エヴァンジェリンに憑依した人の日記   作:作者さん

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二章を改訂して同日に幾つか投下しているので、初めから読んでいただけると助かります。


4/砂漠の街での日記

『18××年

 

 特に書くことは無し。ゼクトとチャチャゼロが相変わらず仲が良くて、ちょっとだけ疎外感を感じたのは私だけの秘密だ。

 次の目的地はヘカテスと、その周辺の遺跡群だ。ヘラス帝国周辺にはアリアドネーを出てからさんざん行っていたので、趣向を変えて其方へとのんびり旅をしていた。ダンジョンが在ったり闘技場があったりと、グラニクスの方面は何かと面白い。旅行をしてのんびりするのなら別の場所だが、楽しみに行くのならグラニクスをお勧めしよう。闘技場は、見ている分には面白いのだから。特にチャチャゼロが静かになる。戦闘狂め……

 逆にゼクトの社会復帰計画、はっじまるよー。迷子の仔猫さん(猫の獣人)を犬のお巡りさん(犬の獣人の警備兵)に届けていた。感謝されて照れているのを見るのは正直初めてで衝撃的なんだが。

なんか最近は物騒なこともあまり言わなくなった。何なんだアイツは。最近浮き沈みがやけに激しい。かと思えばのんびりと寝転がって日向ぼっこしおって。のんきなものだ。……やけに気持ちよさそうだった。吸血鬼であるから、日光は不快感しかないのが残念だ。』

 

『18××年

 

 ヘカテスでいろいろ買い物中。遺跡にはいるのにもいろいろ許可がいるため、しばらく滞在することに。荒くれ者たちの町と言わんばかりに騒がしい街であるが、活気であることは確かだ。

 が、熱い。暑いし熱い。ぎんぎらぎんの日差しは吸血鬼にとっては拷問以外の何物でもないぞ。いや、わりと克服したけど辛い物は辛いのだ。途中で気絶してしまい、ゼクトに運んでもらったらしい。目が覚めたのは奴の背中の上だった。ここで背負っている女性を重いだなんだと言うようなやつではないため、起きてはいたが寝床まで運んでもらおうと寝たふりをする。

 途中ですっころんで頭から打ち付けられるとか誰が考えるんだ。チャチャゼロ大爆笑。魔法球の中に行こうぜ…久しぶりに…キレちまったよ。ちょ、やめろ。神鳴流っぽい技使うな。痛いんだよそれ。

 建築物を破壊され続け、悲しみを背負っていた自動人形がついにキレた。こつこつと作成していた魔法銃で一斉掃射、次に水上でやらなかったら吹き飛ばします、と言われてしまった。ちょ、まて、私マスター。おい、誰を狙ってるふざけるなー!! チャチャゼロ、キサマー!!

 ゼクトに救出された。湖にふっとばされてどざえもんしていた私をあきれ顔で救出した時と言ったらもう。あかん、恥ずかしいにもほどがある。』

 

 

――――

 

 

 そこは遺跡発掘者たちが集うヘカテスと呼ばれる街であった。周りが砂漠であり、荒くれ者の多いその都市である。しかしダンジョンも近くに在り、さらに拳闘士の大規模な大会が、この近くのグラニクスで行われる。その見物客や闘士もこの町を訪れるため市場は栄えている。人、亜人、妖精など種族に関係なく、その街では様々な種族が集まっている。冒険者なども多く立ち寄る場所であり、この風景は当たり前なのだろう。

 エヴァンジェリンはそんな街へと訪れていた。研究について進展があるわけでもなく、しかしこの辺りでも巡っていない遺跡も少なくは無い。また訪れるたびに内装が変わる、というどこかで聞いたことのあるようなダンジョンもあるため、目的としてここに訪れるのは悪くは無い。数日間滞在していて遺跡に訪れる予定もたてたので、今日は日が暮れたが明日にはそろそろ街を出ようと考えていた。少し視線を逸らせば、怒声罵声が聞こえてきた。映像を映し出す水晶によって流されていた試合の結果で言い争いになり、喧嘩が始まったようだ。互いに感情を出しあい、ぶつけ合っている。

 

「やれやれ、どうにも浮き立った街だな。む、林檎か……ゼクトが好きだったし食わせるか。あ、おばちゃん林檎の袋もだ」

 

 はいよお嬢ちゃん! という景気の良い声が店の奥から帰ってくる。エヴァンジェリンが来ていたのは市場の果物屋であり、砂漠地帯であるヘカテスでは瑞々しい果物は、そこそこ高価な品の部類に入る。一つは自分、もう一つはチャチャゼロ、それにゼクトのものだ。

 とはいえチャチャゼロはそれよりも町の喧噪の方が気になっているようで、エヴァンジェリンの頭の上で、仰向けになって果物屋と反対方向を向いていた。

 渡された林檎を抱えるように持っていた紙袋へと入れると、他に買うべきものは無いか考え、無いことを確認してから市場を去る。砂漠で少女姿の時の自分の衣服も買った。ゼクトの分も買ってあり、地味ではあるが好みに合わせた物を買ったつもりだ。

 

「オイ御主人? 俺様マダ試合見テッカラチョット待テ」

 

「待たん。ゼクトを待たせているんだ、さっさと行くぞ」

 

チャチャゼロが路上試合を見れず、抗議する様に頭の上で叩いていたが、それを無視して歩みを進めていた。

 女性の買い物は長い、と言うがそれはエヴァンジェリンにも当てはまり、ゼクトを放置して買い物に出かけてから長い時間待たせている。そのことについて申し訳ないとは多少は思っていたため、少しだけ歩幅を上げていた。

 そして入ってくるのは街の光景だった。ヘカテスと言う街は治安が良い場所であるとは言い難い。あちらこちらで起こる喧嘩や、酒場から吹っ飛んで気絶している男などを見ても、安全な街ではないと分かるだろう。それでもこの街には、感情が溢れていた。

 

「相変わらず喧しい街だ。夜も近いのだから少しは黙らんのだろうか」

 

「火事ト喧嘩ハ何トヤラ、ダ。盛ンデイイジャネェカ。俺ハ嫌ジャネェゾ」

 

 怒声が響く。笑い声が響く。哀愁の声が響く。しかしそこには確かに現実と言う重みが在った。だからこそエヴァンジェリンは考えていた。自分の旅の同行者でもある人物が、どうしてこんなにもこの光景を意味のない物だと言うのか。

 

「オーイ御主人、チョットイイカ?」

 

「ん? どうしたチャチャゼロ?」

 

 べしべしと頭の上で、小さな掌を使い叩きながらチャチャゼロは尋ねる。歩みは止めることは無かったが、エヴァンジェリンはそのままその先を促した。

 

「ナンデ御主人、アノジジイヲ何時マデモ連レテイルンダ? 惚レタカ?」

 

「はぁ? 何をトチ狂ったことを言っている」

 

 怪訝な声でエヴァンジェリンはチャチャゼロに返す。

 そもそもゼクトと自分が惚れた腫れたの関係に成ることが想像できない。想像したことも無かったのだ。チャチャゼロからしてみれば、どう考えてもエヴァンジェリンにとって得にもならない相手と共に居て、今に至っては相手の好みのものを買って行っているのだ。気でもあるのかと考えるのも無理はない。

 

「……まぁ、情が移ったことは否定しないさ」

 

 ぼやく様にエヴァンジェリンは呟いた。

ゼクトについては思うところが在った。彼はエヴァンジェリンと同じく、不老という存在である。もう八年は共に旅をしているが、老いることが無いのがその証拠でもある。だからこそ、エヴァンジェリンは思うのだ。

 

「私達のような人外が抱くのは、開き直るか足掻くかのどちらかだ。その、なんだ? 押し付けがましいことは分かっているが、心配でな……」

 

 彼は、どの道を行くのだろうか。自分は人間ではないから、と言って開き成るのは孤独の道だ。それを悪しき物だと言うつもりは無い。だが、その道をエヴァンジェリンは自分では歩めないと知っているからこそ、ゼクトも同じように歩んでは欲しくは無かった。

 彼の記憶が元に戻る様子は無い。だからこそ生き方も何もかも、一旦全てリセットされてしまっている。恐らく、過去に彼が決めた生き方までも忘れているのだろう。

 結局それを決めるのは本人だ。死なない限り永遠を生きる存在にとって、生き方とは信念だ。そしてそれを決めるまでが、一番辛い時間であることを彼女は知っている。

 

「……私のときは周りに誰もいなかったからな。恐らく奴も同じだ。だから一人ぐらい、どう生きるのか決めるまでは居ても悪くは無いだろう?」

 

 エヴァンジェリンはぼんやりとした表情の少年の姿を思い出し、思わず苦笑する。ゼクトは独りの道を歩むわけでもなく、エヴァンジェリンに着いてきている。だからこそ、あちらも悪い印象を持ってはいないだろうと彼女も思っていた。

 彼の魔法世界の住民に対しての冷たい思いはエヴァンジェリンも知っている。それがどこから来るのかはわからない。以前どつき合いの話し合いで出た単語に、主というものがあった。彼にとって神とも呼ぶべき存在が記憶を失う前に居たのだろう。宗教で彼の価値観を持たせるようなモノを知らないが、それを根幹にしていたからこその価値観だと想像している。

 口調なども相まって、暢気な老人、というのが一番印象に残りやすい。だがそれが本質でないことをエヴァンジェリンは知っていた。

 

「……ソリャ随分ナ、エゴッテ奴ダ。ナァ御主人?」

 

「うん?」

 

「御主人ッテアイツノオ母サンダッタカ?」

 

「ふざけるなアホ人形」

 

 否定はしてみたが、内心では同意できなくもない。人外であった年月を丸々失ったゼクトと言う存在を気に掛ける自分は、幼い子供を見て慌てる母親のような存在に似てなくもない。

 親愛的な物は芽生えているのだろう。放っておけないというか、なんというか。どうして自分の周りの男と言うのはダメ人間しかいないのだろう、と。かつてササムが彼方此方で首を刈っていたことを思い出しながら溜息を吐く。

 

「ナンツーカ、オ人好シッテ言ワレネェカ御主人」

 

「そうだな。そうやって生きてきた。今更変える気にもなれんさ」

 

「……ヤレヤレ、確カニ御主人ハ、アレダナ前任者」

 

 チャチャゼロは自分の目元に手を当てて、小さな声で呟く。どうかしたのか、と声が聞き取れなかったエヴァンジェリンに何でもないと返して、内心で溜息を吐いた。

 記憶喪失という状態は本人の仮面がはがれ、ありのままの状態であるとも言える。暢気そうに釣りをやって居眠りをするゼクトも本当ならば、魔法世界の住人をどうでもいいと思っていたことも本当なのだ。もっとも、数年前に少女にお礼を言われたときから様子は多少変わっていたが。

 

「まぁ、少なくとも指名手配されて恐怖の対象になるようなことはないだろう」

 

 ゼクトは変わった。相変わらず他者をどうでもいいと思う事は変わらない。だが向けられる感情に対して、何か感じるものはあるようだ。でなければ、獣人の子供を保護者の所へ連れて行こうなど昔なら行おうともしなかっただろう。

 ただその言葉を、チャチャゼロは危うい物だと感じた。

 エヴァンジェリンはゼクトが自分と反対の道を歩んだ時の事を想定していない。取った道がもしも、魔法世界の住人に害をもたらすものだったとき、どうするつもりなのか。

 止めようとするだろう。言葉と、武によって説得するだろう。それでも、と言う時に彼女はゼクトを殺せるのか。

 

「(マァ、無理ダロウナァ)」

 

 それができないことをチャチャゼロは知っている。さらに8年も共にいた相手だ。躊躇するだろう。尤も、その場合は自分が行えばいいのだが。

 チャチャゼロはゼクトが嫌いだ。今更前世でもある男のことで嫉妬がどうこうと言うつもりは無いが、自分の同族に対してプラスに思える程ナルシストになったつもりもない。本人と自分の主であるエヴァンジェリンには、彼への同族嫌悪を隠せてはいるが―――

 

「……あん? なにをやっているんだアイツは?」

 

 エヴァンジェリンが突然止まったためか、チャチャゼロは頭の上で崩し落ちかける。物思いにふけっていた筈であったが、それも後でいいとチャチャゼロは思い直して、エヴァンジェリンの見つめる光景へと目を向ける。

 

 人だかりの間からとある男の後ろへ歩みを寄せる少年の姿が在る。白い特徴的な髪はゼクトのものである。ゼクトは道に落ちている石を蹴り飛ばすような気軽さで、その男を魔法で吹き飛ばした。そしてその足元には、ボロボロになった別の男が転がっていた。

 

―――――

 

 日も傾き暗くなってきてはいたが、ヘカテスの街はまだ熱気に包まれている。明日の仕入れをするために市場も栄え、酒場などは今からが本腰を上げる時間だ。

 ゼクトの座る噴水の淵には、他にも待ち合わせをするカップルなどに溢れている。遠くに見える無許可での拳闘の賭け試合の取り巻きを、ゼクトはぼんやりと眺めながら呟く。

 

「……騒がしいのう。エヴァンジェリンめ、こんなところに置いていきおって」

 

 自分が一人、世界で浮いている様な気がしている。世界の住民は幻想であるのだから、それはある意味では正しいのだ。ここにある全ての感情に意味が無いと思う事ができたはずだった。

 価値のない者から向けられた偽りの幻想に、何を感じればいいのか理解できず、ゼクトはどうでもいいと感じているはずだ。

なのに何年も前に少女が渡した、似てもいない落書きのような絵を未だに捨てられずにいるのだ。何の価値もないのなら、簡単に捨てられるモノであるにもかかわらず。

じっと目を細めその光景を見ていた。喧噪な広場では喧嘩の決着が付き、互いに笑顔で握手していた。金返せー、という互いに賭けていた者達の声や、大穴に勝った者達の喜びの声が聞こえてくる。それらの感情は『■■■■■/ゼクト』にとっては意味が『無い/■■』。

 ずきんと、頭の中が痛んだ。思考と思考がぶつかり合い削られたように、言いようのない痛みに思わず頭を押さえる。またか、とひとり呟いた。

 思考のずれだ。ゼクトが是であるのではないかと考えていたはずの事を、どこかから沸いてきた思考が否であると答える。そのズレが発生するたびに頭が痛んだ。

 

「いい加減、自分が何者かぐらいは分かりたいものなんじゃが」

 

 自分と言う存在は、いったい何者か。

 考えることは無い。考えれば頭痛がまた襲い掛かってくることを知っているのだ。そして、どうでもいいと思ってしまう。それを『髪を二つに結った/金の髪を長く伸ばした』少女は苦笑するのだ。だから、此方もそれでいいと――

 ずきん、と頭が痛んだ。

 

「――流石にこうも頭痛ばかりするとは、記憶とは別に風邪でもひいたか?」

 

 ずきずきと慢性的な頭痛に対して、意味もなく溜息を吐き出した。旅の同行者に風邪薬を持っていないか聞こうとも思ったが、真祖の吸血鬼が風邪を引くことが想像できない。気晴らしでもしていれば気も紛れるだろう、と。ゼクトは辺りを見渡すと、人の取り巻きの中から、男が飛び出してきたのが見えた。

 それは路上で拳闘を行っていた闘士の一人であった。くすんだ橙色の頭の男は鼻から血を出して、身体には打撃を受けて幾つものあざができている。なんとか起き上がろうとしているところを、相手の闘士は腹へと拳を打ちこみ、その一撃がとどめとなって男はダウンした。

 沸き起こったのは悲鳴と歓声だった。賭け試合に勝って儲かった者と、逆に負けた者と別れたその声は辺りを包み込む。

 ただ、ゼクトはそれを見ても何も思わない。感情を自分に向けられたわけでもなく、どうでもいいと思うのは当然といえば当然だろう。

 ゼクトはそれを横目で見つつ、市場の方面へと歩みを進めて辺りを見渡す。町の住民にとってもその光景は見慣れた物であり、そのままの活気がまだ続いている。手元には幾らかのお金もあり、エヴァンジェリンを待つ間に、なにか買い食いでもしておこうと思って財布を取り出した。

 

 遠くで、何か肉のようなものを蹴りつける音が聞こえた。

 

 思わず財布に下していた眼を、音のする方向へと向けた。

 ガラの悪い男たちが数人、倒れている闘士を囲んでいる。そして一人の男が何かを言うと、その闘士の頭を蹴り飛ばした。

 

「テメェのせいで負け越しじゃねぇか、どうしてくれんだ!? あぁ!?」

 

 酔った顔の赤い男はそう言って闘士を蹴りつけた。その音は何度もゼクトの耳へと届いてくる。うめき声を上げるたびに、周りの男たちは笑う。

 そんな男たちに、一人の影が飛び込んだ。それは倒れている闘士と同じ髪を持った少年であり、その闘士の弟であることが分かる。もう一度闘士を蹴りつけようとしている男の腰へと体当たりする。思わぬところからの衝撃に男は姿勢を崩すが、それ以上に少年の行動が癪に障ったようだ。

 

「や、止め がぁ゛!」

 

「オイオイオイオイ、拳闘士にもなれねぇクソガキがなに粋がっちゃってんですかぁ!?」

 

 少年を構わず殴りつける。鈍い音が響き渡り、地面へと転がった少年を男は踏みつけた。流石にこれは不味いと周りも判断したのだろう。止めようと声をかけていても、むしろ男の攻めは激しくなっていた。

 

「……あのままでは、死ぬか」

 

 それをただ、ゼクトは見ているだけであった

 エヴァンジェリンは最後まで見ているだけだろう。流石に殺すところまで行ったら止めるだろうが、最後に治療を施すだけだ。偽善者と呼ばれる存在でもある彼女は、余計な敵意を買う事をしない。そこまで深入りするつもりはゼクトには無い。

 『彼女』ならばどうしたのだろうか。その体の中には■■■が居るから、という理由ではない。公平であり、物静かではあるが間違いであるその行為を是とはせず、止めに入るだろう。なぜなら『彼女』の近くにいた人の影響でもあると、そう話していた。

 

 だが、アレは魔法世界の住人で、自分と何のつながりもなく、価値もない。

 

『それでもね、ゼクト。私はゼクトに考えて欲しい』

 

 頭の中に、誰かの声が響いた。

 自分はこの声を知らない。少なくともエヴァンジェリンと出会って今に至るまで、話したことも聞いた事も無いはずだった。だが自分は覚えている。この声の主を知っているはずだ。

 

 脳内に一つの光景が浮かび上がる。長く伸ばした髪を二つに分けたその女性は、傷つき倒れた人を癒して回る。数々の小さな感謝は、『彼女』の冷たい表情に微笑を浮かべる。その姿を自分は――た。そしてそれを守らなければならないと思ったのは、■め込■れた■■のためか。

 

「…………痛ッ」

 

 また頭が痛む。思い出すことを拒むように、無意識に流れていたはずのその風景を痛みは邪魔をする。だが、一度流れ出したそれは止まることが無かった。

 ならば自分は何だ。その光景を見る前に、何を行っていた。何の意味もないと思っている存在に対して、いったい何を抱いている。そして『彼女』を見て何を抱いた。

 

 『そんなものに意味は無い』。自分は今、何をしなければならない。違う、本来の自分の役目は何だ?

 

 言葉の通り、ほんの少しだけ考える。

 今目の前には子供に暴力を振るい続けている男が居る。時折起こるくぐもった悲鳴が、男の笑い声が、なんとなく引っかかる。

 『彼女』は誰かを癒していた。何のためにかは分からない。だが、『彼女』はそこに笑顔を作り出した。

 自分と共に旅をする隣人の少女を思い出す。彼女は自分の行為を偽善と笑うだろう。だが、その偽善は確かに誰かを助け、泣く者を減らしていた。

 自分に対する感謝に■■をゼクトは無意識のうちに理解していた、だからこそ思ったのだ。

 

「……ああ、成程な」

 

 

 対して目の前の男は何だ。其処に在るのは理不尽な暴力だけで、本人のもつ嘲笑は誰かを不幸にするだけのものだ。

 ハッキリ言ってしまえば、ゼクトは苛立っている。どうでもいいと確かに思っていたはずだが、その行為に対して確かに不快感を得たのだ。

 ゼクトはそのまま男たちの近くへとよる。気配もなく近づいたために彼らが気付いたときには既に、ゼクトがすでに魔力を操作し終えていた。

 

「な、なんだテメ」

 

「邪魔じゃ」

 

魔法の衝撃波が辺りへと広がり、暴力を振るい続ける男とその取り巻きは弾かれてごろごろと転がり、壁へとぶつかった。不快感を隠そうともせずにゼクトは鼻を鳴らすと、暴力を受けていた二人の闘士の兄弟を見下ろした。そして治療しようと手を翳す。

 理不尽な暴力はその兄弟に襲い掛かり、肌に残る靴の跡やあざが痛々しい。まだ若いその闘士が弟を養うには闘士という存在になる以外になく、まだまだ二人は不幸へと直面し続けるのだろう。だがそれをゼクトは『嫌だと思――

 

 

『貴様の使命は何だ、■■■■■』

 

 

 頭の中に、またどこかで聞いた覚えのある声が響き渡った。

同時に現れたのは激しい頭痛だった。それ以上考えてはいけない、そうその頭痛はゼクトに伝えているようで、耐え切れずに思わず頭を押さえる。

 

 自分の使命? なんだそれは。■■■■■? ワシはゼクトだ。■ィ■ウスなどと言う名前ではない―――

 

 止まっていた時が動き出す様に、ゼクトはゆっくりと頭を押さえていた手を離した。そして、その顔には何の表情も存在していなかった。そして、目の前の兄弟を見下ろして手を翳す。

どこまでも不平等な世界に齎さなければならないことはなんだ。慈悲だ。彼らが出迎えるのは何処までも非情な現実だ。だからこそ、自分の行っていることは■■ではない。『救済』だ。

 

「……時間が無い。滅びは迫っている。救済は行われなければならない」

 

 ゼクトの頭に浮かびあがってきたのは呪文だった。それだけにも拘らず、妨害する様に頭が痛む。しかし、その程度の痛みは許容範囲である。それでも動けるように『調整』されていた。一言、呟く。

 

 

「リライ――」

 

 

「おいゼクト! いったい何をやっているのだキサマは!」

 

 

 聞きなれた少女の声がゼクトの耳に届く。唱えようとした呪文を途切らせ、はっと意識を取り戻した。

 今自分は、いったい何を行おうとしていた? 意識がはっきりとしておらず、目の前に居る少女が本当にエヴァンジェリンであるのかさえも曖昧であった。

 

「……エ…ヴァ、か?」

 

「む、キサマが私をそう呼ぶのは珍しいな。と、そうじゃない! なんだこの惨状は!?」

 

 エヴァンジェリンが指差したのは、倒れた二人の兄弟であった。多くの靴の跡や打撲の跡、二人とも頭を強く打ったのか意識を失っている。エヴァンジェリンも靴の大きさなどから、ゼクトがやったのではないと少し間を置き理解する。そして辺りを見渡すと、ひそひそと此方を窺う住民たちが視界に入ってきて舌打ちした。衛兵を呼んだのかもしれないが、治療師は呼んでいるのか。

 ゼクトは自分の掌を見つめた。何をしようとしていたのか、それは既に頭の片隅に飛んで消えてしまっている。ただ、なにか途轍もないことを行おうとしていたことだけは理解していた。

 

「……ええい、まずは治療が先だ! おいゼクト、キサマも治療クーラぐらいは使えるだろう? そっちの男は任せたぞ!」

 

「む……う、うむ」

 

 男の方が鍛えていたからか、打撲の跡は痛々しく見えるが、初級呪文である治療クーラでも十分回復できる範疇だ。口から出た血は口内を切っただけだろう。しかし子供の方はそうでもない。すぐに死ぬという訳ではないが、内臓を傷つけて血が出ているため放っておけば死ぬかもしれない。エヴァンジェリンは手早く魔方陣を描くと、風の魔法で子供をその上に乗せた。

 対してゼクトは呪文を唱え終わり、その作業を後ろから見ていた。所詮任されたのは初級呪文であり、ゼクトにとっては他愛のないことである。それよりも、エヴァンジェリンの姿を見ていたかった。

 てきぱきと治療の手立てを整える。治療呪文は万能ではないが、少なくとも本業の治療師に見せるまでの時間を稼ぐことはできるだろう。鬼気迫る表情で治療を行うエヴァンジェリンを、ゼクトはぼんやりと眺める。

 

「……なんだったのじゃ、さっきのは……」

 

 『彼女』という存在がかつて自分と共にいた。細かいことは覚えておらず、ただそのような存在が過去に居たという事だけを思い出した。記憶に残っている限りで、誰かに向けられた感情でも、暖かいと感じた物を向けられたのは、『彼女』だけであった。

 

 それが色だ。暖かいとゼクトが感じた色。だからこそ、『彼女』が多くの人に向けられるそれに自分は何かを思っていたのだ。

 

 ずきんとゼクトの頭が痛む。『考えてはいけない』

 

 それは『彼女』に対して反発するかのように出された声の主が、そう直接伝えているようにも感じたのだ。

思わず頭を押さえて呻く。どうした、とエヴァンジェリンが声をかけた。彼女からしてみれば応急処置が終わったと思えば、ゼクトが苦しがっていたのだ。驚くのも無理はない。

 それら全てを無視して、言葉を作る。止めろ、と何度も頭の中で誰かがゼクトへと言う。それでも、と。その意志を自ら造りだしたゼクトに、その声はやがて小さくなって無くなった。

 

『後悔することになる』

 

最期にその言葉を残して、その声は消えた。

 

自分が『彼女』に抱いていた物、それは―――

 

「……憧れ」

 

 ごっ、とゼクトの頭を後ろから何かが打ち付けられた。その痛みに思わず膝を着いたゼクトは、すぐに後ろを振り向き睨みつける。もう少しだけ記憶を思い出せたかもしれない。それを中断した相手は誰なのか。

 それは先ほどゼクトが吹き飛ばした相手であった。その手には棍棒のようなものがあり、男の眼は血走っている。

 

「はは、さっきは良くもやってくれたじゃねぇかぁ!」

 

 後ろの取り巻きが止めているにもかかわらず、男は聞いていないようであった。冷めた視線でそれを見返した。

 後ろでチャチャゼロがコロスカ? と言って笑う。男の向けている感情も所詮は幻だ、そう思う自分もあるが、ソレに対して苛立っている自分もいる。小さく舌打ちをして、隠す様に拳を握った。大きく振りかぶる男はゼクトから見れば隙だらけであり、本当に只のごろつきなのだろう。拳を叩き込もうと、身体を魔力で強化する。

 

『時流遅延――開始』

 

 後ろから、パチン、という指をはじく音が聞こえた。瞬間、男の周りの空間を凍りつかされたように、棍棒を振りかぶった形のまま停止した。

 任意の空間への時間停滞魔法だった。周りの空間の何千分の一という速度で時間が流れる空間に男は取り残されており、それはもはや停止に限りなく近いものであった。

 

「はぁ、状況は分かった。これ以上騒ぎにしないでくれ、私も流石にこれ以上は面倒なんだ」

 

 頭を掻いてエヴァンジェリンは溜息を吐いた。

 

 

―――――――

 

 結局、騒ぎを聞きつけた衛兵に事情を説明し、男は連行されて闘士の兄弟からは何度も頭を下げられた。手続きが在るため交番へと行った帰りにはもう日は完全に落ちて、子供ならば眠る時間になっていた。

 すでに泊まる部屋は取ってあったため、宿を探す必要が無かったのは不幸中の幸いか。先にシャワーを借りて着替えたゼクトは、寝間着姿で二つあるうちのベッドの一つに寝転んで、天井を見上げていた。

 取り戻すことのできたほんの少しの記憶。

一つ目が『彼女』という存在、二つ目がそして『彼女』へと抱いていた感情。三つ目がそれを妨害する思考。

 ただその日は三つ目の妨害する意思に反して考えることしたくなかった。それほどまでにゼクトは疲れていた。

 

「おいゼクト、もう寝たか?」

 

「……いいや、起きておる。どうしたのじゃエヴァンジェリン?」

 

 むくりと身体を起こすと、そこにはほかほかと湯気を立てるエヴァンジェリンが、救急箱を片手にパジャマの姿で立っていた。長い時間風呂場へと籠っていたのは、わざわざ風呂を焚いていたからだろう。吸血鬼がそれでいいのか、とゼクトも思ってはいたが、その程度の事ならエヴァンジェリンは克服しているので問題は無い。

 長い髪を上げて二つに纏めている。風呂上りであるその姿だが、普段髪を下している者しか見たことのないゼクトにとっては、珍しいと思えた。

 

「今日頭を棒で打たれていただろう? 傷になってないか見るから少し寄れ」

 

「む、大した痛みは無いぞ? 放っておいても治るものなのじゃから、そんなことをしなくとも……」

 

「ほら、いいからさっさと見せろ」

 

 言葉を無視してベッドの端を叩くエヴァンジェリンを見て、ゼクトは仕方ないと呟いて肩をすくめる。端に座れという事なのだろう。起こした躰を動かして端へと座ると、その真正面へとエヴァンジェリンは移動した。頭を軽く押さえつけられ、ゼクトは頭を突き出す形で床を見る。エヴァンジェリンがゼクトの後頭部の傷を見ている最中、ゼクトはどこか気まずさのようなものを感じていた。

 

「……むう」

 

「ん? 痛んだか?」

 

「ああいや、そうではないのじゃが……」

 

 言いよどむゼクトにエヴァンジェリンは首をかしげる。だが、結局何もゼクトは言わなかったため、そのまま魔法を使わず傷を手当てする。見つけた傷はそこまで大きい物ではなく、傷薬を塗るだけでも十分だろう。薬箱から薬を取り出し、そのまま塗りつける。ゼクトからは反応は無く、傷に染みるという事も無いようだった。

 対して、ゼクトは自分以外の誰かに体を預けている、という状況に聊か困惑していた。ふわりとしたあまい香りは、洗浄剤に付けられていた香料だろうか。彼女の心臓近くに頭があるせいか、とくん、とくん、という心臓の音が聞こえてきそうだ。小さな手は風呂上りであるからか暖かく、傷を探す手が髪をかき分ける動作で、撫でられた部分がくすぐったい。

 むず痒いものをゼクトは感じていた。誰かとの暖かさに触れた記憶は残っていない。ゼクト自身傷を負う事も無く、精神が疲れてそれを放置することは、今日が初めてであった。だからこそ、エヴァンジェリンと旅をしている最中でも、身体に触れることはごくまれであったからだ。

 

「……よし、と。もういいぞ」

 

「すまんの」

 

 処置が終わるとエヴァンジェリンはもう一つのベッドの端に座り、少し間を空けてゼクトと対面する形となった。

 居心地の悪い状態から脱したと言うのに、ゼクトはなんとなく冷たい物を心に感じていた。それは何かを失った喪失感にも似ている。それを無視して前を見る。

 じっとこちらを見るエヴァンジェリンの視線が合った。

 

「エヴァ」

 

「ん?」

 

 一言、呟く。愛称のようなものであり、名が長くて言いにくいならそう呼べと言われていた。別にそれは彼女に向かって出したものではない。しかし相手はそう捉えてはいない。何か話すことを強制されているわけではないが、なにか話題を探して、尋ねる。

 

「なぜ、あの二人に治療をしたのじゃ?」

 

「あの二人? ……ああ、あの兄弟の事か」

 

 ゼクトは他者に対して、どうでもいいと考えている。それは変わらない。だからこそエヴァンジェリンの行為が疑問でもあった。

 とりとめのない話題であったが、エヴァンジェリンは思わず腕を組んで考える。

 

「別にそこまで私は難しいことを考えてはいないぞ。怪我人を治療する程度、誰でも行うだろう?」

 

「その行為はおぬしに意味のあることではないではないか」

 

「まぁそうだがなぁ……誰かが悲しめばつられて悲しくなる。感情なんてそんなものだ。それが私の手間一つで解消できるのなら安いじゃないか」

 

 それは心のゆとりからくる余裕だろうか。エヴァンジェリンは目に見える全てを救おうとするような心意気は持ち合わせていない。ただ、自分に負担にならない程度の事ならば、手間をかける程度は悪くないとは思っている。偽善者だと人は言うだろう。だが、その程度の事、彼女は既に開き直っていた。

 嘗て居た彼女の旅の同行者は斬ってばかりであったため、やりすぎた物を治療するのはエヴァンジェリンの仕事だった。そのころの名残でもあるのだろう。

 

「どうせなら笑顔の方が、見ていて気持ちいいだろう?」

 

 にっ、と指を立ててエヴァンジェリンは笑う。どうだど言わんばかりの表情で在り、ゼクトは思わず呆れてしまっていた。だが、それがどこか可笑しくて苦笑する。こうしている時間は嫌いではない。彼女の笑顔につられるように、ゼクトも微笑を作る。

だが浮かび上がってきたのはもう一つの思いだ。まるで根源に刷り込まれていたかのようにそれは湧き上る。すでに自分の頭痛の元となる声は消えた。だが、根源にあるそれはすでにゼクトにとっては常識である。

 

 『彼等という存在に意味は無い』

 

「……ワシにはやはり分からんよ」

 

「? ゼクト?」

 

「自我から感情は生まれる。じゃが、自我自体が肉体から生まれた幻想に過ぎん。ならば、感情に何の価値がある? 何の意味がある?」

 

 それはゼクトの中に在る常識だ。なのに、『彼女』もエヴァンジェリンもそれを否定する様な行動をしている。

 先ほどまで何かに満たされていたはずだった。それを塗りつぶす様に何かが押し掛ける。それは焦燥感にも似ていた。だが口に出してしまえばそれがゼクトにとっての本心であると、エヴァンジェリンとゼクト自身へと思わせた。

 

「このアホ」

 

「いたっ」

 

 いつの間にか近づいていたのか、顔を上げたゼクトを待っていたのは、親指で中指を抑えた彼女の手であった。ぱちん、というデコピンによる音が響く。腰に手を当てずいっと顔を近づけたエヴァンジェリンに、ゼクトは思わず気圧されていた。

 

「また難しく考えているのか? その理論では、私もキサマも意味も価値もないという事になるぞ」

 

「……ああ、そうなるじゃろうな」

 

「私はそうは思わん。誰かの価値は、キサマ一人で測れるものじゃないだろう。少なくとも私は、キサマにも私にも価値があると思っている」

 

 道端に転がっている石が、他人から見れば石ころでも、本人にとって宝物に変わることもある。誰かが価値を感じているのなら、その石に意味はあるのだろう。それは妬みなどのマイナスの感情でも同じだ。

 

「世界に価値のない物なんてないさ」

 

 それは一種の極論であると言えた。エヴァンジェリンは今日のように、金銭的な意味で何の得もない人助けになってしまうことも多い。無駄な徒労に成ることも少なくは無く、逆に余計なお世話だと言われることも珍しくなかった。

 だが、それでも行動を起こすのは、本人が意味があると思っているからこそだ。そうして生きてきたエヴァンジェリンが、ゼクトの考えに異を唱えるのは当然の事だろう。

 結局、意味があるのか無いのか、そんなもの自分の中だけだ。どんなに自分の中で意味が無いと思っても、思考の数だけ世界観はある。その全て価値が無いと思うことは不可能なのだ。

 

「……そうか」

 

 ふと宙を見て呟き、思い出すのは自分に絵を渡して笑う少女の姿だった。数年間お守りのように持ち続けたそれは、未だにゼクトの元にある。わざわざ魔法で加工してまで残そうとしている自分は、それに何を感じているのだろう。

 決まっている、価値だ。初めて誰かに感謝を向けられ、ソレに対して自分は嬉しいと思った。その事実を、どうして認めようとしなかったのか。

 

「明日も早い。キサマも寝ておけ」

 

「……ああ、そうじゃの」

 

 お仕舞だ、と言うようにエヴァンジェリンはランプへと手を伸ばすと、そのまま明かりを消して横になる。ゼクトはすぐに隣のベッドから、規則正しい寝息の音を聞いた。

 

 ゼクトはまだ知らない。なぜ意味が無いと考えたのではない。なぜ意味が無いと『考えなければならない』ということを。

 

 崩壊は、着実に進んでいる。それをこの場所に居る者達は誰も知らない。

 


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