たとえ全てを忘れても 作:五朗
もう、帰りたい……
それが、レフィーヤ・ウィリディスの現状における正直な思いであった。
俯きがちに目線を地面に向けながら、視界の端に見える早足で前を行く二組の足元を何とはなしに見つめながら、レフィーヤは肩を落としながら歩き続けていた。
別に戦闘がきつい、と言う訳ではない。
今、レフィーヤ達はダンジョンの18階―――
これまで現れたモンスターの強さはまだそこまで強くはなく。最悪レフィーヤ一人でも何とかなる程度でしかない。
では、何がきついのか。
耐えられないのは、この雰囲気だ。
レフィーヤはチラリと視線を上に上げる。
共に行くのは、今自分の前を競うように早足で歩く二人の人物。
同じファミリアである
合計三人の小規模パーティーだが、一応自分を含め高Lvの冒険者だけのパーティーのため、この辺りの階層では危険は無いといっても良いほど低く。実際に、ここまで幾度もモンスターとの戦闘が起きたが、苦戦することは一切なかった。
とは言え、今回の依頼? は速度が重要ということなので、足を止める訳もいかず、戦闘は魔法は使えず。魔道士であるレフィーヤにとって、杖を使った杖術のみでの戦闘は中々厳しいものがあったのだが、問題はそこではない。
そう、何度も言うが、問題はこの雰囲気。
この何とも居たたまれない雰囲気が問題なのだ。
ダンジョンに入ってからここまで、いや、ホームである黄昏の館を出発してからここまで、一切の会話なし。
いや、何度かこの雰囲気を何とかしようと話しかけては見たが、即座に一蹴されてしまい続くことは一つとしてなかった。普段はティオネを筆頭とした騒がしい―――もとい賑やかなメンバーと共にパーティーを組むレフィーヤにとって、今回のような状況は初めてでもある。
何時もは少しうるさいな、と思ってしまうティオネの声が、今はこんなにも恋しい。溜め息をつきながら、レフィーヤは苛立ちを示すように尻尾の毛を逆立ち気味にしているベートから視線を逸らすと、もう一人の同行者に目を向けた。
(フィルヴィスさん、か……)
レフィーヤは歩く度に揺れる艶のある濡れ羽色の長髪を見ながら、現実逃避気味にこれまでの経緯について思い返していた。
何故、自分が大した交流のないこの二人とダンジョンに潜る羽目となったのかと言うと、それもこれも我らがファミリアの主である神ロキからの突然の命令であった。何やらアイズが危険な状態となっている二十四階層に向かっているので急いで追いかけて欲しいとの事であった。
まあ、レフィーヤとしては、憧れの存在であるアイズの力になれるのならば何ら文句はなく。自分から率先して行きたいとも思えるぐらいなのだが、それも同行する者がこの二人だけだと先に知っていれば、流石に躊躇ってしまっていただろう。
何せ一匹狼のベートと自尊心の高いエルフのフィルヴィスの相性が良いなど、しこたま酒を飲ませたロキでさえ口にすることはないだろう。
さらにどうもこの二人、何やら以前何かあったようで、それも悪い方向に。出発の前に、初めて顔を合わせた時から二人共険悪な様子を隠そうともしていない。
キリキリと痛む腹を押さえながら、レフィーヤはせめてティオネがいてくれたのならば、この何とも居たたまれない空気は少しはましになっていただろうかと溜め息をついてしまう。所詮空想は空想と、今この場にいないものにどれだけ想いを馳せてもこのどうしようもない空気が解消される訳もないと、ふるふると頭を左右に振ると、レフィーヤは気を取り直すようにフンッ、と一つ鼻息も荒く気合を込めると、前を行くフィルヴィスの隣まで駆け足気味に足を動かした。
「あ、あの、フィルヴィス、さん?」
「…………」
フィルヴィスの隣まで追いついたレフィーヤは、恐る恐るとフィルヴィスの赤緋色の瞳に視線をやる。
しかし、フィルヴィスはレフィーヤの声が聞こえているだろうに、無言のまま歩くだけ。
思わず萎えかける足に力を込め、レフィーヤはグッと拳を握り締めた。
(こ、このぐらいで負けてたまるかぁ~……)
再度気合を入れたレフィーヤは、及び腰になりかける身体に鞭をくれてやる。
「その、先程はありがとうございました!」
「…………」
「―――くっ、……そ、その、ですね」
「…………」
「わ、私、魔法ばっかりで、近接での戦いは苦手で、先程ミノタウロスを受け持ってくれて、本当に助かって……」
「…………」
あからさまな無視。
レフィーヤの心が折れかける。
どれだけ話しかけても梨の礫とはこのことだろう。
尻すぼみに消えていく声を震わせ、笑顔を引きつらせながらもレフィーヤはまだだと、再度気合を込めた。
何故、こうまで無視されているのにも関わらず諦めないのは、別にこの少女が同族だからな訳ではない。
まあ、こうまで無視することに悪意さえ感じさせるが、このフィルヴィスというエルフは決して悪い人ではないとレフィーヤは確信しているからだ。
ここまで来る間での戦闘でのことだが、レフィーヤは何度もこのエルフの少女から助けられていたからだ。別にこれといった何かがあった訳ではない。しかし、彼女は強行軍のために足を止めてしまう『魔法』が使えず、得意ではない杖術での戦闘を強制されるレフィーヤの周囲を、常に警戒し、事前に奇襲の芽を摘んでいてくれていたのだ。
最初は気づかなかったが、何度となく行われた戦闘の中で、流石のレフィーヤも気づくことができた。
そんな人が悪い人のはずがないと、改めてレフィーヤは気合を込め話しかける。
「そ、そのっ! いい天気! ……ですね……」
「…………」
「…………」
何処か遠くで、鳥型のモンスターの鳴く声が聞こえた気がした。
瞬間、レフィーヤの顔が微妙な形で固まり、顔を中心に血が集まる。
身体の中で炎が燃え盛っているかのように全身が熱く、だらだらと流れる汗は異様に粘つくばかりかとても冷たく感じられた。
いい天気って、ここはダンジョンですよッ!!
と、内心で自分自身にツッコミを入れるが、最早全て手遅れ。
険悪な雰囲気の中に、一瞬だけ何とも言えない空気が流れたことだけが成果といえば成果だが、全く何も嬉しくもない。
崩れ落ちかける身体を気力だけで何とか支えながら、恥ずかしさと情けなさで涙まで滲み出し歪む視界の中、心持ち歩く速度が遅くなった二人の背中を恐る恐る見ると。
「ちっ、さっきからうるせえぞっ。いい加減黙っとけっ」
足を止めず、ベートが顔だけを後ろに向けて言い放つ。
「餓鬼の遠足じゃねえんだ。馴れ合う必要がどこにあんだ」
鼻で笑うベートに、レフィーヤは歪ませた顔を俯かせたが、もう一人のエルフは、そこでキッと目を釣り上げた。
「同感だ。だから貴様は口を閉じていろ、下賎な
「あん? は、何だ喋れるじゃねぇか。あんま喋んねえから、自動人形か何かだと思ってたぜ。ま、こんな根暗な人形なら、買い手なんざ付かねえだろうがな」
ギシリ、と空間が軋む音がレフィーヤの耳に届いた気がした。
足を止めないまま、にらみ合う二人。
一触即発の空気が流れるが、フィルヴィスは直ぐに目を逸らすと、時間の無駄だと無言のまま歩く速度を早めた。その向かう先は十九階層へと続く階層中央へと向けられていた。
「馬鹿かてめぇ。アイズの居場所もわかってねえのに何処行くんだよ。先に
その足を止めるため、ベートがフィルヴィスの襟に手を伸ばした時であった。
「ッ! 私に触れるなっ!!」
甲高い金属音と火花がベートとフィルヴィスの間で一瞬瞬いた。
思わず立ち尽くすレフィーヤの前で、ベートが先の攻撃を受けた手甲に目をやった後、白刃を手に持つエルフの女―――フィルヴィスを殺気を込めた目で睨みつけた。
「あぁ? 何の真似だぁ?」
僅かに震えるベートの声に、明らかに殺気がまとわりついていた。
先程の一瞬。
ベートの指先がフィルヴィスの襟に触れるか触れないかといった間際。フィルヴィスは身体を翻し、剣を抜き放ったかと思えば、それを止めることなくベートに向け切りつけたのだ。ベートはそれを難なく防いだが、レフィーヤは自分ならば無理であっただろうぐらいには、その速度と威力には力が入りすぎていた。
口元が歪み、僅かに覗く口腔に白い牙が威嚇するようにギラリと光る。
立ち上る戦意と殺意に、対するフィルヴィスも手に持った剣を構えた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! ご、誤解ですっ! そうっ! これは誤解なんですベートさんっ!」
一触即発の空気。
次の瞬間にも戦闘が始まりかねない空間に、レフィーヤの鼻声と悲鳴が入り混じったような声が響き渡る。両手をわたわたと振り乱しながら、フィルヴィスを背中に、ベートと相対するフィーヤ。フィルヴィスから自分へと切り替わった、物理的な圧力さえ感じてしまうベートの眼光に背筋を震わせながらも、必死に弁明を図る。
「
嘘である。
いや、確かにエルフの風習の中にそのようなものはある。
正確には『認めた相手でなければ肌の接触を許さない』というものであるが、まあ、似たようなものだ。
嘘なのは、レフィーヤは別にこの風習で苦労したことがないということだ。
この風習は、地域によって差があり、レフィーヤのいた地域ではこの風習はほぼ形だけのものとなっていた。とは言え、こういう風習があるのは事実であり、
今は何とかそういう事にして、この場をどうにかして収めなければ、確実に血の雨が降ることになってしまう。
文字通り現実に。
確かに触れるか触れなかという程度の接触で抜剣までしたフィルヴィスの行為はやり過ぎであり、風習ということで納得できる範囲を超えているだろうが、ここは何とかそれで行くしかないと、レフィーヤは半ば自棄糞になっていた。
「風習? はっ、にしては過剰すぎんだろ」
ですよねぇ~と、レフィーヤも頷きたかったが、そういう訳にもいかず、喉元までせり上がっていた言葉をぐっとこらえると、どもりながらもフィルヴィスの援護を続ける。だらだらと冷や汗を流しながらの必死の説得のお陰か、ベートは苛立たしげに地面を蹴りつけ、レフィーヤの説得を止めると、先程からずっと無言で俯いたままのフィルヴィスを一度睨みつけた後、レフィーヤ等に背中を向け、
ほっと胸をなで下ろしたレフィーヤがチラリとフィルヴィスに目を向けるが、彼女はまだ顔を上げる事なく、黙り込んでいた。
「おう。『剣姫』なら確かにオレ様のところにも来たな」
凶悪な悪人顔の上に、更にダメ押しとばかりに左目に眼帯をした筋骨隆々な大男が、無精髭をゴリゴリと撫でながら大仰に頷いた。見るからに山賊なこの男だが、この男、こう見えて
レフィーヤたちは街の酒場である程度の情報収集を終えた後、街の頭という立場から様々な情報が集まるこの男―――ボールス・エルダーが店主を務める店へと赴いていた。
「何か知らんが『盾を預かってください』ってな。それもくれぐれも売り払わないようになんて、念を押してな」
「盾、ですか?」
「ああ、ちょっと待っとけ」
そう言って、ボールスはレフィーヤに背を向けると、店の奥にある洞窟へと歩き出した。
『リヴィラの街』には、冒険者の装備を一時的に預かる倉庫代わりの洞窟が幾つもある。冒険者の予備武器等を保管するための倉庫替わりの洞窟だが、その内の一つをこのボールスは所有して、商売に使っていた。
自身が所有する倉庫から、
「これを、アイズさんが?」
まじまじと差し出されたプロテクターを見下ろしながら、レフィーヤは首を傾げた。
プロテクターはそれなりに使い込まれているようで、その表面は削られてボロボロとなっている。見た目はそれなりに整っているが、性能的にはそこまでランクが高いとは思えない。『ロキ・ファミリア』という上級の冒険者を多数抱える環境から、数多くの上級の装備を見慣れたレフィーヤの目には、ボールスが持ってきたプロテクターは精々下級冒険者が使う装備にしか見えなかった。
だからこそ、何故アイズがこんなものを持っていたのかが分からない。
「はあ、そんなに良い物には見えないですけど……まあ、いいです。あの、それでちょっとお聞きしたいんですが。私達、事情があってアイズさんの向かった先を知りたいんですが、何か知りませんか?」
「ほぉ~【剣姫】の行き先が知りたいと」
レフィーヤがおずおぞと尋ねると、にやにやとした笑みを浮かべたボールスが、持ってきたプロテクターを隅に置くと、空いた手を差し出してわきわきと指を動かし始めた。
「知ってかお嬢ちゃん。何事にも対価ってぇもんが―――」
「―――さっさと言えクソ野郎」
「ああ、そう言えば」
要約すれば金を払えと全身で訴えかけてきたボールスの首根っこを、横から身を乗り出してきたベートががっしりと掴んで凄みを効かせると。一瞬にして腰を低くしたボールスがぽんと両手を打ち鳴らした。
「【剣姫】とつるんでた連中がいたんですがね。そいつらが陽動用の
「
「
元からアイズ達の向かった階層自体はわかっていたが、その階層の何処へと向かったのかが分からなかった。階層一つだけでも広く広大であるため、その中から何の手がかりもなく目的の人物を探し出すのはほぼ不可能である。
しかし、今回で得た情報―――
ここに来て、レフィーヤたちはようやっと目的地が判明した。
「おい、さっさと行くぞ」
乱雑にボールスの首を開放したベートが、さっさと小屋の外へと歩き出す。小屋の外で待っていたフィルヴィスも、それを見て情報収集を終えたのを確認すると、街の外へと向かって歩き出していた。レフィーヤはさっさと先に行く二人の後ろ姿と、首を押さえながら忌々しげにベートの背中を睨み付けるボールスとの間で視線を右往左往させたが、ぺこりと一度ボールスに向け頭を下げると、既に小さくなりかける二人の後を追おうと駆け出そうとして―――。
「そう言えば、シロの野郎も【剣姫】の行き先を聞いてきたな」
「え?」
ボールスが口にした名前に、思わず足を止めてしまった。
感想ご指摘お待ちしています。
もう少しで久しぶりの休暇。
よし、温泉入りながら更新しようっ!
……休めるかな。