轟々と燃え盛る。蛇の舌のようにちろちろと、そして辺りを真っ赤に照らしうねる業火。いまだその火勢は森のほんの一部とはいえ、呆けて見過ごせば瞬く間に全てを焼き尽くすだろう。そう予感させるほどの激しさが、その紅い炎にはあったのだ。
「大瀑布の術ー……もう疲れた」
「同じく」
「あとちょっとよ。頑張りなさい」
しかしそれを消し止めんと奮闘する双子の忍者ティアとティナ。忍者という職業は、様々な効果を持つ忍術を駆使した手段の多彩さに強みがある。そしてその一つ『大瀑布の術』とは大量の水を噴出させめくらましなどに使用する術なのだが、当然他の用途――つまり今行っている消火活動にも充分役立つ。いったいどこから水分が出ているのかは不思議でならないが、とにかく火の勢いは既に小火程度まで落ち着いてきたのだ。
「私の棲み処がー」
「うん? こんなところに住んでいたとは物好きにも程がありんすな。いい機会でありんしょう、もっと良いところを見つけなんし」
「ううう……加害者が言うセリフじゃないよう……」
「はて、どのみちわらわが来なければぬしは死んでいんした。加害者と言うならばあの薪に文句を言っておくんなまし」
「そりゃそうだけどさ、この先どうしよう……」
「……」
シャルティアは、自分のせいで棲み処をなくしたドライアード如きにいちいち同情などしない。たとえ森が全焼していたとしてもそこに思うところはなかっただろうし、どれだけの生物が死んでいたかなど気にもしない。しかし帰るところが消滅したと嘆くドライアードを見て、少し自分と重なってしまったのもまた事実だ。
「終わったー」
「疲れたー」
「ご苦労様。さて、とにかく異変も解決したし帰りましょうか。まずはカルネ村に報告しに行きましょう」
「おうよ」
「シャルティア、頼めるか?」
「……うん? ああ、ちょいと待ちなんし」
《ゲート/異界門》を開き、カルネ村に繋げるシャルティア。なにげに素直に言うことを聞いてあげたのはこれが初めてだったりするのはご愛敬。気がそぞろだったのも一因ではあるだろう。
「その樹はどうするでありんすか?」
「樹じゃないよ、ピニスンだよ」
「うーん……どうしましょう。ここにおいていくのも酷な話よね、貴女はどうしたいの? ピニスン」
「そうだねー……できれば空気が美味しくて、水が綺麗で、土の栄養が豊富で、安全で、退屈しないところに行きたいな。あと仲間がいればなお良し――」
「置いていくか」
「そうね」
「異論なし」
「同じく」
「仕方ないな」
「さっさと行くでありんすよ」
「嘘嘘嘘! 冗談だよ、こんな焼け跡に置いてかないでー!」
長生きしている割にお茶目なピニスン。しかし今のタイミングではこの対応も仕方のないことである。冗談はさておいてガガーランがピニスンを担いでゲートをくぐり、他の者もそれに続く。出口は村長の家の前であり、真昼間だというのに何故か家に居る村長に話を通して、既に危機が去ったと説明をするラキュース。
「ありがたいことです……その、報酬は本当によろしいのですか? このような村では報酬の多寡もしれておりますが、それでも――」
「報酬は戦士長から頂いています。感謝するならば、是非そちらに」
「――はい……正直に申し上げますと、王国の対応には期待していませんでした。しかしそれは間違っていたようですな。あのような方がいらっしゃるなら、我々も日々の生活を頑張れるというものです」
「……そう、ですね。私もそう思います」
複雑そうな顔をして、ラキュースは村長の嬉しそうな表情を見つめる。村長の言う『あのような方』がどれほど王国にいるというのだろうかと、腐敗した貴族達を脳裏に浮かべ溜息を溢す。
「さ、帰りましょう……そういえばピニスン、この村に住むのはどうかしら? あの魔獣さんが居着くならこれ以上ないほど安全だろうし、この辺りは結構土壌も良さそうだし」
「へ? ドライアードの私が人間の村に?」
「村長さん、もし良かったらこの子、この村で引き取りませんか? 開拓途中なら植物に詳しい存在は重宝すると思いますけど」
「は、はあ……? いえ、その私の一存では決めかねますが……」
「あまり無理を言うなラキュース。普通の村にいきなりドライアードを受け入れろなどと、無茶もいいところだろう」
「あら、森の賢王が住み着いている村を普通とは言わないわ」
正直なところ、ラキュースもピニスンの存在を持て余しているのだ。まさか王都に持ち帰るわけにもいかないだろうが、しかし困っている存在を放置するなど英雄を目指す彼女にとってはできる筈もない。
「取り敢えず宿屋の裏にでも植えればいいんじゃねえか? ちょうど報酬もたんまり入ったんだしよ、そのくらいの融通はきかせられるだろ?」
「うーん……大丈夫かしら? 好事家に掘り返されたりする可能性もあるわよ」
「『蒼の薔薇』の保護対象だと広めればそこはまず大丈夫だろう。わざわざ私達に喧嘩を売る馬鹿などそうは居ない」
「……そこはかとなく不安だけど、ま、あんまり考えても仕方ないわね。さあ帰りましょう! お願いね、シャルティア」
「おや、何か忘れていんせんか? ラキュース」
「ご、ご主人様ぁ、お願いにゃん」
「くふ、仕方ないでありんすねぇ」
リーダーともあろうものが情けない、とは誰も言わなかった。ティアは羨ましがっているし、ガガーランは現在進行形で亜人呼ばわりされているし、イビルアイとティナは火の粉が飛んでくるのを恐れているからだ。
「では、帰還しんしょう」
締まらない最後だが、これにて新メンバーを加えた新生『蒼の薔薇』の初冒険は終わりである。ナザリックまではまだまだ遠いが、シャルティアの冒険はまだまだ続く――
エ・ランテル某所。捕縛された陽光聖典の隊員、そして隊長であるニグンは当然だが拷問に近い尋問を受ける手筈であった。ここで手筈であったというには理由があり、そしてそれこそガゼフが貴族達を糾弾出来ず、それどころか単なる妄言だと切り捨てられた要因でもあるのだ。
ガゼフ・ストロノーフは何度目になるか解らないほど足を運んだこの監禁場所にある椅子に座り、意外と丁重に扱われている捕虜に視線を飛ばす。それに気付いたニグンはわざとらしい溜息を溢して尊大な態度で応対をした。
「まったく何度来れば気が済むのかね? 王国戦士長殿。言った筈だ、我等が証言を奪われる時、それが我等の死す時だと。うん? ほれ、尋問しないのかね? 死ぬけど、我等死ぬけど」
「くっ……! なんと腹の立つ」
「ふはははは! だから言っているではないか、この状況下では話したくとも話せないと。我等から証言を得たくば、まず自由を保障してくれたまえ」
「俺はそこまで無能ではないぞ。王国の領土に猛獣を解き放つ馬鹿がいるものか」
「フン……失敬な。どうみても猛獣は貴様の方ではないか。心配ならば我が神に誓ってもいい。けして逃げることも暴れることもしないと」
「……神を敬わない者との約束は、たとえ破ろうとも神は御赦しになる……そういうことだろう?」
ニグン達には、陽光聖典の者達にはある魔法がかけられており、それはある特定状況下で質問に答えてしまうと死んでしまう呪いのようなものである。敬虔な信者である彼らはそのことに対して不満などない、だが無駄死にするほど達観しているわけでもない。つまり彼らが尋問される前にしたことは、自分の命を盾にした脅しである。
無論人権などあってないようなこの世界、質問に答えさせれば死ぬというのならそうすることもあるだろう。最低でも50はくだらぬ証言が得られるのならば、むしろするべきとすら言える。
しかし、だ。それは一人ずつ拷問をし、死ぬことが救いとなるほどに苦痛を与え、真実と共に命を奪う悪魔の所業が必須である。魔法を軽視する王国に於いて魔法抵抗力の高いエリート達から情報を抜き出すのは難易度が高く、その下種にも劣るえげつのない行為こそが真実への道しるべなのだ。
そして王国戦士長にそんな行為が出来るかというと、否定せざるを得ないだろう。ガゼフは甘いだけの男ではなく、戦場の過酷さや現実など痛いほど知っているし、騎士の理想などという儚い幻想を抱き続けているわけでもない。やらなければならぬとなれば非情にもなれる。だがしかし、それでもなお人間として越えてはならぬ一線があることを理解しているのだ。
そこまで堕ちればもはや戦士ではなく、悪人でもなく、人ですらない。ガゼフはそう思うからこそ彼らの処分を保留しているのだ。それに法国秘蔵の部隊と思われる彼等にそんなことをして、逆鱗に触れればそれこそ王国の滅びは近づくだろうという思いもある。
いまだ謎に包まれた法国、一説には人類最高位階のマジックキャスターとも言われる帝国の重鎮『フールーダ・パラダイン』を凌ぐものすら居るというのだから、軽々に判断を下すわけにはいかないだろう。
さらには完全に黙秘しているわけでもなく、そして彼らの言を信じるならば人類の守護の一角を失うことにもなるのだ。もちろん人類を守っているからといって王国に手を出すことを許容できるわけではないが、自分達こそが人間という種族を守っているのだという自負と自信は、まったくもって嘘には思えないほど強い力のある言葉であったと、ガゼフはそう思ってしまったのだ。
「…ガゼフ・ストロノーフよ。今一度問うが、王国から離れる気はないか? 貴様なら充分に重要なポストへつくことも可能だろう。人を想うなら、人を助くならば王国の味方というのは最悪の選択肢と思わないのか? 人間同士での争いなど愚かなことだ」
「貴様がそれを言うか。ならばお前らのしたことはいったい何だというのだ」
「――正義だ。それ以上でも以下でもない」
「…平行線だな。価値観の違いが決して相いれないものとは言いたくないが、それでも貴様と解りあおうという気持ちは起こらん」
「なんとでも言うがいい。我が心にも、そして過去の行いにも、一点たりとも恥ずべきことはない」
相互理解とは、背負うべきものが増えれば増えるほど難しい。何をか況や、陽光聖典の隊長と王国の戦士長の価値観など相いれるものではないだろう。どちらが間違っているというわけでもないのだから、まさに交わることなき線だ。
「しかしあまり悠長にもしていられん……王都に行けば貴様らの暗殺を目論む輩がどれだけいるのかも不明だ」
「私の知ったことではないな。腐り果てている王国を恨め」
「……どうしたものか」
貴族達がガゼフを嵌めるために法国に踊らされていたのは疑いようのない事実だろう。故に王都でニグン達を拘束しておくと、下手をすれば口封じに殺されるおそれがあるためこのエ・ランテルで監禁しているのだ。それすら極秘で、この街にガゼフが居る事を知っている者も極僅かである。
しかし手詰まり感は否めない。どうにもこうにもいかないこの状況、何か突破口はないかとガゼフは唸りを上げるが何も閃かない。
「…また来る」
「くく、何か成果が出ることを期待しておこう」
「ほざけ」
“それ”は突破口か、それとも八方ふさがりか。
――エ・ランテルが死に包まれるまで、後少し。
王国領、エ・ランテル。帝国との境界に程近い、王国の中でもそれなりに栄えている街だ。冒険者ギルドの質も相応の者が揃っているし、高名な薬師やその優秀な跡継ぎである薬師の孫が住んでいることでも有名である。特に孫の方は特異な『タレント』を持ち、魔法まで扱える将来有望な少年なのだ。
そんなこの都市に真祖の吸血鬼シャルティア・ブラッドフォールンが到来したのには訳がある。有益な情報を待つ間に何かできることはないかと考えた時、いざ行動を起こそうと思った場合の迅速な対応のため――つまり平たく言うと《ゲート/異界門》の範囲を広げるための散策だ。
《ゲート/異界門》は実際に行くか見るかしなければそこに繋げることはできないため、ある程度以上の規模を持つ都市を訪れるのはけして無駄にならないだろうという判断である。
ピニスンの仮宿が決まり、ある程度落ち着いたところでイビルアイに切り出されたナザリックを匂わせるような情報。それはシャルティアの心を急き立て、同時に警戒心をも促させた。
「仲間……か」
渇望して、それ故に今新しく必要なもの。シャルティアはイビルアイとの問答を思い返す――――
「『ぷれいやー』……でありんすか?」
「ああ、聞き覚えはないか?」
「ふむん……知りんせんな――ん……そういえばペロロンチーノ様が御自らのことをそう言っていた、ような? それに、そうでありんす。あの時の侵略者共も……」
「ならば『えぬぴーしー』はどうだ?」
「っそれなら知っていんす。至高の方々が我等シモベを呼ぶときに使われていんした! 何か知っているでありんすかイビルアイ!?」
「ああ、これでも長生きしているからな。すまないが、お前が探すナザリック地下大墳墓に繋がる情報かどうかは解らん。だがこの世界においての強者はおよそ3つに分けられる故に、限りなく正解に近いとは思う」
一つは『竜王』そしてそれに連なるもの。一つは『ぷれいやー』そしてそれに連なるもの。最後の一つは『えぬぴーしー』そしてそれが堕ちたもの。イビルアイはそう告げた。彼女とてそう詳しく知識にあるわけではないが、最高クラスの吸血鬼――少なくともこの世界ではそう言っても過言ではない存在である彼女をして歯牙にもかけられぬ存在がいるとすれば、その3つだと。
「永く生きれば記憶も摩耗するものでな、すぐに気付いてやれなくてすまなかった」
「そんなことより早く言いなんし!」
「そう急くな。そもそもの始まりから言うとだな――」
「――――」
「……ああもう、解ったからそう殺気を出すな。ならば結論から言うぞ……おそらくここはお前のいた世界ではない」
唐突に訳の解らぬことを言われた。シャルティアにとってイビルアイの言葉はそういうものだった。とはいえもともと彼女の世界は狭く、ナザリックにおいて完結していたのだから仕方のない部分もあるだろう。
「まあ私にもいまいちよく解っていないんだがな。とにかくこの世界とは違うどこかから、およそ100年周期ほどで来訪者が現れるらしい。その全てが強者というわけではないが、やはり竜王と肩を並べる存在が多数出現することもあるらしい……推測と憶測ばかりですまんがな」
「御託はいいでありんすから、早く」
「理解とは全容を知ることから始まるのだがな……そうまで言うなら、お前が知りたい事に限定しよう。つまりお前が探すものはこの世界のどこかにあるか、もしくはまだ来ていないかのどちらかだということだ。お前が言っていた程の勢力なら、過去に存在していたとすれば名前が残っていない筈もない」
これから来ることは永遠にないという、その残酷な可能性は話さない。それはイビルアイの優しさか、甘さか、それとも非道か――そして打算か。『えぬぴーしー』が堕ちれば魔神となる。かつてのイビルアイにはよく解らなかった言葉だが、シャルティアを見れば自ずと理解できたのだろう。すなわち、シャルティアが自暴自棄になり全てを憎悪すれば魔神と呼ばれる存在になる、と。
とはいえ『ぷれいやー』が存在して『えぬぴーしー』が存在しないということはあるが、その逆はないとイビルアイは推測していた。実体験と伝聞、そして物語からの曖昧な憶測ではあるが。
「重要なのは……いや、その前に約束してくれ。今から教えることを知っても、けして無謀なことはしないと。これは何も含むことのない、お前を思っての言葉だ。何に誓ってもいい」
「わらわの実力を知るぬしが言いんすか? わらわは至高の御方に創造されし守護者最強の存在。慮りは侮辱と捉えんす」
「……私には解らないんだ。お前にとって冒険者の強さの違いなど誤差にしか過ぎんように、次元を逸したものの実力差など、解らないんだ。言えるとすれば、少なくとも竜王は『ぷれいやー』と『えぬぴーしー』に比肩した……いや、今現存が確認されているのが竜王のみということだ」
「……」
「お前は、シャルティアは、負けたことはないのか?」
「……っ」
「ならば解ってほしい。短い付き合いだが、それでも失いたくないものはある。杞憂ならば問題ないが、後悔とは先に出来るものではないんだ。想定外の事象などいくらでも起こりうる……今まさに、そういう状況だろう?」
言葉を尽くす。イビルアイは饒舌なほうではないが、それでも今は彼女なりに正念場故に全霊を尽くした。それは先ほどの意図した情報の秘匿とは対極の、間違いなくシャルティアを想ってこその言葉である。
「…………煙には巻かれんせん、さっさと言いなんし。それとも無理やりが好みでありんすか?」
「――ならば、先ほどの言葉は私の心臓に誓おう。私は仲間を裏切らない。茨の道を共に歩むことはできても、仲間を死地に送ることはできない。お前が私をどう思ってくれているかは解らんが、な。知りたくばこの心臓を抉りだしてくれ」
ぎゅう、と唇を噛み締めるシャルティア。まっすぐに見つめてくる視線は、ただただ自分を想うだけの純一無雑を思わせる。彼女がいう短い付き合いとは、まさに正鵠を得ているゆえにシャルティアには理解できない。何故自分をこれほど心配できるのかが。
「何故でありんすか?」
「何がだ」
「わらわとぬしは所詮他人同士。今生にて多少の縁あれど、他生で幾許かの業因があったとしても、命を懸けるに値はしんせん」
「……さあ、な。ただ見ていられないだけだ。私も……いや、私は全てを失って、何も取り戻せなかった。新しく得たものはあったがな。お前は嫌かもしれないが……重なるんだ」
「……」
何があったかなどは言わない。しかしその短いセリフには万感の想いが込められていると、シャルティアはそう感じた。なんとなく目を逸らし、逡巡し、そして視線を戻す。だがそこにあるのは変わらない瞳だけだ。
「…そういえば、今日は煙に巻かれた日でありんした」
「――はは、そうだな。自業自得だが」
「そんな日があっても……いいでありんすかねぇ」
「ああ、いいと思うぞ」
剣呑な雰囲気は霧散した。残ったのは穏やかな空気と、二人の美少女の微笑のみ。
「話してくんなまし。無茶はしないと……不本意ではありんすが、約束しんしょう」
「ああ」
そしてイビルアイは語りだす。全てを知りはしないだろうが、核心を握るのは法国の暗部だろうと。鍵を握るのは、法国の上層部だろうと。
「あそこは成り立ちそのものが『ぷれいやー』と言ってもいい。だからこそ情報は多く残っているだろうし、だからこそ逸脱した存在に対する備えもあるだろう。それと最大の問題は法国が人間至上主義の国家だということだ。私達のような存在がのこのこと出ていけば、どうなるかは目に見えている」
「ふむ」
「どう突つくにしても、やはり味方を作るべきだと私は思う。結局のところ数は力なんだ。力でお前に敵う者が居なくとも、知力でそこをカバーできる者が居るかもしれない。手札が増えれば選択肢も増える。法国は、自国の中ですら足の引っ張り合いをしている他の国とは違い信仰を軸にした一枚岩だ。相手取るには骨が折れるだろう」
「ほう」
「とりあえず、まずは手と足を伸ばそう。情報網もそうだが、物理的に《ゲート/異界門》でいける場所を増やすのもありだな。とにかく法国に直行するのだけはやめてくれよ?」
「むう」
「……理解できてるよな?」
「たぶん」
そこはかとない不安がイビルアイを襲ったが、とにかく法国に行かないことだけは約束できたと安堵した。しなければならないことは随分と増えてしまったが、国も仲間も同属も守らなければならぬとなれば、この苦労も当然のことだと気を引き締める。
「つまりわらわはどうすればいいでありんすか?」
「おい」
ダメだこいつ……と戦慄しながらもイビルアイは指示を出す。まずは王国の主だった都市へと足を運び、《ゲート/異界門》で行き来できるようにしてほしいと。
「了解でありんす」
「ああ、こっちも色々と準備はしておこう。国の情勢なども鑑みれば時間のかかる作戦になるだろうが、独断専行だけはやめてくれよ?」
「合点承知でありんす」
「不安だ……」
「ふふん、わらわに不安などありんせん」
「それが不安だと言うに」
「大丈夫大丈夫……ああ、それと一つだけどうしても言いたかったことがありんす」
「なんだ?」
真剣な眼差しのシャルティアに気圧されて、イビルアイはゴクリと唾液を嚥下して続く言葉を待った。
「わらわ達って、心臓動いてないでありんすよ?」
「……すまん」
ぶっちゃけると、必要な器官ではない。人間でいうと伸びた爪ぐらいに必要のないものに誓いを乗せたイビルアイであった。
「さて、冒険者ギルドは視界におさめたでありんす。今日はこんなところで――うん?」
イビルアイとの会話の記憶を浮かび上がらせ、そしてまた沈ませる。ちなみにそれだけで記憶が5%ほど失われたのはシャルティアだからである。
「おやおや、街中で殺し合いとは酔狂でありんすな。少し鑑賞していきんしょう」
シャルティアの視界に入ったのは、女性と男性が戦っている殺し合いの現場。それはこの世界においては最強クラスの決闘であり、しかしシャルティアにとっては野良猫の喧嘩を見るような野次馬根性を刺激される程度のものだった。
「んん……? いや、そんな訳はないでありんすな。こんな暗がりで男が女を襲っているとくれば――」
強姦魔か、はたまた快楽殺人者か。とにかく碌なものではないだろうと、シャルティアは判断した。
「……行いは鏡、でありんしたか……」
あの女性がナザリックの情報や法国の情報を持っている可能性は、それこそ星を掴むような話ぐらいのものだろう。だがイビルアイの言っていたことがそこに繋がるのなら、たとえ刹那以下の可能性であってもやるべきではないかとシャルティアは自問自答した。
「まあ、助ければ口も緩むでありんしょう。男は半殺しにして無理やり聞き出せばオッケーでありんすな」
シャルティアの設定から考えれば奇跡のような考え方。それがもたらすものはいったいなんだろうか。暗がりに奔る剣戟が止まる時、偶然の女神が仕組んだ戦いは終わるだろう。
決闘者達の名は――――王国戦士長ガゼフ。そして元漆黒聖典、現ズーラーノーン所属のクレマンティーヌ。
果たして強姦魔の誹りは免れるのかガゼフ。そして法国暗部の過去はバレるのだろうかクレマンティーヌ。
待て次回