比翼連理 作:風月
日が沈み、半月がようやく地平線から顔を出しかけたころ。
「
「いや、見ていない。華琳と話した時に名前だけは聞いたが、その後は直ぐに部屋に戻って寝たからな。その様子だと
「はいっす! 警備の仕事から城に帰って来た時に、ばったり会って。どっちも小っちゃくてかわいい子っすよ!きっと
「そうか。
「もちろんっす!季衣とは訓練の約束もしたし、これから絶対楽しくなるっすよ」
はしゃいだ様子で、曹仁は自分の頭のはるか上にある
曹仁は、結婚した当初から曹操の夫である
そして曹仁は、今は
曹仁は、従妹とはいえど曹一族で、若いとはいえ一軍を指揮してもおかしくない立場にいる。現に曹一族の曹洪はしっかり自分の軍を持っている。なのに、曹仁だけ副将扱いなのはわけがあった。
曹仁は幼いころから年が近い曹操となにかと比べられて育ってきた。曹仁も普通以上にできる子供だったが、比べる相手が天才児の曹操では分が悪い。特に曹操が得意とする勉学では差が顕著に現れてしまい、そのことで親にも叱られて育った。
その影響から、曹仁は苦手な勉学をやらないようになってしまった。やらなければ、比べられてあきれられることもないからだ。
同じく色々言われた曹洪は、いい意味で頑固で周りの言葉に流されないため変な影響は受けなかったが、素直な曹仁は周囲の言葉を真に受けて自信をなくし、傷ついてしまったのである。
そのころ既に年上の夏候惇が、配下として曹操の護衛をしており、色々なことを力づくで解決していく様をみていたことも影響しているのだろう。曹仁は、夏候惇の後を追いかけるように、どんな時もとりあえず突撃して敵を倒せばよいという、猪突猛進的な思考を持った大人になってしまった。
『小人である自分は大したことはできない。大事なことは曹操に任せ、自分は盾となって死ねたら本望である。』
そのようなことを曹仁に真顔で告げられたときはとてもつらかったと、
曹操が
名家の者なら馬鹿にするような答えでも、
素直な曹仁は完全に
そんな曹仁を見て、あと少し、何かきっかけがあれば卒業だなあと、曹操と
「楽しくなるのはいいことだな。ついでに仕事も楽になれば俺は嬉しい」
「それはあたしにはわかんないっす。華琳姉の性格だと、人が増えた分仕事も増やしそうな気も……」
「そのときは
「お供するっす!」
そんな馬鹿な事を話しているうちに、
「
「おー、よかったな」
完全に食事に目が行ってる曹仁に、
食事よりなにより、人の多さにうんざりしたからである。人ごみが好きでない
「食べに行っていいっすか? いいっすよね?」
「待て。こういうのはまず華琳が挨拶して、許可を出してから食べるものだと言っているだろう。……お前といい牛金といい、なぜいつも食事となると先走るんだ」
「いや、だって、こんなにおいしそうに並んでるんっすよ! 早く食べないと食事に失礼っす」
「なんだその変な理屈は。……ほら、華琳が後ろに二人つれて出て来たぞ。そろそろだから、我慢しろ」
「はいっす……」
曹仁の襟首をつかんで壁際に引きずって行く。豪華な食事から引き離されて、目に見えてしょげる曹仁。
大広間の奥は少し高くなっており、華琳の座る豪華な赤い椅子がでんと陣取っている。その前に、曹操が二人を後ろからひきつれて立った。
華琳の隣にいる、猫耳がついた帽子の娘が元倉庫番の荀彧だから、その隣で硬くなっている桃色のおさげ髪が許褚だろう。許褚の方は顔に幼さが残っているので、相当若いはずだ。下手をすれば、この広間の中で一番の若さではないだろうか。
……しかし、三人とも小さくて似たような体形だな、と
そんなことを考えていた時、背伸びをして華琳達を見ていた曹仁が、急に焦った様子で
「そういえば、
「今回の宴の主役は俺じゃない。声もかけられてないから、いらないってことだろう。あの二人と直接面識もないことだし、今更行って注目を浴びたくない」
「でも、
「今も人前であることに変わりはない。故に問題ない」
「えー……」
左胸には
そして
この肩掛けは男である自分にはかわいすぎると、
朝議のときに座っている赤い椅子の前で堂々と立っている曹操は、小さくとも威厳があった。その曹操が口を開くと、いままで騒がしかった広間が、一斉に静かになるのだから、面白いものだ。
「皆、今日はよく集まってくれたわね。戦勝の宴に先立ち、優秀な人材二人を正式に紹介するわ。私の隣にいるのが先の戦でも指揮を執った荀彧。これからは軍師として私を支えてもらうつもりよ。その隣にいるのが許褚。まだ幼いけれど、力が強く、先の賊との戦でも夏候惇に次ぐ働きをしたわ。許褚には将見習いとして、私の下で親衛隊を指揮してもらう。皆も、この二人に負けぬよう、さらに精進することを望むわ。……二人とも、礼を」
曹操に促される形で、まず荀彧が一歩前に出て礼をし、少しおくれてから許褚が荀彧の真似をしてぎこちなく礼をとった。
しかし、許褚のかわいらしい初々しさと比べて、荀彧の肝の太さには恐れ入る。
曹操軍は、将軍も文官も上位は殆ど女が占めているが、中級管理職を入れると男の数の方が多い。
男の目線が集中するなかで、しかも初めて紹介される場だというのに、緊張も嫌悪感も全くないかのような堂々とした立ち姿を見せるとは、中々肝が太い。
軍師という立場になる者だけあって、このくらいの腹芸はお手の物ということだろうか。
そこから波紋のように、臣下たちの間で広がった歓迎の拍手に、曹操は満足そうな笑みを浮かべた。
優雅なしぐさで用意されていた杯を掲げ、乾杯の声をあげる。
「これからの曹家の繁栄を願って! 乾杯!」
『乾杯!』
広間に大歓声が響き渡る。曹操の人望の高さをそのまま表したような盛り上がりだった。
そして、我慢の限界までお預けをくらっていた曹仁は、歓声が上がると同時にいの一番に飛び出し、皿をつかんでめぼしい食事を取り分け始めた。
「乾杯! そしていただきっす!」
「あいつは……」
曹仁の破天荒な行動に、上司である
主の親族だから他者から表だって咎められることはないが、良く見える位置にいた曹操にあとで小言をもらうだろうことは、想像に難しくない。
「姉者、ちょっと待て!」
「何を言うか、
「食事は沢山用意されている、人を押しのけてまで取りに行く必要はない……姉者、頼むから話を聞いてくれ!」
「……」
指の隙間から見える風景の中で食べ物をほおばっている曹仁の下に、青い短髪の女性を引きずったまま、大股で近づいていく黒髪長髪の女性が入ってきた。言わずもがな、青い髪の方が夏侯淵で、黒い髪の方が夏候惇だ。
あちらの抑え役も、大分苦労しているらしかった。
「まてえい、
「あ、春姉!」
「
「あたしだって負けないっすよ!
「姉者、
しかし、羽交い絞めする妹の事など知ったこっちゃないという風に、夏候惇も曹仁の隣で豪快に食事をかっこみ始めてしまった。凄すぎる二人の勢いに、周囲の人間はそそくさと離れて行って遠巻きに見ているだけになっていた。
二人が汚く食べていないことが唯一の救いだろうか。頭が痛い。
「……そんなところで俺の隊の名前をだすな」
大きく肩を落とす
非常に居心地が悪くなった
あとはおとなしく壁の花、もとい壁と同化して目立たないでいようと思い、気配を消して喧騒とは程遠い広場の隅まで移動することにした。
その途中でヤケ酒用にとっくり一本と杯を手に入れるのは忘れない。
そのまま誰もいない奥の壁まで歩き、角に体を預けて、
宴会という場で、
ただ、例外的に、普段関わりのない女性たちが遠巻きにじろじろ見てくることはあった。決まって曹操が近くにいない時なので、場が持たず、
この視線に関しては、実際は
いつの時代でも、力が強く頭の出来が良いのは女性に多かった。故に、優秀な男性は貴重で取り合いになることがしばしばあった。優秀な男性が多くの美女を囲うことが珍しくないのである。
そして、この世界では、数少ない例外を除いて、私的な理由で声をかける時は男性から女性にというのが一般的だ。ただ、既婚者の男にわざわざ粉をかけにいったとなると、自然と女側の評判は落ちてしまう。その結果、男に袖にされでもしたら、目も当てられない事態に陥る。
故に、
ちなみに曹操がいるときに女が集まらないのは、曹操が不穏な輩を威圧し遠ざけているからだ。
その曹操だが、意外なことに、腹心たちの騒ぎを放置して