比翼連理   作:風月

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張三姉妹の力

 宣言通り、珊酔(さんすい)と曹仁は張三姉妹の公演が開かれる場所まで半時で駆け抜けた。

 夕方の公演開始時刻までまだ余裕がある時間だったにもかかわらず、会場周辺は黄色の布を身に着けた人々であふれていた。

 出店も多くできており、美味しそうなにおいがあたりに漂っている。販売金額も良心的で、多くの人が楽しそうに店を覗き込んでは、金を落としているようだった。

 

「うわ……」

 

 まず、人の多さに眉をひそめたのは珊酔である。いくら我慢できるとはいえ、敏感に察知してしまう気配に、先ほどから寒気が止まらないようだった。

 人ごみから少し離れた場所で曹操の手を引きながらも、嫌そうな顔を隠しもしない。

 当然曹操も、つないでいる手が小刻みに震えていることに気が付いている。

 

犬野(けの)、平気?」

 

「平気じゃない、が、仕事だからな。覚悟してきていたさ。……はあ」

 

()ぃ、つらいなら店から離れて遠くに離れてた方がいいと思うっすよ。時間になったらもっと人が増えてくるはずっすから、今から無理をしなくてもいいんじゃないっすかね」

 

「心配してくれるのは嬉しいが、言動と態度が一致してないぞ。体が店の方に傾いていることに俺が気付かないと思ったか」

 

「うっ……」

 

 曹仁は気まずそうに珊酔から視線をそらした。先ほどから、辺りには肉のやける香ばしい匂いや、お菓子の甘い匂いが充満している。

 それにつられて曹仁の足は完全に店が出ている通りの方に向いているし、心ここに非ずという状態なのは(はた)から見てもはっきりわかる。

 

「あ、あたしだけ見に行くっていうのは……?」

 

「結局俺が探しに行く羽目になりそうだから却下。……店に行くことを禁止したわけじゃない、そんな泣きそうな顔をするな。俺も華琳も一緒に行くさ。出店を出している奴がどこから来ているのか調べなきゃいけないからな。資金は俺が出すから、華侖(かろん)は先頭に立って店を覗いて食いたいものを食べていいぞ。華侖は人懐こいから、商人たちの警戒は緩むはずだ。ただし、食べ物屋だけじゃなくて、籤引きやらぐっず販売の店にも入ってもらう予定だが、そのくらいはいいだろう?」

 

「もちろんっす! 兄ぃ、ありがとうっす!」

 

「礼を言われることじゃない。……あくまでも仕事だからな、その事は忘れるなよ」

 

 珊酔の言葉を聞いて、曹仁はぱっと嬉しそうに顔を輝かせた。珊酔は照れたように頭をかいて、横の華琳の方に向き直った。

 

「華琳も、それでいいな。もちろん、華琳も欲しい物があったら言ってくれ。俺が出す」

 

「そう? じゃあ遠慮なくおごられることにするわ。それと、この手の事に関しては素人だもの、あなたの指示に従うわ。……顔、赤いわよ」

 

「うるさいな……自覚してるさ」

 

 曹操は楽しげに夫の顔を覗き込んだ。

 対して珊酔は頬を染めながらも憮然とした表情である。曹仁とは長い付き合いのはずなのに、未だ素直に懐かれると照れるらしい。

 

「華琳姉、兄ぃ、早く! こんなに多くのお店を回るんだったら、時間がいくらあっても足りないっすよ!」

 

「華侖、あまりはしゃがないの。そんなに一生懸命私の手を引かなくても、ちゃんとわかってるわよ」

 

 焦れた曹仁が曹操の手を引いて歩き出し、曹操は強い力に引かれながらも、態勢を保ちながら後に続いた。食欲が勝っているのか、曹操に対しての遠慮がちな態度は珍しく消え去っていた。

 曹操と手をつないでいる珊酔も強制的に引っ張られることになり、やれやれと肩を落としながらも人の波に入っていくことになったのである。

 余談になるが、三人の様子を見ていた人たちは皆、微笑ましい兄妹のやり取りであると誤解し、ほっこりした気持ちになっていたという。

 

 

 結果から言って、曹仁の無邪気で人懐こい性格はとても役に立った。

 店を出している商人達は、曹仁が笑顔で店を覗くと途端に相好を崩し、喜々として焼き菓子やら飲み物を準備し始めるのである。曹仁が目を輝かせて商品を待つ間、珊酔がさりげなく商人に話題をもちかけていく。

 曹仁に意識を取られて気がそぞろになっている商人たちは何の疑問も持たず、普段何を売っているか、どこから来たかという個人情報に加えて、公演に際して出店を出すことになったきっかけまでぺらぺらと喋ってくれた。

 曹操はおとなしく林檎飴をなめながら傍らでその様子を眺め、珊酔の巧みな手腕に関心した。

 先日珊酔がこぼした通り、この公演を仕切っているのは劉表が統治をしている襄陽を拠点にする商人達であるらしい。襄陽の商人から張三姉妹の噂を聞き、別の土地で張三姉妹の公演を見てからファンになった商人達も多く店を出していた。曹操が統治している陳留の出身の者たちも同様である。

 

 商人達のつながりは強く、大陸中の商人達が知っているという。そこから大陸の民に広まりつつあり、張三姉妹を追って旅をするファンもどんどん増えているようだった。

 最近では公演に数万の客が入ることも珍しくなく、安く商品を売っても多くさばけるので十分元が取れる、と店の商人達は言う。

 張三姉妹の夢は大陸全土で公演を開き、ここに住む人間すべてをファンにすることらしい。その夢を後押しするために、商人・農民問わず、かなりの人数が張三姉妹のために働いているという話だった。

 襄陽の商人の中でも中心となっているのは『徐福』と名乗る者らしい。かなりの大店で上流階級の者にも覚えがいい、大商人であるという。最近では皇帝に献上する品を都に納めたこともあったとか。

 

 数々の店を回り、それぞれが張三姉妹のファンの印でもある黄色の布を腕に巻いたころには、十二分に情報が集まっていた。

 

 一つ心残りだったのは、誰に聞いても公演の内容についてはぐらかされてしまったことだろう。

 後ろめたいから隠しているというよりは、知らないまま見た方が絶対に驚くし楽しいからという、好意からくるものであるようだった。

 そんな好意は要らんと珊酔は思ったが、あまり強く押して印象に残りすぎてもよくないと、内心の苛立ちをおくびにも出さずに引き下がっていた。

 

 そうして、まもなく公演開始時刻になろうかというところで、3人はようやく一通りの店を見て回ることができたのである。

 

「こんなもんかな。華侖、後半は無理に食べさせて悪かったな。腹は問題ないか?」

 

「問題ないっすよ。あたしにできることで兄ぃに貢献できるなら本望……うぷ」

 

「俺があまり食べられなかったからな……すまん。会場に入る前に少し休むか。人混みにいたら余計具合が悪くなるだろう?」

 

「大丈夫っす! そんなやわな体してないっす。公演を見ているうちに消化される量っすよ」

 

「しかしだな……」

 

「いいっすから! 早く中に行くっすよ」

 

 食欲旺盛な曹仁であっても、何十件も食べ物屋を回って食べ続けるのは大変だったようである。最後のほうは無理に食べ物を体に詰め込んだため、顔色は青ざめているし、腹はもうぱんぱんだった。

 だが、尊敬する珊酔が人混みの気持ち悪さを我慢して店を回っていたことを知っている手前、自分だけ楽することはできないと曹仁は思っていたのである。

 

「犬野、華侖はこうなったら引かないわよ。中に入りましょう。……華侖、限界が来る前に言いなさい。中で吐いたり倒れたりしたら、私たちだけでなく周りにも迷惑をかけるわ。あなたの体にも良くないし、約束よ」

 

「わかったっす」

 

 頭を抱えた珊酔に、ずっと珊酔と手を繋いでいた曹操が助け船を出した。

 曹仁もかたくなな態度を崩し、素直にうなずいている。

 未だ心配な珊酔ではあったが、せっかく収まった事を荒立てるのは良くないと判断したらしい。ため息を一つつき、はぐれないように今度は二人の手を引いて会場内に入る人の列に身を投じたのだった。

 

 

 

 公演会場は数万人は入れるような敷地を確保し、周りに杭を建てて白い幔幕で覆われて作られていた。

 上部にはなにもなく、夕焼けに染まった空がそのまま見えている。

 会場の中は等間隔に丸太が並べられており、それが椅子の代わりのようだった。丸太はお尻の形に合うように削られていて、客が座りやすいようにと手間を多くかけていることがわかる。

 また、正面のステージから真ん中まで道が作られており、多くの客と触れ合えるように良く考えられているものだった。 

 珊酔としては、張三姉妹の顔を確認するために、近くの席を確保する予定だったのだが、実際に顔が確認できるような位置の席は前日までの予約制ということになっており、入ることができなくなっていた。

 当日取れる席でも前の方は埋まっており、珊酔たち三人は否応なく後ろの席に座ることになった。珊酔を真ん中にして、右に曹操、左側に曹仁が座る。

 この位置では豆粒程度にしか張三姉妹が見られない。

 珊酔はステージまでの距離を測り、舌打ちをした。目は良い方だが、この位置では三人それぞれの顔の部品を認識することは難しいと感じた。

 乱の首謀者かもしれないのだ、しっかり顔を確認しておきたかったが、近づけないのだから仕方がない。あきらかな失敗だった。

 帰る前に裏にでも忍び込むかと算段を立てていた珊酔とは違い、隣に座った曹操は珊酔とは全く別のことを考えていた。

 

「ねえ犬野」

 

「ん?」

 

「張三姉妹は今までもこのような数万人規模の公演を成功させてきたという話だったわよね」

 

「ああ。出店の商人達はそう言ってたな」

 

「こんな大きな会場では姿を見るどころか、予約席であっても声を届けることは難しくなるわよね。楽しめない芸では、客は離れていくのが道理。でも、実際観客は増え続けている……いったいどうやったら、ここに集まった者すべてを楽しませることができるのかしら。楽しみになってきたわ」

 

 言葉通り、未だ誰もいないステージを見つめる曹操の顔には楽しげな笑みが浮かべられている。

 分野に関わらず、優秀な人材と美少女が大好きな曹操のことである。戦と関係ないと決まったら、勧誘に飛んでいくかもしれない。

 

「欲しくなったか?」

 

「まだ、少し興味を持った程度だけれどね。……犬野、あなたならこの数の観客をどうやって楽しませる?」

 

「どうやってと聞かれても、俺には想像もつかん。数千の兵士に指示を出すだけでも苦労するのに、今回はその数倍だろう? 華侖、どう思う」

 

「兄ぃがわからないのに、あたしがわかるわけないじゃないっすか……。空でも飛べるんだったら、どれだけ人がいても関係ないかもしれないっすけどね」

 

「ふむ……」

 

「もちろん、人が空を飛べないことくらいちゃんとわかってるっすよ! 冗談っすよ!」

 

「別に馬鹿にしたわけじゃない。そういえば、世の中には妖術とやらを使う怪しげな連中がいるなと思っただけだ。張三姉妹がその手の輩と考えれば、華侖の考えもあながち間違いじゃないかもな」

 

 腕組みをし、納得したようにうなずく珊酔に対し、冗談として発言した曹仁の方がなんともいえない表情であった。

 

 

 と、そのとき。未だ橙色に染まっていた空が、突然真っ暗になった。

 星ひとつ見ることができない、完全なる闇である。同時に、見上げるくらいの高さには等間隔で巨大な鏡のようなものが出現した。

 暗くなった空間とは対照的に、ステージ上はどこかからの明かりに照らされて煌々と輝いている。

 すわ、異常事態かと慌てた3人に対して、周囲の観客は平然としていた。それどころか、立ち上がって黄色い布を振り回し、奇声を上げているものたちも多い。

 

「みーんなー! 準備はいいかなー!」

 

『うおおおーー!!』

 

「今日はちぃたちのすてーじに来てくれて、本当にありがとー!」

 

「短い間だけれど、数え役満しすたぁずの歌と踊り、思いっきり楽しんで行ってねー!」

 

 野太い野郎どもの咆哮の中ステージ上に飛び上がってきたのは、3人の美少女であった。

 珊酔達の前に現れた巨大な鏡には、ステージ上の光景が大きく映し出されている。どうやったのか、会場中に響く曲と歌に合わせて、きらきらと輝く衣装に楽しそうに踊る彼女たちは一瞬で観客全員の心を鷲掴みにしたのである。

 曹操・珊酔・曹仁の3人も例外ではない。

 曹仁は満腹であることも忘れ、他の観客と同様に跳ねて歓声をあげ、今にも肩に巻いた布を外して振り回し始めそうな様子だった。

 珊酔も曹操も珍しく呆然とした様子で口をぽかんと開け、目の前の映像に見入っている。

 

「おおー! なんか格好いいっすー!!」

 

「すごいわね……こんな光景が見られるなんて……」

 

「ああ、これは妖術の類かもしれないが、すごい。人が沢山あつまるはずだ。俺だって、何度でも見にきたくなるよ。これだけの人混みを我慢してでもな……」

 

 終始、観客たちの心を離さぬまま、公演はあっという間に最後の曲までたどり着いてしまった。

 そのころには、数え役満しすたぁずの事を知らなかった三人も、おっとり系長髪美人が長女の天和、元気で愛嬌があるのが次女の地和、眼鏡で神秘的な雰囲気をもつのが三女の人和であると完璧に理解させられていたのである。

 

「みんなー! 今日は私たちの歌を聞いてくれて、本当にありがとー!」

 

 長女の天和が、ステージの中央で観客に向かって手を振った。額には玉の汗が光り、うなじに濡れた髪が張り付いてなにやら色っぽい。

 

「私たちも、とってもとっても楽しかったよー! みんなも、楽しんでくれたかなー?」

 

『たのしかったー!!』

 

 人和の呼びかけに、観客たちが一斉に怒鳴り返す。

 

「この勢いで、歌で天下とっちゃうんだからねー! みんなも、これからもずっとちぃたち数え応援しすたぁずをよろしくー! じゃあ、また次のらいぶで会おうねー!」

 

 最後に地和が叫び、観客たちの惜しむ声を背景に三人は舞台袖に姿を消した。

 ステージを照らしていた光も、宙に三人の姿を映し出していた鏡もふっと消えてしまう。

 久方ぶりに顔を出した空はとうに日が落ちて、星が瞬いていた。知らぬ間に、かなりの時間がたっていたようである。

 

 観客たちは興奮冷めやらぬまま、会場の外に出て行った。曹操、珊酔、曹仁も半ば夢見心地のまま、幔幕でおおわれた会場から外に出た。

 人が群がっている出店を素通りし、ほとんど人通りがないところまで離れると、曹仁が会場の方を振り向きながらぽつりと言った。

 

「兄ぃ」

 

「ん?」

 

「あたし、数え役満しすたぁずが乱の首謀者だなんて思えないっす。あんなにきらきらして、人を楽しませられる人たちなのに……」

 

「そうだな。俺も公演を見て、そう思った。だが……」

 

「逆に言えば、あれだけの力があるならば、人を集めて戦を起こすことは簡単にできる。襄陽の商人という、後ろ盾もある。今まで話を聞いただけでは不可能だと思っていたけれど、彼女たちなら主導することが可能だとわかってしまった。そういう事よね?」

 

「ま、そういうことだ」

 

 肝心な部分を曹操にとられてしまい、珊酔は肩をすくめて苦笑する。

 

「これで、この付近で反乱が起こらなければ、それに越したことはない。調査はやり直しになるが、今回はその方がいいな」

 

「そうっすね……」

 

 曹仁は溜息をついて、うつむいてしまった。そんな曹仁を視界の端に収めながらも、珊酔は肩をぐるぐる回してから、大きく伸びをする。

 予想以上に楽しめたので、疲れているが気分は高揚していた。

 

「さて、帰るか。華侖、腹の調子は?」

 

「もう完全に消化されたっすよー。城まで余裕っす」

 

「そうか、よかった。……華琳」

 

「はい。帰りもよろしく」

 

 来た時と同じように、珊酔は両手を広げてきた曹操を抱き上げる。

 周囲の気配を確認し、誰も見ていないことを確認すると、珊酔と曹仁は駆け出した。

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

ゲームでは、しすたぁずの公演に圧倒されて幾分引いていた曹操様でしたが、素人でも引き込むような魅力を表現したいと思い、このような形にしました。


最後に、いつもになりますが、感想・評価等々ありがとうございます。とても励みになっております。

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