エヴァンジェリンに憑依した人の日記   作:作者さん

9 / 24
二話連続で投稿しているので、前の話から読むことをおすすめします。


・思惑

 『私』、という存在にとってこの世界は、何もかもが新しく見えていた。

 初めて生きていると言う実感を喜び、世界に感謝した。終わってしまう魂をこの場に居させてくれただけでも、神という存在に感謝した。

ただしその世界について、頭の中に存在していた知識によって、とある漫画の登場人物であると理解して、ただ恐怖した。にわか知識でそのとき自分がどのような状態であるのかを理解して、最適ではないかと思えることをした。

 部屋を飛び出し魔法を調べ、必要最低限の方針を立てて、とにかく憎まれることを避ける。魔女狩り、吸血鬼への偏見、憎しみの連鎖、それらか逃げるように生活していた。そうして生きている最中に実感する。初めは魔法使いに追われ即死の域まで肉体が壊され、再生した時だ。転移して逃げ切って、紛れ込んで隠れて。そうして思い出したのだ。

 

 生きる喜び、それを理解しているはずなのに、この躰は死ぬことへの悲しみを忘れてしまっている。

 

 生有る者は死ぬことを恐れるからこそ、無限に満足というものを求めようとする。しかし、不老不死という存在にそんなものはない。行き着くところは、ただ在るだけで死んでいないだけの存在に成り下がる。希望も絶望もなくなれば、それを生きていると言えるわけがない。

 『私』が望んだ生は、そんなものではない。心臓が動き、息をしているだけの生をのぞんだりはしていない。

 心臓を貫かれる。元に戻る。化け物と呼ばれる。声から逃げる。

 首を刎ねられる。元に戻る。化け物と呼ばれる。人から逃げる。

 業火に焼かれる。元に戻る。化け物と呼ばれる。魔から逃げる。

 ずっと、その繰り返し。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。それで侮られたとしても、恐怖の視線を浴びるよりもマシで、ただ逃げる。相手を追いかけられないようにして、殺した時の復讐が怖くて契約をして、人の憎しみから逃げて。『私』が吸血鬼であるという現実から逃れるように、人だと言ってごまかして。

 私は、バケモノじゃない。

 人に恐怖を与えるモノをバケモノと呼ぶのなら、そうして生きてきた『私』、正しくはエヴァンジェリンという存在は人々にとって、バケモノのように見られることは無くなった。だからこそ多種族の居る独立都市でようやく安息することができたのだ。

 学んで知識をつけて、貢献することによって居てもいいという許可を受け、そうして存在してきた。それでもそうなるよりも先に、すでに自分の進む道考えて決めてはいたのだ。

 『私』にとって、生きるとは何か。小さな幸せにすがっていれば人は生きられる。なら、『私』と行く存在は、そうして生きることはできるのか。化け物がそんな不確かなものにすがって生きることができるのか。どこにでも転がっている様な、些細な平穏。それが、何よりも尊いものであり、どこまでも遠い。

 だからこそ、その時点で『私』の生き方は決まったのだ。

 

 

「おや、起きてしまいましたか」

 

 

 耳障りの悪い声に、エヴァンジェリンはゆっくりと目を開いた。鈍い痛みが四肢の先から感じられ、昔貼り付けにされたときの痛みと似ているため、寝かされ杭でも打たれているのだろうと、回らない頭が想像した。眠りの霧によって無理やり眠らされた不快感は変わらず、銀の杭が発する痛みに顔をしかめる。

 クロフトと名乗った吸血鬼は反応が無いことを確認すると、顔に張り付けた笑顔を無表情へと戻し、周りに待機した魔法使いへと指示を飛ばした。すでに半吸血鬼として、己が手足の様に使っているその魔法使いたちに自己など無い。エヴァンジェリンを中心にして魔方陣が描かれており、合唱にも似た詠唱が辺りへと響き渡った。

 

「安心して下さい、痛みなどありません」

 

 そう言う男の声が、どこか白々しく聞こえる。

 

「(ああ、どうしてこうなったんだっけ)」

 

 上手く思考ができない。薬でも打ったように意識がふわふわとしている。

 なんの儀式を行っているのかは分からない。ただ、このままだとまずいな、と。他人事のように考える。手も足も動かず、できることが何もないと分かると、達観したように溜息を吐き出した。

 初めて訪れる肉体ではなく魂の死という現実に、恐れる気持ちはある。だが、死を実感しているからこそ、今までの現実が本物に感じることができた。今の自分の様子から、セランとササムは間に合わなかったのだろう。おそらく、これを諦めと呼ぶ。自業自得であり、誰かがこの目の前の男を殺すだろうことは、想像に難しくない。せいぜい抵抗してやろう。そう考えてエヴァンジェリンは再び目を閉じた。

 

「くっ……あ……」

 

 大量の魔力が辺りを包みこむ。魂が身体から引きはがされると言う実感が、身体から生皮を剥ぐ様な痛みにも似ており、思わず苦痛の声を上げる。大量の魔力が膨れ上がり、魔方陣へと注ぎ込まれ魔法を完成させていく。魂自体を抽出して、結晶化させる術だろう。その魔法について知識のみ知っていたたが、対策と呼べるものがあるわけがない。

 こういう時、走馬灯でも流れれば、悲劇のヒロインとしては上等な部類に入るのだろう。だが、『私』という存在は、そんな綺麗なものに成ることなどできない。

 悲鳴は声にならず、その痛みと恐怖に、ただ心の中で絶叫が響き渡るのみだった。

 

「(いやだ! いやだ! いやだ!)」

 

 心の中でどこまでも足掻く。諦めていた、そんな形だけの覚悟に、本当に迫る死への恐怖は容赦なくそれらを打ち砕く。どこまでも醜く、生き足掻く。もしも正史の通り進んだ世界のエヴァンジェリンが彼女を見たとしたら、容赦なくその醜さに嫌悪し、滅ぼしているだろう。

 魔法をレジストし、少しでも痛みが和らぐよう無意識のうちに体が反応する。ほんの数分数秒、この世界から消えるだろう。それは明確に彼女に迫る死だ。

 

 

「(死にたくない、死にたくない! 私は――――)」

 

 

 生きることに満足なんて存在しない。どこかの神様が『私』へと言った言葉だ。だから死へと納得できるかどうかが、死を受け入れる者と受け入れられない者を隔てる。

 もう何百年も生きた、友と呼べる者達もできた。もういいだろう。

 そう納得できるだけの人生を送ってきたという自負はある。だけど、それなら『私』という存在は何のために生きてきた? 成し遂げなければならないことが在った。だからこそ『生きて』いけた。それを成すまで、納得できるはずがない。

ただもがく、頭にがんがんと響き渡る詠唱がやかましく、逆にそれのおかげで意識を世界に残すことができた。

 

 はやく、きて。

 

 

 

 不意に、痛みが和らいだ。

 

 

 ぽーん、という気の抜けた音が聞こえたような気がした。放物線を描いて飛んでいくその球体の何かは、ぼたぼたと何か液体状のものをこぼしながら転がった。儀式のための詠唱以外の魔法の詠唱と、悲鳴が辺りに響き渡る。その声が大きくなるにつれて、身体にかかる負荷が軽くなっていくのが分かった。そうしてようやく落ち着きを取り戻して、息を吐く。息を吐ける、ということはまだ死んではいないのだろう。

 悲鳴怒声が響き渡るも、それが鳴りやむ様子は無い。仰向けに寝かされているため見えるのは空だけだ。周りの様子を調べることができない。

 誰かが『私』へと駆けより、銀の剣を首元へと向けた。黒い甲冑を身に纏ったその存在は、MMの兵士の正装とよく似ている。その何者かへと向けた人質のつもりだろうか。まだ、頭が回らず、何が起きているのかはっきりと理解することができない。

 まばたきする間にその兵士の兜が飛んだ。しかしその兵士はまるデュラハンの様に鎧だけで、兜の下に在った筈の頭が無い。そして動くことを思い出したように、その身体は地面へと崩れ落ちた。

 

 同時に、四肢に刺されていた杭が引っこ抜かれる。ずるり、という痛みに悲鳴を上げたのもつかの間、それを行った者の服装を見て思わず口を噤ませた。

 その姿は、血まみれだった。黒い着物の上に膝当、小手などの防具を身に纏い、赤いブルゾンが血に塗れて赤黒くなっている。そして手にある大太刀は、多くの人間を斬ったにもかかわらず、鈍く光る刀身を表していた。

 ああ、いつも自分が見ている背中だった。最も安心できる場所であり、最愛の友人であると言える者の姿だった。

 

「おい、まだ生きているかご主人」

 

「……ばかぁ、遅いだろうがササム!」

 

 視界が涙で滲む、恐怖からの解放による安堵と、来てくれたと言う事実への喜び。それらが涙となって頬を伝って流れ落ちた。

 一瞬だけ目を合わせて自分の主の無事を確認すると、辺りに散らばる何かを蹴り飛ばす。それは、首だった。フードをかぶせた者、兜を持つもの、男、女、関係なくあたりに転がっている。

 ひっ、という小さい悲鳴が響く。エヴァンジェリンにとって生首は、ササムが近くに居たこともあり、見慣れた物ではあった。しかし、其処に在るのは何十何百という死体だった。それを作り出したのが自分の従者であり、心臓に痛みを感じた。ただの偽善であると理解している。自分がまだ生きているという事実の方が嬉しかったのだから。そうだったとしても悼まずにはいられなかった。

 そしてその惨劇を作り出した張本人は涼しい顔をして、目の前の魔と対峙する。

 

 

「……成程成程、それが貴方の従者でしたか、キティ? 現実世界の者ですか……随分と暴れましたね。どれもこれも首を一閃とは、感動すら覚えてしまいますよ」

 

 クロフトはその光景に思わず拍手する。この場所に居る兵士や村人は、クロフト自身が半吸血鬼とした人形たちであったが、生きている人間には変わりないのだ。確かに障害になるだろう、立ちふさがるだろう。それを、首を刎ね飛ばすという容赦のない方法で殺したのだ。魔法世界では、立派な魔法使い、という在り方がどんな者にも存在している。その在り方とは全く反対の、悪の在り方にクロフトは感動していたのだ。

 動揺する衛士たちをすぐさま操り人形へと戻し、広場を囲むように配置する。目の前の剣士を止められるようなものは、兵士の中に居ないだろう。また、片づけてからまた儀式を開始するためにも、魔法使いを何人か残さなければならない。

 ほんの少し気を緩めたその一瞬、ササムの姿が消えてクロフトの目の前に現れる。斬岩剣、そう呟いた上段からの太刀筋を避けきることは叶わず、腕が宙に舞う。そして舞った腕は空中で数体の蝙蝠へと変わり、転移したクロフトの腕へと集まった。

 

「良い太刀筋ですね。首を狙ったものだったのでしょうが、聊か貴方は吸血鬼という者を甘く見ている」

 

 唱えたのは呪文、高速で唱えられたそれは千数体の中位である闇の精霊の同時行使であり、分身となって造られたデコイは圧倒的な物量となってササムへと降り注がれた。まるで黒いドーム状になって固まるデコイたちを、一筋の光が吹き飛ばす。

 

「神鳴流奥義、百花繚乱」

 

 それは太刀筋だった。神鳴流奥義である、百花繚乱。その太刀筋が数千と居た中位の精霊たちを斬り飛ばす。そして向かったのは同時に向かったのは、波状となって飛来する斬魔剣だった。すんでのところでクロフトはそれを避け、肩に大太刀を背負い接近するササムを止めようと魔法障壁を張り、直感だけで身体を動かしでその斬撃を防御から回避へと移った。

 

「ああ、人間を甘く見るなよ吸血鬼」

 

 斬魔剣、弐の太刀。魔力障壁を無かったかのように通り抜けたその斬撃は、回避し損ねたクロフトの右手首を刎ね飛ばした。クロフトは地面が砕ける程踏みしめてササムを蹴り飛ばし、それの勢いを殺し流し切れないと見たササムは、勢いを殺すために後ろへと飛んだ。それと同時に行使したのは魔法だった。

 

「来たれ深淵の闇、燃え盛る大剣、闇と影と憎悪と破壊、復讐の大焔!」

 

 炎系最大呪文であるそれを、クロフトはササムの飛来する剣閃を避けながら唱える。

 同時に発動したのは遅延魔法による罠型の魔法だった。ササムの真下に魔方陣が現れ、それを一瞬で斬り捨てる。呪文の範囲は広く、エヴァンジェリンを巻き込んでササムを捕捉するだろう。発動するよりも早く斬り捨てるか、それとも守るべきか。

 後者を判断したササムは独鈷をエヴァンジェリンの四方に刺し、呪符を用いて結界を発動する。四天結界、独鈷錬殻、四角錘型の結界をエヴァンジェリンの周りに張ると、魔法を発動しようとしているクロフトへと剣を構える。

 

「我を焼け、彼を焼け、そはただ焼き尽くす者! 奈落の業火!」

 

 それはまるで炎の嵐だった。対軍魔法である奈落の業火は、たった一人のために局地的に燃え盛り、その身を焼いた。数十秒その嵐は続いただろうか。下手なドラゴンであるのなら、瀕死にさせるその威力は大地を焦し、辺りに会ったはずの死体の骨すら残ってはいない。

 だがその中に残されている者が二つ、一つが唖然とした表情で座り込んでいるエヴァンジェリン。そして、衣装などが燃えつつも確かに大地に立って剣を構えるササムだった。

 

「ほう、あれを喰らって生きているのですか」

 

 最高位の魔法に対してササムは、ただ斬った。術式を乱しその勢いを斬撃によって減らし、放出する気で耐えたのだ。

 所々に火傷は負っている。しかし致命傷ではなく、息も上がってはいない。クロフトも余裕であったが、面倒だと感じていた。

 

「なぜ貴方は彼女を護るのですかな? 変わる、とは言っても魂だけです。その頭の中身も何もかも、変わるものはないのですよ?」

 

 クロフトは確かにエヴァンジェリンの身体が欲しいとは言った。しかし、それは身体を奪って脳を移植するわけでもない。ただ、魂をその器に映すだけの事だ。

 クロフトは半端ながらも吸血鬼へと至り、アリアドネーで活動しているエヴァンジェリンの姿を見た。よりにもよって存在すらしていない魔法世界の者と戯れ、悟りきった人間のように、小さな幸せとやらを求めて生きていた。それに、絶望した。

 

 そんなことのために、創造主は貴女を高位の存在へと変えたのではない。

 

 本来あるべき才を無駄なことに潰していく様を見届けることは苦痛だった。才が無く至れなかった自分はさらにその存在に憧れ憎悪する。だからこそクロフトは思ったのだ。真祖の吸血鬼という存在は、憎まれて当たり前のだと。

 創造主という絶対なる力を持ったその存在は、正しくクロフトにとっては神だ。だからその使徒たる者達の研究を行い、献上した。そのために執政官などという立場に、何度も顔を変え年齢を詐称し上り詰めたのだ。その完成態であるエヴァンジェリンが、どうしてあんなにもくだらない存在に成り下がっている。

 だから、考えたのだ。それなら、クロフトという存在がエヴァンジェリンへと成ればいい。

 

「ほんの少し、考え方が変わっただけのエヴァンジェリンという存在ができるだけです。クロフトという魂も変質するでしょうが、その身体に居る魂よりはよほどましだ」

 

 そう、エヴァンジェリンへと成ってしまえば、キャメロン・クロフトという立場は不要のものとなる。だからこそ、国を傾けようがどうなろうがどうでもよかったのだ。

 その結果、魂は同一の者であったとしても、クロフトという存在は消える。頭の中にある知識も思考も違う。ただ、方向性が変わるだけだ。それでも、エヴァンジェリンの中にいる者よりは、創造主のためになるだろう。

 

「ああ、それともその身体に恋慕か欲情でも抱きましたか? それなら構いませんよ。変わるのは魂だけですから。外見上の変化は全くありません」

 

「…………」

 

 クロフトは自分の言葉に何の反応も示さないササムに、違和感を覚える。口に出していたのは苛立ちも込めた挑発であり、相手が欲望のみに従う者ならば、それは誘いにもなるだろう。だが、ササムは剣を構え動かない。立ったまま死んでいるわけではなく、クロフトも言葉に詰まる。

 そして、場違いな笑い声が響き渡る。

 それはササムのものだった。クロフトの言った言葉がおかしくてたまらないと言うように笑う。

 瞬間、ササムがクロフトへと接近する。神鳴流、斬魔剣。払い、薙ぎ、抑え、打つ。接近での攻防の最中、クロフトはササムの表情を見た。口元を吊り上げ、ササムは狂人のように笑っている。

 

「なぁ、テメェは魔だろう? だったら斬らせろ。その首を俺に此処で刈らせろぉ!」

 

 信念もある、エヴァンジェリンという存在について考えることもある。だが、それ以前の問題だ。目の前に居るのは極上の魔だ。それを、斬らない理由が存在しない。

 恋慕? 確かに抱いていた。 愛? 確かに存在していた。欲情? あんなに良い女に欲情しない男が居るものか。だが、そんなものはとっくに通り過ぎて、従者としての確立された思いはササムの中にある。

 ササムはエヴァンジェリンの従者だ。それが姿形のみに惹かれて行動を起こすほど、幼稚な存在であるわけでもない。

 己の欲望のために、今この場所で多くの人間を殺したササムという存在は、間違いなく斬られるべき悪だろう。ただ歪んでいるだけなのだ。

 

 

――――――

 

 真祖の吸血鬼とはいえ、その力を行使しなければ姿かたちは人そのものだ。だからこそその本質さえ見せなければ人と共に暮らすこともできる。ただ、異質である物を排除することは変わらないのだが。

 友を得ることができた。共にくだらないことで笑い、喜べる者達がいた。別れを惜しみ、泣く者達と出会ってきた。それは、『私』という存在が知っている人としての当たり前であるが、幸せな日常と呼べるものだった。それは、すぐに壊れていく。ただ、この躰が真祖の吸血鬼であると言う理由だけで。

 エヴァンジェリンという存在は、それを共に存在していたとしても共に歩むことはできなかった。不老不死とはそういうモノだ。止まった存在であるからこそ、共に歳をとり、その変化を感じることができない。死ぬことができないのだから、死に納得することなどできず歩き続けるしかない。自分は化け物であると納得して歩む道は、ずっと一人の孤独の道だ。それを歩めるほど、『私』は強くはなかった。

 だからこそ自分は人でありたいと、そう言いながら生きてきた。憎まれるべき化け物ではない、悪ではないと、そう周りに言って生きてきた。悪という道へ一歩でも歩けば、自分は人だと言っていた自分へと戻れないような気がしていたのだ。

 

 私が生に求めていたのは、ただ当たり前の日常であったはずなのに。

 

 普通に生きて、普通に笑って、普通に愛して、普通に死んでいく。そんな当たり前を、不老不死という存在は邪魔をする。当たり前だ、自分がどんなに人であると言っても、真祖の吸血鬼という存在は、人から見ればまさしく化け物だから。

 そう思っていたからこそ、理解したのだ。何よりも簡単だった。なぜ思いつかなかったのか。化け物だからこそ、『私』という存在は人と共に歩めない。

 

 それなら、人に成ればいい。心だけではない、肉体も、だ。

 

 さまざまな叡智を漁った。遺失呪文が在ると思われる遺跡が在れば訪れた。研究の成果は全てその副次的なものだ。

 不老不死という存在が、人に成れないと誰が決めた。無理だと言った者は試してみたことがあるのか? 絶対にないと、神でもない、現世に存在している存在が、どうして決めつけることができる。

 それは、『私』という存在がエヴァンジェリンとして生きる実感であり、理由となった。情けない、後ろ向きな考えだったとしても、逃げ続けているとしても、芯にあるそれだけは信念だ。

 だからこそ、悪にはならない。それを違えば自分は肉体的に人となっても、自分が人であると認められない。他の誰でもなく、自分のために他者を害し、殺す。それを成すことは無いと考えていたはずだった。

 

――――

 

 

『ささむ、とはどう書くのだ?』

 

 それは特に何かあるわけでもない、研究の休憩中でササムとエヴァンジェリンが二人でお茶会を開いていたとき、エヴァンジェリンが問いかけたものだった。

 何を突然、と思いつつも自分の名前を漢字で紙に書き込んだ。魔法世界はアルファベットを中心に使われているため、漢字は殆ど忘れたに等しいが、自分の名前の漢字は覚えている。『テメェに出す茶なんて出がらし茶だって無ぇよ!』と、吐き捨てた団子屋の店主に適当に決められた名前であっても、何年もエヴァンジェリンに呼ばれてきた名なのだから、いい加減愛着というものもある。ほー、と暫くその漢字を見ていたエヴァンジェリンだが、ふっと笑ってササムに向き直る。

 

『なんとも貧相な漢字だ。よしササム、私が直々に貴様の名前をつけてやろう! 愛称というやつだ。はっはっは、たまには主人らしいこともしなければな! そうだな……』

 

 エヴァンジェリンは洋服や人形劇の人形など、様々なデザインについては素晴らしいセンスを持っている。しかし、ササムの表情は人参とピーマンを前にした子供の様に苦々しかった。悲しむべきは、自分の主人の命名のセンスか。闇き夜の型は、セランが改名しなければ憑依合体魔法超!だったのだから。

 

『やめてくれご主人。こう見えても俺の名前は40年程度は使っているんだ。その、なんだ、そのセンスの名前……いや、なんでもない』

 

『……言いたいことが在るのならはっきり言え。許してやる』

 

『俺のご主人はどうしてこんなに命名のセンスが無いんだ?』

 

『貴様ァどうしてはっきり言った! 日本人だろう!? もっと謙虚に私に尊敬しながら婉曲して言え!』

 

 猫の様に襲いかかろうとするエヴァンジェリンに、ササムは手を伸ばして顔を押さえつけて溜息を吐く。手の長さゆえに届かず暴れているのを見れば、保護者に刃向う子供の様に見える。もっとも、二人とも分かっていてこのような態度なのだが。

 

『それで、なんて名づけるつもりだったんだ? 安直にササナシなんて言ったら俺は溜息を吐くぞ』

 

『ななな、そんなわけないだろう! えっとだな……』

 

 そういってエヴァンジェリンは自信満々で名前を言った。しかし悪いとは思わなかった。つけようとした名前は正直なところ自分が使うのは御免だったが、考えた分だけ微笑ましく感じる。テメェの人形にでも名付けてやれ、と。笑うササムにエヴァンジェリンは顔を赤くして憤る。そして互いに可笑しくなって笑うのだ。

 

 それは、『私』という存在が最も望んだ、当たり前で幸せな日常の1ページだった。

 

 

 

 

 

『チャチャゼロ、っていうのはどうだ?』

 

 

 

 そう、自分のご主人はあのときそう言った。

 

 

 

「成程な、これが、人の力ですか」

 

 

 初めに奈落の業火を放ってから何分立ったのだろうか。

 その身体はボロボロであった。様々な傷がついて衣服は既に服としての態を為していない。背中からは心臓を貫通して何かが飛び出している。

 感心したような口調はどこか穏やかであり、納得すら感じられる。

 

 

「私はまだ至ってはいない。吸血鬼とは言え未熟なものでしょう」

 

 

 重なった二つの影はクロフトとササムのものだ。クロフトへ何かを突き刺した姿勢のまま、その身体は動かない。

 対してササムは黙ったままだ。身動き一つすらせず動かない。

 辺りに訪れていたのは静粛だった。最高位の魔法の余波や、神鳴流の奥義によって破壊された周囲には、クロフトが後ろに下げていたはずの兵士たちも巻き込まれて転がっていた。

 その中に、月に照らされ鈍く光る何かがあった。

 

 

「あぁ、確かに言った通りだった」

 

 

 それは物語の挿絵のようにも見えた。捕らわれた姫を助け出した騎士は、最後に攫った悪魔と対峙して、心臓に剣を突き刺して終わる。悪魔はそんな騎士を称え、騎士は姫と共に国へと帰り、結婚する。

 そんな物語であるのなら、今現在の風景を模写すれば挿絵にそのまま使えるかもしれない。辺り一面を破壊されたにもかかわらず、静かなこの光景は、一種の芸術の様にも感じられた。

 

 

 

「吸血鬼というものを甘く見るな、『人間』」

 

 

 ぞぶり、という音と共に、クロフトはササムの心臓を抉った腕を引き抜いた。

 

 所詮それは何もかもが幸せな物語だ。どうしようもなく辛い現実に、そんなものは存在しない。

 鈍く光る何かが月の光によって姿を現す。それはササムの使っていた大太刀だった。名刀であったそれも、長年付き合っていたためか、それとも許容量を超えたぶつかり合いのためか、最後の最後で折れたのだった。

 動揺は無かった。それでも無手で吸血鬼と戦うことは叶わず、仮契約でのアーティファクトを呼ぶ隙もない。だからこそ懐に潜り込んだことも勝算が無かったわけではない。何かを砕く手ごたえはあった。だが、一歩だけ及ばずその前に心臓を潰されたのだ。

 

 ああなるほど、さっきの光景は走馬灯か。

 

 

「……ささ、む?」

 

 

 唖然とした声が辺りに響き渡る。崩れ落ちた体の中心に穴が開き、大地を赤く染めている。生命がすべて持っているはずの、強大な気を持っていたはずのササムの身体は、今は何も発していない。

 『世界はいつだってそんなもの。いくつかの偶然によって個など消えていく』

 エヴァンジェリンは知っているはずだった。その言葉は、この世界に来る前に、神とも呼べる存在から聞いた言葉なのだから。だから当然だ、ほんの些細な偶然によって、人などという脆弱な存在は死んでいく。

 どうしてササムの背中から血の花が咲いた? どうしてササムは、大地を地に染めて倒れ伏せている。いつも平気な顔をして、相手の首を刈って終わっただろう。

 

どうして、死んでいる?

 

 

「あっ……ぁぁぁぁぁああああああああああぁああ!!!!」

 

 

 魔力の塊が爆発し、衝撃波を辺りへとまき散らした。ギアスによって抑制されているにも関わらず無理やり魔力行使したために、腕が耐え切れずに千切れ吹き飛んだ。それも、吸血鬼という肉体が勝手に再生を始めている。

 異様な光景だった。クロフトは確かに鵬法璽でエヴァンジェリンという魂を縛り付けたはずだった。だが、現実にエヴァンジェリンは魔力を行使している。

 懐から鵬法璽を取り出しその形状を見た。ササムが刃の存在しない柄で砕いたものがそれであり、形状が崩れていたことにクラフトは舌打ちをする。魂を剥離しようとしたとき、その契約のつながりが薄くなり、外的要因の衝撃がそのとどめとなったのだろう。契約自体は続いていても、その強制力が少ない。

 

 

「……きさま、しね」

 

 

 それは、明確な殺意だった。自分のために誰かを殺すことを嫌悪する、それを信念としていたはずの彼女は、それでも目の前の男を殺そうと考えた。

 契約によって強制されているため、出力は少ない。それでも力を向けることはできる。断罪の剣を手に造り、ゆらりと幽鬼のようにエヴァンジェリンは佇んだ。

 なにもかも、自分の信念だったものや我儘がもたらした現実だった。だからこそ、今のエヴァンジェリンが抱いていたはずの信念と呼べるものは何もなかった。自分の復讐という欲望のために、目の前の存在を殺す。ただの、悪へと成り下がった。

 ただ、この身を真祖の吸血鬼という存在に落とした存在がそこにいる。たった今、ササムを殺した存在がそこにいる。殺す理由ならそれだけでいい。大義名分も何もかも必要ない。

 

 クロフトはその光景に思わず笑った。鳥肌が立ち、ギアスによって制限されているにもかかわらず、その魔力の圧力に押しつぶされそうだ。人と戯れ何も知らぬ少女のように過ごす真祖の吸血鬼など、そこには存在しない。

 それこそ、真祖の吸血鬼として相応しい。クロフトが憧れ恐怖した、真祖の吸血鬼とはそういうモノだ。どこまでも遠く、届くことの無い物だからこそ、嫉妬したのだから。

 黒い魔力の塊で作り出した大剣を手に作り出して相対する。目の前に居るのは間違いなく、バケモノだ。それによって今クロフトという存在は押しつぶされようとしている。

 

「そうだ! 私が真祖の吸血鬼に求めたのは、その姿だ! ああ、感動だよキティ。その姿に私は憧れたのだから! さぁ、互いに―――――」

 

 

 

 

「来たれ。 斬魔剣、弐の太刀」

 

 

 

 ざん、という音が辺りに響き渡る。その瞬間、クロフトの視界が揺れる。姿勢を直そうと力を入れてみても、足に力は入らない。

 ゆっくりと体が何かからずれ落ちていくのを感じた。下半身が崩れ、クロフトは倒れたことを理解する。そしてその勢いのまま、上半身は地面へと転がった。

 歯牙にもかけていなかった。その人間は確かに、心臓を無くし死滅していたのだから。考えるわけがなかった。

 

 

「……ササム?」

 

「馬鹿やっているんじゃねぇぞ、ご主人」

 

 

 ササムの口からは大量の血が溢れ、零れている。潰された心臓など論外だ。その布が白であったのなら、白い部分を探すことが困難なほど、血に染められている。

 手に存在しているのは赤い刀だった。エヴァンジェリンを殺したいと願った従者が、自らを殺したいと願った主との仮契約によって発生したものだ。それが、不死者を殺すための道具でないはずがない。

 ならば初めからその刀を使っていれば結果は変わったのだろうか。最も手になじんだ武器を使うと言う選択肢に間違いはなく、そもそもこのアーティファクトは出現したばかりであり、不確定要素に頼るつもりもなかった。だが武器が壊れ、使うことが最善だったと分かってしまった。それもまた運命というやつか、と。ササムは口元だけで笑った。

 

「なぜ、貴様、が」

 

「黙れ」

 

 再生は行われず、ただ唖然としたようにクロフトはササムを見上げた。倒れ伏すクロフトの心臓を刀で一度突き刺すと、そのままクロフトの頭を刎ねた。無論、気の込められた太刀は神鳴流のものである。

 そんな状態で、気など練れるわけがない。そんな常識を、ササムは笑う。心臓が無い、だからなんだ。気を巡らせろ、無理やりでいい血流を動かせ、足りないのなら、魂使ってでもいいから身体を動かせ。

 

 

「テメェも俺も、悪であり魔だ。滅ぼされるのが道理だろうが」

 

 

 だからこそ、こうして自分は滅びようとしている。

 悪であろうと決めた。彼女ただ一人を護りたいという欲求、目的のために犠牲者となる他人を斬り殺した。ならば今更復讐という、彼女自身のための殺しという悪を、背負わせてたまるものか。

 彼女は人に成ろうとした。だからこそ、ただの化け物に成り下がることから抗った。彼女自身の基準の悪を、決して踏み入れないようにしていたのだ。

 それなら俺はその信念を、生きようともがく彼女(ヒト)を護ろう。彼女が自らを悪でないと証明するのなら、彼女を護るために喜んでそこへついて行こう。その結果、自分が悪と呼ばれようが、魔となる者を斬り伏せよう。

 バケモノとヒトが共に歩めることなど無い。ならば、ササム(バケモノ)は、その少し先を歩いて障害を斬り殺す。彼女が、決して悪へと成らぬように、バケモノへと成らぬよう。それが、エヴァンジェリンの従者である自分が決めた在り方だった。そしてその思いが身体を動かしたのだ。

 結局それができたのは最後だけだが、と。皮肉気に笑って、何か声に出そうとするクロフトの生首を見下ろした。そして刀を振り上げると、その頭を真っ二つに断ち切った。それで、クロフトという存在は二度と動かなくなった。ただそれを見下ろして吐き捨てる。

 

 

「その覚悟の無ぇ三流だったなら、さっさと地べたに這いつくばって死にやがれ」

 

 

 それが、ササムの限界だった。

 倒れ伏す身体を誰かが支えた。涙をこぼしながら、何か叫んでいる。どこまでもお人好しで在り方を貫いていた主人に、笑顔を見せる。そうしたつもりであったが、表情は何も動かない。

 

 

「しゃんとしろ、ご主人」

 

 

 それは最後の言葉だ。それ以上声の一つすら、もう出すことは出来なくなっていた。言わなければならないことは在った筈なのに、それが声になって出てこない。まぁ、それはセランに任せるか、と。ササムは感情だけでも喜を見せようとした。

 何かが抜けていくような気がした。それが、身体から剥離していく魂だと、気が付くことは無かった。

 

 

 

「――――――え?」

 

 

 

 呆気にとられたような声が静粛の中に響き渡る。

 大量の死体に囲まれ、憎いと思った存在は既に灰になり、愛しいとさえ思った者の亡骸を抱え、エヴァンジェリンはただ、そう呟いた。




正直この小説、色々伏線はって、実はこの人〇〇っていうのをやりたかっただけです。因みに漢字だと茶々無と書きます。
オリキャラ? いいえ魔改造です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。