大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 何かを成すと言う行動は単純な結末として至るが、それは求められる全てを満足させる結果に繋がる訳では無く、あくまで最悪を回避するという事に終始する事が殆どである。
 そして理想という物を結末に置くのであれば、結局そうして幾度も最悪を回避する事を積み重ねた先にそれは存在する物だと認識しなくてはいけない。
 己が求める未来へと辿り着くか、それとも途中で挫折しそれなりの結末で納得するか、答えは人其々であるが、何れにせよ道は険しく、遠く、そして残酷である。


 それでは何かご意見ご質問があればお気軽にどうぞ。


2017/10/01
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きましたorione様、鶴雪 吹急様、yu saito様、有難う御座います、大変助かりました。


艦娘お助け課.了

「で、結局連れて来た二人は地下のラボに隔離してる訳だけど、これからは治療の担当はハカセから電ちゃんが引き継ぐのよね?」

 

 

 大坂鎮守府執務棟二階応接室。

 

 ここ最近訪問者の質というか所属がそっち方向へシフトし始めたと言う事で急遽改装され、内装や家具等が無駄に豪華となったそこは、何故か本来の使い方以外にも、打ち合わせや艦娘達の休憩等にも利用されるちょっとした癒しの空間となっていた。

 

 円形に組まれ、10人程は座れる革張りのソファーには狼さんと能代がだらけて紅茶を啜り、その向かいにはハカセと電がファイル片手に業務の引継ぎをしつつ、更にその脇では青葉が色々な資料をテーブルへ展開しては事後の詳細の補足に努めている。

 

 

「元々メンタルサポートなんてチマチマした事に私は向いてないからな、そっち関係は電に投げるさ、それにこれ以上私が何かアイツらに言うと逆に萎縮し兼ねない」

 

「あー……確かに、じゃこれからは業務的な事は電ちゃんと話せばいいの?」

 

「なのです、電もずっと付きっ切りという訳にはいきませんが、なるべく気を掛ける様にはするのです、でもそれだけでは多分足らないので、出来るだけ皆には協力をお願いしたいのです」

 

「協力と言うと……例えば?」

 

「そんなに難しくは無いのです、彼女達が調子良さそうな時に話しを聞いてあげるとか、傍に居てあげるだけでも大分違うと思うのです」

 

「なる程……それで、何か注意点とかあったりする?」

 

「先ず基本的に聞き専に徹するのが無難なのです、それと彼女達の話を否定しない、その辺りだけを気を付ければ取り敢えずは大丈夫だと思うのです」

 

「そっかぁ、それと今はラボの部屋にずっと軟禁みたいになっているけど、散歩とか外出なんかはどうなのかしら?」

 

「正直まだここに連れてきて一週間も経っていない、ここは最前線より静かと言っても軍事施設だ、何が引き金となって発作を起こすか判らんから取り敢えずアイツラを部屋から出すのは控えた方がいいだろう」

 

「それに精神安定剤の副作用で速吸ちゃんは車椅子状態ですし、博士が仰る通り馴れるまではもう暫く様子見した方がいいと電も思うのです」

 

 

 クルイでの騒動があり、諸々の収拾を終えてから速吸と黒潮を治療名目で大坂鎮守府へ連れてきてから五日、ハカセに加え電も協力して精密な検査を終え、現在は本格的な治療プログラムを組んでそれがスタートしたばかりという状況。

 

 其々は既に薬物投与が必要な重篤な状態という診断が出ており、精神的な負担を軽減する為軍事施設である大坂鎮守府という拠点を見せない為に、現在は取り敢えずラボの入院施設へ其々を収容しての様子見という状態が続いていた。

 

 

 症状としては速吸より黒潮の方がやや重篤という結果になっていたが、発作が出た場合外に向って感情が剥き出しになる黒潮に比べ、内側へとそれが発現してしまう速吸は自傷行為に及んでしまう為、投薬される薬品は症状が軽いとされる速吸の方が多くなっている状況で、艦娘の強靭な肉体にも作用するという調合をされた薬は彼女の手足に麻痺という副作用を齎し、現在は車椅子の生活を強いる結果となっていた。

 

 ただその副作用も投薬を止めれば徐々に改善されるという事なのでまだ救いはあったが、それでも心の病と言う物は目に見えての回復度と言う物が判らず、推し量るしか無いと言う事でいつまでその状態が続くのかも予想が出来ない。

 

 

「まぁ気長にやってくしか無い訳だけど、正直数年単位の覚悟はしておいた方がいいだろうね」

 

「数年単位かぁ……でもそれで治るんなら……」

 

「完治はしないよ」

 

「……えっ!?」

 

「一度PTSDを発症しちまったら完治なんてしない、だから対処療法で根気良く環境を整えて、そいつに恐怖やトラウマに対して馴れさせるしかない、だから時間も手間も掛かっちまうのさ」

 

「ですね、完治しない以上その心の傷をカバー出来る強靭な部分を育て、それで補うしか無いのです」

 

 

 心の傷は肉体の傷とは違い、脳にある情報を元にした拒否反応である為完治には至らないとされている、部分的な記憶だけを排除するという都合の良い事が出来ないならばその記憶に負けない何かを育てるというやり方か、薬品によって意識を混濁し、その記憶を認知出来ない状態にするしか対処方法は存在しない。

 

 そしてその記憶に立ち向かう強い心を育てる期間というのは存外に時間を要し、それが整う迄薬品による精神安定が必須となってくる、現在黒潮と速吸はその準備期間と言っても良い状態である為、薬を服用すれば意識の混濁と記憶の整合性に難がある状態になってしまう。

 

 

「投与される薬品に対して艦娘ならある程度の耐性があるから人間より危険は少ない、しかしそれでも依存性はゼロじゃないからね、薬に負けてしまうか、それとも立ち直ってそれに打ち勝つか、最後はソイツの精神力と、周りのサポートで決まっちまうんだ、それだけは肝に命じておくんだね」

 

「依存性ですかぁ、何だか麻薬みたいですねぇ」

 

「脳や神経に働き掛けて意識を混濁させるんだ、幾ら調整して影響を軽くしたって言っても麻薬以外の何モンでもないさ、何ならお前も使ってみるかい? ちょっとクセになるよアレは」

 

「いやいやいや青葉は別な事で幸福を味わってますし! お薬に頼ろうなんてこれっぽっちも思わないですっ!」

 

 

 ニヤリと笑うハカセを前に両手をパタパタとさせアオバワレは拒否の姿勢を示す。

 

 割と冗談めいて危ない会話を振るのが天草の常であったが、その冗談に乗ってしまうと本気でギリギリの事をやりかねないマッドな女医であるのは鎮守府の者は心得ているので、ある意味青葉が必死になるのは当然と言えば当然であった。

 

 

 そんな二人のやり取りを眺めつつ、能代は手にした資料に目を通し、コメカミに指を当てて難しい表情で現況の整理をしている。

 

 相談を持ち掛けてきた二人の艦娘に対する治療プログラムは粛々と進んでいるので取り敢えずはそれを除外するとして、クルイの拠点環境はそれまで敵が支配していた海域を開放した為に危機的状況は脱したと言って良い、しかし台所事情が厳しい同警備府から二人の人員を抜き、更に疲弊した状態でこれから軍務をこなすとなると、現状で運営するにはクルイという拠点はまだ危険と判断される状態とも言えた。

 

 

「ねぇ足柄、黒潮と速吸が抜けた穴埋めはどうするの? 資料にはその辺り調整中ってなってるけど」

 

「その辺りはまだ調整中のままなのよ、私の(つて)じゃどうしようもなんないし、提督が今色々動いてるけど最終的には大本営辺りに捻じ込んでどうにかすると思うわ……流石に補給艦の補充は無理でしょうけど、出撃時の戦闘の回数も質も今までより落ち着いた物になるでしょうし、多分他艦種でも何とかなる、と、提督は読んでるみたいね」

 

「ウチから人員を出すという事はしないのね」

 

「それが一番手っ取り早いのは確かなんだけど、そんな前例(・・・・・)を作ってしまうと今後似た様な案件を扱った時収拾が付かなくなるでしょ? だから提督も大本営に掛け合ってるんだと思うわ」

 

「ふむ……それで物資供給量の見直しや設備更新も行うってコレにはあるけど……」

 

「警備府という縛りじゃ人員の枠も、物資の供給量も正直あの海域をカバーするのにカツカツだから、余裕を持たせる為に警備府から基地に格上げして、取り敢えずのキャパを上げる事にしたみたいね」

 

「管轄は……大坂鎮守府、良く斉藤司令や椎原司令がこれに納得したわね」

 

「それだけ南洋には余裕が無いんでしょ、あの海域の位置と形状じゃ戦略的価値は無いに等しいし、クルイが基地となったら維持する資源と資金は跳ね上がっちゃうから」

 

「くれてやる縄張りと掛かるコストを比較した場合、こっちに押し付けた方が得策だと」

 

「そういう事ね、ウチとしても南洋に自由になる取っ掛かりが一つ出来る訳だし損は無いって状況だから、まぁ提督はギリでWin-Winって判断したんじゃない?」

 

 

 結局艦娘お助け課は引き続き環境改善の為の段取りをしつつ、保護した二人の処遇に終始するという動きを続け、海域開放の後始末と、クルイに対する外部的な環境改善という大掛かりな部分は吉野が各所に働き掛け調整中というのが現在の状況である。

 

 拠点機能の脆弱性を隣接する敵海域を獲ると言う事で緊急的に整え、警備府その物を基地へと更新して余力を持たせる、そしてその周辺を取り敢えずリンガから移管して貰い、全てが整う迄大坂鎮守府の庇護下に置く。

 

 当然それらは全て無償行為と言う事では無く、スマトラ島南部域の海路を押さえる事で吉野の影響は幾らかインドネシアに及ぶ事になり、元々深海棲艦を要した日本の拠点として同連邦政府より注目されていた事と、たった一日で新海域を落としたという結果絶大な信頼を得たという事も相まって、現在大坂鎮守府はインドネシアとの関係も現在進行形という形で持ちつつあった。

 

 結果吉野は軍内でほぼ一つの派閥としての立ち位置を確立し、誰の影響も受けないという自由と、更なる危険を同時に背負う事になった。

 

 

「未知の海域を一気に攻め落とす戦力を見せつけ周りを牽制する事で面倒事を集約したって感じかしら、後はインドネシアとオーストラリアに強いパイプが出来たお陰で当然国内の経済界……元老院辺りは益々こっちに擦り寄って来るわね」

 

「そしてあんだけ派手にやったなら何かしらウチにちょっかい掛けようとして来たあっちやこっちは考えを改める……ってよりは、動きの読めなかった小物連中はもう心配しなくていい替わりに、相手になるのが一段上の存在……組織じゃなくて国や軍って事になるわねぇ」

 

「同時に今まで味方だった方面は警戒して潜在的な敵になるかもって感じで対応しなくちゃならなくなる……か、ふふん、腕が鳴るわね!」

 

「ちょっと能代、私達の仕事はそっちじゃ無いのよ? 判ってる?」

 

Of course!(当然!) でも何だかワクワクしないこういうの、私はこんな状況を待ってたのよ!」

 

 

 妙にテンションアゲアゲになる阿賀野型のお下げに苦笑しつつ、狼さんは取り敢えずの現状を頭の片隅に置き、今自分がしなければいけない仕事に取り掛かる事にした。

 

 

 自分に出来ない事は髭眼帯に丸投げしておけば整えてくれる、ならば自分がする事はより内側に、そして確実に。

 

 

 そんな新たなルーチンワークを確立した狼さんは、元々デキる女から更にグレードアップして、長門と同じく大坂鎮守府の看板の一枚として他拠点から認識される存在へとなっていくのであった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「しっかしさっきあの二人を外へ出すのは控えろって私は言った筈だよな? その舌の根が乾かない内に外へ連れ出そうとするってどういう了見だお前」

 

「いゃあ~ ほら何事も試しって言うじゃないですか? それにあくまでハカセが言ってるのは安全策であって絶対ヤバいって事じゃ無いんでしょ?」

 

「悪影響を及ぼす可能性がデカいっつってんだ、もし発作が出たら時は暫くはまた部屋に軟禁しなくちゃなんないし、そうで無くてもリスクの方が遥かにデカイ」

 

「でも、もし外に出る事が大丈夫と言うなら治療的にかなり有効だって電ちゃん言ってましたしぃ」

 

「お前は楽観的過ぎるんだ、良い面だけ見てちゃこの先いつか取り返しが付かない事になるぞ」

 

「……ですね、でも彼女達は艦娘なんですよ」

 

 

 執務棟地下より入った研究ラボ区画を入院施設へ向け足柄と天草は移動している。

 

 現在黒潮と速吸は室内だけでは無く医療区画内なら散歩は許可されている状態と聞いた足柄は、人員が食事や補給の為施設へ集中する夕刻を狙い、二人を外へ連れ出してみてはどうかと提案した。

 

 それにハカセは真っ向から反対はしたが、現在の治療を受け持っている電は暫く考えた末、足柄と電を伴ってならという事で短時間の散歩が実現する事になった。

 

 

「逃避をする為にああなったんじゃない、何かに立ち向かっていって心が折れたんですよハカセ」

 

「……だから何だ」

 

「何もかもから逃げ、周りから腫れ物を扱う様に大事に仕舞い込まれて……確かにそれが一番安全なのかも知れないけど、あの二人は最後まで戦おうとした艦娘なの、折れたまま大事大事にされたままだと、いつか傷は癒えても海には出られなくなるわ……」

 

「その結果取り返しの付かない事になったらどうするつもりなんだい」

 

「そうならない為に電ちゃんに付いて来て貰うのよ、それに私だったら……ずっと籠の鳥なんて耐えられない」

 

 

 理論も理屈も無い感情論、そんな無茶苦茶を口にし廊下を歩く艦娘を見て、そしてその許可を出した大坂鎮守府の医局責任者を思い出し、ハカセは濃い紅を引いた唇をへの字に曲げる。

 

 医療関係者よりも研究者としての立場である天草の意見よりも更に危険な行為をしようとするこの足柄と、自分よりも慎重派である筈の電がそもそもそんな賭けに出るという行為は少なからず天草には意外な行動に見えると共に、人としての常識を元にしている自分には判らない何かがこの二人を突き動かしているという事実を嫌と言う程実感し、その苦い思いが口を付いて出てしまう。

 

 

「これだから艦娘ってヤツは御し難いんだ、なぁ桔梗……アンタは良くこんなヤツラを理解できたね……私にゃ無理だ」

 

 

 口の外に出る前に消える程か細い独白は、それを誤魔化す為か胸ポケットから取り出した煙草を噛む事で蓋をして、ハカセは少し弱気になった自分を振り払うかの様に舌打ちを一つ、医局の奥へと進んでいくのであった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「ちょっと色々あって施設の案内とか省略させて貰うけど、まぁ散歩する程度なら退屈凌ぎにはなるだろうし、その辺りはカンベンしてね」

 

 

 鎮守府建屋群から更に北へ、電ガーデンで一端様子を見てから更に北の人影が少ない場へと移動する者達。

 

 先頭を歩くのは狼さんと、それに速吸の車椅子を押す黒潮と、それに寄り添う電という一団。

 

 時間は既に夕刻であり、初夏に差し掛かった今は夕食の時間とあってもまだ陽が落ち切ってない風景が広がっている。

 

 足柄が狙った様に鎮守府の殆どの者は食事や何かしらの用事の為建物内へ移動している状態であり、それでいてまだ肉眼で景色が見れる程度には時間の猶予があるという絶妙なタイミング。

 

 前線のリンガで建造され、生きてきた殆どを戦場で過ごした黒潮と速吸は所属していた拠点とは違う広大な整った風景と、戦いの無い時間と言う物に触れ、病室で感じていた少しの居心地の悪さを忘れて周りの風景に圧倒されて言葉を失っていた。

 

 

「ちょっと時期的に桜が散っちゃって寂しい風景になっちゃってるけど、春は桜が満開で、秋は紅葉でこの辺りは真っ赤になるわ、それまでもう少し掛かると思うけど、毎日散歩が出来るならその変化を楽しむのもアリかも知れないわね」

 

「……見たこと無い木がこんなに……凄いなぁ、それにちょっと肌寒いって言うか、冷房が効いてる部屋に居るみたい」

 

「ほんまやなぁ、あっちはこんな形の木ぃより椰子とかソテツとか多いさかい、何か変な気分になるわ」

 

「季節的にはこれからこっちは夏になるけど、南国育ちの貴女達なら気にはならないと思うわ」

 

「インドネシアと日本では湿度の関係で感じる暑さが違うと思うので、もしかしたらこっちの夏の方が暑いと感じるかも知れないのです」

 

「あそっかぁ、この辺りって海風があるから多少はマシだけど、あっちよりもムシムシするだろうから戸惑うかも知れないわねぇ」

 

「海風……」

 

 

 言葉少な気に周りを見渡し、足を止める黒潮の視線に映ったのは、今進んでいる遊歩道の先では無く、少し離れた岸壁の向こうだった。

 

 基本的に凪ぎの大阪湾にあるこの鎮守府の外側は、消波ブロックが沈められ波の影響が少ない為、堤防の高さは人の背より低い箇所が幾つか点在する。

 

 特に今彼女達が歩く遊歩道は拠点の西側外縁に位置し、その向こうの海は演習するエリアが存在する為に比較的海が見える様な造りになっていた。

 

 そしてそんな風景を見る南国から来た二人は生い茂る葉桜の緑よりも、夕日を返す凪いだ海に釘付けとなり、歩む足も緩くなっていた。

 

 

「……海、見てみる?」

 

「せやな……速吸、どないする?」

 

「うん……海、見たいなぁ」

 

「そっかぁ、ほな海見にいこか」

 

 

 遊歩道から外れ、演習を見学したり待機する為の東屋が点在する岸壁を目指し黒潮は速吸の車椅子を押していく。

 

 レンガで舗装された小道をコトコトと進み、ゆっくりと進むと徐々に海の青が広がり、風に乗る潮の香りが強くなっていく。

 

 

 その風景に、感じる匂いに、少しだけ鼓動が早くなり、そして広がる青に目が釘付けとなっていく。

 

 

 そうして辿り着いた場所は、自分達が知る海よりも静かで、そして周りが陸に囲まれた狭く、知らない海だった。

 

 

「うわぁ……波が無いねぇ」

 

「せやなぁ、何か海の色もちょっと薄い気がする」

 

「うん、あっちこっち島? 陸? 周りが囲まれて狭い気もする」

 

「そら大阪湾やからなぁ、内海やからクルイの海とちゃうんやで」

 

「それくらい知ってるってば、もぅ」

 

「でも知ってるんと見るんは全然違うモンなんやなぁ」

 

「うん……全然違うね」

 

 

 既に宵闇が迫り、海と空の境界線がくっきり見える世界は、インド洋に直面した水平線しか無いクルイとは違って淡路島や四国、そして神戸という陸地が視界を遮る彼女達が知らない海だった。

 

 それでも二人は鎮守府よりも海に惹かれ、見る世界を噛み締めるが如く眺め、そしてポツリポツリと言葉を(こぼ)していく。

 

 

「でもさ……この海もクルイに繋がってるんだよね……」

 

「せやな……物凄く遠いけどな」

 

「そっかぁ、遠いのかぁ……」

 

「頑張ってもなぁ……艤装の燃料が持たんくらいは遠いんちゃうかなぁ」

 

「……そっかぁ」

 

 

 ただ呆然と大阪湾を見て、それでも今二人の目には狭い海では無く、遠く離れたスマトラ島の、あのクルイから見た海が広がっていた。

 

 

「……ねえ黒潮」

 

「何や?」

 

「帰りたいね……」

 

「せやな……帰りたいなぁ」

 

「……かえり……たいよぅ……」

 

「うちも……帰りたい……けどもう帰られへん……もうあそこにはうちらの居場所は……無いんや……」

 

「うん……わかってるよぉ……」

 

 

 思えば死と苦しみしか無かったあの海は、それでも二人には世界の全てだった。

 

 そしてそこから内地に来たと言う事は、状況からすればもう彼女達が帰れる程に回復したとしても、その時は既に彼女達の帰る場所は無くなっている事だろう。

 

 捨てた訳でも捨てられた訳でも無い、しかし最後は姉妹達と別れの言葉を交わす事も出来ずにあの海から逃げてきた。

 

 恨まれてるかも知れない、詫びの言葉すら言う事も出来ない、そして今もこの瞬間残してきた彼女達は戦っているかも知れない。

 

 

 そしてそんな負い目よりも更に強く心にあるのは、もう帰れないという絶望的な事実だった。

 

 

 地獄だった日々から開放されたのに、帰りたいと一言呟いて顔を覆い泣きじゃくる速吸、そして車椅子の後ろに立つ黒潮はいつか廊下で見せた時と同じ、唇を噛み締め、声を押し殺し、ただ海を見てボロボロと涙を流し肩を震わせていた。

 

 

 そしてあの時と違うのは、黒潮の手を握る電の手と、速吸の頭に置かれた足柄の手と、目の前に広がる狭い海だった。

 

 

 

 こうして救いを求められ行動し、取り敢えず問題の解決には漕ぎつけたが、それは足柄があの時吉野へ言った様に、結局誰の事も、特に助けを求めてきた二人にとっては何も救えなかったという後味の悪い結果を残し、この案件は一先ずの幕を降ろす事になった。

 

 

 そんな結末が来るのを予想していた足柄は、それでもいつかは自分のしてきた事でこの二人には嗚咽では無く、笑いが口から洩れる未来が来る事を信じて、そしてまた舞い込むであろう厄介事に対し今の苦い思いを噛み締めるのであった。

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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