比翼連理   作:風月

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珊酔と曹仁

 日が沈み、半月がようやく地平線から顔を出しかけたころ。

 珊酔(さんすい)は一刻ほど自室で睡眠をとってから、迎えに来た曹仁と共に、石畳の廊下を、宴会会場である大広間に向かって歩いていた。

  

()ぃ、新しく入った子たちの顔はもう見たっすか?」

 

「いや、見ていない。華琳と話した時に名前だけは聞いたが、その後は直ぐに部屋に戻って寝たからな。その様子だと華侖(かろん)は会ったんだな」

 

「はいっす! 警備の仕事から城に帰って来た時に、ばったり会って。どっちも小っちゃくてかわいい子っすよ!きっと()ぃも気に入るっす」

 

「そうか。華侖(かろん)は上手くやっていけそうか?」

 

「もちろんっす!季衣とは訓練の約束もしたし、これから絶対楽しくなるっすよ」

 

 はしゃいだ様子で、曹仁は自分の頭のはるか上にある珊酔(さんすい)の顔を見上げた。きらきらと輝く瞳の中には、確かに珊酔(さんすい)への敬愛の情が見て取れる。

 曹仁は、結婚した当初から曹操の夫である珊酔(さんすい)の事を『()ぃ』と呼んで慕っていた。珊酔(さんすい)の人となりを見抜いたからではなく、『曹操の選んだ人だから、きっと凄い人なのだろう』という無条件の信頼からのものだったが、その素直さと人懐こさが 珊酔(さんすい)が環境になじむ手助けになったことは確かだった。

そして曹仁は、今は珊酔(さんすい)隊の副将の一人として、珊酔(さんすい)を身近で補佐する役割を担っているのだ。宴会前に珊酔(さんすい)をわざわざ呼びに来たのも、仕事の一つである。

 

 曹仁は、従妹とはいえど曹一族で、若いとはいえ一軍を指揮してもおかしくない立場にいる。現に曹一族の曹洪はしっかり自分の軍を持っている。なのに、曹仁だけ副将扱いなのはわけがあった。

 

 曹仁は幼いころから年が近い曹操となにかと比べられて育ってきた。曹仁も普通以上にできる子供だったが、比べる相手が天才児の曹操では分が悪い。特に曹操が得意とする勉学では差が顕著に現れてしまい、そのことで親にも叱られて育った。

 その影響から、曹仁は苦手な勉学をやらないようになってしまった。やらなければ、比べられてあきれられることもないからだ。

同じく色々言われた曹洪は、いい意味で頑固で周りの言葉に流されないため変な影響は受けなかったが、素直な曹仁は周囲の言葉を真に受けて自信をなくし、傷ついてしまったのである。

 そのころ既に年上の夏候惇が、配下として曹操の護衛をしており、色々なことを力づくで解決していく様をみていたことも影響しているのだろう。曹仁は、夏候惇の後を追いかけるように、どんな時もとりあえず突撃して敵を倒せばよいという、猪突猛進的な思考を持った大人になってしまった。

 

『小人である自分は大したことはできない。大事なことは曹操に任せ、自分は盾となって死ねたら本望である。』

そのようなことを曹仁に真顔で告げられたときはとてもつらかったと、珊酔(さんすい)は曹操本人から聞いている。その時から、曹操は曹仁の事をより気にかけるようになったようだ。

 

 曹操が珊酔(さんすい)に曹仁を預けたのは、環境を変えて少しでも曹仁が自信を取り戻すきっかけになればという、一縷の望みにすがった形だった。これが功を奏した。

 珊酔(さんすい)はどこにでも曹仁を連れて行き、曹仁にもよく意見を聞いた。

 名家の者なら馬鹿にするような答えでも、珊酔(さんすい)は馬鹿にせず、自分がわかる時には噛み砕いて説明し、わからない時には実際にその場に行って試してみた。試行錯誤し、二人三脚で共に成長していったのである。

 素直な曹仁は完全に珊酔(さんすい)に心を開いた。突撃重視な思考は相変わらずだが、その前にどうすればいいのかよく考えて、行動するようになった。部隊の指揮も、柔軟な用兵をする珊酔(さんすい)の下についたことで格段に上達した。

 そんな曹仁を見て、あと少し、何かきっかけがあれば卒業だなあと、曹操と珊酔(さんすい)は話している。もちろん曹仁には内緒でだ。

 

「楽しくなるのはいいことだな。ついでに仕事も楽になれば俺は嬉しい」

 

「それはあたしにはわかんないっす。華琳姉の性格だと、人が増えた分仕事も増やしそうな気も……」

 

「そのときは珊酔(さんすい)隊全員で城から逃走するか」

 

「お供するっす!」

 

 そんな馬鹿な事を話しているうちに、珊酔(さんすい)と曹仁は大広間に着いた。扉を開けると、既に中は人で込み合っていた。立食形式で自由に食事をとれる形にして空間を確保しようとしているが、それでもかなり狭い。

 

()ぃ、()ぃ、みて! 食事が凄い豪華っすよ。栄華がすっごく頑張ったみたいっすね」

 

「おー、よかったな」

 

 完全に食事に目が行ってる曹仁に、珊酔(さんすい)はおざなりに返事を返す。

 食事よりなにより、人の多さにうんざりしたからである。人ごみが好きでない珊酔(さんすい)は嫌な顔を隠そうともしない。

 

「食べに行っていいっすか? いいっすよね?」

 

「待て。こういうのはまず華琳が挨拶して、許可を出してから食べるものだと言っているだろう。……お前といい牛金といい、なぜいつも食事となると先走るんだ」

 

「いや、だって、こんなにおいしそうに並んでるんっすよ! 早く食べないと食事に失礼っす」

 

「なんだその変な理屈は。……ほら、華琳が後ろに二人つれて出て来たぞ。そろそろだから、我慢しろ」

 

「はいっす……」

 

 曹仁の襟首をつかんで壁際に引きずって行く。豪華な食事から引き離されて、目に見えてしょげる曹仁。珊酔(さんすい)は頭が痛くなった。何も考えずに食卓に突撃していた頃に比べると、成長はしているのだが……この様子だと、卒業させるのは未だ無理なような気がしてきた。

 

 大広間の奥は少し高くなっており、華琳の座る豪華な赤い椅子がでんと陣取っている。その前に、曹操が二人を後ろからひきつれて立った。

華琳の隣にいる、猫耳がついた帽子の娘が元倉庫番の荀彧だから、その隣で硬くなっている桃色のおさげ髪が許褚だろう。許褚の方は顔に幼さが残っているので、相当若いはずだ。下手をすれば、この広間の中で一番の若さではないだろうか。

 ……しかし、三人とも小さくて似たような体形だな、と珊酔(さんすい)は思う。文官が小さいのは珍しくないが、将軍で小さいのは珍しい。いずれ成長するにしても、あまり大きくならなそうな予感がするのはなぜだろう。

 そんなことを考えていた時、背伸びをして華琳達を見ていた曹仁が、急に焦った様子で珊酔(さんすい)の袖を引っ張った。

 

「そういえば、()ぃはここにいて良いんっすか? いつもは華琳姉の隣っすよね」

 

「今回の宴の主役は俺じゃない。声もかけられてないから、いらないってことだろう。あの二人と直接面識もないことだし、今更行って注目を浴びたくない」

 

「でも、()ぃが着てきたの、完全に人前に出るとき用のじゃないっすか。これ着てる()ぃが華琳姉の隣にいないのは、あたしとしては違和感ありまくりっすよ」

 

「今も人前であることに変わりはない。故に問題ない」

 

「えー……」

 

 珊酔(さんすい)が今着ているのは、公に出る時にいつも着ている、ゆったりとした濃紺の上下だった。

左胸には珊酔(さんすい)隊の証である団栗の紋章をつけている。これは 珊酔(さんすい)が自分で作り、隊の腹心のみに配っているものだった。もちろん、副将となっている曹仁も、襟のところに紋章をつけている。

 そして珊酔(さんすい)の首元を覆っている白い肩掛けは、先日曹操が贈ったものであり、もちろん手作りである。端には金糸で可愛い猫が刺繍してあるものだ。

この肩掛けは男である自分にはかわいすぎると、珊酔(さんすい)自身はつけることに正直抵抗はあったのだが、着けて見せた時の曹操がとても嬉しそうだったので、まあいいかと開き直っていた。

 

 朝議のときに座っている赤い椅子の前で堂々と立っている曹操は、小さくとも威厳があった。その曹操が口を開くと、いままで騒がしかった広間が、一斉に静かになるのだから、面白いものだ。

 

「皆、今日はよく集まってくれたわね。戦勝の宴に先立ち、優秀な人材二人を正式に紹介するわ。私の隣にいるのが先の戦でも指揮を執った荀彧。これからは軍師として私を支えてもらうつもりよ。その隣にいるのが許褚。まだ幼いけれど、力が強く、先の賊との戦でも夏候惇に次ぐ働きをしたわ。許褚には将見習いとして、私の下で親衛隊を指揮してもらう。皆も、この二人に負けぬよう、さらに精進することを望むわ。……二人とも、礼を」

 

 曹操に促される形で、まず荀彧が一歩前に出て礼をし、少しおくれてから許褚が荀彧の真似をしてぎこちなく礼をとった。

 

 しかし、許褚のかわいらしい初々しさと比べて、荀彧の肝の太さには恐れ入る。

 曹操軍は、将軍も文官も上位は殆ど女が占めているが、中級管理職を入れると男の数の方が多い。

 男の目線が集中するなかで、しかも初めて紹介される場だというのに、緊張も嫌悪感も全くないかのような堂々とした立ち姿を見せるとは、中々肝が太い。

 軍師という立場になる者だけあって、このくらいの腹芸はお手の物ということだろうか。

 珊酔(さんすい)は、内心で低く見積もっていた荀彧の評価をこっそり引き上げ、静まり返った大広間の中、二人に向かって堂々と拍手を送った。

 そこから波紋のように、臣下たちの間で広がった歓迎の拍手に、曹操は満足そうな笑みを浮かべた。

 優雅なしぐさで用意されていた杯を掲げ、乾杯の声をあげる。

 

「これからの曹家の繁栄を願って! 乾杯!」

 

『乾杯!』

 

 広間に大歓声が響き渡る。曹操の人望の高さをそのまま表したような盛り上がりだった。

 

 そして、我慢の限界までお預けをくらっていた曹仁は、歓声が上がると同時にいの一番に飛び出し、皿をつかんでめぼしい食事を取り分け始めた。珊酔(さんすい)が止める暇など全く与えない、素早い行動だった。

 

「乾杯! そしていただきっす!」

 

「あいつは……」

 

 曹仁の破天荒な行動に、上司である珊酔(さんすい)は天井を見上げ、右手で顔を覆った。

 主の親族だから他者から表だって咎められることはないが、良く見える位置にいた曹操にあとで小言をもらうだろうことは、想像に難しくない。

 

「姉者、ちょっと待て!」

 

「何を言うか、華侖(かろん)に後れをとるわけにはいかん! 突撃だ!」

 

「食事は沢山用意されている、人を押しのけてまで取りに行く必要はない……姉者、頼むから話を聞いてくれ!」

 

「……」

 

 指の隙間から見える風景の中で食べ物をほおばっている曹仁の下に、青い短髪の女性を引きずったまま、大股で近づいていく黒髪長髪の女性が入ってきた。言わずもがな、青い髪の方が夏侯淵で、黒い髪の方が夏候惇だ。

 

 あちらの抑え役も、大分苦労しているらしかった。

 

「まてえい、華侖(かろん)!」

 

「あ、春姉!」

 

華侖(かろん)、どちらがより多く食べられるか勝負だ! 華琳様の右腕として、絶対に負けないがな。ふははははは!」

 

「あたしだって負けないっすよ! 珊酔(さんすい)隊の底力、見せてあげるっす」

 

「姉者、華侖(かろん)、みっともないから、お願いだから、やめてくれ。頼むよ……」

 

 しかし、羽交い絞めする妹の事など知ったこっちゃないという風に、夏候惇も曹仁の隣で豪快に食事をかっこみ始めてしまった。凄すぎる二人の勢いに、周囲の人間はそそくさと離れて行って遠巻きに見ているだけになっていた。

二人が汚く食べていないことが唯一の救いだろうか。頭が痛い。

 

「……そんなところで俺の隊の名前をだすな」

 

 大きく肩を落とす珊酔(さんすい)に、周囲から同情の視線が向けられる。

 非常に居心地が悪くなった珊酔(さんすい)は、軽く会釈してそそくさとその場を離れた。どうせ曹仁も夏候惇との勝負に夢中で、自分のことなんか忘れているだろう。あとは猛獣使い夏侯淵が二人まとめて面倒を見てくれるに違いない、はずだ。

 あとはおとなしく壁の花、もとい壁と同化して目立たないでいようと思い、気配を消して喧騒とは程遠い広場の隅まで移動することにした。

 その途中でヤケ酒用にとっくり一本と杯を手に入れるのは忘れない。

 そのまま誰もいない奥の壁まで歩き、角に体を預けて、珊酔(さんすい)はようやく一息つけたのである。

 

 宴会という場で、珊酔(さんすい)に自分から声をかけてくる人間は実は少ない。婿で、出身もたいしたことがない自分に対しては媚を売っても意味がないためだろうと、珊酔(さんすい)は考えている。

 ただ、例外的に、普段関わりのない女性たちが遠巻きにじろじろ見てくることはあった。決まって曹操が近くにいない時なので、場が持たず、珊酔(さんすい)としては非常に居心地が悪い思いをしている。

 この視線に関しては、実際は 珊酔(さんすい)に目をかけられたい女性が、機会をうかがっているだけだったりする。

 いつの時代でも、力が強く頭の出来が良いのは女性に多かった。故に、優秀な男性は貴重で取り合いになることがしばしばあった。優秀な男性が多くの美女を囲うことが珍しくないのである。

 

 そして、この世界では、数少ない例外を除いて、私的な理由で声をかける時は男性から女性にというのが一般的だ。ただ、既婚者の男にわざわざ粉をかけにいったとなると、自然と女側の評判は落ちてしまう。その結果、男に袖にされでもしたら、目も当てられない事態に陥る。

 故に、珊酔(さんすい)の方から近づいてくるように、スリットから生足をのぞかせたり、胸をはだけたりと色仕掛けまがいのことをしている女もいるのだが、風潮に疎く、公の場では早く退出することだけを考えている珊酔(さんすい)は気が付かないでいた。

 ちなみに曹操がいるときに女が集まらないのは、曹操が不穏な輩を威圧し遠ざけているからだ。珊酔(さんすい)が誤解をしているのも知っているが、そのままの方が曹操にとって都合がいいので、内緒のままわざと放置していたりする。

 

 その曹操だが、意外なことに、腹心たちの騒ぎを放置して珊酔(さんすい)の方に向かってきていた。後についてきている荀彧と許褚を、個人的に珊酔(さんすい)と引き合わせるためである。

 


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