麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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今回はArcadiaでは未公開だった話で、サブタイトルの通り第21話と第22話の合間にあったものです。割と短めです。


第21.5話―――福音は再び齎される

 イリヤの突然の申し出に近右衛門は絶句していたが、ハッとして気を取り直す。

 

「エヴァの封印を…解く……じゃと?」

 

 近右衛門は確認するように白い少女へ問い掛けると、彼女は「ええ…」と当然のように頷いた。

 

「イリヤ…」

 

 頷くイリヤをエヴァが何とも言い難い表情で見詰める。

 それにイリヤは、エヴァに笑顔を向けてここは私が話を付けるから、と告げるように彼女にも静かに頷いて見せた。

 その両者のやり取りにアルビレオは興味深そうに視線を向けるが、イリヤは気にせず近右衛門に話を続ける。

 

完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)にアンリマユの呪詛、そしてMM元老院……これらに対するには強力な戦力が必要になる。言うまでも無い事だけど、ね」

「………うむ、それは判る。先の事件に置いてもエヴァの力が封じられておらなければ、あのような事態にまで至る事は無かったからのう」

 

 そう、バーサーカー(ランスロット)にエヴァが不覚を取ろうとヘルマンに敗れる事は無く。イリヤは彼女の援護の下で容易に…いや、ランサー(ディルムッド)も同行していた為、そうとまでは言えないがそれでも駆け付けたタカミチ達とも合流できて比較的楽に撃退出来た筈だ。

 尤もその場合は敵側も計画失敗と判断して撤退を選び、此方はバーサーカーを仕留める事もヘルマンを捕縛する事も出来なかっただろうが。

 そう考えると、あれはあれで怪我の功名と言えるのかも知れない。

 

 ―――とはいえ、

 

 今後もそのような運任せという訳には行かない。

 今回は凌げたが次もそう上手く行くとは限らないのだから。下手をすればネギは石化し、イリヤも敵の手に落ちたかも知れなかったのだ。

 ただ、明日菜に関してはどうしてか、ヘルマンの証言によると現段階では完全なる世界は手中に収めようと考えていないらしいが…。

 

「じゃが…」

 

 しかし、近右衛門はそれら事態の深刻さを理解しながらも顔を渋めた。その彼の表情を見てイリヤは問い掛ける。

 

「反対なの?」

「…………」

 

 イリヤのその言葉は、疑問を呈する様でありながら口調にそういった響きは殆ど篭っていなかった。それを聞いて近右衛門は溜息を吐きたい思いに駆られた。

 

「イリヤ君。分かっていて言っておるじゃろ」

 

 はぁ…と、実際に溜息を吐いて答える近右衛門。

 

「エヴァの……“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”の封印を解くとなれば、身内たる我が関東魔法協会を含め、否応なく様々な所から色々な意味での声が上がり、向けられる。…賢い君ならそれぐらい事は承知していよう」

「まあね、エヴァさんの働きを知る麻帆良の魔法使い達にしても全面的に賛成はしないでしょうね」

 

 そう、それだけ最強と名高い伝説の吸血姫は恐れられているのだ。なのに折角封印されている闇の福音(かのじょ)を解放しようなどと……そのような事を知れば、多くの魔法使い達は正気を疑うだろう。

 特に麻帆良に住まい、関東魔法協会に所属する魔法使い達は彼女を縛った事への報復が来る事を恐れ、余所の魔法使い達や協会組織にとってもその矛先が向けられるのではないかと平静では居られなくなる筈だ。

 

「じゃからワシは“封印を解く事には”賛成じゃ」

 

 一部言葉を強調しながら近右衛門は奇妙にも矛盾するような事を言う。だがイリヤはそれほど考える間もなく、その含み意味を直ぐに理解して、ふむ…と頷く。

 

「それは制限付きで…って事ね」

「そうじゃ、知っての通りエヴァの力の封印は『登校地獄』に連動した学園結界の作用じゃ。ナギの奴が賭けた呪いは云わば楔……学園結界の力をエヴァに打ち込む為のな」

「だから有事の際にのみ、エヴァさんに向けられている学園結界の力を解除すべきだと言いたい訳ね。呪いを解かずに普段は現状のままという事で…」

 

 近右衛門はイリヤの言葉に無言で首肯する。

 協会や魔法社会全体に与える影響を思えば、確かにそれがベストな結論だろう。関東魔法協会は要らぬ嫌疑や非難を受けるのを避けられ、他の協会や多くの魔法使い達は魔王とも恐れられる彼女が今も力を失い、封印されている事実に安堵する筈だ。

 

 だが―――

 

「それで私が納得すると思っているの学園長?―――いえ、関東魔法協会理事にして代表たるコノエ コノエモン」

 

 そう告げた途端、スウッとイリヤとの目が鋭くなった。

 

「…!」

 

 その怪しくも冷たく輝く緋色の双眸を向けられて近右衛門の背筋に寒気が奔る。イリヤが彼を学園長と呼ばず、その名前を口にするのはこれが初めてで…その声色にも鋭さと冷気が篭っているような険呑さがあった。

 

「勿論、私は貴方の公の立場も判っているし、魔法社会に与える影響も理解しているわ。けど―――」

 

 イリヤが口を開き、言葉を発する度に近右衛門は己の寿命が縮むような奇妙な錯覚に陥っていくような気がした。視界の端に捉えた孫娘も同様のものを感じているのか、顔を青くして身体を震わせている。

 

「“そんな事”で……()()()()()()()()()()、エヴァさんの自由を奪い、麻帆良に縛られ続ける事に()は納得できないし、許す事は出来ないわ」

 

 荒げている訳でも無く、意図して冷然と告げている訳でも無い―――にも拘らずイリヤの声は氷のような冷たさがあり……そう、矛盾するようだが熱さがあった。

 その冷たさに中に在る確かな熱を感じ取り、近右衛門は理解する。

 

「それを理由にして縛り続けたら、それこそエヴァさんの忌み名を払拭できない。そこに込められた“呪い”のような意味を払えないし、変えられない」

 

 平然とした声色であるが……イリヤは怒っているのだ。それも近右衛門という老獪な魔法使いが恐れと怯えを覚えるほどに途轍もなく。

 それを理解し、近右衛門は額に汗が浮かび、背中もジワリと汗ばむのを自覚する。下手な受け答えをすれば、その怒りが…恐らく凄まじいであろうそれがどのように転化するか想像が付かないのだ。

 

(ひょっとしたら此処で死ぬかも知れんのう…ワシ)

 

 そんな事さえ思う。

 

「コノエモン……貴方も公人としてそれは正しいと考えていても、私人としては間違っている事は判っている筈よ」

「……」

「打倒され、封印されているという今在るその結果だけではこれ以上は変えようが無いって事を。……確かに麻帆良での働きはあるけど、それにしたって広く認知されている訳でも無い。何時までもそれじゃあ……そのままじゃあエヴァさんは本当の意味で―――」

 

 ―――光に生きられない。

 

 イリヤは近右衛門を鋭くも強く見据えて、そう言った。

 

「―――!?」

 

 イリヤのその言葉を聞いた途端―――

 

『―――じゃあ、エヴァの事は頼んだぜジジイ。3年後には…アイツの卒業する晴れ姿が見れる頃には必ず…………いや、何とか戻るからよ。その頃にはエヴァの奴も…―――』

 

 最後に見た、在りし日の赤毛の青年(ナギ)の姿が脳裏に浮かんだ。

 そして同時にこの目の前に居る白い少女が何故怒っているのか理解した。

 ただ一個の戦力としてしか、脅威に対する手札としかエヴァを見ず、扱おうとしたからだ。

 それを解し、近右衛門は己を恥じた。いや、確かにそれは公人としては正しく、恥じる事の無い考えであり、判断なのだが……―――果たして“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”たる己が信条に沿ったものであっただろうか?

 更に言えば、真実そう讃えられるサウザンドマスター…ナギ・スプリングフィールドが自分に託し、望んだ事であろうか?

 

「……………そうじゃな」

 

 近右衛門はポツリと呟くと深く頷いた。

 

「元は3年という約束じゃったんじゃ。じゃというのにこの14年余り、エヴァはワシらに…この麻帆良を守る為に良く尽くしてくれた。十分と言うには本当に余りある働きじゃ。感謝する事はあれど、もっともらしい理由を付けて不当に縛る事などあっては為らぬ事じゃった」

 

 そう言葉を続けると、近右衛門は再び深く頷いた。

 

「うむ…―――関東魔法協会理事にして代表たるこのワシ…近衛 近右衛門が責任を持ってそれに付随するあらゆる問題に対処しよう。本日をもって真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・アナスタシア・キティ・マグダウェルの封印の解放をする。そしてその楔である呪いの解呪をイリヤ君……君にお願いする」

 

 その宣言にイリヤは頷き答える。

 

「ええ、その尽力の言葉と許可に感謝します。そしてその期待に必ず応えましょう、コノエ代表」

 

 イリヤは協会の一員として、そしてエヴァの身内…家族の一人として近右衛門の決断に深く一礼した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ただ……14年という月日は確かに長いが、エヴァの背負ったその罪業を償うにはとても短い期間だろう。況してや彼女は600年という時を生き、これからも永遠に近い時を生きられるのだ。

 医療が発達し人々の生活が―――先進諸国に限ってだが―――豊かに成った現代に置いても100年生きられるかどうかも判らない…しかも華ともいえる時間がより短い人間の、人生(ソレ)をエヴァは復讐という私怨で大量に奪ってきた。

 だと言うのにたった14年余りの贖罪で自由を得て、その罪もまた許されるものだろうか?

 

「………………」

 

 無論、イリヤは元より近右衛門もそれは判っているし……エヴァも十分承知している。

 だから…だからこそ、人の世に恐れられる吸血姫(かのじょ)は、今こうしてイリヤと向かい合っている。

 イリヤは短いスカートの裾の少し下…腿にあるホルダーから一枚のカードを取り出す。法衣を纏う杖を持った老人が描かれた物を。

 

告げる(セット)。クラスカード『キャスター』夢幻召喚(インストール)

 

 文字通りイリヤがそう“告げた”途端、彼女が光に包まれ―――黒のローブと紫色の法衣を纏った白い少女の姿がそこに現れた。

 あの後、近右衛門は言った。

 

『…許可した後に言うのもなんじゃが…イリヤ君、本当にあのナギの呪いを解く事が出来るのかのう?』

 

 と。

 それにイリヤは、

 

『問題無いわ。何しろ今回使うのは、こと契約やら魔術やらの縛りと成立を断つ事に関して、右に出る者がない程の英霊(ひと)なんだから』

 

 そう、自信を持って答えた。その名を持って―――

 

「それがコルキスの王女メディアか」

 

 エヴァは目の間に立つ紫色の衣装を纏うイリヤの姿を見、内に秘める力を感じ取ってその“彼女”の名を口にした。

 

 黄金の羊の毛皮を求め、彼女の住まう国を訪れた人物(えいゆう)の為に国を裏切り、国の宝たる金羊毛を渡す手助けをし、逃亡を助け、故郷を離れ。そして追っ手となった国の兵士と自らの父である国王の目の前で、自分を慕って付いて来てくれた弟を裏切って父の前で切刻んで海へと流し、父王の呆然とする隙と切り刻まれた弟の身体を掻き集めんとする兵達の不意を突き、彼女と金羊毛を求めた人物(えいゆう)達はその場を逃れたという。

 それが彼女を象徴とする尤も有名な伝承(エピソード)だろう。

 そして、その後も彼女はそのような不逞を繰り返し、悪業に満ちた人生を送ったとされ……後の世に魔女として人々に蔑まれ、その名を呼ばれている。

 

「裏切りの魔女…か。人々にそう恐れられ、蔑まれる者の力が同様に恐れられ、蔑まれる吸血鬼(わたし)の呪いを解こうとは…」

 

 その事実にエヴァは口元が皮肉気に歪むのを自覚した。

 そんなエヴァの様子を見て、イリヤは静かに首を振る。

 

「エヴァさん、そう自分を貶めるのは良くないわ」

「イリヤ…」

 

 白い少女が悲しそうに自分を見詰める。

 

「貴女がそう思い、考えずにいられない気持ちも判るけど…」

「…いや、大丈夫だ。すまないイリヤ、先程のジジイとの事もそうだが、私の為にこうして尽くし、力を使ってくれているというのにな」

 

 見詰めるイリヤの痛ましげな視線にバツの悪さを覚えてエヴァは軽く頭を下げた。些か自虐的になり過ぎたようだ。このような事でこの家族と思える少女を悲しませたくは無いのに……何とも迂闊な事だ。

 エヴァは反省する。そう思える自分の心の在り様の変化を余り自覚せず。

 

 

 

 そんな殊勝なエヴァの様子に先のアルビレオ同様、近右衛門は興味深そうにするが…以前、エヴァ邸を訪問した時に予感したモノもあり、何処か納得したようにも…また満足げに顎の髭を撫でながらウムウムと頷いていた。

 エヴァにイリヤ君を預けて正解じゃった、とそう思いながら。

 ただその隣ではタカミチが意外そうな表情をやはり見せていたが、それでも彼なりに元同級生であり、友人とも呼べるエヴァのその態度に思うものを感じたのか、ソレに関しては何も言わず、代わりに別の事を訪ねる。

 

「魔女メディア……イリヤ君、そんな(ひと)を身体に降ろして大丈夫なのかい? 君を信用していない訳じゃあないけど、彼女の伝説は―――」

「―――そうね。裏切りと謀殺と報復…そんな悪逆に彩られた伝承……いえ、人生もしくは生涯と言うべきかしらね」

 

 タカミチの抱く不安を理解して一つ首肯するイリヤ。だが直後に首を横に振っても見せる。

 

「けど、その伝承に伝えられる通り、発端はその時代に崇められた一人の女神の呪いにあった。勿論、その呪いが解けた後に彼女が行なった所業は紛れもなく彼女自身が望み、悪意を持って行った事だけど…」

「…………」

「でも…それでも私は、彼女が根っからの悪人だとは思えない。むしろ本当はとても純粋で善良な人なんだと思う」

 

 思い深げにイリヤは言った。

 そう告げる彼女の眼の色にタカミチは少し圧倒されるものを覚えて黙り込んでしまう。

 

「…ふむ、なるほど。確かにコルキスの王女メディアは卑劣な裏切りと苛烈は復讐に奔った悪女として以外にも、悲劇の女性としても知られていますからね。神の気紛れに翻弄され、不遇に陥り、人生を狂わされた人物だと。そしてイリヤさんはそれを実感できる訳ですか、クラスカード…英霊の力を通じて」

 

 黙り込んだタカミチに代わってという訳ではないだろうが、アルビレオが感想を零しながらもイリヤに疑問を呈して来る。

 

「…実感というほどでは無いわ。けど…そうね、力を通じて知識を得て、その記憶と感情が伝わってくる事も確かにある」

「!―――大丈夫なのかイリヤ君、本当に!?」

 

 イリヤの言葉を聞いて黙り込んでいたタカミチが若干慌てた様子で心配する。その感情に引っ張られて呑まれるのではないかと考えての事だろう。何しろ英霊と言うのは人という存在を凌駕し、伝説となり、信仰を受ける強大な存在なのだ。

 タカミチの脳裏に雨中で戦った黒い槍兵の姿とその圧倒的な存在感が過ぎる。

 

「大丈夫よタカハタ先生。伝わると言っても本当にそれだけだから。意思を操られるような事も思考を誘導されるような事も無いわ。ただちょっと感傷的になる程度ね」

「…そうか。それなら良いんだけど」

 

 イリヤの確信が篭った声にタカミチは息を吐くように安堵の言葉を口にした。

 尤もイリヤの眼が先程から変わらず深い色を見せているので気になる部分は残るのだが……それが感傷という事なのだろうと納得する。

 魔女とも呼ばれる女性がイリヤの言う通り、本当に純粋で善良というのであれば……―――なるほど、伝説に記された通りなら辛いものであったのだろう、その記憶を垣間見るイリヤも同様に辛いものがあるかも知れない、などと考えて。

 

「…それにしても王女メディアの力に知識ですか……彼の魔道の女神に師事したと言われる人物の…」

「あら、興味があるの?」

 

 安堵しつつも考え込むタカミチを横にして、アルビレオは先程の自分の言葉に続けるように言うと、イリヤがやや首を傾げて尋ねた。

 それに彼は大きく頷いた。

 

「ええ、それはもう! 魔術…もとい魔法を扱う一人として、また神秘に携わる者としては当然でしょう!」

 

 やや大仰な彼の返事にイリヤは軽く溜息を吐く。その様子に…いや、裏にある狙いに思い当たるものがあるからだ。

 

「…加えて言えば、その人生…善良だった一人の少女が魔女と蔑まれていった過酷な生涯を過ごした過去を知れる事も?」

「…! 分かりますか? ……私の趣味について話した覚えは無いのですが」

「まあ…ね、そんな匂いがするっていうか、似たような趣向を持つ似非神父(ひと)と雰囲気がそっくりだもの……特に今歪んでいるその口元が、ね」

 

 イリヤは脳裏に浮かぶ人物の姿に眉を顰めながらも、そう指摘する。

 

「………私とした事が。どうやら、らしくもなく興奮しているようですね」

 

 イリヤの指摘にアルビレオも、むむ…と眉を寄せて顔を顰める。恥じているらしい。

 その彼の表情にイリヤは内心で首を傾げる。半ば嘯いて誤魔化したアルビレオの趣味の事もそうだが、原作ではそういった大人気ない姿を外聞も気にせず―――主にエヴァをからかう事で―――見せていたからだ。なのに奇妙な所で恥じ入るのがおかしかった。

 

「うーん、ウチはそういった西洋の神話などには疎いどすから、何とも言えまへんなぁ」

「ウチも鶴子叔母さ…―――鶴子さんと似たようなもんやえ、占い研の部活で一応ちょこっと名前やその人の伝説を聞いたことはあるんやけど…」

 

 イリヤ、タカミチ、アルビレオとのやり取りを見ていた鶴子と木乃香が言う。お互い頬に指を当てて首を傾げている姿はまるで姉妹のようだ。血の繋がりがあるお蔭で顔立ちに似た部分があるから余計に。

 ただ木乃香が言い掛けた様に実際は二回り近くも歳が離れた叔母と姪の関係なのだが……―――鶴子が叔母さんと呼ばれ掛けた時の眼の怖さは傍から見て尋常では無かった。

 

(…美人だし20代前半程度と若く見えるんだから、そんな気にする事は無いと思うんだけど)

 

 その尋常でない鶴子の様子を見たイリヤはそう思うが、鶴子本人としては複雑なのだ。5年以上も前に結婚をし、32歳になる今になっても子宝に恵まれていない現実もそこに関係しているのかも知れない。

 

(ふむ……確かにそう考えると、実の兄の娘から叔母さんと呼ばれるのは抵抗を覚えるのかも…?)

 

 そうとも思った。途端―――

 

「―――!?」

「………」

 

 そんなことを考えていた所為か、鶴子の不穏な視線が此方に向けられており、気付いたイリヤはビクリと身体を震わせる。

 勘が良いと言うべきか、鋭いと言うべきか、ニコニコとした良い笑顔なのに眼だけは明らかに笑っていない。確実に自分の思考が読まれているとイリヤは直感し、背筋に冷たいものを覚えた。

 

「さ…さて、取り敢えず始めましょうか」

 

 身の危険を覚えたイリヤは、悪寒を振り払って誤魔化す意味でもそう皆に告げた。万が一でも彼女に斬り掛かれでもしたら『キャスター』を夢幻召喚(インストール)している今の状態では、対応できる自信が無いのだ。いや、先手を取れ、転移を使う事さえ出来れば何とか逃げられるかも知れないが……兎も角、

 

「…タカハタ先生をこれ以上変に不安にさせるのもなんだし―――アルビレオ…貴方にそんな物欲しそうな眼で見られ続けるのも……ちょっとアレだしね」

 

 鶴子ほどでは無いが、イリヤはアルビレオにジロリとやや鋭い視線を向ける。

 

「…そのような眼をしてましたか?」

「自覚無し…か。まったく、残念だけど貸す積もりも無ければ、触らせる気も一切ないわよ」

「それは本当に残念です。……―――どうしても、ですか?」

「…………どうしても、よ。神代の魔道の知識なんていう核兵器の原理や製造法みたいなモノを迂闊に教えるような真似をする訳には行かないし、幾ら意識が無い霊核だけの存在だとはいえ、彼女(メディア)の記憶も本来なら本人の同意なしで見せて良いものじゃないわ。見ている私だって正直良い気分じゃないんだから…!」

 

 イリヤに指摘されながらも、尚もしつこく眼と言葉で訴えるアルビレオをイリヤは念を押すように拒絶する。

 そこには神代という括りだけではなく、“魔術”そのものを広めたくない、その秘める純度や優位性を損ないたくはない…という事情もあるが―――実の所、イリヤはアルビレオを余り信用していなかったりする。

 無論、悪人では無いと思うし、戦力的にも頼りになり、期待もしているが……性格や性根の部分に相容れないものがあるようにイリヤは感じるのだ。

 例えるなら悪乗りした時のカモだとか、自分も知るあの腹黒外道似非神父や年老いたゾォルケンが薄っすらと笑みを浮かべる時のような…………後者は言い過ぎかもしれないが、何処となくそんな雰囲気を彼に覚えるのだ。

 ただ、先にも言ったように決して悪人では無いのだろうが……―――イリヤは取り止めない考えに陥りそうに思えて、そんな余分な思考を溜息を吐いて追い出し、惜しむようにこちらを見るアルビレオからエヴァに向き直る。

 

 イリヤの手には何時の間にか歪な形を持ったナイフが握られていた。

 

「それは…?」

 

 物体召致(アポーツ)の魔法のようにイリヤの手に現れた奇妙な刃物を見てタカミチが問う。

 

「『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。あらゆる魔術と契約の成立を無効化する裏切りと否定の剣。これが王女メディアの宝具よ」

「ほう、故国コルキスから逃亡する時に使った弟の身体を切り刻んだという刃物(ナイフ)と同じ代物かのう?」

 

 淡々と答えるイリヤに近右衛門が何処か感心したように尋ねるが、イリヤは首を横に振る。

 

「さあ、それはどうかしらね。こんな短い刃物で人体を切断して解体できると思う?」

「…長さもそうどすが、形状も物を切る事に適しているとは言い難いでおますし、普通に考えれば…まあ、無理どすなぁ」

「同感ですね。ただ王女メディアは稀代の魔女とも言われた方ですし、それを思うと色々と方法はあると考えられますから、断言はできませんが…」

 

 イリヤの問い返しに鶴子とアルビレオが答える。

 

「確かに魔術を使えば可能だと思うけど、実際は違うわ。ただその逸話が影響した可能性も完全に否定は出来ないけど…でもこれは彼女の伝承が具現化した宝具(もの)に過ぎない」

「…ふむ。宝具というのは、英霊が生前持ち合わせた武器以外にも、その英霊に纏わる有名な逸話や象徴的な出来事が想念の結晶となって具現化するもの…だったな。それもそういった想念(モノ)の一つという訳か」

「ええ、これは彼女の生前の在り様が昇華されて“結晶(カタチ)”になったものよ」

 

 エヴァの言葉にイリヤが頷いた。

 

「故に裏切りと否定の剣……か、魔術と契約の成立を無効化する。…なるほど、それで私に掛けられた呪いを解くのか」

「そういう事。勿論、呪い以外の他の…例えば茶々丸や他の人形達の間にある契約なんかは解かないわ。『アーチャー』を夢幻召喚(インストール)した時に使う投影した贋作(ほうぐ)の真名解放と違って、『キャスター』本人を降ろして、その本人の真作(ほうぐ)と力を使う訳だから対象とする魔術や呪いなんかの選択は自由に行えるんだし」

「……………」

 

 イリヤがエヴァの問いに答えると、何故か彼女は黙り込んで神妙な様子でイリヤをジッと見詰める。

 

「ん、どうしたの?」

「…あらゆる魔術を無効化……ならイリヤ、それを使えばもしかすると私の――――…………いや、やっぱり何でもない」

「………」

 

 首を振って俯くエヴァが何を言いたかったのか、イリヤは察しが付いた。

 だが、イリヤはソレについて何か言おうとは思わなかった。今のように濁さずにその言葉を全て口にしない限り言ってはならないと感じたからだ―――が、しかしもう一つ理由がある。

 端的に言えば、この稀代の魔女メディアの宝具『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』でもソレは不可能だと判断したからだ。

 今こうしてメディアを身体に降ろし、エヴァを目の前にしているから判る。この魂にまで及んだ“病”を治療する事は宝具の力と神代の知識を持ってしても難しい、と。

 だから顔には出していないが正直、非常に驚いている。

 

(―――恐らく…いえ、確実に死徒化とは違う。具体的な事はより詳細に調べないと判らないけど、この感じる神秘の濃さや肉体と魂の蝕み方からして考えると……この世界には裏にシフトしていない精霊も多いようだし…………でも、そんな事があり得るの? あ、でもこれを施した造物主(ライフメイカー)は少なく見積もっても2600年以上前の人物。そんな時代に生きた人物ならその方策を識る可能性は在るのか……いえ、確か造物主は…………だとすると―――)

 

 エヴァを見詰め、密かに彼女に気付かれないように『解析』を使ったイリヤは考え込む。

 

「?…イリヤ」

「―――あ! ……御免なさい。彼女の象徴となる宝具を取り出した所為か、少し“感傷”に引っ張られ過ぎたみたいね」

 

 エヴァに声を掛けられてイリヤはハッとして咄嗟にそう誤魔化した。

 殆ど勘のような物であり、確証に欠ける現状で話すべき事ではないからだ。こんな思わぬ形で“ヒント”を手にしたかも知れない事への動揺や驚きもあるが―――いや、それすらも意図された、仕組まれた可能性もあるが……。

 

「それじゃあ、これで一突きする訳だけど……」

 

 誤魔化したイリヤは、疑問を挟ませない為にもエヴァに歪な刃物を掲げて見せ、続けてそう告げる。

 

「…けど、一応確認するわ。エヴァさん本当に良いのね。貴女に掛けられた呪いは彼…ナギ・スプリングフィールドによるもの。彼が貴女の事を想って掛けた貴方達二人を繋ぐ大切な絆でもあるのだと私は思っている」

「…………」

「それを解くという事は、その絆を断つという事にもなる。……本当に良いのね」

 

 何処か慎重さを感じさせる声色で二度尋ねてイリヤは確認する。大切な事だからだろう。

 エヴァはその言葉を聞き、眼を閉じて考える。そう思ってくれるイリヤの想いが嬉しくて、そう大事に言ってくれた言葉を良く考える為に。

 

「――――」

 

 ナギの奴が自分に何を願って忌まわしいと感じていたこの呪いを掛けたのかは判っている。昨日、イリヤと話をしてようやく理解した事だ。勿論、それを本人に確かめた訳では無い。けれど…きっとナギの事だからそれは確かな事実なのだろう。

 

(大丈夫だ。アイツ自身の手で無くともこの呪いを解かれる事はその願いに繋がっているんだ。決してそれが断たれる訳じゃない)

 

 そう内心で呟き、エヴァは頷いた。

 

「ああ、それでアイツとの関係が終わる訳ではないからな。もしそれがあるとすれば…あのままアイツが“奴”に呑まれて存在が消えるか、もしくは目覚めたアイツにその“答え”を問い質し、私達が至った“答え”と間違っていた時だ。そしてその答えを得る為にもこの呪いと封印からの解放は不可欠だ。でなくては今もアイツの……その身体に封じられた“奴”を…造物主(ライフメイカー)を狙う連中に対処出来んのだからな。だから―――」

 

 ―――構わないイリヤ、お前の手でこの呪いを破戒して(断って)くれ…!

 

「分かったわ」

 

 強く意を決して頷くエヴァに、イリヤも確りと頷き返してその手に握られた刃を振り上げて―――

 

「――――破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)!!」

 

 その真名と共に振り降ろし、エヴァの胸へと突き立てた。

 

「――――…ッ!!!」

 

 その紫色の歪な刃が胸に突き立った瞬間、エヴァの身体が光に包まれ、枷のように彼女の身体を環状に覆う呪文が幾つも、何重に浮かび―――パシンッ、パシンッと高い音を立てながら火花を散らすよう一つずつ弾けて消えて行く。

 そして―――

 

「―――ハッ、ハハハ…」

 

 呪文がすべて消えた直後……文字通りそれはやはり枷だったのか、解放感に打ち震える少女が黄金の髪を揺らして歓喜の笑い声を上げた。

 彼女が立つ場所を中心に風が巻き起こり、この談話室全体に不可視の魔力が荒ぶるように渦巻くのが感じられた。

 

「ああ、この感覚………ぼーやと()り合った時とは違う。京都で不完全な鬼神を砕いた時とも違う。本当に久しぶりだ」

 

 呪いという見えぬ重い枷が真実消えたのだと……その身体―――肉、霊体、精神、魂に感じる軽さからエヴァは実感した。

 

 ―――これで私は自由なんだ。縛るものが無くなった訳ではないけど…、

 

 そう胸中で呟く。同時に―――

 

「―――あ、」

 

 どうしてか自分でもその理由が判らずに眼元が熱くなり、銀の滴が頬を伝って零れ―――

 

「―――エ、エヴァ…さん!?」

 

 気が付くと目の前に居る白い少女の胸元に縋るように飛び付いていた。背丈は似たようなものだからやや屈んだ状態で。そして―――

 

「ありがとうイリヤ…ありがとう、本当に…」

 

 そう自然とエヴァはイリヤに感謝の言葉を口にしていた。

 

「…………」

 

 イリヤは無言で微笑むと、そんな彼女の身体を抱きしめて頭を…胸に飛び込んだ幼い少女のその綺麗な金の髪を梳くように黙って撫でた。

 

 ―――ただ、優しく労わるように。

 

 

 

 この翌日。

 近衛 近右衛門は魔王とも呼ばれた“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”の封印を解いた事と、その呪いが解けた事を関東魔法協会及び“本国”を含めた世界各国の魔法協会へ通達した。

 それに伴う様々な余波を己が責任を持って引き受けて。

 その上で、彼女―――エヴァンジェリン・アナスタシア・キティ・マグダウェルが今後も関東魔法協会に協力する事、変わらず属する事も公表した。

 

 斯くして闇なる福音は世界に再び齎された。

 

 

 

 ―――が、それは嘗てのように決して世に恐怖と災いをもたらすものでは無かった。

 

 それを人々が知るのはそう遠くない未来の事であり、そしてその忌まわしき名もその意味を変えて行く事と成る。

 

 

 

 




久し振りに丸々一話執筆という事であまり上手く書けていないような気がして文章に少し自信がありません。

エヴァとイリヤの関係がより親しげなのが気になる方も居られると思いますが…その理由はもう何話かしたら判ります。

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