麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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日刊ランキングの10位に入っていてビックリしました。
お気に入り数も500を超えてますし。
ただ贅沢を言うと感想も欲しいです。特に初見の方からは。
もしかすると今後の展開や改訂に参考になる意見が聞けるかも知れませんので。思う所があったら遠慮なくどしどし、と。


第3話――日々の始まり、そのある一日 彼女の誕生日編

 東京からの帰りの電車内にてアスナの耳に入らないようにアヤカが言った言葉を思い出す。

 

『アスナさん――というのは些か気に障りますが、ネギ先生の為にも明日は盛大に祝いましょう』

 

 という発言から紆余曲折。

 当初は私も含め、クラスメイトの皆でという意見が出ていたけど、それに私が渋ると「やっぱ人の多いとこ、苦手なん?」とコノカが言い。

 それなら修学旅行を控えているし、その準備で皆も忙しいかも知れないから居合わせた面々でささやかに……と、そのように話が纏まった。

 

 正確に言えば、私は参加その物に抵抗を覚えていたが故に渋っていたのだけど、とんとん拍子にコノカとアヤカ……それにネギが話を勝手に進めて、いつの間にか断り難い状況になり――私の“アスナ、15歳の誕生日おめでとうパーティ”への参加が決定した。

 

「――はあ」

 

 独り、薄暗い部屋で溜息を吐く。

 今私が居るのはエヴァ邸での自室…六畳ほどの一間。

 そこで私は床に直接座り、瞑想するように胡坐を組んでいる。

 

 ――駄目ね…。

 

 今から行う事には集中を欠かせないというのに、どうにも精神が乱れていた。

 “コレ”自体が余りノリ気で無い明日のことに関係している為だろう。

 別に他人の誕生日を祝うのが嫌という訳じゃない。

 ただ今更感もあるけど、余りネギや彼のクラスメイトと関わるのは良いことではないと思えるのだ。私自身と彼の為にも。

 

 原作である“ネギま!”――ネギ・スプリングフィールドを主人公とした物語。

 私は、二次創作のようなオリ主としてそれに“介入”する気など全く無い。

 学園祭編に関しては、多分に気掛かりな点はあるけれど、基本的に物語はハッピーエンドに向って進行する。

 だから私が介入する必要なんて無いし、得られるメリットだって何も無いのだ。

 むしろ、介入なんて無意味にして英霊(カード)の力を行使する事態になる方が厄介で、危険だろう。

 そう、関われば自分の立場を危うくした上に、定められた彼の行き先(みらい)を大きく違える(変える)可能性が生まれるのだ。

 

 〝しかし、それでも――本当にそうなの? もう――――んじゃない? ()()は……―――――〟 

 

「…ッ! ふう、――はあ」

 

 眼を閉じて大きく深呼吸して乱れた精神を整えて、唐突に過ぎった余分な思考(ノイズ)を追い出す。

 そして今度こそ頭を……自己を透明(クリア)させる。

 脳裏に浮かぶのは自身の(なか)、全身を巡る血管と血液、鼓動を打つ心臓、そしてソコ(しんぞう)に潜む(スイッチ)

 精神を統一し呼吸を整えて集中する。

 そうして私は、体の裏に潜む擬似神経を叩き起こすソレ(スイッチ)を押す。

 

 ――途端、

 

 ザクン、或いはゾクンという現実には無き音が脳裏に響くと共に、心臓を裂いて硬質な貴金属(おうごん)で出来た茨が血液に代わって鋭い根のように血管を巡って全身を貫く――無論、現実ではない。そんなイメージが雷光の如く刹那に脳を突き抜ける。

 

 僅かに遅れて身体に苦痛が走る。体内に魔力が奔る。

 常人には耐え難い死と同義的な痛み。

 初めこそ、この予期しない苦痛に驚愕し暴走させかねないほど、(せいしん)を乱して文字通り死に掛けた。……しかしそれもこの数日、僅かな期間で慣れた。

 

 ――魔術を扱う者は、先ず死を受け容れなければ成らない。自己の死を容認し、常に殺し殺される覚悟を持たなければ成らない。

 

 確かそんな感じの『Fate』本編に出てくる言葉を思い返す。

 正直、ソレを本当に理解できているかは分からない。けど…それでも私は魔術を扱う危険性を否応無くこの痛みと共に識らされていた。

 

 そして今日はこの更に先、知識に在るだけの……まだ試していない。新たな魔術に取り掛からねばならない。

 だから慎重に繊細に、この数日で得た“慣れ”に任せるのでは無く、確かに律した思考と精神で魔力を汲み取り、術式を紡ぎ、外界へと働き掛けなければ。

 閉じていた瞼を開く。

 

 目の前に在るのは、床に敷かれた一辺50cm正方形の白い布。そこには直径30cm程の大きさの魔法陣が水銀で描かれている。

 魔法陣が表すのは、万物・物質の流転を示す紋様――つまりは錬金術を補佐・補強し円滑に行う為の魔術式だ。

 

 その中心に純銀のアクセサリーを置く。このアクセサリーは今日、原宿の装飾店にて購入した物でブレスレットが二つにペンダントが一つある。

 今置いたのはそのうちの一つのブレスレット。

 次に自身が坐する周囲の、手の届く範囲に在る様々な“材料”を……ある物は固形物であり、小瓶や試験官に入った粉末だったり、液体であったりするソレらをブレスレットがある魔法陣の中央へ天秤で分量を量って撒き、スポイトで一滴一滴慎重に垂らして行く。

 そうして必要な材料を全て投じたか? 間違いが無いか? 3回確認して確信を得るとブレスレットに――魔法陣の中心に手を掲げ、詠唱を始める。

 

「流動――交錯――変異――停滞――」

 

 小源(オド)のみならず、大源(マナ)をも取り込み。魔力へ変換・生成して術を紡ぐ。

 

「また流動――交錯――変異――停滞――繰り返す、繰り返す――」

 

 取り込んだマナに感覚が侵される。膨大な魔力の行使に魔術回路が白熱する。複雑な術式構成に思考すらも許されず塗り潰される。

 今の私は一個の機械。錬金術という条理より外れた神秘を成す歯車。魔術を成す為だけの装置。

 

 …………そうして自身が人であることも…ありとあらゆる思考を忘却しかねない……数瞬を幾度も重ねた永い刻を掛け――術が成った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふあ…」

 

 長く同じ姿勢で居たのですっかり硬くなった身体を解す為、両手を上げて大きく伸びをする。同時に大きな欠伸が出た。

 窓に掛かったカーテンには白みが差しており、外からチュンチュンと雀らしき小鳥の鳴き声が聞こえる。

 ベッドの脇、枕元近くにある時計を見るとその針は5時を指していた。

 

「もう…朝かー……うう、流石に眠い」

 

 少しは眠れそうだけど、ほぼ完徹かぁ。

 ノロノロと体を動かして、魔法陣を初めとした魔術品を十数分掛けて片付ける。

 

「……ふあぁ」

 

 片づけを終えたらまた欠伸が出た………昨日、茶々丸には言ってあるから朝餉の仕度は独りでしてくれる筈だしー、10時までは寝かせてくれる筈ぅ。

 

「なわけで、私はねますぅ~~」

 

 おやすみー。

 べっどにとびこむ。

 

 …………―――――――――――――――――。

 …………………―――――――――――――――――――。

 ………………………―――――――――――――――――――――。

 

 

「おき……さい。イリ……ん。もう10…すぎて…す」

 

 ぐらぐらと身体が揺れる。

 誰かに揺すられている。でも眠い。

 

「ううううう…もう少し寝かせてぇ~。昨日は東京であるいてー、夜はけっこうー魔術を使ったから疲れてるのよぅ」

「はあ…でも……」

「お願い、五分だけでいいから~」

「……わかりました」

 

 ……………再び身体が揺すられる。

 

「五分経ちました、起きて下さいイリヤさん」

「う…」

 

 ……もう五分経ったの?

 重く感じる瞼を薄っすらと開けて何とか眼を覚ます。

 目の前に緑色の髪を長く伸ばしたの女性の顔が在る。

 

「……おはよー、茶々丸」

「はい、おはよう御座いますイリヤさん」

 

 何処か気の抜けた感じの挨拶をして、茶々丸の感情の起伏が感じられない返事を聞きながら身体を起こす。

 ボンヤリとする頭と身体に気だるさを覚え。う~~ん、と背筋を伸ばし、身体をほぐしてそれらを追い出す。

 チラリと時計を確認すると針は10時15分を過ぎた所を指していた。

 

「ふぁぁ――う…ありがとう茶々丸」

 

 欠伸を漏らしつつ、約束通り起こしてくれた茶々丸にお礼を言う。

 

「いえ、……それでは、私はリビングの方でお待ちしております。軽い食事を用意してありますので」

「うん」

 

 私が頷くと茶々丸はペコリとお辞儀をして部屋を出て行った。

 ベッドから立ち上がり、もう一度身体を伸ばして私は着替えに取り掛かっ――とその前に、

 

「…顔、洗おう」

 

 洗面所に向かう事にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 リビングに入ると、胃と食欲を刺激する香ばしいスープの香りが漂っていた。

 その香りの元を辿って視線を巡らせると、テーブルの上にトレイに載った小さめの鍋があり、私の姿を認めた茶々丸がそこから皿へスープを掬い始めていた。

 その傍のソファーには、窓から差し込む陽光で長く伸びた金髪を輝かせている少女がうつ伏せに寝転がっている。

 私は目線で茶々丸に改めて挨拶をし、その少女――エヴァンジェリンさんに向かって声を掛ける。

 

「おはようエヴァさん」

「ん……やっと出てきたか」

 

 ソファーに寝転がり、分厚い本を読んでいたエヴァさんが私の挨拶に顔を上げた。

 しかし返事の挨拶は無く、その表情は憮然としており、私の遅い登場に機嫌を悪くしているらしかった。

 

「ゴメンなさい、遅くなって」

 

 非は自覚していたので素直に謝ってから席に着く。

 目覚めが少し遅れた事もそうだけど……その後、一度洗面所に向かった私は昨晩の魔術行使の為か、汗でベトついた身体に気付き、着替えを取りに戻ってシャワーを浴びる事に切り替えたのだった。

 当然その分、予定していた時間より遅れるわけで。

 で、何の時間かというと――

 

「ふん、まあいい。……それより昨日言っていた“護符(アミュレット)”の製作とやらは上手く行ったのか?」

 

 ――それは昨晩製作……というか加工した銀のアクセサリー。それをベースとした私製アミュレットの仕上がりをエヴァさんとの協力で確認する為の時間だ。

 私はエヴァさんの問い掛けに「ええ」と頷き、持ってきた紙袋から3つのソレを取り出してテーブルの上に置く。

 彼女は慎重な手つきでその中から2つあるブレスレットタイプのアミュレットの一つを選んで手に取った。

 

「ッ!――……ほう」

 

 手に取った瞬間、大きく眼を見開いて驚くも直ぐに表情が冷静な観察者といった風になり、エヴァさんは繁々とブレスレットを眺めて感嘆の声を漏らした。

 

「正直、余り期待はしていなかったのだが、………感じた事の無い異質な魔力に私も知らない未知の術式……ふむ――」

 

 エヴァさんは右手でブレスレットを掲げて眺めつつ、空いた左手で3つ中でも特色の強いペンダントの方を取って見比べる。

 

「こちらは見た目に劣らず更に複雑な術式構成をしているな。……出来も悪くなさそうだ」

 

 頻りに感心し、興味尽きない様子。

 無理も無いのかも知れない。

 吸血鬼として悠久の時を生き、そして封印によって15年もの間を麻帆良に閉じ込められているエヴァさん。

 無為に時を過ごす事、暇や退屈が最大の敵であろう彼女にとってこういった目新しく珍しい代物……云わば新鮮味というべきモノはその敵を凌ぐ格好の存在であり、“永遠の生”を与えられた日々の中では大きな潤いなのだろう。

 況してや麻帆良から出られない現状では尚更に。

 

「……なるほど」

 

 エヴァさんは神妙に呟くと視線をアミュレットから外して私の方へ向ける。その眼には明らかに好奇の光が灯っていた。

 

「コレがお前の得意とする“魔法”か」

「ええ…一応錬金術の一種だと考えて貰えればいいわ」

「ふむ、錬金術とは云い得て妙ではあるな。……実に――興味深い」

 

 舐めるような、そして探るような視線で私を見詰めてそう言うエヴァさん。

 まあ、実際の所、私の扱う“魔術”では一応ではなく、れっきとした錬金術なんだけどね。

 と、エヴァさんからの視線の意味をなるべく考えないようにして、茶々丸から受け取ったポタージュスープを啜りながら内心でそう呟く。

 

「ごちそうさま、美味しかったわ」

「どうも…お粗末さまでした」

 

 数分後。二度ほど御代わりをし、食べ終えて合掌する私に茶々丸が応じる。

 時計を確認すると11時前だった。ネギ達との約束時間は11時半だから少し時間が無いわね。

 視線を時計から茶々丸に移し、

 

「茶々丸悪いけど、洗い物は――」

「――お構いなく、この鍋とイリヤさんの食器だけですので」

 

 言いたい事を察していつもの静かな口調で承る茶々丸。

 すっかり家事をすることが当たり前と成りつつある私としては、朝から任せぱっなしというのは若干心苦しいけど、本当に時間が無いのだから仕方が無い。

 今度何かしらの形でお礼をしないと……横暴な家主以上にお世話に成っている訳だし。

 そう思いながら茶々丸に軽く頭を下げた。

 

「うん、お願い。……それじゃあエヴァさん」

「ん…」

 

 席を立ち、未だにアクセサリーを眺めているエヴァさんに声を掛けると、彼女も鷹揚に頷づいてソファーから立ち上がった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァ邸を後にし、私とエヴァさんは家から離れて周囲に在る人目の付かない森の中へと入った。

 

「準備は良いか?」

 

 生い茂る木々が開けた、ちょっとした広場を思わせるその場所で10mほど離れたエヴェさんに腕に付けたブレスレットを見せて叫ぶようにして言う。

 

「ええ、良いわ。……お願い!」

 

 エヴァさんはそれに軽く頷くと呪文詠唱に入る。

 

「リク・ラク、ラ・ラック、ライラック」

 

 始動キーを紡ぎ、そして何処からか液体の入った瓶と試験管――魔法薬を取り出し、

 

「氷の精霊10柱。集い来りて敵を切り裂け。魔法の射手・連弾・氷の10矢!」

 

 詠唱を終えると同時に放ると、瓶と試験管が空中で割れて魔法薬が混ざり――それを媒介に無数の氷の矢が私に向かって放たれた。

 

「―――…っ!」

 

 “強化”した視界の中、凄まじい速度で向かって来る氷の矢に一瞬恐怖を覚え、身体が本能的に避けようと足が動きかけ――たが、何とか自制しその場に踏み止まる。

 直後、無数の氷の矢は私の身体を貫く……事も無く、当たる先から掻き消えるように消失する。

 

「おおっ!」

 

 それを見たエヴァさんが感嘆の声を上げるも、当の私は実験の成功か? それともこの身が無事であった事への安堵か? そのどちらとも判断が付かない深い溜息を吐いていた。

 

 その後、3点のアミュレットの効果を幾つかの基本的な魔法と特殊な魔法薬で試してその能力を確認した。

 結果をいえば、全てのアミュレットが想定通り…いや、以上の効果を発揮し、実験は見事成功といえた。

 …けれど。

 

「まったく…本当に興味深いな。下位とはいえ、障壁無しでここまで魔法攻撃を無効化するとは。……それに本当にお前の言う通りの機能であれば、相応の実力者ならこのアミュレットを身に付けるだけで、魔法戦闘でかなりの優位を得る事になる」

 

 実験後の検討を終えると、エヴァさんが嘆息しながらそう感想を零した。

 

「私も正直驚いてる。ペンダントの方はともかく、試作品のブレスレットでもここまでの効果を現すのは予想外だったわ」

 

 私はエヴァさんの感想に頷きつつも、そう言葉を返した。

 いや、本当に驚いた。

 初めに行なった実験、エヴァさんの放った氷の矢を掻き消したこと。

 怪我する事を覚悟していたのに全くの無傷に済み、その後も武装解除などの魔法の矢と同ランク――魔術的に表すとDランク相当の“魔法”を悉く無効化した。

 多少の威力(ダメージ)軽減程度の効果しか期待してなかったというのに。

 全く、これは一体どういうことなのか? 幾ら何でも強力過ぎような。それともこれがこの世界の“魔法”と“魔術”の違い――差なのかしら?

 そう、実験中や検討の最中で幾度も思った疑問が再び過ぎった。

 しかし答えは出ない。

 

 まるで喉に魚の骨が引っ掛かったかのようなスッキリしない感じがある。

 とはいえ、此処は喜んで置くべきなのだろう。初行使の魔術でこれだけの成果を挙げられ、この世界の魔法に対する魔術の有効性も確認できたのだから。

 それにこれで学園長に対する借りを少しは減らせるかも知れないのだ。

 というのも、このアミュレット製作は学園での生活……いえ、正確にはこの先、この世界で私が生きて行く上で自立する為の手段として行なった面もあるからだ。

 要するに生活費を得るための商売と、社会(裏とはいえど)に溶け込む為の立場や職を獲得するためである。

 

 ぶっちゃけ元の世界で見ていた二次創作を真似た訳なんだけど。

 

 でも逆に学園長には迷惑を掛けるかも…?

 今回もそうだが、器材のみならず材料も用意してくれたのは彼で、今後も材料の調達に加えて流通や販売には結局、学園長の伝手を頼るわけだし。

 それに形として一応私は警護対象でもあるから、私の存在を注目させる事や麻帆良の外へ明らかになるような事は賛同できない…かな?

 とりあえず、それは話を通してからじゃないと判らないか。

 

 まあ、どうなるとしても製作したアミュレットとこの実験自体は無駄にはならないから良いんだけど。

 と。そこでふと気付いて携帯取り出し、時間を確認すると既に11時半――約束の時間を過ぎていた。

 

「まずっ!――エヴァさん!」

「ん…何だ?」

 

 思わず焦った声で呼び掛けると、俯き加減で顎に手をやって何やら考え込んでいたエヴァさんが顔を上げて怪訝な表情を見せた。

 そんな彼女に私は捲くし立てる。

 

「私もう時間が無い――っていうか、過ぎてるから…行くわ!」

「あ…おい! 忘れ物!」

 

 言い終るなり、駆け出そうとした所を呼び止められる。

 ――っと、いけない!

 駆け出す姿勢のまま、慌ててソレを手にして今度こそ駆け出した。

 

「――ブレスレットの一つは好きにして良いんだな!」

 

 その背後、遠ざかる私にエヴァさんが叫ぶようにして尋ねてくる。

 

「ええ、さっき言ったとおりよ! 実験のお礼だから構わないわ!!」

 

 それに私は顔だけを振り向かせて同様に叫んで答えるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ―――sideネギ

 

 昨日訪れた原宿には当然遠く及ぶものではないものの、多くの人々で賑わう麻帆良の繁華街。

 尤も平日であり、放課後でもない今の時間帯では学生の姿を余り見かけることは無いので、普段此処を訪れる時よりも随分と人が少ないように思えた。

 ちなみに僕達―――というより、中・高等部の最上級生である3年生クラスは、修学旅行前日という事からその準備の為、特別に休日扱いになっている。

 それでも教師である僕は、しずな先生などの同僚の人達と最終的な打ち合わせや、日程とかの確認作業があったんだけど、それも何とか朝の内に予定通りに終わらせる事ができた。

 お蔭でアスナさんの誕生日を皆で祝う事ができる。

 

「おはようネギ、コノカ。遅れてごめんなさい」

 

 15分程遅れてイリヤは待ち合わせの場所にやって来た。

 時間に遅れて急いで駆けて来たせいだろう。イリヤは頭を下げて謝りながらもハァハァと軽く息を切らせていた。

 

「ううん、コレぐらいの遅れやったら、たいしたことあらへんよ。…な、ネギ君」

「はい。時間は在るし、木乃香さんの言うとおり、少しぐらい遅れても平気だよイリヤ」

 

 首を横に振りながらイリヤに応える木乃香さんに、僕も頷いてイリヤに言った。

 すると、

 

「ん…ありがと、2人とも」

 

 イリヤはそう言って笑顔を見せた。

 そして改めた挨拶を交わして後、僕達はいいんちょさんが待つ場所へと向かった。

 

 その途中、ふと隣を歩く銀の髪を持つ少女の顔を見て少し思い耽る。

 イリヤと会ったのは先週の水曜日。ほんの5日前の学園長室だった。

 明日の修学旅行…いや、関西に在るという呪術協会へ学園長から託された親書を届ける事を頼まれた時だ。

 

 その日、学園長室を訪ねたとき。

 僕のノックに返事がされて扉を開けた直後、彼女と眼が合った。

 初めて交わした言葉は「こんにちは」と当たり障りの無い挨拶だったと思う。

 確かそう言って軽くお辞儀をして、赤い―――宝石のような緋色の瞳と眼を合わせ、雪のように真っ白で綺麗な髪を持つ同年代の女の子と挨拶をした。

 

 今思えばその時イリヤが手にしていた書物は、魔法関係の教本だった筈。

 だというのに僕は、学園長がイリヤの居る前で魔法や木乃香さんの話をするのを不安に思い。そして言われるまでイリヤが“此方側”の関係者だと気付かなかったんだよね。

 学園長が無関係な人間の前で、あんな重要な話を洩らすような間抜けな事をする訳が無いのに―――ふと、赴任初日……間抜けにも明日菜さんに“バレてしまった時のこと”を思い出してしまう。

 もの凄い形相で問い詰められて焦った僕は記憶を消そうとして―――……。

 

 その時の事を思い出し、思わずブンブンと顔を思いっ切り横に振って、慌てて浮かんだ光景を脳裏から追い出す。

 

「ど、どうしたの?」

「どうしたん?」

 

 僕の突然の行動に驚いたらしいイリヤと木乃香さんが怪訝そうに見詰めてくる。

 僕は誤魔化すように―――というか誤魔化す為に目の前で右手を振って、もう片方の手で頭を掻きながら2人に答える。

 

「あ…いや、何でもないよ」

「「?」」

 

 2人は幾分か不思議そうに僕を見ていたけど、何も尋ねず直ぐに視線を外してくれた。

 胸中でホッと安堵の溜息を付く。

 

 ―――まさか、アスナさんのノーパン姿を思い浮かべていました、なんて言える訳ないし…。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ここやよ」

 

 そう言って、ある建物の前で木乃香さんは立ち止まった。

 そこに建っていたのは麻帆良では珍しくない欧風の建物だった。煉瓦造りでバランス良く濃淡な黒が配された品の良いモノトーンで、少し古風―――クラシックな感じを受ける喫茶店だ。

 モノトーンの為か、ほの暗さを感じさせるけど、不思議と温かみも覚えさせる印象がある。

 

「中々良い感じのところね」

「うん」

 

 イリヤも僕と似たような物を感じたのか、好意的な感想を述べて僕もそれに頷く。

 ただ、雰囲気の良い筈のこの喫茶店には人気(ひとけ)は無く。看板はあれど、メニューなどが掛かれた掲示板などは見えず、開店している様には見えない。

 それもその筈で、木乃香さんといいんちょさんの話によると、つい先日に店を閉めたばかりなのだとか。

 ただし、客入りが無くて潰れた訳ではないそうで、いいんちょさん達も詳しくは知らないとの事。経営者の都合で閉店したらしい。

 結構、学生さん達の中では人気の店だったらしく、閉店時には惜しむ声がとても多かった…とも言っていた。

 なんでも料理が美味しかっただけでなく、店員さん達…声の渋いダンディな店長さんや、可愛らしい2人のウェイトレスさんも魅力的だったとかで、男女問わず客足が絶えなかったとか。

 あと、時折奇妙なブサカワイイ猫のような店員……マスコットが居たとか、居なかったとか言ってたっけ? 無造作に置かれていた青色のケータイが変に喧しかったとか、へし折られていたとかも?

 

 

 

 木乃香さんに促がされて木製の扉を押し開くと同時に、カランカランと軽やかな鐘の音が鳴り響く。

 

「ネギ先生、木乃香さん、それにイリヤさん。おはようございま―――と。あら?…もうこんにちはですわね」

「はい、こんにちは。いいんちょさん」

「こんにちは」

「…こんにちは」

 

 鐘の音で僕達に気付いたいいんちょさんが時間を気にしつつ挨拶をし、僕達も応じた。

 店内はやはりお客さんや店員などの他の人の姿が見えず、カウンターにはマスターと呼べる人間も当然居なかった。

 なのに僕たちが此処にやって来たのは今日一日だけ、いいんちょさんがアスナさんの誕生日を祝う為にこの店を貸し切ってくれたからだ。

 

「ありがとうございます。いいんちょさん」

 

 頭を下げてその事にお礼を言う。

 

「あら、いやですわネギ先生。頭をお上げになって下さい。先生の為ならばこれ位は何の事もありませんのですから」

「え…いや、でも――」

 

 ハシッと、僕の両手を包み込むようにして握り、見詰めて来るいいんちょさんに途惑うも、何とか言葉を続ける。

 

「殆どは僕の我侭みたいな物ですし…明日からの修学旅行の準備だって―――」

「お気になさらないで下さい。僅か数ヶ月という間柄にも拘らず、お世話になっている明日菜さんへの感謝の為に誕生日を祝うという、先生の行為に感激しての自発的な協力なのですから―――それにわたくしも……あ、いえ…きっと明日菜さんもお喜びになりますわ」

「…いいんちょさん」

 

 言葉の後半にいいんちょさんの明日菜さんへの気持ちが見えた気がした。

 うん…僕だけじゃない。

 昨日、木乃香さんも言った通り、いいんちょさんも明日菜さんの事が大好きだから誕生日を精一杯祝いたいんだ。

 そんないいんちょさんの気持ちを考えると、これ以上遠慮したり恐縮したりするのは返って失礼になる。

 だから―――

 

「はい! ありがとうございます!!」

 

 僕も精一杯の感謝の気持ちを込めて、もう一度そうお礼を言った。

 

 

 しばらく店内には、僕達の雑談の声のみが響いた。

 

 お祝いの為の料理やケーキといった食べ物、飲み物は、既に厨房の方に用意されているらしく、後は此方に持って来るだけだそうだ。因みに調理を行なったのは、いいんちょさんの所―――雪広財閥お抱えのシェフだとか。

 その事を自信ありげに語るいいんちょさんを頼もしく思えるし、僕も少し一流のシェフが作る料理というものに興味があった。

 釘宮さんたちは、予定通り明日菜さんを呼びに行っている。

 明日菜さんは今日は珍しく午前中だけでも部活に顔出すと言っていたので、同じく部活動の為に校舎に用があるというチアリーダー3人組の釘宮さん達に迎えをお願いしたのだ。

 それと昨日のメンバーに続いて、いいんちょさんのルームメイトである那波さんと村上さんがパーティに参加する事になり、釘宮さんたちと合流して此処へ来るらしい。

 那波さんと村上さんは、修学旅行の準備を終えていたのでいいんちょさんは誘う事に躊躇が無かったようだ。

 僕と木乃香さんは、一緒に祝ってくれる人が増えて嬉しかったのだけど、イリヤはそうではないみたいだ。勿論口には出していなかったけど、新たにメンバーが加わると聞いて何となく顔を顰めていたように見えたからだ。

 

 ―――もしかしたら人見知りなのかも知れない。

 

 イリヤの顔を見ながらボンヤリとそんな言葉が浮かんだ。

 僕と初めて会った時も何処となく戸惑っていたように見えたし……あ、でも直ぐに打ち解けられたから違うかな?

 ふと昨日の事……木乃香さんと釘宮さん達、明日菜さん、いいんちょさんと会った時の事も思い返す。

 それを思うとやはり人見知りというのは、違う気がした。

 じゃあ木乃香さんの言うとおり、人の多い場所や状況が苦手なんだろうか?

 

 うーん、それも違う気がする。

 何と無くだけどイリヤにはそういった、物怖じするというイメージが似合わないのだ。

 まあ、明日菜さんや木乃香さん等、3-Aのクラスメイトを始めとした日本で知り合った殆どの人がそういった感じではあるけど、イリヤはそれとはまた違う感じ―――雰囲気が在る。

 

 知り合ってからまだ一週間にも満たないけど、僕の知る限りイリヤはとても“大人”なんだと思う。

 同じ歳なのに考え方は確りとしているし、僕の同僚の人達や明日菜さんよりも年上の怖そうなお姉さん達を相手にしても平然とした態度を崩さないし、普段からの立ち振る舞いや何気ない仕草にも穏やか―――いや、お淑やかさが在る。

 少なくとも故郷のアーニャや、魔法学校に居た同年代の女の子には居ない感じの子だ。

 特にアーニャとは比べる方がイリヤには失礼だと思う。生意気で口喧しくもないし、無理に背伸びをしている感じでもないんだし……むしろ、ネカネお姉ちゃんにも似た優しい雰囲気を感じさせるのだ。

 正直スゴイと思うし、ちょっと尊敬する気持ちもある。

 それを昨日言ったら(勿論、アーニャとネカネお姉ちゃんに~~云々という事までは言っていない)、

 

『それを言うなら、その歳で教師をしている貴方の方がよっぽどスゴイし、立派だと思うわ』

 

 と。心底感心した様子で褒めるようにして返された。

 イリヤにそう言われて嬉しいような、恥ずかしいような、なんとも言えないむず痒い気持ちを抱いたっけ。

 

 ………ともかく僕の知る―――いや、抱いているイリヤの印象は物怖じだとか、人見知りだとかをする性格では無い。それならきっと那波さんと村上さんが来ると聞いて顔を顰めたのは僕の気のせいだろう。

 

 

 ―――そう、僕は思うことにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「明日菜さん…誕生日。おめでとう御座います!」

「「「「「「「「おめでとう!!」」」」」」」」

 

 僕の音頭と共にクラッカーが鳴り響き、皆が祝言を上げる。

 

「え?」

 

 明日菜さんは事態を飲み込めないようで呆然としたようだけど、僕と木乃香さんが昨日東京へ出掛けた本当の理由を打ち明け、皆がプレゼントを渡す頃には。

 

「あ、ありがとう。こんな…いきなり――」

 

 状況を理解して瞳を潤ませ、声を少し滲ませて、

 

 ―――私、嬉しいよっ…。

 

 そう感激の言葉を零した。

 

 その後は、いいんちょさんが用意してくれた料理を皆で囲んで再度明日菜さんの誕生日を祝してジュースの入ったグラスで乾杯を取り、食事に取り掛かった。

 お昼時という事もあって、皆の料理を口へと運ぶ手は思った以上に進んでいる。勿論、いいんちょさんが自慢する一流シェフが調理したという事もあって非常に美味しかったのもその一因だと思う。

 ただ、僕にとって多くの料理がお腹に入る原因は、

 

「―――はい、ネギ先生。今度はこちらのラム肉の香草焼きなどは…それとも、こちらの…」

 

 こんな感じで口に入り、咽を通り、その感想を告げる度にいいんちょさんが次々と料理を勧めて来るからだ。

 流石に少し……いや、かなりお腹が苦しくなってきた。

 

「あの…いいんちょさん。すみませんけど、僕もうお腹が一杯で…」

「あ、そうでしたか。……そう言われると確かに御顔が苦しそうですわね。此方こそ申し訳ありませんわ。直ぐに良い胃腸薬を御用意致し―――」

「ああ、いいです。少し休んでいれば、良くなりますから」

 

 そう言って席を離れる。

 心配そうないいんちょさんには悪いけど、もう胃腸薬を飲みこむ余裕も無さそうだった。

 とはいえ…うう、歩くのも苦しい状態。それでも御手洗いの方へ向かう。

 

 

 

 小さく感じた外観とは裏腹に店内は意外に広く、二度扉を抜けて御手洗い所へ入った。そこも思ったより広い。

 それに閉店時にも掃除を欠かさなかったのか、それとも普段から良く行き届いた為なのだろうか、意外にも清潔感を感じさせる。

 

「―――ふう」

 

 僕は大きな鏡に背を向けて洗面台に寄りかかり、一息を付いて身体を楽にさせた。

 それで少し余裕が出来たからか、先程の事を思い返した。

 

 明日菜さん、とても喜んでくれて……良かったなぁ。

 

 僕が音頭を取って、皆からプレゼントを渡されて嬉しそうに微笑んだ顔が脳裏に浮かんだ。

 明日菜さんのあんなに嬉しそうな表情は初めてだった。

 うん、一昨日に思い切って木乃香さんに相談して良かった。それにイリヤや釘宮さん達にいいんちょさん達、皆が祝ってくれた事も。パーティが終わったら改めてお礼を言わなきゃいけないよね。

 

「ネギ」

 

 思い耽っていると御手洗い所のドアが開いて僕を呼ぶ声と共に、誰かが入ってきた。

 チリンっと長い髪を左右で分けて頭の横で結び、飾っている鈴を鳴らして現れたのは今日の主役である明日菜さんだ……って!

 

「あ、アスナさん! 此処…男子トイレじゃ…!?」

「何言ってるのよ。男子トイレ…たって、男なんてアンタだけじゃない。そもそも閉店してるお店なんだし」

「で、でも――」

「まあ、確かに入るのに抵抗が無い訳じゃないんだけどさ」

 

 驚き慌てる僕と対照的に、落ち着いて何処か呆れたように答える明日菜さん。オマケに「ふーん。男の人のトイレってこうなっているんだ」などと、呟いて珍しげに視線を巡らせていた。

 

「それよりネギ、アンタ大丈夫なの? いいんちょに結構な量を無理矢理食べさせられてたみたいだけど」

「あ、はい。大丈夫です……というか、別に無理矢理という訳じゃあ―――」

「顔色が悪くなって苦しくなるまで断ろうとしないんだから、同じ様なものでしょう」

「う…」

「だいたいアンタは―――」

 

 心配そうに僕を見ていたのに、徐々に目を吊り上げ始める明日菜さん―――けど唐突に言葉を切る。

 そして力が抜けたように肩を落として、ハアと溜息を付いた。

 

「まったく、アンタを怒りに来た訳じゃないのに…」

「……アスナさん?」

「……あー」

 

 肩を落とす明日菜さんに首を傾げると、それを見た明日菜さんは今度はそわそわと意味も無く天井を見詰めたり、鏡を見たりと、視線を彷徨わせて落ち着かない様子を見せる。

 

「あー…その、ね」

「はい?」

「木乃香から聞いたんだけど、その……誕生日を祝おう、って言い出したのはアンタだって―――」

「…あ」

 

 思わずポカンと明日菜さんを見詰める。

 

「―――っ! だから、ありがとうネギ―――……それを言いたかったのっ! じゃっ!」

 

 そう言ってプイッと僕に背を向ける明日菜さん。そうしてドアへ向かいノブに手を掛けるが……直ぐに出て行かずにそのまま立ち止まり、チラッと顔を此方に向け、

 

「―――っと、アンタはもう少し此処で休んでなさい。まだケーキだってあるんだから。いいんちょにまた無理矢理食べさせられないようにして、十分にお腹を空けさせてから皆の所に来ること……良いわね!」

 

 一方的にそう捲くし立ててから出て行った。

 僕はそんな明日菜さんの言葉や行動に思考が付いて行かず、思わず唖然としてしまう。

 

「えっと―――」

「へっへっへっ…明日菜姐さんも、妙な所で素直つーか…なかなか可愛い所があるじゃねえか」

「カモ君!?」

 

 何時から居たのか、洗面台の上に白いオコジョ妖精こと―――僕の友達兼使い魔のカモ君が居た。

 

「カモ君、今のって…」

「へへ、要するに姐さんは兄貴に物凄く感謝してるって事でさぁ」

「……うん」

 

 ―――ありがとう、ネギ。

 カモ君に頷きながら事態を飲み込み。今さっき、そう明日菜さんが言った言葉を思い返した。

 でも―――

 

「でも、……僕の方こそ、麻帆良に来てから明日菜さんにはスゴク迷惑を掛けたり、助けて貰ったりしてるし、だから今日はその感謝とお返しでもあって、当然な訳で……それに、こうして盛大に祝えるのは殆どは木乃香さんといいんちょさんの―――」

「まあまあ、そんな深く考えずに。そういったもんでしょうよ、人どうしの関係っていうのは。何かをして、返されて返して、感謝したり、されたりっと―――云わば、持ちつ持たれつよ。だから兄貴も素直に姐さんの気持ちを受け取っていれば良いんですよ」

 

 何処から取り出しのか、カモ君は煙草から紫煙を曇らせて諭すように言う。

 

「んで、今日を皆でパーッと楽しめば良いんすよ」

 

 感謝して、感謝される……か。

 そうなのかな?

 こんな僕でも――――――ううん、誰かの為に精一杯、何かをするのは“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”を目指す人達にとって当たり前の事だ。

 それに―――

 

「駄目っすよ兄貴、そんな暗い顔してちゃあ。面白楽しくっすよ」

「うん、ごめん……でも、ちょっとまだ、お腹が苦しくてさ」

「ハハ、それじゃあ、しょうがねえか。あの金髪の姉さんも困り者だ」

「いいんちょさんも、親切でやってくれているんだと思うんだけどね」

 

 そうやって互いに苦笑し合う……だけど内心で。

 

 ―――ゴメン、カモ君。御免なさい、明日菜さん。

 

 と。何に対してか判然としないまま僕は謝っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 十分ほど後、気分も良くなってきたので手洗い所を後にしようとドアに開いた。

 すると丁度、まるでタイミングを合わせたかのように、隣にある女子トイレの扉も開いて中から人が出てきた。

 

「あら?」

「ん?」

「あ、那波さん…とイリヤ?」

 

 出て来たのは、3-Aの生徒である那波 千鶴さんとイリヤだった。

 3-A生徒といってもその担任である僕は、那波さんとまだ余り話しことが無かったりする。今日も挨拶とイリヤの紹介ぐらいしか会話を交わした覚えが無かった。

 

「ネギ先生、もう気分は宜しいのですか?」

「はい、大丈夫です。ご心配をお掛けしました」

「いえ、ウチのあやかこそ、先生に迷惑を掛けて申し訳ありません」

 

 丁寧な仕草で頭を下げる那波さん。知る範囲において3-Aクラスの中では珍しくとても落ち着いた感じの人だ。それに年上だからだろうか? イリヤとはまた違う、より確かな大人な雰囲気を覚える。

 でも、ウチの……って、どういう意味だろう? えっと、いいんちょさんとルームメイトだからかな?

 …まあ、いいや。

 それよりイリヤとの組み合わせが気になる。僕自身が那波さんを余り知らないという事もあるけど、那波さん達が来る事になって顔を顰めていたように思えたイリヤが、昨日と同じく僕の生徒と打ち解けてくれたのかが心配だ。

 

「迷惑という事はありませんけど、それより那波さんとイリヤも楽しんでますか?」

 

 そう何気ないように2人の様子を窺う。

 

「ええ、あやかの用意した料理も美味しいですし、この様な機会で皆さんとお話しするのも楽しいです。それに何より明日菜さんのあの嬉しそうな笑顔は見ている私も幸せな気持ちに成れますから」

「そうね。あんな良い笑顔を見ること―――ううん、生み出せた事だけでもこの誕生日祝いは大きな価値があると思うし……来て良かったと思うわね」

「―――…………きっと、あやかも同じ気持ちでしょう」

 

 イリヤの言い回しに少しおかしな感じを受けたけれど、2人ともテンポ良く答えて会話を交わす様子にギクシャクした硬いものは無い。どうやら2人の間にこれと言った隔たりは無いようだ。

 良かったと、何となくホッとする。

 やっぱりイリヤが顔を顰めたのは僕の気のせいだったのだろう。

 

「まあ、それもネギのお手柄ね」

「そうね。先生が発案者なのですから明日菜さんとあやかも感謝しているでしょう」

 

 ―――ありがとう、ネギ。

 2人の言葉を聞いた一瞬、またさっきの明日菜さんの顔が脳裏に過ぎった。

 何だか不可解なモヤっとした感覚が胸に湧き出る。嬉しい事の筈なんだけど……スッキリとしない変な感じ―――。

 

「……」

「どうしました?」

「あ、いえ…何でもありません」

 

 尋ねてくる那波さんに判らないまま誤魔化すように答える。

 

「そうですか? もしまだ御加減が優れないのなら無理はなさらないで下さいね」

「はい、ありがとう御座います」

 

 心配する那波さんにこれ以上不安を掛けないよう笑顔で応じる。すると那波さんも笑みを見せてくれた。

 けど、イリヤはその隣でジッと凝視するように僕を静かに見詰め―――直ぐに視線を逸らした。何となくだけど嘆息しているようにも見える。

 

(ほっ)

 

 と。直ぐ近く―――僕の肩からも嘆息……じゃなくて、安堵したかのような溜息を聞こえた。カモ君だ。

 僕は傍の2人に聞こえないようにそっと話し掛ける。

 

(どうしたの、カモ君?)

(いや、…此れは恥ずかしい所を。ついイリヤ“お嬢様”に睨まれたと思うと、その…身体がですねぇ)

 

 ―――お嬢様。

 カモ君は何故かイリヤの事をそう呼ぶ。

 

 あれは、イリヤと知り合った翌日だっただろうか?

 朝のホームルームを終えて、早速カモ君に友達になったイリヤを紹介した後。

 

『兄貴が仕事の合間に俺っちは友人兼舎弟兼使い魔として、兄貴の為にもダチになったイリヤ嬢ちゃんと親交を深めて置くかねぇ……フフ…』

 

 とか言いながら、カモ君は怪しい笑みを浮かべて授業に向かう僕と別れ、図書室に篭るイリヤの所にそのまま残った。僕は教職の忙しさからその事をすっかり忘れてしまい、寮へ帰って暫くすると―――

 

『へ…へへへ……帰って来れた…兄貴……姐さん―――幾人の麗しい女生徒の匂いに導かれて……愛しき女性下着たちの夢に抱かれて……明日菜姐さんのパンツ達よ! 俺っちは帰って来たーーーーッ!!』

 

 ボロボロ傷だらけのカモ君がフラフラと朦朧としながら現れて、そんなワケの判らないことを叫んだ。

 直後、それを聞いていた明日菜さんに止めを刺されて完全に寝込んでしまったけど。

 そして、寝込んで魘されて―――

 

『や、助け、…た、食べないで、美味しくないから……ちょっ!? ぎゃっ! ご、ご勘弁をイリヤ嬢ちゃん…いや、お嬢さん。え、もう駄目?……って、ああっ!! 爛々と光る眼たちがっ!? ひぃいぃぃ~~…ゴメンなさいー! お嬢様~~! どうか御慈悲をーーー!!』

 

 そんな寝言を一晩中叫んでいた。

 正直、カモ君の事を知らない木乃香さんにコレを聞かれなかったのが不思議で堪らない。

 この翌日から…いや、寝言からカモ君はイリヤの事をお嬢様と呼ぶようになった。

 今も時々魘されているけど……一体、何があったんだろう?

 少し恐くも在るけど聞かずには居られない。けれどカモ君はガタガタ震えるだけで黙して語らず。

 イリヤにしても尋ねても「さあ」と、心底不思議そうに首を傾げるだけで未だに真相は闇のままだった。

 

 よく見ると今も僕の肩の上でカモ君の身体が少し震えていた。

 

(そんなに恐いの?……イリヤはとても優しい子だと思うけど、そんな酷い事するかな?)

(いやいやいや! …あ、兄貴! それは違う! アレを知らないからそう言えるだけで、イリヤお嬢様は()る時はとことん徹底的に殺るタイプの人間だ!! そもそもあのエヴァンジェリンと平気で同居しているようなお人……だから―――)

 

 恐怖に染まった眼の色と声を滲ませて必死に僕に訴えるカモ君。けど―――

 

(ヒィィィイィイ!!)

 

 突然、悲鳴を上げて最後まで言い切れずに言葉は途切れてしまう。

 気付くと、顔を逸らしていた筈のイリヤが振り返っており、女の子らしい仕草で首を傾げて「何?」と言いたげな視線を僕達に向けていた。

 でも険の篭った眼ではないし、悲鳴を上げるほど恐ろしい雰囲気は感じない。

 

(やっぱり、恐くないと思うけど。気のせいじゃ―――)

(……………)

 

 ―――ないかな、と言おうとしたけど、カモ君は無言で体を震わせるばかりで僕の声は聞こえてないみたいだった。

 

『♪~~……♪~~~』

 

 ふと気付くと、ホールに続く扉の向こうから音楽と誰かの歌声が聞こえていた。

 

「? カラオケ…?」

 

 昨日、帰りの電車に乗る前に立ち寄ったお店の事を思い出して思わず呟く。

 そんな機械この店に用意されていたっけ?

 その僕の疑問に那波さんが答える。

 

「ネギ先生が御手洗い方へ向かった後、あやかが用意していましたね」

「そうなんですか」

 

 そういえば昨日、釘宮さんか柿崎さんのどちらかが初めて触るカラオケの機械に戸惑っていた僕に、普通に家庭などでも使えるのがあるって言っていたような?

 それを持ってきたのかな?

 

「ええ、釘宮さん達が盛り上がるだろうとあやかにお願いしていました。それに何でもイリヤさんの歌がとても上手だそうで、また聞きたいとも言っていましたね」

「なるほど」

 

 確かにイリヤの歌は他の皆より飛び抜けて上手かった。何度でも聞きたいという気持ちは物凄く分かる。

 カラオケで歌っていたのはバラードとか、静かな感じの曲が中心だった。

 あと日本のアニメやゲームの曲にすごく関心を持っているみたいで、歌いたがっていたみたいだけど、何故か結局歌わなかったんだよね。何か酷く葛藤した様子で「自分のキャラじゃない」とかブツブツ言いながら。

 

「ネギ先生は、イリヤさんの歌を昨日聞かれたのでしたね」

「はい。那波さんの言うとおり、とても上手くて綺麗な声で、僕も皆さんも聞き入っていました」

「そうですか、それは私も楽しみです。ね、イリヤさん」

 

 僕の言葉に楽しそうに頷きながらイリヤに声を掛ける那波さん。

 

「う……そんなに期待されても……まあ、歌には自信がないわけじゃないけど―――その、ね…」

 

 言葉尻が小さくなり、イリヤは頬を薄っすらと紅潮させている。珍しく照れているようだ。

 会ってからまだ間もないけど、本当に珍しいと思い。何だか新鮮な姿だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 カラオケに興じ、用意していたカードゲームやビンゴゲームなども行なった。

 そして程良くゲームに興じて腹ごなしが済んだ後、室内を暗くし、誕生日ケーキが明日菜さんの前に置かれた。

 蝋燭に火が灯された時には、イリヤが音頭をとって『ハッピーバースディ』を皆で歌い。明日菜さんが再び感激し、改めて今日は皆で誕生日を祝って良かったと思った。

 

 今、皆はケーキを食べながら談笑をしている。

 先のカラオケとゲームの余韻からか主にそれらに関する話題が上がっている。

 誰かの歌が、どの歌が上手かった、良かっただの。採点結果に不満があったり、満足していたり。

 ゲームの結果が悔しかったり、嬉しかったりしてその過程を、ああすれば良かったなどと、論じるように皆が話し込んでいる。

 

 しかし、しばらくすると話題も移り変わってきて村上さんが不意に思い出したようにイリヤに尋ねた。

 

「そういえば、イリヤちゃんってどうして麻帆良に来たの? 日本語も随分上手だし…留学?」

 

 その言葉に皆の視線がイリヤに集る。

 好奇めいた物が大半で、そんな注目を浴びるイリヤだけど動じる事無く。

 

「……まあ、そんな所ね」

 

 一瞬、考える素振りを見せてからそう答えた。

 しかしその答えに素っ気無さを感じたのか、柿崎さんが更に問い掛ける。

 

「それだけじゃ、ちょっと淡白すぎない? 答えるならどうして麻帆良を選んだのかー? とか、どの学部に入りたいーだとか、日本文化に興味があるーだとかさぁ、色々とないの?」

「麻帆良で日本文化は、ちょっと無理がありそう」

 

 問い掛ける柿崎さんの隣で釘宮さんがそんな尤もな事を呟いた。その意見は判らなくも無い。なにしろヨーロッパ文化そのものの風景ばかりだしね。

 まあ、そんな事より、問われたイリヤは少し困っているのかも知れない。表情には出していないけど、どう答えれば良いのか迷っているかのように沈黙している。

 詳しくは知らないけど、本人から聞いた話によるとイリヤは記憶喪失であり、麻帆良に居るのも記憶が無くて途方に暮れていた所を学園長の知人が保護し、その人が学園で預かってくれるように依頼した為だとか。

 今名乗っている名前も本当に自分の物だとかも判らないとの事で、その事も含めて色々と調査もしているらしく、学園長はしばらく様子を見る事に決めたらしい。

 そんな事情を簡単に話せる訳はないし、何より今日は祝い事をしており、その真っ最中だ。だからそんな重たい話をする訳にもいかない。

 なら適当に誤魔化すなり、話を逸らすなりすれば良いんだけど……3-Aの生徒達のバイタリティだと下手な答えは返って追求心を煽りかねない。だからといって嘘を吐くのも気が退けるだろうし。

 うーん、昨日、元々誘ったのは僕な訳だし助け舟を出すべきだよね。

 

「それとも、もしかしてホントにお姫様だとか? それで実は病気で療養の為に麻帆良を訪れているとか?」

「椎名さん。それならもっと自然豊かで静かな場所を選ぶでしょう……まあ、しかし、確かに名前にある“フォン”の称号はドイツの貴族に付けられるものですし、イリヤさん自身にも品格があり―――」

「えっ!? じゃあホントの本当にお姫様ってこと!?」

「ほえ~、すごいなぁ、イリヤちゃん!」

「それじゃあ、お城とか、宮殿とか、そんな豪華で羨ましい所に住んでるの?」

 

 やっぱり流石3-Aというべきか? 僕が口を挟む間も無く勝手に話が大きくなっていく。麻帆良の滞在理由から一転して素性の追求―――いや、もう勝手な確信に入っていた。

 詰め寄られて今度こそイリヤは、眉根を寄せて顔に困ったと表している。

 僕もどう口を挟んで良いか悩む。

 

「はいはい、みんな落ち着いて。イリヤさんが困っているわよ」

 

 そんなワイワイと騒がしく成りつつある中、穏やかなのに不思議と確り耳に響く声が那波さんから発せられた。

 途端、シンと静まる店内。

 

「イリヤさんはまだ麻帆良に来たばかりでそう落ち着いても無い状況よ。だからこの広い学園で何かするにしても、時間が掛かるのだと思うわ。それに何か言い難い事情も在るのかも知れないし、アレコレと変に詮索して騒ぐというのは……―――どうかしら?」

 

 ―――どうかしら?

 と。朗らかな笑顔を浮かべながら、穏やかな口調と声色で皆に判断を委ねる問い方だけど、「もうこの話題はお仕舞いにしましょう」という有無言わせない迫力が那波さんから感じられた。

 ……少し恐い。

 

「そ、そうだね。私もそんな…すごく聞きたいってワケじゃないし、何となく気になっただけだから…あ、アハハ…」

 

 話題の発端となった村上さんが引き攣った笑顔でそう答える。

 それに皆も無言で頷いて相槌を打つ。

 

「は、はは…昨日注意されたばかりなのに、つい調子に乗っちゃった……ゴメン、イリヤちゃん」

「確かに少し不躾でしたわね。すみません、イリヤさん」

 

 椎名さんと、いいんちょさんが軽く頭を下げて謝る。

 イリヤは「うん」と頷いて謝罪を受け取り、那波さんに視線を向ける。那波さんはその視線にホホホと笑みを向けるだけだった。けど…。

 

 ―――もしかして…。

 

 そのやり取りで那波さんは、イリヤの事情をある程度知っているのでは? と思った。

 

「わかってくれて嬉しいわ。さすが私のあやかと夏美ちゃんね」

 

 またしても今一理解できない言い様をして、にこやかに微笑む那波さん。

 その言い様に御手洗い所でイリヤと一緒に居た事が頭に過ぎった。

 それに今思い返すと料理を摘んでいたお昼時にも那波さんは、イリヤに積極的に話しかけていた筈。

 カラオケやゲームで遊んでいた時も、皆とイリヤの間を取り持って会話を絡めていたような気がする。

 

「あの那波さん、もしかしてイリヤのこと……」

 

 皆が気を取り直すように別の話題に移り、談笑する中で機を見計らって那波さんに話しかける。

 

「イリヤさんがどうかしましたか?」

「あ…えっと」

 

 よく考えるとどう尋ねればいいんだろう? 記憶喪失だと知っているんですか? なんて言えないよね。

 那波さんが本当は知らなかったら心配させるだけだろうし、黙って教えたとなんて思われたらイリヤもきっと怒るだろうし……うむむ。

 

「なるほど、ネギ先生もご存知なのですね……記憶喪失のこと」

「あ、はい」

 

 悩んでいる僕を見て聞きたかった事を察したらしく、那波さんはそれを口にした。

 そして僕の事を暫くジッと見詰め。

 

「うん、それなら余計な心配だったかしらね」

 

 一人納得したように、いきなり満面な笑顔でそんな事を言った。

 何だろうと思い尋ねたのだけど、那波さんは何でも無いと言うも「イリヤさんとしっかりと仲良くしてあげて下さい」と、さり気無くもまるで念を押すように続けて言って……村上さんの傍に行った。

 ただ、その仲良くしてと言われた時、にこやかな笑顔の中にさっき皆を注意した感じにも似た異様な迫力を僕は覚え……強く印象に残った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あーー楽しかった。こんなに楽しかった誕生日は生まれて初めてね。……多分」

 

 帰宅した早々明日菜さんが両手を高く上げ、身体を解すように伸ばしながらそう言った。

 多分、楽しさの中に疲れを覚えたのだろう。

 

「うん、アンタにももう一度言っとくわ。……ありがとねネギ」

 

 今度は照れた様子を見せず、いつもの明るく見ている方が元気になるような笑顔だった。

 

「いえ、楽しんで貰えて良かったです」

 

 僕も今度は変な感じがせず、いつもの通りに返事をする事ができた。

 木乃香さんは、そんな僕達のやり取りを楽しそうに笑顔で見つめながら、今日の夕食をどうするか尋ねてきた。

 

「うーん、なんかお腹いっぱいな感じだし、いいわ」

「僕も遠慮しときます」

「ふふ、そやね。特にネギ君はいっぱい食べたもんなぁ」

 

 いいんちょさんに食べさせられた事を言っているのだろう。木乃香さんがクスクスと微笑ましそうに言う。

 そんなやり取りをしながらリビングに入り、それぞれが荷物を置いて。明日菜さんは中でも目立つ大きな紙袋を部屋の中央にあるガラステーブルの上に置いた。

 皆から貰ったプレゼントの入った袋だ。

 明日菜さんは丁寧な手つきで、紙袋から包装された様々な大さきの箱や包みを取り出していく。

 

 そんな姿を見ていると昨日、東京で皆が買っていた物を思い出す。

 僕と木乃香さんはオルゴールと衣服類で、釘宮さんは音楽CD。柿崎さんは化粧品。椎名さんは猫の写真集。イリヤは―――えっと…あれ? イリヤは何を買ってたかな?

 昨日立ち寄ったお店と、その中でのやり取りを必死で思い返す。

 むむむ…と、僕が内心で唸っている間に明日菜さんは包装を丁寧に剥がして開封していた。

 

「えっと、このオルゴールと服は、木乃香とネギのだったわよね」

「そやよ、CDと化粧と猫の写真はくぎみー達ので……このミニ天球儀は千鶴でぇ、厚い本…小説は多分、夏美ちゃんのやね」

「あの娘、演劇部だからね。でもこんな分厚い読み物。私、辞書ぐらいしか手にした事がないわよ」

「しっかり読んであげんといかんよ。―――と、これはあやかのやろか?」

「分かってる。ん…へぇ、アイツ……わざわざメッセージカードなんか付けて、まったく……言われなくても感謝してるわよ」

「ふふ、中は髪留めとブローチかぁ…いいんちょの贈り物って事は、結構な代物なんやろうなぁ」

「まあ、お金だけは無駄にあるものね」

 

 テーブルの上へ、所狭しにプレゼント広げてお喋りする明日菜さんと木乃香さん。

 よくよく思えば、別に考え込まなくても此処で直接見れば良いんだった。

 視線をテーブルの上に向ける。

 釘宮さん達のは昨日見ている。那波さんのミニ天球儀は小さいけど細工が確りとした立派な物だ。村上さんの小説は西洋古典だろう、明日菜さんが読むのは大変そう。いいんちょさんの髪留めとブローチは見た目こそシンプルだけど多分高価で何処かの有名なブランド品だろうか?

 ……で、イリヤのは。

 

「何だか随分と貧相というか…何処にでもありそう紙包みねぇ」

「…」

 

 明日菜さんの言葉に頷くだけの木乃香さん。

 2人の視線の先には小さな白い紙包み。

 

「……確か、時間が無くて包装とかする間もなかった…って言ってたような…?」

「ああ、そういえば約束の時間にも遅れて走って来とったなぁ」

 

 木乃香さんと2人、イリヤを弁護するような事を言ってしまう。

 

「ふーん、ちょっと意外ね。もっと確りした子だと思ってたんだけど」

 

 そう言いながら包みを開く明日菜さん。

 僕もその時に少し意外に思っていたんだけど、何かあったんだろうか? 今思うと遅れた理由を聞いていない。

 

「シルバーのアクセね」

「へぇ…綺麗やな。これはユニコーンやね……ええなぁ、これ」

「あ」

 

 包みから出てきたのは細工が立派な銀製のペンダント。このかさんの言うとおり、直径5cm程の楕円の盤にユニコーンが描かれて、その眼の部分には青い小さな宝石を飾り、盤の淵にはドイツ語と思われる言葉が彫られている。

 

 直訳すると…意味は「掛かる災厄から、貴方を護る」かな? これもしかして―――

 

「こういうグッズには目がないからねぇ、このかは…」

「あはは、…あれ、包みの裏に何か書いてあるえ」

「うん? 『出来れば、肌身離さず身に付けていて欲しい』…?」

「…!」

 

 明日菜さんの言葉に確信する。

 

 ―――やっぱり、そうだ。

 僕はつい嬉しくなる。この事を早く明日菜さんに伝えたい。でも木乃香さんが居るので言うことが出来ない。

 木乃香さんの事を邪魔だとか思うわけじゃないけど、なかなかにもどかしい。

 明日菜さんは大した物じゃないと思っているかも知れないし……いやいや、明日菜さんが人から受け取った誕生日の祝い物をそう思う訳は無いよね。あんなに嬉しそうだったんだし……失礼な考えだ。

 そんな事を考えていると、木乃香さんがお風呂を沸かしに立ち、シャワーで良いと言うアスナさんに、明日の修学旅行に備えてしっかり疲れを取っておかないと、と言い含めてリビングを出て行った。

 

「明日菜さん」

「ん、何?」

 

 木乃香さんがリビングから離れるのを見計らって声を掛ける。

 明日菜さんは、テーブルに広げたプレゼントや包装紙などを片付けながら返事をする。

 

「そのイリヤのペンダントなんですけど、それ本物の御守りだと思います」

「へ…本物って?」

 

 明日菜さんは片付ける手を止めて、僕の方へ振り返る。

 尋ねる明日菜さんを見て、ふと今更ながらに気付く。イリヤが魔法関係者だと言って良いんだろうかと。

 

「? どうしたのよ?」

 

 話しかけた筈の僕が黙り込んだので訝かしむ明日菜さん。

 う…でも、何だかんだ言って明日菜さんは僕の事を黙って居てくれるし、イリヤも多分、判って渡したのだと思うし……良いよね。イリヤには明日菜さんにバレた事を教えているんだから。

 そう結論付けて「いえ」と一度首を振ってから答える。

 

「言葉通りで、その…魔法の道具だという意味です」

「えっと……それって、イリヤちゃんもアンタと同じって事? それとも私に贈った物が偶然そうだったって事なの?」

 

 偶然……そういえば、そうとも考えられるか。

 でも、包みの裏に書かれていた文字の事を考慮すると違うだろう。

 

「僕と同じという事です」

「あーー…やっぱし、そういう事になるのか……うん、納得。アンタの知り合いなんだもんね」

 

 僕の答えを聞いて何故か? アスナさんは肩をガックリと落として返事をする。

 なんだろう? ガックリとする理由がわからず首を傾げる。

 

「まあ、いいわ。それでこのペンダントが魔法の道具ってどういうこと?」

 

 ペンダントを手にし、僕に見せ付けるようにして尋ねてくる明日菜さん。

 それに、これまで黙っていたカモ君が答える。

 

「さっき兄貴が言ってただろ。本物の御守りだって」

「そうだったわね。……じゃあ、何か御利益があるとか?」

「そこまでは、わかりませんけど…」

 

 そう言って僕はペンダントを渡してくれるようにお願いし、頷くアスナさんから受け取る。

 純粋に興味もあったけど、勿論確認する為だ。しかしペンダントからはとても変わった魔力を感じるばかりで、術式も複雑且つ知らない物だった。結局、詳しい事は判らない。

 ―――それでも害を与えるような邪な感じはないし、護りや厄除けらしい付与効果を何とか感知する事はできた。

 

「凄いな、これ」

「ああ、かなり高度な代物だ」

 

 僕の肩に乗って覗き込むようにして、ペンダントを見るカモ君が同意する。

 代わって魔法を知らないアスナさんは怪訝顔だ。

 

「何か判ったの?」

「いえ、見たことも無い術式で詳しくは」

「え~~」

 

 僕の言葉に得体の知れない物を対して不審を抱いたのか? 不気味そうな視線を向けて来る。呪いのアイテムに思われたのかも知れない。

 慌てて僕は誤解を解く。

 

「ただ、お守り―――護符(アミュレット)としての効果は確かですし、包みに書かれていた通り、身に付けていた方が良いと思います」

「そうなの?」

 

 それでも理解できない為だろう、アスナさんは懐疑的だ。

 そこにカモ君がフォローするように口を出す。

 

「兄貴の言うとおりだ、姐さん。これだけの物を身に付けないなんて損だぜ、妖精の俺っちも保証する」

「アンタに言われてもねぇ」

「あ、ひでぇなあ、真面目に答えてるのに…」

 

 カモ君の抗議に「ハイハイ」とおざなりに返事する明日菜さん。だけど、

 

「まあ、アンタ達がそこまで言うんだから信じてあげる。それに折角のプレゼントだしね」

 

 そう言って僕の手からペンダントを取り、その鎖と一緒に首に手を回してユニコーンの飾りを胸元にぶら下げた。

 

「よし…って、あんたヤケに嬉しそうね」

「はい、イリヤが昨日会ったばかり―――いえ、本当なら今日知り合う筈の明日菜さんの為に、こんな立派で凄いプレゼントを用意してくれましたから」

「んな、大袈裟な」

 

 明日菜さんは呆れたように苦笑する。

 だけど、僕は考えを変える積もりは無い。何故なら本物の御守り―――アミュレットを渡すって事は、その渡す人をしっかりと想い案じているという意味だから。

 僕の話でしか聞いていなかった筈の明日菜さんの事を、イリヤは大切に考えてくれたのだ。

 嬉しくない訳がなかった。

 

「いやいや、兄貴の言うとおりかもな」

 

 苦笑するアスナさんにカモ君は言うも、僕の考えと同じと言う訳ではなく。もっと別の意味でそれを口にした。

 それはアスナさんを驚かせ、僕も驚く事だった。

 

「あの金髪の姉さんの贈りモンは、正直よく判らねえけど、多分、それよりもずっと値が張る筈だぜ」

 

 では幾らなのか? カモ君から「これも推測だけどな」と注釈付で具体的な値段を聞き―――アスナさんはペンダントを身に付けるのに気後れし、返却するべきかを本気で悩みだし。

 僕は開いた口が塞がらず、木乃香さんがリビングを訪れるまでずっと思考が停止していた。

 

 結局アスナさんは、僕の説得と改めて強調して言うカモ君の注釈を信じて値段の事を考えないようにしたらしい。

 

 こうして夜が更け、アスナさんの15回目の誕生日は過ぎ去り、修学旅行当日の朝を迎える。

 ただ、僕は疲れを感じていたようで、意外にも直ぐに眠りにつき、目覚ましのベルが鳴るまでぐっすりと休む事と成る。

 

 ―――本当なら、もっと明日のことで目が冴えていても可笑しくない筈なんだけど……まあ、いいかな。

 

 

 




イリヤがカモに行なったお仕置きは…猫拳と答えて置きます。

カモはマタタビやカツオ節の粉を浴び、ウインナー等で作った鎖で拘束され……猫の集団に―――

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