麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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第30話―――布石 Ⅰ

 

 イリヤはエヴァの申し出を了承し、今日の仕事に取り掛かる為にも先ず高音達が持って来た資料に目を通した。

 

「ふむ…」

 

 カサリとページをめくり、紙媒体のファイルを読んで行く。

 

「―――…設置後の経過観察は良好…と。でもこの分だと学祭が始まった後は少し大変かしら? 世界樹の本体の方も…やっぱり結界の強化を…ううん、一度見直した方が……けど…」

 

 考えを纏めるようにブツブツと呟き、顎に手を当てて唸る。

 

「…うーん。そもそもこの土地の霊脈や大気に満ちる大源(マナ)が異様なのよね。まるで神代(かみよ)の……いえ、そこまで行かなくとも西暦千年に入るかどうかの頃に……他の“聖地”も同じなのかしら? ううん、やはりあの樹の原因と見るべきか…」

 

 そんな考え込むイリヤの対面にいる面々は興味深げに彼女を見ていた。

 エヴァはイリヤの考える内容が如何なるものか、高音と愛衣は今日の仕事に関わる内容を漏れる言葉から少しでも掴もうと耳を立てていた。

 そうして暫く、イリヤはファイルにペンを走らせて何やら書き込むと控えていたメイドに渡す。

 

「地下に居るサヨにこれを渡して目を通すように言っておいて」

「はい」

「それと目を通して準備が済んだら直ぐに表に出るようにとも…ね」

「承りました」

 

 書類を渡されたメイドは会釈すると部屋を後にする。

 それを見届けるとイリヤは席を立ち、エヴァ達に告げる。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 

 

 店の表通りで暫く待ち、さよも出てくるとその背後から小太郎も顔を見せて来た。

 

「イリヤ姉ちゃん。俺も付いて行ってええか?」

「…いいけど、貴方にはつまらないと思うわよ。ウルズラ達に稽古を付けて貰った方がまだ有意義なんじゃないかしら?」

 

 小太郎の意外な登場と随伴の申し出にイリヤは少し首を傾げながら答えた。

 ここに来て以来、小太郎はイリヤのみならずウルズラを始めとした他の人形(メイド)とも模擬戦を繰り返している。

 カードを使うイリヤ程では無いが未だ隔絶した実力差があり、武芸十八般と人形とは思えない引き出しの多さから、ウルズラ達と拳を交える小太郎の経験値はみるみる上昇している。

 それもあってか、小太郎は首を傾げるイリヤに頷く。

 

「まあ、そうなんやろうけど…」

 

 そう、イリヤの言う通り非常に有意義であり、為にはなる……なるのだが―――小太郎の視線が何処か遠くを…宙を見詰めるようになる。

 

「……………」

 

 何とも言えない表情で沈黙する小太郎に、イリヤは何となくその心情を察した。

 

(ああ、嬉々として痛め付けてる感じだものねぇ)

 

 Sっ気があるのか、小太郎との模擬戦や訓練というよりも一方的な扱きと化した鍛錬(?)にウルズラが何処か愉しそうなのだ。

 今にして思えば、あの最初の模擬戦でも容赦なく咽を突いたりとその片鱗があったような気がする。

 

「分かったわ。私の仕事を見学するのも勉強になるだろうしね」

 

 自分も厳しい方だが……ウルズラの薄っすらと浮かんだ笑みを思い出し、若干哀れに感じてイリヤは小太郎の同行を許可した。言葉にはしなかったが彼が望むようにたまには休んでも良いだろうと思い。

 首肯したイリヤは、次に初対面である小太郎の事を訪ねたそうにしていた高音と愛衣に彼の事を紹介する。

 

「…タカネ、メイ。紹介するわ。この子は犬上 小太郎。西との交流の一環で派遣された駐在員よ。ただ見た通りの年齢だから見習いの交換学生みたいな位置付けなんだけど、訳あって私が身元を預かっているの。…あと狗族との混血よ」

 

 そう二人に告げるとイリヤは小太郎に目配せする。それに小太郎はハッとした様子で慌てて口を開く。

 

「あ、えっと……紹介にあった犬上 小太郎や…いや、です。西の出でこっち事はあんまり知ら…しりませんので、色々と迷惑を掛けると思いますけど、宜しくお願いや…じゃなくてお願いします」

 

 慣れない敬語を使って挨拶して頭を下げる小太郎。そんな彼に微笑ましいものを覚えたのか、高音と愛衣はくすりと笑う。

 

「私は佐倉 愛衣。よろしく小太郎君」

「私は高音・D・グッドマンと申します。こちらこそ宜しくお願い致しします。あと敬語を無理に使わなくても構いません。最低限の礼儀を忘れなければ、此方は気にしませんので」

 

 挨拶を返す二人。加えて拙い敬語した小太郎に高音は年上の先輩らしく優しく無理をする必要な無いと告げた。愛衣もそんなお姉様の言葉に同意して頷く。

 

「そっか、助かるわ。高音さん、佐倉さん。改めて宜しくな」

 

 不躾な自分に気を使ってくれた事に感謝しつつ小太郎は再度頭を下げる。

 そこには半人半妖(ハーフ)という事を聞いても差別的な眼を向けなかった事も含まれていた。

 

「うん、よろしく」

「宜しくお願いします」

 

 再度頭を下げる小太郎と同様に二人も再度そう宜しく告げ、イリヤはそんな彼と彼女達を見て小太郎が混血(ハーフ)である事を隠さなかったのを正解だと思った。

 言わなかったら後になって変に拗れるかも知れないと考えたのもあるが、高音と愛衣ならば小太郎を蔑むような真似はしないと信じたのだ。原作でそんな様子を見せなかった事もある。

 

「嬉しそうだなイリヤ」

「ええ」

 

 イリヤが笑みを浮かべていたのを―――お姉ちゃん大好きっ娘であるが故、当然―――エヴァは見逃さず、イリヤは素直に頷いた。その背後ではさよも嬉しそうに小太郎と見習い少女達のやり取りを見ていた。

 

「あの子、ネギくらいしか友達って言える子がいないから…」

 

 エヴァに首肯しながらそうも言った。

 生まれから仕方がないとはいえ、孤独であった彼が友人を作れる機会を得た事、人との関わりや交流の大切さを理解できるようになっていくのが、何故か嬉しく思えたのだ。

 自分も…さよも長く孤独の中で過ごした所為だろう。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤ達が先ず向かったのは近場にあるフェアテル・アム・ゼー広場だ。

 宝飾店と同じ繁華街に在るその広場は、学園都市内で六ヶ所ある魔力溜まりの一つだ。世界樹と呼ばれる神木・蟠桃が地中深く根を張って造るそれは、まさに霊脈と言っても過言でない代物であり、線で結べば綺麗な六芒星が出来てしまうほど互いに均等な位置にある。

 長らく管理を任されている分家・近衛の当主たる近右衛門から聞いた話や古くからの資料によれば、彼ら魔法使い……正確には(いにしえ)の神職者や陰陽師達がこの地に足を踏み入れた時から蟠桃は世界に並ぶ物がない巨大樹であり、その古の時代からこの大樹の根による緻密なネットワークともいうべき霊脈は築かれていたとの事だった。

 

 当然ながらイリヤを始め、過去の魔法使い達はこのあからさまな魔力溜まりの配置に人為的な意図を覚えたものの、その理由や目的はいまだ謎に包まれている……と表向きにはされている。

 

 ―――或いは、最も古くこの地の管理者であった尊き血を持つ御方達が秘蔵する文献の中には、その答えが記されているのかも知れないが…。

 

「……栓の無い話よね」

 

 余所者であるイリヤは勿論だが、現在の管理者である近右衛門でも踏み込めない領域…否、次元にある事だ。

 思考し推測する事は許されるが、其処へ踏み込んでの調査は決して許されない。イリヤとしても……いや、“イリヤ”ならば兎も角、内面に日本人的な意識を抱える今のイリヤとしては恐れ多くて踏み込む気にはなれない。

 

(まあ、魔術師的にも二千年以上の歴史を有する血筋の方々に、無遠慮に探りを入れるなんてのも憚れるんだけど…)

 

 だが、以前の“自分”ならこんな好奇心を刺激する事柄に対して我慢できるだろうか?とも思ってしまう。

 

 それは兎も角として。

 幾つものカフェテラスに囲まれた広場は休日という事もあってか人が多く、学祭準備期間という事も重なり何処か慌ただしい賑わいを見せていた。

 

「学祭が始まったらもっと騒がしく賑わうんですけどね」

「特に今年は二十二年ぶりだという例の発光現象がありますし、…まったく一体何処から漏れたのか。本来ならば来年である筈のそれが、近年の異常気象の影響で早まった事が一般の方々に知られていますから」

 

 雑談を交わす中で愛衣と高音がそのように言った。

 愛衣は何気なくといった感じだが、高音はどこか憂鬱そうだった。

 

「あー…」

 

 そのお姉様の顔を見て愛衣も表情を曇らす。イリヤはその理由を察する。

 

「来場者数が増える。つまりそれだけ人が多くなり、人口の密集率が高まる訳だから…当然、諍いも起こり易く、大きく成るものね。お祭り気分で浮かれ、気が昂っている人も多いでしょうし…」

「ええ、しかも諍いによる事件だけでは無く、事故の件数も増えます。麻帆良は生徒達のバイタリティの高さもあって無茶な出し物が多いですし…」

「…成程。大変なのね」

「あ、はは…」

 

 事情を理解し同情するイリヤに愛衣が渇いた笑みを浮かべた。

 そう、過去…これまでの学祭期間中での諍いや事故の件数に比較して死人が出ず、負傷者が少ないのは彼女達を含めた麻帆良の魔法使いのお蔭なのだ。

 ちまたでは世界樹の加護だとも言われているが、真実は彼女達の頑張りにあった。

 

「外での仕事に比べれば、圧倒的に危険度が少ないからな。この学祭期間中の雑事はお前たち見習いに経験を積ませる良い機会なんだ」

 

 憂鬱そうな高音と苦笑を浮かべる愛衣を見つつエヴァは今の言葉に続けて、大変だろうが頑張れ、と。余り気の無い声援を送った。

 彼女の言葉にある通り、この手の比較的緩い任務や仕事は見習いである彼女達によく回される物だ。ただ緩いと言っても学祭時期の事故や事件は人命に関わる場合もあり、重要な仕事なので高音にしても愛衣にしても遣り甲斐はあると感じてはいるのだが……それでも憂鬱な顔を見せ、苦笑してしまうのは―――

 

「それは判っております。自分達の為でもあるのですから勿論頑張りますが―――」

「―――でも、ほんと大変なんですよ。対応しなくてはならない事が多過ぎますし。担当箇所もころころと変えられて学園中を駆けずり回されて……私なんて毎年学祭が終わる頃にはもうヘトヘトで…」

 

 ―――そう、憂鬱になり苦い笑みが出てしまうのは。毎年発生する問題の件数の多く、さらに広い学園内を実質マラソンさせられるからだ。しかも学生としてクラスや部活の出し物も熟さなければならないというハードルまである。

 

「けど、その大変さを含めての経験積み……修行という事なんですよね?」

 

 さよが小首を傾げながら言った。

 何を当たり前な…と。高音は一瞬そう口にしかけたが、さよの言葉のニュアンスに違和感を覚えた。

 小さくも多くの事件と事故に対応して実践的な経験を積むというだけで無いような、これまでの認識とは異なる意味があるように思えたのだ。

 

「どういう意味ですか。さよさん?」

 

 だから高音は尋ねた。

 さよは、高音の疑問げな様子に僅かに戸惑ったようだったが直ぐに答えた。

 

「えっと、話を聞いて考えたんですけど、そうやって敢えて多くの問題を…時には同時に処理させられるのは、その処理能力や対応力の向上とその限界を自分に見定めさせるのが目的で。転々と場所を移動させるのも同じ現場に居続けると気が緩むっていうか、慣れと共に緊張感が欠けて注意散漫になってしまうからで、常に異なる状況下に置かせる事でそれを抑制し緊張を持続させる術と、臨機応変な思考力…高い判断力を身に付けさせる為に思えるんです」

 

 そのさよの答えに高音は眼を見開いた。愛衣も唖然とした様子だ。思い当たる節があるからだ。

 

 確かに初めて学祭の警備任務に就いた時、多発する問題にただやみくもに……加減も判らずに一つ一つを懸命に気負って事に当たって直ぐにへばってしまい。正規の職員に後を託してはちょくちょく休憩を取る事と成っていた。

 突然の配置転換もそうだ。ようやくその場に慣れが出来て安堵を覚えた頃に移動するように言われ、緩みそうになっていた気持ちに冷や水を浴びせられたようになり、慌てて気持ちを立て直そうとも上手く行かず、次の箇所で起こる問題に対処し切れず、正規職員のフォローに何度も助けられた。

 

 元々小さな事件・事故ばかりと言う事もあり、何れも些細な事で見習いなのだから始めはこんなものだと、誰もがそうだと、当時の指導教官にそう軽く笑いながら当然のように言われたから気付かなかった。

 そしてその次の年は、前年の事を踏まえてかなり上手く動けた。

 

 多発する問題にやみくもにならず、冷静に己が限界を考えて一つ一つ確実に問題を片付け、何でも自分だけでやろうと気負わずに無理そうだったら素直に正規の方々にお願いしたりもした。移動を命じられる事を考えて常に気を張りつつ、次の担当箇所を予想しながら、そこではどのような問題が起こり易いのかも想定して挑んでいた。

 多少気を張り過ぎ為に前年よりも精神的疲労は大きかったが、それでも肉体的には余裕を持って発生する問題に対処出来た。その時に昨年の“経験”が活きたとは思っていたが……しかし―――

 

「……そういう事でしたか」

 

 今になって気付いた―――いや、気付かされた。それが“経験を積む”という事なのだと。

 さよは何もこれまでと異なる認識を口にした訳では無い。実践的な経験を積むという事の意味をより細かく明瞭しただけだ。

 高音は途端、恥ずかしくなった。数年も同じ事を繰り返し、更に言えば学祭以外でも簡単な仕事や任務を熟して来たというのに経験を積むという意味を―――それらにどんな意図が…如何に自分達を鍛えて成長させようとしていたのかを殆ど理解してなかった己の浅慮さに。

 愛衣も同様なのだろう。僅かに顔を赤くして俯いている―――が、程無くして顔上げてさよを尊敬するような目で見た。

 

「凄いですね、さよさん。私、学祭警備にそんな深い考えがあるなんて全然気が付きませんでした。イリヤちゃんの弟子なだけありますね」

「え? そ、そうですか?」

 

 愛衣に向けられる視線と言葉にさよは戸惑う。彼女にして見れば当たり前な事を言っただけなのだ。

 だが高音にしてみれば、愛衣にまったく同意だ。流石はイリヤさんの弟子で助手を務めるだけの事はある…と。見た目はトロそうな印象なのに大した考察力の持ち主だとも。

 或いはこれが六十年もの歳月を幽霊でありながらも過ごした人間の経験なのか…とも考えた。そのように考えるように一応、高音も愛衣などの彼女たち見習いにもさよの正体を知らされてはいる。無論、詳しい事情は教えられてはいないのだが。

 

「ちょっとびっくりしたわ。見直したでさよ姉ちゃん。普段は何処かぽけーとして頼りないのに。こうなんつーか確りと物を考えとるんやな」

「コ、コタ君まで…それにそれあまり褒めてないよね」

 

 高音の感心を知る事も無く、小太郎のあんまりな言いようにさよは頬を膨らませる。それだけを見るとやはり外見相応の十代半ばの少女としか思えなかった。

 

「だけど、今年からはその大変な仕事も多少楽に成る筈だ」

「え?」

 

 エヴァの思いがけない言葉に高音は彼女に尋ねるような視線を向ける。

 それに答えるようにエヴァは言葉を続けた。

 

「イリヤが宝飾店で売り出しているアミュレットがかなり広まっているからな」

「あ、それって…“幸運のお守り”の事ですか? 明石教授や他の魔法先生方から聞きました。イリヤちゃんが協会の承認を得て、あのお店から密かにそんな“本物”を販売しているって」

 

 愛衣がそう尋ねるとエヴァは鷹揚に頷いた。

 

「その通りだ。アレの効果を知っているなら判ると思うが、複数在るアレらが上手く機能し厄除けと幸運寄せの結界が作られれば、学祭時期にあるような不幸な諍いや事故はグッと減るだろう。特にこう言った祭り…祭事という奴はそういった概念を招き、形成し易いから尚更にな。…実際、龍宮神社では毎年学祭の無事を願う祈祷を行なっている」

「なるほど……ではもしや、それを見越してイリヤさんは…!」

 

 高音はそれに気付いてイリヤの方を見ると、イリヤは首肯した。

 

「…今年は発光現象の他にも妙な厄介事が舞い込むみたいだしね―――まあ、とはいっても正直、宝飾店が好評だったり、こうも早く順調に学園へ広まるとは思ってなかったけど。……流石はカズミね」

 

 協会の広報部門が優秀という事もあるんだろうけど…とも。イリヤは言葉尻でポツリと呟くが小太郎以外には聞こえなかった。

 高音は厄介事が…という言葉に若干眉を寄せていた。凡そ一週間前に麻帆良…いや、日本の及び各国の魔法関係者に向けて突然公表された事だが。それに関して彼女はある私事が抱えており、少し憂鬱めいた思いあった。無論、それを嬉しく思う感情がない訳では無いのだが……。

 

「ハア…」

 

 それを考えるとやはり溜息も零れた。

 

 

 ◇

 

 

 そうして雑談に興じながら広場の中央付近にまでイリヤ達が近づくと。

 

「おはようイリヤ君」

 

 長身の黒人男性が声を掛けて来た。

 

「おはようございます。ガンドルフィーニ先生」

 

 黒人男性こと麻帆良の教職員にして魔法協会の職員であるガンドルフィーニにイリヤは丁寧に挨拶を返す。

 年齢に似合わない淑女然としたそのイリヤの振る舞いにまだ慣れないのか、それとも彼女の背後にあるエヴァの姿を見てか、ガンドルフィーニは僅かに動揺した。

 それ感じ取り、イリヤは挨拶で下げた頭を上げて機先を制するようにエヴァの事を説明した。

 

「すみません。今日はエヴァさんに手伝って貰う予定だったのです。長い時を生きた博識な彼女に色々と意見を頂こうと思いまして。それを忘れ、連絡を怠った事……申し訳ありません」

 

 今朝になってエヴァから申し出があった事を隠し、そう嘯いて再度頭を下げる。

 

「あ、いや…頭を上げてくれ。それ程の大事という訳でもないのだから。むしろ彼女の助力を得られるのは有難い事なのだし」

 

 ガンドルフィーニは慌てた様子で言う。

 元々は部外者とはいえ、イリヤは非常に優秀な人材であり、ある意味では自分以上の実力の持ち主であり、色々な方面で頼りにしている協力者なのだ。

 そんな余りにも無碍に出来ない人物に頭を下げられるのは非常に居心地が悪い。おまけにその見た目は幼い可憐な少女だ。こんな人通りの多い中でそんな事をされるのは恐ろしく気まずい。

 それに―――ここ最近の麻帆良では近右衛門、タカミチに続くナンバー3の実力者として見る風潮が出来つつあるのだ。正式な立場や権限では自分の方が上なのだが、少なくともこの麻帆良内では、カリスマとも言える“威”的な意味でイリヤの発言や立場は学園長並に無視出来なくなっている。

 

「ありがとうございます」

 

 それ所以のガンドルフィーニの困った様子に気付いているのか、いないのかイリヤは屈託の無い笑みで感謝を告げた。

 実際、イリヤは全く気付いていなかった。ただ何となく自分の意見が通り易くなったけど、学園長やタカミチに木乃香、そして西の長たる詠春と大使である鶴子の後ろ盾のお蔭かな?と。漫然に思っているだけだったりする。

 思いの外、イリヤは人間関係において他者からの関心に無頓着なのだ。大事なのは自分の方が誰かに関心があるか無いかだ。無論、その関心対象が自分をどう思っているかも大事には思っているのだが……基本的に無頓着な為か、変に鈍い所がある。

 

「それで先程、愛衣達からレポートを受け取りましたが……今の状態は?」

「ん、ああ…私はそっちの方面は門外漢だからな。瀬流彦君が今見ている。…うむむ、やはり口頭で説明するより、君に直接見て貰った方が早いだろう」

 

 イリヤに質問を受けてガンドルフィーニから動揺が抜ける。気を取り直したようだ。仕事に意識が向いた為だろう。若干何処か苦悩するような難しげな様子だったが。

 そして彼とイリヤ達は広場の中央に向かう。

 もうあと30mほど先と、その僅かな間にガンドルフィーニは、高音達やさよと小太郎にエヴァに挨拶を済ませた。流石にエヴァに相対する時はまた緊張する事と成っていたが、普通に挨拶を返されたお蔭でホッと安堵していた。

 

 

 広場の中央には学祭準備中の麻帆良では良く見かけられる飾り物(オブジェクト)があった。

 高さは凡そ6m。幅も6m程のずんぐりとした猫をモチーフにした巨大なぬいぐるみのような物。毛皮で覆われたそれは雨天対策の防水加工が施されているのか妙に艶やかに見える。

 そして奇妙な事にそのぬいぐるみを大きく避けるように人々が行き交い、こう言った代物が好きそうな幼子達も全く近づこうとしない。必ず2m以上の距離を取っており、まるで見えない壁でもあるかのようだ。

 

「一般人対策は万全のようですね」

「まあ、流石にこれくらいはな」

 

 イリヤの言葉にガンドルフィーニが頷く。

 人除けにもよく使われる意識誘導・認識阻害の結界だ。それが広場の中央に張られていた。

 

「……何か強い魔力を感じますね」

「ええ、この広場自体が世界樹の影響下にある魔力溜まりだとは聞いていますが……」

 

 そう言った愛衣と高音の視線が猫のオブジェクトに向かう。元より魔力溜まりの中心にあるのだから強い魔力を感じるのは何もおかしい事では無い……無いのだが―――

 

「―――強すぎるな。いや、集まり過ぎているというべきか? ふむ…」

 

 エヴァはポツリと呟きながら考え込むように顎に手を当てるが、その答えはイリヤにあると判っているのだろう。その青い双眸が白い少女の方へ向かう。

 

「ふふ、まあ…見てからのお楽しみと言った所かしらね」

 

 エヴァの視線に答えて少し茶化すように言うとガンドルフィーニに尋ねる。

 

「それで、やっぱり背中から入るのですか?」

「ああ、こっちだ」

 

 ぬいぐるみ…というよりは着ぐるみを連想したとも思われるイリヤの問い掛けに、当然のようにガンドルフィーニは答え。巨大なぬいぐるみ…もとい着ぐるみに見える様になったそのオブジェクトの背後に回る。イリヤ達もそれに続いた。

 

 

 

 オブジェクトの裏にはやはりファスナーがあり、それを開いてイリヤ達は中に入った…が、

 

「…う」

 

 むわっとした暑い空気にイリヤは思わず呻く。

 直径6m程と幾分余裕のある円形の空間であったが、それでも密閉されている場所だ。しかもこの六月の気候。麻帆良は梅雨にしては雨が少なく余りジメジメとしないとはいえ……いや、だからこそ陽が中々に強く熱気が籠っている。

 

「やはり空調の事も考えるべきだな」

 

 イリヤの顰め面を見たのだろう。ガンドルフィーニが言う。それにイリヤは同意を示そうと口を開き掛けたが、

 

「はは、全くですね。学祭時期は不思議と快晴が続きますし、その中での作業を考えると…」

 

 そんな若い男性の声に遮られた。

 

「瀬流彦先生…」

「やあ、おはようイリヤ君。高音君と愛衣君も。エヴァンジェリンさんもどうもです。相坂さんと犬上君とは初めましてかな?」

 

 このむわっとした熱気の中に長く居たの所為だろう。額の汗をハンカチに拭いながら瀬流彦はイリヤ達に挨拶する。

 彼はスーツの上着を脱ぎ、袖を大きく捲っていた。見様によっては何ともだらしのない格好だが、イリヤは気にする事無く「暑い中ご苦労様です」と挨拶を返すと早速オブジェクトの中に在るものを確認する。

 

「…………」

 

 そこにあるのは中央に黒い石質の台座が置かれた魔法陣だ。このオブジェクト内の地面敷き詰めるように大きく複雑に描かれて青く仄かに発光していた。見るからに強烈な魔的さを覚えさ、台座の真上…数十cmほど離れて宙に浮かんで輝く、直径1m強の翡翠色の光球がその雰囲気をさらに強調させている。

 

「こ、これは…!」

「…な、何これ…!?」

 

 イリヤが魔法陣の状態をチェックしていると、高音と愛衣が驚きの声を上げる。

 

「あの緑色の光の球にも凄い魔力を感じるけど…けど、魔法陣も…こんな……見た事も無いくらい複雑な術式なのに…こんなのって……」

「…ええ、見ているだけで肌が泡立ってきます。一つ一つが恐ろしいほど細かく複雑だというのに……精緻に整然と並んで単純化されていて、それら無数の術式が完全に一体になるように組まれています。これほど複雑なのに単純などと…こんな矛盾したかような魔法式があるなんて…!」

 

 二人の顔色は何処か悪く見え、声も僅かに震えていた。まるで遥かな高所から深い谷底を覗いているような感じだ。

 

「…数人が数日掛けて行うような大掛かりな儀式魔法を……時間的にも規模的にもこのサイズの魔法陣に収めているのか。……なるほど、こうも末恐ろしい術式構成に成る訳だ。これが…―――」

 

 ―――神代の魔術…か。

 

 エヴァがそう小さく呟いたのをガンドルフィーニは聞いた。

 

「………………」

 

 恐らくたまたま彼女の傍に居た彼以外には聞こえなかっただろう。

 ガンドルフィーニは思う。

 遠い過去、神話の時代に忘れ去られたという魔法……いや、“魔術”というモノを―――そんなものが在るという事実を知る事となった切っ掛けを。

 

 それは葬送の日の翌日の事だ。

 未だ自分の指揮の下で逝った仲間と同僚達の事で心の燻りが強く残っていた時分、上司たる近右衛門から召集が掛かった。ガンドルフィーニを含めた親しい同僚達……関東魔法協会の要所たる麻帆良で日々業務に励む職員の中でも、幹部クラスである弐集院、明石、神多羅木、葛葉の五名にだ。

 事前の連絡も無く突然呼び出された事に彼等は顔を合わせるなり、訝しげな表情で互いの様子を伺ったが……その予感は以前からあった。

 

 忌まわしい事件の事後処理に忙殺されながらも、こういった何か意味深な出来事が近々に起こると。

 

 いや、正確に言うならば予感というよりも予想だろうか…?

 酒を酌み交わしながらも白い少女の事で話をし、サウザンドマスターの息子の事や“完全なる世界”の動向。西との急速な和解。木乃香お嬢様の決意などから“何かが動いている”との思いを皆が抱き、共感した矢先に起こった事件だったのだ。

 そして高畑、神多羅木、葛葉が直接対峙した黒き槍兵に。神多羅木から聞いた白い少女が示した力。

 それらの事からこういった日が来るのだという事は想像が付いていた。

 尤も…近々とは言ったものの、麻帆良の襲撃事件を含めてこれほど性急に事態が動くのは正直、予想外でもあったのだが。

 

 兎も角、召集を受けた一同は麻帆良本校女子中等部にある学園長室を訪れた。

 防諜の整った武蔵麻帆良の協会本部では無いのが些か不思議ではあったが、学園長室も東の長が執務を行なう部屋だ。それなりに高い防諜設備はあるのでそれほど気にする事では無かった。

 ドアをノックして入室の許可を得て部屋に入ると、そこには近右衛門の他にタカミチと西からの大使である鶴子と…そして例の白い少女の姿があった。

 

「忙しい中、急な呼び出しに応じて貰えた事を感謝するぞい」

 

 ガンドルフィーニ達の姿を見た近右衛門は、先ずそう口火を切って此度の召集の理由を……用件を話した。

 

 聖杯戦争と呼ばれる儀式に英霊。その儀式における重大なミスによって生じた呪いに黒化英霊との関連性。そしてイリヤスフィールが持つ“魔術”という異質な魔法系統と“力”の正体。

 

 主にそれらが語られた。また白い少女の素性に関して明かせない部分がまだあるとも言ったが、それに関しては然程重要では無いとも言われた。

 これ等の話を聞いたガンドルフィーニ達は一様に戸惑う事しか出来なかった。

 それだけ信じ難い事だったからだ。あの伝説に語られる万能の釜とも聖者の血を受けた杯とも言われる願望器―――強力な聖遺物の再現もそうだが、死者蘇生としか言えない…それも神話、伝承、史実に名を残す英雄の現界など不可能な御業なのだ。

 しかし、

 

「なるほど、納得した」

 

 沈黙する一同の中で真っ先に口を開いたのは神多羅木だった。彼は言った。

 

「あの時、イリヤ嬢が示した“力”…あの恐ろしい力を持つ黒い騎士と対等に戦い、打倒した一撃。あの不可解な……そう、魔法とも技とも言えぬ“現象”。“ゲイボルク”との言葉。その意味がようやく判った。あれこそが―――」

 

 ―――伝説・神話に語られる“真の英雄”の力なのだな、と。

 

 そう、神多羅木はそれを見ていた。見てしまった。英雄と呼ばれる者の世界最高クラスの戦力のみならず、伝説に記される逸話を―――蒼き槍兵に扮したイリヤが紅き魔槍を振るい引き越した“奇跡の具現”を。確かな幻想を。

 だから信じた。

 無論、それだけではない。その前に二槍を構えた黒き槍兵とも手を合わせているのだ。アレと直に対峙して感じた脅威を思えば納得する他ない。況してや近右衛門にしてもイリヤにしてもこんな嘘を付く理由が無い。

 

「そう…ですね」

 

 次に葛葉が頷いた。

 彼女もまた黒化英霊と直に対峙し彼の者が振るう槍と剣を合わせている。だから神多羅木同様に納得できるものを感じていた。アレはそういった今の世に在る人間とは一線を画した存在だと。ただ英雄と呼ばれるだけでない。より高次にある存在が確かなカタチになったものなのだと。

 剣士として退魔師としての勘でそう確信した。

 

 しかし逆にそれを直に見ておらず、直接対峙していないガンドルフィーニと弐集院、明石は信じ難い思いが拭えなかった。

 近右衛門達がこんなつまらない嘘を吐く理由が無い事は判っているし、神多羅木と葛葉が語る感覚も理屈抜きで正しいと感じるのだが……それでも納得し切れなかった。

 それを雰囲気から察したのだろう。近右衛門とイリヤが事情を話している間、ずっと沈黙を保っていた鶴子が口元に微笑を浮かべた。

 

「ふふ、信じられないと仰るのならお三方も見たらええと思います。そうすれば何か感じるもの、判るものが在りますでしょう」

 

 そう告げるとイリヤの方へ目配せして。白い少女は溜息を吐きながら不承不承といった様子で頷いた。

 そしてそれを―――英雄の力を身に宿し銀の甲冑を纏うイリヤと剣聖と謳われる鶴子との二人の戦いを見る事と成り、ガンドルフィーニ達も信じ難い話を受け入れる事にした。

 

 

 

(で、今度は“コレ”だ)

 

 ガンドルフィーニは思考を回想から戻して目の前の魔法陣を改めて見る。

 この手の魔法陣や結界などは専門ではないが、彼も協会指折りの一流の魔法使いだ。並以上の知識は持っているし、専門で無いにしても相応にこういった魔法も身に付けてはいる。

 だから高音と愛衣たち以上に、イリヤが……“神代の魔術師”の知識と力を使って敷いた魔法陣の術式や機能のとんでもなさが判る。

 例えるならこれは、真空管の製造に目途が付いた所に超々LSIを持って来られたようなものだ。ハッキリ言って完全にオーバーテクノロジーの類の代物だ。

 

(イリヤ君は言った。彼女の魔術と我々の使う魔法を含め、神秘というものは過去に向かって疾走する物だと。現在も日々研究され、発展し続ける魔法学・魔法技術だが。結局の所、古代や神代にあるモノには幾ら研究を重ねても及ぶ事は無いと。進んでいるようで遠ざかり、本当の意味で魔法と…奇跡といえる確かなモノは淘汰、駆逐していっているのだと。特にこの世界の魔法はそれが顕著で、本来あるべき真理を忘れているのだという)

 

 麻帆良の防衛の見直しや新たな戦技研究や教導で仕事を共にし、彼女と本格的に関わるように成り。時折見せる神代の魔術に……大昔、紀元前にあったという技術の途方もない高度さに驚く自分達に彼女はそう諭すようにして言った。

 その言に現代を生きる魔法使いであるガンドルフィーニは反発したい思いがあった。

 

 では、今日(こんにち)まで我々が研鑽し探求し高めて来た魔法とは一体なんだったのか? 無意味だとでもいうのか? と。

 

 それはイリヤの世界でも同様だ。もし何かしらの事で現代の魔術師が“神代の魔女”が使う…否、命じる魔術を見れば似たような思いを抱く筈だ。恐らくは苛烈な嫉妬と共に。

 だが勿論のこと、ガンドルフィーニはそれを知る由は無いし、この世界の魔法使いであるが故に嫉妬も懐くことはない。その代りというか…反発以上に納得出来る思いがあった。

 過去の聖遺物や遺跡で発見される(いにしえ)の魔法や太古の魔物などを封じる呪文の中には、現在の魔法では及びつかない高度なものが在るからだ。

 それにほんの百年から数十年前にまであった筈の呪文やその形式が何時の間にやら散逸し、完全に失われている事が度々確認されている。

 また仮契約で与えられるアーティファクトもそうだろう。アレらの中には何時作られたか判らず、現代の魔法理論と技術でも解析不能・再現不可能な代物が幾つか存在する。

 その事実を、イリヤの言葉から改めて知らされるように付き付けられた。正直、彼女の話を聞くまでは、単に技術が“追い付いていない”と不足していると考えていたのだが……まさか“遠ざかっている”などとは全く予想外な事実だった。

 故に、

 

 ―――ならばこの先、我々魔法使い達の未来はどうなるのか?

 

 そんな不安や焦燥にガンドルフィーニは駆られた。イリヤの話を聞き、彼女の使う魔術を見る度に。それらの途方もない高度な神秘(ぎじゅつ)を見せつけられる度に……その感情は大きくなる一方だ。

 しかしそれを口に出したことは無い。近右衛門や信頼する同僚達にも…イリヤにも尋ねた事は無い。

 上司たる近右衛門も同僚も恐らく自分と同じものを抱えている筈だが、自分と同様イリヤに尋ねた節は無い。多分、あの少女はその答えを知っているのだと判るからこそ、恐ろしくて尋ねられないのだ。

 

 

 その所為か、ガンドルフィーニは白い少女に隠されていた謎を知った事を後悔…いや、もしかすると少し恨んでいるのかも知れなかった。それを語った近右衛門とイリヤを。そしてそれを確かな真実だと判断する己が勘も含めて。

 だがしかし、秘められていたそれを知りたいと思っていたのも事実だ。

 

 突如、麻帆良に姿を見せた不可思議な少女が京都の事件で力を示し、尊敬する上司が高く評価して信用を置き。未知の術式を持つ護符が彼女の手で作られ、麻帆良にそれが広まった事から。その驚異的とも言える強力な効果を知ったから。

 この地を守る協会の一員として、世の為にならんとする魔法使いの一人として少女に隠された素性と秘密を知るべきだ、と。

 

 だからあの時、学園長室に呼ばれ。知れば自分はどうしようもない、今までにない程の重い秘密を抱えると予知的に理解しながらも自分は近右衛門とイリヤ達の言葉に耳を傾けた。

 それが責務だと信じて。それぐらいの覚悟は協会に長く務めてきた自分には今更だと思い―――だから恨むなどというのは明らかに筋違いだろう。

 

「―――いやぁ、本当に凄いよイリヤ君! こんな魔法式を構築出来るなんてさ! 僕もこういうのは得意なんだけど、これが隠れた魔法使い一族の秘儀って奴なんだろうね。学園長が頼りにするのも判るなぁ。ホント流石だよ!」

 

 そう、魔法陣のチェックを終えたイリヤに興奮混じりに話し掛けているのは瀬流彦だった。

 こういった魔法陣を介した術や結界を得意とする彼としては、やはり昂る感情を抑えられないのだ。しかし無遠慮にも見えるがこれでも一応自重している方だ。それなりに彼と付き合いのあるガンドルフィーニにはそれがよく判った。

 本音を言えば、イリヤに教えを乞いたいのだろうが―――表向きには―――彼女の一族の秘儀という事なので無理だと我慢しているのだ。イリヤの技術を見られただけでも為になる、儲けものだと思う事で。

 

「ハァ…」

 

 思わず溜息が出た。

 瀬流彦はイリヤの隠された事情を知らないから仕方ないが、それでもそのように無邪気に喜ぶだけでいられるのが羨ましく思えた。

 尤もガンドルフィーニほどの地位や立場ともなると事情を知らなくとも、こんな恐るべき魔法(ぎじゅつ)が麻帆良に在るというだけで頭は痛いのだが。

 これが他国の魔法協会や本国が知られたらどうなるか……いや、近右衛門もイリヤもとっくに知られる事は覚悟しているのだろう。だから平の職員や見習いの高音と愛衣も此処にいるのだ。

 

(まあ、それなりに勝算があるだろう)

 

 魔法使いには魔法使いなりのルールがあるし、その家や一族が伝来とする秘術・秘儀を尊重するのは一応法的に明記されている事だ。

 その辺りで何とか押し通す積もりなのだろう。ただ邪法であったり、禁忌に触れるものなどの場合は例外と成ってしまうが。

 

(聖杯戦争や英霊召喚がこれに引っ掛かる。後者はギリギリ躱せる代物だろうが、前者の聖杯の再現はかなり拙い)

 

 失敗しどうしようもない呪いを誕生させた事も相当だが、聖杯(しょうひん)を餌に呼び出した英雄達を……召喚した英霊を騙し生け贄にしてその賞品(せいはい)の中身を満たすなど悪辣にも程がある。

 信仰され、敬意を払うべき英雄達への明らかな冒涜であり、確実に禁忌として見られる事だ。

 

(それもあって学園長達は秘匿していたのだろうな…)

 

 知られなければと言うか…バレなければ罪にはならないと言うべきか。

 それを知り、加担するようになった事もあって正直、犯罪者を匿っているような気分ではある。

 しかしどのような事情がまだ明かされていないにせよ。イリヤの一族が魔法協会や本国の敷く法治下でそれを行なった訳では無い事は確かなのだろう。本当かは判らないが、多分真実の筈。イリヤ達一族が人知れぬ異境の魔法使いで我らの世界と関わりが無かったのは。

 ならば例え冒涜的で外道な儀式を行なおうと、協会の法で罪を問うのは無理な話だ。それは他国の法律の在り方に文句を付けられても、その国で起きた犯罪を自国で裁く事が出来ないのと同じ事だ。

 

(だとしても黒化英霊の存在がネックになるが。アレが麻帆良……我らの世界で騒動を起こし被害を与えた事実は、イリヤ君に矛先が向きかねない案件だ)

 

 一瞬、ガンドルフィーニの脳裏に殉職した者達の事が過ぎる。

 自らの指揮の下で命を賭した仲間達。その死が聖杯戦争という悪辣な儀式に関連しているのであれば……―――ガンドルフィーニは首を横に振った。

 

(…イリヤ君に責任は無いし罪も無い。彼女の一族が行った事とはいえ……いや、だからこそ彼女個人に止める権利など無かっただろうし、そんな組織的な行為の責任は個人に押し付けるものでは無い。第一、聞いた話ではイリヤ君自身、一族が懐いた妄執の被害者でもあったようだし、“呪い”が―――“この世すべて悪(アンリマユ)”が世界に解かれないように命を賭けて最悪の事態を防いだのだともいうし)

 

 更に言えば、今もこうして漏れ出てしまった“呪いの残滓”をどうにかする為に戦い。それ以外の事でも自分達に様々な協力をしてくれているのだ。それに―――

 

(―――それに彼女に責任を問うのならば、先の事件を招く要因となったネギ君とそして明日菜君……アスナ姫にも問う事になってしまう)

 

 根本的に被害者であるあの二人にも。

 それはあってはならない事だ。上層部の意向とはいえ、そのリスクを承知で自分達協会と麻帆良はネギと明日菜の保護を引き受けたのだから。

 イリヤの事情を聞いた後、さらに続けて明かされた重大な機密―――“黄昏の姫巫女”の事を思い出しながらそう思う。

 

「ガンドルフィーニ先生…? 何か気に成る事でもありましたか?」

 

 気付くと件の白い少女に声を掛けられていた。小首を傾げて怪訝そうな表情で。

 考えに集中してずっと黙ったままだった為か、どうも不審に思われたらしい。

 

「…いや、少し圧倒されただけだ。門外漢とはいえ、この魔法陣の凄さは判るからね」

「もう何度も見ているのに…ですか?」

「ああ。何度見ても慣れる事なんて無いよ。これ程までに高度な術式は」

「………そうですか」

 

 ガンドルフィーニの返事にイリヤはまだ不審そうだったが、納得するように首肯した。

 

「………………」

 

 その彼女…イリヤを、幼げな白い少女の姿を見て―――酷だな、と。子供にしか見えない、その小さな身体からは想像も付かない不相応なものを背負っている事に対して唐突に哀れみを覚えた。

 色々と驚嘆させられ、ともすれば大人の自分が尊敬を抱いてしまう程の強い在り方を窺わせる少女だが、それでも…と。

 世の為、人の為ならんとする“偉大なる魔法使い”たる流儀を信じ、硬く正義を求める彼は……そう願い。思わざるを得なかった。

 

 ―――彼女が歩く道の先、行き着く先に幸福に笑える未来があって欲しい。

 

 と。

 どうしてか、そう強く祈るように思った。

 恐らくは彼女の真実の一端に触れる事と成った信頼する同僚達も何処かそう感じているのではないか? とも感じて。

 

 




一部教師陣にイリヤの秘密を暴露。そして超相手に積極的な動きを見せるイリヤ。

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