに何かあったら人類の幾らかは溺れ死ぬって事になる訳?」

 

「そんな急激に影響する事は無いよ、せいぜい緩やか~に海辺の一部が水没しつつ陸として使えない場所が広がって、それが引いた後は塩害が残るからちょっとした飢餓が発生する程度じゃない?」

 

「充分大惨事よそれ」

 

「ま、そうなっちゃうとニンゲンの生存圏がこのナワバリから遠ざかるから、面倒になっちゃうかなぁ」

 

「……面倒? 何が?」

 

「うん、嗜好品とか家具とか、後本とかの入手がほら、色々ね」

 

「何だか深海棲艦のクセに人の生活に毒されまくってるわねアンタ……」

 

「そりゃこれだけ便利な生活に慣れちゃうとね、うん」

 

 

 深海棲艦の親玉と、嘗ては海でそれらを狩り続けた者。

 

 本来邂逅する可能性も無かった出会いは、其々苦笑を浮べつつも茶を片手に言葉を交わすという場を持つに至っていた。

 

 

 そんな場に髭眼帯(マミー)の様子を見ていた時雨が戻り、溜息と共にソファーに身を預けた。

 

 

「どう? 何か変化あった?」

 

「見ただけじゃ判らないかなぁ、包帯塗れだから表情も見えないし」

 

「多分問題ないと思うよ? 後は長期的な治療になるけど高速修復剤っていうのあれ? あの取り扱いにさえ気を付けてたら大丈夫なんじゃないかなぁ?」

 

「……高速修復剤?」

 

「そ、あれ今までのオニーサンならある程度効き目あったみたいなんだけど、その調整って言うか、今までの分量じゃ問題が発生すると思うから、そっちで治療担当してる人に気を付けてって言っといて」

 

「普通の人間に対しては劇物扱いなのに、それが中途に効き目があるって始末に負えないわね……」

 

「本来は艦娘用の薬品だからねー、自然界の生物に使用したらみーんな死んじゃうってアレ」

 

「艦娘以外には危ないって聞いた事あるけど、そんなに危険なのかな?」

 

「んー……本来生き物が傷を負った場合ってさ、時間を掛けて傷を癒すじゃない?」

 

「うん」

 

「それって要するに傷の周辺の細胞が増殖なり再生するなりして、元の状態に戻そうとしてるんだよ」

 

「うん、それは判るけど……」

 

「それって言い換えると、体内に蓄えてる諸々をゆっくりと消費して再生してるって事なんだけど、そのプロセスを高速修復剤で促進しちゃうと、傷の具合によっては供給されるエネルギーや細胞が消費に間に合わなくなるから傷の周辺が壊死しちゃったり、それが間に合ったとしても急激な細胞増殖に再生時の再現性が阻害されちゃうから、かなーりマズい事になっちゃうんだよねぇ」

 

「えっと……不味い事?」

 

「うん、ぶっちゃけそれが高速で行われるっていうのは、本来ゆっくりとDNAから情報を読み取りつつ再生するべきプロセスをすっ飛ばしちゃう訳だから、中途に情報を読み取った細胞が高速で増殖し続けちゃう訳で……あーうん、要するに細胞が悪性腫瘍化(癌化)しつつぶわーって広がる訳ね、それも確実に、だから人に高速修復剤を使うと再生した部分はぜーんぶ癌になっちゃうのね」

 

「全部!?」

 

「うん、全部、高速修復剤って細胞代謝のサイクルを高速化させる薬品だからそうなっちゃうんだ、毒だから危ないんじゃなく、作用したらダメって感じって言えば判るかなぁ、まぁ私達(深海棲艦)なら細胞が人より強固だからそんな事にはならないけど、それでも傷の辺りの細胞が急激に再生しちゃうと、んー……多分だけど、痛みで酷い事になるんじゃないかなぁ」

 

「あー……そう言えば昔(空母棲鬼)さんと冬華(レ級)にバケツ使った時って……」

 

「え……使った事あるの? 深海棲艦に? 嘘でしょ?」

 

「そう言えばあの時二人とも凄い悲鳴上げて涙目になったと言うか……プルプルしてたと言うか……」

 

「うわぁ……そりゃそうなるよ……」

 

 

 沖の鳥島にて朔夜(防空棲姫)と吉野達が邂逅し、(空母棲鬼)の率いる艦隊との海戦に勝利した少し後。

 

 大本営に帰還する途中に傷を癒す為、(空母棲鬼)冬華(レ級)に時雨達はバケツを使用した事があった。

 

 

 その際は艦娘へ使用した際と同じ効果を発現はしたが、その代わり二人は悲鳴を上げて痛みに転げまわるという醜態を見せる事になった。

 

 幼女が予想するその痛みは、恐らく素手で身を引き千切られるのと同じ程の物になるだろうという事であり、それを聞いた時雨は当時の惨状を思い出しつつも理解する様を見せ、同時に何とも言えない表情で乾いた笑いを口から漏らしていた。

 

 

「だからさ、『高速修復(・・)剤』って名前になってるじゃん、治療(・・)するんじゃなくて修復(・・)する為に使うんだよそれ」

 

「うん、今ならその言葉に納得しちゃうかな……」

 

 

 こうして嘗てハカセが作った大発明品、艦娘用の特効薬は構成物質が何かというのは時雨達には判らなかったが、それはあくまで艦娘専用のブツなのだと嫌でも理解するというお茶会(ミイラ添え)がそこに展開したのであった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「今しばらく安静か……どの程度の時間が掛かるんだ?」

 

「んー、無茶をしないなら移動程度は今でもイケると思うよ?」

 

 

 時雨が昔を思い出し、微妙な笑いを漏らしてから数時間後、母艦へ一端戻っていた長門と不知火が必要物資を積んで再び北方棲姫の棲家へ戻ってきていた。

 

 その中には話題の中心にあった高速修復剤も含まれており、幼女棲姫は早速それを髭眼帯(マミー)から採取した細胞を使ってあれこれと調整し、取り敢えずはそれを使用する事で現在は傷の具合も落ち着き始めるに至っていた。

 

 

「いやしかし……何やら提督はビクンビクンしているようだが……」

 

「取り敢えずの調整しかしてないから多少は効き過ぎる感じになっちゃうのは仕方ないよ、でも心配ないから、うん、心配ないない、多分」

 

 

 微妙にビクンビクンするミイラを前に、微妙な表情の幼女とビッグセブンは乾いた笑いを漏らしながら今後の相談を続けていた。

 

 

 そしてビクンビクンするミイラの脇ではムチムチくちくかんが所在無さ気に右往左往し、その脇では何故か時雨が真面目な相で大鉈を構えたままオロオロするというカオス。

 

 

「往復した感じだとここから母艦までの移動は大丈夫なのではと思うのですが」

 

「ああ、無茶な飛ばし方をしなければそれは問題ない、しかし問題はそこから先になるか……」

 

「司令の意識が無いままだとベーリング海経由で戻るか、ヨーロッパ経由の航路へ行くかの判断も難しいですしね」

 

 

 この計画が進められて以降、北極圏から鎮守府までの帰路は決定されてはおらず、その時の状況によって来たコースをそのまま戻るか、それとも北極海からグリーンランド近海を経由し大西洋、そこから地中海、スエズ運河を経て大陸沿いにマレーシアを目指す大迂回路を取るかの選択をする予定が立てられていた。

 

 前者は航行距離が後者よりも短く、当然航海日数が短くて済む反面ベーリング海周辺での危険性に直面する可能性があった。

 

 またそこを抜けても日本までの航路には僅かながらも深海棲艦の支配海域が存在し、それらを通過せねばならないという強行策の色が濃い航路となっている。

 

 対して後者を選択した場合、大西洋北側付近までは北方棲姫の影響が広がる海域であり、またその先はヨーロッパ連合の支配海域と接している為、その航路を選択した場合は実質日本までの航海中戦闘が予想される海域は皆無と言えたが、その航行距離は北極海から東へほぼ地球一周の距離となってしまい、航海に要する時間は凡そ40日、更に途中で補給等の為にどこかの軍施設に寄港もしなければいけないと言う事になってしまう。

 

 それは今作戦のメインが北方棲姫との接触という、ヨーロッパ諸国からしてみれば色んな意味で無視出来ない内容になる作戦の性質上、可能な限り秘匿するべき状態にも関わらず、ヨーロッパを通じて関係各所へ連絡を取るという手段を用いねばならない為、情報の幾らかは他国へ洩れる事になり、またそれに付いての手続きも行わねばならず、色んな意味でその航路を行くのは大坂鎮守府としては避けたい選択肢でもあった。

 

 当初吉野は前者を基本に作戦を考えていたが、現状その吉野自身が動けず、また安静にしなくてはいけない為に現況としてはヨーロッパを迂回するルートを選択すべきであったが、その辺りの根回しや手続き等、必要最低限は一応事前にしておいてはいたが、そちら方面には秘匿性という面を重視していた為極限られた範囲での根回ししかしておらず、また最終的にそれを行う吉野自身が今は動けない状況にある為それもままならず。

 

 そんなどちらにしても問題が山積している現状、どうしたものかと長門は思案しつつ、答えの出ない問題を前に盛大な溜息を吐いていた。

 

 

「ん? 何か問題があるの?」

 

「……いや、問題と言うか……そうだな、提督はいつ頃目覚めるのか判るだろうか?」

 

「どうなんだろ、今日明日かも知れないし、もしかしたら一週間後かも知れないし、まぁずっと眠ったままなんて事はないのは確かなんだけど」

 

「そうか、ならやはり大西洋を抜けるルートへ出て、ヨーロッパ入りする前に提督が目覚めなかった場合は無線封鎖を解いて、ヨーロッパ連合を通じて日本へ連絡をして貰うしかないのか……」

 

「うん? 帰りの話? 何でそんな大回りして帰るの?」

 

「うむ? いや提督がこんな状態ではまたロシアから何か介入があっても戦闘をするのは無理だろう? なら手間と時間は掛かっても迂回する方を選択するしかあるまい?」

 

「一応泉和(いずわ)に戻った時に聞いた話では、現在米軍がベーリング海峡付近の機雷を撤去中という情報が入ってましたが、それでも我々がまたあそこを通過するとなると、ロシア艦艇が大人しくしてるとは考え難いですからね」

 

「提督も同じ事を言ってたな、『行きでこれだけ出てくる艦艇が少ないとなると、帰りに網を張る方に戦力を温存している可能性がある』とな」

 

 

 泉和(いずわ)がベーリング海峡を抜けるまでにロシアが投入した艦艇はミサイル巡洋艦を含む八隻がセントローレンス島付近に、ベーリング海峡辺りには掃海艇が僅かに五隻という数であった。

 

 それはお世辞にも艦隊と呼べる規模では無く、また米国を相手にしつつ泉和(いずわ)を拿捕するという作戦に投入するには余りにも少な過ぎる数だと言えた。

 

 故に吉野の予想では、事前にベーリング海付近で米国を絡めた前哨戦を少数で行い同国の注意と戦力をそれに注力させ、後に戻ってくるであろう泉和(いずわ)をベーリング海峡に至る前に大戦力で迎え撃つという選択をしたのではという考えに至っていた。

 

 そこからヨーロッパ方面へと至る可能性も考えればロシアとしてはベーリング海で泉和(いずわ)をどうにかしておくのが確実性のある作戦であったが、大艦隊をそのまま米国の領海へ展開するとなればそのまま大規模戦闘に突入する流れとなり、最悪両国は戦争状態へと突入する恐れがある。

 

 しかし少数の戦力投入であればまだ言い訳が立つ上、それを呼び水として米艦隊をベーリング海に釘付けに出来れば、余剰戦力は全て北極海付近へ展開が可能となり、それらをアラスカ、カナダの領海に掛からない範囲でヨーロッパへ至る航路付近へ待機させれば邪魔者(米国)からの介入は避ける事が可能となる。

 

 

「どれだけロシアに戦闘艦があるかは判らんが、恐らくここからベーリング海峡までの公海は完全に固められていると思った方がいいだろうな」

 

「そこを抜けてしまうとベーリング海は現状米国の領海が殆どですし、あちらの艦隊も展開してる筈ですから」

 

「ねぇオネーサン、さっきからロシアロシアって言ってるけど何かあったりしたの?」

 

 

 長門らが思案する物は国同士の関係から生まれたいざこざであり、それは北方棲姫という深海棲艦側には何ら関係の及ばぬ都合であった。

 

 故にそれらの諸事情をこの幼女然とした上位個体が知る由も無く、また吉野がこんな状況になるとは予想していなかった為に、その辺りの説明すらしていない状態であった。

 

 そんな事情と、吉野の現状を鑑みた問題点辺りを要点だけ掻い摘んで長門は説明をしたのだが、それを聞いた北方棲姫は話が進むにつれ表情を歪ませ、更には苛立たし気に舌打ちすらするという反応を見せた。

 

 

「……まぁそんな訳でだな……む、どうした? 何か問題があったか?」

 

「ああうん、ロシア……ロシアねぇ、なる程、確かにそういう事情があったんならこれまでの行動に納得がいったわ」

 

「……どういう事だ?」

 

「えっと……三ヶ月程前からなんだけどね、あの国の艦隊がこっちの縄張りにちょくちょくちょっかい掛けて来るよーになってたんだけど、ふーん……やっぱ目的はこっち側の誰かを鹵獲しようとしてた訳かぁ」

 

 

 ロシアは現在通常兵器を要した人の軍隊(・・・・)は持っていても、深海棲艦へ対する戦力としてはГангут(ガングート)のみと言って良い状態であった。

 

 周辺各国の艦娘を要する国との関係は良好な物では無く、これまで経済と言う手段で一方的な国交を強いていた為、他国との間には艦娘の交換配備というのもままならず、結果として深海棲艦の上位個体の鹵獲によってその戦力の穴を埋めるという結論に至った。

 

 膨大な通常兵器を持ち、社会主義という国はモラルもコストも無視した強権が発動可能な環境がある。

 

 故に艦艇の損耗を無視しても上位個体を鹵獲出来ればそれを足掛かりに、さらなる覇権を広げる事も可能との判断の元、北極海周辺では『深海棲艦狩り』が開始される事となった。

 

 

 それは数による損耗を無視した強引な作戦であり、犠牲は多大な物とはなるが、少なくとも目的達成は確実と結論付けられた無茶な物であった。

 

 

 そうして実施されたその作戦は結果から言うと成功はせず、そればかりか予想以上の被害を受ける事になった。

 

 

 ロシアが攻め、そして作戦を展開した海は北極海。

 

 それは国土に接する海が北にしか無いという事情から選択肢の無い作戦ではあった。

 

 しかしその海を支配するのは引き篭もってしまったとはいえ世界の海を五つに割った、しかもその中で最大のテリトリーを支配する北方棲姫の縄張りである。

 

 

 北方棲姫が侵攻を止め、北極海に引き篭もってから現在まで二十年近く、その年月はロシアだけに留まらず世界の軍からは脅威としての北方棲姫という存在を忘れさせるには充分な時間であった。

 

 故にそのしっぺ返しは苛烈を極め、北極海に展開していたロシア海軍の艦艇は全て等しく水底(みなぞこ)へ没し、更には沿岸に配されていた海軍施設は尽く灰燼へと帰した。

 

 

 ベーリング海に展開していた一艦隊にも満たない艦艇も、折角配したセントローレンス島の基地を簡単に手放したのも、それは作戦では無く現在ロシアに現存する海軍戦力を掻き集めた末に出した物であった。

 

 

 "そうした"のでは無く、"それしか出来なかった"というのが今作戦に於ける、現在に至る迄のロシア側の実情であった。

 

 

「……どれだけの船を沈めたんだ?」

 

「全部、あるだけ、こっちが感知した物はぜーんぶ沈めたよ、ついでにそれの母港になってた場所も全部潰したから」

 

「ではベーリング海でロシア艦艇が異様に少なかったのも……それが原因だったという訳か」

 

「て言うか、あれだけ虱潰(しらみつぶ)しにしてやったのにまだ残ってたとか、私的にはそっちのが驚き、ねームツ?」

 

 

 話を振られた港湾棲姫(陸奥)はそれには答えず、曖昧な表情を長門へ向ける。

 

 今は深海棲艦という存在であり、艦娘としての"善悪"という価値感は無かったものの、それでも姉の目の前で人類側の軍を駆逐するという言葉はやはり口にし難く、困った末に出たのはそんな曖昧な表情であった。

 

 その姉妹間にあるやり取りは兎も角、現状で言えばロシア海軍はほぼ壊滅状態であり、此処に至るまでに見た戦力が出せる精一杯というのがほぼ確定した今、長門の考えはそれまでとは大きく修正する方に傾いた。

 

 

「不知火、現在米海軍はセントローレンス島近海に艦隊を展開しているんだったか」

 

「はい、現在は同島のロシア基地を占拠し接収、同時に護衛艦を伴った別働隊がダイオミード島近海の機雷除去を行っているという事でした」

 

「あの時出てきたロシア艦は確か殆ど拿捕されたと言っていたな」

 

「あの程度の数では戦力になりませんし、てっきり拿捕させる事で手間と時間を浪費させて、米艦隊をそこに釘付けにする為の餌か何かと思ってたのですが……今の話を聞くとどうやらそうじゃ無いみたいですね」

 

「機雷は除去され、付近には米海軍が展開中、加えてロシア側からの増援の可能性も低い……ならこちらはかの海域を潜行したまま米国領海を通過しても危険は少ない……」

 

「今というタイミングならそれはベストなのではと不知火は具申しますが」

 

 

 戦闘行為という面では損耗を嫌う米国であっても、現状取り戻した海域へ再度ロシアの侵攻があれば黙ってる訳は無く、もしロシア側の戦力がそれなりにあれば泉和(いずわ)がそこへ行けば両国の紛争の引き金になってしまう可能性もあるが、北方棲姫が潰したとするロシア側の軍港は少なくとも東シベリア海全域に及ぶ規模にまで広がっており、もしそこ以外に戦力が残存していたとあっても、泉和(いずわ)の存在を感知して出撃、ベーリング海へ間に合わせる事は距離的に不可能と謂わざるを得ない。

 

 そんな状況であったとすれば両国に於ける紛争の心配は無く、また一端ベーリング海峡を抜ければ往路の様に浮上し様子を伺う必要も無く、泉和(いずわ)の性能ならばずっと大深度航行のまま日本へ辿り付けるだろう。

 

 

「取り敢えず母艦へ戻り抜錨準備に取り掛かる、それと同時に改めて米軍へ連絡を取りつつ状況を確認、可能ならばそのまま来た海路を辿って日本へ帰る」

 

「もしその方面が無理だとすればどうします?」

 

「その場合は大西洋へ進路を取ればいい、ヨーロッパ方面へは連絡と手続に時間が掛かるだろうが、ロシアの脅威が無いなら戦闘を想定しなくて良い分問題はその辺りの手間だけになる、作戦としては好ましくは無いが、帰還のみという面で言えばそれは問題はないだろう」

 

「それもそうですね……」

 

「良し、決まりだな」

 

 

 そう言う大坂鎮守府艦隊総旗艦は早速ソファーから立ち上がり、その場にいる者達にこれからの予定を説明しつつ、撤収の準備を指示するのであった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「ねぇムツ、ついてかないで良かったの?」

 

 

 結局長門の指示は即断即決の物となり、やる事を決定してから北方棲姫の棲家を出るまで、僅か二時間程でそれら全ての準備を整えてしまった。

 

 スプーをキャリアに連結し、別れの挨拶を交わす迄、そしてその瞬間さえも長門と港湾棲姫(陸奥)の間には会話らしい会話な無く、互いに最後に口にしたのは『ではな』という長門に対し、『ええ』という港湾棲姫(陸奥)の言葉だけであった。

 

 

「なぁに? ほっぽは私があの子達についてった方が良かったって言うの?」

 

「なっ……んな訳ないでしょ? て言うか貴女をそんなのにしちゃった私が言うのもアレだけど、折角姉妹が揃ったんだからさ……」

 

 

 自分が深海棲艦にも関わらず、『そんなの』という表現をした幼女棲姫に含んだ笑いを見せ、それに対する北方棲姫と言えば頬を膨らませてジト目で応じる。

 

 雪がちらつく白い世界には消えかかったキャタピラの跡が僅かに残るのみ。

 

 そんな世界の果てを見る大小ちぐはぐな影は、静かになった世界をただ見詰めるだけだった。

 

 

「いいのよ、今回は今生の別れをゆっくりと済ませたもの、それにほっぽ一人にしちゃうと色々と……とんでもない事になっちゃうのは判ってるし」

 

「……ああうん、それは否定出来ないかも」

 

 

 その会話を切っ掛けに二人の姿は珍妙な建造物の中へと消えていく。

 

 

 こうして北極海に至った大坂鎮守府一団は、幼女棲姫との邂逅を経て吉野の命という変え難いものを手土産に日本へ帰還する事になった。

 

 更にはこの会談では特に双方には話らしい物は殆どされなかった状態であったが、彼女がハカセと電に託した情報は、長らく二人の研究に於いて壁となっていた諸問題の幾つかを紐解く切っ掛けとなる物となった。

 

 

 そしてその書類に紛れる形で託されていた吉野へ対する彼女のメッセージが、意識を取り戻した髭眼帯(カッパゲ)の手に渡る事になり、それに記されていた内容はこの作戦の報告と共に軍部へと伝えられる訳だが、それを受けた上層部はまたしても緊急の対応に追われるハメとなり、結果として各方面に色々と物議を醸し出す事になってしまうのであった

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 ただ言い回しや文面は意図している部分がありますので、日本語的におかしい事になっていない限りはそのままでいく形になる事があります、その辺りはご了承下さいませ。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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