麻帆良に現れた聖杯の少女の物語   作:蒼猫 ささら

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今回と次回は結構オリジナル色が強いです。


第8話―――彼女と彼女の事情 前編

 閉じていた目を開け、俯き加減だった視線を時計へと転じる。

 時刻は朝の5時過ぎ、それに彼女は何となく既視感を覚えたが、これといって気にする事もなく固まった身体を解そうと大きく背を伸ばして首を捻った。

 

「ふう…もう朝かぁ…。記憶が戻ったお陰か、以前と比べたら大分慣れた感はあるけど、やっぱり一晩掛けて魔術を使うのは堪えるわね」

 

 この2日間近くを此処で独りきりで過ごした為か、イリヤは独り言が増えたようで思考を無意識に口に出していた。

 

 そこは全面が石張りの小さな部屋だった。

 5m四方の狭い部屋で、飾り気は一切見当たらず、窓さえも無く。あるものと言えば天井近くの小さな換気口と壁に掛けられた時計ぐらいと、非常に殺風景な場所だった。

 

 ―――ただし、床に描かれた銀色の文様を除けばであるが。

 

 それは水銀で用いて描かれ、固定化された直径3m程の魔法陣だ。それだけでこの殺風景な部屋は、ある種の存在感が増して異質な雰囲気を漂わせていた。

 その魔法陣の中心にイリヤは歩を進め。そこに置かれた一振りの野太刀…正確には鍔や柄さえも無い、刀身のみのそれを手に取る。

 

「う~ん。上手く行っていると思うんだけど…」

 

 慎重に扱い、様々な角度から鋭利な白刃を見定める。

 

「こういう時こそ『アーチャー』の能力は便利よね。…解析開始(トレースオン)

 

 エミヤ特有の解析の魔術を使用する。

 そして、秒という時間も掛からずにその実態を把握する。

 

「うん! 最後に試しにやって見たけど、初めての武器加工にしては上出来ね! 上手く行った! あとはしっかりと拵えてセツナに試験的に使って貰うだけね」

 

 予想以上に上手く言ったことに喜びを隠さず、イリヤは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 イリヤは仕上がった代物を保管に利用している隣室に移し、帰り支度を整えると階段を昇って地下である其処から上がり、その建物を後にした。

 当然、鍵を掛けて魔術的な施錠も忘れてはいない。

 その建物は、濃淡な黒で配色されたかつて喫茶店であった所だった。そう、以前、明日菜の誕生日を祝ったあの場所である。

 

 何故イリヤが閉店した喫茶店に居り、そこで魔術を使っていたのか?

 それは、つい先日記憶を取り戻した事と今後の相談を行ったあの日。イリヤが以前より近右衛門に申し込んでいた例のアミュレットの件が正式に認められ、工房としてこの物件……元喫茶店を借りる事が決まったからだ。

 その際に近右衛門は、より工房として扱い易く改築を行ない。その作業に“あちら側”の人間を投入したらしく。驚くべき事に僅か数日で先の地下室を築いていた。なおそれらの費用は全て彼自身が先行投資として負担している。

 イリヤとしては正直、普段からも様々な面で世話になっている近右衛門に、文字通りそのような大きな“借り”を作りたくは無かったが、現実として先立つ物も他に頼れる伝手も無く。

 また製作した魔術品…あるいは礼装の品質を拘るなら、如何してもこういった工房は必要だった。

 半ば仕方なく。作る以上は満足の行く物を作りたいという思いもあって、イリヤはソレらの厚意と施しを受け入れたのである。

 

 そして、ここで作られたアミュレットを初めとした魔術品は、全て近右衛門―――関東魔法協会が買い取る事となっており、その流通も学園内に留ませる積もりであった。

 それは、本来ならば必要となる各種免許などを近右衛門の監督下という建前で誤魔化す為でもあるが……もう一つ、イリヤの事は余り口外できない事情もある―――また言い方は悪いが彼女の事情を隠蔽し伏せながらも、その存在を利用してでも早々に戦力の強化は図らなくては成らない…という形振り構って要られない思惑もあった。

 勿論、それは西などと争う為ではない。純粋にこの学園の防衛の為だ。

 

 そう、先日の京都の事件以降、ある懸念が高まった近右衛門としては、それは急務な事案なのだ。

 そういった意味では、この工房の設置は学園側たっての希望と言え、貸し借りなども初めから無いと言って良いのかも知れない。

 

 

 

 エヴァ邸への帰路の途中、イリヤは同じく帰路に付いた思われるエヴァと茶々丸にバッタリと会った。

 

「エヴァさん達も今帰り?」

「ああ、お前もそうみたいだな。…む、かなり疲れているようだが、大丈夫か?」

「ええ、でも流石に一晩、というか…この2日ほど魔術を行使し続けたのは堪えたわ。お陰で何とかノルマはこなせたけど…」

「ジジイの奴も、なかなか無茶な注文を付けたからな…」

 

 エヴァとしては本当に珍しく気の毒そうな同情の視線を向けており、イリヤはそれに苦笑で応じるしか無かった。

 何しろその注文と言うのが、試作品のアミュレットの改良正式型ともいうべき代物と、魔法効果値の上昇ないし魔法出力を増幅させるタリスマンの製作……凡そ10ダース分をこの週内に納入して欲しい、というものだったのだ。

 その2種類の魔術品をそれぞれ10ダース。計240個もの製作を、しかもたった1人で…それがどれ程の無茶な依頼かは推して知るべしだろう。

 イリヤは疲労の籠った苦笑を浮かべつつも、今日あった筈の気になる事を尋ねる。

 

「それより、そっちはどうなったの?」

「ああ、弟子に取る事になった。ぼーやの粘り勝ちだ」

「…はい、とても立派でした」

 

 エヴァは呆れたように。茶々丸は感慨深げに答え。その頭の上でチャチャゼロも「ガキノクセニ良イ根性ダッタゼ。ナカナカ楽シカッタ。ケケケ」と笑っていた。

 

 ―――そっか、ネギは無事に合格できたか。

 

「良かった」

 

イリヤは安堵の声を零した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 帰宅し朝食を終えてイリヤがその片付けをしている最中。同じくキッチンにて片付けを行なっていた茶々丸が何処かソワソワした様子でイリヤに話し掛けた。

 

「あの…その、…疲れている所、本当に申し上げ難いのですが、…この後、お時間を頂けないでしょうか?」

 

 先のエヴァに続いて珍しい事に何時もの無表情ではなく、本当に困ったような表情を見せて言う茶々丸にイリヤは少し驚きながらも応じる。

 

「えっと…如何したの?」

「あ、その、……駄目でしょうか?」

「そうは言ってないけど」

 

 そう言いながらもイリヤは正直な所、身体中に圧し掛かる鉛のような疲労のため、非常にベッドが恋しかった。

 2日間近くを工房で過ごして魔術を行使し続けたというのもあるが、満足な睡眠を取れていないという理由もある。

 それは別に納品を間に合わせる為に寝る間を惜しんで…という訳では無い。

 では、何故か…というと―――あの工房にはベッドどころか布団すらも無かったのである。

 それなら持参するなり、街でその布団なり寝袋なりを購入すれば良かったのだろうが、当初はそれに気付かず、気が付いた時には疲労が蓄積した頃合で、買いに行くのも取りに戻るのも億劫に感じてしまい。彼女は固い床の上でシーツ一枚に包まって睡眠と休憩を取っていたのだった。着替えなどは忘れず持って来ていたのに…。

 今にして思えば、一度差し入れに来てくれた茶々丸に頼んでも良かったかも知れない…いや、携帯や念話で連絡しても良かったかも。幾ら忙しかったとはいえ、マヌケ且つ少し迂闊だったなぁ…とイリヤは内心で反省する。

 しかし、珍しくこうも困った様子の茶々丸を前にしては、それらを正直に告げるには抵抗があり、

 

「分かったわ。それじゃあ用件を聞かせて」

 

 結局、イリヤは疲労と睡眠欲を堪えて了承の返事をしてしまう。

 

「ありがとうございます」

 

 まあ、それでも……こうして感謝され、また珍しくも顔を変えて嬉しそうな表情を浮かべる茶々丸を見ると、良いかなと思ってしまうイリヤだった。

 

 

 

 そうして片付けを終えた後。茶々丸の頼みを引き受けて再びエヴァ邸から外出し訊ねたのは、ネギ達が住まう女子寮であった。

 その目的地であるネギ達の部屋の前でイリヤはチャイムを鳴らす。

 ピンポーンと独創性の無いありふれた音が鳴り響いて程無くし、「ハーイ」という返事と共に玄関のドアが開かれた。

 

「あれー、茶々丸さんにイリヤちゃんや、どうしたん?」

 

 出迎えてくれたのは木乃香だった。

 

「―――……あの、木乃香さん。ネギ先生は…」

「ネギ君? うん、いるえ」

 

 「おはよ、コノカ」と軽く返事をするイリヤの横で、やや口篭って尋ねる茶々丸に木乃香は答えると、後ろを振り向いてネギに呼び掛ける。

 はい、とネギの返事が聞こえ、直ぐに彼は玄関に現われた。

 

「あっ、ど、ど、ど、どうも、茶々丸さん。イリヤ…」

 

 昨晩から今朝に掛けてのこともあってか、茶々丸の姿を見とめたネギは少しどもりながら挨拶をする。

 

「おはよ、ネギ」

「……あ、ネギ先生。お傷のほうは、大丈夫ですか?」

 

 イリヤも挨拶をし、茶々丸は遅れて少し途惑った様子でネギに声を掛けた。

 ネギは、それに笑顔を浮かべて答える。

 

「ハイ、見た目よりも全然たいしたこと無かったです。茶々丸さんが加減してくれたお陰だと思います」

「そうですか、それは良かった」

 

 命令とはいえ、自分のやった事で怪我を負わせてしまった為に、そのネギの返事を聞いて普段と変わらない抑揚の乏しい声ではあったが、茶々丸は心底安堵したようだった。

 そうして、彼女は手にしていたお見舞いの品を渡し始める。

 イリヤは原作を知るが故に、そんな茶々丸自身にも自覚できていないであろう心の機微を察せ。微笑ましく彼女を見た後、ネギに視線を転じて思わずその顔をまじまじと見詰める。

 

(漫画じゃあ、実感は掴めなかったけど。こうして現実で見るとなんというか…結構酷い顔ね、これは…)

 

 顔の所々に張られた絆創膏に頬を覆う大きなガーゼ。左眼の下には青い痰が出来ている。

 ネギの幼いながらも、整っている美少年な顔立ちが見事台無しになっていた。もし、アヤカがこれを見たら倒れるんじゃないだろうか? とそんな事さえ思う。

 顔だけでコレなのだから、服の下も相当傷だらけ、痣だらけだろう。

 判っていた事だったとはいえ、実際にこのようになったネギを見て、イリヤは苛立ちにも似た何とも言えない感情が沸き立ち―――ふう…と、ソレを吐き出すように微かに溜息を漏らし……早速、此処に来た目的に取り掛かることにした。

 とはいえ、此処では人目に付く恐れがある。だからイリヤは木乃香とネギに声を掛ける。

 

「ネギ、コノカ。ちょっと部屋に上がらせて貰っても良い?」

「あ、うん」

「ええよ」

「あ…」

 

 イリヤの申し出にネギと木乃香は頷くも茶々丸は躊躇ったような声を漏らし、イリヤはそれを気にもせず、迎え入れてくれた部屋の住人達に続いてさっさと玄関の扉を潜った。

 茶々丸も若干逡巡したものの、その後に続いた。

 

 

 部屋には当然、明日菜が居り刹那もお邪魔していた。

 2人は修学旅行でお土産に買っていたらしい生八つ橋を口にしながら、イリヤ達に軽く頭を下げるだけで挨拶をし、イリヤと茶々丸もそれに応えると。生八つ橋を飲み込んだ明日菜は僅かに目を見開いて、この意外な客人達に口を開いた。

 

「珍しい…っていうか、2人とも私達の部屋に来るなんて初めてよね。どうしたの?」

「うん、ちょっとね。…ネギ、こっちに来て私の向かいに立ってくれない」

「いいけど…何?」

 

 イリヤは尋ねる明日菜に曖昧に答えつつ、自分の傍にネギを呼んで目の前に立たせる。そしてその彼の頬へ手を当てた。

 

「え…!? あ…!」

 

 一瞬驚いたネギであるが直ぐに自分の身体を包む柔らかな温かみに、イリヤが何をしているのか理解する。

 

「ほう」

「ん…?」

 

 刹那も判ったようで感嘆の声を漏らすが、明日菜は以前経験したにも拘らず判らない様で疑問気に首を傾げた。

 あの時のように暗ければ、ネギを包む微かに灯る光が見えて明日菜にも判ったかも知れないが、残念な事に太陽が高く上りつつある時間帯故に、部屋に入る日の光が強すぎた。

 ただ、木乃香はその資質から感じ取れたようで刹那と同じく感嘆の声を上げる。

 

「わあ、スゴイなぁ。これもまほーやの、ネギ君の怪我を治しとるん?」

「あ、そうなんだ」

 

 明日菜も木乃香の言葉を聞いて理解し、あの時の…修学旅行で自分に掛けられた事も思い出した。

 

「そういや、イリヤちゃんも…その、ホイミとかケアルっぽい回復魔法というのを使えたんだっけ」

「ホイミ…ケアル…って」

 

 その明日菜の某大作RPG的な例えに、イリヤは思わずガクリと力が抜けそうになった。

 内心で、まあ、確かにそのような物なんだけど、とも思ったが。

 すると、何故か脳裏に覚えの無いこと―――巨躯で逞しく、筋肉の鎧が頼もしいギリシャの大英雄…バーサーカー(ヘラクレス)に電池を買いに行って来るように命令する自分の姿が浮かんだ。

 

(―――!? ってなにそれは! そんな馬鹿げた事してないわよ!?)

 

 妙に実感的なソレに、半ば愕然としつつ慌ててそんな珍妙な妄想を振り払う。

 

 

 十秒ほどで治療は完了し、イリヤはネギの頬から手を離した。

 本来なら態々触れる必要は無いのだが。今のイリヤは疲労しており、魔力も消耗しているので負担軽減と魔力節約の為に直接触れて治癒魔術を掛けたのである。

 

「これでよしっと、…どう、まだ痛むところはある?」

「ううん、全然無い。イリヤの治癒は完璧だよ」

 

 ネギはそう答えて、顔の絆創膏やガーゼを外して治癒が効いた事を見せる。

 

「そう、良かったわ」

「うん、ありがとうイリヤ。僕はこういった魔法は得意じゃなくて、本当に助かったよ」

「ホンマ凄いな、顔の腫れや痣が見事に無くなって。ウチもまだまほーのことよう判らんから助かったえ。ありがとうイリヤちゃん」

 

 ネギに続いて我が事にように喜ぶ木乃香。もしかしたらこの時点で既にこういった治癒魔法―――誰かの為になる魔法への興味や憧れが芽生え始めており、直にそれを見られたので少し興奮しているのかも知れない。

 イリヤは木乃香の様子にそんな事を思う。

 

「どういたしまして…と。だけどお礼なら私だけじゃなく、茶々丸にも言ってあげて」

「え?」

「元々、貴方を治療して欲しいってあの子が言ってくれたから、私は今日此処を訊ねたのよ。もし茶々丸が申し出てくれなかったら、貴方が怪我した事に私は気が回らなかったと思うから…」

 

 実際、イリヤは直ぐにでもベッドに向かおうと思っていたのだから間違いではない。原作の知識でネギが怪我を負ったであろう事を知っていたのにも拘らず、その治療を考えもしなかったのだ。

 イリヤの言葉を聞いて、ネギは驚きつつも直ぐに笑顔を向けて茶々丸にお礼を言う。

 

「そうだったんだ。…ありがとうございます茶々丸さん」

「いえ…その、こちらこそ幾ら試合とはいえ、ネギ先生に…私、」

 

 思わぬネギのお礼を受けて、茶々丸は奇妙に戸惑いながらも謝罪の言葉を口にしようとし、

 

「そんな、気にしないで下さい…!」

 

 ネギがそれを遮る。

 

「あれはテストだったんですし、さっきも言いましたけど、茶々丸さんはしっかりと加減をしてくれたお陰で僕は大した怪我をせずに済んだのですから。それに、それでも茶々丸さんが手を抜かずに…半ば僕の我侭に付き合ってくれて、しっかりと相手をしてくれたから僕は合格する事が出来たんです!」

「ネギ先生…」

「だから、僕がお礼を言うのは当然で、役目を果たしてくれた茶々丸さんが謝る必要なんて無いんです」

「…ハイ。ありがとうございます」

 

 誤った謝意を示そうとする茶々丸を見て、ネギは―――それも彼女の優しさなんだ、と思いながらも―――必死で真剣に語りかけると、茶々丸は笑顔でお礼の言葉を口にした。

 ネギは初めて見た茶々丸の笑顔に一瞬見惚れるも、冗談めかしたふうに「ですから、お礼を言うのは僕のほうなんです」と、プッと吹き出したように笑いながら応じ、茶々丸も「そうでしたね」とやはり笑みを浮かべて答える。

 イリヤは、先程までの余所余所しげな茶々丸の様子を思い、やれやれ…ね、と内心で呟きながらも今の彼女を見て微笑ましげに苦笑する。そうでなくはわざわざ茶々丸に話を振った甲斐が無いと言うものだ。

 

「まったく、世話が焼けるわね」

「でも、やっぱり良い人だよね茶々丸さん。こうして心配して来てくれたんだから」

 

 手間の掛かる弟のようなネギの世話を焼いている為か、明日菜は直感的にイリヤの言葉の意味を察して、同様に苦笑してそう答えるかのように言った。

 そやね、と木乃香も言い。刹那も微笑ましげに頷いた。

 しかし、そんな温かくも穏やかな感慨を浸る間も無く。騒がしげに玄関からチャイムが鳴り響き、木乃香や明日菜がそれに応じるよりも早く扉が開かれ、2人の少女が部屋に上がって来た。

 

「ネギ君! ネギくーん! 私も受かったよーっ! 選抜テスト!!」

 

 現われたのはまき絵と、そのルームメイトである亜子だった。

 今回の弟子入り騒動の発端であり、その責任からネギを心配し応援していた一人と、やや暴走しがちだったその友人を心配してこの一件に付き添い。やはりネギの事も心配になったもう一人だ。

 特にまき絵はこの一件で、自身と似たような事情を偶然にも重ねたネギを応援し、また応援してくれた彼が懸命に頑張り、その常に進もうとする姿勢と合格した姿に勇気付けられ。それを糧に自分にあった壁を破り、またそれに伴いネギに対する心境を変化…あるいは発展させたようだった。

 その彼女がここを尋ねたのは弟子入りへの一件の関わりや、怪我の心配とその心境に加え、今しがた彼女が言った通り、自分も無事合格したという報告の為であった。

 

「えーっ! 本当ですか!? まき絵さん!」

「うん! やったよネギ君!!」

「おめでとうござます!」

 

 盛大に喜ぶまき絵に釣られてか、ネギも大袈裟に驚き。まき絵がVサインして続けた言葉に今度は同じく喜びを表して祝いの言葉を告げた。

 そして、まき絵の事情を理解していた面々…明日菜と木乃香も無事合格できた事を喜ぶ。

 

「へー、丁度良かった。今さっき茶々丸さんが美味しいお茶を持って来てくれたんだし、お祝いのお茶会を開こうよ!」

「あ、えーな。それ!」

 

 その2人の言葉にまき絵と亜子も反射的に頷くが―――直後、今の明日菜の言葉の中に含まれた人物の名と、部屋にいる件の彼女の存在に気付いた。

 

「「―――って、わぁぁあ!! 茶々丸さん!!?」」

 

 彼女たちの主観では、容赦なくネギを叩きのめしている様に見えていただけに、2人は悲鳴を上げて後ずさる。

 それに明日菜は「コラコラとホントは良い人なんだから」と2人に注意する。

 イリヤは、そんな彼女らを微かに苦笑しながら残念そうに言う。

 

「ふふ、…私も一緒に祝いたい所だけど。今日はもう帰らせて貰うわ」

「え? もう…」

「もうちょっとゆっくりして行ってもええやん」

 

 明日菜は疑問気に、木乃香はやや不満そうに言った。

 そんな2人とは対照的にネギと刹那は、気付いたようだった。

 

「イリヤ、ひょっとして…」

「…お疲れなのですか? 昨晩もそうですが、もしやこの2日ほどお会い出来なかったのも…」

 

 イリヤは、「まあ、ちょっとあってね」とだけ言い。それ以上は何も答えなかった。

 疲れているのにも関わらず、治療しに来たと知られて余計な気を遣わせたくなかったからだ。尤も2人は察してしまったのだから余り意味は無いのだが。

 明日菜と木乃香も気付いた様子で、やや気遣う様な目線でイリヤを見ていた。

 それらのネギ達の様子にイリヤは、上手く顔色を取り繕っていた積もりだったけど…と口惜しみつつ、向けられる目線を気にしない振りをして笑顔で茶々丸に告げる。

 

「それじゃあ、私は先に帰るわ。茶々丸は代わりに…と言ってはなんだけど、ゆっくりして行ってね」

「…ハイ、ありがとうござました。イリヤさんこそ、家でゆっくりとして下さい」

「うん」

 

 頷いてからイリヤは玄関へ向かうと、ふと気付いて振り返る。

 

「そういえば、まだ言ってなかったわね。―――ネギ、合格おめでとう。これからも大変だろうけど、頑張ってね。…あ、マキエもね。部活頑張って、応援してるから」

「うん、ありがとう、イリヤ。頑張るよ!」

「あ、ありがとう、イリヤちゃん」

 

 お祝いの言葉を述べて声援も送り、イリヤは「じゃあ、また明日ね」と別れの挨拶を交わして女子寮を後にした。

 

 だが、

 

 ……後にして思えば、もう少しこの場に留まるべきだったのかも知れない。

 それは例え、身勝手なエゴなのだとしても、興味本位で魔法へと関わろうとする少女達の事を思い忘れていなければ在り得て。

 平凡で退屈であろうと、平穏な世界に彼女達を置いておく事が出来た可能性だった。

 しかし一方で、それはそんな事では覆すことなど出来ない意味の無い思索なのかも知れなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌々日。

 一日休みを置いて、またもや朝から工房に閉じ篭り、魔術品や礼装の製作と研究に取り組んでいたイリヤであるが、近右衛門も―――魔術への理解が未だ乏しいが故に驚いて―――イリヤに掛かる負担を知っては、流石に依頼を控え……それにて急ぎの仕事も無い事から、先日と異なって日が暮れる頃には彼女は帰宅する事ができた。

 

「―――お前たちの魔力容量は強大だ。これはトレーニングなどでは強化し難い天賦の才。ラッキーだったと思え」

 

 帰宅し珍しく人の気配が濃いなぁ、とイリヤは思いつつ気配がする二階へ上がると、そこにはエヴァと茶々丸の他にネギ、木乃香、刹那の3人の姿があった。

 エヴァはその3人の前で黒板を背景に、何処かの“赤いあくま”を髣髴させるように普段は身に付けていない眼鏡をわざわざ掛け、何やら講義めいた事をしていた。

 それを見、彼女もそんな変な風に形から入るタイプなのだろうか? とイリヤは密かに思う。

 

「但し、それだけではただデカイだけの魔力タンクだ。使いこなす為にはそれを扱う為の“精神力の強化”。あるいは“術の効率化”が必要になって来る。…どっちも修行が必要だな」

 

 エヴァは黒板に筆を走らせて、図や文字を使って更に説明を続けようとし―――

 

「ちなみに“魔力”を扱う為には主に精神力を必要とし、“気”を扱うのは体力勝負みたいな所があるんだが―――」

 

 途中で、ピシッと手にしたチョークが折れ、彼女は生徒である筈のネギと木乃香の2人に唐突に大声で怒鳴る。

 

「人の話を聞け! 貴様らーーっ!!」

 

 叫んでテーブルにダンッと両手を叩き付けるエヴァ。

 その怒鳴り立てられた件の2人はというと。

 

「あううー…明日菜さんとけんかしちゃった……どうしようぅ」

「まーまー、ネギ君」

 

 1人は半泣きで、床にのの字を書きながら情けない声を出して項垂れ。もう1人はそう深刻に捉えていないのか、お気楽そうにそれを慰めており。全く聞いている素振りが窺えなかった。

 何のコントよ、これは…とイリヤは思わず呆れた。

 いや、原作でもこういう事があったというのは理解していた。…けれど、実際にして見ると、やはりまた違った感想が出てくるのであった。

 やっぱり、工房に閉じ篭らずにエヴァさんの誘いを受けて、ネギの修行に付き合うべきだったかしら?……でも、結果的にこの喧嘩(?)を経て、明日菜との絆が深まる訳で……あの場に居たら何か口を出してしまいそうだったし……それに原作と違って例えそうならなくとも、この件を引き摺って何時までも仲違いし続けるほど2人は物分りが悪い訳じゃあないしね。

 ……でも、男の子がこうも情けなくウジウジと半泣きする姿は、見苦しい物があるわね。

 と。そんなこと考え、思いながら、はぁと溜息を付くイリヤに、

 

「お帰りなさいませ」

 

 と茶々丸が、

 

「む、帰ったか」

 

 と、一度こちらに振り返ってエヴァも今更であったが挨拶をしてきた。

 

「うん…ただいま…」

 

 イリヤも内心の思いを押し込めて一応それに応える。

 だが、いい加減ウジウジと項垂れるネギを見かねたのか、エヴァはまた怒鳴り付け。一方で明日菜と仲違いする様を「いい気味だ、もっとやれ」などと言って、クククッと楽しそうに笑い飛ばすという矛盾する姿を見せた。

 

「あうう」

 

 それに更に落ち込むネギ。

 エヴァはその様子を見て本格的にもう相手に成らないと感じたのか、対象を木乃香へと変えて話題も切り替える。

 

「木乃香、お前には詠春から伝言がある」

「父様の?」

「真実を知った以上、本人が望むなら魔法についても色々教えてやって欲しい、との事だ」

 

 あー、何で私がこんな面倒な事を…と、内心で呟きながらもエヴァは言葉を続ける。

 

「確かにお前のその力があれば、偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)を目指す事も可能だろう」

「マギ…それってネギ君の目指しとる…?」

 

 木乃香は魔法に触れてまだそれほど間は無く。知識が皆無な為に実感も薄いからか、唐突な話に表面上余り驚きを示さなかったが、それでも神妙にエヴァの言葉を受け止めたようだった。

 エヴァは頷いて、彼女もいつに無く神妙な様子で木乃香の疑問に答える。

 

「ああ、お前の力は世の為、人の為に役に立つかも知れん。考えておくと良い」

 

 エヴァの言いように、木乃香は唸りながらも顎に手を当てて真剣に考え始める。

 

「お嬢様…」

 

 刹那はそれを心配するように声を掛けて彼女の傍に寄る。しかしその声には、剣を振るうしか能がない自分がその悩みに如何様な言葉を掛けるべきか判らない、という迷いも篭もっていた。

 

「…さて、次はぼーやだ」

 

 エヴァは、木乃香に対して考える時間を与えるように、ようやく落ち着いた様子を見せたネギに再び話題を転じた。

 

「これからの修行の方向性を決める為、お前には自分の闘い方のスタイルを選択して貰う」

 

 完全に落ち着いたネギは、そのエヴァの問い掛けにまじまじと考えつつ説明を聞いて行く。

 エヴァの提示したスタイルは2つ。

 

 従者に前衛を任せた、安定した後衛型である“魔法使い”。

 

 従者と連携して自身も直接、敵に当たって戦い。また状況次第で後衛にも移る汎用型の“魔法剣士”。

 

 前者は、常に後衛に位置し文字通り魔法の行使と状況を見極める事に集中でき、機を見て的確な呪文…または大呪文の行使が比較的容易なスタンダートさがあり。

 後者は、前衛にも対応出来る反面、臨機応変さを要求され、高度な身体強化や体術という戦士の能力に加え。手早く魔法をこなせる“魔法使い”としての能力も必要なやや難解なスタイルだった。

 

「どちらも長所短所がある。小利口なお前は“魔法使い”タイプだと思うがな」

 

 その通りだろう。先の説明に加え、前者は後衛に専念するが故に前衛が倒れるか、抜かれた時点で負けが濃厚となるが。後者はその心配が無く、どちらにも対応できる分、身体強化に魔力を取られ、更に無詠唱などの手早い魔法が求められるが故に、どうしても火力に欠けるのだ。

 ネギの強大な魔力を活かす事と、これまでの戦いを見る限りでは、どちらかと言えば前者の方が向いている筈である。

 しかし、エヴァ自身は強制する積もりは無いようだった。

 ネギの才能から、どっちを選んでも無難にこなせると見越しており、また本人のやる気にも関わる事であるので、多少なりともネギの意思を尊重しているのだ。

 それに、どちらを選択しようとそれなりに“モノ”になるまでは、一切の反論・反抗を許さずに徹底的に扱く積もりなのだから、方向性を選び取るだけの自由は与えなくては…などという、やや穏やかではない考えもあった。

 

 ネギは僅かに黙考すると尋ねる。

 

「父さ……サウザンドマスターのスタイルは…?」

 

 エヴァはその言葉を聞いて、自然に頬が緩んで笑みが零れた。

 このぼーやにして、やはりあのナギ(バカ)の存在を無しには語れないか…と、内心で呟いてから答える。

 

「…私やあの白髪の小僧の戦いを見ればわかるように、強くなってくればこの分け方はあまり関係無くなってくる―――が、あえて言うなら、奴のスタイルは“魔法剣士”。それも従者を必要としない程、強力な…だ」

「―――…」

 

 ネギは答えを聞いて、何処か満足気に納得したように頷いた。

 

「やっぱり、という顔だな」

 

 エヴァはネギの顔を見てからかうように笑い。父を意識した事に恥ずかしさを覚えたのか、ネギは慌てて誤魔化すように首を振る。

 そんな彼に早まって即決しないようにエヴァは「ま、ゆっくりと考えればいい」とやんわりと釘を刺して、木乃香に視線を転じた。

 

「木乃香、お前にはもう少し詳しい話がある。下に来い」

「あ、うん。了解やエヴァちゃん…」

 

 さっきの事を蒸し返すように話を振られた為か、木乃香は少し途惑うも直ぐに返事をしてエヴァに続いて階段に向かう。

 ―――が、誘ったエヴァが不意に立ち止まり、イリヤに肩越しに顔を向ける。

 

「イリヤ、お前も来てくれないか?」

「え…私? …いいけど」

 

 我関せずと黙っていたイリヤは、突然声を掛けられて驚きと疑問を抱くが、向けられるエヴァの真剣な視線から直ぐに応じ、木乃香の後に続いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤと木乃香がエヴァに連れて来られたのは、この家の地下だった。

 下というのだから、てっきり一階のリビングで話をするのかと思っていた2人はやや面を食らったが。黙ってエヴァに促がされるまま、地下の一室…上に比べると、随分と印象の異なる高価そうな調度品が並ぶ部屋へと入り。その中心近くにあるソファーに2人は腰を下ろした。

 そして黒檀のテーブルを挟んで向かいにあるソファーにエヴァが座ると、木乃香が一番に口を開いた。

 

「この家、地下なんてあったんや」

「ああ、魔法使いとしての嗜みのような物だ。色々と一般人には見せられない“こと”や“モノ”を隠す為にも、こういう人目に付き難い地下室や秘密の部屋というのは必要なんだ」

 

 少し驚いた様子の木乃香に、簡単に答えるエヴァ。

 イリヤは既に知っていたことなので何も言わない。わざわざ地下にまで来た理由もある程度察していたが。それでも自分が呼ばれた理由には見当が付かなかった。

 一方、木乃香はまったく判る筈も無く。エヴァに尋ねる。

 

「でも、何でわざわざ此処へ下りて来たん?」

「…此処ならぼーや達に聞かれる心配が無いからな」

 

 疑問の答えに、まあ、そうなんだろうな、とイリヤは内心で頷く。

 

「みんなに聞かれたらアカンことなん?」

「どうだろうな? その判断は木乃香…お前自身に任せる」

「……それって、此処で聞いた事をウチが話してもええって思ったら、皆にも話してもええってこと?」

「ああ」

 

 エヴァは肯定して頷く。

 何処かそんな悠然としたエヴァとは対照的に、木乃香は僅かに身を固くして緊張した様子だった。何となくであるが直感的にあまり楽しくも無い、好ましくも無い、重い話がこれからされるのを理解したからだ。

 すると部屋の扉が開かれて、まるで計ったようなタイミングで茶々丸が紅茶を出してきた。

 ほのかに良い匂いが漂い、口に運ぶと舌に感じる軽やかな甘味と嗅覚へ広がる優しい香りに、木乃香の緊張が微かに解れた。

 それを見、エヴァは茶々丸にネギ達を此処へ近付けさせないように命じてから下がらせ、話し始める。

 

「…さて、先ず言っておくが、これから話すのは直接魔法に関わる事ではない。早い話先程まで行なっていたような知識を教唆する授業めいた物ではない」

 

 顎に手を当て、考え込むような素振りを見せてからエヴァは口を開いた。

 

「お前が…近衛 木乃香が、今後魔法に関わらないと決めたとしても、“此方の世界”を知り、自らの資質を理解した以上は頭に入れて置かなければならないことだ」

 

 やや難解な言いようだが、其処に選択権が無いというニュアンスが含まれている事は木乃香にも理解できた。

 そんな木乃香の様子を窺いつつエヴァは、真剣な面持ちで語り始める。

 

「お前の父は、旧姓を“青山”といって、刹那も扱う“神鳴流宗家”の家柄の出だ。加えてその本人はその実力と実績……先の“大戦”で英雄と評された事から、西の長にと関西呪術協会から輩出された人物。そして祖父は麻帆良の土地の守護を任じられた分家とはいえ、“近衛”という名が示すとおり、この国の裏にて“最も貴き御方”を傍で代々守護してきた名家。家系だ…」

「っ…―――!?」

 

 木乃香は思わず息を呑んだ。

 神鳴流というのは未だよく判らないが、“最も貴き御方”というのが何を指すか理解できるからだ。あの祖父や自分がそんな大それた家の出自だとは思っても見なかった。

 

「まあ、だからこそ(みやこ)から遷った“彼の御方達”を守る為に“近衛家”が指名され、今の東京へ渡った訳だが―――」

 

 驚きに目を見開く木乃香を前にしつつ、エヴァは構わずに話を続ける。

 

「―――神鳴流も元は今の京都…云わば“彼の御方達”が居られた(みやこ)を守護する為に組織された集団。だが自分達と差して変わらぬ立場である筈なのにそれを置いて、わざわざ“近衛”が指名された事に神鳴流は思うところが在り過ぎたらしい。他の西に残った…或いは残らざるを得なかった退魔師の大家も同様だった。……いや、“彼の御方達”を東京へと遷す事自体が不遜だと思ったのかも知れん。それがこの国の裏事情が西だと東だと分かれる切欠にもなった。……尤も私から言わせれば、これは最近叫ばれるようになった問題で、あの天海の奴が徳川の幕府で権力を振るい始めた頃から軋轢が出始めていたと思うが…まあ、これは蛇足だな」

 

 余計な事を言ったな、と言わんばかりに一度言葉を切り、エヴァは紅茶を口に含んでから再度話し始める。

 イリヤは、天海という所でエヴァが忌々しそうに、また知っているような口振りに成ったのが、僅かに気になったが何も言わずエヴァの話を聞くことに専念した。

 

「その後、明治政府が自国を守る為に。また列強と対する為に積極的に西洋文化を取り入れて、“魔法”もこの国へ本格的に入って来た…それを政府同様に東は積極的に取り込んだ。外来の脅威を理解する為にも、対処する為にも当然の成り行きであるが、それを西は先の事情から厄介な感情を抱いて邪道と蔑み、伝統への冒涜だと非難した。この両者の争いは、主張の食い違いや罵り合いに始まり、遂には互いに血を流すまでに到った」

 

 まったく些細な事で…どうしようもない、とエヴァは内心で呟いて呆れ、また憐れみを懐いた。

 

「だが、それ自体は長くは続かなかった。年号が大正へと入る前後から、時の“彼の御方”が自身らの不徳により端を発した苛烈化した争いに嘆かれて調停に入っていたからだ。幸いにもそれは上手く事が進み、両者は和解した。無論幾つかのしこりは残ったが、時が経てばそれも薄れて消え行く筈だった。しかし―――」

 

 今より22年前。ある大戦の勃発により事態は急変する。

 

「勿論、それは表の歴史にある60年以上前に起きた戦争を指している訳ではない。魔法使いの世界で起きたものだ。当時、その大戦はどうしようもない泥沼の様相を呈していたそうだ。私は僻地で隠遁していたから詳しくは知らんが、な。…ともかく“本国”と称される魔法使いの国家が、その泥沼な戦局を打開する為に戦力を欲し、自分達と関係が深い“こちら側”の各国に存在する魔法協会に戦力の抽出を求めた」

 

 しかし、それは実質恫喝に近いものだった。

 

「平和と平等、自由と正義。それら聞こえの良い建前を口にしながらも、自分達に好意的な者達には、戦後の優遇処置や利権などを見せ付け。中道・穏健の立場を取る協会には、派兵しなければ利敵行為と見なす、と与えられていた自治権の縮小や剥奪をチラつかせた。その対象は本来なら関係が無い…“本国”の協定や法を批准しない、この国の西にも当然のように向けられた」

 

 皮肉にも当時から破格の戦闘集団と勇名を誇った神鳴流の存在が逆に仇となり、“本国”の注目を浴びて身勝手にも期待されたのだった。

 

「しかも悪辣な事に応じなければ、東と共同で“本国”と他の協会も武力行使に踏み切ると示唆したそうだ。東や他国の協会にして見れば、まさに寝耳に水な事で陰謀に利用されたに過ぎなかったが。結果、当時の西の長はそれを信じた。恐らく表で起きた世界大戦の事もあって連想してしまったのだろうな。その予測される圧倒的戦力と物量から『このままでは伝統を守り、古来より育まれた日本独自の魔法…呪術、陰陽道が踏み躙られる』と。または、『東と西。我々…日本人同士が相打つ事に成る』とも考えて、当時の西の長は屈した。そして彼等の多くは嫌々ながらも自分たちには何ら関係が無い戦場へ引っ張り出され、倒れて行った」

 

 京都で木乃香を拉致した天ヶ崎 千草の両親もその犠牲者という訳だった。

 

「以来、大戦が終わってから20年間。西との関係は再び悪化した状態となった。事の経緯と事実を知る者達は、それを収めようと勿論動いているが余りにも犠牲が多く。それに列なって恨み、憎しみもまた大きかった。これも蛇足だが、ついでに言うと、詠春やジジイがよく人手不足と口にするのはそういう理由でもある。何もこの国に限った事ではなく“本国”の派兵に応じた協会は、何処も大戦で多くの人材を失い、陰謀に巻き込まれ、少なからず禍根を残している」

 

 エヴァは一息つくと、また紅茶に手を伸ばす。

 イリヤも紅茶で喉を潤して考える。この世界に来て以来、勿論ある程度、裏の歴史も学んで居たが初耳な事も多かった。

 特に近衛家のことや、西が未だに恨みを懐く本当の背景……つまり何故、関西呪術協会と神鳴流が魔法世界の戦争に関わったのか―――その裏事情だ。

 公式では“本国”の求めによる善意の協力だと記されている以上の事は無かった。

 やはり、メガロメセンブリア元老院の陰謀…というか、一部独善的な人間達が原因かぁ。まあ、それだけを原因にして悪人にするのは短絡的なんだろうけど。原作といい、エヴァさんの話といい、現時点で良い印象は持てないわね。

 でも…案外、例の“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が絡んでいる可能性もあるし…などとイリヤは黙考した。

 

「…と。長くなったが、ここまでは前座だ。本題を理解し易くする為のな」

 

 エヴァは紅茶の入ったカップを空にすると、そう言葉を紡いだ。

 

「そんな事情が続いてきた今、木乃香…お前が生まれた」

 

 その言葉に木乃香の身体がビクリと震えた。

 木乃香とて、ここまでの話で何となくであるが理解しつつあった。自分がとても複雑な立ち位置に在る事を。

 

「西の青山。東の近衛。この国の裏を守護し続けた名家であり、半ば袂を割ったとも言える両者の血を合わせた子が。しかも現在において双方の長を務める2人の息女、孫として誕生した。この意味は決して小さくなく、その価値は計りようも無い程に高い。加えて潜在的な魔力と資質も非常に希有ときている」

 

 エヴァは微かに溜息を付いて、何処か呆れたように言葉を紡ぐ。

 どうして詠春が“近衛”の血筋の女性を娶ったのか、“青山”の長男である彼が何故婿養子となったのか、今一つ理解し難いからだ。自身らの抱える複雑な背景(じじょう)を理解している関わらず、しかもあの堅物がだ…。

 尤も、そんな答えは分かり切ったものであろう。エヴァも理性ではなく感情では納得していた。恐らくそれだけ木乃香の母を愛していたのだ。

 

「この資質は元より、血脈や歴史をも重要視するのは、神秘に属する私たち魔法使いにとって至極当然のことだ。況してや“近衛家”は遥か遠縁ながらも“彼の御方達”の血筋だ。扱いによっては、その影響力はこの日本や極東のみに止まるまい。故に詠春はお前に何も教えなかったのだろう。周囲の反対を押し切って麻帆良に預けたのも…な。未だ恨み、憎しみが募る西に居たままではどのように利用されるか……リスクが大き過ぎる。だから組織を纏める者として未熟だと自覚のある自分よりも、老練な祖父の傍に居る方が守れると考えた」

 

 自分の立場を悪くする事は判っていただろうに。

 聞いていたイリヤと、話すエヴァは詠春に対して口に出さずに同じ事を思った。

 事実、詠春は西の運営に難しい舵取りを迫られる事となった。ただ幸いにも呪術協会の上層部は、本国の仕組んだ陰謀を知っており、彼を懸命に支えている。神鳴流も同様だ。

 近右衛門にしても可愛い孫を守る事に異存は無かった。義理の息子が立場を危ぶめてまで決断して託したのだから尚更だ。

 また近右衛門は、木乃香を守る為に一つの策を弄していた。

 それは多分に彼の悪戯心も含まれていたが、ただ趣味で孫にお見合いを仕組んでいる訳ではなかった。

 良からぬ考えを持つ輩を孫に近付け難くし、陽動という意味合いがあった。それは功を奏し、近右衛門の趣味と孫にお見合いを勧める話を聞き付けた魔法関係者の多くが、孫よりも彼にそういった意味での接触を図っている。

 そうして、不遜な輩を目の届く範囲に集め続ける彼は、それらに狡猾に且つ丁重に釘を刺して諦めさせ、もしくは陰謀を駆使して孫に近付けぬようにしている。

 あるいは、本当に良縁に巡り合える事を期待しているのかも知れない。何も知らぬまま魔法に関わらずに平穏に暮らせる事を願って…。

 

「だが、お前は魔法の存在を知り、此方の世界に関わる事に成ってしまった。その内に秘める資質もな。だからこそ、自覚し認識し背負い。覚悟を持たなければならない。自分の今ある立場と2つの持つ血の流れと家系…それら刻んだ背景(れきし)と抱える問題を。そしてこれから押し寄せてくるであろう様々なものを…」

 

 木乃香はその小柄な身体を震わせて、自分を守ろうとするかのように両手で自身をかき抱く。

 

「気持ちは判らなくもない。お前はまだ15になったばかりの小娘だ。動揺もするだろうし、大の大人でも簡単に受け入れられる事ではない。正直、私自身とて時期尚早という気がしなくもない。しかしお前の持つ価値がそれを許してくれん。何よりも現実というのはそういうものだ。本人の意思など容易く無視してくる。それでも例え足りぬ準備、覚悟しかなくとも、踏み締めて、耐え抜き、乗り越えねば成らん。お前はそういう位置に立たされ、そして幾度もそういった状況を迎える立場なのだ。……京都での一件を鑑みても、それは判るだろう」

 

 続けざまにぶつけられる言葉に、木乃香は振り絞るように声を出す。

 

「…でも、ウチは、ウチや…今は単なる女子中学生で……この間まで、魔法がホンマにあるなんて…思わんで……青山だとか、近衛だとか、そんなん判らんし、関係あらへん…!」

「ああ、判っている。そう言わずに居られない事もな。…それでもだ。周囲はお前をそういう目で見る」

 

 エヴァは泣き言を漏らす木乃香を責める事無く淡々と言う。

 今はこれで良いとも思うからだ。突きつけられた事実に悲嘆するのも、否定するのも良い。知ったばかりでは思考が付いて行かず、纏まらないであろうから。

 かつて自分も似たような経験が在るから……―――判る。

 だから直ぐにでも無くても良い。時間を掛けてでも…掛けすぎても良くはないが、じっくりと考えながら受け容れて行けば良い。それが普通なのだから。

 ああは言ったものの、“一部の事柄”を除けば、まだそう切迫している訳でもないのだ。

 エヴァはそう思い、何処か懐かしげにそう考えた。

 しかし、だからこそまだ言って置かなくてはならない事がある。

 

「それに、お前の立場は…いや、今後示す行動は、お前の大切なアイツ…刹那の今後にも影響する」

「!?―――せっちゃんの!!?」

 

 大事な幼馴染の名前を聞いて木乃香は驚き、俯かせていた顔をハッと上げる。

 

「更に言えば、イリヤもだ」

「え? イリヤちゃん…も?」

 

 不思議そうな視線を向けてくる木乃香を意識的に無視しつつ、イリヤはエヴァを鋭い視線で突き刺す。

 何を言う積もりなのか、と…だがエヴァは取り合う積もりは無く。まあ、黙っていろという感じで、イリヤの視線を平静に受け止める。

 

「そうだな、気になって仕方がないだろうから、先ず刹那の事だな―――」

 

 

 

 




 この回も元は一つだったのですが、此処で一度切った方が切りが良いと思い。前後編に分けました。話自体はそう長くは無いのですが。

 ネギの弟子入りテストは前回あのような引きでありながらカットしました。楽しみされていた方にはすみません。
 代わりにイリヤが麻帆良で工房を手にした経緯を書きました。
 この件は、学園長や協会側に本文にある通り何やら思惑があります。ただこれでイリヤは収入源を確保し、魔法鍛冶として職を手にする事が出来ました。

 …借金まみれですが。



 関東魔法協会と関西呪術協会などの日本の裏事情ですが、エヴァに語らせる形で自分なり考察・解釈して書いていきました。
 ささらとしては、こういう設定を考えるのは好きなようで、執筆当時は非常にノリ良く書けていたのが思い出深いです。妄想が過ぎているような気もして、読者の方々がどう思われるか不安でもあります……どうなんでしょうか?


 後編は、木乃香の事情に続いて刹那の抱える事情になります。結構重たい話に成っていると思います。

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