麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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こっちに移るにあたり、本編扱いとするか…迷ったものの幕間のままにしました。

今回は著しいキャラ改変があります。


幕間その5―――吸血姫の想い。隠された少女の心

 

「…オ、御主人(マスター)。帰ッタカ」

「ああ、チャチャゼロ。留守番ご苦労」

「ア…?」

 

 帰宅し、古馴染みの従者の出迎えに答えると、その従者は何故か表情の無い顔を怪訝そうに傾げた。エヴァは構わずに続けて背後に付き従う最新の従者にも告げる。

 

「私は部屋で休む。夕食はいらんから……茶々丸、お前も適当に休んでいろ」

 

 一方的にそう言うと、エヴァは返事も聞かずに階段を上り、自室へ向かった。

 その背を見送り、

 

「何ダ? 何時モト様子ガオカシイナ。何カアッタノカ?」

「はい、姉さん。…ですが心配いらないと思います。少し一人にしてあげましょう」

 

 ひょこひょこと茶々丸(いもうと)の方へ歩きながら主人の様子を尋ねるチャチャゼロ(あね)に、妹は何も心配する事は無いとかぶりを振った。

 

 

 

 エヴァは自室へ入ると、着替えもせずに制服のタイとベストを脱ぎ捨てて、スカートも床に放ってベッドへと身を投げ出した。

 

「ふう…」

 

 一息吐き、俯せの姿勢からコロリと身を捻って仰向けに成り、天上をしばし見詰め………イリヤの工房を出てからずっと手にしていたそれ―――クラスメイト達へのプレゼントに紛れて渡された古めかしい小さな木箱を開く。

 チャリっと金属の擦れあう音が小さく鳴り、赤い宝石が細い銀の鎖に釣り下がってエヴァの視界に収められる。

 

「………………」

 

 エヴァは黙したまま、されど愛おしげに……正に大切な宝物を見るような眼差しで赤い宝石を見詰めた。

 それは以前の無残に罅割れたものでは無く、彼女が初めて見た時と同じ元の美しさを取り戻していた。

 

 ―――アイツも忙しいだろうに…。

 

 同居人であった白い少女の顔を脳裏に浮かべる。

 協会に積極的に協力し、多くの仕事を抱えながら魔術の研究をし、店を開く事に成ったイリヤがその合間を縫って、こんなにも早くこの大切な宝石(たからもの)を治してくれた事にエヴァは深く感謝する。

 本人は、あの時の―――先日の事件で湖の騎士の不意打ちを許し、自分を負傷させ、従者(ちゃちゃまる)を大破させた失態の償いだと言ってはいたが……アレは自分の失態でもあり、気を回し過ぎだと感謝の念の方が大きく、

 

「―――この借りはしっかりと返さんとな」

 

 そう、口に出した。

 一週間以上前、学園襲撃事件の事後処理の最中に彼女が行ってくれた気遣いを思い返しながら―――

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その日。エヴァは沸き立つ際限の無い腹立たしさと苛立ちに、感情の抑えが利き辛くなっていた。

 それ故、“その事”を告げたジジイやその孫娘、元学友である老け顔のまだ青年と言える教師―――尤もエヴァ的には裏の仕事を優先している為、すっかり不良教師という印象になっているが―――まで彼女に近付かなくなっていた。

 普段ならば、それでも茶々丸が傍に付いていただろうが……生憎これまた腹立たしい事に、あの不届きな侵入者によって動けない状態にされ、現在修復(りょうよう)中だ。

 

 ―――勿論、分かってはいた。

 

 ぼーや(ネギ)という存在がある以上、サウザンドマスターこと…あのナギ(バカ)にその“相手”がいる事ぐらいは。

 

「だが―――っ!」

 

 くそっ! と口汚く罵る。

 共に行動したあの3年間―――少なくともエヴァの視点からは―――如何にも女に興味ありませんという態度を取っていながら、

 

「―――あんな…っ!」

 

 そう、それは正に御伽噺のような話だった。

 悪辣な罠に陥り、在らぬ嫌疑を掛けられて謀殺されそうになった亡国の姫君を。

 全てに諦観し、絶望の淵に在ったその女性(ひと)を、己が身を挺して救い出し―――想いを遂げるなどという、そんな古くからある騎士とお姫様の王道的な恋愛劇(ロマンス)の末に結ばれているとは、エヴァには思いもよらぬ事だった。

 しかも、そうして自分と出会った時には、既に夫婦の契りを結んでいたという。

 

「それならそうと言えばいいだろうがッ!!」

 

 叫び―――ドカンッと。歩いていた校舎の廊下の角を曲がる寸前、丁度良く目の前に現われた壁を思いっ切り殴り付けた。

 壁は深く陥没し、大きく罅割れ、パラパラと砕けた壁材が床へと崩れ落ちる。

 とてもでは無いが、力を封じられた彼女の―――10歳の少女のそれと変わらない膂力から繰り出されたとは思えない程の威力だ。

 無論、エヴァの拳もタダでは済まなかったが……ふん、と鼻を鳴らすと踵を返し、感じる痛みを無視して曲がった先にある階段を下った。

 

 ―――裏切られた、と。やはりそう感じているのだろうか?

 

 校舎を出て、ドシドシと道を歩き、不機嫌さを隠せない様子を周囲に振り撒きながら、頭の中の冷静な部分が思う。

 3年間という長くも無ければ、短くも無い時間。此方の世界もそうだが、魔法世界にもナギに付き纏って旅をした。“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”と讃えられ、そう呼ばれる彼の活動を傍観するようで、気紛れのように手伝いながら……。

 

 そんな中で自分は何度も―――初めの頃は遠回しに……1年も過ぎた頃には隠さずに直に好意を口にするようになった。

 

 尤も素直になれない面もあり、言葉はやや乱暴になってはいたがそれでも好意は伝わっていた。

 その度に呆れた様子で困ったように断られていたが…………それでも本当の意味で迷惑では無いと、拒絶されている訳では無いと思っていた。

 だから―――そう、だから思った。いつかは届くのだと。この思いを添い遂げられるのだと信じていた。

 

「―――クッ…!」

 

 なのに―――あんまりだった。

 自分は端から相手にされていなかったのだ。

 黙って旅に付いて行くのを許してくれた事も、思わせぶりに優しくしてくれた事も、アルやラカン、ガトウ、詠春、タカミチらと共に仲間として…その一員として扱ってくれた事も、この学園で“光に生きてみろ”と言ってくれた事も……事も、事も―――!

 

「ハッ! かわいそうで寂しげなお子様に同情しただけだった、という訳だ!!」

 

 辛い過去を背負った憐れな子供…それ以上でも無ければ、以下でも無い。自分は彼にとってその程度の存在だったのだ。“偉大な魔法使い”として、旅の中で救ってきたそんな人々と変わらない程度の…!

 

 ―――そう、拒絶しなかったのも、優しくしてくれたのも、仲間として迎えようとしてくれたのも、そんな憐憫の感情からのモノ。

 

 既婚者だと口にしなかったのも傷付けない為の配慮なのだろう。ナギ達と同行し、“光の道”へと戻り掛けた自分がそれを機にナギ達から離れ…また孤独へと、光の当たらない道へと戻らない為の……。

 

 ―――それを、何を勘違いしたのか、私は…?

 

 自分を少しはそういう風に―――子供扱いしながらも一人の女性として見てくれていると、困ったようにしながらも真面目に想いを受け止めてくれていると、彼に期待した。そう、その真意を推し量る事も無く。そのように勝手に解釈していたのだ。

 

「……とんだ道化だな」

 

 怒りの感情が薄れ、意気消沈して思わず嘆いた。

 恋という感情に浮かれていた自分。盲目に相手にも同じその感情を求め、身勝手にもそれを期待していた事。そういった自分本位な考えに気付き、自覚した所為だ。

 この近年、この日本でもようやく認知され始めた“ストーカー”という単語が脳裏に過った。そんな犯罪者まがいな行動と変わらないのかも知れない、とさえ思った。

 

「―――ハァ」

 

 先程までの怒りは何処へ行ったのか、エヴァは気付くと溜息を零していた。

 無論、既婚者であった事を言わず、その真意を語らなかった想い人(ナギ)への怒りが完全に消えた訳では無い。ブスブスと焦げ、燻っている。

 しかしそれ以上に恋に浮かれ、盲目と成っていた自分への呆れと嫌悪が大きかった。

 

「ハァ…」

 

 と、二度零れ―――

 

「エヴァさん」

 

 名を呼ばれて俯き掛けた頭を上げると、そこには良く知る白い少女の姿があった。

 

「……イリヤか、何の用だ?」

「…なんか急に落ち込んでいるわね」

 

 用件を尋ねるエヴァに、イリヤは意外そうな表情を見せてそれには答えなかった。エヴァと共に近右衛門の話を聞き、怒りと不機嫌を振り撒くエヴァの姿を見ていた為だろう。

 

「ふん、私が落ち込もうが、落ち込んでいまいが私の勝手だ。お前には関係ないだろう。それとも何か? 私が落ち込むのがいけないか? それとも珍しいと、おかしいと笑いに来たか?」

「…………」

 

 八つ当たり気味にやさぐれたように言うエヴァ。イリヤはそれに沈黙するだけだ。

 だが、エヴァには分かった。イリヤが内心で呆れ、肩を竦めているであろう事が。恐らく「重症ね」とでも胸の内で溜息を吐いているのだろう。

 エヴァ自身、客観的に今の己を見ればそう言わざるを得ない。そんなみっともない自覚はあった。

 それが余計に自分の情けなさを煽り、エヴァは再度苛立ちが大きくなるのを感じ、

 

「イリ―――」

「―――エヴァさん、大事な用があるわ」

 

 白い少女を目の前から追っ払おうと声を荒げようとした途端、エヴァは真剣に告げる少女の緋の瞳に呑まれて口を噤んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤが用があると告げてから暫く。二人はエヴァ邸の地下に居た。

 既にエヴァの胸には苛立ちも怒りも無い。代わりに在るのは―――

 

「良い? 始めるわよ」

「―――…………ああ」

 

 僅かな高揚と押し潰されそうな不安と逡巡だった。それに負けまいとエヴァはイリヤの呼び掛けに確りと頷いた。

 今、二人を挟んでこの地下の部屋の中央にあるのは、金銀細工の古びた台座に魔法陣が描かれた古い羊皮紙。そして羊皮紙の上に置かれた罅の入ったあの赤い宝石のペンダントだ。

 自然と喉が鳴った。

 用があると言い、イリヤが見せたそれ。これから行う事の説明を聞き、エヴァは喜ばしい感情を覚えると共に強い恐怖を覚えた。

 こちらの世界の“魔法”を応用した“魔術”による精神世界―――“幻想空間(ファンタズマゴリア)”を通してペンダントに留まる“英霊の核”への接触(アクセス)。要するにそれは、

 

(シロウに会うという事……)

 

 再び彼に会える。自分を救ってくれたあの人に。

 そう思うだけで胸が張り裂けそうな嬉しさが湧き、歓喜に身が包まれる。しかし―――

 

(……怖い、怖い)

 

 優しく傍に居てくれた彼。命を賭して守ってくれた愛しい人。

 だから、胸が潰されそうな怖れがあり、恐怖に身が竦んだ。それはそうだろう―――

 

「―――、――――、…、―――」

 

 詠唱するイリヤの前でエヴァは己が手を見詰める。

 二度と会えぬと思った誰よりも大切な人に、“今”の己の姿を見せるのだ。

 

「…………っ!」

 

 エヴァは、見詰めた自分の手が赤く血に染まっているのを幻視する。

 彼を失い、奪われた憎悪に身を焦がし、奪った人間共(やつら)に復讐に奔り、狂気と殺戮に酔った自分。

 そんな事を、そんな自分の姿を、彼は―――シロウは望む筈が無いのだから。

 変わり果てた今の己の姿を見て、みて、ミテ、見られて、もしも、モシ、もしかしたら―――

 

(―――失望するカモ知れナい…サレルかも知れなイ)

 

 そんな強い、とても強い、気が狂ってしまいそうな強い恐怖があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗転し、気が付くとエヴァはそこに居た。

 何処までも続く、地平線すら見えない果ての無き荒野。

 空はくすんだ灰色で、今にでも雨が降って来そうな澱んだ気配が漂い。そして―――

 

「――――ああ、」

 

 思わず声が零れた。

 それは何時か見た光景に似ていた。

 彼と別れる直前の戦い。教会の騎士団と魔法協会…いや、当時は聯盟だったか? その混成部隊との戦闘開始直後に彼はこれとよく似た“世界”を造った。

 灰色に覆われた果ての無い荒野に、墓標のように突き立つ数えきれない数の剣、剣、剣―――剣群を見て思い出す。それは……―――

 

「……無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)

 

 彼は“それ”の事をそう言った。

 “墓標”は錆び付き、空には印象的だった巨大な歯車も無い。けれどエヴァには判った。

 

「―――此処は、この光景はシロウの造った“世界”…」

 

 そう彼の名前を口に出した所為か? 何もない荒野に風が吹いた。

 強くも無い緩やかな突風。しかし微かに埃が舞い。エヴァは目を細め、風の吹いた方向へ視線を向け、

 

「―――!」

 

 とうとう彼の姿を見つけた。見つけてしまった。

 もう二度と見る事が叶わなかった筈の赤い外套を纏った彼。遠く距離があるのにエヴァは彼が石像のように佇み、静かに目を閉じているのが分かった。

 恐怖はあった、先程以上に。…この幻想の世界に入る前よりも強くあった。なのに―――

 

「―――シロウッ!!!」

 

 エヴァは彼の姿を目にした途端、駆け出していた。

 

「シロウ! シロウッ!―――シロウッ!!」

 

 遠い距離を何度も彼の名を叫んで駆ける。立ち止まる事無く進む。そして―――

 

「シロウッ!!!」

 

 一際大きく叫び。錆び付いた剣群を避けて、石像の如く動かぬ彼の胸へと飛び込んだ。

 幾ら小柄とはいえ、当然そんな勢いが付いた幼い少女の身体を…それも無防備な状態の彼では支えられる筈も無く―――

 

「う…!」

 

 筈も無いのに、赤い外套の彼は―――シロウは、僅かに声を漏らすと、胸に飛び込んだ少女の身体を倒れる事無く自然に受け止めた。

 エヴァは動く気配の無い彼が動いた事に一瞬驚くも、当然のようにも思い。小柄な自分の身体に確りと受け止め、背に回された逞しくも優しい腕の温かみに涙が零れそうになった。

 

「……エヴァ…か?」

「あ、」

 

 忘れ得ぬ懐かしい声が聞こえた。確かに自分の名を呼ぶ声が…彼の口元から、

 

「うん、そう……エヴァよ。エヴァンジェリンよっ! 貴方のマスターのっ!」

 

 直ぐにそれに応えた。精一杯に叫ぶようにして。

 

「……エヴァ、此処は?…固有結界…? オレの? いや、そもそも一体何が…状況は?―――む…どうした、エヴァ?」

 

 今の状況……正確には“自分の状態”を把握できていないのだろう。シロウはエヴァを胸に抱えながら周囲を探るように見渡し―――己に縋り付くエヴァが尋常な様子でない事に気付いた。

 

「…ロウ。シロウ、ごめ、ごめ…んなサイ」

「エヴァ?」

「ごめん、なさい。御免なさい……シロウ。私、わたしは……う、ぅ…く」

「どうしたんだ。どうして謝る? 何を泣いているんだ」

「く…ぁ、ぅぅ…ごめんなさい……」

 

 シロウは優しく呼び掛けるが、エヴァは一向に泣き止まなかった。

 ただ何度も謝りシロウの名を呼ぶ、まるでそれは―――いや、まるででは無く、明らかにエヴァは懇願していた。

 そして、泣きながらシロウの胸に縋り付いたままエヴァはポツリ、ポツリと語った。シロウが消えた後の復讐に彩られた罪業の日々の事を。許されない事ではあるが、それでも許しを、免罪を求めるように彼に感情に任せるまま話した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤはそれを黙って見ていた。

 幻想世界から一つ区切った場所……今、エヴァのいる世界全体を俯瞰出来る位置から。

 

「エヴァさんには悪いけど……仕方ないよね」

 

 プライバシーを覗き見る後味の悪さを覚えて思わず呟く。

 何しろ一応実験済みとはいえ、完全に確立されていない試験段階の魔術を使っての事なのだ。いつ何が起こってもおかしくは無く。いざという時に対応する為にもこうやって離れた位置―――幻想空間より次元的に高い位相から全体を観測する必要があったのだ。

 それが結果的にこうしてエヴァの泣きじゃくる姿を覗く事になろうとも、だ。

 

「……後でしっかり話して謝らないといけないわね」

 

 黙っている事も出来るが、エヴァなら直ぐにこの事実に気付くだろう。黙って覗いていたなどと妙な誤解は与えたくないし、変に気を使われたなどと思われれば、エヴァは侮辱と受け取りかねない。

 それでは、せっかく彼女の機嫌を直す為にこの魔術を使った甲斐が無い。

 

「ふむ……ま、とにかく上手く行っているようね―――……サヨも連れて来るべきだったかしら?」

 

 現状、魔術が正常に機能している事に安堵しつつ、最近出来た弟子の事を思う。彼女にとって勉強になるだろうし、観測を任せられた部分もあっただろう。

 つい一人でやってしまったが、何でもそうやって一人でやろうとするのは余り良くない傾向だ。

 一人の魔術師としては、それはそれで良いのかも知れないが、弟子を持つ一人前の魔術師としては余り宜しく無い。弟子の面倒を見、その成長を確りと考えなくては。

 

「…師としてはまだまだ未熟って事…か。…でも今回はエヴァさんにとって大切な事の訳だし、他人に知られたくない面もあるから……これで良いのかな?」

 

 手持ち無沙汰の所為か一人呟いて考える。勿論、観測は抜かりなく続けているが、問題が無いが故の余裕というか、現状から僅かに逸れた思考だった。

 そう考えている内に、赤い外套の男性が胸に抱えたエヴァを地面へと降ろすのを見る。そして不安げに見上げるエヴァの眼にある涙を拭い、苦笑を浮かべると、金の髪を飾るその頭に手を置いて優しく撫でた。

 

「―――シロウ」

 

 その仕草と苦笑を浮かべる顔を見。イリヤは思わず大事な弟の名を口にした。

 背は高く、髪は白く、眼は鈍色で、肌は浅黒く、顔付きも面影が消えるほど変わっている。けれど―――ああ、やっぱり“お兄ちゃん”なんだな…と。彼の浮かべる笑みを見てイリヤは感慨深く思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ゴメンな、約束を守ってやれなくて、ずっと傍に居てやれなくて。苦労をさせて、そんな辛い思いをさせてしまって」

「…シロウ」

 

 苦笑し、優しく頭を撫でる彼の言葉。

 エヴァは拭って貰った涙がまた零れそうになるのを感じた。しかしそれを我慢する。シロウが苦笑を消して真剣な目で見詰めて来たからだ。

 

「…だけど、エヴァを許してはやれない。それはオレの出来る事じゃないし、オレなんかの言葉で許される事じゃない。決して許されない事だから。そう、それを出来るのはエヴァの犠牲になった人達だけで、その人達はもういないのだから」

 

 真剣にそのように宣告する彼にエヴァは静かに頷いた。

 そう、エヴァもそれは分かってはいる。未来永劫背負わなくてはいけない。過去に刻まれ、自分が生きて行く限り何時までも残る罪なのだから。

 それでも乞うように許しを求めたのは自分の弱さ、甘さの所為だろう。シロウという縋るべき存在に対してだけ感じ、見せられる行為(かんじょう)だ。

 何故なら―――

 

「でもな、オレはエヴァが幸せに成ってはいけないとは思わない。罪があれば罰を受けなければいけないとは思う。けど、それがエヴァが笑ってはいけないと、幸せを感じては成らないという事とは違う」

 

 そう、それは―――

 

「あの時も言ったよな。罪が重くて生きるのが苦しくとも、それでも背負って生きるべきだって、感じる罪を悔い、罰だと思うのなら償えるように生きて、その上でそれだけに囚われないように、心から笑えるように、自分が幸せになれる方法も考えるべきだって。でなくては、それこそ犠牲になった人達に意味が無くなるって」

 

 あの忘れ得ぬ。月下の光景(であい)があった日に言ってくれた―――赦しは無くとも、受け止めてくれるこの言葉があったからだ。

 幾重の命を喰らい、罪を重ね、化け物として生かされた地獄の日々。彼に救われ、安堵したのも束の間。改めてそれを自覚した後、死を懇願する自分にシロウは厳しくそう言った。

 ただ、それが優しさだと判らなかった幼い当時の自分にとって、その言葉は正に死の宣告よりも辛いものだった。

 

「相変わらず厳しいよね、シロウは…けど―――」

 

 それを思いだして、嘆くように呟いた。

 失望され、拒絶されるよりも、ずっとマシであるとはいえ、許されず罰を背負って生きろという彼の言葉。

 その言葉を受けて、彼と共に在った初めの頃はどれほど悪夢だったか。文字通り寝ては夢に魘され、起きていても犠牲者達の声が、耳にこびり付いた断末魔が絶えず聞こえ、眼に焼き付いた彼女等と彼等の死に顔が離れなかった。

 そして、ようやくそれを乗り越え、いずれ行う贖罪の旅に備えながら、心を休めるように小さな村で静かに暮らしていたのに。村ごと焼かれ掛け、罪無き村人さえも巻き込んでしまい、それも重く圧し掛かった。

 その出来事()はシロウと共に背負う事で軽くなったが、その後は追われる日々が続き。自分が罪人だと常に言われているような思いで過ごした。

 しかしそれでも―――

 

 ああ―――それでも、私は笑えていた。

 

 辛く苦労ばかりが続く逃避と贖罪の日々だったけど、自分はシロウと在る事で幸せだった。

 自分が化け物で、重い罰を背負った罪人であろうと、拒まず、否定せず、理解して傍に居てくれる彼が在ったから―――私は心から笑う事が出来た。

 決して赦してはくれない。厳しいけど、全てを受け止めてくれた優しい彼が居たから、在ったから………。

 

「―――…やっぱり優しいわね。貴方は、」

 

 そんな日々を思い出して優しく微笑んだ。先の言葉に繋げて、“今の自分”にもこうして“あの時と変わらず”叱ってくれるシロウに感謝して。

 だから、彼の胸にまた飛び込んだ。拒絶せずに受け止めてくれることが分かっているから。

 

「シロウ…」

「……エヴァ」

 

 ギュッと抱きつく自分を柔らかく受け止めて、抱き締め返してくれる彼。

 それは、ずっと欲しかった、本当に懐かしい、久々の感触だった。

 

 

 

 ◇

 

「―――――――………」

 

 イリヤはそのやり取りを見て……深刻(ヘビィ)真面目(シリアス)な雰囲気なのに……そんな場面の筈なのに…何と言えばいいのか。

 妬けるというか、羨ましいというか、爆発しろ!…というか、まあ……とにかく複雑だった。

 だからだろう―――

 

「―――壁が欲しいわ」

 

 と。

 口に詰まった砂糖を……そう、とても甘いものを吐き出すような口調で、そんな自分らしくない言葉が気付くと零れていた。

 今イリヤが居るのは剣群が突き立つ荒野―――幻想空間の内側だった。術式の安定に確信出来たので降り立った訳なのだが。

 見せつけられた“二人の世界”に入りがたいモノを覚えて、立ち尽くしているのだった。

 

「……ま、元から邪魔する気なんて無いのだけど…」

 

 とはいえ、“このシロウ”と話を一応して置きたいのだが―――どうしたものかしら? と抱擁を交わす二人を見詰める。

 繰り返すようだが、邪魔する気は無い。けど、しかし……なんだろう? 無性にぶち壊してやりたい、殴り付けてやりたいという衝動があった。

 

「―――はぁ…やっぱり嫉妬なんだろうな」

 

 思わず呟く。

 元の世界でサクラとの事は許せたのに、あの士郎とこのシロウは別人なのに……いやいや、あの二人は自分の前でこうイチャイチャするようなことはしなかったし―――等々と思考を巡らせるも、今一つ自分の感情(おもい)が判らなかった。これも入り込んだ人格(きおく)の影響なのだろう。

 自分の事ながら呆れて、ハァ…と。また溜息を吐いた。

 

 そうして数分ほど無為に過ごし。エヴァとシロウはようやくイリヤの姿が在る事に気付いた。

 

「!―――い、イリヤ…」

「なっ―――に…!」

 

 自分の方を見、恥ずかしそうに彼の胸元から離れるエヴァ。そして眼を剥いて驚きの表情を見せるシロウ。

 イリヤは、そんな二人に「やっほー」と感情の籠ってない声で呼びかけながら、投げやりな様子で手を振った。そして二人の傍に歩み寄ると、

 

「み、見ていたの。イリヤ……」

 

 と、エヴァは益々恥ずかしそうにし、

 

「――――――」

 

 と、無言で何とも言い難い表情でイリヤを見詰め、シロウは唖然と立ち尽くす。

 イリヤはエヴァの方は構わず、立ち尽くしているシロウを一瞥し、

 

「その様子だと私が誰かしっかりと判るようね、“シロウ”」

「あ! ああ―――…イリヤ」

 

 話し掛けるとシロウは戸惑った様子で応じた。イリヤはその彼の様子に、ふむ、と顎に手をやる。

 

「シロウと呼ばれるのは嫌? アーチャーと呼んだ方が良いかしら? それとも―――」

「―――いや、シロウで構わない……が、」

「ええ、色々と積もる話もあるけど、先ずは説明が必要よね」

 

 複雑な物言いたげな表情のシロウに、イリヤは真剣な面持ちで首肯した。

 

 

 ………―――――――

 ……………―――――――

 …………………―――――――

 

「なるほどな。冬木に在った“あの悪質な宝箱”の中身が、このエヴァのいる世界に零れた…か、それでイリヤが“抑止力”の使いに……守護者の代理とはな」

 

 現況を聞いたシロウがギリッっと歯を鳴らす。

 “悪質な宝箱”―――聖杯というものに対する因縁によるものか、イリヤが抑止力(せかい)に使われている事に対してか。シロウは怒りを滲ませ、憤りの表情を見せる。

 しかし軽く頭を振ると、直ぐに冷静な面持ちとなり、イリヤに再度視線を向けて問う。

 

「それで、オレに何か出来る事はあるのか? 話を聞いた限り現界は無理そうだが」

「正直、余り無いわね。宝石に施された術式…第三法に手が掛かった大聖杯(ユスティーツァ)の魔術式を修復してシロウを600年前みたいに実体化させるには、やっぱり同じ聖杯(ユスティーツァ・タイプ)たる私の魔術回路を削らなきゃいけないし…」

「そうすると、こういう言い方は好ましくないが―――イリヤが機能不全に陥りかねない、か」

「ええ、だから現状、それは上手い手では無いわ。シロウが復活する対価に見合うかどうか…」

「……だな。イリヤの持つ機能はある意味、英霊の力よりも稀有で価値のあるものだ。それを損なうのは得策では無い。それに―――」

 

 言い掛けてシロウは口を噤み、顔を顰め。それを見たエヴァが首を傾げる。

 

「それに…?」

「―――それにだ。抑止力がイリヤを選んだ意味がそこに在るかも知れん。“聖杯”としてのイリヤを、な」

 

 過程を飛ばして結果を出す。願いを叶える聖杯として組み上げられた特殊な魔術回路。そこに抑止力がイリヤを“使う”理由があるという事だ。

 イリヤもそれには同意見だ。

 

「そうね。私自身その可能性を否定できない」

 

 そう答えた途端、沈黙が降りた。

 何となくその“意味”に不吉なモノを覚えたからだろう。シロウは宙を見上げ、忌々しげに此処に無いナニカを睨み。エヴァは痛々しそうに、不安そうにイリヤを見る。

 イリヤは、そんな雰囲気を払うかのように頭を振る。

 

「……けど、それを考えても仕方が無いわ。とにかく万全を尽くして出来る事をやるだけよ。幸いこの幻想空間なら問題無くシロウは在りのままで居られる。なら―――」

「―――わかった。今後は此処で稽古を付けて欲しい、という事だな」

「ええ、どうも私は貴方のもそうだけど、他の英霊(カード)の力を使いこなせて無いみたいだから」

「了解した、イリヤ。……いや、“姉さん”と呼んだ方が良いかな?」

 

 イリヤの返事に同じく雰囲気を変える為か、少し冗談めかして言うシロウ。

 それにクスッとイリヤは笑い、

 

「それは嬉しいけど、ちょっと似合いそうにないし、こんな大きな弟にそう呼ばれるのはシュールだから遠慮しとくわ……―――ね、“お兄ちゃん”」

 

 シロウに応じて冗談めかして答えた。

 ただ、そんな仲の良い姉弟のようなやり取りを見せられ、エヴァは少しムッとしていたが。

 

「それと今さっき思い付いたんだけど―――」

 

 と、イリヤはムスッとするエヴァの様子に気が付かないのか、ふと浮かんだ考えを提案し説明する。そして―――

 

「―――ほう、確かにそれが出来るのなら、今のオレでも少しは力に成れそうだ」

「―――イリヤ、可能なの?」

「……うん、多分。エヴァさんとのパスは今回のコレで繋ぎ直ったみたいだし、あとは入れ物のペンダント自体を直せば……なんとかなると思うわ。術式も少し弄るけど、不完全には変わりないから現界はやっぱり無理なんだけど…」

「ふむ」

「わぁ…!」

 

 イリヤの説明を聞き、流石だと感心するシロウと嬉しそうに笑うエヴァ―――というか、シロウのエミヤっぽい雰囲気はともかく、エヴァさんの純真な少女っぽい雰囲気は何とも慣れず、非常に引っ掛かる。況してやこの幻想空間に入った途端、ゴスロリ服ではなく、清楚なドレス姿になっているのも違和感あるし……似合うけど。

 これが本来の彼女なのだろうが、

 

(……以前も思ったけど、まるで別人ね。いや、おかしな記憶(じんかく)が混じった私が言うのもなんだけど……変わり過ぎじゃない? あ、だからシロウは放って置けなかったのかも?)

 

 冷徹な掃除屋であるシロウ―――いや、英霊エミヤが、人の血肉を喰らって生きる化け物を助け、面倒を見た理由がそこにあるのでは? とイリヤは勘ぐる。

 だが、それは半分程度の理由であり、後にイリヤがシロウ本人から聞く話であるが、もっと別の大きな要因があったりする。

 だがそれはその文字通り、別の“世界”の話だ。

 

 ともあれ。

 一通り話を終えた事もあり、

 

「それじゃあ、シロウ」

「…………」

「ああ、またなイリヤ。……だからエヴァもそんな顔をするな、近い内にまた会えるのだから、な」

「…ん」

 

 別れの挨拶をするが、エヴァは名残惜しそうにシロウをジッと見詰めた為、シロウは幼子をあやすようにその彼女の頭を撫でる。それに満足したのか、エヴァは頷くとシロウからようやく離れ、

 

「シロウ、またね」

 

 と、小さく手を振った。

 そんな、やはり純真な少女としか言えないエヴァの可愛らしい姿にイリヤは、うむむ…と複雑な表情をしながら短く詠唱し―――魔術を解いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 再び景色が暗転し―――気付くと二人はエヴァ邸の地下室に居た。

 いや、ずっと此処に居た訳なのだが、これは認識の問題である。

 イリヤは無事、魔術が上手く行ったことにホッと息を吐き。腕時計を確認すると時間の経過は殆ど無かった。

 

(エヴァさんの“別荘”のようなもの……もしくはどこかの加速世界(アクセルワールド)のようなものね。そっちの方が近いかな?)

 

 そんな事を思うも、実験時とほぼ同様の結果なので今更な感想だ。

 次いで、顔を上げてエヴァの方を窺うと、彼女は眼を閉じて胸元に両手を当てて、まるで祈るような姿勢で静かに佇んでいた。

 イリヤは一瞬、何か声を掛けるべきかとも思ったが、感慨深げな彼女の姿に黙って見守る事にする。

 

 

 

 どれほど時間が経過しただろうか、部屋のソファーで寛ぐようにしてエヴァの様子を伺っていたイリヤは、彼女がゆっくりと眼を開くのを見。その眼が此方を捉え、

 

「イリヤ、ありがとう。シロウに会わせてくれて……嬉しかった」

 

 エヴァは微笑み。年相応……いや、外見相応の少女のような可憐さにイリヤは思わず見惚れた。

 先程まで在った違和感は不思議と覚えず。イリヤは見惚れた事もそうだが、礼を言われた事を照れ臭くて頬が熱くなるのを自覚する。喜んで貰えて甲斐があったな、とも思ったが。

 

「エヴァさんにはお世話になったから……うん、それをこれで少しでも返せたなら、良いわ。感謝されるのもまだ早い気がするけど……」

「そんなこと無いよイリヤ! 今日の事だけでも私は、わたしは……報われたから」

「…エヴァさん」

 

 少女の在り様のまま、エヴァは言う。

 

「シロウが殺され、奪われて復讐に奔った罪も、悪としてしか生きられなくなった事も、全部知って貰えて赦されなくとも受け止めて貰えて。償う為に、贖罪に生きろ、と言うのに―――それでも、あの人が私の幸せを願ってくれる事を知ったから。それをこうして知る事が出来たから…」

 

 そう語り、そしてエヴァは言う。

 

「―――だから、これで、これだけでも生きて来て良かったって。これからも頑張って生きて行こうって心から思えたから…」

 

 そう、満足げな……まるで、充実した一日を過ごした人が、就寝前に見せるような笑みで言った。

 

 

 

 だが、それは、その言葉はイリヤにとって全く予想だにしないものだった。

 イリヤは、詩のように優しく穏やかに響いたその声を聞いた途端、愕然とした。

 

(それはつまり―――エヴァさんは……)

 

 生きる事が、これまで生きて来た事が苦痛で、その長く積み重ねた年月一切が絶望の時間であったという事だ。

 それは、ただ不死によって生きる事に飽いていただけでは無い。イリヤは先のシロウとエヴァのやり取りを覗いていた事もあり、直感的にソレ(こたえ)を理解した。

 

(エヴァさんにとって、この世界は“地獄”なんだ)

 

 と。

 決して抜け出す事が叶わない。死ぬ事もままならず、無限に苦痛と絶望だけが与えられる牢獄。少なくとも人の世の中―――人間社会ではそうなのだ。

 そう、エヴァにとって人間(ヒト)という存在そのものが自らの罪の象徴だ。

 彼等(ヒト)を喰らい、糧とした事。彼等に仇なす化け物である事。復讐の対象であった事。それら厳然たる事実(つみ)を、その“人間(ヒト)”の在るこの世界と関わる事で常に見せられ続けているのだ。

 であれば、その心に圧し掛かる、苦しさ、痛み、重みは相当な筈だ。

 けど、彼女はそんな地獄(にんげん)の世界から離れられない。関わる事が辛く苦しい、生き地獄でしかないのに離れる事が出来ない。何故なら―――吸血鬼(ばけもの)である以前に、少女(にんげん)のままでありたいと、心の深奥で願っているからだ。

 

(……だとすると、そうね。純真で無垢としか言いようが無い、“この目の前にいる少女(エヴァンジェリン)”には耐えられないわね―――なのに……シロウも罪深いわ)

 

 “耐えられない”筈のこの純真な少女(エヴァンジェリン)が内面で留まり、消えず。その地獄たる(にんげんの)世界を“耐えてしまった”のは、シロウという依るべき存在の影響だ。

 エヴァという人物(キャラクター)にとって、それが原作との最大の相違点だろう。

 

 原作では吸血鬼(ばけもの)としての己を認め、受け入れて。そのようにしか生きられないと、その罪を含めて人々が忌み嫌う“悪”を誇りとし、矜持とする事と成ったエヴァと。

 

 吸血鬼と自覚しながら、自分は人間(しょうじょ)だと、そうであろうと願い。己が罪をヒトとして罰と捉え、それ故にそれを背負った“悪”たる自分を嫌悪し、贖罪を求め、抗おうとしているエヴァンジェリンとの。

 

 その性質は正に真逆といえよう。恐らく原作に近しい普段表層に出ている性格(かのじょ)は、純真な少女たる本来の自分を守る為に出来上がった(よろい)なのだ。

 

(シロウという理解者(ヒト)が傍に在ったが故に生じたイレギュラー…か。せめて彼女自身が願ったようにずっと傍に居れば、こうも歪に乖離する事は無かっただろうに。なんて半端な…)

 

 いっその事、原作同様にヒトと相容れぬ吸血鬼(ばけもの)として、忌むべき“悪の魔法使い”として擦れてしまえば、エヴァにとっても、そして原作を基準に物事を捉える自分にとっても楽だったろうに…と。イリヤは思ってしまう。

 そう、気付いた思い掛けないこの事実に対し、イリヤはエヴァと今後どのように接すれば良いか少し判らなくなったのだ。これまで彼女を“悪”として誇りを持つ吸血姫と思い、そのように接してきた―――だが、

 

(それはエヴァさんにとって本当は苦痛でしかなかったんじゃあ?)

 

 そう思った。一方で、

 

(でも、その程度で出来上がった(よろい)が傷付き、通る訳も無い…の、かしら?)

 

 とも思えた。

 しかし、幾らその纏う殻が硬く、数百の年月を掛けて塗り固められたモノだとしても。こうして本当のエヴァを知った以上は……だからイリヤは躊躇いを覚えた。

 これまでのように彼女―――……この少女と接する事に。

 

(だってそうでしょ……それだけ纏う(よろい)が硬く強固であるという事は、それだけ重くて辛いって事で。心に圧し掛かる負担が大きいって事。なら―――)

 

 そんな重く枷のような殻が必要で無くなる事が……纏う必要が無いって教えて脱がせる事こそが、エヴァンジェリンという少女にとって救いであり。そうして有りの侭の少女として生きて行ける事が、シロウの願うエヴァの幸せの条件の一つなのだから。けど、

 

(……けれど殻を脱ぐという事は、傷付き易くなるという事でもある。その時、エヴァさんの心は…純真な少女でしかないその心は耐えられるだろうか? 真祖の吸血鬼…忌むべき“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”として見られ、扱われる事に傷付かずに済むだろうか?)

 

 恐らく傷付かずに済む事は出来ない。しかし耐える事は出来るだろう。エヴァの中にはシロウの言葉と想いがあるのだ。先にも考えたがそうやって耐えてしまう。(せいしん)を削り、見えぬ血を流しながら……

 

(……けど―――)

 

 ―――けど、それは麻帆良という居場所が無く、自分達が傍に居なかった場合の話だ。

 

(そう、少なくとも私が居て、学園長やタカハタ先生が味方である限り、それほど心配することは無い。ネギ達もそうだけど…多分、この麻帆良の主だった魔法先生達もそう時間を掛けずにそんなエヴァさんを受け入れてくれる筈…)

 

 この麻帆良という場所は基本、そういったお人好しとも言える善良な人ばかり集まっているのだ。

 それに既にエヴァを容認する土壌も出来上がっている。これも原作と異なる部分だが、麻帆良での彼女立ち位置は悪くなく、寧ろ評価されている所が多々あるのだ。

 無論、“闇の福音”という濃い色眼鏡はどうしても消えないが、イリヤの見解ではそれに差し引かれても十分余るように思えた。

 伊達に14年間もの間、封印されてこの地に縛られていないという事…―――!?

 

「―――…なるほど、…そっか。そういう事なのかしらね」

 

 途端、イリヤはハッとし、またも理解した。

 ただ、それが本当に“彼”が意図しての事なのか、考え無しの馬鹿という風評を思うに直感的なものなのだろうと。イリヤには思えたが、

 

「…流石は、王道的主人公(ヒーロー)って所か」

 

 そう、得心もした。

 故にイリヤは、エヴァとの関係を新たにする事を決意した。シロウとその“彼”が願うであろう少女(エヴァジェリン)の幸せの為に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 自分の言葉を聞き、何処か驚いたような表情を見せて、黙り込んだ白い少女にエヴァは小首を傾げ。どうしたのかと尋ねようと口を開こうとし、

 

「…なるほど、…そっか。そういう事なのかしらね。流石は、王道的ヒーローって所か」

 

 そう、納得気にイリヤは首肯した。

 

「イリヤ…?」

 

 唐突な言葉にエヴァは更に首を傾げざるを得ない。

 そんな彼女に答える為か、イリヤは笑顔を見せてエヴァに話し掛けた。

 

「彼―――ネギのお父さん、ナギ・スプリングフィールドは貴女の事を確かに想っていたのね」

「!―――ナギ、アイツが…?」

 

 突然出た名前にエヴァは、ピクリとこめかみが引き攣るのを感じると共に、脱げていた心の殻(よろい)を取り繕おうとし―――イリヤの続く言葉に再びその殻を纏う事をつい止めてしまった。

 

「シロウがエヴァさんの幸せを願うのと同じで…」

「え…シロウ……?」

 

 その言葉には、纏い掛けていた殻の欠片をするりと掬い取るような感覚(チカラ)があった。

 イリヤは、そんなコロコロと変わるエヴァの雰囲気におかしさを覚えたのか、苦笑を浮かべるも話を続ける。

 

「本当の所は勿論判らない。ネギのお父さんが“今の貴女”に気付いていたのか…は。でも、苦しんでいた事は見抜けたんでしょうね」

 

 そう言い。苦笑を潜めて言葉を切ると、イリヤはエヴァを見詰めた。

 「あ…、」と。声を漏らし、エヴァは思わず両腕で自らをかき抱き、後ずさる。イリヤの視線に強く“見透かす”ものを感じたからだ。

 だから咄嗟に否定の言葉を口にした。その仕草が、その反論こそが、それの証明だというのに。また幻想空間でシロウとのやり取りを覗かれていたにも拘らず。

 

「く、苦しんでいた? 見抜けた…? 気付いていたのかって、何を? 別に私は何も苦しんでなんて―――」

「―――エヴァさん…いえ、エヴァンジェリン。それはウソね」

 

 イリヤは、その見透かすような強い視線のまま断言した。

 

「…! な、そんな! 何を根拠に…!?」

「そう? じゃあ“人形遣い”、“悪しき音信”、“過音の使徒”…そして“闇の福音”。聞くのも不吉なそれら―――多くの二つ名を与えられ、魔王とさえ呼ばれ、人々から恐れられている事を貴女は本当に心から誇りに思っているのかしら?」

「と、と―――」

 

 ―――当然だ。

 普段なら、何時もの自分であったなら、エヴァはそう言うだろう。けれど、言うことは出来ない、出来なかった。シロウに縋り付いていた姿を見られていた事に思い至ったのもあるが、それ以上に……

 

(当たり前じゃない…! だってそう呼ばれ、人々から恐れられるのは、それだけ私が悪行を重ねてしまったって事で、犯した罪が大きいって事なんだもの…)

 

 心を守る(よろい)が無いが為に……そう、苦しく、誤魔化せず、赦せなかったからだ。

 不本意とはいえ、己が大事な友の、従者の、騎士の、兵の、民草の生命(いのち)を糧として喰らった事。一時の休息の為に名も無き村の人々を巻き込んだ事。シロウが殺されて憎悪に身を焦がし、その感情の赴くままに虐殺に奔った事。

 

(―――その全てに悔いているんだから…! そんな罪の証である二つ名を誇れる訳が無い!!)

 

 ギシギシと。締め付けられるように胸が痛くて、心が痛くて、気が付くとエヴァは両手で胸を押さえていた。

 そんなエヴァの様子が分かっている筈なのにイリヤは言う。先程言い掛けたエヴァの言葉を代弁するように。

 

「―――当然…と、そう言いたいのエヴァさん? 様々な二つ名で呼ばれ、恐れられ、世に仇なす化け物として、“悪の魔法使い”として人々の間で語られる事が誇らしいって? そう言いたいの、エヴァンジェリン」

 

 それは、何処か冷然とした言葉だった。ズキリ、と。胸の痛みが一層強くなり。

 

「…止めてッ! やめてよ…イリヤ。もう判っているでしょ! 貴女の言う通りだから…!」

 

 堪らず叫んでいた。

 分かり切った罪業の在りかを告げられる事が、胸が苦しく痛む事が、冷たく皮肉る様に言われる事が、そして何よりもイリヤの口から言われるのが、嫌で―――だから認めた。

 

「そう、本当は辛い。苦しくて、苦しくて思い返すだけで胸が痛い。愚かだったって後悔もしている。でも許されない。赦す事なんて出来ない! 自分自身でも! だからそう呼ばれる事も、恐れられるのも仕方が無い事だって甘受している。だけど、それでも、それでも…―――それだから、私は…! わた…しは……!」

 

 眼元が熱くなり、ついには涙が零れ、

 

「…だから、だ…から……そう、呼ばれるのが……嫌で…呼ばれ…るのが、嫌で……頑張ろうとした、罪が……在っても、恐れ…られて……も、……頑張って、シ…ロウの……言う通りに…つぐ、償って……いけば、いつかは…何時かは、報われるって……報われるん……だって信じ……たから…」

 

 頬に涙を流し、口から嗚咽を零して、泣きながらエヴァは……いや、ごく普通の、純真な少女たるエヴァンジェリンは言った。厚く重い、鋼の如く硬い(よろい)を心に纏わずに有りの侭の彼女の姿で、イリヤの刃のように思える言葉に耐えながら。

 それは茶々丸は愚か、チャチャゼロも知らない彼女の姿だ。

 犯した罪を悔いるエヴァンジェリンという幼い少女の、不遜な態度で悪を振る舞い(演じ)ながら贖罪を願い生きてきた少女の本心。

 

「…けど、いくら頑張っても…頑張っても…これで償える、報いる事が出来ると思っても……罪と、与えられた忌み名はどこまでも付いて来た…」

 

 嗚咽を堪えて、頬を伝う涙を拭いながらエヴァは言う。

 

「……そう、頑張って、頑張って、人々を助け、救う為に幾ら頑張っても、私を討たんとする人は……追っ手は、一向に止まなくて。逃げるように訪れた東の最果ての国。この日ノ本にさえその名が知られ、追い遣られた」

 

 俯き、グッと唇を噛み絞め。彼女の表情に無念と悔しさが浮かぶ。

 

「……中には、庇ってくれる人や匿おうとしてくれる人もいた……けど、だからこそ、そんな優しい人達に迷惑を掛けない為に。私は逃げるしか、離れるしかなかった……そうやって独りで生きて行くしかなかった…」

 

 俯いた顔に、その青い瞳からまた光る物が零れる。

 

「……イリヤ、私が責められるのは仕方が無いと思う。それだけの事をして来たから。……けど、どうして? 満足? 愉しいの? そうやって暴き立てて、私に罪を突き付けるのが。貴女もそんな人だったの……?」

 

 零れて頬を伝うものを拭うのも忘れて言う。悲しげに信じられないとばかりの口調で。

 そして信じられない事にイリヤは首肯した。

 

「そうね」

 

 と。

 エヴァは愕然とし、俯いた顔を上げるが―――途端、身を包む柔らかく暖かな感触と、耳元に入る優しげな声に驚かされる。

 

「―――満足ではあるかな。ただ愉しいと言う訳では無くて、嬉しいっていうのが正しいけど…」

「イ…イリヤ……?」

 

 気付くと白い少女の姿が目前に在り、ギュッと優しく抱き締められていた。

 

「本当のエヴァさん…ううん、エヴァンジェリン。貴女を知る事が出来て、確信が持てたから」

「…………」

 

 告げられ、突然身を包んだ暖かな感触に、エヴァは戸惑うばかりで直ぐに言葉を返せなかった。そしてイリヤは更に言った。

 

「ねえ、エヴァンジェリン。貴女はこれまでずっと自分を偽り、隠して、そうやって独り耐えて頑張って来た。そうして心を守ってきた。でも、もう―――」

 

 ―――もう大丈夫だから。

 

 フッと耳に入り、頭に……いや、胸に響く言葉。

 

「今、此処には私が居る。シロウも傍に居てくれる。そして麻帆良には学園長やタカハタ先生が居る。それにまだ頼りないけど、優しい“あの子”達が居る。皆きっとエヴァさんを、エヴァンジェリンを裏切らない。その罪も罰も含めて貴女を否定せず、受け入れてくれる……いえ、それ以上に、もしかすると“贖罪を手伝う”なんて言って、貴女の罪を一緒に背負いかねないような人達よ。だからエヴァンジェリン―――」

 

 ―――貴女はもう独りじゃないの。決して独りにはならないわ。そう、もう心を偽って独りで頑張る必要は無いのよ。

 

「ネギのお父さん―――ナギ・スプリングフィールドが貴女に願ったように陽の当たる世界に……“光に生きられる”の」

 

 胸に響いた言葉。(よろい)の無い剝き出しの心に、正に光のように差し込む白い少女の言葉。それを聞いてエヴァは自分の眼が見開くのを感じ―――理解した。

 

「―――ああ、そっか…そうなんだ……」

 

 “光に生きてみろ”―――そう彼が…ナギが言い。麻帆良に自分を置いて行ったその真意が、イリヤの言葉を受けてようやく分かった。

 表の世界に触れ。普通の女の子のように学校に通い、友達を作り、学生生活を体験してみろ、という訳では無い。そうでなかったのだ。

 いや、それも同情や憐憫で生まれたものでしかないのかも知れない。けれど―――

 

「それでもナギは私の事を確りと見てくれていて、幸せを考えてくれていたんだ」

 

 そう、“闇の福音”と呼ばれている自分を“一度打倒する事によって”受け入れてくれる場所を、独りで在る必要が無い居場所(いえ)友人(なかま)を作れる時間を作ってくれたのだ。

 麻帆良という優しい人達が住む、暖かな世界に留まらせる事で。

 魔王とも恐れられる“闇の福音(じぶん)”を“英雄(ナギ)”の名で降し。そしてもう既に大切な人(最愛の女)を抱えてしまった(ナギ)の傍に居て、拘ってはそれは得られない、と。

 きっとそう考えて麻帆良の地に封印し、置いて行ったのだ――――……だが、それにはまだ理由がある事をエヴァは後に知る事になる。この翌日、隠された真実を彼の盟友であるアルビレオと近右衛門の口から語られ、“始まりの魔法使い”に挑んだ彼の末路を知る事によって。しかしそれはあくまでもこの後の話だ。

 

「イリヤ、ありがとう、本当に。私……分かったから。ナギの想いも、もう大丈夫だってことも…今、イリヤが居て、シロウも傍に在って、そして皆が居れば、きっと幸せに生きていけるって…分かったから」

「うん」

「だから、ありがとう。教えてくれて、気が付かせてくれて……―――ありがとう。イリヤ」

 

 エヴァは何度も感謝の言葉を繰り返した。想い人の真意を、大切な事を、掛け替えのない居場所と仲間が出来ている事を教え、気が付かせてくれた事を。

 イリヤは、それに笑顔で応えた。

 

「お礼はいいわ。だって当たり前の事をしただけなんだから。貴女はシロウの……大切な弟のパートナーなんだもの。だったらお姉ちゃんとしては、そんな妹分の面倒はしっかり見ないと、ね」

 

 クスクスとそう笑顔で、こんな年上の妹が出来るなんて思わなかったけど、とも言いながら。

 

「お、お姉ちゃん…って?」

 

 エヴァは少し驚き、戸惑った声を漏らした。

 冗談のようにも聞こえるが、本気で言っているようにも思えたからだ。

 

「うん? 何…? やっぱりダメかしら。妹って言われるのは嫌? 抵抗ある?」

「え…ううん、そんなこと無い―――あ、」

 

 残念そうに言うイリヤに、エヴァは咄嗟に首を振ってそう答えてしまい…ハッと口元を手で押える。それを見たイリヤは何処どなく不敵に見える笑みを浮かべた。

 

「ふふ…嫌じゃないんだ?」

「う…うう…」

 

 怪しく大人びた笑みを見せて問い掛ける白い少女にエヴァは口籠り、それでも何か言おうと口を開こうとするが、言葉に成らず鯉のようにパクパクとする事しか出来なかった。

 

 その後、イリヤはしばらくニヤニヤしながらエヴァの髪を優しく梳いたり、頭を撫でたりし。無言でされるがままのエヴァを堪能して満足したのか、それとも顔をトマトのように真っ赤にしている事に勘弁したのか。解放した後はこの件に触れず、今後の事を幾らか話し―――そして自身の工房へと帰宅した……のだが。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 思い出し、頬が熱くなったのを自覚してエヴァは両手で顔を覆っていた。

 部屋には自分以外に一応誰も居ないのだが、恥ずかしさの余りそうせずにいられないのだ。

 

「ううう…嫌って訳じゃないんだけど」

 

 反芻していた為だろう。遠い昔の口調でそう呟いた。

 本人(イリヤ)には、結局言わなかったが……いや、言えないが、それが本音だ。“少女”の自分としては、信頼する大人びた雰囲気を持つあの白い少女をそう呼びたい、と内心で思っているのだ。

 

「…イリヤ、お姉ちゃん……」

 

 と。

 しかし、試しに口に出したものの、やはり恥ずかしさから悶えそうになる。仮にも数百年の時を生きて来た、途方もない年長なのだから当然と言えよう。

 そうしてまた先程と同じく顔を覆い、恥ずかしさから逃げるようにゴロゴロとベッドの上で転げ回る。

 そして、このままじゃいけないと。下から茶々丸が上がってきた場合の事を考え、深呼吸し、

 

「―――まったくイリヤもとんでもない事を言うんだから」

 

 そう、原因となった少女に文句を口にする事で気を落ち着けた。

 しかも本気で言い。外見に似合わずその貫禄も十分なのだから性質が悪い。事実こうして悪くないと思ってしまっているもの、とエヴァは内心で呟く。

 ともあれ、イリヤのお蔭で念願が叶いシロウと会え。ナギの真意も―――尤もこれは半ば推測であり、何れは本人に問い質したいのだが―――分かった。

 それに、

 

「『火よ灯れ』」

 

 言葉を発すると同時にボッと文字通り指先に火が灯り、直後、松明のような大きな炎と成る。

 つい先日までであれば、魔法薬の触媒やイリヤ謹製の礼装がなければ出来なかった事だ。

 

「こうして封印も解けたしね」

 

 一週間ほど前、あの地下の深奥で近右衛門の許可を得て、そのままあの場の面々の立会いの下でイリヤはナギによる『登校地獄』の呪いと、それに連動した力の封印を解いた。

 “裏切りの魔女”とも言われるコルキスの王女の力を身に宿したイリヤの手によって。

 それらの多大な恩を思い、そして溜息を零しながら呟く。

 

「…お世話になった借りだとか、不意打ちを許した償いだとか言うけど……本当、こっちの方が借りは多いわね」

 

 おまけにこの解呪にしても、ナギとの絆を断つような所がある等と申し訳なさそうにしていたし……と、エヴァは言う。

 正直、このままではちょっと自分としてはやり難いものがある。お姉ちゃん気取りな所や実際、麻帆良の最深部での気遣いもそれっぽくあり、イリヤに対して頭が下がる一方なのだ。

 

「ホント確りと返さないと。ううん、その前に借り…いえ、貸しだって事を自覚して貰わないと」

 

 そうでないと、何時までも向こうは借りっ放しだと勘違いしたままで、こっちの空回りに成ってしまう……と思った途端、同意する声が直ぐ傍から聞こえた。

 

『ふむ。確かに健全とは言い難いな』

「っ! シロウ! もう“起きて”いたの!?」

 

 驚き、エヴァは銀の鎖に繋がった手元の赤い宝石を見詰める。

 

『つい今程な。多分、エヴァが魔法を使った所為だろう』

「あ、アレで私の魔力に当てられたから…?」

 

 先程試すように使った初歩の着火魔法を思い出して言うと、ああ、と。宝石から肯定の返事がされた。

 

「……シロウ」

 

 思わず宝石をギュッと握り締めた。

 勿論、手の平に返って来るのは硬く、温かみも無い無機質な石の感触だ。それでもそこに居るのだという感覚は在った。意思を表に出したシロウがそこに在るのだと確かめられた。

 そう、これがあの時、幻想空間でイリヤが提案した事だ。姿形、肉体は与えられなくともこうして現実空間でも言葉を交わせるようにする事―――

 

『…嬉しいのは判る…が、余り力を入れないでくれると助かる。今のエヴァの力じゃ、幾ら聖遺物(アーティファクト)級の代物(れいそう)とはいえ、壊れかねない』

「あ、御免なさい。でも…」

「先にも言ったが、分かっているさ。嬉しいのは」

「…うん」

 

 返事をし、今度は優しく握り締めた。そんな自分に彼が苦笑を浮かべているのがエヴァには見えたように思えた。

 そうして一分程、余韻に浸るように沈黙し……宝石の中に居るシロウが声を発した。

 

『エヴァ、先程の事だが』

「イリヤへの貸し借りの事?」

『ああ、大体その原因は想像付くのだが……―――』

 

 その推測を聞き、エヴァは再び沈黙するしかなかった。ただ先程と違い表情は暗く、沈痛なものだ。

 それでシロウは自分の予想が当たったのだと確信したらしい。

 

『そうか、やはり…』

 

 シロウの呟きを聞き、エヴァは仕方なく頷いた。

 

「……うん、イリヤから直接聞いた」

『だからだな。だからイリヤは―――クッ…!』

 

 エヴァの首肯に宝石から悔しげな声が響いた。肉体が在れば恐らく歯が砕けんばかりに顎が噛み絞められ、血が滴り出るほど強く拳を握り締めていた事だろう。

 だからこそ、彼は言った。

 

『エヴァ……イリヤを―――姉さんを頼む』

 

 短くも強い意思が篭った言葉で、肉体を持てない自分の代わりに、と。そして自分には出来ない事が出来るであろう、“最強の魔法使い”の力をその為に駆使して尽くして欲しい、と。そう告げていた。

 エヴァは当然とばかりに頷いた。

 

「うん、言われなくてもそうする。イリヤには余りある程の借りがあるし―――私はシロウの(マスター)…ううん、掛け替えのない半身なんだもの。なら困ったお姉ちゃんを助けるのは、きっと妹分(わたし)の役割よ」

 

 そう、強く真剣に応えた。

 今や恩人であり、大切なシロウの姉であり、自分にとっても同様に家族同然の白い少女。その力となり、必ず助けになると宣誓するように。

 

 その為なら、“闇の福音”とも、“魔王”とも恐れられた力と知識を余すことなく振るい…使おう。

 シロウに会わせてくれ、その約束を守ろうとしている大切なイリヤ(かぞく)に報いる為に。

 

「だから、任せてシロウ。イリヤは必ず私が守って、助けるから…!」

 

 

 




 白エヴァ爆誕な話。

 原作との違い、シロウと出会った事による影響を考えた結果、エヴァはこうなりました。
 正直、この話に手が付くまでここまで変化するとは思っていなかった事もあり、当時は書きながら自分でも愕然としたのを覚えています。

 それもあって、この改変を読者様方がどう思われるのかもかなり不安です。

 ちなみにこの白エヴァとは真逆な黒エヴァと言えるのは復讐に走った魔王だった頃と考えています。
 普段エヴァは硬い殻を纏って取り繕った感じなので殻エヴァと言った所です。

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