比翼連理   作:風月

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狂気の花 染まりゆく黒

 

なぜ、袁家の看板である将軍達がとつぜん陳留を訪れ、城で暴れ出したのか。

それを説明するには、時間を少しさかのぼらなければならない。

 

まず曹操は、珊酔(さんすい)の怪我自体を隠し通すことは無理だと考えた。

とはいえ、呂布と闘って怪我を負ったとはいえない。

だから、曹操は珊酔の怪我の原因を落馬ということにした。偽張角が討たれた日に、国境の砦には曹純と虎豹騎(こひょうき)がいた。

珊酔がその訓練についていけず落馬し大怪我を負ったとすれば、珊酔の名誉はともかく黄巾とのつながりは隠し通すことができるはず。

 

ゆえに、町人や商人にはそれとなく噂を流し、他領から侵入した間者(ほとんどが袁家の者だ)全て始末するのではなく、数人は偽の情報を掴ませたまま、放置した。

当然、その知らせを掴んだ間者は袁紹の元に帰還し、曹操の思惑通りの報告をしたのである。

 

『珊酔が大怪我をした。しかも、原因は、落馬である』

 

陳留に派遣していた諜報員の報告を受け、袁紹は激怒した。

 

彼女の知っている珊酔は、馬から落ちたくらいで大怪我をするようなどんくさい人ではない。

曹操に虐げられて調子が悪かったとか、他の武将に意地悪をされて、馬から叩き落とされたに違いない。ああ、なんてかわいそう!

思い込みが激しい袁紹は、すぐにそう考えた。

 

そして、決意する。

悪逆非道の曹操から、彼の人を助け出さねばならないと。

袁紹は公務を放りだし、急いで珊酔に手紙をしたためた。そして、腹心の部下二人を呼びつけて、こう命じた。

 

「これを旦那様に渡して、冀州につれてきなさい!今、すぐに!」

 

「ええっ」

 

「麗羽さまー。いくら名家でも、理由もなくよそさまの夫を拉致するのは難しいっすよ」

 

「それに、今朝、都から董卓を追放する仲間を増やすために、各地に手紙を届けるようにお命じになったばかりじゃないですかぁ。無茶なことしたら、味方がだれもいなくなっちゃいますよう」

 

口をとがらす文醜に、頭を抱える顔良。

文醜に顔良。どちらも猛将として知られるが、その性質は正反対。

袁紹は肩を怒らせる。

 

「その手紙の中には、曹操さんに向けたものもあるでしょう?どうせ陳留に行くのですから、そのまま連れ帰ってくれば良いではありませんか」

 

「そんなぁ。董卓と戦うまえに、曹操さまのところと戦争になっちゃいます」

 

「それどころか、あたいたちが無事に陳留から出られるか怪しくなっちゃいますって。曹操さま、男嫌いのくせして、なんか旦那を溺愛してるから。旦那だって、うんとは言わないっしょ」

 

「袁家の二枚看板が何を弱気な!蹴散らしても連れてくる気概はありませんの!?それでも名門袁家の将ですかっ!」

 

「正面切って蹴散らしてこいっつーなら、やっちゃえますけど。他所の亭主を拉致ってくるとなると、頭の良くないあたいでも、後々やばくなるって思いますよ。世間の風評ってもんが……なあ、斗詩」

 

「あの曹操さまが、黙っているとは思えませんもん」

 

「なー。陰険だもんなー」

 

気が乗らない様子の、部下二人である。

 

 

「だいたい、あの旦那が。大怪我なんてするかね?なんかの冗談じゃないっすか?」

 

「うん。身軽な人だもんね。落馬するところが想像つかないよ」

 

「なあ?百歩譲って、旦那が馬から落ちたとしてだ。斗詩だって、あたいだって馬から落ちても怪我ひとつしないのに、大けが?屋根の上をぴょんぴょん飛び回るのが仕事の旦那が、怪我?ないわー」

 

「べつに、屋根の上を飛び回るのがお仕事じゃないと思うけど……ちゃんと公務もされているはずだよ?」

 

「もー、細かいことはいいんだよ!あたいの、旦那の印象は、ぴょんぴょんしてる人なの」

 

「えー……」

 

「考えてみれば、猪々子の言うとおりかもしれません。……はっ!もしや、旦那様を私の目から隠すために、わざわざ偽の情報を……」

 

「きっとそうっすよ!」

 

袁紹と珊酔の接触を曹操が嫌がっていることは、ちょっかいを出している方は当然知っている。

知ったうえで、立場の低い曹操が正面きって断れないのをいいことに、堂々と誘いをかけているのだ。

 

「きーっ華琳さんのくせに、生意気ですわっ!冀州に連れてこれないのでしたら、どうすればいいんですの!指を咥えてみているだけでは、嫌ですわ!」

 

「そんなことを言われても、なあ?」

 

「うん。……麗羽さま。旦那様を今冀州にお連れするのは、絶対!無理ですけど、様子をうかがうくらいなら、できると思います。本当に怪我しているのか、私も文ちゃんも、見ればわかりますから。ね、文ちゃん」

 

「だな。曹操さま宛の手紙を持っていくわけだから、会わないって断られることもないしな。このくらいで、勘弁してくださいよー」

 

「……仕方ありませんわね」

 

しばらくの間の後、袁紹は肩を落とした。しぶしぶだが、妥協することにしたらしい。

というわけで、珊酔の様子を確認するついでに、諸侯への手紙を配達するため、顔良と文醜は旅立ったのである。

 

 

 

 

実は、珊酔は曹操と出会うより早く、袁紹と出会っていたりする。

まだ、袁紹の母である袁成が冀州周辺を統治していた頃のことだ。

 

袁成が山賊討伐に赴いた時、賊のねぐらである山城は既に火に包まれていた。

何事かと袁成が部下に調べさせた所、賊の首魁(しゅかい)と見られる生首を背中に括り付けた少年がいるとの報告があった。

その少年が、珊酔だった。

 

その山賊の首魁には、かなりの懸賞金がかかっており、

旅の路銀に困った珊酔は、山賊のねぐらに忍び込んで火をかけ、その混乱に紛れて首魁の首をとったのである。

 

袁成は珊酔少年に対し、多くの報奨金を与え、屋敷に招待した。

袁成は文官であったため、武の方には全く自信がなかったため、周辺の賊討伐だけでも使える人材が欲しかったのだ。

仕官は断った珊酔だが、周辺の賊討伐の協力要請は快諾する。家出中の珊酔にとって、袁成から提示された金額はとても魅力的だったのだ。

 

なお、珊酔と牛金との出会いもこの頃である。

珊酔が袁成の軍に入って賊討伐に赴いた時、同じくまだ少女であった牛金が率いる義勇軍とともに戦った。

迫ってくる袁紹をいなしつつ、冀州の街で牛金と遊びつつ、袁紹に仕える文醜と顔良に手ほどきをして過ごすこと幾日、珊酔はいつしか、袁紹きんぴか私兵団の長まで上り詰めていたのであった……。

 

袁紹が勉強の為都に移るときに、きんぴか私兵団は解散され、珊酔も暇をもらって袁成軍を離れたのである。

 

繰り返し言うが、この時代、文武に秀でた強い男は絶滅危惧種である。

幼い袁紹もそれを知っており、なんとか珊酔を手に入れようと画策していた。

当然、自分の都行きに珊酔を同行させようとしていたのだが、目を離した隙に逃げられてしまった。

 

それでも袁紹は、ずっと珊酔を探し続けた。

何年も何年も探し続け、彼女がようやく珊酔を見つけたのは、曹操の結婚式だった。

袁紹がいつか見つけて婿にと思っていた男を、曹操が目の前でかっさらっていったのである。

 

袁紹は、曹操より自分が全てにおいて優れていると信じている。

だから、珊酔が自分から逃げ、曹操を選んだことがどうしても受け入れられなかった。

故に、曹操が珊酔の弱みを握り、無理やり婿にしたのだと考え、今では自分が珊酔を助けださなければならないとまで思い込んでいた。

恋でも、愛でもない。妄執に近い感情を持てあました袁紹は、壊れる寸前であった。

 

だから、側近でもあり、友でもある文醜と顔良は、陳留に向かった。

彼女たちの最愛の主君を主君たらしめるために。

 

 

 

とはいえ、様子を見るでもなく、いきなり珊酔に突撃するのはいかがなものかと、顔良は思うのだ。

 

「ほら、文ちゃん!ちゃんと謝って!!」

 

「……もうしわけありませんでしたー」

 

「頭下げる!!」

 

「むぎゅ……いきなりひどいじゃないかぁ。ごめんなさい」

 

相方の顔良に頭を押さえつけられ、文醜はしぶしぶという様子で謝った。

怒りさめやらぬ牛金であったが、珊酔に止められた上、袁家の二枚看板に(形だけとはいえ)下手に出られては動けない。

 

「いいっすよ、もう……」

 

曹仁がひきつった顔で許しの言葉をかけたことで、一応この件は決着を見た。

 

「あと、その。これ、麗羽さまからのお手紙なんです。麗羽さま、とっても心配されていたので、読んだらきちんとお返事してくださいね」

 

文醜の懐を探って、取り出したやけに分厚い紙の束を、顔良は珊酔に押し付けた。

立場上、受け取らないわけにはいかない。渡された手紙は、ずっしりと手に重かった。

 

その後、曹操に話すことがあるという事で、文醜は顔良に襟首をつかまれて、ずるずると引きずられた状態で、城の中へ消えて行った。

 

「あ、あたし、ちょっと休憩してくるっす」

 

「え」

 

「すぐに戻ってくるっすから。牛金、皆のこと、ちょっとだけまかせるっす」

 

袁家の二人の姿が見えなくなったとたん、曹仁が二人から顔を隠すようにしたまま、城とは反対の方―城壁の方に走って行った。

 

「待って、華侖(かろん)!」

 

「駄目だ」

 

珊酔が、走り出そうとした牛金の肩をつかむ。出足をくじかれて、牛金はたたらを踏む。怪我人の手を振り払うわけにもいかない。眉を吊り上げて、珊酔をにらみつけた。

 

「なんで止めるのよ!」

 

「俺が動けないあいだ、曹仁は俺の代理として曹操から直接指示を受け、働くことになった。華侖に後を託されたのは、おまえだろ?俺がのんびり追いかける」

 

「でも、」

 

「華侖が抱えている問題は、他所から入ってきた俺たちがあれこれ口出しして、解決できるようなものじゃない。お前だって、わかってるだろ。……仕事終わりにでも、飯に連れてってやってくれ。それで十分、喜ぶ」

 

「わかったよん……」

 

項垂れる牛金。練兵場では、部下達が遠巻き二人の様子をうかがっていた。

珊酔は、そんな部下達に牛金の指示に従うように通達すると、ことさらゆっくりとした足取りで、曹仁の気配を追って歩き出したのだった。

 

 

 

真昼の城壁の上は、隠れたサボり場でもある。

見張りの兵士たちは等間隔にある見張り場に詰めているだけで、見回りはほぼないと言っていい。

ごくまれに、夏候惇や許褚が鍛錬の一環として城壁をぐるぐる走っていることがあるが、今日は静かだった。

曹仁は壁を音もなく登ると、城からも、見張りの兵士からも見つからない場所に膝を抱えて座り込んだ。

 

「わかってた。覚悟もしていたのに。……こんなんじゃ、駄目だ」

 

―曹操の一族なのに部隊すら持たせてもらえない出来損ない―

 

文醜に言われたような言葉は、珊酔の部下になってから既に何回も聞いている。

親族に面と向かって、同僚に嫌味ったらしく、あるときは別部署の兵士の影口が耳に入ることもあった。だが、曹仁は全く気になかった。今の地位が、楽しく、何の不満もなかったからだ。

 

思考を丸ごと放棄して、いいことも悪いことも考えないことで、自分の事を守っていた曹仁は、珊酔と出会って、考えて動くことを教え込まれた。

 

珊酔が頼りにしてくれるのがうれしかった。上達する過程を、苦労を褒めてくれるのがうれしかった。珊酔が他人と比較せず、ありのままの自分だけを見てくれたから、自分も曹操たちと違うことを気にせずに過ごしてこられた。何を言われても、自分は自分だと堂々としていられた。

 

実の妹以上に可愛がってもらえて、傍に居られるだけで幸せだった。

 

「あたし、ずっと兄ぃの傍にいたかったっす……」

 

珊酔が砦で療養しているあいだ、曹仁は曹操から直接指示を受け、働くことになった。

その期間は、二月にも満たない。

しかし、曹仁にとっては長く、辛く、地獄のような日々だった。

そう、頭が良くて武芸も一流の曹操と、ちょっと体を動かすことが得意なだけの自分とを身近で比較して、絶望する日々が。

 

―久々に、剣を合わせた。頑張ったけれど、勝てなかった。

 

―警備部の書類の処理を、一緒にやる機会があった。普段から警備の仕事をしている自分より五倍は速く的確に、書類をさばいていた。

 

―他のみんなと兵法の講義を受けた。言葉が難しくて、全く頭に入ってこなかった。

 

目の前に立ちはだかる、頑丈で高い壁。

従妹で、近い血が流れて居るのに、どうしてこんなに差があるのか。

曹操が、彼女だけが曹家の中で優れているなら、まだ耐えられた。

 

周りを見る。

従妹の曹洪は、武芸は曹操の血族のなかでは低いが、冷静な指揮ぶりは、荀彧も舌を巻いている。文官としては秀逸だ。経済・経営の面では曹操もかなわない。

妹の曹純。大人しい顔をしてはいても、武芸に秀で、馬上での一騎打ちでは曹操軍で右に出る者はいない。それだけではなく、文官としても優れている。国境警備の任務に就く前は、曹操や秋蘭に頼りにされ、きびきびと働いていた。

 

駄目なのは、自分だけだ。一人では何もできない。

『元気がいい。誰とでも仲良くなれる。見ていると癒される』……だから、何だ。

『強い』……普段執務室に向かっていることが多い曹操に勝てなくて、何が強いというのか。

『考えて指揮ができるようになった』……そこしかほめるところがないのか。

 

周りからの褒め言葉は、全て空虚で。発言した奴は、どうせ自分の事を見下しているのだと思えば、曹仁の心には響かない。

曹操の血縁として部隊を率いる実力も、文官として秀でているところもない。それが、現実。

 

「あは」

 

周りと話せば話すほど、むしろ妬みや憎しみが増えていく。

曹操が、曹洪が、曹純が、夏候惇が、夏侯淵が、……自分を曹操と比較する連中はみんなみんな不幸せになればいいと思う。

 

―曹家の繁栄を願い集った面々の中で、自分だけが、曹家の失脚を願っている。

 

たった二月で、人知れず、曹仁はおかしくなってしまっていた。

それでも、周りに笑顔を向けられるのは、ひとえに珊酔の傍に居続けるため。

 

「……我慢、我慢。兄ぃと引き離されたくないなら、傷ついちゃだめ。動揺しちゃだめ。あたしは、皆と仲がいい、お馬鹿な華侖。笑顔で、元気ないい子の華侖。周りに不満なんかない。そうじゃなきゃ、だめ」

 

曹仁は小声で自分に何度も言い聞かせる。膝を抱え、うつむきながらぶつぶつ呟いている彼女は、異様だった。

 

一刻(約14分)ほどそうしていたあと、曹仁は突然立ち上がる。先ほどまでの暗い雰囲気は消え去っていた。

頬を伝う涙の痕はあれど、それ以外はいつも通りの曹仁だった。

 

「そろそろ戻らないと、流石に怒られちゃうっすよね。よっと」

 

いつものように、曹仁は城壁から飛び降りた。いつものように地面で一回転して衝撃をやり過ごす。立ち上がろうと手をついた地面に、自分のではない黒い影が伸びていて、文字通り飛び上がる。

 

「ひゃわっ!!」

 

戦闘態勢をとりかけた曹仁だったが、すぐに影の正体が珊酔だと気が付いた。

 

「あれ、兄ぃ!?何でここに」

 

「……泣いていなくなっちまった妹を、迎えにきたんだよ」

 

「泣いてないっすー。ちょっと目から鼻水がでただけっす」

 

「病気だな。医務室にでもいくか?」

 

「じゃあ、こころの汗が漏れたっす」

 

「じゃあってなんだ、じゃあって」

 

珊酔の手がことさら乱暴に、曹仁の金髪をかき回した。遠慮ない大きな掌が、純粋にうれしい。

好きだなあと、思った。

 

「えへへ」

 

「戻るぞ。まだ、牛金も、部下達も残ってる……はずだ」

 

「やっぱり、怒ってるっすかね」

 

「いや。牛金はかなり心配していた。他の奴は、まあ……ながい付き合いだから、お前の突飛な行動には慣れているんじゃないのか?ところ構わず裸になってた頃のお前を知ってるやつばっかりだから」

 

「……そっすか」

 

「気になるんなら、謝ればいい。取り返しのつかない失敗なんて、早々ない」

 

「っす」

 

頭に乗せられていた手がゆっくりと滑り落ちて、ぽん、と優しく背中を叩く。

 

「戻るぞ」

 

「はいっす!!」

 

中庭に笑顔が、咲いた。

城壁の上にうずくまっていた、壊れてしまった少女はもういない。

曹仁は手負いの珊酔を追い越さないよう、半歩後ろにぴったりついて、ゆっくり歩いていくのだった。

 

 

 




大変長らくお待たせいたしました。

上手く書けず、悩んでいる時に感想をくださったり、評価を入れて下さったり、本当にありがとうございました。
とても励みになりました。

今回は袁紹と曹仁のお話でした。

次こそ曹操出します←

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