麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

49 / 51
第34話━━悩める白い少女(3)

 

 日が没して黒いヴェールが空を徐々に覆い、俗に一番星と呼ばれる煌めきが天上に見え始めた頃。

 陽光の残滓に照らされるログハウスの屋根の下、まだ残る影からより色濃い暗闇の像が浮かび上がった。まるでそこに穴でも開いてるかのように床から……。

 

「……」

 

 浮き出た像は確かな人の形を持っており、それは首を軽く振って金の髪を揺らしながら辺りを見渡す。

 見える風景から自宅へ帰った事を理解した彼女は軽くため息を吐く。

 

「ふう…」

『疲れたのかエヴァ?』

 

 ため息をすると彼女──エヴァンジェリンの首に掛かる赤い宝石から音無き声が響いた。

 

『あ、うん』

『イリヤの仕事の手伝い……簡単な見回りと作業だけで終わると思っていた所に最後にアレだからな、無理もない』

『かなり派手にやったしね。それにまさかイリヤがあんな切り札を持っていたなんて』

 

 頭に響いた声──宝石に在るシロウからの念話に念話で応じるエヴァ。

 

『……さよ、という娘もな。あれには本当に驚かされた。イリヤがわざわざ身内(でし)に取った理由が分かった。率直に言ってあれだけでお釣りが来るのではないかと思ったぞ、オレは』

『……』

 

 それはエヴァも同感だった。

 

『でもまだ慣れていないようだったし、イリヤも不足と……いえ、不安を感じているようだった』

『……そうだな』

 

 仕事の仕上げの仕上げともいうべき事が終わった後、白い少女が見せた顔はどこか冴えないものだった。

 恐らくイリヤには見えていて、自分達には見えていないものがあるのだろう。

 それを直ぐに話してくれない事にもどかしさがある。ただ必要であればイリヤは自分にはずっと黙ってはいないし、何れは話してくれると信頼して、また信頼されていると思うからエヴァは尋ねなかった。

 

「あ、やっぱりエヴァちゃんだ。おかえりー」

「おかえりなさい師匠(マスター)

 

 シロウと話して少し思い耽っていると、近くの窓が開かれてログハウスの中から覗く2つの顔が見える。

 明日菜とネギだ。

 

「ああ、待たせた。ただいまだ。……転移を使えるのは、やはりありがたいな」

 

 転移の出現の際に何か物音でも聞きつけたのだろう……或いは気配を感じ取ったのか、ひょっこり顔を出して挨拶する二人に意識を切り換えてエヴァは応える。

 その後にボソリと呟いたのは、全盛期の魔力を取り戻せた事と思いの外、帰宅が遅れたのをそれで取り戻せた事に対してのものだ。

 

「さて、本日の修行だが……その前に」

 

 自宅の扉を潜ってからの第一声。室内にいる面々からも挨拶は来るがそれに軽く手を振って応じつつ、

 

「そちらの自己紹介は済んでいるのか?」

 

 そう、エヴァは弟子として引き受けた彼女達に視線を送る。

 

「はい、師匠が帰られる前にお互い済ませました。高音さん、愛衣さん、改めて宜しくお願い致します!」

 

 ネギが何処か上機嫌にハキハキとした様子で答えると、「こちらこそ宜しくお願い致します」「よ、よろしくおねがいします」と返る二つの声。

 明石教授から引き受け、新たに弟子とした高音・D・グッドマンと佐倉 愛衣である。

 思い立ったが吉日という事で、夕映とのどかの図書館コンビと刹那の三人に案内させてエヴァより先にこのログハウスへ行かせたのである。

 

「そういえば、茶々丸はどうしたネ?」

 

 何時もように修行メンバーに加わっている古菲が言った。エヴァに付き従っている筈の機械仕掛けの少女の姿が傍に見えないからだ。

 

「……彼奴(あいつ)は今日は外泊だ。葉加瀬の所でな」

 

 エヴァの返答に古菲は納得するように首肯しながらも「ほう、珍しいアルな」と意外そうに言う。

 続けて「あれ? でもメンテナンスとかはつい先日受けてたような?」とネギが小さく呟き疑問げにしていたが、エヴァは敢えてスルーした。

 

「挨拶が済んでいるならとっとと行くぞ。幾ら『別荘』を使うとはいえ、遅くなれば明日……いや、今日のお前らの帰宅時間に響く事には違いないんだ」

「は、はい…!」

 

 エヴァのやや強めの口調に、ネギは背筋を伸ばして答える──が、

 

「──あの、それでィ、イリヤの姿も見えないんですけど」

 

 緊張の含んだ声でそう幼い少年が尋ねてきた。室内の電灯に照らされたその顔は何処となく赤みを差している。

 ただエヴァは先に前を出ていた為、その顔色には気付かずに。

 

「イリヤなら今日は来ないぞ。というか……普段からこちらには余り来ないだろ」

 

 それを今更知らん訳ではないだろうに、とでも言うようにエヴァは振り向かず地下へと降りて行く……だから先程のハキハキした様子と打って変わって、肩を落とし意気消沈している幼い弟子の姿には気付かなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 別荘内時間において昼間から夕刻にかけての教導を終えると、エヴァは溜まった疲労──とでもいうべきものは吸血鬼の身体には実際余りないのだが──を取る為に食事前に湯浴みをする事にした。

 よりゆったりとした雰囲気を味わう為にも本日は檜風呂を選んだ。日本贔屓の彼女が凝りに凝って内装を決め、設計を依頼し作らせた別荘内でも自慢の一部屋。

 全面を檜張りにした浴室、漂う湯気と共に感じられる独特の香りを楽しみながら、彼女は同じく檜で作られた湯桶に掬った暖かなお湯でさっと身体の汚れを流し落とすと、広い湯船へと身を落とす。

 幼いながらもその外見に見合った絶妙な均整を持った肢体を伸ばし、筋肉の解れを覚える頃には彼女の白磁器のように美しい白い肌は、湯の熱さによって薄っすらとした桃色に染まっていた。

 

「はぁ〜〜堪らない。少し前のアニメであった台詞だけど、命の洗濯とはよく言ったものよね」

『……』

 

 独り言なのか、問い掛けなのか判断は付かないが宝石の中にいる彼は沈黙を貫いた。

 迂闊に声を出してはならないと、彼の第六感が警鐘を鳴らしているのもある。“あかいあくま”やら、“金ドリル”やら、“黒い桜”やら、“銀の毒舌シスター”やらと、その他にも多くの女性に悩まされた経験がサイレンを鳴らすかのように大声を上げているのだ。

 

 ──生前のことは殆ど記憶にない? 確かにそのような事を何処かで言った覚えはなくもないが……ハハッ、そんなのは詭弁だよ。ただ記憶しておくのが辛かったための言い訳だ。

 

 無造作に湯船の端に立つ事になった(置かれた)彼は、何故かそんな言葉を言いたくなった……いや、声には出せないのだが。

 エヴァは、そんなシロウの心情に気付いていないかのように惜しげもなく一糸纏わぬ生まれたままの姿を晒しており、湯で濡れてやや上気した白い肌と、それに絡んで張り付く金色の髪が幼いながら妙な艶かしさを醸し出している。

 

 ……それを近場で見せ付けられているからこそ、シロウは迂闊に何かを言わないのだが。

 髪は湯船に付けずに結い上げるべきだ、と小言すらも。

 

 そんな彼に対してエヴァの心情はといえば、沈黙を貫くシロウに残念というか、失望と言うか……そんな思いがある。

 実の所、これらの行動はわざとであり、彼女なりのアピールであるからだ。

 姉のように慕う白い少女に告げられた先日の言葉に焚き付けられた感はあるが、シロウへの想いを自覚したエヴァは彼がどう自分を見ているのか図りたくあった。だから羞恥心を堪えてこのような行動に出たのだが……。

 

(はぁ……やっぱり、こんな幼い身体の私じゃ、そういう対象にはならないかぁ……)

 

 内心でため息を吐いて、どんよりとした気持ちになる。

 無論、この幼い身体にあからさまな劣情を催されていても困るのだが、もう少し慌てるとか、はしたない行動に苦言を呈するとか、そんな何かしらの反応は欲しかった。

 だから残念であり、自分の成長のない身体に失望感を懐き、意識されない事が悲しかった。

 幻術を使えば大人の身体を見せ付けられるだろうが、それで望んだ反応を得られたとしても何か違うし、きっと虚しくなるだけ……ともエヴァは思う。

 ちなみに着替えやお手洗いの際は、色々と見られないよう聞かれないように……特に後者に関してはエヴァは物凄く気を付けている。

 

 それはともかく、

 

「……もうそろそろネギの修行には、ステップアップが必要な頃かしら」

 

 気を取り直して思考を切り替え、本日の行った稽古内容を振り返る。

 いつも通りの体力向上のトレーニングと魔力効率向上の瞑想の他、せっかくなので高音と愛衣の実力を見るのも兼ねてネギと模擬戦をさせたのだが。

 一対一においては高音とは互角に戦い、もう一手欠いて……というか互いに決め手を欠いてのドロー。

 愛衣相手ではほぼ一蹴。接近戦はネギの体術が優に上で、捌き切れない愛衣を圧倒してほんの数秒で打ち勝ち。遠距離もネギの膨大の魔力の前では打ち合いにすら成らず、ゴリ押しでも余裕であった。

 だが高音・愛衣コンビの二人が相手になると、前衛中衛を担う高音の対応に精一杯となってしまい、後衛に位置する愛衣の魔法の一撃をまともに受けるか牽制されて、その隙に高音に決め手を入れられて敗北している。

 

「……魔法学校を出たての子が、卒業後に長年修行してきた先輩相手にそれだけ戦えれば十分と言えるのだけど」

 

 だけど……ネギの取り巻く状況と今後を思うと決して予断は許されない。

 まだ10と満たない子供が背負い、また迫る運命が何と厳しく大きいことか……一瞬、そんな同情も過ぎる。

 それは過去のエヴァ自身にも言える事ではある。明日菜、刹那、木乃香、そしてイリヤにも。

 

「先ずは瞬動を、それが身に付いたら早々に虚空瞬動と並行して飛行魔法……手数を増やす為にも中位呪文も幾つか覚えさないと……クーの意見も聞いて……あ、そういえば、あの娘もまだ虚空瞬動は身に付いてないようだから覚えさせて、そこから……」

 

 そうしてエヴァは思考に没頭する。ネギだけでなく無論、明日菜達へも意識を向けて……。

 

「失礼致しますマスター、入浴中の所に申し訳ありません。ネギ様がお訪ねです。如何致しましょうか?」

 

 思考に没頭するエヴァにそんな声が掛かった。

 別荘に常駐する魔法人形(ハウスメイド)からだ。

 

「む?」

 

 怪訝そうな返事をするエヴァに、要件はハッキリ致しませんが何か話があるらしいとメイドは言った。

 

「分かった。とりあえず通しておけ、私も直ぐに出る」

 

 修行や魔法について何か聞きたい事でも出来たか?……などと思いつつそう伝え、エヴァは浴槽から上がると魔法を使って手早く身体を洗って浴室を後にし、乾燥も魔法で済ますと下着とバスローブだけを纏ってネギと応対する。

 

「あ、師匠、こんばんは。突然の訪問すみません」

 

 部屋へ赴くとエヴァの姿を見るなり、座していたソファーから立ち上がってネギはお辞儀をする。

 エヴァはそれに答えるように鷹揚に軽く首肯し、

 

「ぼーや、夕食はどうした?」

「えっと、既に頂いてます」

「そうか、私はまだだ。こっちが食事しながらでも良いなら話を聞いてやる」

「はい、ありがとうございます。お願いします」

 

 部屋を移動して二人は食堂へ。

 長テーブルに向き合い、エヴァの元へ前菜が運ばれる。食事を済ませているネギの元へは軽い物としてノンアルコールのシャンパンとドライフルーツを使ったプディングが置かれた。持て成しが全く無しなのはどうかというエヴァなりの気遣いだ。

 

「それで要件は何だ? 修行に関しての泣き言なら聞かんぞ」

 

 からかい気味にクスリと笑ってエヴァは冗談めかして言い、トマトソースやドレッシングで酸味を利かせたサラダを口に運ぶ。

 

「いえ、伺ったのは修行とかそういうのでなく……イリヤのことで。師匠はイリヤとても仲良いですから」

「んん!?」

 

 予想が外れて思わぬ名前が出た事で、エヴァは若干動揺して口の中のサラダを咀嚼もそこそこに変な風に嚥下してコフっと軽く咽る。

 思わず吹き出しそうになったのもあって汚れた口元をナプキンで拭う。

 

「イ、イリヤがどうした?」

 

 食べ物が若干喉に引っ掛かった感覚も在るので、それを飲み流そうと今度はシャンパンを口元へ運びながら尋ね返し──

 

「えっと、イリヤの好みっていうか、イリヤはどんな人っていうか、その……どういった男性が好きなのか師匠は知らないかと思っ──」

「──ブフォッ!!?」

 

 飲みかけたシャンパンを盛大に吹き出した。

 何!? 話ってつまり()()()()事!!?と胸の内で驚愕しながらネギの表情を窺う。

 

「…!?」

 

 こちらのシャンパンの吹き出しに向こうも驚きの表情をしているが、頬には赤みが差しており、照れというか恥ずかしげな様子も見える。

 

「……コホンッ」

 

 再びナプキンで口元を拭いつつ咽返る喉を整えて少し考える

 正直に言えば尋ねる事ではないとは思う。以前から何となくそうではないかと察していたからだ。それでも敢えて言う。

 

「どういう積りでそんな事を聞く」

「あ、いえ……その、イリヤには好きな人がいるって耳にしたもので……気になって」

 

 エヴァの問い掛けに吃りつつ、顔を赤くして何処かモジモジしながら答えるネギ。

 そんなネギの姿を見て、何処からそんな話が?……と、ふと気付いた。つい先日、世界樹の噂がクラスメイトの間に出た時にそのような事をイリヤ自身が話していたのを思い出す。

 となると、その際に居合わせた明日菜や木乃香達辺りから聞いたのかと判断する。

 内心で舌を打ち、人のプライバシーを言い触らすような真似をした事に少し憤るが、それはこの際置いておく。

 エヴァは「はぁぁ」と強くため息を吐くと、少し眼を吊り上げてネギを睨む。

 

「随分、遠回しな言いようじゃないか」

「え?」

「人に対しては、かってに夢を覗き見てそういった事情に土足で踏み込んだというのに」

「あ、」

 

 それはネギ達のクラスが無事進級を果たした矢先の事だ。風邪で寝込んだエヴァに『夢見の魔法』を使って過去の出来事を盗み見ていた。

 それが切っ掛けでサウザンド・マスターことネギの父、ナギ・スプリングフィールドへのエヴァの想いをネギは知ったのだが。

 

「だというのに、お前は自分の想いを隠そうという訳だ。当の私にはあんな事をしておいて」

「うう…」

 

 指摘を受けたネギは、すみませんとばかりに俯いて肩を縮こませる。

 落ち込むネギの姿を見るもエヴァは、よりによってイリヤとは。また難儀な問題を自ら抱えようとするわねこの子は……と、本来の少女の面持ちを持って胸中でそう思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 始めは大切な親友であり、信頼する使い魔であり、また生物間の違いはあれど同性であるカモにその胸の内は明かそうと、また相談しようとネギは考えていた。

 しかし──

 

「オッス、お疲れさまっス兄貴、ヒック……いやぁ流石は500年も生きる伝説の吸血鬼……ヒック、揃えてる酒も良い塩梅に熟成された名品ばかりで……ヒック」

「オオ、ヤッパ良イ飲ミップリダナ、オ前。ホラドンドン行ケ」

「ありがてぇチャチャゼロ、こんなチンケなオコジョ妖精にこれほどの酒を汲んでくれるなんて……ヒック」

「気ニスンナ、御主人(マスター)ハ溜メ込ムダケデ、ドウセ嗜ム程度ニシカ飲マネエンダカラ。ソノ癖……イヤ、ダカラコソカ。味ニハ拘ルガ」

「そうなのか? ザルのように飲むと思ってたんだが何か意外だな……ヒック」

「オオヨ、ナモンデ、モッパラ飲ムノハ俺ノ役目サ。他ノ連中(人形)達ハ全然ダシナ……ダカラヨ、オ前ノヨウナ飲ミ仲間……(ダチ)ガ出来ルノハ素直ニ言ッテ俺ハ嬉シイシ、楽シイノサ……ケケッ」

「かーっ! そう言ってくれるとは……ヒック。いやぁ俺もさ、兄貴も含めて周りは女子供ばっかで正直……ヒック、酒坏を組み合わせられる相手が居ない事が寂しかったもんでさ」

「ソレジャ、オ互い寂シカッタ者同士コレカラハ仲良クヤッテイコウゼ! カモ!」

「おう! 宜しくなチャチャゼロ!……ヒック」

 

 このような会話を交えながらチャチャゼロとワインやらウィスキーやらをチーズやナッツなどのツマミと一緒にガブガブと飲み干し、すっかり出来上がってしまった為に断念。

 それで他に話せる相手を、誰か相談できる人を求めて考えて……この麻帆良に置いて想い人である白い少女と一番親しい人物であり、頼もしい自分の師であり、人生(?)経験豊富であろう吸血姫の元を訪ねたのだが。

 

「フン……」

 

 強くは無いものの明らかに怒りを込められた蒼い眼を向けられてネギは少し後悔してしまう。

 勿論、その怒りが正当であるのは理解している。過去に彼女にした行為は褒められた事ではないし、話そうと思ったのに結局土壇場で躊躇してしまったのも悪い。

 

(うう……師匠の言う通りだ。少しでも良いから素直に言えば良かったのに……)

 

 こうも“想いを告げる事”が大変だなんて……とネギは心底感じていた。

 そう、たった一つ好きだっていう言葉が重くて怖い。

 友達に向けるモノとは近いようで明確に違うナニカ。

 それが愛だと恋だという言葉や意味なのだとは分かるが、それでもまだ十歳……いや、年齢云々以前にそういった恋愛事に疎いネギには、それをどのように自分自身の(感情)として表現すれば良いのか、扱えば良いのか朧気でまだ掴めずに居た。

 同時にのどかが修学旅行の時に自分へ告白した事に尊敬の念を覚え、また後ろめたさも感じた。

 そうして1分か2分間程か、項垂れて縮こまっていると、

 

「……まあ、良い。あの時の事は今更責めた所でどうしようもない。あれはあれで私にも落ち度はあっただろうし」

 

 たかが風邪と油断した自分が情けない、とまでエヴァは言って彼女は怒りを収めた。或いは、

 

「それに、そう臆病になる気持ちも分からん訳ではないからな」

 

 その言葉の通り、ネギに共感する部分があるからだろう。

 ネギはそんな師の態度に少し恐縮していまい、今度は別の意味で肩を縮こませた。自身の過去の不躾な行いと今の臆病さを見逃されたからだ。

 

「で、確認するがお前はイリヤの事が好きなんだな? 友達だとか尊敬する魔法の先達だとかそういうのではなく。一人の()として見たい、話したい、触れ合いたい。そして自分を一人の()として見て欲しいという事なんだな」

「……」

 

 改めて自分の“想い”を指摘されたようでネギは逡巡したかのように声が詰まり、言葉が出なかった。

 ()()という言い方や触れ合いたいという部分に生々しさを覚えた事もあるかも知れない。

 

「……フム」

 

 返事をしなかったネギにエヴァにこれと言って怒りは見えない。今度は隠したり誤魔化したりした訳ではなく図星を付かれたからこその沈黙だと分かった為だろう。

 しかしネギとしては、また自分の感情(おもい)を覆ったと思われたかも……と感じて、

 

「あ、その……そうなんだと、“好き”なんだ……と“思います”」

 

 しっかり口にするつもりだったのに“躊躇い”が出てしまった。

 そんな自分にネギは戸惑ってしまう。今度はそんな積りはなくイリヤを真っ直ぐ好きだと言いたかったのに、どうしてか“恥ずかしい”という感情が出て遮られた。

 自分の感情の働きに戸惑うネギを、エヴァは少しジッと見詰めてやれやれと苦笑する。

 

「ま、ぼーやには初体験の情動だ。しっかり表にはできんか」

 

 ネギの感情を見透かしてクツクツと金色の髪を揺らして笑うエヴァ。呆れと滑稽さが混じった声色だった。

 それに「あ、いえ、そんな事は……」とネギは少し慌てて言おうとするも、エヴァはその言葉を制するように微笑を浮かべたまま口を開く。

 

「ククッ……大いに悩め少年。それも成長には必要なものだ。……ともかくお前の想いは理解したし、聞きたい事……イリヤが好きだという人物に思い当たる者はいるが」

 

 そこで彼女は真顔になり、

 

「誰かまでは言えん」

「え!?」

 

 ネギも内心での情動が収まって今度は別の意味で動揺する。「そんな」と驚きの中に落胆が混じった顔を見せる。

 

「ぼーや、そもそもそれを知った所でどうする? その人物を真似て気を引きたいのか? 自分を偽って?」

「それは……」

 

 正直に言えば、そういう考えもありはした。

 イリヤが好きだという人物が誰なのか、その性格をよく知れば、彼女の好みに合わせて近づけられると。

 ただ同時に浅はかな考えだと、それは違うとも思った。それでも──

 

「そうだな。自らを偽った所で結局は苦痛であるし、そんな方法で築いた関係など直ぐに破綻する。しかし知りたいという思いも分かる。ただ単純に気になるという事もあるだろうしな」

 

 ネギの思考を察してエヴァは続け、

 

「……はい」

 

 ネギは首肯した。

 そう、とても気になる……気になってしまう。

 何処か大人びていて尊敬すら覚えるあの白い少女が好意を寄せる程の男性だ。いったいどんな凄い人なのか、自分はそんな人に()()()のか……そんな不安が、恐怖があった。

 そこまで考えて、ネギは胸中に鉛のような重いものが溜まっていくような感覚に襲われた。

 その葛藤もエヴァは見透かしたのだろう。

 

「……普通の、とまでは言えんが一見すると何処にでもいるような男だよソイツは。ただ他人(ひと)よりも何倍も何倍も頑張り過ぎる、優しいだけのな」

 

 少し寂しげに呆れたようにエヴァは言う。

 

「容姿にしても絶世とか、そのようなとびきりの美男子という訳ではないし、まじゅ……魔法の実力も凡庸な人物だ」

「そ、そうなんですか」

 

 エヴァは尋ねた事に少しだけ返答してくれたのだと理解して、その事に驚きながらもネギは意外そうにする。

 

「ああ、顔だけならきっとぼーやの方が良いだろうし、魔法を扱う才能だってずっと上だろう。こうあんまり褒め過ぎるのもどうかとは思うが、お前は確かに天才で、何れは大成し後世に名前を残すのだろうよ、あの馬鹿……父親であるナギと同じくな」

 

 本当に少しだけだがエヴァは、その人物の事をそうネギに言い聞かせ、ネギの事も評した。

 それは正確ではないが、間違った評価ではない筈だ。少なくともエヴァの表情は偽りを言っているようには見えなかった。

 

「だから誰かと比較などするな。ぼーやはぼーやでありのままで良い」

「は、はい!」

 

 ネギはエヴァに褒められた事が嬉しくなって大きく返事をした。だが、

 

「……とはいえイリヤとはな。以前からそうだとは思ってはいたが、随分と難儀な相手に恋をしたなお前」

 

 エヴァは、少し前に見せたように大きなため息を吐いて苦い表情を浮かべた。

 それにネギは疑問げな顔をする。

 

「それってどういう……?」

「どうもこうもない、言葉通りの意味だ。口説き落とすハードルがとんでもなく高い相手だとな。私の好きなTVゲームに例えるなら、恋愛物のアドベンチャーで初回からフラグすらハッキリしない、在るかどうかも分からない隠しルートに挑むようなものだ」

 

 呆れたような、或いは哀れむかのようにエヴァは言い、思い出したかのようにフォークを手にしてテーブルの上にあるサラダを頬張った。

 それを見てネギも思い出したように先割れスプーンを握ってプディングを口へ運ぶ。舌に広がる甘味と鼻に感じる甘い匂いが何処となくホッと気分を落ち着かせる。

 

「ただ逢瀬を重ね、多くの時間を共にし、互いに好みを知り合い、趣味趣向を理解する……などというごく普通のやり取りだけではアイツの心を掴み、想いを育む事はまず出来ない」

 

 ま、何しろあのイリヤだしな、と半ばボヤくように小さな呟きを挟んでエヴァは話す。

 

「ぼーや……いや、ネギ。イリヤを本当に好きだと、彼女を心の底から欲しいと、自分だけを見てくれる(モノ)にしたいと望むなら覚悟する事だ」

 

 エヴァは、これまでネギが見た事が無い程の真剣な眼差しで告げる。

 

「イリヤの抱える事情はとても大きく重い。ともすればそれは、お前が『偉大な魔法使い(マギステル・マギ)』を目指しこの先、父親(ナギ)を探し求めて歩く道よりも……或いはその胸の内にある黒い感情(復讐)晴らす(叶える)事よりも辛く厳しく険しいモノかも知れない。故に──」

 

 故に心せよ。

 我が弟子、ネギ・スプリングフィールド。

 あの白雪のように美しい冬の娘を手にしたくば……全てを得て、全てを捨てる覚悟。それを同時に持つ事だ。

 でなければお前は、後悔を残して涙するだけになる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『……まるで予言者のようだったな』

 

 ネギは自分の寝室へと去った。

 勿論、告げた言葉の後で更に幾分か会話を交わして助言もした。

 

「もとより私達は神秘を繰る魔法使い、そのような者でしょう。確かにさっきはそう敢えて気取り(カッコつけ)はしたけど。……でも、告げた事はそう間違ってもないでしょ?」

 

 赤い宝石へエヴァは語りかける。自室の寝台へと転がりクッションを背もたれにし、指に挟んで目元まで持ってきた美しい光を煌めきさせるソレを見詰めて。

 

『……ふう、だけど良いのか?』

 

 エヴァの語りに意図して答えずシロウは尋ねる。話題を変えるかのように。

 

『ネギを焚き付けて助言するような真似をして? オレはてっきりエヴァは嫌がると思ったんだが……』

「イリヤを好きだとか、恋愛対象に見られる事?」

『ああ』

 

 返る言葉に肯定するシロウ。

 エヴァは顎に手を当てて考える仕草をする。

 

「そうね、シロウの言うように大好きなお姉ちゃん(イリヤ)をそう見られる事に抵抗は覚えなくもない」

『だったら……』

「それが碌でも無い男だったら、ね」

『む?』

 

 やはり嫌なのではないかと思った所でエヴァは頭を振って見せ、シロウは口籠もる。

 

「ネギは明らかにまだまだ未熟で頼りなさはある。でも考えてみて、あの子は十歳と幼いわ」

『なるほど、逆に言えばまだ幼い十歳の子供であれ程と…』

「そういう事。英雄と呼ばれる男の息子で、その素質は抜群に受け継いでいて、更に馬鹿だったナギと違って正真正銘、頭脳明晰の天才児。人格は善良で器量も良く将来性はかなり有望。先にも言ったように大成するのはほぼ間違いなし。この時代、この世代の子であれ程見込みのある男は他に……そうは居ない」

『ベタ褒めだな。しかし的を射ている』

 

 ふむ……とシロウは納得する。

 エヴァの言う通りネギは凄まじい。魔法に関しては魔術との体系が違い過ぎて言及は難しいが潜在的な魔力はエヴァに匹敵しているのは分かる。今はゴリ押し気味だが成長は早く、その腕前が一流に届くのはそう遠くないと思わせる。

 体術に関しては既にプロ級。魔力無しでもスタミナを考慮しての一本勝負であれば表社会の一流アスリートが相手でも十分勝ち得る。武術に限っては同じく天才で生粋の拳法家たる古 菲が反則程の飲み込みだと舌を巻くほどなのだ。

 だが、一番凄まじいのは彼の頭脳だ。僅か十歳で大卒認定を受け、正式に教員資格を得られる程の知力・学力を持っている。聞く所によれば他にも学問に関して幾つか難しい資格を取得しているとか……そこまでくれば凄いと言うよりは、もはや異常と言っていい。

 魔法も武術もその成長と飲み込みの早さは、そういった異常なまでの頭の良さが何よりも担っている……のだろうとシロウは分析していた。

 

「ふと思うのだが、ネギ少年は“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”とやらを目指すよりも学者になるべきではないか? もしくは政治家か? 表にしろ裏にしろ。彼ならそのどちらの世界にも席を置いて兼任できるだろうし、その方がよっぽど世の中の為にもなり、人類の発展に貢献できる気がするが』

「……それは正直、私も時々思う」

 

 何とも言えない沈黙が二人の間に漂う。

 こう、何というか気付いては行けない事に気付いたような……敢えて見ようとせず、目を逸らしていた物を見詰めてしまったような感覚があった。

 しかし、その感覚は尤もだと言うべきモノである。

 ネギは、男性らしく心の根に熱いものを持った少年ではあるが、基本その性格と気質は穏やかで優しいものだ。

 先日学園を襲ったとある悪魔が語ったように本来は戦いに向かない繊細な人間である。

 そう、或いは今、彼が進んでいる道は誤っているのかも知れない……──いや、

 

『いや、すまない。脱線させた』

「ううん、とりあえず──」

 

 取り留めない事を言ったのをシロウは謝罪し、エヴァは仕方なさげに軽く首を横に振り、話を戻す。

 

「──そういう訳だからネギがイリヤの隣に立とうとする事に不満は……百歩、いえ……五十歩くらい譲れば無いわ」

『……それでも譲らないと駄目なのか…』

 

 謎に──平たくぺったんな──胸を大きく張りながら、えへんとするエヴァ。それに呆れた口調を返すシロウ。

 恐らくエヴァ的には譲歩してあげて偉いでしょう……という寛容さを示した積もりなのだろう。

 

『……まあ、エヴァに不満がないというか、不満が少ないのは分かった。しかしイリヤにとっては──』

「うん、分かってる。イリヤの方がどう思うかは別だっていうのは。あと彼女に対しては迷惑でしか無いのかも知れないって事も」

 

 そう互いに言うと、また沈黙が二人の間に降りる。

 だからこそ難儀な恋をしたという事であり、予言なのだ。

 イリヤはネギへの恋愛感情は皆無であろうし、何よりそのような事に心を割く余裕はない。

 やるべき事の大きさに気を取られてるというのもあるが、そもそもとして白い少女は己に“時間が無い”事を……“先”が無いが理解している。

 だから恋をしようなどとは思いもしないし、出来るとも思っていない。どうあっても悲恋で終わるだけだと、或いはそういった未練を残したくないと割り切り達観しているのかも知れない。

 

「でも思うの、私は。例え押し付けがましい考えだとしても……」

『……』

 

 しばらくの沈黙の後でエヴァは言う。

 

「まだ希望があって、イリヤが生きられるのなら……そんな未来があるなら、この世界で幸せを得られるならって。そして恋をして、その時に隣に立ってくれる男性がいるのなら、愛する人が出来るのなら──それは誰にも負けないくらい、凄く素晴らしい誰にも自慢出来る良い男であって欲しいって」

 

 それは言葉というよりは祈りであった。

 生まれながらにして運命が定められ、それを果たせずただ小さな……けれど大切な誰かへの願い(イノリ)だけを残して世界から悲しく去り(死に)、そしてこの新たな世界でも逃れられぬ運命を与えられて短く去る(死ぬ)だけの白い少女に、あの冬の娘に──どうか救い在れと。

 福音の名を持つ吸血姫は、そう心から祈っていた。

 吸血姫に仕える騎士で在らんとする赤き弓兵は、それに何も答えず静かに無言であるが、別断否定している訳ではない。ただ肯定も難しいと、理想と現実の違いを生前に嫌というほど見せ付けられた彼なりの人生観が容易に頷かせなかった。

 尤もそれは500年の時を生きた彼女とて同様の筈なのだが──否、だからこそだ。

 

「だって、それが叶う方法も見つかったかも知れないから──」

『──なんだって!?』

 

 そのまったく突然の言葉に……希望を紡ぐエヴァの声にシロウは驚きを返す。

 

『エヴァ、それはどういう事だ!? イリヤが助かるのか!』

「うん、方法はあると思う。これまでに聞いたソレの事から考えると人並みの寿命は無理かも知れないけど……少なくとも十年……もしくは二十年は延命できると思う。それだけ生きられるならきっと──」

 

 そう希望を話す。シロウはエヴァからその方策と手段を聞き……。

 

『ならば余計に遅れを取る事は出来ないな、連中には──』

 

 かつての世界……生前にあった無念の一つをこの世界で取り返せると考え──無論、それが自分の知る白い少女ではない別の彼女だと、代償行為に過ぎないとも理解はしているが、それでも──シロウは決意する、己が今出来る事を、すべき事を。

 

『エヴァ、提案がある』

 

 そうして彼は主たる吸血姫にそれを話し、承諾を得る。

 

『それにだ。イリヤばかりに驚かされるというのも癪ではあるしな』

 

 本日訪れた魔法協会本部での最後に、エヴァや鶴子に魔法先生らを相手にしてイリヤとさよが披露した物を思い出しながら、シロウはそうも言った。

 

 

 

 

 

 何処で遠くで小さくカチリと何か欠片(ピース)が収まった音を聞いた。

 

「でもこれは既定の路線……」

 

 深い夢の世界の中で佇む姫巫女と呼ばれる幼い少女は呟いた。

 

「そう、問題は此処からさ」

 

 自分だけしか居なかった筈の夢の世界に何時の間にやら住み込んでいた老人(青年)が言った。

 

欠片(ピース)はまだ足りない。彼等、或いは彼女等はそれらを見付け、果たして埋められるのか……」

 

 心配だねぇ……と、まったくそう思っていない軽薄な口調で老人は困った笑いをする。

 少女はその顔がどうしてか無性にムカついたので、

 

「……!」

「ぐふっ」

 

 無言で蹴りを入れてやった

 

 




 所々問題はありますが、実はそれ以上にイリヤと恋人になるには、エヴァに認められなくてはならないというのが、この本作世界の男性達には一番の高いハードルだったりします(ついでに言えばシロウにも…?)。

 原作の学際編は、恋愛模様の割合が多いのでこっちでも色々仕込みに掛かってます。
 ネギの出番はもう少し入れる積もりでしたが、見送りました。
 そして主役たるイリヤの出番は無し……次回の登場で34話はようやく終わります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。