スキマ妖怪、邁進す 作:りーな
オリジナル展開入ります。
「…あそこか」
イビルアイとナーベ、二人の
悪魔の支配領域と化した炎壁の奥深く。そこにある広場に一人佇む悪魔が、いっそわざとらしいほど優雅に頭を下げた。込められた意図は、歓迎。すなわち────
「罠、か。どうする、モモン殿」
「食い破る他道はない」
「全くその通りだ」
モモンの他人行儀で丁寧な口調が無くなったことに合わせ、イビルアイもまた口調を普段のものに戻していた。何となく距離が近くなったと感じ、イビルアイの気分が少し良くなる。
浮かれたイビルアイの緊張感を引き戻したのは、後方からの雄叫びや太鼓を打ち鳴らす音だった。オーエンの兵力を引きつける為の陽動としての侵攻作戦。この作戦に二度目はない。だからこそ、オーエンの護衛を引き受けるイビルアイとナーベの役割は大きい。その事実がイビルアイの気を引き締める。
三者はオーエンの前に降り立った。オーエンの顔には相変わらず、取って付けたような笑みがある。
全員を軽く見回したオーエンがぱちん、と指を鳴らす。────瞬間、モモンの姿が轟音と共に掻き消えた。
モモンの代わりに立っていたのは、見上げるような肉体を持った悪魔。幾つかの蟲を掛け合わせ、歪めたような頭部。鎧の如き形状と光沢を有する赤黒い外骨格。それでモモンを殴りつけたのであろう二本の太く逞しい腕とは別に、背から蟷螂のような四本の鎌状の腕が生えている。身からは強者特有の威圧を醸し出す────そんな悪魔が、立っていた。
その威圧はオーエンよりも弱いとはいえ、イビルアイがかつて相対した魔神にも匹敵するもの。少なくとも、人知の及ぶ相手ではない。
────ぞわり。
途端に感じた悪寒に反応し、ナーベ共々イビルアイは飛び退いた。
直後、先の悪魔に並ぶようにして勢い良く降り立つ影。その影もまた、異形だった。
無数の軟体動物が寄り集まって人型を構成しているような姿。全身の至る所には、鉤爪の付いた細い触手がこれまた無数に存在している。濁った青色の身体には幾多もの口が存在し、小さいが鋭利な牙がずらりと並ぶ。そこから伸びる、虚空を舐めるように蠢く舌は槍のよう。頭部にあるのは眼球ただ一つ。死体の如く白濁した眼は忙しなく動いて辺りを見回している。粘っこい唾液が糸を引き、じゅわりと音を立てて地面を溶かした。威圧は先の悪魔に伍するもの────つまり、魔神級の存在だ。
「
言うが早いか、オーエンは足下に魔法陣を展開した。オーエンの笑みの質が変化する。嘲笑と、憐憫。それらを含んだ────冷酷なものへと。
そのままイビルアイに向けて軽く手を振り、止める間もなく長距離転移によって去っていった。撤退ではない。撤退ならばもっと早くしている筈。わざわざ
「────まさか?!」
咄嗟にイビルアイが目を向けたのは、後方。陽動攻勢を担当する冒険者達のいるそこに、それまでは無かった一つの強大な気配。
不意に
「モモン殿!オーエンが皆の方へ転移した!」
息もつかせぬ連撃の応酬。その中、イビルアイの大声にモモンはしっかりと反応した。
「了解した!こいつらをとっとと倒し、後を追う!────そいつは任せた!」
モモンはお返しと言わんばかりに
イビルアイは軽く息を吐き、片時も視界から外さなかった眼前の悪魔に全神経を集中する。生理的嫌悪を否応なく引き起こす
「────行くぞ!」
イビルアイは声と共に駆け出す。ナーベに視線は向けない。そんな余裕はないし、向けずとも応じてくれるだろうという程度の信頼はあった。
対する
────地獄そのものが広がる。
焼け落ち、或いは攻撃の余波で倒壊しきった周辺の家屋。血と臓物の鉄臭い匂いが充満し、真新しい亡骸がそこら中に転がる。炎に巻かれた屍から立ち上る蛋白質がべたつく空気は生臭く、そしてそれ故にこれがたちの悪い夢ではないことを教えていた。
そしてそこを満たすのは不気味な静寂ではなく、大地を揺らさんばかりの怒号や悲鳴。更に鼓舞する声や断末魔の叫び、剣戟や魔法の音が重なることで混沌とした様相を呈している。
円陣を組む冒険者達の中に混ざりながらも、一際目立つ人影。
アダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”チームリーダーのラキュース、その人である。
常日頃人類の守り手としてその実力を賞賛される彼女であるが、この地獄の具現した地においては、どうしようもないほどに無力だった。
最初は良かった。個の力量で上回る冒険者は悪魔を圧したが、それが覆ったのは少ししてからのことだった。────悪魔の数は、冒険者のそれを遥かに上回る。数の力は恐ろしい。群に勝る個は、この場にはいない。否、群に勝ることの出来る個は、もはや人間ではない。
────ラキュースは、まだ人間だった。
オーエンの取った戦術は、
王国と帝国のように、通常は組織立った戦闘行為はある種の「余裕」の中で行われる。当然だ。よしんば死力を尽くして勝ったとしても、余力がなければ組織そのものの維持すら危うくなる。つまり、普通に考えて「損耗の度外視」など不可能なのだ。
だが常識を超えた力があれば、不可能も可能になる。オーエンがこの戦術を取ったのは、単純にコストパフォーマンスに優れるが故。
仮に悪魔二十体で冒険者一人を討ち取ったとする。
冒険者は長い時間鍛錬を積み、死線を幾度も越え、そうして培った強さ。対して悪魔はスキルで召喚された統一規格の
どちらの方が損害が大きいかは、明白だった。
────そして今。冒険者は、兵力という潤沢な資源を惜しげも無く磨り潰す悪魔の軍勢によって、壊滅一歩手前まで追い込まれていた。
余りにも
それがラキュースの感想だった。想像よりも遥かに強大かつ膨大な悪魔の軍勢に、冒険者側は全ての戦力を一点に集められて包囲され、ほぼ崩れてしまっている。悪魔側の攻勢の絶大さに反して、相対的にではあるが死者という点ではさほどでは無いのが幸いか。それでも、負傷者を内部に抱え込む円陣を組んでいる関係上、一体たりとも取り逃せないという状況は辛い。陣形内部に侵入されては、疲弊した冒険者は屍山血河の一部になってしまう。
撤退。その言葉がラキュースの頭に浮かぶ。数多くの冒険者を束ねる指揮官として、そして万が一モモンが敗れた際の戦力確保の為に。
ならば、未だ集団として維持できている今撤退すべき。そう判断し、撤退の指示を出そうとして────息を呑む。
爬虫類の如き鱗に覆われた肉体、手に持つ巨大な
「────不味い」
か細い、今にも消え入りそうな声。言葉よりも雄弁に、その声音が語っていた。勝てない、と。
ラキュースがこの場で散る覚悟を決めた時、男の咆哮が背後から響いた。
「────《六光連斬》」
一瞬にして、悪魔が六体纏めて両断される。
「────《六光連斬》──《流水加速》──ふん!」
再び七体の悪魔が斬り分けられ、その破魔の力を有するが如き
「潰せっ!」
ガゼフの怒鳴り声に合わせ、一斉に槍が突き出される。数百人にも及ぶ騎士や兵士、戦士の軍勢。本来存在しないはずの来援。彼らにより、包囲網の一部を構成していた悪魔が蹴散らされる。歓声が上がり、満身創痍の冒険者達が救出されていった。
王城守護の、王家警護のための軍勢。いないはずの────いてはならないはずの兵力が、人物が何故ここにいるのか。
疑問を察知したらしいガゼフは、顔を後方へと向けた。釣られて、ガゼフを見ていた冒険者全員が同じ方を見る。そして、目を疑った。
────国王、ランポッサ三世。
危険な行為だ。鎧や防御魔法で身を固めているとはいえ、一部の悪魔の攻撃はそれらの護りを貫通して余りある。常人である以上流れ弾でも容易く絶命するだろうし、蘇生魔法の代償である生命力の消失に、老齢の王が耐えられるはずもない。
死への恐怖は確かにあるだろう。政治的な打算もあるだろう。しかし、その目には確固たる王としての信念があった。民の為に身命を賭す覚悟があった。
希望を見出した冒険者と、戦意十分の援軍による反転攻勢。猛攻に晒された悪魔達は加速度的にその数を減らしていく。しかし、その先頭にいた冒険者を壁の染みとすることで、高揚に水を掛けた存在がいた。
天に向かって吼える悪魔────
その挺身に思わず笑みを浮かべ、揃って一歩を踏み出したその時、予想外の出来事が起こった。
それはまさしく、畏敬の念の表れだった。
空間が歪む。そして────
「やあ、泡沫の如き淡く脆い希望を抱けたかい?結構、手土産代わりに本当の強者というものを知るといい。代金は君達の命だ」
────絶望が顕現した。
オーエンの配下。魔神級の悪魔。
「蟲使い」の能力を行使する。
オーエンの配下。魔神級の悪魔。
酸に対する完全耐性を持つ。