大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 太平洋という海を目指す為にクェゼリンを足掛かりとした第二特務課、目指す先は人類が現在最も到達困難と言われる最深部、そこへ至った吉野三郎が思う先は、そしてそこに棲む深海棲艦上位固体との邂逅の結末とは────


 それでは何かご意見ご要望があればお気軽にどうぞ


2019/02/20
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きましたリア10爆発46様、真川 実様、MWKURAYUKI様、柱島低督様、雀怜様、有難う御座います、大変助かりました。


理想の為に支払う対価

「私はこの世で我慢ならない物が三つある」

 

 

 鈍く紅い色を滲ませた瞳を細くして、白い肌のその者は目の前の男を睨んでそう言った。

 

 白く長い髪を後ろに流し、鬼を彷彿させる角の様な物体を頭部から生やす、上位個体と呼ばれる存在の中でも最も古くから海を支配してきたと言われている存在の一人。

 

 

 泊地棲姫

 

 世界の海を五つに割ったテリトリーの内、太平洋のキリバス諸島を根拠地とし、北はハワイ諸島周辺、南部は南極海に及ぶ海域を掌握するという存在。

 

 四人いる『原初の者』と呼ばれる上位個体の内の一人で、基本個体名称を持たないとされる深海棲艦にあって『古き王』と呼ばれるこの存在は、他の者よりはテリトリーが小さいものの誰とも組みする事は無く、人と対しても基本関わりを持たないというスタンスで縄張りに引き篭もる変わり者として知られてきた存在。

 

 人に対して"関わらない"とは言うものの、それは無関心という訳では無く、相対すれば当然死を与えるという生態は何ら他の深海棲艦とも変わりが無い。

 

 ただ己から積極的に殺しに行くという事が無く、誰とも共闘しないというだけで、この深海棲艦は人類の仇敵という存在には違いなかった。

 

 支配下に置く海域は狭くはあったが、そこに潜む深海棲艦の数は他のテリトリーよりも多く、過去に一度境界を接する『原初の者』と争った事があったが、その圧倒的な配下の数と、力を前面に出すという深海棲艦の性質とは掛け離れた"組織的な戦い方"で戦場を蹂躙、その日から五人居た『原初の者』の数は四人となり、太平洋の北側は今も尚主を持たぬ混沌の海となっていた。

 

 それ以来彼女のテリトリーは日本近海に次ぐ"深海棲艦の禁域"として広く認知されるが、それでもその海は来る者拒まず、去る者追わずという彼女のスタンスがあってか割と自由な世界であるのだという。

 

 

「一つは無遠慮に私のテリトリーに足を踏み入れる愚か者、二つ目は茶の時間を邪魔される事、そして三つ目は冷めてドロ水の様になったコーヒーだ、さてニンゲンよ」

 

 

 鈍く濁った()で睨み、"古き王"と呼ばれる者は目の前に座る黒い軍装を纏った非力な存在へ低く、冷たい声色で問い掛ける。

 

 

「お前はこの内、幾つの事柄に引っ掛かっているのだろうなぁ?」

 

 

 そう告げられたニンゲン─────────大坂鎮守府司令長官、海軍中将である吉野三郎は真っ直ぐにその視線を受け止めつつ、問われた事への答えを返していく。

 

 

「先ず自分達は貴女と関わりがある防空棲姫(朔夜)さんを通じ、彼女の名代であるレ級君を連れ、貴女に許しを得た上でここまで来ました」

 

「ああ、そうだな」

 

「そして茶の時間を邪魔する意図は無く、取り敢えずではありますが招いて頂いたという事で茶菓子を持参して"お茶会に混ぜて"貰おうかと」

 

「ふむこれは……ケーキか? 私が知る物は青かったり緑が散りばめたりの物が多いが、なる程、確かに茶会に混ざる為に最低限の礼節は守っていると言えなくもないな」

 

 

 目の前の皿に切り分けられたチーズケーキを前に、興味深げに目を細め、吉野の言葉に取り敢えずの相槌を打つ泊地棲姫。

 

 彼女のテリトリーは元はと言えば米国が掌握していた海域が殆どで、テリトリーとした内の文化圏もその色が濃い。

 

 従って彼女達に伝わっている食文化の面でもその傾向は強く、デザート、特にケーキという物に限定して言えば青や赤や緑等、派手で毒々しい色合いの物が普通に供される事が多い。

 

 

「最後に、ここは貴女の居城にあるゲストルームです、ここに居る限りは常に暖かいコーヒーを望めると思うのですが……如何でしょう?」

 

 

 現在吉野が居る場所は嘗てキリバス議会議事堂と呼ばれた建物を改装した建造物。

 

 深海棲艦の攻勢があった際同国は抗う事はせず、国民は避難を優先して退去した経緯があり、戦いが皆無だったこの諸島には人が居た時代の遺物は割りと当時の面影を残す状態で現存している。

 

 海岸線に面する部分は視界の確保の為に薙ぎ払らわれてはいたが、それでも主要地区には建造物が街という形で存在しているのを見た吉野は少なからぬ驚きと共に、建物や施設を使用するという"文化的一面"を相手が有しているという事に希望を見出していた。

 

 

「……なる程な、そうか、なら私は"取り敢えず"お前をゲストとして扱う責任はある訳だ」

 

「そう思って頂けたらこちらも在り難いのですが」

 

「しかしなニンゲンよ、私は基本お前達と関わる事はしない、お前と今この場で対しているのは"はぐれの防空棲姫"から紹介された為でも、ましてやこの茶菓子があったからでも無い」

 

「……と言いますと?」

 

「あいつが送っていった"番人"が立ち去る時残した言葉、そしてお前が乗ってきた舟の為だ」

 

「すいません、色々と自分には心当たりが無い話があるみたいなんですが……その辺りどういう事かお聞きしても?」

 

「……嘗て我らが同胞をあの島国から遠ざけ、恐怖を撒き散らした五人の番人、そして今も尚あの近海で彷徨い、禁域へ入ろうとする者の前には必ず不幸と共に現れる青い髪の番人の事だ」

 

 

 青い髪、それを聞いた吉野には五月雨の名が頭に浮かぶ。

 

 人という視点から見れば日本を救い、奇跡と呼ばれる幸運を味方へ与える存在である彼女であったが、それを深海棲艦からの視点に置き換えれば、理不尽な現象を引き起こし、単騎であるにも関わらず誰も彼もが駆逐されるという存在は恐怖として認知されていてもおかしくは無いだろう。

 

 それと同じく『最初の五人』と呼ばれる存在とは、深海棲艦から見れば五月雨と同じく嘗ての日本近海で戦っていた頃の苛烈さを思えば、その当時を知る者にとっては忌諱する存在には違いない。

 

 

「あの時あの番人は言った、もしもいつか此処に自ら進んで足を踏み入れるニンゲンが居たなら、その者の話を聞いてやって欲しいとな」

 

「なる程……しかし自分が貴女の言う"番人が指したニンゲン"という確証はどこにも無いのではありませんか?」

 

「お前は自ら進んで此処に来たのだろう? それにお前が乗ってきた舟……あれからは番人の気配がする、それも"舟その物"から気配が滲み出ていた……一体どうしてそんな状態になっているかは判らんけどな」

 

 

 相変わらず無表情であったが、最初の冷たさは既に無く、淡々と語る泊地棲姫はコーヒーで一度口を湿らし、自分が忌諱するニンゲンを自分のテリトリーへ招き入れた理由を述べていく。

 

 

「"はぐれの防空棲姫"との繋がり、青い髪の番人が残した言葉、そしてあの舟、これだけ色々な物を背景にしたニンゲンが、偶然このテリトリーへ足を踏み入れた愚か者と断ずる程私は浅慮では無いよ」

 

「ああ……なる程です、納得しました」

 

「さてとニンゲンよ、私は今お前に憎しみより僅かに興味が勝った状態で対している訳だが、お前が今ここに居る理由は当然聞かせて貰えるのだろうな? ……まさか本当に茶飲み話の為だけにここに来た訳ではあるまい?」

 

「そうですね……実の処本音を言うと"ここに来て貴女と話をする"というのが最大の目的でありまして、肝心の内容は今思うと考えてもみなかったと言いますか」

 

「……何だそれは、お前自分の言ってる事を理解しているのか? 今お前は私に対し、ここに来た理由が"茶飲み話に来ましたと"言ってる様な物なのだぞ?」

 

 

 目の前に座るニンゲンに初めて泊地棲姫の表情が動き、困惑の色が浮かぶ、相手の意図を聞くために戯言として吐いた言葉が実は相手の目的だという想定外の事に、そして先程からそれとなく牽制として飛ばしている殺気の手応えも殆ど無い事に対しての心情がその表情に繋がっていた。

 

 そんな泊地棲姫を見るニンゲンは苦笑いでボリボリと頭を搔き、取り敢えずはと言いつつ己の名前を口にする。

 

 

「自分は吉野三郎と言う名前でして、そう呼んで頂けるとあり難いと思うのですが…… と言いますか、自分は貴女の事をどうお呼びすればいいのかも聞かせて頂けると助かります」

 

「……何故呼び名に拘る」

 

「どんな時であれ、話をする時は互いを知るというのが肝要だと思うんですよね、そして名前も知らなければその一歩目は踏み出せないとは思いませんか?」

 

「なる程、それは至言だな……ではこれからお前には私の事をハッちゃんと呼ぶ事を許す」

 

「ハッちゃんん?」

 

「そうだ、生憎と私には固有名詞はあっても固体名称が存在しない、だから愛称でハッちゃんと呼んで貰う、それでいいな? ヨシノン」

 

「ヨシノンんん?」

 

 

 こうして深海棲艦上位個体のハッちゃんと、髭眼帯のヨシノンは太平洋の中心、キリバスでコーヒー片手にチーズケーキを摘みつつ、互いの認識と常識を基にした茶飲み話をしていく事になった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「番人の舟でここに乗り入れ、レ級と番人を従えて……此処で茶を啜っているのは継ぎ接ぎのニンゲンモドキとは中々に興味深い茶会となったな」

 

「はい、お姉さま」

 

 

 あの互いの自己紹介から後、二人だけで話していた室内には吉野と共にキリバスへ上陸を許されたレ級と時雨がヨシノンを挟んで座り、対面には泊地棲姫と彼女が呼んだ重巡棲姫が並んで座し、新たに泉和から持ち込まれた甘味とコーヒーを口にするという混沌とした茶会がそこに展開されていた。

 

 

「えっとハッちゃんさん、そちらの方は……」

 

「うむ、この者はまぁ私の身内というか近しい関係の者でな、お前は茶会を所望するのだろう? ならその席には親しい者を呼ぶのはおかしくはあるまい」

 

「ああなる程……ええまぁ、えっと、……では宜しくお願いします、その……ジッちゃん?」

 

「頭、もがれたいですか?」

 

「……ハイサーセンシタ」

 

 

 例の壊滅的なネーミングセンスが炸裂し、重巡棲姫の殺気・ガン飛ばし・言葉攻めのカットインがヨシノンへ突き刺さる、泊地棲姫のセンスも大概であると言えなくも無いが、この男もその筋では負けず劣らずの感性の持ち主であった。

 

 そんな諸々のカットインが炸裂している横では冬華(レ級)がモシャモシャと大福を頬張り、時雨は苦笑いでコーヒーを口にしている。

 

 

 現在人類は深海棲艦上位個体という存在の一部と関係は築いてはいたが、その存在は一つの例外も無く(元艦娘)という前世を認識する者達であった。

 

 しかし今吉野の前に並ぶ姫二人は純粋に深海棲艦として生まれ、これまで死と生のサイクルを経た事も無い"純粋種"であった。

 

 そんな世紀の邂逅は互いをハッちゃんヨシノンという腰砕けな名称で呼び合い、甘味とコーヒーを置いたテーブルを挟んだ茶飲み話という暢気な形で進行していた。

 

 

「しかし……これは本物のコーヒーですか? それも結構いい豆を使っていますね」

 

「ほう? これが判るか、これはな、ハワイから取り寄せたコナコーヒーでピーベリーと言われる希少な物でな」

 

「ハワイ……ですか? て言うかハッちゃんさん達はまさかコーヒーの栽培までしているんです?」

 

「いや、あそこには現在ニンゲンが自治政府を置いている、昔あの辺りをテリトリーとしていた者は不幸な事故(・・・・・)で亡くなってしまってな、今は誰の手にも堕ちてはいない、そして何か面倒があった際は気が向いたらだが私が出張る事があるが……コレはその供物的な物の一つだ」

 

「供物……と言うかそれは貨幣を伴わない通商関係が成り立っていると言う事でしょうか?」

 

「違うな、私はニンゲンという存在と融和するつもりは無い、欲という本能を元に行動し、それを追求する為にどんな物をも犠牲にする、そんな存在と共鳴(ともな)る心は持ち合わせてはいないが……そこから生まれた文化には我々に無い興味を惹く物が存在する、だからあそことは最低限のラインを譲歩した状態を保っている関係性が成立しているのだ」

 

「衣・食・住ですか、海に棲む異形……今まで我々は貴女達の事をそう認識してきましたが、実はそうでは無いと」

 

「その認識で概ね間違いでは無い、しかし私達はどうやら変り種らしくてな、この島にも私を含め極少数の者しか居を構えては居ない」

 

 

 海を支配し、人とは水と油の如く混ざり合うことは無い存在である深海棲艦、その筆頭とも言える泊地棲姫が文化という言葉を口にし、それに共感の意を示すという事を聞いた吉野はこの茶会に自分が思い描く『理想の世界』を垣間見た。

 

 人が居て、艦娘が居て、深海棲艦が同じ卓を囲み、文化という"本能から生まれた理性"を語り合うという関係。

 

 深海棲艦という終わりの無い絶望を前に、その真実を知る者が一度は思い至り、それでも不可能と真っ先に排除してきた可能性、仮初(かりそめ)ではあるが今はその関係性がここには存在していた。

 

 そんな場に身を置き自然と髭眼帯の雰囲気は緩み、内地でも滅多に口にする事が無い上等なコーヒーを口に含んでいる様を泊地棲姫のハッちゃんはじっと観察する様に凝視していた。

 

 相変わらずの無表情、しかしそれは間違いなく興味から来る行動であり、その視線に気付いた髭眼帯はどうしたのかという意を込めて相手に視線を投げ掛ける。

 

 

「お前の連れているその(時雨)有体(ありてい)、そしてお前自身の"混ざった体"……そしてニンゲンらしからぬ所作、お前の目的は本当に私と対話するだけの物だったのか?」

 

「ええ、それは間違いないですよ、自分は貴女達の事を何も知らない、知らない相手には恐怖心しか沸いてこない、敵であろうが味方であろうが知らなければどう接していいか判断が付かない、だから自分は知る為にここに来たんです」

 

「混ざり合う事の無い存在を前に、そんな思考は無意味だと思うが?」

 

「その割には貴女は人の文化へ共感を示し、こうして"ニンゲンと茶を共にしている"」

 

「いや、お前はニンゲンでは無い、そこの娘も艦娘では無い、だからこうしてここで茶を啜っていられる」

 

「人間と言うのは有体では無く内包する心の事を指す物だと自分は思います、それで言えば自分は間違いなく人間と胸を張って言えますが」

 

「……ならヨシノンよ、私は今本能から忌諱するお前(ニンゲン)という存在を前に、こんな暢気に茶をしていると?」

 

「ですね、それは間違いなく」

 

「ははっ、それは興味深い……なる程な、私がニンゲンと卓を囲み茶を共にするか」

 

「人は貴女達が出現する前はこの惑星の、余す処なく全てを住家としていました、そこには貴女の知らない独自の文化や世界が存在していた、そして今もそれは基本的には変わらない」

 

「……それで?」

 

「興味ありませんか? その文化、例えばほら、貴女の目の前にある"青くないケーキ"みたいな世界の事を」

 

「私は今のままで充分満足を得ている、確かにヨシノンの言う文化に興味が無い訳では無いが、ニンゲンと関わるという前提でそれを知ろうという欲求は沸いて来んな」

 

「そうでしょうか? 人と関わり、相手を知るメリットと言うのは貴女の欲求に足る物があると自分は思いますよ?」

 

「ほう? ……なら聞かせて貰おうか、お前の言う"私の欲求を満たす人との繋がり"と言う物を」

 

 

 能面の様に変化の無かった貌に再び表情が浮かび上がる、それは(たの)し気でもあり、同時に攻撃的な色も滲んでいた。

 

 それを見る重巡棲姫は驚きの表情を浮かべ、時雨はいつでも事を起こせる様に身構えた。

 

 そんな空気の中髭の眼帯はいつもの飄々とした雰囲気を崩さず、それでもハッちゃんと呼ぶ相手の視線を真っ向から受け、ニヤリと笑みすらも浮かべてみせる。

 

 

「相手を知るという行為は共存するという漠然とした、画一的な行為では無く、己の欲求を満たしつつも相手を理解し、共に適度な距離を保つ為に必要な物だと思います」

 

「ふむ、まぁ言っている事は道理だが、それを一般的には共存、若しくは融和と呼ぶのでは無いか?」

 

「それは互いに深く一歩踏み込んだ形の関係性ですね、自分がもし貴女と関係性を築くならもっと別な形を提案しますよ?」

 

「そうか、なら参考までにその提案とやらを聞いてやろう、言ってみろ」

 

「互いの欲求を満たす部分のみを繋げ、それ以外は踏み込まない、互いにそこを明確にして拒絶を保つ……『隔絶を前提とする調和』、不可侵でも無く共存でも無い、もっと利害を抽出した関係性」

 

「なる程な、利害のみを前提とすれば確かに煩わしい事を廃した関係性は成り立つが、お前の言うそれには足りない物があるな」

 

「仰る通りで、自分にはその話を進める為の担保がありません」

 

「なら話になるまい? 隔絶とは相手を拒絶した先にある物だ、その関係性の者と繋がろうと言うのなら、信用の代替となる担保をお互い差し出さねばならん」

 

 

 融和や共存であれば信頼や信用が生まれ、それを元に互いは関係性を保つ事が可能となる。

 

 しかし吉野の提案する関係性は、互いに拒絶するという関係にありながらも、自分に必要とする部分だけをやり取りするという歪な関係であり、そこには当然信用や信頼が生まれる素地は無く、またそれを成立させるには確実にそれが実行される証としての担保が必要になってくる。

 

 過度な接近はせずお互いの存在を認め合うという部分では理想的かも知れないその提案は、泊地棲姫の首を縦に振らせる程の内容ではあったが、その約束を果せるという確実性という肝心な部分を吉野は提案する事が出来なかった。

 

 

 この様な場を想定すればその辺りを何か考える事は出来ただろう、しかし泊地棲姫に述べた様に吉野は当初から『話をする事』を目標にこのキリバスへ来た、その為手持ちのカードは懐に無く、有益な話は出来てもそれを実現する可能性は皆無と言えた。

 

 残念という気持ちもあったが、それでも今まで知らなかった深海棲艦の生態と、そして僅かばかりでも関係性の変化という可能性があると判った事は僥倖だったと思うしか無い。

 

 

 そう吉野が納得し掛けた時、となりでモグモグと饅頭を頬張っていた冬華(レ級)が『だったらさ』という言葉を口にして場の者の注目を引いた。

 

 

「要するに、取り引きするのに裏切らないって証があればいいんだよね?」

 

「そうだな、しかしそんな物は用意出来る筈が無い、提案内容は面白い物ではあるが……この話は矛盾が前提の物だ、それを埋めつつ実現するのは不可能と言わざるを得ない」

 

「んじゃさ、ボクがここに残るよ」

 

「……何だと?」

 

「ちょっ!? 冬華(レ級)君!?」

 

「ボクはボーちゃんの配下で、テイトクの配下だよ? ならボクが人質としてここに残れば泊地棲姫が言ってる"裏切らないという確実な証"になるんじゃない?」

 

 

 深海棲艦は力という物に拠って関係性が成り立っている、そして自分の支配下に置く存在を使役する代わりに支配者はその存在を庇護するという事で関係性を強固な物にしていく。

 

 そこには支配という物以前に力の誇示と面子という本能的な物も関わっており、自分の支配下に居る物を相手に差し出すというのは人が考える以上に深海棲艦にとっては重要な意味を持つ行為であった。

 

 そしてその人質とも言える存在は、朔夜(防空棲姫)の名代であり、そして友である冬華(レ級)という存在、それが意味する物は少なからず深海棲艦の生態を朔夜(防空棲姫)から聞かされていた吉野にも理解出来る物であった。

 

 

 それ故その提案は泊地棲姫には驚く物であり、吉野にとっては朔夜(防空棲姫)の信頼を自分の欲望の為に売り渡す行為に他ならず、到底許容出来る話ではなかった。

 

 それ以前に吉野にとってこの冬華(レ級)という存在は、大坂鎮守府に所属する艦娘と等しく自分の部下であり、そして生死を友にするべき仲間でもある。

 

 その存在を交渉の材料にするのは元より選択肢に上がる事は無く、認めるつもりは毛頭無い。

 

 

冬華(レ級)君、君の提案は確かに有益ではあるかも知れない、しかしそれを許す訳にはいかない」

 

「ん? 何で?」

 

「仲間を交渉の道具にしろと……君は自分にそう言うのかい?」

 

 

 吉野が今までに一度として向けた事も無い怒気と、そしてそれが本気だと感じた冬華(レ級)は驚きの相を浮かべ、そしてそれは徐々に笑みへと変わっていく。

 

 何となくで朔夜(防空棲姫)と旅を共にし、榛名という存在に惹かれ第二特務課へ身を寄せた冬華(レ級)

 

 吉野という男には好ましい感情こそあったが、これまでの間絆を深める為に近寄った事も無く、逆に吉野から自分に対しても思う物はそれ程大きく無いと認識をしていた。

 

 

 決して嫌いでは無く、それでも朔夜(防空棲姫)(空母棲鬼)という存在が寄せる好意を知っていたからこそ、敢えて適度な距離で接してきた冬華(レ級)は少し寂しいという気持ちもあったが、それ以上求めるのは怖いという部分もあってそれ以上の関係に踏み込む事はしなかった。

 

 そんな自分に対して目の前の髭眼帯は本気で怒りを露にして、自分へ対して向き合っている。

 

 

─────────だからさ、テイトクって皆に好かれるんだよね。

 

 

 むず痒く、そして寂しさを感じる冬華(レ級)はこの航海へ出る際朔夜(防空棲姫)達と話した内容を思い出していた。

 

 泊地棲姫に繋ぎを付けるにはどうしたら良いか、もしテリトリーに入った後敵対した場合はどうするか。

 

 様々なケースを想定した話し合いが朔夜(防空棲姫)(空母棲鬼)、そして冬華(レ級)の間で持たれた。

 

 

 そして朔夜(防空棲姫)がその中の可能性として上げた話の一つ。

 

 

 もし吉野という男が泊地棲姫と首尾良く話を進めた場合、必ず何か取り引きという形で交渉を持ち掛けるだろう、それが実現出来ない事と理解していても、それ(信念)を口にするのはテイトクの美徳であり、愚かな部分であると。

 

 

「本来なら私がそこで話を付けるのが理想なんだろうけどそれは無理よね、此処から私は動く事が出来ないんだもの、だから冬華(レ級)アイツ(泊地棲姫)が何か条件を付けてきた場合は────」

 

 

 名代という名は代理と言う意味であったが、冬華(レ級)朔夜(防空棲姫)から事前に言い含められていた事は、己の判断で一番良いと思った事をしろという全権委任を示す言葉。

 

 それは朔夜(防空棲姫)自身の許しを必要とする事でも、冬華(レ級)が必要であればその判断に委ね決定しても良いという言葉。

 

 

 元々朔夜(防空棲姫)達程大坂鎮守府へ惹かれる部分は持たなかった、そこを離れる事に少しの寂しさはあってもキリバスで暮らすのも悪くない、そう思って冬華(レ級)は言葉を口にした。

 

 たったそれだけの筈だったのに、最後に心残りをさせる言葉を向けるなんて、この男はなんて事しやがるんだと複雑な心境のまま、この冬華という名のレ級はそれでも自分が最良と思った選択肢を変える事は無かった。

 

 

「ボーちゃんとさ、もう決めてあったんだよ、だからボクはここに残るよテイトク」

 

「……その辺りは初耳なんだけどな、しかしもし君達の間でそんな取り決めがあったとしても自分は─────」

 

「テイトク、ボクに仕事をさせないつもり?」

 

 

 暫く両者は睨み合い、そして髭眼帯は苦い表情で頭を抱える事になった。

 

 確かに泊地棲姫へ提案してきた話は、ゆくゆく全ての深海棲艦とそういう関係性を築ければ理想だと思っていた事だった。

 

 無限に沸き続けるという者とそれなりの関係を築く、人類の絶滅を回避する唯一の手段、そして完全なる融和が無い世界では深海棲艦の脅威に対する為、艦娘という存在は必要不可欠となる。

 

 人と艦娘と深海棲艦、歪ではあったが其々の存在が成立し、地球という惑星で互いを相食(あいは)む事が無い世界。

 

 共栄共存という現実性の乏しい夢の世界では無く、限りなく現実という物を突き詰め、ギリギリ実現が可能と判断したそれは、吉野自身目指してはいたが実現には相当な時間がいると予想し、己が没した後でもそれが可能な様にこれまで動いてきた。

 

 

 その為の大坂鎮守府であり、後の世代に繋ぐ為の自分だという前提で事を進めてきた。

 

 

 だから今は焦る必要が無い、理想の為に誰かを人柱にするつもりは無い、そう思っていた矢先の冬華(レ級)の提案は、当然吉野自身には受け入れ難い物であった。

 

 

「……だそうだぞヨシノン、確かにレ級が楔となるならお前が言う我々との関係性を成立させるには過不足の無い担保となろう、もしお前がレ級の提案を受け入れ、この先を望むならば私はお前の言う提案を受け入れてもやっても良いのだが? さて……どうする?」

 

「いや、ちょっと待って下さい泊地棲姫さん」

 

「テイトク」

 

 

 あくまでその話は避けるつもりで思考を回し始めた吉野に、冬華(レ級)は服の袖を引き睨み上げていた。

 

 

「ボーちゃんやボクに、失望、させるつもり?」

 

 

 目に浮かぶ色、それまで己に向けた事の無い冬華(レ級)の自己主張。

 

 それは吉野にとって最もしたくない、するつもりもなかった事を覚悟させるに充分な表情だった。

 

 

 その視線を受け続ける事に耐えられず、天を仰ぎソファーへ身を沈める。

 

 そして諦めた様に脱力し、髭の眼帯にしては珍しく、交渉の場で何も考えない本音の愚痴を口から漏らす。

 

 

「……やっちまった、くそ……何て自分は無力なんだろうなぁ」

 

「なる程な……これで"はぐれの防空棲姫"が寄越した伝言に得心がいったよ」

 

「……伝言?」

 

「うむ、ヤツは私にお前の事を『自分の支配者』だと言ってきた、深海棲艦の上位個体がニンゲンに恭順し、その元に下ると言うのは信じ難い話だったが……」

 

 

 泊地棲姫はカップのコーヒーを飲み干し、それに重巡棲姫が代わりを注ぐ、その間たっぷりと何かを考える間を開けて次にその姫が口にした言葉は、取り敢えずであったが髭眼帯が取り引きに足る存在であると肯定する意思表示であった。

 

 

「己の支配下に置く者より信頼を勝ち取り、それを守護するという力関係、お前は最低限支配者としてしなければならない責任を果そうとし、関係を築いている、ならば認めよう、お前が禁域の支配者であるヤツ(朔夜)の上位者であり、交渉に足る存在であると」

 

「……自分はそんな大層な存在じゃありませんし、今その交渉を進める内容も持ち合わせてはいませんが?」

 

「それはおいおいと進めればいい、これから先は互いに益のある部分を繋げてゆくのだろう? ならその繋ぐ部分が徐々に増えていってもおかしくはあるまい、今回はその約定(やくじょう)を交わすという事だけで私は僥倖と思うのだがな?」

 

「なる程……確かにそうですね」

 

「美味いコーヒーに青くないケーキ、中々有意義な時間を過ごせた事に礼を言うぞヨシノン、それとな」

 

「……何でしょう?」

 

「帰る時はコイツを連れて行け、防空棲姫は己の最も近しい者を約定(やくてい)の為に差し出した、ならこちらも同等の者を差し出さねば釣り合いが取れんからな」

 

 

 泊地棲姫の言葉に頷き、重巡棲姫は立ち上がる。

 

 そして示し合わせたかの様に冬華(レ級)もそれに倣い立ち上がると、其々の席を入れ替えた。

 

 

「ソレは私の妹も同然の者だ、何かあれば……判っているだろう? まぁそういう事だ」

 

「そういう事ですので以後宜しくお願い致します」

 

「らしいよテイトク、んじゃボーちゃんにヨロシクね!」

 

「……ええぇ~」

 

 

 こうしてキリバスで行われた茶会は髭眼帯の意図せぬ方向へと流れていき、いつの間にか所属選手のトレードというカンジの密会へとなってしまった。

 

 結果として吉野の下からは冬華(レ級)という存在が去ってしまったが、新たに重巡棲姫という姫が選手登録をするという、色んな意味で後から髭眼帯に厄介事が増す事態へと発展していく爆弾が訪れる事になってしまった。

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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