では、どうぞ。
頬を撫でるそよ風。
涼しさを感じる水の音。
足元を照らす月明かり。
昼頃に来ていたはずだったが、いつの間にか夜になっていたようだ。
手入れの行き届いた花壇を縫うように歩き正門を目指す。そこに、俺の探す人がいるはずだ。
噴水の横を通り抜け、真っ直ぐ進む。
赤い髪が風になびき。背をピンッと姿勢よく威風堂々と立つ女性。
その後ろ姿に足が動くのを止めた。
何故か、そんなもの分からない。もしかしたら見とれてしまったのかもしれない。もしかしたらこのまま会わずに去るべきなのかと止まったのかもしれない。
だけど、動かなければならない。なにが、なんでも。彼女だけには、絶対に。会わなければ、会って話さなければ。
違う……俺が、彼女と、話したいんだ。
我儘、そう分かった途端、足が前へと進んだ。
「こんばんわ」
「こんばんわ。こんな夜中にお散歩ですか?」
「ええ、ちょっとお散歩がてらに雑談でもと思いまして」
彼女の横に並び、壁に背を預け夜空を見上げる。
「雑談ですか……」
「迷惑でしたか?」
「いえ、基本的に起きているので話し相手が出来ることはとても嬉しいのですが、松さんに話せるような面白い事でもあったかな、と思いまして」
「俺はこうしているだけでも十二分楽しいですよ。にしても、基本的に起きているって……寝なくても大丈夫なんですか?」
「ええ、妖怪だから人間よりも体力が多いのも関係しているのでしょうが、修行をやっているうちに寝なくても平気になりました」
紅さんが努力家で色々な修行をしているのは知っていたが、まさかその過程で睡眠が必要じゃなくなる体になるなんて。
正直人間がその体質を手に入れてもあまり意味はなさそうだが……門番である紅さんには持ってこいの体質だろう。
「ですが、休息は大事ですからね。できる限り休息は取るようにしていますよ」
「そうですね。休息は大切です」
「にしても、変わりましたよね松さん」
「そうですか?」
「何時も会う度に変わって行くなとは思っていたのですが、情緒不安定だったり、妙に笑ってたり……けど、何だか今日は正直と言いますか……明るいと言いますか……」
…………色々吹っ切れたから、だろうな。
「あ、いえ、別に悪い意味ではなくてですね?」
「いや、明るいは悪口ではないと思うのですけど……にしても、変わった……ですか。なら、色んな人から影響を貰ったからでしょうね」
そう、この世界で出会った皆から良い意味でも、悪い意味でも影響を貰った。だから、今の俺がいる。
もう、生きることが辛くなった佐々木松が、ここに。
「そうですか。うん、いいと思います。正直、ちょっと寂しくもありますけど……もっと頼って欲しかったなぁ。あ、今でも全然頼って貰って良いですからね!!」
むっふーっと後ろに擬音が見えた……気がした。
「では、早速頼んでも良いですか?」
「む、何時になく積極的ですね。ええ、私に出来ることでしたら」
「ありがとうございます」
「いえいえ、お礼なんて。それで?私は何をすれば?」
俺は懐から簪が包まれた袋を取り出す。
「受け取ってもらえますか?」
「?」
紅さんは首をかしげながら簪を受け取る。
「簪……ですか?」
「はい。出来れば、付けているところを見せて欲しいのですが」
「えっと……その……すいません。付け方が分からないんですよ」
おっと、それは想定外だった。
「そうですか。それは、残念です。最期にその簪を付けたところを見たかったのですが」
「最後だなんて縁起でもない。今度付け方を教えて貰っておきますから、その時にでもお見せしますよ」
少し怒ったような声で紅さんは言った。
「そうですか……そうですね、楽しみです。いつか、見られると良いなぁ」
「だから、見せますよ。だって、折角松さんからの贈り物なんですから。松さんには見てもらわないと」
「…………紅さん、紅魔館の皆やアリスさんを見てて、家族ってものがなんとなくわかった、と思う。けど、紅さんんだけは、なんか違う。この気持ちが恋とか、好きだとか、愛ってものなのは直ぐに気付いた」
「松さん?それって……」
「急にこんな話して悪いとは思ってる。けど、最期なんだ。これ以上は、俺が持たない。本当に悪いと思ってる」
確りと、紅さんの瞳を見つめる。
その瞳は揺らいでいて、戸惑っているのが容易に分かった。
「これが一番だと、そう判断したんだ。歪んでいることも、狂っていることも、分かってる。自分が、現実から、目を逸らして逃げていることも」
「ちょ、ちょっと待って下さい。なんでそんなに気が落ち着いているんですか?まるで……その……死んだ直前みたいな……いや、そんな……まさか……だ、大丈夫です……やり直せる、やり直せますから」
震えたその手が俺の肩を掴む。
にしても、死んだ直前、か。それは、俺が既に生きる気力が無いから、だろうな。
「ほら、何があったか話してみてください。ね?ね?」
「紅さん。美鈴って、呼んでもいいですか?」
「いいです、いいですからっ!!」
「美鈴……こんな、歪んだ愛だけど……受け取ってもらえますか?」
「ッ!!勿論です!!勿論です!!だから、死のうなんて考えないで下さい!!」
「ああ、良かった……これで、心置き無く逝くことが出来そうだ」
両手で美鈴を抱き寄せる。
「駄目です……力づくでも、離しません。絶対に、絶対に離しませんからっ!!」
肩を掴んでいた美鈴の手が、俺の腰に回り強く抱き締められる。少し痛いけど、それだけだ。むしろ、耳に聞こえる嗚咽が、俺の胸を締め付けた。
「…………ッ お願いします」
そう、呟いた瞬間。美鈴の体から力が抜け、包容から抜け出すことが出来るようになった。
「…………」
「歪んだ愛、歪んだ愛だからこそ、この全てをあなたのために……歪んだ愛をアナタに捧げましょう」
その瞬間、体が浮遊感に包まれる。ぎょろぎょろとした眼球達に見守られ落ちているのか、はたまた浮き上がっているのかも分からない。
ただ、これで良かった。良かったのだと。自分が笑っているのが分かった。
宙に浮かび、すっと消えていく透明な液体を見ながら。
「あんまりじゃないですか……」
ガリガリ
「ようやく頼ってくれたと思ったら」
ガリガリガリ
「勝手に満足して、居なくなって」
ガリガリガリガリ
「私の気持ちも考えてくださいよ」
ガリガリガリガリガリ
「なんでこんな別れ方をしなくちゃならないんですか」
ガリガリガリガリガリガリ
「この簪、付けてるところ見たかっんですよね」
「見てからでも良かったじゃないんですか」
「もう少しぐらい一緒にいても良かったんじゃないんですか」
「なんで一言も相談してくれなかったんですか」
最愛の相手がさっきまでいた所を、名残惜しく、女々しく、狂ったように掻き集めるように掻き毟る。
爪が剥がれ、血が流れ、肉が削げる。
その地面は削れ、赤く染まり、水が溜まる。
女はただ、あなたと一緒に居たかっただけだと。
なんでなんで
どうしてどうして
そう、嘆きながら。
お読みいただき有難うございます。
次回、最終回です。
では、また次回。