比翼連理   作:風月

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大変お待たせしました


珊酔の事情

 人数不利の防衛戦は、珊酔があらかじめ予想していたものより簡単だった。

守らなければならない門は二つあり、只でさえ少ない兵士を二つに分けているのにもかかわらず、だ。

しかも、門に敵を近づけさせないために、籠城ではなく街の外で軍をぶつけているのに。拍子抜けだなあと、東門の上で外の戦況を見つめている珊酔は思っていた。

 

 珊酔隊の援軍よりなにより、街にいた義勇軍の働きが効果的だった。特に、義勇軍をまとめている三人の少女―楽進、李典、于禁―の働きが大きかった。

街の周りの堀は李典が『螺旋槍』という武器で掘ったものであり、柵や外壁の強化も彼女の指揮で制作したものであった。人工的に作られた隘路(あいろ)のおかげで、かなり有利に戦えている。

 于禁が主に鍛えたという兵たちは、曹操軍には劣るものの、義勇兵としては破格の練度でとても連携がとりやすかった。

 そして楽進の放つ気弾は、賊たちを数十名、一気に空に吹き飛ばすほど威力のあるものだった。威力が大きい分、放った後に隙ができてしまうという欠点はあったが、賊軍相手であることと、味方のそつのない援護があれば問題がない程度のものだった。

 

 そして不思議なことに、三人ともが曹操軍の武将と縁があった。

珊酔はすっかり忘れていたのだが、李典はついこの前の視察で、大量の籠を売りつけた少女であったらしい。

そしてその日、実は李典だけではなく于禁と楽進も陳留の別の場所で籠を売っていたらしい。珊酔が城に帰った後、夏候惇が于禁から、夏侯淵は楽進から籠を購入したという。……なぜ、夏候姉妹が珊酔に籠を譲ってほしいと言わなかったかということを深く考えると、悲しい結論しか導きだされない気がしたので、途中で思考を放棄したのだが。

 とにかく、その練度の高めな義勇兵と珊酔隊の混合部隊を、曹仁がまた上手く操っている。普段主に警備を任されている彼女は、こうして実践で暴れられるのが本当に嬉しいようだった。

細い剣を振り回し、敵を瞬く間に屠りつつ、きちんと指揮も行っている。于禁、楽進、李典の三人ともすぐに仲良くなっていた。……自分よりよっぽど役に立っている、珊酔は自嘲する。

 

 今、珊酔は城壁の上から戦況を見守っているだけで、特にやることがない。というのも、珊酔は弓が下手だからだ。

名目上、門の上で外で戦っている兵士たちを援護するための弓兵部隊を率いているのだが、下手に矢を撃って数少ない味方を殺してしまうわけにはいかない。

というわけで、得意な部下に指揮を任せているため、こうしてぼーっと戦況を見るくらいしかやることがないのだ。

もちろん、戦況が不利になれば交代で出たり、兵士を補充したりという作業ができる。だが、しばらくその必要はなさそうだった。

 本当なら、珊酔も外で出て戦いたかった。少なくとも戦っていれば、嫌な現実から逃避できる。ただ、内と外に部隊を分けると考えた時、曹仁を敵に当てた方がいいと思った。義勇兵との連携もそうだが、なにより曹仁本人が戦いたくてうずうずしていたからだ。中にいるように言っても、我慢できずに上から飛び降りて戦いだしてしまったら意味がない。

 

 

 ……そして人間暇になると、嫌な考えが浮かび上がってくるものだ。

曹操の婿として過ごす中、考えないように心の奥底に封印していたもの。それを、夏侯淵の言葉が掘り起こしてしまった。

視線はそのままに、珊酔の意識は曹操と結婚し陳留の城に移り住んだ頃に、とんだ。

 

 

 

 

 

 曹操と珊酔の関係は、恋愛結婚のように見せかけた契約から始まったものだった。

二度目、山の中で曹操を見かけた時のこと。珊酔は、知り合いである彼女を助けたものの、いずれ腐敗しきった漢に仕えるであろう彼女の下に残るつもりはなかった。

 だが曹操は、立ち去ろうとした珊酔にこういった。

 

『あなたは漢に仕えるであろう私のもとに残る気はないという。だったら、私は漢を捨て、いずれ王になって真っ当な政治をする事を誓うわ。そして貴方が、故郷に安心して戻れるようにもしてあげる』

 

『はっ。力のないお前が、どうやって王になるってんだよ。傾いているとはいえ、漢王朝の権威は未だ存在する。んなこと、俺だってわかってる。おまえにゃあ、無理だ』

 

 鼻で笑った珊酔に対し、曹操はまっすぐな目を向けて、尚も力説した。

 

『今は、漢の官吏として働くしかないけれど。絶対に、力をつける。優秀な者を集めて、絶対にこの大陸の覇者となる。貴方がいなくても私は王になるでしょうけど、貴方が力を貸してくれれば、その時を早められる。信頼できる人が欲しいの。お願い』

 

 曹操は、血に濡れた珊酔の手を握り、懇願した。

当時の珊酔は知らなかったが、曹操が下手に出て懇願することは非常に珍しいことだった。

 言っていることは根拠のない、夢想話。だが、家族を失い、故郷に戻れなくなった彼はついその言葉に反応してしまった。

 

『本気、なのか』

 

『ええ』

 

『……なら、俺はお前が王になるまで、力を貸してやる。王になったあとも妥協せず、腐敗せず、きちんとした政治を行うと誓え。俺の家族のような、不幸な死に方をする者が出ないように』

 

『誓うわ。真名にかけて』

 

『ならば、お前がその誓いを守る限り、俺は絶対にお前を裏切らない。真名にかけて誓う。……他に、お前は何を望む?』

 

『私は……』

 

 逡巡した後、曹操が珊酔に求めたのは二つ。彼女の下で働くこと。

そして、自分の夫になって曹家に入り、対外的にも入り婿としてふさわしい行いをとるようにという事だった。

何の後ろ盾もない珊酔を側近として扱うには、これが一番いい方法であると。

珊酔も納得し、了承した。

 その後、曹操は無事に生還した曹嵩(そうすう)に珊酔を紹介し、周囲にも強引に結婚を認めさせた。そして婚姻の儀までに、珊酔に貴族としての話し方や振る舞いの最低限を叩き込んだ。その厳しさには、珊酔も辟易したが、約束したからにはしょうがない。

黙々と花婿修行に勤しんだ。

 

そのまま、曹操の敷いた道通りに事が進み、珊酔は曹操の夫となった。

 

 初夜。曹操はまだ成人したばかりで幼かったし、珊酔は曹操の事を気に入っていたとはいえ、彼女にそう執着を抱いていなかった。

どうせ形だけの結婚だから、外で女を抱ければそれでいいと言ったのだが、曹操はそれは嫌だから自分を抱けといった。

夫となる者を満足させることも、妻の役目だからと。

 そういわれれば、否やというのは男ではない。珊酔は、積極的に仕事をし、また遠慮なく曹操を抱いた。頻繁に曹操が夏候家に外泊してくることに関しても、気にも留めなかった。

その状態で数年が過ぎた。

 

 そして曹操が陳留太守に任じられると、珊酔も曹仁を副官として育てる傍ら、仕事が一気に増えた。

特に、陳留の警備体制を整えることが大変で、城に戻れない日も多くなった。

 だが、仕事が長引いたある日。いつもなら屯所に留まる時刻ではあったが、珊酔は城に戻ることにした。

今振り返ると、そのころには不意に曹操の顔を見たいと思うほど、心が浸食されていたのだと思う。

 

 人間離れした跳躍力で城壁を越え、気配を探る。何故か曹操の気配は夏候惇・夏侯淵の部屋にあった。しかも、なにやら密着して動き回っている。

珊酔は、首をひねりつつ三人のいる部屋に向かった。妻の顔を見たいと思って帰ってきたのに、そのまま自室に戻るのはつまらない。

暗い廊下を進み、木でできた扉を叩こうと体を寄せた時だった。

 

「ふぁ……」

 

「華琳さまぁ、もっと……」

 

「ふふ、可愛いわね、二人とも」

 

 中から聞こえたのは、艶を帯びた三人の声。今まで聞いたことのないくらい楽しそうな曹操の声に、甘えた夏候姉妹の声。

 そして、かすかに聞こえる寝台がきしむ音。

三人が何をしているかは、明白だった。

 

 何も知らなかった珊酔は扉の前で固まる。夏候惇たちが住んでいた家は珊酔の気配察知の範囲外にあったし、城に移ってからは、珊酔がいるときは必ず曹操は同じ部屋で眠っていた。

また、平民の間では一夫一妻が殆どであり、同性同士関係を持つということは(少なくとも珊酔の知る限りは)なかった。

だから、今の今まで『華琳は自分だけのものだ』と思い込んでいたのである。

 

 どれくらいその扉の前にいたのか、珊酔は覚えていない。気が付いたら、自室の寝台に寄りかかってぼうっと窓の外を見ていた。

その時、珊酔は自分がどれだけ曹操の事が好きで、独占したいと思うようになっていたか思い知らされたのだ。

 

 

 後日。珊酔は親しくなった人達にさりげなく曹操の事をきいた。皆、意外そうな様子だったが、気前よく情報をくれた。

一つ、上流階級では男が複数の女と関係を持つことも、女同士で関係を持つことも許されており、珍しくないこと。

一つ、曹操は有名な女好きであり、幼いころから夏候姉妹だけでなく、多くの女性と関係を持ち続けていること。また曹洪も別邸を一つ持っており、そこで女の子たちをかこっていること。

一つ、曹操は男嫌いと言われていたので、自分から結婚を言い出したことは奇跡に近いということ。

 

 全部、今まで珊酔が知らなかったことだった。

愕然とした。同時に、曹操が当初、自分を得るためにどれだけ我慢してきたのか思い知らされた気分だった。

嫌われていないのは知っている。だが、女性が好きというのに、男である自分に体をささげるのはどれだけ勇気が必要だったのだろうか。

子供を作るという目的があれば別だろうが、今はあまりその気はないと曹操本人が言っている。完全に珊酔の欲求を解消させるためだけの行為だった。

 

 珊酔が、長い髪の方が好みだと言ったら、二人でいるときは髪を下ろしてくれるようになった。部屋だって別にすることもできたのに、珊酔に合わせて寒くて便の悪い塔の上に寝所を置いた。

 休日のみならず、珊酔が気が向いた時に曹操を連れ出すこともあった。本当に忙しいとき以外は、困った様子ではあるが付き合ってくれた。

曹操はずっと、自分の前では『いい妻』を演じてくれていたのだ。ひとえに、王になれという誓いを最速で果たすために。

 

 好きあって結婚したわけではない。二人の間を結ぶのは契約のみ。……珊酔には、彼女を束縛する権利はない。

曹操がそこまでしてくれるのならば、自分も『いい夫』であり『いい手駒』にならなければと珊酔は考えた。

まず、妻の事を知ったのだから、妻が嫌な気持ちにならないように配慮するのがいい夫だろうと。

 

 珊酔は、独占欲が強い。夏候惇と夏侯淵が、華琳が王になるために重要な人物であるからこそ、あの場面で我慢することができたのだと思っていた。

もし、相手が町娘であったとしたら、きっと我慢できなかっただろう。おそらく、反射的に娘を殺していた。

そうなれば、大変な問題である。曹操の覇道の邪魔になってしまう。

 その日から、珊酔はよりいっそう、楽しくない仕事に打ち込むようになった。城にある部屋には本当に疲れて、眠くなった時しか戻らないようにした。

曹操が女性と遊ぶ時間を作りやすいように……そして、自分がその場面を決して見ることがないようにと。

 

 同じ部屋に住んでいて関係を持たないというのは難しかった。無防備な姿に耐えきれず手を出してしまったし、曹操の方が気を使ってか誘ってきた時は彼女を抱いた。だが、ことが終わって、彼女が疲れて眠っているところを見ると罪悪感があふれてどうしようもなかった。

その時点の珊酔は、曹操を自分の物にしたいと思う以上に、曹操に少しでも幸せであってほしいと思っていたから。

 

 だから、珊酔は自分の気持ちを徐々に殺してきた。

自分の気持ちに、決して振り回されないように。そして、自分の態度が急に変わったと、周囲に思われないように。

不機嫌になったり、馴染めない部分はどうしてもあったけれど、できるだけ曹操の負担にならないように。

 

 だが、珊酔が意図的に、何重にも鍵をかけて抑えている自分が、先日の曹操との言い争いから暴れ始めた。

そして、昨日の夏侯淵との会話で閉じ込めていた鍵の一つが壊れてしまった。愛してるとは思えない?珊酔が気持ちのまま行動していたら、夏侯淵はとっくに暗殺されて息をしていない。

『契約で結ばれた間柄』というものにどれだけ守られているか知らないで、言いたい放題言ってくれる。

 

 あまり刺激しないでもらいたいものだ、と珊酔はため息をついた。

 

 そのとき丁度、珊酔隊の兵士の中でも顔立ちの整った男が門の内側から珊酔を見上げるようにして声をかけた。

 

「珊酔様~」

 

 はっと、珊酔は現実に戻る。慌てて部下の方を見た。

 

「なんだ?」

 

「そろそろ出動している部隊と予備部隊の交代の時間ではないかと」

 

「ああ……」

 

 太陽は中天をとっくに過ぎている。出ている兵士たちはまだ余力を残していそうだが、明日も半日は持ちこたえなければならない。

 

「そうだな、門を開けて上手く交代させるように……いや、この際俺も出る」

 

「えっ?」

 

 珊酔は横で弓を構えている、ある兵士に目を向けた。弓兵部隊の中で一番位の高い、小隊長である。

 

「この半日で俺がいなくても部隊として機能することはよくわかった。この後はお前が、指揮をとるように。できるな」

 

「はっ」

 

「ならば、よし。俺は出る」

 

 珊酔は身軽さを活かして、戸惑った様子の部下の傍に降り立った。

 

「え、いいんですか?」

 

「いい。作戦変更。お前はとっとと部隊まとめてこい」

 

「は、はいっ!」

 

 尻を蹴ると、部下は文字通り飛び上がってから走り去った。優秀な奴だから、ほどなく準備は整うだろう。

多少無茶でも、今の珊酔には気を紛らわすことが必要だった。本物の賊相手であれば、慈悲も遠慮も必要ない。

二振りの短剣を取り出し、手でもてあそびながら珊酔は獰猛に笑った。

 

 

 

 その後、珊酔は文句をいう曹仁を上司命令で黙らせ、部隊を入れ替えることに成功する。

その隙を狙って多くの賊も街に押し寄せてきたが、格下にやられる珊酔ではない。あっというまに、短剣の餌食になった。その様子に兵士たちの士気も上がり、日が沈んで賊が下がっていくまで守りきることに成功する。

 

 そして、次の日の朝。曹操の率いる本隊が予想より早く到着し、夏候惇の獅子奮迅の活躍もあってあっというまに街に押し寄せる賊を蹴散らし、勝利をもぎ取った。その後、曹操軍は、曹操に仕えたいという楽進・李典・于禁三人をはじめた義勇軍を部隊に編成したあと、意気揚々と陳留への帰途についたのである。

 

 

 

 

 

 

 




これを書いている時、ずっと槇原敬之さんの歌(遠く遠く、もう恋なんてしない等々)をエンドレスリピートしてました。

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