たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 私は、帰ってきた。


第十話 武術

 

 

「―――戦いを……」

 

 

 

 シンっ、と静まり返る中、ポツリと呟かれたシロの小さな言葉が妙に大きくその場に響いた。

 驚きに息を呑む音と共に、視線が向かい合うシロとアイズに注がれる。

 しかし、アイズを見下ろすシロの姿からは、驚きも、戸惑いも、それ以外の僅かな感情すら感じられない。

 

「ちょ、ちょっとアイズ。あんた何言ってるの!?」

「そ、そうだよ! なんでそんな事急に……」

 

 怒っている、というには戸惑いが多分に含まれる声で、ティオネとティオナの姉妹がアイズに詰め寄るように声を掛ける。非難混じりのその声に呆然としていたレフィーヤもまた、我に返ると、動揺を露わにしながらもアイズに疑問を投げかけた。

 

「そんな、何で、あ、アイズさんはもう十分強いじゃないですか? それなのに何で? だってシロさんですよ。確かにLvに見合わない強さを持っていますし、色々と規格外な人ですけど……何よりシロさんは他の【ファミリア】の人で……」

「アイズ、レフィーヤの言う通りだ。彼は他所の【ファミリア】に所属する者。親しくしていたとしても、最低限守るべきものはある。お前のそれは、それに触れるぞ」

 

 何時の間にか復活していたリヴェリアが、レフィーヤの言葉を肯定しながらアイズに厳しい目を向けた。

 自分が所属する【ファミリア】以外の者に戦い方を教える事は、実のところ全くないわけではない。実際に、主神同士の仲が良かったり、何らかの見返りの代わり、その他にも色々とあるが、それ相応の理由があれば、他所の【ファミリア】の者に戦闘訓練をする事は珍しい話ではないからだ。

 だが、アイズが所属する【ロキ・ファミリア】とシロが所属する【ヘスティア・ファミリア】は、その主神同士の仲が悪い。正確には、【ロキ・ファミリア】の主神が一方的に【ヘスティア・ファミリア】の主神を嫌っている。

 そんな関係の中で、【ロキ・ファミリア】の者が【ヘスティア・ファミリア】の者に戦い方を教わりたいと請うと言うのは、何か問題ごとが起きる可能性が大である。

 仲間たちの諌める言葉に、身体を強ばらせながらも、しかしアイズは真っすぐにシロを見つめながら、ハッキリと自分の意思を口にした。

 

「うん。分かってる。でも、私はどうしても強くなりたい。今のままじゃ、このままただモンスターを倒しているだけじゃどうしても強くなれない……だからっ」

「アイズ……」

「アイズさん……」

「っ、アイズ、しかし―――」

 

 アイズの悲愴とも言える感情が込められた言葉に、レフィーヤたちが苦しげに声を漏らし黙り込む中、ただ一人、静かな目でアイズを見つめていたシロがそこで口を開いた。

 

「無理だ」

「―――ッ!?」

 

 シロが口にした答えは、否、であった。

 一瞬くしゃりと悔しげに顔を歪ませたアイズだったが、直ぐに硬く口元を引き締めると、熱を感じさせる程の覚悟を秘めた瞳でシロに向き直る。

 

「何故、ですか―――っ、私が、他の、【ロキ・ファミリア】の者だからですか」

「そう―――……いや、すまない…………そうではない、な」

「え?」

 

 「そうだ」と答えかけたシロだったが、睨みつけるような、縋り付くようなアイズの目を前に、言いかけた言葉を途切れさせると、小さく頭を振った。

 そしてアイズをしっかりと見据えた後、周りにいるレフィーヤたち、否、冒険者たちを見回した。

 

「シロ?」

「シロ、さん?」

 

 自分たちを見るシロに、何かを躊躇う様子を感じたリヴェリアたちが戸惑いの声が上がった。

 今、シロは何かを逡巡している。

 それが何かは分からないが、少なくとも『シロが口にするのを』躊躇う代物である。眉根に皺を寄せ、黙り込む姿からは苦悶すら感じ取れ。知り合ってからまだ間もないリヴェリアたちでさえ、シロが言おうとしている事が余り宜しくない事だと推測するのに苦労はなかった。

 

「……アイズ」

「っはい!」

 

 シロの声に反射的に背筋を伸ばすアイズ。

 じっと自分を見つめるアイズの瞳から、シロは目を逸らさない。

 

「『戦い方を教えてくれ』と言っていたが、それはあの赤髪の女との戦闘で俺が使った技を教えてくれと言う事だな」

「……そうです」

 

 ゴクリと喉を一度鳴らし、アイズは頷く。

 シロは緊張に身体を強ばらせているアイズを見つめる目を一度閉じると、首を横に振った。

 

「……なら、やはり答えは『無理』だ」

「っ、それは、私が他のファミリアに所属しているからですかっ?」

 

 何時もの姿とは違う、声を荒げるアイズにレフィーヤたちが戸惑う中、真正面に向かい合うシロの様子は変わらない。その姿にアイズの焦りは増す増す大きくなっていく。初めから断れられる可能性が高い話だと思っていたとは言え、執念に近い思いがそう簡単に諦めがつくはずがない。

 悪あがきだと自分でもわかっていながら、アイズは尚もシロに追い縋ろうと言い募るが。

 

「違う」

「え? な、なら、一子相伝の技だったりとか、ですか?」

「そういうわけではない」

「っ、ぅ」

 

 シロは無慈悲なまでにアイズの言葉を否定した。

 仲間に非難される事を覚悟してまでの、何としてでもシロの師事を受けてみせるとの思いは、決して叶うことがない。頑ななまでに認めようとしないシロの姿に、強さに行き詰まりを感じる中、唯一の希望に手が届かないと理解するにつれ、アイズは自分の目に涙が滲むのを感じた。

 グッと拳を握り締め、顔を俯かせる。

 悔しさが溢れ、それが地面に向かって落ちようとした時、リヴェリアの声が響いた。

 

「―――シロ」

 

 思わず顔を上げたアイズが、リヴェリアを見る。

 腕を組んだ姿のリヴェリアは、顔を向けたアイズに視線を向けることなく、ただシロの方をジッと苛立った様子で睨みつけていた。

 

「何だ」

 

 シロが続きを促すようにリヴェリアに顔を向けると、リヴェリアは腕を組んだまま、その心情を見せるようにトントンと早い調子で指で二の腕あたりを叩きながらシロを睨みつけた。

 

「ハッキリと言え。『出来ない』ではなく『無理』だと言うのは何故だ? どうしてアイズに教える事が『無理』なんだ」

「?」

 

 リヴェリアの言葉の意味がわからずアイズが首を傾げる。

 シロのリヴェリアを見る目が一瞬細まり、そしてシロは間を開けるように小さく息を吐いた。

 

「……アイズが『冒険者』だからだ」

「え?」

「…………」

 

 バッと勢い良くアイズの顔がシロに向けられる。聞き返すように口から出た疑問符にシロは無言のままであった。

 

「『冒険者』だから無理って……どういう事なんですか?」

「…………」

「っ、シロさんッ!!」

 

 無言のまま何も反応しないシロに焦れたアイズが、声を激しくシロの名を呼び、そこでやっとシロは重く閉ざされていた口を開いた。

 

「……お前が教えてくれと言ったものは、『八極拳』と言われる武術だ」

「……」

 

 口を開いたシロの言葉を逃さないよう、アイズだけでなくその場にいた者たちは皆口を閉ざし耳に意識を集中させていた。

 

「そして『八極拳』は、いや……俺の知る『武術』は、『人』が使う事を前提としたものだ」

「…………?」

 

 当たり前の言葉に、真剣な顔をしていたアイズに怪訝な色が浮かぶ。

 シロの口にした「武術は人が使う事を前提としたもの」は、いちいち言葉にしなくても当たり前の常識だ。確かに『人』と一言で言っても『ドワーフ』や『エルフ』、『獣人』等様々な種族はいる。つまりシロは、そういった中で、特定の種族しか使えないと言っているのだろうか?

 しかし、アイズはそうでないと思った。

 シロの雰囲気から、そう言った種族をまとめて『人』と言っているようにアイズは感じたからだ。

 そしてそれを肯定するように、シロが言葉を続けた。

 

「……『冒険者』が使う事など考えて創られたわけではない」

「……シロ。それはどう言う意味だ?」

 

 だが、それもアイズにとっては予想外のものであり、その意味するところが理解できず、思わず声を上げそうなったが、それよりも先に声を上げた者がいた。

 フィンだ。

 今までずっと黙っていたフィンが、何時からか怖い程に真剣な顔でシロを見つめていた。

 

「―――あらゆる武術に最も重要なものが『功夫』だ」

「クンフー?」

 

 ティオナが聞きなれない言葉に首を傾げた。

 それはその場にいた全員も同じ気持ちであった。

 その雰囲気を察したのか、シロは続けて『功夫』について説明を始めた。

 

「簡単に言えば、長い時間をかけ、身体の動作、力の配分、呼吸の方法、そういった地道な鍛錬によって蓄積される力のことだ」

「鍛錬なら、私も」

「そうだな。確かにアイズ。お前の動きは見惚れる程に隙がなく、歩く姿を見るだけでもこれまで積み重ねた鍛錬の量が伺い知る事が出来る」

 

 日々己の限界を超えるため、厳しい訓練をその身に叩き込んでいるアイズが勢い込んでシロにアピールすると、シロは肯定するように頷きアイズの褒め称えた。

 シロの言葉に勢い付いたアイズが、更に言い募ろうと口を開く。

 

「なら―――」

「だが、それは俺の求める『功夫』とはまた根本的に違う」

 

 が、それは次にシロが口にした言葉によって強制的に閉ざされてしまう。

 

「……え?」

「お前が―――いや、俺の知る限り、『冒険者』が行う鍛錬は、自らを鍛えるのではなく、言ってしまえば自分の身体をより効率良く動かす為の調整をしているようなものだ」

「調、整……」

 

 アイズの目が大き見開かれる。

 今までの努力が否定されたような、突き放されたような想いが胸を締め付け、苦し気な声が薄く開かれた口から溢れた。

 そんなアイズの姿を見つめていたシロは、ふと視線を下に移すと足で地面を軽く擦った。

 ジャッ、と砂が擦れる音に、アイズの視線も地面に向けられる。

 

「……『武術』とは、砂で城を作るようなものだ」

「砂で、城を?」

「子供の頃、砂で山や城なんか作った経験はないか? 街で子供等が作っているのを見たことぐらいあるだろ?」

「……あ、はい」

 

 シロの言葉に導かれるように、頭にふと街の片隅で砂を固めて何やら作っていた子供たちの姿が浮かび、アイズは反射的にコクリと頷いた。

 

「砂の一粒一粒が正しい身体の動作、力の配分、呼吸方法等と考えてくれ。そういった砂粒を積み重ね、長い時間を掛け、少しずつ『武術』という城を形作っていく。完成する事は希だが、牛歩のように遅い歩みでも、近づくことは出来る。だが、だからこそ、『冒険者』には『無理』なのだ」

「『冒険者』には無理……」

 

 グッと唇を噛み締めるアイズの姿には、諦めよりも未練の方がまだ強く感じ取れた。

 

「アイズ、お前にも何度も経験があるはずだ。急激に強くなった事で、意思と身体の間にズレのようなモノを感じた事が」

「……あり、ます」

 

 シロの言葉はアイズには身に覚えがあった、あり過ぎた。

 Lvアップだけでなく、大幅に『ステイタス』が上がった時などは、そのズレが特に顕著に感じていた。

 始めの頃は、そのズレに慣れるまで苦労したが、今では更新の度にズレを治すのには慣れているほどである。

 

「それが答えだ」

「―――そうか」 

「だ、団長?」

「ど、どういうこと?」

 

 シロの言葉に答えたのは、アイズではなくフィンであった。

 思わず口にしてしまった、と言った様子で口元に手を当てシロを見るフィンに、ティオナとティオネの姉妹がシロの言葉の意味を測りかねシロとフィンの間に目を行ったり来たりさせる。

 シロは間近で自分を見上げるアイズの目にも理解の色が浮かんでいないことを知ると、再び口を開いた。

 

「……『冒険者』は、『ステイタス』を更新する度に強くなる。それは、どれだけの経験を得たかにもよるが、劇的に、と言ってもいい程だ。『ステイタス』のどれか一つでも十や二十でも増えれば、その身体は最早前とは別物と言ってもいい。別に何か特別に鍛えたわけでもなく、ただ強い敵と戦ったという経験だけで、『人間』が何年も時間を掛けて身につける筈の力を手に入れてしまう」

「その……駄目、なんですか?」

 

 アイズは小さな子供の頃に『冒険者』となった。

 そのため、『ステイタス』の更新以外に強くなる方法と言ったものに疎く、また、それがどれほどまでに效果があるものか実感として知る事が出来なかった。

 いや、それはアイズだけではない。

 冒険者―――神の『恩恵』を授かった者皆が同じだろう。

 ステイタスの更新によるものは、『経験』というお金を払い、神が用意した乗り物に乗るようなものだ。

 そして『恩恵』によらない『功夫』によるものは、自分の足で一歩一歩歩いていくようなもの。

 どちらも目指す先は同じ。

 だが、その過程が余りにも違い過ぎる。

 『人』が十年掛けて身につけた力を、『冒険者』は十日で得た経験で『ステイタス』を更新することで手に入れる事が出来る。

 どちらが良いかと聞かれれば、誰もが『ステイタス』の更新を選ぶだろう。

 確かにそれは間違いではない。

 だが、それは―――

 

「『武術家』としては論外だな」

「何故?」

 

 否との言葉に対するアイズの疑問に、シロは応える。

 二ヶ月も経っていない間であるが、この街で過ごし今まで感じていたものを。

 

「言った筈だ。武術にもっと重要なのは『功夫』だと。『功夫』とは経験だ。『冒険者』が更新に必要とする経験とはまた別の、長い時間を掛けて得る経験だ。武術で強くなるためには、丁寧に、時間を掛けて『功夫』を積み重ねなければならない。だが、『冒険者』はそれが出来ない。『ステイタス』の更新の度に強くなってしまう。『神』たちは『経験』で強くなっていると言うが、俺には、到底経験と強さが釣り合っているとは思えん。強くなり過ぎている」

「強く、なり過ぎて」

「『ステイタス』の更新前と後では完全に別人だ。『武術』を極めんとする者ならば、絶対に認めはしないだろう。今まで積み重ねてきた『功夫()』が崩されて、一から作り直さなければならなくなるからだ。いや、それならまだマシな方か。中途半端に続けてしまえば、見た目だけ似ているだけのモノに成り下がってしまう」

「どうしても、無理なんですか?」

「『冒険者』とは、『個』を突き詰めたものだ。『ステイタス』を更新する、『Lv』が上がる。その度に『元の人間』から隔絶していく。逆に『武術』とは、普遍なものだ。『人間』が『人間』のまま戦う為の手段としてあるもの。故に、『人間』を超えた存在である『冒険者』が『武術』を修めるのには無理がある」

 

 ここまで言って一度口を止めたシロは、何時しか視線を下にやっていたアイズを見下ろした。

 顔は長い金の髪に隠されて見えないが、落ち込んでいるのは肩が下がった姿からも簡単に窺い知る事ができた。

 そしてシロは、最後の止めをアイズに刺した。

 

「それでも『武術』を修めようとするならば、少なくとも十年は『ステイタス』の更新をすることなく鍛えるしかないな」

「十年……」

 

 口にした言葉は、誰が聞いても力がなかった。

 

「お前の才能を考えてだ。それでも短い方だぞ。最低限モンスターを相手に出来るようになるには、そこらの者では更にその数倍は必要だからな」

「っ、でも、シロさんは」

「アイズ。俺が『冒険者』になったのはついこの間だ」

 

 アイズが反論するように、『冒険者』のシロが武術を使っている事について問い詰めようとするが、シロがついこの間まで『恩恵』がない一般人だったと思い出し再び肩を落とした。

 

「あ、そう、だった……」

「アイズ……」

「アイズさん……」

「……じゃあ、どうしたら」

 

 心配気に声を掛けてくるレフィーヤたちに応える事なく、アイズが出しているとは思えない地の底から響くような低い声を上げた。

 

「どうしたらいい」

 

 疑問を向けられる者はシロへか、それとも自分へなのかわからないまま、アイズは問いを何度も投げかける。もしかしたらとの小さな希望は今潰えた。なら、どうしたらいい。どうしたら強くなれる。

 限界が見えてきた自分の強さ。

 それを超えるには、どうしたら。

 溢れ出る想いが口から流れ出ていく。

 

「私は、一体どうしたら―――強く」

「……そこまで強くなりたいか」

 

 その声に、アイズは思わず顔を上げた。

 見上げた先には、先ほどと変わらずシロが立っていた。

 シロはアイズの暗い異様な輝きを見せる瞳を真正面から見据え、指を二つ立てたてて見せ。

 

「少なくともお前には、強くなる為の道が二つある」

 

 そう、口にした。

 




 久しぶりの投稿です。
 
 心配してくださった方はすみませんでした。

 ぼちぼち投稿していきますので、これからもよろしくお願いします。




 …………ですが、その、もしかしたら、次はアレの続きを投稿するかもしれないので……その……遅れたらすみませんm(__)m

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