麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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初見さんの方々の感想や反応を見ると、何というか新鮮味のような嬉しい感じがあります。
皆様ありがとうございます。モチベも上がります。
勿論、Arcadiaで既読だった方々も見返して今になって思う所があれば、遠慮なくどうぞ。
…と言っても、ネタバレを避けながら書き込むのは難しいかも知れませんが。


第6話―――今此処に在る訳、課せられた役割

「……お母様」

 

 優しい温もりに包まれ、無意識に零した言葉。思わず身を委ねたくなる暖かい感触。愛に満ちた抱擁。

 目元が熱くなり、視界が歪んで頬に熱い雫を流れるのを覚え……

 

「っ―――!!」

 

 イリヤは慌ててその抱擁を振り払い、目の前の女性から離れた。

 

(幻覚!? 幻影!? (なか)を覗かれた!?…でもどうやって? 何時の間に?―――そんな感覚はなかった筈……それじゃあ、何!?)

 

 脳裏に過ぎる思考と精神(こころ)を揺さぶる困惑。そしてイリヤは得体の知れない恐れを抱いていた。

 目の前の女性を見詰めながら、その恐れのままにイリヤは徐々に後ずさり、距離を取る。

 

(私と同じ白い髪、赤い眼……これは幻影じゃない。どうして?―――これは、何なの? だってお母様は…)

 

 沸き立つナニカに恐怖を覚え、武器を手離して自身の身体を両手でかき抱く。

 イリヤスフィールに“過ぎない筈”の“誰か”は気付かない。今の自分が“彼女”の想いを抱き、その感情を元に心を掻き乱している事を…。

 

「イリヤ…」

 

 女性が離れた距離を歩み寄ってくる。

 

「!―――来ないで!」

 

 近づいてくる彼女を拒むかのように叫び、イリヤは大きく後ろへ跳躍して女性が歩み寄ってくる以上の距離を取る。

 女性はそんなイリヤに心底悲しそうな、寂しそうな表情を見せた。しかし、何かに気付いたのか、ふと怪訝な顔を浮かべた。

 

「…そう、そういうこと」

 

 そう女性が呟くと、その姿がかき消え―――

 

「!?」

「…恐がらないでイリヤ。あなたが驚くのも、途惑うのも判るわ。……でも恐れる必要はないの」

 

 ―――気付くと。イリヤは目の前から消えた女性に背後から抱き締められていた。だがイリヤは驚くよりもその優しい語り掛けに耳を傾けてしまう。

 

「ただ、受け入れさえすれば良いの。此処にある私とそして―――何よりも貴女自身を…」

 

 私……自身?―――イリヤの口から無意識に声が零れた。途端、恐れにも似た何かが大きくなる。それでもイリヤは女性の言葉に耳を傾け、今度はその腕を振りほどこうとは、抱擁から逃れようとは思わなかった。

 

「そう、貴女は私と……あの人の、世界で最も愛する一番の宝物。ホムンクルスである私が授かり、お腹を痛めて生んだ大切な子……私にはそれが分かる。例え貴女の内側(なか)が■■していようと、私が――――」

 

 耳に入る、言葉が、混濁する、掠れて、遠ざかる、ような、近くで、喚かれて、いる、ような、聞こえ、なく、なる。 ただ、酷く、

 

「なに…? なにをいっているの? 私は…―――!」

 

 酷く、頭痛を覚えた。

 

 イリヤは襲い来る怖れと痛みに蝕まれている頭を抱え―――突然、その視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭壇(そこ)に在ったのは柱の如く高く。地下にある故に限りある天へと伸びた黒き杯。頂点(いただき)に在るのは太陽のような黒い球体(あな)。孔から此方(せかい)を覗くのは、この世の全てを呪う(あいする)モノ。

 わたしはそこに向かって歩く。全てを終わらせる為に――――――ううん、違う。本当は……ようやく出会えたたった一人の家族。何処までも他人の為に自分を置き去りにしてしまえた馬鹿な“お兄ちゃん”。……でも(たにん)よりもずっと大事に想える人が出来て……心に定めて変われた■■■。

 それでもやっぱり、無茶をするのは変わらなくって―――だからそんな大切な“弟”が幸せに笑って生きて行けるように、

 

「じゃあね」

 

 と。わたしは、■■■に笑ってその(とびら)を閉じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――…ぐうっうううぅぅう!!??!!??」

 

 脳を搔き乱す識らない(しっている)映像(きおく)がイリヤの内側(こころ)を駆け巡る。掻き乱す。

 胃が逆流するような、吐き気にも似たナニカが零れるような、溢れるような感覚が身体に奔り、女性の腕の中で全身を震えさせる。

 

「ううぅうぅうううぅ!!!???」

 

 こわい、いたい、あたまがわれる。われる。ちがう、ちがうそうじゃない。わたし、こわいんじゃない、いたいんじゃない。これは、かなしみ、よろこび、うれしいんだって、そうだ。だって、こんなにも、こんなにも―――

 

「―――大切な想い出(こと)を思い出せたんだからっ!!」

 

 それは産声にも似た、生誕の叫びだった。

 そう、『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』は、この時になって漸くこの世界に誕生したのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イ、イリヤ…?」

 

 女性の腕の中で魘されるかのように呻き、苦しんでいた愛おしい我が子が突然叫んだかと思うと。今度はプツンと電池が切れた玩具のように全身を弛緩させ、身を預けるように自分に寄り掛かり……静かに沈黙する。

 それがどういう訳か女性を不安にさせる。背後から抱き締めた為に、さらに娘が顔を伏せている所為で表情が見えないのだから尚更だった。

 それを振り払うように女性は腕の中に在る愛おしい温もりをより強く優しくかき抱く。

 

 

 訪れた静寂の中。視界の先、湖に浮かぶ祭壇に眩しい光が灯った。その光はほんの数瞬で直ぐに消え去る。しかし一帯の風景は夜の闇へと戻ることは無かった。

 

「―――コノカの仮契約…か、もう夜が明けるわね」

 

 腕の中の娘が呟く。言うとおり東の空が白んできている。

 女性はコノカという人物のことを詳しくは知らない。ただあのチグサという女性と“彼”が標的にしていた強大な魔力を秘める少女であり、血筋のいい良家の出だという事ぐらいだ。

 

「アイリスフィール……お母様」

 

 娘が女性―――母の名を呼んだ。

 その呼び掛けに女性―――アイリは歓喜し、微笑みを浮かべて応じる。

 

「なに、イリヤ?」

「会えてとても嬉しいわ。こんな何処とも知れない世界でこうしてまたお母様の胸の中に抱かれるなんて――」

「ああ…! イリヤ! それは私もよ。また貴女に会えるなんて思わなかった!」

 

 沸き立つ嬉しさの余り、アイリはさらに強くイリヤの身体を抱き締め、その大切な温もりを噛み締める。

 

 

 

 イリヤもまた、されるがままにその失った母の温もりを堪能する。

 

「でも、」

「あ…」

 

 しかし程無くしてそっとその抱擁から、温もりから、優しくも強く自分を抱く腕から、イリヤはスルリと抜ける様に離れる。

 母はそれに寂しげな声を漏らし、イリヤは振り返ってそんな彼女(ははおや)の表情を見詰め、

 

「貴方が此処に、この世界に()るなんて思わなかったわ―――」

 

 ―――アンリマユ。

 

 “無いもの(カレ)”の名を呼んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目の前の母親は、悲しげに目を伏せている。

 こうしてイリヤが“カレ”と話すのは……多分、二度目。

 一度目は自分が居なくなった世界の先―――誰もが忘れ去る、微かな残滓としてのみ記憶に残る“繰り返す四日間の箱庭”の中だ。

 孔を閉じた為だろうか、それとも自分が生存する未来(かのうせい)が在るからなのか、或いはあの四日間が特別だからか、居なくなった筈の自分にもその思い出(きおく)がある。

 あの時は、カレの最後の日常の欠片(ピース)として、カレに(こたえ)を示し、本来“無いもの”であるカレの存在を認めた。

 尤もイリヤ自身は、そう大した事をしたとは思っていない。ただ―――楽しかった奇跡の日常を起こした。厳しくもお人好しの彼を最後の最後まで演じたカレに……ちょっとした、とびっきりの感謝を純真な本心で返したのだけ。

 それだけの事だ。

 それがカレにどれ程の報いであったかは…“イリヤ”の知る所ではない。

 

「やっぱり、判ってしまうのね」

 

 アイリスフィールが目を伏せて悲しげな表情で言う。

 

「ええ」

「そう、…当然よね」

 

 イリヤは頷き、アイリは顔をさらに伏せてしまう。

 “始まりのユスティーツァ”の系列であるアイリと同型のホムンクルスであり、その最新型である聖杯そのものとして調整・鋳造されたイリヤに……況してやあの大聖杯(あな)に入って閉じた彼女に、その中身である“アンリマユ”の存在と“アイリ”との違いを隠す事など出来ない。

 

「お母様は、第四次聖杯戦争で亡くなった」

「そうね、でも―――」

「判ってるわ。お母様、アンリマユ。貴方が“アイリスフィール”そのモノでも在るって事は……だからこそ、私が聞きたいのはどうしてこの世界(此処)にいるのかって事…そしてこの世界(此処)で何をしているかって事よ」

 

 そう尋ねるもイリヤは内心…本音を言えば、こんな問い掛けはどうでも良かった。目の前に居るのは、例え本物ではなくても確かに自分を愛してくれる母親なのだ。

 

(……ならそれで良い。目の前に大好きなお母様が居る。こんな問いかけに何の意味があるの?)

 

 そう思うのに…それでも何故か? 如何してか? 尋ねずには居られない。

 多分、聞けば悔いる事になる。聞かなければ良かった…とも。

 直感ではあるが、イリヤにはそれが判るのに―――知らなければ…とまるでナニカ、強迫観念に駆られていた。

 アイリは、少し考える素振りを見せてからその問いかけに答えた。

 

「……私にも分からない。気が付いたらこの世界に居たとしか言いようがないわ。…ただ、私のすべき事は見つかった。この見知らぬ土地で途方に暮れていた私の前に彼が現れてくれたお蔭で…」

「彼―――あの白髪の少年のこと?」

「ええ……彼はこの世界に飛ばされて何もない私に親切にしてくれた。そして彼ら共に過ごし、話をして。彼らの目指すものを知り、その果てにアイリスフィール(わたし)が願い、祈り、得られなかったものを此処でなら得られると思った」

「お母様の……願い?」

 

 嫌な予感がした。それはアイリと会って、いや…あの4thキャスターの姿を見た時から感じていたものだ。それがより一層高まる。

 そんなイリヤに気付く事無く。高揚…あるいは陶酔した様子で母が答える。

 

「そうよイリヤ! この世界でなら。彼らの目指す願いが成就すれば、あの人が願った“争いの無い平穏な世界”が実現できる! そしてそれが叶えば、私と貴女…それにきっと優しい貴女のお父さんも“そこ”に居る。家族で幸せな日々を過ごす事が出来る!」

 

 おかしい―――イリヤはそう思った。

 確かにそれは、アイリスフィールも抱いた願いだろう。

 

(でも…違う、それは元々キリツグが抱いた幻想の筈。決してお母様自身から零れ落ちたモノじゃない……お母様が本当に願ったのは、キリツグ自身がその願いを成就する事と、母としてあの戦争の果てに残される娘―――アインツベルンのホムンクルスである私がその呪縛…妄執から解放されることだ)

 

 ―――なのに、このズレは…何? この見知らぬ世界に来てから持った願い…ということなの?

 イリヤは疑問を抱く。いや…内なる不安が大きくなる。

 それとも“コレ”は、もう“無いモノ”であったものが、アイリスフィールという殻を被りながらも、その“聖杯としての機能(願いを受諾する物)”へ天秤が大きく傾き、フェイト達の企み(ねがい)に応えている?……或いはその殻を纏いながらも仮面(ペルソナ)が成長、いや…独走して新たに“異なる自己(カタチ)”を獲得しているのだろうか?

 

(ううん、それも違う……そもそもサクラやバゼットの時とは違う……アイリスフィールを真似るアンリマユが現れた第四次は、まだ外へ出るべきカタチ(ねがい)貰って(うけて)いない…だから、こうして“カレ”自身が外へ出る事なんて―――)

 

 イリヤの不安と思考を余所に、アイリスフィール(アンリマユ)は独演するように娘に語り続ける。

 

「―――だからイリヤ。私と貴女の持つ力があればその願いにより近付ける。彼もあの子達も優しいからきっと貴女を歓迎してくれるわ」

 

 そうして、行きましょう、と愛しい筈の母はイリヤに手を差し出す。それにイリヤは―――

 

「ゴメンなさい。お母様…」

 

 ―――その手を取らなかった。

 

 イリヤは悲しげに首を横に振り…理解する。

 否、初めから判っていた筈なのにそれから敢えて目を逸らしていた。“コレ”は―――“生まれ落ちる事が出来なかったモノの嘆き”なのだと。

 それは、第四次聖杯戦争で勝利者たる“衛宮 切嗣”の願いを受諾できずに零れた“残骸”―――云わば、助産を受ける事も出来ず、赤子(アンリマユ)として生まれる事も叶わず、子宮(せいはい)から羊水(のろい)だけが漏れ出したようなもの……或いは流産した“ナニカ”の成れの果てだ。

 原因は判らない。けれど、コレは冬木の街を焼いたモノと同じ“(のろい)”が、このアイリスフィールの(カタチ)をもって、“何故か”この並行世界に移動した“異物(モノ)”だ。

 

(アンリマユ…アヴェンジャーにも為りきれていない欠陥品か粗悪品……いえ、というよりも生まれ出る事が出来なかった“この世全ての悪”の呪詛(こえ)に過ぎないと言うべきか。解らない事はまだある。…けど、それでも―――)

 

 イリヤは出た結論から意を決し、再度『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を投影して魔力を注ぎ、構える。

 

「イ…リヤ?」

「どうして“無いモノ(カレ)”ですら無い貴方がその(カタチ)を採ったのか、採れたのか。どうして此処に居るかは判らない……正直、感謝したい気持ちもある。…けど、貴女がこの世界に居て、願いを叶えようとするのは、きっとこの世界にとって異常であり、災厄なんだと思う」

 

 向けられる敵意に困惑する“母の姿”。

 それを苦しく思う自分がいる。泣き出したい自分がいる。それでもイリヤは目の前の存在がこれ以上、此処に在る事が許せなかった。

 アイリスフィールそのものでありながら違っている存在。それを容作っているのは“カレ”ですらないお粗末な悪性―――そして先に見た黒化英霊(ジル・ド・レェ)を使役し、明日菜と刹那の2人……いや、それどころか真名と古 菲、悪くすればネギと木乃香を加えた6人が犠牲に為り掛けた元凶である事が判ったから。

 この“母の姿をした呪詛”は、この世界にとって間違いようの無い異物であり、災厄なのだ。そう―――

 

「さようなら、お母様」

 

 ―――イリヤは理解した。この世界に自分がいる訳を。覚える恐れと不安の理由を。

 それはこの目の前に在る、愛すべき“異物(ははおや)”を、自身の手で排除する為だけに“世界”に喚ばれた存在だと……判り、そして解っていたからだ。

 だから―――

 

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夢を見る。

 

 雪に閉ざされた白銀の世界で、大好きな父の肩に乗って森の中を進み。見つけたクルミの冬芽の数を競った。

 

『イリヤは待っていられるかい? 父さんが帰ってくるまで、寂しくても我慢できるかい?』

『うん! イリヤは我慢するよ。キリツグのこと、お母様と一緒に待ってるよ』

『…じゃあ、父さんも約束する。イリヤの事を待たせたりしない。父さんは必ず、直ぐに帰ってくる』

 

 そんな……果たされない遠い約束もした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 広い部屋。冬に閉ざされたお城。暖炉のお蔭で寒くない暖かな部屋の中、自分がサカヅキになるこわいユメを見て目を覚ました。

 

『お母様……キリツグはへいきかな? ひとりぼっちで、こわい思いをしてないかな?』

 ―――大丈夫。あの人はイリヤのために頑張るわ。私たち(アインツベルン)の祈りを、きっと彼は遂げてくれる。もう二度と、イリヤが恐い思いをしないで済むように―――

 

 自分の(なか)にいる(きろく)が安心させるように答えた。でも―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 吹雪が吹く森の中、狼の死体が散らばり、雪が赤く染まったそこで自分の血で赤く染まったわたしと、狼の返り血で赤く染まった鉛色の巨人とお互いを見つめ合う。

 

『―――バーサーカーは強いね』

 

 わたしはそう言った。巨人は答えず黙したまま。けれど繋がったラインと、その力強い眼が雄弁にわたしの問いに応えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 東の最果てある異国。冬木という名の都市。そこで大切な人と会った。私と(アインツベルン)を裏切った男の息子を名乗る父を奪った少年。―――とても憎くて、とても愛おしかった。

 

 夜の帳の下で一度だけ殺しあった。

 雪の降る街を一緒に散歩した。

 小さな公園で、当たり前のことで苦しんで悩んでいるのを慰めて諭した。

 黒い剣の騎士と暗殺者に老魔術士、そして■に襲われている所を助けられた。

 そんな少年を助ける為に、自分を差し出したのに。そんな自分を少年は自らを失いかけてまで助けだした。

 本当、そんな何処までも無茶をしてしまえる大馬鹿者。危険でアレだけ止めろと呼びかけたのに、大切な人のために魔法の一端にまで手を掛け、届かせた意地っ張り。

 

 そんな彼だったからこそ、わたしは―――

 

『……ええ。わたしはお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてオワリの夢を見た。

 

 孔の向こうに行ったワタシは、ただ一人、(やみ)の中。無の中で精神が散り散りに為ったわたしは、わたしを失って……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 見知らぬ天井の下でイリヤは目を覚ました。周囲を見渡すと、そこは何とも懐かしさを覚える和風模様の部屋。

 

「此処は…?」

 

 口に出すと共に思い出す。此処は関西呪術協会の本山にある屋敷の一室だ。戦闘で疲労した身体を休める為にイリヤが借りた部屋であった。

 “私”が知らない“わたし”にとって懐かしい夢を見た所為か、イリヤは微かに頭痛を覚えた。

 夢の内容は鮮明に覚えている。

 

(私は、イリヤ…イリヤスフィール・フォン・アインツベルン)

 

 その自覚はある。自分が本当に本物のイリヤだと。同時に以前の―――この世界に現れる前の、そう…元の世界にいた頃のイリヤとも違う事も自覚していた。

 それは、孔の向こうへ…閉じた先に行った影響。

 ■■の中で精神が散り散りに切り刻まれて溶かされた弊害。そして、その欠如した精神を補う為に入り込んだ何処かの世界―――『Fate』、『ネギま!』なる創作物が在り、知っている世界の人物の記憶ないし知識が混じって今のイリヤの人格(こころ)を形作っている為だ。

 それでも本人としては余り変わったという感じは無く。この変化をどう表すべきか、例えるべきかは判らない。強いて言えば“生まれ変わったような気分”としか表現が出来ない。

 ただ、肉体と魂に関しては本来のまま完全に無事だったらしい。もしくは修繕が行なわれたと言ったところだろう。

 その場合、敢えて精神を戻さずに別の世界の人間の知識をベースに人格を形成させたという事になる。

 

(いかにも“世界(アラヤ:ガイア)”らしいわね。こっち(ヒト)の都合なんかお構いなし……その方が“この世界”と“事態”に対応しやすいと判断したのでしょうね。それとも…元の“わたし”よりも、今の“私”の方がこの世界の人達に親しみを抱くと考えたのかしら?)

 

 ネギたちに愛着を持てば…或いは在れば、アイリスフィールの姿をした呪詛と敵対する確率は高まる。少なくともただ“無意識下に働きかける”よりは効果的であろう。

 イリヤが“世界の駒”として用意されたのも、おそらく殲滅対象がアイリの(カタチ)を持った“異物”で在った事に加え、“資格”の無いイリヤが大聖杯を通じて“外”へ出掛かり、排除ついでに此処で使い捨てるのに丁度良かったと判断した為だ。

 

(正直、気に入らない…けれど、まあ、良いわ。―――“あのお母様”を討つ事にもう迷いはない。本来なら死人ともいうべき私がこうして延命の機会を得られたのだ。シロウにもう会えないのは寂しいけど、キッチリと仕事こなす分だけこの世界での生を謳歌させて貰うわ)

 

 イリヤは既に決意している。ネギの応援へ向かったあの時、英霊(カード)の力を行使したあの瞬間からこの世界で待ち受ける運命(Fate))挑む事を。それに―――

 

(―――“世界”の思惑通りなのかも知れない。…それでも私はネギたちの事が…きっと大事で大切なんだ。“あのお母様”が彼らの脅威と成るなら、私は彼らを守りたい……いえ、必ず守らなくては)

 

 ……だからこそ、今更拒む事も降りる積りもなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 未だに疲労の残る体をもう少し休めようと、イリヤが目を閉じた瞬間、障子戸が開かれる。

 

「ん…?」

 

 仕方なく視線を向けると、そこにはこの世界に来てから何かとお世話になっている緑の髪を持ったマシンドール…いや、ガイノイドの絡繰 茶々丸が居た。

 丁寧に作法通りに彼女は正座の姿勢で障子戸を開け、立って敷居を跨ぎ、また正座で障子戸を閉める。思わず見惚れるような見事なまでの動作だった。

 そういえば茶道部所属だっけ、と。丁寧な作法を見てイリヤはそんな事を思う。

 

「おはようございますイリヤさん。お目覚めでしたか」

「ええ、ついさっき眼が覚めたところ。おはよう茶々丸」

 

 挨拶をする茶々丸に応えながらイリヤは上体を起こす。そしていつもの癖で両手を挙げて伸びをし、起き抜けに身体をほぐす。

 

「うーん、…やっぱり、抜け切れないわね」

 

 本格的な戦闘…実戦を経験した為か、いつものようなスッキリとした感覚は得られない。この前のアミュレット製作とは異なる疲労感が在った。

 茶々丸はそんなイリヤの様子を見て、若干申し訳なさそうに口を開く。

 

「すみません。まだお疲れなのでしょうが、マスターと詠春様がお呼びです」

「うん、判ってるわ。だから気にしないで……そういえばネギたちは如何したの?」

 

 茶々丸が起こしに来た理由を察して頷きながら布団から出たイリヤは、ふと思い出してこの世界で出来た大切な友人達の事を尋ねる。

 

「先生達でしたら、一足早く宿泊先の旅館へお戻りになられました。なんでも身代わりを務めている筈の式神が暴走したとか…」

「やれやれ、昨夜に続いて中々大変ね、ネギも」

 

 苦笑するイリヤであるが、あんなイレギュラーの後で自分の知る原作通り微笑ましい展開が起きた事に内心で安堵する。

 

「…はい。それとイリヤさんには、ネギ先生から『助けに来てくれてありがとう』と伝えて欲しいと託っております」

 

 茶々丸の伝言を受け取ってイリヤは、うん、と頷きながら、どういたしまして、と此処に居ない少年に向けて呟いた。

 

 

 

 イリヤは茶々丸に案内されて詠春の所へ通された。

 事前に多くの人には聞かれたくないと申し出た事への配慮か、この広い屋敷の中でも奥まった一室で彼はエヴァと共に待っていた。

 畳の上、随分と座り心地の良い高価そうな分厚い座布団にイリヤが座ると、その向かいに座る和服姿の眼鏡を掛けた男性が口を開いた。

 

「まずはこの度の、我が娘と弟子。そしてこの本山の危機を救って頂いたことに感謝しますイリヤスフィール」

「大した事はして無い…と言いたいところだけど、此処は素直に受け取らせて貰います。近衛 詠春様」

 

 深く礼をして頭を下げる詠春に、年長者や関西の長としての立場を重んじて丁寧に応じるイリヤ。

 ただ、イリヤにして見れば余り感謝される謂れは無いとも感じていた。

 本来ならばネギたちの危機を知ってもイリヤは動く積りは無かったのだから、原作通りエヴァたちに任せる積りだった。

 それが4thキャスターの存在を機に事情が変わり、自分なりの目的を持って行動し、結果的にそれがコノカたちと本山の危機を救う事に繋がったに過ぎない。そもそも、あの異端があってもエヴァがいれば事は済んだ筈である。

 それでも此処で感謝を素直に受けるのは、関西への繋がりや、長に対して貸しとなるだろうと打算もあるからだ。勝手に恩と感じてくれるならば、それはそれに越した事はない。

 覚悟したとはいえ、昨夜はイリヤも素直に力を示しすぎた。加えてアイリの事を鑑みれば、今後厄介事を抱えるのは確実なのだ。それを考慮すると、近右衛門に加えて後ろ盾になってくれそうな存在が増えるのは、正直ありがたい。

 数秒ほど頭を下げた詠春が顔を上げる。

 

「では次に…恩人に対して些か不躾ではありますが、お約束どおり―――昨夜の一件…あの白髪の少年と女性に関して、何かご存知の事があるならお話して頂きたい」

 

 真剣で、どこか鋭さすら感じさせる視線でイリヤを見据える近衛 詠春。彼個人としては、あの老獪な養父が信ずるイリヤを己もまた信じてはいるが、立場的にもそうだが、事がことだけに尋ねない訳にも行かない。

 それにイリヤは僅かに嘆息し、視線を右へ…エヴァの斜め後ろで控えるように座る茶々丸へ送る。

 

(ホント、仕方がないわよね……正直に、話せる範囲で話すしかないか)

 

 何故なら、コノカの仮契約を終えた後の事―――アイリとの遣り取りのほぼ全てを茶々丸の手によって記録されているのだ。

 望遠機能搭載の高解像度のカメラは兎も角、高精度指向性マイクまで備えるとは……機能過多・高性能にも程があるわよ、とイリヤは言いたかった。

 そんな思いを抱きつつも、イリヤは一度背筋を伸ばして居住まいを正すと、詠春と同様真剣に彼に応じる。

 

「白髪の少年の方は、残念ですが私にも心当たりは在りません。ただ、あの無機質的な感覚から人形、もしくはホムンクルスに相当するものだと考えられます」

「ふむ…」

 

 不意打ちとはいえ、直接対峙した詠春にも思うところがあるのか、彼は静かに首肯する。

 

「…もう一人、私に似たあの女性は―――私の母…アイリスフィール・フォン・アインツベルンの姿を模した“存在”です」

 

 イリヤは、母の名を口にしても平静を保つ積りだったが、その意に反し眉間が険しくなっている事を自覚する。

 

「……記憶を取り戻したのだな」

「――ええ」

 

 正確には少し違うのだが、エヴァの確認の問いにイリヤは頷く。

 

「アンリマユ、と言っていたな。お前の母の姿をした“存在”とやらに…それは、あの―――」

「いいえ、エヴァさん。…追々話すけど、アレは貴女が今思い浮かべた存在とは…別物よ」

 

 魔法関係者、神秘を扱う人間にとって聞き逃せない言葉……名だからだろう。エヴァは僅かに逸った様子で尋ね、イリヤは否定する。

 エヴァもらしくないと思ったのか、沈黙して静かに聞く姿勢に入る。

 

「正直に言って、私にもどうしてそのような事象が発生したのか原因は解りません。ですがおそらくアレが此処にいる事情には、“私の居た世界”の出来事が関係しているのでしょう」

 

 未だに迷いは在ったものの、イリヤは並行世界に関して先ず話した。アイリとの会話を聞かれた以上、それを隠して話すのは難しい。

 況してや話す相手は、英雄と呼ばれる者の一人と600年の時を生きる老練な真祖の吸血鬼なのだ。そんな相手に隠し通すことや嘘を突き通すのは無理がある。しかも片方は同居人だ。

 まったく話さないという選択肢もあったが、今回の一件にここまで関与し、疑惑を持たれ、今後もネギと関わる以上は論外だ。第一、麻帆良との関係すら危うくなりかねない。

 イリヤは、自分の持つクラスカードの機能に自分の居た世界と。魔術・魔法の関係。神秘の在り方。そして秘儀を利用したある儀式―――聖杯戦争の事。特に此度と関係が深く。自分もよく知る第三回での過ちと第四回、五回目の顛末を大間かにであるが語った。

 無論、自分が聖杯で在る事までは言わないが、それを練成する一族・家系であることは、聖杯戦争との関わりやアンリマユの誕生の詳細を知るが故に説明せざるを得なかった。何より、エヴァの鋭い指摘や追求に誤魔化しは出来ない。

 ただし自分の転移原因も孔に落ちた事が要因の一つとある以外は、明確には解らないとして“抑止力”に関する話は伏せた。

 

「…にわかには信じ難い話です」

「そうだな。あの会話内容から異世界であると予想はしていたが、まさか並行世界だとは……だが嘘だとしても大袈裟すぎる。それにこれでイリヤスフィールの過去や足跡を幾ら調査しても見当たらない理由にも納得が行く。学園長(ジジイ)の奴もそのことに大分頭を悩ませていたようだからな。…まあ、これはこれで頭を悩ませる事になるだろうが」

 

 聞き終えた2人は実に対照的な反応を示した。渋い顔をする詠春と、ククッと愉快そうに笑うエヴァ。

 

「 “外”に至る事で得られる正に奇跡である“魔法”。万能の願望機なる聖杯。それを求める為の聖杯戦争。その結果が―――ただ災厄を振り撒くだけのどうしようもない最悪の呪いの生誕とは。まったく馬鹿げた話だが、魔術師というのはなかなかどうして……聞こえの良い偽善ばかりを建前に振りかざし、己らの所業を誤魔化しているこの世界の“魔法使い”どもよりも、よっぽど好ましい」

「エヴァンジェリン…不謹慎ですよ」

 

 心の底から愉しげに笑うエヴァを窘める詠春。

 目の前にいる少女の一族が関与し、しかも自分達のいる世界にも災厄を―――本山の事件にも母親の姿で関わっているのだ。真面目な詠春がそうするのも当然だろう。だがそんな彼にエヴァは不適な笑みを見せ、

 

「それにイリヤの手元には英雄の力を身に宿せる破格の魔法具まである。しかもその機能は実証済みだ。コレらを“本国”に居る連中が聞いたら、どんな顔をするだろうな……なぁ、詠春」

 

 先ほどとは異なる愉しげな、されど眼だけが鋭く笑っていないその表情を見、言葉を聞いて詠春は数瞬考え込む。

 

「…それは」

 

 いや、考えるまでも無く出た結論は、詠春の顔を十分険しくさせるに値するものだった。

 

「潔癖というか生真面目なお前らしいな。考えないようにしていたんだろうが……信じるにしろ、信じないにしろ。実物(イリヤ)が此処に在る以上、連中は“色々な”意味で興味を持つだろう。危険だと言い始め、真偽を定める為だとか、徹底管理すべきだとか、非人道的だとか、冒涜だとか、正義に反するだとか、何かしら聞き心地の良い建前を口にしてな」

 

 そういってエヴァはイリヤを見詰める。詠春もだ。

 間違い無くMM(メガロメセンブリア)元老院は、万人に聴こえ良い口実と難癖を付けて、この目の前にいる白い少女を自分達の手中へ収めようとするだろう。

 おそらく、多くの人間がその“正義”を信じて、勇んで少女を追い込み捕縛しようとする筈だ。悪魔に挑む聖者、魔王を打倒する勇者の如く。本人の人間性を欠片ほども考慮する事も無く。

 そして、少女を手にし真実だと知れば、元老院の中の……欲に塗れた連中は嬉々としてクラスカードの機能を利用し、更には万能の願望機を―――聖杯を求めて、そこに至る為にあらゆる悪徳を許容するに違いない。

 元老院の悪行……というよりも実体を知る詠春は、今まで以上に苦々しく渋い表情をする。逆にその事実を指摘したエヴァは平然としている。

 

「もっとも、そんな連中程度にイリヤを如何こう出来ると思えないが…」

 

 何故ならイリヤが行使した力を知ったということもあるが、今話に聞いた“魔術師”という者が自分たちが知る道理や常識、倫理という認識の枠外に在る人種だと理解したからだ。

 この興味深い少女は、元老院などの余人や俗物に扱いきれる代物でないことを確信している。自己を脅かす者が居るのならそれこそ遠慮も容赦もしないだろう。

 それに仮に手に落ちるなら、それまでの存在だったと割り切った考えもエヴァにはある。だからこそ心配なぞ端から彼女には無い。

 だが一方でエヴァは、何処と無く嘗ての自分を見るように…この世界の“異端”である少女を見詰め。この少女の行く末がそういった血塗られたもので無い事を……それにイリヤは間違いなく“アレ”を解く鍵に―――。

 

「―――以前にそうならないように、この話を此処で留めておけば良いだけでしょう。その辺りも考慮してこの場には私たちだけしか居ないのですから」

「……フッ、まあ…そのとおりだな」

 

 エヴァの心情を読んだ訳ではないだろうが、そう言った詠春の言葉に彼女は傍からは不敵にしか見えない……自分にも今一つ、如何な理由から零れたか、判断が付かない笑みが浮かんだ。

 しかし、当の言った詠春は頭痛を堪えるかのように愚痴とも言える言葉を零す。

 

「……とはいえ、ここまで話がややこしくなると申しますか、予想斜めに大きくなるとは思いませんでしたが」

「クッ」

 

 それにまた別の笑いを浮かべるエヴァ。

 直接目撃した者こそ少ないが、アイリとイリヤは親子―――正確には同系列のホムンクルス――というだけ在って非常に容姿が似ている。

 応援部隊の中には、本山の状況を確認する為に『遠見』を使用した術者もいたのだ。スクナ召喚とエヴァの大呪文などの影響(ノイズ)で音声は聞けず、映像も不鮮明になっていたが、それでも疑う者は出るだろう。それら部下の処置や関係各所への報告をどのように行なうかは、なかなかの悩みどころである。

 その苦労が判るからエヴァは笑ったのだ。詠春には同情するが、同じ苦労をするあのジジイにはいい気味だと。

 一頻り笑うと彼女は真面目な表情を作り、イリヤの話を纏めに掛かる。

 

「―――脱線した感はあるが纏めると。アレの正体はお前の母親の姿と人格を持ったアンリマユとやらの呪詛で。聖杯か…もしくは別の何かしらの要因で並行世界からこの世界に現れた。その目的は“争いの無い平穏な世界”を実現する事……それがどのような“もの(カタチ)”かは、この際捨て置くとして、その目的を果たす為にあの白髪の小僧に協力、あるいは互いに利用し合っている、というところか……だとすると」

「……問題は、あの少年が何処の何者か。そしてどのような思惑を秘めて天ヶ崎 千草に協力したのか、ですか?」

 

 エヴァの纏めに顎に手を当て思案する詠春。

 アイリの言葉の中には、少年を指す“彼”という言葉の他に“彼ら”というのもあった。つまり白髪の少年の裏には何かしらの組織が存在する可能性が高い。

 直接少年と対峙した詠春はその力量―――格が判る。この本山の結界を抜け、一線を引いたとはいえ、この自分を不意打ちではあるがほぼ一撃で倒した人物。それを思うとその背後にある組織も並では無いだろう。

 そして、イリヤの母親の姿をした存在が手を貸すに足る“目指す願い”―――早い話、目的がある。それも推察するにかなり大掛かりな…。

 

「ふむ…天ヶ崎 千草への尋問は始めたばかり、今のところは今回の主犯は自分であると…本人は証言してますが、それも―――」

 

 怪しく彼女は利用されたのでは…と、詠春は言おうとしてエヴァに口を挟まれる。

 

「その辺はスクナの封印共々任せる。それよりも私たちはもう行く。話すべき事は大体済んだからな、折角麻帆良の外へ出られたんだ。観光を楽しみたい……何か解ったことがあったら、また聞いてやる」

 

 その言葉には言外に、ナギの別荘に案内するという約束の時間まで一通りの調べは終えておけ、という意味が含まれていた。「首を突っ込んだ以上、何も知らないまま、というのも気分が悪いからな」とも続け、茶々丸と共に部屋を後にしようとするエヴァ。それを詠春と見送るイリヤ。

 しかし、

 

「何をしている? 行くぞイリヤ」

 

 障子戸の前で立ち止ったエヴァに呼びかけられる。

 へ? と怪訝な声を漏らすイリヤ。それにエヴァは呆れたようだった。

 

「忘れたのか? 私はお前のお守り役だぞ」

 

 当然のようにエヴァはそう言った。

 

「―――そうだったわね」

「…なんだ? 義理でお前の世話をしてやっているというのに随分な反応だな」

 

 今更思い至ったというイリヤの反応に不快気に眉を寄せるエヴァ。イリヤは素直に謝罪し、微かに笑みを浮かべる。

 

「ゴメンなさい、感謝しているわエヴァさん。―――ありがとう」

 

 元は、近右衛門にできた“借り”から始まった関係……同居生活であったが、それでもこの10日間近い日々で彼女はイリヤを受け容れたようだった。今も当然の如く共にいる事を口にした。

 だからイリヤも謝意だけではなく、ありがとう、と自然と感謝の言葉を口から出ていた。

 

「―――なら、少しは気を回せ。私が外にいられる時間は短いんだ。観光に付き合え……それに久し振りの京都だが、変わっていない所なら案内してやれるし、名所を教えてやれる。並行世界とはいえ、同じ外国人のお前なら色々楽しめるだろう。麻帆良の外に出た事がない茶々丸もな」

 

 イリヤの想いが伝わったのかプイッと顔を逸らし、面倒くさげに仕方なさそうにしながら、どこか照れくさそうに、楽しそうに言う吸血姫を見てイリヤは嬉しくなった。

 色々と遠回しに表現とするエヴァの様子に…素直じゃない彼女に微笑ましくなる。ああ、やっぱり―――

 

(私が好きなエヴァさんでもあるんだなぁ)

 

 と。自分のことを認めてくれているこの世界のエヴァンジェリンを改めて好きになった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 旅館「ホテル嵐山」へ突撃し、疲れ切って寝転び、睡眠を取ろうとするネギ達にエヴァを筆頭としたイリヤ達は強襲。彼等を叩き起こして京都観光へと洒落込む事となった。

 無論、ネギを始め、明日菜たちは寝不足と疲労に加え、市内各所を既にあちこち見回った事もあって抗議したのだが、唯我独尊が人の形を持ったような存在であるエヴァを止めるには至らなかった。

 そして、半ば観光という名の強行軍を強要されたネギと明日菜達であるが、寝不足と疲労が残る体にも関わらず、何とか乗り越える事に成功する。

 

「マスター、満足いきましたか」

「うむ、いった」

 

 公園のベンチに座る一行の中、眠気と疲労の大きいグロッキー気味なネギと明日菜達の横で、文字通り満足気に息を付くエヴァ。不死且つ不老の吸血鬼であるにも関わらず、その顔の肌は何処と無くいつも以上にツヤツヤと輝いているようにも見える。

 イリヤはそれに苦笑する。そんな様子を見ていると外見相応の少女にしか見えないからだ。とても裏世界で恐れられる元600万$の賞金首に見えない。それにしても―――

 

「―――エヴァさんがここまで京都…というか日本文化に詳しいなんて、少し驚きね」

 

 そう、イリヤが言うのもエヴァが京都の名所を見回った際に披露した知識が、観光パンフレットは愚か、仏閣マニアでもある綾瀬 夕映が驚くほど寺やら神社などの由来や歴史に通じていたからだ。

 但し、驚きであっても意外ではない。囲碁や将棋が好きであったり、茶を点てられたり、紅茶よりも緑茶が好きだったり、と。薄々気付いてはいたが、この欧州生まれの真祖の吸血鬼はかなりの日本贔屓らしい。

 

「ん、昔にちょっと…な。この島国の連中には少しばかり世話になっていた頃が幾度かあったんだ。勿論、異文化への興味という点も大きかったが…なんだろうな―――さしずめ、この国で言う“(えにし)”が在ったというところか…」

 

 曖昧な語彙を含み、そう言って空を見上げて何処か遠くを見つめるエヴァ。過去に思い馳せているだろう。

 先程まで外見相応の少女にしか見えなかった彼女が、まるで年輪重ねて老成した大樹のような雰囲気を纏う。

 

「―――――…」

 

 そうして何かを呟いたようでもあったが、その声はイリヤの耳には届くことは無かった。

 

 ―――或いは、この時、エヴァがもう少し踏ん切りを付けられ、もう少し声を大きくしていれば……未来が少し変わっていたのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 程無くして約束の時間となり、詠春に指定された場所へ赴く一行。

 ネギと明日菜は先程少し休息が取れた事もあってか、幾分か疲労を拭えたらしく顔色も良くなっている。特にネギは父の手掛かりを得られるかも知れないと感じている為か、さらに足取りが軽い。

 

「やあ、皆さん。休めましたか?」

 

 一足先に待っていた詠春がネギたちの姿を認め、声を掛けてくる。

 ネギも声に気付いて挨拶を返す。

 

「どうも―――長さん!」

 

 その直ぐ傍で明日菜が「私服もシブイ!」と呟き、刹那が軽くお辞儀を返している。木乃香は何か気付いたようで父の姿を認めるなり、駆け寄ると「タバコ、アカン~」などと言って詠春が手にしていた煙草を取り上げる。

 詠春は、そんな娘の行動を咎める事も無く、ただ苦笑を向けるだけに止め。木々の生い茂る道の奥へ指し示すように手を向けてネギに告げる。

 

「この奥です。三階建ての狭い建物ですよ」

 

 雑草や枝葉に侵食されつつある狭い道を歩き、その道中に詠春がエヴァに報告する。

 

「スクナの再封印は、完了しました」

「うむ、御苦労、詠春。面倒を押し付けて悪いな」

 

 スクナの事を聞いて鷹揚に頷くエヴァ。それに詠春も「いえ、こちらこそ」と相槌を打つ。

 そこにネギが口を挟む。その事件に関わるやり取りを聞いて気になったのだろう。自分が相対した歳の近い少年のことが。

 

「あの、長さん…小太郎君は……」

 

 敵であった相手にそんな気遣わしげな様子を見せるネギを好ましく思いつつ、微かに苦笑して詠春はこの優しい少年に答える。

 

「それほど重くはならないでしょうが、それなりの処罰はあると思います。天ヶ崎 千草についても、……まあ、その辺りは私たちにお任せください」

 

 ネギを安心させるように詠春は言う。

 

「それより、問題の小僧の方はどうなんだ?」

 

 一方、エヴァにとって雑兵に過ぎない狗族(ウェアウルフ)や、利用されていた事にも気づかない千草(おんな)の事などどうでもよかった。肝心の…裏で糸を引いていたらしい本命の方が気掛かりである。

 しかし、詠春は首を横に振る。

 

「現在調査中です。今の所は彼が自ら名乗った名がフェイト・アーウェルンクスであることと…一ヶ月前にイスタンブールの魔法協会から日本へ研修として派遣された事しか…」

 

 おそらく詐称でしょうが、と。実質何も判らず仕舞いの報告を無念そうに、そう締める詠春。

 同時にネギたちに気付かれぬように、念話でアイリの事が伝えられる。

 

(それと、あのアイリスフィールという女性の事は、天ヶ崎 千草と犬上 小太郎は何も知らないそうで、顔も合わせてないとの事です。キャスターという男に関しても白髪の少年に協力者として紹介された以上の事は知らず、彼女らも不気味な容貌の彼に積極的に関わろうとしなかったと…)

「――ふん」

 

 エヴァも半ば予想はしていたのだろうが、それでもその結果が気に入らないらしく不機嫌そうに声を零す。イリヤも予想通りからか沈黙しそのやり取りを静観していた。

 

 

 

 「ここです」

 

 道の奥にある天文台を備えるナギの別荘へとたどり着いた。

 ネギはそれを高揚した思いで見上げ、エヴァも想い人の名残を感じ取ろうとしているのか、熱い視線をそれに向ける。

 中に入ると先ず目立ったのが、巨大な本棚とそれに敷き詰められた大量の本であった。

 

「スゴーイ、本がたくさん」

 

 それに早乙女 ハルナを始め、興奮を隠せない図書館組。明日菜も全体的な雰囲気をオシャレと言い、他の面々も好印象を持ったようだ。

 ただ、エヴァだけは勉強嫌いで魔法学校も中退という事実と基本的に馬鹿っぽいという本人を知る所為か。らしくない、柄にもないな、と真面目に本を読むナギの姿を思い浮かべて可笑しそうに…また少し呆れたように見えた。

 

「彼が最後に訪れた時のまま、保存しています」

「ここに…昔、父さんが…」

 

 詠春の言葉に感慨深く一人呟くネギ。

 そうしてしばらくの時をこの別荘で一行は過ごす。

 ネギは、父の足跡を辿ろうと手掛かりを求め。エヴァはやはり彼の名残を感じ取ろうと見回り。明日菜たちと図書館組もそれぞれ思い思いに別荘内を巡った。

 そんな中、イリヤは別荘の最上部に設置された望遠鏡をボンヤリと見詰め、彼が調べようとした事に思いを巡らせた。

 

(…火星、造り出された世界。滅びに瀕する魔法世界)

 

 彼はそれを救う手立てを求めたのだろう。この世界が自分の識る原作(えそらごと)と近しいなら、きっとそうだろう。

 魔法も5、6個しか覚えていない。お世辞にも出来が良いとは言えない頭を振り絞って“全てを救う”ための回答を得ようと―――

 

「あ、イリヤちゃん」

 

 気付くと明日菜もこの最上部に居た。そして、やっほ、と挨拶するように軽く片手を振ると。直ぐに大きな望遠鏡の存在に気付き、珍しげに見回して覗き込もうとする。

 そんな子供めいた女子中学生の行動を見、微笑ましげにイリヤは言う。

 

「何も見えないわよ。天窓が閉まっているんだから」

「む…ほんとだ、何も見えないわね」

 

 それでも覗き込んだ明日菜は、残念、と口惜しそうする。直後に木乃香と刹那も現れ、明日菜は今しがたイリヤに言われた事を忠告するも、やはり覗かずにいられないのか、2人とも同じ行動を取って残念がる。

 その2人に明日菜とイリヤは顔を見合わせて苦笑する。そして見合わせたまま、思い出したかのように明日菜が言う。

 

「イリヤちゃん、あの時、危ないところを助けてくれて、ありがとね」

 

 それはイリヤがあの海魔を殲滅した時の事を指していた。

 唐突な明日菜のお礼にイリヤは微かに首を傾げる。

 

「ん?…どうしたの、急に」

「いや…何だかんだで、確りとお礼を言えてないなぁ…と思って。あの時も直ぐにネギを助けに行かなきゃいけなかったし、さっきもエヴァちゃんの観光も、えっと…ホラ、夕映ちゃんとハルナも近くにいたからさ」

「…そうね。特にハルナという娘は人間拡声器らしいしね」

 

 イリヤの言いように明日菜も、そうそう、と我が意を得たと言わんばかりに頷く。

 すると、刹那と木乃香もイリヤへ歩み寄って軽く頭を下げる。

 

「私からも、お礼を言わせて貰います。あの時は本当にありがとう御座いました!」

「ウチもや、明日菜とせっちゃんを助けてくれて…ありがとな。イリヤちゃん!」

 

 3人の行動に、何だか照れくさいわね、とむず痒くなるイリヤ。

 しかし刹那は少し思うところがあるのか、いや…やはり疑念があるのか。敬愛する師であり、西を纏める長が―――少なくとも自分達の前では―――何も言わないにも拘らず、出過ぎた事だと思いながらもイリヤに似た女性の事を口に出す。

 

「イリヤさん、助けて頂いた貴女には…その、失礼かも知れませんが、あの貴女に似た女性とは…」

 

 刹那の問い掛け方が詠春のものと同様なので、イリヤは思わず笑みを零す。

 

「師に似て、律儀な性格ね…セツナは」

 

 そのイリヤの言葉に詠春も尋ねた事が理解でき、やはり出過ぎた事か、と恐縮してしまう刹那。そんな彼女の心情を理解しながらもイリヤは答える。

 

「あれは…そうね。私のお母様の亡霊……のようなものかしら」

 

 その答えに刹那は怪異を使役していた不気味な男を思い出す。イリヤがあの男の事を亡霊・怨霊と言っていたからだ。

 

「それは、あの奇怪な魔物を召喚した男と同じ…という事ですか」

「……確かに、アレとも無関係ではないし、似たような存在とも言えなくはないわ」

 

 刹那の疑問に少し考えてそう口にするイリヤ。アンリマユとの関連やサーヴァントに近い肉を持った呪詛(れいたい)という事を思えば、そう言えなくも無い。

 

「でも、余り詳しくは話せない。正直、説明するには事情が複雑な上、話す事で私も含めて貴女達にも不必要なリスクを生じさせかねないのよ」

 

 エヴァが指摘したことではあるが、並行世界や聖杯戦争の事を知ること、知られることはイリヤは元より知る側にも危険があり、また責任も生じる。イリヤが抱える問題はそれだけの難物というか、厄介事でしかないのだ。

 それゆえに説明せずにイリヤは簡潔に刹那に言う。

 

「…言えるのは、あの女性は私の敵であるということ―――私がアレらの仲間では無い、という事ぐらいね。…だから安心してセツナ」

「う…恐縮です」

 

 出すぎた事と自覚していた上、恩人に対し疑念を持っていたことを指摘された為、今度は恥ずかしい思いで口に出して恐縮を示し、文字通りに身体を縮み込ませてしまう刹那。

 イリヤはそんな彼女に首を横に振り、貴女の疑念は尤もだし、それに―――

 

「―――コノカを大切に思うのであれば、当然の対応よね」

 

 と。刹那をフォローする。

 大事なお嬢様を、自分の命よりも重いと定めた大切な人を拉致し、利用しようとした一味の関係者かも知れないのだ。その心情は十分に察せる。例え師や周囲の人間が気を許していても、僅かでも疑念を払拭できないのなら警戒心も残るだろう。

 今のやり取りで一応信用を置いてくれるだろうが、それでも疑いを留める筈だ。

 木乃香の事を出されて頬を赤くし、顔を伏せる刹那を見つつそう思うイリヤ。

 

「でも…イリヤちゃんは、それでええの? お母さんと敵やなんて…」

 

 木乃香がふと思い付いたように心配げにイリヤにそう尋ねる。明日菜も不安そうな顔を見せている。刹那も顔を上げてイリヤを見詰める。

 茶々丸の記録した会話こそ聞いていないが、スクナの祭壇から遠目で見た限りではとても親しげにも見えたからだ。

 

「だからこそよコノカ。アレはお母様に近しいだけの偽者で―――この世界に在ってはならない間違った存在なのだから」

 

 イリヤは、内に秘めた決意から当然のようにそう即答した。

 木乃香はそのイリヤの答えに何か不安を覚え、何を言えば良いか悩んだ。いや…考えられなかったというべきかも知れない。

 そもそもイリヤは全てを話していない。亡霊という意味も、偽者という意味も木乃香には判らない。だがそれ以前にイリヤの言葉の中の母の亡霊だと、偽者だというヒトに対する確かな親しみを…もしくは愛情ともいえるものを感じられたからだ。同時に全く迷いが無い事も…。

 明日菜も同様だ。だからこそ不安になる。あの時、躊躇無く……自分たちの命を危険に晒した相手とはいえ、怪異を使役していた男の首を刎ねた冷然としたイリヤの姿を見たからこそ、木乃香以上の不安を抱き、そして恐れが在った。

 刹那は、ただ幼い少女らしくない強い決意ばかりを感じ取り、感心して内包された感情をそこまで深く汲み取れなかった。

 

 しかし結局、不安を抱いた2人は何も言えなかった。

 返すべき言葉が纏まらなかった事もあるが、口を開く前に詠春が彼女達に話があると呼び掛けて来たからだった。

 

 詠春の話は、ネギの父であるサウザンドマスターの事。20年前の大戦の一端などだ。だが結果的にはネギが望むような手掛かりは無く。父の存在をおぼろげに感じただけで、彼とってこの場所は、幼き日に見た背中の遠さを改めて想い起こさせるだけだったのかも知れない。

 

 それでも此処にきた甲斐はあった、と。ネギは言い。朝倉 和美の提案を受けて皆で記念写真を撮り、イリヤの姿もその写真に並んだ。

 

 

 

 ―――イリヤスフィールという少女がこの世界に居る事を、忘れ得ぬ大切な想い出をとして確かに刻んだのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、イリヤはネギ達と共に麻帆良への帰路に付いた。

 揺れる車内の中、うつらうつらと舟を漕いで半ば眠りにつきながらイリヤは、夢を見るように思い返していた。

 

 『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を真名開放と共に投擲したあの時。

 残念ながらもイリヤは、あの場でアイリスフィールの姿を持つ呪詛の打倒に失敗した。

 

(まさか、弓に携えていないとはいえ、あの至近距離で『偽・螺旋剣(カラドボルグ)』が弾かれるとは思わなかった)

 

 空間を捻じ切りながら放たれたそれを、アイリの影から飛び出した人影―――その手に持つ“真紅の魔槍”が弾いたのだ。

 イリヤは驚きと共に瞬時にその正体を看破し、直ぐに距離を取った。

 確証はないが『アーチャー』の能力で“ソレ”と打ち合うのは危険だと判断したからだ。

 “真紅の魔槍”……真名を開放した『偽・螺旋剣』の放つ力を殺し、見事打ち払ったそれは、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルク)』。あらゆる魔力・魔術的効果を遮断する“宝具殺し”の魔槍だ。

 その担い手はケルト神話に語り継がれるフィオナ騎士団の英雄ディルムッド・オディナ。騎士団随一の戦士として名を馳せた人物である。

 ただ“輝く貌”とも異名を持つ彼のその美貌は、ジル・ド・レェ同様に黒化の影響を受けたためか、それとも……かの戦いでの末路によるものか、憤怒や憎悪にも似た異相に染まり、見る影も無かった。

 その異様から直ぐにでも距離を詰めて襲い掛かってくるかと思えたが、アイリが止めたらしく。彼はその場から動く事はなかった。

 

「イリヤ、どうして!!?」

 

 代わりに驚愕と疑問が混じった悲鳴染みた声を上げて詰問してくるアイリ。だがイリヤはそれに答えず、両手に双剣を投影し、魔術回路に剣弾を待機させた。

 無言のまま、敵意しか見せない娘の様子にアイリは悲痛の表情を見せる。それでもイリヤは揺るがない。

 アイリには理解が出来ない。どうして娘が自分を拒絶するのか。平穏な世界を創り、家族皆で幸せに暮らすという願いを。アイリスフィールである事を認めてくれた娘が―――何故? と疑問しかない。

 イリヤは既に言葉を語る積もりは無い。母親に近かろうと、アレはもう言葉を尽くして語りかけても願いを捨ててくれる存在ではないと理解できるからだ。

 彼女の言う彼ら―――“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”がどのような目的を持ち、どのような手段を使うのかは知らない。

 予想や推測は出来ても確証は無い。そこまでの“原作”の知識が無いのだ……けれど、如何なる目的でも、手段であってもアイリ―――願望器より漏れ出た”願いを叶える呪い(悪意の泥)”が願いを叶える事は、この世界にとって必ず大きな…そして取り返しの付かない歪みになる。

 

「悲しいわ。イリヤ…貴女も、貴女なら、きっと判ってくれると思ったのに……お母様は―――“呪いたい”くらいに貴女を、イリヤのこと、許せなくなりそう。……でも、これが反抗期というものなのかしらね。なら、それを諌めるのも親の務めよね」

 

 穏やかなのに不穏な気配を放ち始めるアイリ。それに呼応し黒化した4thランサーが二槍を構え―――

 

「―――え? でも……、判ったわ。それなら仕方が無いわね。……それに確かに貴方の言うとおり、少し危険なようね」

 

 突然アイリは独りごとを…いや、誰かと念話らしき会話をはじめ、イリヤの背後…その向こうに視線を向けて頷いた。

 その視線の先には、強大な魔力を隠す事無く纏う金髪の少女の姿がある。そう、真祖の吸血鬼にして“最強の魔法使い”であるエヴァ。その危険性を理解したアイリはこの場は退く事を決めた。

 

「それじゃあイリヤ。この場は諦めるけど、近いうちに迎えを出すから。それまでよ~く考えておくこと、良いわね♪」

 

 そう言って、また会いましょうと朗らかな笑顔を浮かべてアイリスフィールは姿を消した。

 そして今更ながらにフェイトの姿がないことにイリヤは気付く。

 その後、ネギたちと合流するも、初の実戦で緊張と疲労が蓄積したイリヤは早々に休みを取ることにし、詠春たちに説明を約束して部屋を借りたのだった。

 

 

 ―――これがあの夜の顛末である。

 

 

 




タグにあるTS詐欺の訳はこれです。
憑依イリヤでは無く、実はHFルートを辿った本物のイリヤでした。
こうした半憑依状態にした理由は、本文にある通り、イリヤにネギ達に親しみを持たせる為です。女性口調と仕草だったのも無意識に自分が本当は女性である事を理解していた為です。

アイリもまた、さらに意外(かな?)な事に本人では無く。それを殻に被ったアベンジャーの出来損ないです。
ただ出来損ないと言っても、膨大な魔力を有し黒化英霊を従えるチートな強敵ですが。

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