麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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幕間4―――暗雲を招いた者達

 

 

 埼玉県某市の外れに建つマンションの一室に彼女達は居た。

 そこは彼女達…ひいては“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が、この日本に用意した数あるセーフハウスの一つである。

 

「すぅー…はぁー」

 

 ベランダに佇み、外の景色を堪能ながら彼女は大きく深呼吸した。

 隣接する建物が無く、小高い丘に上に建つ物件であるお蔭でベランダからは町の一角が広く見渡せた。

 この場所は、郊外付近という事もあって見える一帯は都市部のような人工的な灰色の光景では無く、民家などの小さな建物が点々と疎らに在るだけで活気に欠け、だからと言って緑豊かでも無い。何処か閑散とした風景なのだが……彼女はそれに何とも情緒的なものを覚えた。

 緑溢れる自然の雄大さも無く。整然と建造物が群を成して並ぶ圧倒感も無い。自然を侵そうとしながらも侵し切れない半端なヒトの手の入りにノスタルジーを感じたのだ。

 

「ふふ…」

 

 可笑しなことだと思った。

 自分は元々田舎…というか、自らの一族以外はヒトが住まない僻地の出であり。自然を切り開き、土地を開拓して近代的な文明や都市を築いた人々とは程遠い存在である筈なのに……まるでそれら開拓者か、その子孫のような感慨を抱くのが不思議だった。

 そんな事を思いつつ深呼吸を続け、早朝の新鮮な空気を取り入れる。

 人工物が少ない都市の外縁部だとはいえ、やはり人が住まう領域である以上、汚れの―――比較的にだが―――無い空気を味わえるのはこの時間帯だけなのだ。

 先も述べたが彼女は本来、未開とも言える僻地のヒトであり、この4年間の大半も魔法世界の僻地で隠れ暮らした彼女にとって、二ヶ月近い間、空気の汚れた都市部で過ごすのはそれなりにストレスなのだ。

 その為、それを緩和する意味でもこうして早朝の新鮮な空気を吸うのが半ば彼女の日課と成っていた。

 ただ麻帆良同様、この街も昨日雨が降っていた所為か、今朝の空気は若干湿り気があり、特有の匂いもあったが……それはそれで味わいがあるので彼女は十分に新鮮な空気を楽しむ事が出来た。

 

「―――ふう」

 

 そうして最後に肺からより大きく息を吸って吐き出すと、彼女は一度かぶりを大きく振って一帯を睥睨し、やや注意深く視線を巡らせてから部屋へ戻った。

 窓を閉めて続けて白いレースのカーテンも閉じ、外からの眼の入りを閉ざすと彼女は掛けていた伊達メガネ―――認識阻害の魔術の掛かったソレを外し、長く伸びた銀の髪を結い上げている同様の効果を持つ髪留めも取り外した。

 

「……ん?」

 

 ふと気配を感じて振り向き、リビングを見渡すと、二十代半ばに差し掛かった頃合いの女性が部屋の中央にあるソファーに腰を掛けていた。

 胸元を大きく肌蹴させ、裾にスリットが入っている着物を大体にアレンジしたような和装を纏っており、その容姿は悪くなく。整った顔立ちを持つ形の良い頭部には長く伸ばした艶やかな黒髪を飾っており、首から下もバランスのとれた女性らしい体付きをしているのが衣服の上からも見て取れ……まあ、美人と言えた。というのも銀の髪を持つ彼女と比較すると幾分も見劣りし、引き立て役にしかならないからなのだが。

 

「チグサ、おはよう。眼を覚ましたのね。もう少し時間が掛かると思っていのだけど…」

「…アイリはんのお蔭さまでな、おおきに」

 

 銀の髪を持つ彼女こと…アイリスフィールの挨拶と言葉に、チグサ―――天ヶ崎 千草は返事をしたが、その態度はどこか刺々しく、口調も皮肉気だった。

 実際、彼女はつい一昨日まで京都の一件に於ける処罰によって牢獄に幽閉されていた為、アイリと付き合いと呼べるものは殆ど無く、信頼関係は皆無であった。そもそも千草がそうなった経緯と原因の一端はアイリを含めた彼等……“完全なる世界”にあるのだ。

 アイリは彼女の不遜な態度に軽く溜息を吐くが、その理由が判るので嗜めることも追及もせず、

 

「何か食べる? 簡単なものなら直ぐに用意できるけど」

 

 未だ疲労が色濃い千草を気遣ってそう尋ねた。

 千草はそれをどう受け取ったのか、或いはどう反応して良いのか判らなかったのか。微かに眉を寄せるだけで何も言わずただ無言で頷いた。それを見、アイリは朝食の準備に取り掛かった。

 

 

 

 アイリが用意したのはトーストの他、トマトとレタスを中心にしたサラダ、白身魚のムニエルにコーンスープといった洋食だった。

 その内容に更に眉を寄せて一瞬不満そうな表情を覗かせた千草であったが、疲労に伴う空腹が強かったのか、それとも気遣って作って貰った為なのか。彼女は不平も文句も口にせず、手を合わせて合掌するとアイリの用意した朝食に黙って箸を付けた。

 そんな彼女の様子にアイリは内心で苦笑する。不満そうな表情を見せながらもそれでも文句一つ言わず、それどころか食事を用意した自分に感謝めいた感情を向けたのが何となく判り、その有り様が如何にも日本人らしい謙虚さに思えたのだ。またつい洋食にしてしまった自分への反省もあったが……。

 

「ごちそうさまでした」

「食後はコーヒーで良いかしら?」

 

 朝食を終えると先の反省からアイリは千草に食後の一服の確認を取ると、千草は構わないらしく今度は不満を覗かせる事も無く鷹揚に頷いた。単に洋食の後だからそちらの方が良いと思って妥協しただけなのかも知れないが。

 そしてコーヒーを用意し、その味と香りを楽しみつつ、アイリは千草の気分が和らいだのを見計らって話しかけた。

 

「身体の調子はどう? 疲労が抜けていないのは判るけど、他に何か異常はないかしら?」

「……まあ、疲れとる以外はこれと言ってないなぁ。…いや、ちょっと頭が重いか?」

 

 千草は一瞬躊躇したようだがアイリの問い掛けに素直に応じ、確かめるかのように自分の額へ手を当てた。

 アイリはそんな彼女を注意深く見詰め、

 

「あと熱もあるみたいね」

 

 と、僅かながら千草の頬が赤くなっている事に気付く。

 昨日、仕事を終えた直後に気を失い倒れた事といい。やはり負担が大きかったのだろう。もう2、3日は此処で安静にし、回復に努める必要がある。まあ、それでも―――

 

「この程度で済んで良かったわ」

「……」

 

 アイリは安堵するかのように笑みを浮かべ。千草は押し黙った。

 

 

 

 千草はテーブル越しに目の前に座る女神の如き美貌を持つ銀髪の美女を見詰めながら考え、思い耽った。

 関西呪術協会に属していた天ヶ崎 千草は、先にもある通り京都で起きた事件―――近衛 木乃香誘拐並び本山襲撃に関与…或いは主導した罪により処罰され、西日本の某所…日本海の何処かに浮かぶ孤島の牢獄へと文字通り島流しにされていた。

 同様に処罰を受け、京都近郊にある施設へ放り込まれた犬上 小太郎とは比べようも無い明らかに悪い扱いだが、それも当然だろう。

 何しろ根無し草の彼とは違い、千草は呪術協会の正式な一員だ。そんな彼女が木乃香という重要人物を浚い。利用を目論み、西を混乱に陥れたどころか東への侵攻をまで画策していたなどと、れっきとしたテロ…体制に対する反逆行為を自らの明確な意思で実行したのだ。

 例え裏で“完全なる世界”が手を引いていたのだとしてもそれは変わらない。千草が東を、魔法協会を、本国ことメガロメセンブリアを憎んで復讐を企んだのは確かな彼女自身の意思によるものなのだから。

 

(けど…ウチは、今こうしてのんびりとコーヒーを啜って居られる。このアイリという女とあの白髪の小僧のお蔭で……)

 

 そうは思っても……しかし、あの大戦を引き起こした元凶が“完全なる世界”である事は、勿論、千草も知っているし、目の前の西洋人の女やあのフェイトという白髪の小僧がその一員である事も判っている。

 彼等も東や“本国”と同じく両親を奪った憎い仇なのだと……だが、

 

(くそっ!)

 

 内心で口汚く罵る。

 フェイトは言った。あらゆる力が剥奪され、封じられる牢に閉じ込められた自分に、

 

『じゃあ、貴女はこのまま、一生をそこで過ごし、ただ老いて朽ちて行く事だけに成るね』

 

 そう、協力を求める彼を反射的に拒否した直後、千草はそう告げられた。

 両親を死に追い遣った発端を担い。自分をも利用した組織の人間を前にしてカッとなっていた千草はその言葉に冷静ならざるを得なかった。

 何故なら、それは紛れも無い事実だからだ。

 アレだけの騒ぎを引き起こし、西の本山を危機に陥れ、西のみならず東…引いてはこの日本に於ける極めて重要な人物に対して不敬では済まない真似をし、重罪人と成った自分はまず間違いなく二度と日の目を見ることは無い。

 東への恨みからと同情の声も無くは無かったが、それでも許されず―――特に木乃香の件については穏健、過激派共に激怒させたという事もあり―――酌量の余地は一切無しとして裁かれた。

 故に千草に選択肢は無かった。

 彼の差し出す手を取らなければ告げられた通り、自分は残された人生の全てを冷たい牢獄の中で過ごし、孤独に誰にも知られぬまま老いて朽ちる事に成る。

 

(…っ! そんなん耐えられるか! 何の意味も無く、ただ年老いて人生を終えるやなんて納得できる訳ないやろ!!)

 

 再び内心で罵った。冷たく自分を見据えて冷酷な事実を告げたフェイトを前にした時に抱いたものと同じ言葉で。

 そして千草は彼に協力を誓い。決して裏切らないように、逃げられないように強制証文(ギアスペーパー)による契約という名の枷を嵌められ―――今に至った。

 正直に言えば、本当にそうするしかなかったのか? という思いもある。可能性は低いがほとぼりが冷めれば贖罪の機会が与えられたかも知れない。

 罪を犯したとはいえど、それまでは西の一員として真っ当に職務に励んでいたのだ。人手不足、人材不足な今の協会の現状を考慮すれば在り得なくは―――

 

(……いや、それはあらへんな。木乃香お嬢様を狙い。傀儡にまで仕立てようとしたんや。仮にあったとしてもお嬢様や西へ忠誠を示す為に十中八九、ウチの力量では達成困難、生還がほぼ不可能な任務が与えられる筈や。それに例えそれを乗り越えられたとしても、その後もきつい任務ばかり回され。実質、捨て駒と変わりない扱いになる)

 

 千草は已む無くとはいえ、あの“完全なる世界”に協力する事を選んだ後悔からか、ふと浮かんだ都合の良い考えを直ぐそう放棄した。

 そう言った意味では、もしかするとマシなのかも知れない。強制証文での契約の際、せめてもの抵抗にと、対等の仲間として捨て駒として決して扱わないように申し出て、白髪の小僧(フェイト)は―――意外な事にあっさりと―――それを受け入れたのだから。

 

 

 

「―――対策を取って置いたのが上手く功を奏したようね」

 

 思い耽る千草の前でアイリスフィールという白人の女性が先程の言葉に続けてそう言った。

 その言葉に千草は意識を思考の淵からアイリへ移した。

 

「…の割には、随分ときつかったんやけど」

 

 と言い。千草は首に掛かるペンダントを始め、両手首と両手の人差し指、中指、そして髪留めなどの身体の各所に身に付けていたアクセサリー…銀の光沢を持つアミュレットを思い浮かべた。

 目の前の白き女性と契約を交わし、魔力供給を受ける事と成った際に渡された未知の術式によって作られた護符。彼女自身が制作したというそれは千草の身を確かに守ったのだろう。

 しかし―――

 

「訳判らんわ、あんなきっつい呪いを帯びた魔力を持つやなんて、一体何なんや? アンタはそれを持って何で平気なん」

 

 それは当然の疑問だった。

 今回、千草は彼女の力を借り、その膨大な魔力に任せて幽世(かくりよ)から呼べる限りの鬼やら烏族やら妖狐やらの異形の軍勢を召喚した。

 その今までにない。かつて木乃香お嬢様から借り受けた時以上の力の奔流と術の行使に千草は酔いしれ、限りない高揚を覚えた。

 だが同時に身を焼き焦がす…或いは熱く溶解させられるような苦痛が身体の内深くから奔り、召喚した軍勢も身悶えすると同時に身を黒く染め、異様な変貌を起こした。

 苦痛と共に精神を苛む正に猛毒や麻薬としか言いようがない魔力……千草がそれに耐えられたのは、アミュレットの効果と事前にそうなるとだろうという話を聞いていたからだ。

 尤も聞いた時は、アイリの持つ風貌と穏やかな雰囲気から大げさだと話半分程度に受け取っていたのだが、こうして体験し実感した以上は認識を改め、尋ねずには居られない。

 

「それにバーサーカーやら、ランサーやら、とんでもない化け物までアンタは使役してる。ほんま何もんなんや?」

 

 

 

 千草の訝しんだ視線と問い掛けを受け、アイリは僅かに考えるかのように瞼を閉じ……そうして間を置いてから千草に答えた。

 

「……“アイリスフィール”は“魔術師”よ。確かにあなたが知る“魔法使い”とは違うし、生まれも特殊だけど、そう大した力は無いわ。ただ“今の私”はとある儀式の結果、強大な力を持つ彼等を使役できるようになり、膨大な魔力持つ代わりに呪いをも持っている。そういった存在―――としか言えないわね」

 

 結局、アイリは千草の疑問に答えなかった。

 それはフェイト達も対しても同じだった。彼等に拾われ、世話に成っている恩もある。そして自らの持つ呪いに不審を抱いている事も分かっている。けれどアイリはアンリマユ(じぶん)の正体を明かす積もりは無い。

 だから並行世界からの来訪者であり、彼等にとって未知の神秘を扱える以上の事は詳しく話してはいない。サーヴァントに関しても聖杯戦争の事は伏せてある。

 ある儀式によって召喚された神話や伝承に名を刻んだ過去に存在した英雄達だとしか説明していない。

 ただデュナミスは高い興味を示し、非常に詳細に聞きたそうにしていたが、“第三法(まほう)”に至らず足も掛かっていないこの世界では英霊の召喚は不可能だと言うと、これといって問い詰める事も無く、何か納得した様子で諦めた表情を見せていた。

 

「…さよか」

 

 千草もまたアイリに答える気が無い。もしくは答えたくない事なのだと察したらしく、短くそう呟くとアイリから視線を逸らしてレースのカーテン越しに見える窓の風景へ顔を向けた。

 アイリは彼女の横顔を見詰め、その心情を推し計りつつ今度は自分が問い掛けた。

 

「それはそうと、チグサ。召喚したあの鬼達を上手く御せなかったようだけど、やっぱり負担が大きかったせいかしら?」

 

 そう言うのは、麻帆良に少なくない数の死者を出してしまったからだ。

 先の京都の一件の影響で“完全なる世界”は、当初あった計画を修正せざる得なくなっており、その一環として麻帆良への被害は極力抑えるようにと方針を切り替えていた―――その筈なのだが、

 

「凡そ十人前後。…確認出来た範囲でそれだけの被害が出てる。勿論、鬼達にまで私の魔力(のろい)の影響が出たのは予想外だったし、貴方自身にも影響はあったとは思う。けど―――」

 

 けど―――そう言葉を切ってアイリは千草を凝視する。

 千草はその視線に動じず、窓の方へ顔向けたままで一見すると平然としているかのように思えたが、アイリの眼を誤魔化す事は出来なかった。

 目の前の呪符使いの表情は微かに強張っており、動悸が高まったのか微かに呼吸が乱れているのが見て取れた。

 アイリは軽く溜息を吐いた。その様子を見るに答えは明白だからだ。

 千草は東に恨みを持っている。つまりあの被害は彼女の私情によって齎されたもの。

 無論、アイリが言うように“この世すべて悪(アンリマユ)”の呪いの影響で鬼達までもが黒化を起し、彼女の恨みや憎悪といった負の感情が増幅され、焚き付けられた所為もあるだろう。

 しかしそれでも抑える事は可能だった筈だ。その為のアミュレットであり、可能な限りの“濾過”でもあったのだ。けれど、まあ―――

 

「―――ふう…まあ、いいわ。私も人の事は言えないしね」

 

 京都でキャスターを抑えられなかった自身の失態を思い出して追及を止めた。

 それに千草にとってみればその京都の件以来ずっと不本意な状況に置かれている。況してや仇である組織に身を置く事に成り、その上、同じく仇だと思い込んでいる東の本丸である麻帆良を目の前にしたのだ。

 それを思えば、責めるのは酷に思えた。とはいえ…

 

「…でも、今後は注意して」

 

 一応そう注意して置いた。

 彼女には今後も自分達に協力してもらう積りだ。足を引っ張る真似はこれ以上して欲しくは無い。

 千草は、恐らく経験が不足している所為なのだろうが。判断力や精神面に未熟な所こそ見えるも、呪符使いとしては一流の域に手が届いている。木乃香や自分の魔力の提供があったとはいえ、数百体の鬼を召喚し従えられる事からもそれは確かだ。そんな彼女の加入は人員不足の今の“完全なる世界”にとって得難いものだ。

 だからこそ千草には気を付けて欲しいと思う。強制証文の縛りこそ在れど、余り此方の意を沿わない行動を繰り返すようであれば、切り捨てざるを得なくなるのだから。

 やや厳しい視線で注意するアイリに千草は振り向き、口を開き掛けて一瞬何か言いたそうにしたが―――アイリの険の籠った視線を受けて口を閉じ、俯いて大人しく頷いた。

 気丈にも平静を取り繕おうとしているようだったが、今度はアイリでなくとも誰にでもハッキリとした狼狽が窺えるほど表情が硬くなっていた。

 そこにあるのは明らかな怯え…恐怖だ。

 それは千草がアイリの事を訪ねた時…いや、リビングで彼女を目にした時から何処となく感じていたものだ。

 

(当然と言えば当然よね)

 

 裏社会に於いて悪名高いあの“完全なる世界”の仲間であり、膨大な魔力と共に強大な呪いを身に宿し、圧倒的な力を持つ英霊(かいぶつ)を何体も使役しているのだ。

 人並みならぬ技と力を持ち一流に手が掛かっている呪符使いと言えど、人外とは言えないまだ人の領域にある千草にとって、アイリスフィールというのは得体の知れない恐ろしい存在(かいぶつ)でしかない。

 勿論、味方であるという事も理解しているだろうが、付き合いが皆無の現状。そんなものは抱く疑念と恐怖を振り払うには微々たるものだろう。

 

 千草の自分に対する恐れを敏感に感じ、アイリはまた溜息を吐きそうな思いを抱いたが、魔法世界に残った自分を慕う少女達も出会った頃はこのような感じであったこと思い出し、

 

(これも時間が解決してくれるかしらね。怯えられても嫌悪されている訳じゃあ無さそうだし…)

 

 そう、取り敢えず前向きに結論付け、千草との事はこれ以上考えないようにして、気持ちを切り替える為に手元のカップを口元へ運び、コーヒーを味わおうとした途端―――レイラインを通じて呼びかけるものを覚えた。

 アイリは視線を湯気が立つカップから逸らし、正面の千草から右側の奥……日当たりの悪い、影掛かった部屋隅へと向けた。

 すると部屋の片隅……暗い影から浮き出る様にしてソレが現われた。

 影の暗さに身を潜めるかのような黒い肌を持ち、同様に黒い装束を纏い。しかし相反して…いや、敢えて際立たせ、誇示するかのような不気味な白い髑髏の面を被った異装の女性。

 それは、アイリが使役するアサシンと呼ばれる英霊。とある暗殺教団の長に受け継がれる山の翁とも言われるハサンの名を襲名した一人だ。ただ彼女ないし彼は生前、多重人格であったが故に魂が分割され、個にして群たる英霊―――尤もハサンは正確にはそこまで高次の存在に昇華されていないのだが―――として存在している。

 この女性の個体はその分割した魂……群体の統率者的な立ち位置にある。

 アイリは表情の見えない彼女を見詰めると、アサシンは無言であったがその意を理解したかのようにアイリの視線に頷き返した。

 千草は、背後に位置しているので突如出現したアサシンに気付いておらず、俯いたままテーブルの上にある自分のコーヒーカップをぼんやりと見つめていた。アイリにしても敢えて口にする必要は覚えず、アサシンに姿を消すように視線で命じると千草に告げた。

 

「彼が来たわ」

「へっ!?」

 

 何の脈絡も無く告げた為に千草は眼を瞬かせて顔を驚かせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ご苦労様。アイリ、千草さん」

 

 アイリが脈絡のない言葉を発してから数分後、部屋にはアイリと千草に加えてもう一人…白髪が特徴的な幼い少年―――フェイトの姿があった。

 言うまでも無い事ではあるが、彼は今回の作戦に直接参加してはいない。では何をしていたかと言うと。

 彼は、千草と小太郎を西の監視下から解放した後、そのまま西を転々とし、東との和解に向けた動きがどのように今の西に影響しているのか、その情勢を密かに探り続け、また今回引き起こした騒動での西と東…双方の動向をアイリと別行動を取ることでより広い範囲で観察し、情報の収集と分析に当たっていたのだった。

 なお、この消極的とも言える行動には、前回の騒動におけるフェイトの失態により自分達―――“完全なる世界”が今もなお健在であり、今尚暗躍している事実が知られた事が大きく影響していた。

 

 そう、残党と化した“完全なる世界”の統率者(リーダー)という立場に―――不本意であっただろうが―――現在あるデュナミスは、協力者とはいえ、あくまでも外来の人間にすぎないアイリはともかく、フェイトという最も信用できる手札を“アジア圏最強の魔法使い”が居座る麻帆良に投入し、万一にも損失する訳にはいかなかったのである。

 

「フェイトもご苦労様」

 

 フェイトの労いの言葉にアイリは笑顔で答え、千草は黙ったままフェイトをややきつい視線で睨んでいた。

 そんな正反対な態度の二人を前にし……アイリは兎も角、千草の視線をも気にしていないのか、フェイトは何時もの感情の見えない表情でアイリが用意したコーヒーを啜った。

 

「……」

 

 口には出さなかったが、アイリはフェイトの口元が微かに緩んだのを見逃さなかった。

 隣に席を移り、同様にフェイトと対面している千草が気付かない程度の本当に微かなものだったが、アイリは彼が自分の入れたコーヒーに合格点を出したのを理解し、嬉しく感じていた。

 

(シオリに学んで苦労した甲斐があったわね)

 

 と。アイリは内心で呟いて妹分兼娘代わりである少女達の一人に感謝した。

 そうしてフェイトがコーヒーを堪能するのを見、彼のカップが空に成ると、

 

「報告の方はアサシンの一人から一応受け取っている訳だけど……改めて今回の件を聞かせて貰えるかな」

 

 フェイトはそうアイリに尋ねた。

 改めてそのようにフェイトが報告を求めるのは、自分達の存在が明るみに成り、警戒が強まった所為で念話などを通じた通信や情報伝達を迂闊に行えなかったからだ。もし警戒厳と成っている今のこの日本で不審な魔力波はないし霊波を飛ばせば即探知され、両協会に捕捉されかねないのだ。

 そういった厄介な事情もあり、別行動を取っていたフェイトへの連絡は報告書…というか手紙という形でアサシンを使いに出して簡潔に行っていた。

 フェイトの静かな問い掛けにアイリは浮かべていた笑みを潜め、意識を切り替えると表情も引き締める。

 

「そうね。……手紙の方でも伝えたけど、取り敢えず結果から言えば目的はほぼ達した…と言って良いと思う。“姫巫女”の存在に“英雄の息子”の潜在能力……脅威度の確認。そのネギって子の無力化は失敗したけど、それはあの悪魔の力に制約を課した事から、まあ…予想されていた訳だし。麻帆良にある戦力の方は貴方達の分析頼りなんだけど―――」

 

 そう、結果から入るアイリの報告にフェイトは耳を傾ける。

 

 アイリの言う通り今回の一件での主な目的は、彼等―――“完全なる世界”の最終的な目的達成に必要不可欠な(かなめ)……“黄昏の姫巫女”の存在の確証と、天敵であった“赤き翼(アラルブラ)”の中心人物……ナギ・スプリングフィールドの息子の脅威度の測定とその無力化であった。

 

 黄昏の姫巫女については、 “赤き翼”との関係や彼等と行動を共にしていた経緯もあり、兼ねてから件の英雄御一行様の一人であるタカミチ・T・高畑が身を落ち着けた麻帆良に在ると目星を付けていた。

 無論、同様に青山…もとい近衛 詠春が長を務める呪術協会や、消息は不明だが、生存が確定しているJ・ラカンの下に匿われている可能性もあったが、最後に姫巫女を捕捉した時、共に行動していたのがガトウ・K・ヴァンデンバーグとタカミチで在る事は判っていた。

 

 しかしその直後、それまでの幾度に渡る天敵らとの戦闘によって疲弊していた“完全なる世界”は、メガロメセンブリアとヘラス帝国が有する特殊部隊などの諸々から執拗な追跡と攻勢を受け、現実世界は愚か魔法世界での活動も厳しくなり、更に数年後には止めとばかりに“悠久の風”に加わったタカミチの徹底した追撃が加わり。事実上壊滅状態に追い込まれ、麻帆良へ手を出す余裕を完全に失ってしまい。昨今まで動く事が出来なかったのである。

 

 尤も昨今活動を再開したとはいえ、その悪名の高さ故にほとぼりが冷めることは未だ無く。大々的に動く事も組織力を回復させる事も不可能に近い事もあり、今後も“死んだふり”を続けて地下深く暗躍する積もりであったのだが―――それも京都での計画の失敗により、己らの存在が明らかに成った現在では難しくなっていた。

 ただ怪我の功名というべきか、その一件のお蔭で―――そう、まさかあのような突発的な計画の中で姫巫女らしき人物……神楽坂 明日菜を見出すという思わぬ僥倖を得られたのも事実だった。

 勿論、その時点では例のアミュレットも在って確証は得られなかったが、麻帆良に在る可能性が高いと踏んでいた事や容姿が近い事から限りなくクロだと思われた。

 

 そして今回、その確証を得る事を始め、様々な目的を含んだ本作戦を実行し……結果、神楽坂 明日菜が姫巫女である事が確定した。

 ただし目的の一つであったネギ・スプリングフィールドの無力化の失敗は想定の範囲内とはいえ、天敵の息子である彼の健在は“完全なる世界”としてはやはり残念な事であった。況してや秘める潜在能力が判明し、京都でフェイトに一撃を入れたのはまぐれで無かったという事なのだから尚更だろう。

 『蛙の子は蛙』もとい『鳶の子は鷹にならず』もとい…“鷹の子はやはり鷹だった”というべきか、最終目的の達成と“彼”の復活を大きく阻む危険性が高く、注意すべき事である。

 またもう一つ……厄介な事に今回も急遽作戦を―――本来なら学祭時期を狙って行なう筈だった計画を繰り上げて―――実行した所為か、思わぬ事態が生じ、小太郎が裏切った事によりヘルマンが麻帆良に捕獲され、情勢を変化させうる不確定要素が生まれてしまったのも大きく留意すべき事であった。

 

 フェイトはアイリの報告の耳にし。黄昏の姫巫女を特定したという成果に自分の目利きが間違ってなかったという満足感を覚え、注意すべきだとしてもネギが無力化しなかった事実に高揚を感じ、留意すべき不確定要素にどう対応すべきかに思考を割いていた。

 そうしてアイリの報告が一通り終えると、ご苦労様と改めて彼女を労い、千草に視線を向けた。

 

「思った以上の損害を与えてしまったのは、残念だったけど。まあ、仕方が無いね。コレはこちらのミスだけという話では無いだろうし、千草さんもアイリとの契約直後での初めての呪術行使な訳だからね」

 

 麻帆良に死人が出たのは、戦闘である以上当然そう言った結果は付きまとう事であり、麻帆良の魔法使い達の運や判断の善し悪しもあるから仕方ないとフェイトは言外で言いつつ、アイリと同じく視線で釘を刺すかのように問題のある呪符使いに目を向ける。

 千草はフェイトの視線に顔を怯ませたが、アイリの時のように大人しく頷かず……恐らく京都の件もあって含む感情が強かったのだろう。すぐさま怯みを隠すと反感を込めた視線を返し、挑発的な口調で小馬鹿にするように言葉を発した。

 

「フン…にしても、えらく回りくどい、面倒なやり方やな。“姫巫女”ゆーのが重要なもんならあのまま浚ってしまえばええのに。今だってこうして逃げられ、隠れられとる、変に気をまわし過ぎや」

 

 千草にして見ればそれは小さくない疑問であり、慎重過ぎると感じる事だった。

 彼女の言葉にある通り、“完全なる世界”は、自分達の再起が知られた事から姫巫女の奪取を延期していた。

 何故なら迂闊に姫巫女を奪取してしまうと、“完全なる世界”は身を隠す直前と同様、多くの組織から執拗な追跡を受けかねず、悪ければ今度こそ壊滅し、良くても追跡を躱すのに精一杯となり、計画達成どころでなくなる可能性が高いと考えられたのだ。

 もしこれが己らの存在が発覚する以前であれば、麻帆良に対しては“本国”などの仕業に見せかける事も出来、互いに争わせるように仕向ける事も可能だっただろう。

 ……しかし、知られた今と成れば、まず間違いなく筆頭候補として麻帆良は自分達に疑惑の目を向ける。

 無論、“本国”の方へも向けるだろうが、疑惑を向けられた“本国”にしても事が明らかになり、事態を把握すれば、麻帆良―――“人間界・日本支部”が姫巫女の存在を秘匿していた事を追及する以上に、筆頭候補である自分達の警戒と追跡へまず間違いなく力を入れる。

 

 そうなると後の祭りだ。姫巫女の存在とその価値を知る様々な組織、国家が自分達を目標したフォックスハンティングに乗り出す。

 恐らく麻帆良を始め、比較的真っ当な思考を持つMM元老院の良識者による派閥やヘラス帝国の第3王女を筆頭とした勢力が水面下で手を組み、各国と共闘という形に誘導するだろう。

 何しろ“完全なる世界”の最終目的―――その行為の行方は自らの住まう世界の“崩壊”だ。その危険性…危機感と恐怖を煽り利用すれば状況をコントロールするのはそう難しい事では無い。

 

 千草にはそれらを含め、姫巫女を今手中に収めるのは危険だと一応説明してあるのだが、彼女はその辺の機微がどうも判らないらしい。京都の件にしても多少は煽ったとはいえ、彼女の行動と思考はどうも楽観的と言うか安直であった。

 今も、逃げ切れさえすれば良い。さっさと計画とやらを進めてしまえば此方のもの、と。どうも安易に考えているようなのだ。

 アイリとフェイトは溜息を吐きたい思いに駆られる。それが出来るのであれば苦労はしないと。

 両世界の殆どを敵に回し、自分達に対する監視と警戒網が引かれる中で出来る訳が無い。幾ら我が“完全なる世界”が情報工作が得意なのだとしても限界はあるし、その手の長さも最盛期とは比べようも無いほど短いのだ。

 だからこそ脅威度を低く見せ、小規模な残党という不名誉に甘んじて敵に侮らせ、決して多くの耳目を集めぬように状況を整え、そして機を定めて一挙に計画を達成しなくてはならない。

 

「千草さん。油断は禁物だよ。自己過大に評価し、敵を侮れば痛い目に見ることになる」

「そうよ、貴女も京都で身を持って体験しているでしょう?」

「う…」

 

 厳しい視線を向けて告げる二人の言葉に思い当たる事があり過ぎる千草は思わず呻いた。

 まったくもって事実だからだ。

 京都の事件で自分の力を過信し、ネギを子供と侮り、刹那を見習い剣士と嘲り、油断して痛い目に遭った。

 それを思い出した為か、千草は肩を沈ませ。それを見たアイリも肩を竦ませた。

 

「ま、これもチグサの事は言えないんだけど…」

「……京都の件に関しては僕も人の事は言えないけど―――アイリのは、やっぱりあの子の事かい?」

 

 フェイトの問い掛けにアイリが首肯する。

 

「ええ、まさかあのバーサーカーを退けるなんて、少しあの(イリヤ)の事を甘く見ていたわ。まさに油断大敵よね」

 

 少し悔しげな表情を見せるもののアイリは、前回同様何処か楽しげに嬉しそうに言った。

 相変わらずフェイトには理解し難い事である―――が、そう感じると共に彼の脳裏に自分の顔に拳を打ち込んだ赤毛の少年の姿が浮かび、同じく腹へ重い一撃を入れた件の白い少女の顔が何故か過ぎり、アイリの抱くものとは違うと思いつつ、何と無く彼女の抱く感情が理解できた気がした。

 しかし、理解できたとして―――気付かぬ内に高揚感が湧いたとして―――も、ネギの無力化の失敗と同じく…いや、それ以上にアイリの娘の確保失敗は大きな痛手であり、予定外な事態だ。とても喜べるものでは無かった。

 あの少女が有する戦力は勿論のこと、少女が秘める“魔術”なる異世界の技術体系が麻帆良で活かされている現状は……そしてそれらが麻帆良の枠を超えて広まる可能性は無視できない事だ。

 

「……」

 

 それを判っているのだろか? と。フェイトは若干訝しみながら悔しそうでありながらも口元に笑みを浮かべるアイリの顔を見詰めた。

 その視線に気付いたのだろう。アイリは訝しげな彼を安心させるかのように言う。

 

「大丈夫よ。あの子の考えが変わらず、次もおいたをするようなら親として私が確りと躾けるから」

 

 楽しげな笑みは潜まり、アイリは腕を組むと真面目な表情を見せた。

 そして千草の方に視線を一瞬送り、

 

「それに、私達―――“アインツベルンの技術”の方も、イリヤも多くに識られる事は快く思ってはいない筈だし、今の状況を見る限り、麻帆良の上役も慎重に扱っているみたいだから、少なくともアミュレットや関連する“技術”が外に出回る心配は無いと思う」

 

 既に知るフェイト達は兎も角、余り“魔術”に言及したくない思惑もあって千草に悟られないようにアイリは遠回しにフェイトにそう言葉を続けた。

 それらアイリの言葉を受け、フェイトは訝しげな視線こそ収めたが…軽く溜息を吐き。今度は眉を寄せ…微かではあるが鉄面皮な彼にしては珍しい渋面を作った。

 

「…気楽に言うね。アイリの力を疑う訳じゃないけど、でも事実バーサーカーは敗れて、君の娘は京都の時とはまた別の力を見せている。言うほど簡単に行くかな? “技術”の方にしてもそれだけで出回る心配が無いという保障は無い訳だし、肝心の麻帆良から彼女も技術も遠ざけられないのはやっぱり問題だよ」

 

 フェイトと“完全なる世界”にして見れば、今回の作戦でアイリの娘の確保は既定路線であった。確かにあの少女の見せた力は彼でも勝利を得るのは難しいほど強大なものだったが、それでもアイリが従えるバーサーカーやランサーといった一級の英霊には大きく及ばないものだ。

 だからこそフェイトはバーサーカーを差し向ける事から、イリヤが此方の手に落ちるのは確実だと見ていた。しかし―――

 

「……そうね」

 

 アイリは頷く。

 今回、イリヤの見せた力はアイリにしても予想外のものだった。

 イリヤが何らかの方法で英霊の力を身に宿している事は判っていた。聖杯戦争の仕組みに錬金術を応用すれば理論上は可能であるし……或いは“アイリスフィール”が関わった四回目の戦いの後にルールや召喚方式が変わったのかも知れないとも彼女は考えていた。

 その為、イリヤが京都で示した力はアインツベルンが五回目に用意した英霊のものであり、その一騎のみを娘は扱っているのだとアイリはその先入観から思い込んでしまっていた。

 

(本当…迂闊よね。あの子もまた聖杯の守り手……いえ、より洗練された設計を持つ次世代のホムンクルス(せいはい)で在る事を考慮せず、見過ごすなんて)

 

 昨日イリヤが見せた別の英霊―――確か……ゲイボルグと言ったわよね―――の力を思い起こし、アイリは反省する。聖杯の守り手であった自分同様、聖杯その物として造られたあの愛しい娘もまたこの世界では複数の英霊の力を扱えるのだろうと認識を改めて。

 

(……もしくはそんな事はあり得ないのに、イリヤが聖杯であって欲しく無いと無意識に願っていたのかしら?)

 

 アイリであってアイリでない彼女はそうも思い。愚かな考えね、と。内心で嘆息する。

 ともかく、フェイトの杞憂は判らなくはない。

 アーチャーだと思われる赤い外套の装いを持つ、規格外の『投影』を駆使できる英霊も基礎能力(パラメーター)はそうでもないが、その能力は第四次のアーチャー並みの脅威を有する可能性はあり、ランサーであろうアイルランドの光の御子も間違い無く一級の英霊だ。

 もし残りのクラスの英霊の力も扱えるのだとしたら、幾らイリヤ一人だとはいえ、それら英霊の能力次第では次も思わぬ反撃を受けるかも知れない。

 アイリは視線を落とすとテーブルの下に隠れる自分の足元……己の影を、更にその(なか)に在るモノを見通すかのように目を細め、

 

「……でも安心して、イリヤが如何なる力を持って阻むのだとしても私が何とかするわ―――必ずね」

 

 アイリは顔を上げると、渋面を見せるフェイトを強く見据え、宣誓するかのように自信を持ってそう断言した。

 

「…………――――ふう、分かった。君の娘が僕たちの前に立ちはだかり、戦う事に成るようであれば……アイリ、全面的に君に任せる事にする。デュナミスにもそう伝えておくよ」

 

 アイリと十秒ほど見詰め合った後、フェイトは根負けしたかのように溜息を吐いてアイリの言葉に頷いた。元より現状ではイリヤの相手はアイリに任せるしかないという問題もそこにはあるのだろうが。

 アイリはフェイトが首肯した事が嬉しかったのか笑みを浮かべる。

 

「ふふ、ありがと」

 

 表情を綻ばせて礼を口にし、続けて次の問題についても再び話す。

 

「それと、“技術”の方は確かに完全には保障出来ないし断言も出来ないけど、それでも大きく普及することが無いのは、確実よ」

「根拠はあるのかい…?」

「ええ、フェイトは知っているわね、私とイリヤは“魔法”を使う上で“特殊な方法”を用いているのを」

 

 所謂、魔術回路による魔力生成や基盤を通じた魔術行使の事だ。彼女と出会い程無くして聞いた事であるから当然、フェイトは首肯する。

 

「先ずその方法なんだけど、使える人間がとても少ないのよ。それこそ万人に一人、十万人に一人と言うくらいにね。そしてもし仮に居たとしても殆どの場合、私やイリヤのように世代を重ねた一族や家系でないと大して術も使えないし、力を発揮することも出来ないわ」

 

 そう、アイリ達が居た世界でさえ、魔術回路を持つ人間は稀有な物であったのだ。そして回路を持っていたとしても魔術師として代を重ねていなければその本数は少なく、扱える魔術は勿論のこと運用や効率もまた非常に限られてしまう。

 アイリは知る事では無いが、魔術師の家系の生まれでは無いにも拘らず、特化した才を見せた第五次に参戦した切嗣の息子や、先天的に素養に恵まれた埋葬機関第七位などは例外中の例外なのだ。

 

「つまり、技術を学べる人間、使える人間は限定されているから広めようと思っても広められない…と、出来たとしても長い年月が必要という訳か」

「そういうこと。まあ…術式に応用できる部分はあるけど、イリヤや私が作るような高性能なアミュレットは勿論、これまでの魔法体系にも劇的な変化は起きないわね…多分」

「…ふむ」

 

 フェイトは顎に手を当てて頷く。先程の事とは異なり、納得できる部分が強い為か、表情もどこか腑に落ちたといった風に見えた。

 しかしアイリには、まだ明かしていないイリヤが魔術を広めないと考える訳……秘匿する理由があった。

 アイリはこの数年間、この並行世界で過ごし“魔法”と“魔術”について調査と研究を進め。その過程である推測を行なっていた。

 それは、嘗てこの世界にも元の世界と同様に“魔術”が存在し、“魔術師”こそが神秘を成す人間の主流であったというものだ。

 

 恐らく、この世界は神話の時代。神代の頃に根源から“魔術”という秘儀を汲み取り、そこから数百年から千年ほどの経過した後、何者かが―――或いはそれも魔術師なのかも知れないが―――更に根源から“魔法”と言うカタチの別の秘儀を世界に汲み込んだ。

 そして時を経るごとにその汎用性や難度から神秘を扱う者達の主流が“魔術”から“魔法”へ取って代わっていった。

 

 ―――そう、神秘を成すという手段そのものに固執して、根源への到達という本来在るべき目的が忘れ去られて、だ。

 

 アイリは元の世界と変わらずある神話や伝承に神秘と秘儀の足跡。変わって存在する魔法学やその歴史の他、倍前後にこの世界に満ちる大源(マナ)の量と神秘の変遷など―――類似性と非類似性を比較してほぼそう確信していた。

 

(……イリヤも気付いているでしょうね)

 

 地下に潜り隠遁している彼等の下よりも恵まれた環境に置かれた愛娘(イリヤ)は、自分が至った推測に既に辿り着いているだろう。

 だから判っている筈だ。

 広く普及し一千万単位の人間に識られて扱われる“魔法”よりも、今や誰一人識らず扱われない“魔術”の方が断然神秘が色濃いのだと。魔術で作られたアミュレットが高い効果を発揮したのはその一端なのだと。

 そう、イリヤが魔術を広めないとアイリが考えた最も大きな理由は、“魔法”に対する“魔術”のその優位性がある為だ。

 確かにこの世界の“魔法”は魔術と比較すると極めて扱い易く。危険性も少なく。少ない魔力でも世界に在る精霊の力を借り受けられる為に、一部自然干渉などの及ぼす“現象の結果”はとても大きい。魔術の持つ制限の大きさや命を天秤に掛けなければならない危うさ、多大な手間を掛けてまで起こせる“現象の結果”との差などは理不尽にすら思える程だ。

 だが、比較に成らないそれら諸々故に“魔法”は普及し過ぎ、イリヤの知る世界の“魔術師”以上に“魔法使い”の数は増え、“秘するべき純度”を損なってしまった。

 その扱い難さから可能性は低いが、もし魔術の存在がまた識られ、扱える人間が現われ、魔術師が増える事に成れば、純度は薄まりその“(ランク)”は低下し、それだけ“魔法”への優位性は縮まるだろう。

 

(要するに自然干渉や汎用性に劣る“魔術”では、自然干渉と汎用性に勝る“魔法”が引き起こす“物理的な現象”…その“結果”に迫り勝れない以上、対等に渡り合う為にも神秘の純度…“(ランク)”の差ともいうべき最も大きなアドバンテージをわざわざ手離す事はあり得ないって訳だけど)

 

 ついで言えば、魔術という源泉をほぼ独占し使い放題な現状を自ら手離すのも“魔術師”としては非常に惜しく選び難い事だ。アイリもその(さが)から逃れられないのか、自然とそう思うし、恐らくイリヤもそうだろう。

 

(なんだか度し難いというか、少し悪い気もするわね)

 

 アイリとしても魔術の優位性を捨てたくは無く、また魔術師の性から生じる欲望もあり、フェイト達にも自身の推測ないし推論を黙っている事に彼女は僅かに気後れしたものを感じた。

 

 それら魔術と魔法に関する思慮に耽っていたアイリであったが、ふと気付いて意識を話し相手であるフェイトの方へ戻した。

 

「…………」

 

 彼は顎に手を当てた姿勢のままであったが、納得して頷いていた表情は消え去っており、何時もの無表情でアイリの同様に何処か思慮を巡らせているようだった。

 アイリは首を傾げ、彼が口を開くのを待つべきか、それとも何を考えているか此方から尋ねるべきか、迷い……フェイトが呟いた。

 

「もしかすると、君の娘が麻帆良に残ったのは幸いなのかも知れない」

「え?」

 

 突飛な言葉にアイリは唖然とした声を零した。

 

「麻帆良に姫巫女を残すもう一つの理由は分かっているよね」

「え?……ええ、彼女を確保する事が私達に困難な状況を招く以上、来るべき時までこれまでと同様、麻帆良に姫巫女を守って貰うためでしょ? その為になるべく彼等に損害を与えない方針を取ったのだから」

「そう、麻帆良―――関東魔法協会には、僕らに代わって姫巫女を守り続けて貰わなくてはいけない。彼女を狙う組織は数多に存在するのだから」

 

 それは判っている。けど―――アイリは戸惑い。フェイトに疑問を投げかける。

 

「でも、イリヤが必要という事は無いと思うわ。確かに想定外の損害を与えてしまったけど、それでも麻帆良はこちらの世界の中でも屈指の守りを持っていて、戦力に恵まれているのでしょう? それに例の西との協力体制もある訳だし……そもそも姫巫女の居場所に確証を得ているのは麻帆良と赤き翼のメンバー除けば、私達だけの筈―――」

「――――そうだね。アイリの言う通りなのかも知れない。けれど今回の事件で“本国”は間違いなく、麻帆良に対して大きなアクションを取る。いや、取らざるを得ない」

「…それは―――」

 

 どういうこと? とアイリは問い掛けると、フェイトは無表情で抑揚に乏しいにも拘らず、何処か深刻に感じる声色でそれに答えた。

 

「ヘルマン伯……ネギ君と因縁のある彼を刺客として差し向けたのは失敗だった」

 

 そうフェイトは言うと、アイリに六年前…ネギを狙って起きた愚かな陰謀劇とその末路を語り。それによる今回の失態が如何なるものか、どう転じるか判らない旨を告げ、

 

「こう言うのは君にとって不愉快だろうけど、ネギ君の存在共々、君の娘が目暗ましになってくれることを期待しなくてはいけない」

 

 と、自らの言葉を締めくくった。

 

 

 




 原作では修学旅行編でしか登場しなかった千草が再登場(本作では初ですが)。本文にある通り、人材を欠いたフェイト達がそれを補う為に確保しました。
 戦力としては一流に一応届く物の、実戦不足で荒削りで精神的に未熟としています。

 アイリが語った魔法と魔術の関連の設定は突っ込みどころ満載で結構苦しいと思いますが、強引なクロスオーバーである以上、少し見逃して欲しい所です。

 ヘルマンついては原作を読まれ、18話の決着部分を見て…その結果がもたらす問題について気付かれた方は多いと思います。次回はその部分も触れます。

 

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