――ここは何処だろう。
呆然としながら周囲を見渡す。
薄い光に照らされて視界に写るのは木々のみ。
ふと見上げれば、葉が生い茂る梢の切れ目から星空とぼんやりと輝く月が見えた。
夜間の最中、森の中に独りポツンと立つ自分。
………………なんで?
訳が判らない。どうしてこんな場所にいるのだろう?
そう考えて、ここに至る経緯を思い出そうとし―――気付く。
「記憶…喪失…」
え……ちょっと待って!? 洒落になってませんよ!
途端、焦燥感に包まれて混乱に陥る私。
そんな訳ない、と懸命に頭を捻るも自分の名前すら出てこない結果に更に焦る。
「ど…どうしよう」
焦り、混乱しながらも手掛かりが無いか改めて周囲を見渡し、身元の確認が出来る物が無いか自身の着衣も弄る。
そこで新たな事実に気付く。
「すかーと?」
視線を足元に転じると、すらりと伸びる素足が見え、やたらとスウスウする下半身の感覚。
そういえば、声も随分高いような気がする。
もしかして、と思いスカートの上から自分の股に手を触れて――
「な、無いーーー!?」
愕然とする。
――記憶喪失にTS展開って、どんだけー? テンプレ過ぎない!?
と、ショックを受けながらも思考の隅でそんな考えが過ぎった。
◇
「はあ」
もう何度目だろうか? トボトボと当ても無く森の中を彷徨いながら溜息を吐く。
自分が何かしらの創作小説的な展開に陥ったらしい事を理解して鬱になったのだ。
――読む分には、まだいいけど。
でも現実に記憶喪失に陥り、女の子に成ったなどというのは結構なショックだった。記憶を失うなら自分が男だった事も忘れていれば良いのに……中途半端だよね、とそう思わなくも無い。
「……いや、それはそれでやっぱり嫌かなぁ…はあ」
また溜息が漏れる。
ただ、幸いなのは自分に関する記憶は無いのだけど、知識はあるという点だろう。お蔭でまだ現況に馴染める土壌――つまりオタ知識がある。
多分だけど、さっきも考えたとおり、私はネット小説などで良く見られるような展開に巻き込まれたのだろう。だからこそ鬱に成る一方で妙な余裕があった。
「ん?」
視界の先、森の奥で何かが光った。直ぐに消えたので一瞬気のせいかと思ったが、断続的に光が瞬くのを確認し、見間違いでない事を確信する。
「行く当てもありませんし…」
と呟きながらも闇に包まれた森の中に居る事に不安を感じていたのか? 自覚する以上の早足でその光の瞬く先へと向かった。
早足から駆け足となり、断続的に瞬く光に向かって歩を進めると程無くして森を抜け、開けた視界の先に大きな橋が見えた。
「あれは…」
記憶に何となく見覚えがある欧風な趣きを持つ立派な石造りの橋。
その上で――此処からでは豆粒のような大きさだが――四人の人影が見えた。
辛うじて見える範囲では、二人は子供だと判る。
しかも片方は浮いているように……いえ、どう見ても浮いていた。
浮いている子供――黒衣を纏う金髪の少女が手から光と共に何かを放ち、もう片方が子供――少年も、ソレに対峙して手から光を放って対抗する。
その二人から離れた所では、先の二人より幾分か年上と思われる少女達が格闘じみた応酬を繰り広げていた。
これだけで此処が何処なのか理解出来た。判った。
「…ネギま、よね」
時期的には多分3巻。そしてアレはネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンの対決。
うん、本当に、本気で、此処は二次元の世界らしい。
非現実的な事実を前に若干頭が重くなった気がするが、何と無くそうなんだろうな、という思いもあったので愕然とする程の衝撃は無い。ただ、それよりも安堵の気持ちの方が大きかった。
何故なら、自分の知っている原作作品であり、どこぞの殺し愛(誤字に在らず)上等な厨二チックな某伝奇物やら、訳の分からない敵対的な異星生命体に人類が蹂躙されている御伽噺のような――そんな致死率が高い世界で無いからだ。
勿論、それらの作品は好きだし、かなりハマッたゲームだ。けど憑依だとか転移だとかは流石にカンベンして欲しい。即効で死ねる自信がある。
でも“ネギま”なら比較的平穏に過ごせる筈、……多分。
――そう思っていたんだけどな。
◇
唐突であるが、場所変わって学園長室。
二次創作でも良く言われているけど、なんで女子中等部に在るんだろう? このおじいさんの趣味なんだろうか?
そう思いながら目の前の居る人物に視線を向ける。
崑崙山にでも居そうな容姿を持つ老人――麻帆良学園・学園長にして関東魔法協会理事の近衛 近右衛門。
「記憶喪失…のう」
「一応そうなるわ」
訝る様子で私を見詰める学園長。
さて、何故この学園長室に私が居るかだけど……単純に言えば見つかったからだ。
ネギとエヴァンジェリンの戦いに見入り、気を取られていた私は背後からこの老人に自分が見られていた事に気が付かなかった。まあ、原作によると学園最強というし、気付いていたとしてもどうにか出来たとも思えないけど…。
そして、背後からいきなり声を掛けられた私は有無言わされず此処に連れて来られた。
途中、検査を受けて事情説明に至ったのだけど、そこで気付いた事が在った。
先ず自分の頭の中に得体の知れない神秘の知識があったこと、次に容姿が銀髪赤目のちびっ娘だったこと、更に身体全体に膨大な本数の魔術回路があったことだ。
早い話、驚いた事に私の身体はFetaのイリヤっぽい存在に成ってしまったらしい。
いや、少し違うかな? だって何処かで見た七騎士が描かれた七枚のタロットカードみたいな物を持っていたんだから。
プリズマで魔法少女なイリヤさん……だろうか?
しかし、あの“人工天然精霊”だとか“愉快型魔術礼装”は無いし、着ている衣服も見た限りではFate本編の物みたいだし、どうも半端な気がしないでもない。
――いや、まあ…あんな禍々しい代物は無い方が良いんだけどね。
「確かめさせてもらっても良いかの?」
思慮に耽っていた私に穏やかな声でそう言う学園長。けどその反面、何とも言えない威圧感が発せられていた。明らかに警戒されている様子。
でも――
「だめ」
――と即拒否する。
何故なら学園長の〝確かめる手段〟というのが、どのような方法か察しが付くからだ。
「なんじゃ、何か後ろめたい事でもあるのかの? それとも記憶喪失というのは嘘じゃったか?」
「記憶喪失なのは本当よ。でも“
確かに警戒を解かせる為には“
「ふむ…確かに覗かれるのは好い気はせんじゃろうが、おぬしの疑いを晴らすには一番手っ取り早いし確実じゃ、それに記憶が無いならそれ程気になることでも――」
「それでもだめ。さっきも言ったけど、私は知識だけは確りとあるのよ」
遮るように私は言う。
「むう、先ほどのカードのことかの?」
「……そうね。この短い遣り取りでも貴方が人格者であるらしい事は分かるわ。でもあのカードの事を知って無用な欲に駆られないかまでは、私は貴方の事を知らない」
まあ、原作を
「それほど危険な物なのかのう?」
「持ち主しだいよ」
そう言うと学園長は腕を組んで考え込む。
勿論、カードだけが理由ではない。
魔法協会が善人の集り…とまでは言えないかも知れないけど、それに準じる組織だと考えても英霊の力を行使できる破格のアイテムと魔術回路などという、恐らくこの世界では異質で希有な存在を有する私の事を知ってどう扱うかは判らない。ましてやその上層である本国――正確には
此方も警戒するに越した事は無い。
まあ、それでも――
「貴方が力尽くで――というのなら、私は抵抗のしようも無いけど」
ただし、
◇
近衛 近右衛門は悩む。
彼の英雄――ナギの息子の成長を見届ける為に彼の“最強の魔法使い”との戦いぶりを傍観していた所、突如結界を抜けて現れた“白い少女”。
外見は北欧系と思われる白人で、歳は10を越えるか越えないといった頃。しかし話をしてみた感触ではその見た目通りの年齢ではない事が判る。では亜人の類なのかとも考えたが、検査の結果は白…いや、灰色といった所だろうか? しかし
――では何なのか?
近右衛門は老体というその見た目の通り、それなりの年月を生きて相応に世界の表裏を見聞しており、またその血筋から“魔法使い”としての実力と実績も非常に高く、それに比例して知識面に置いても魔法界随一と言える。しかしその近右衛門でも“少女”の正体に至る事が出来ない事実。
そして構造不明・用途不明の高度な魔法具と思われるカード。アーティファクトカードにも似た感じをさせるが、明らかに異なる絵柄に異質な魔力と存在感。相当強力な代物であると考えられた。
悩みを深くする要因はまだある。
それは、少女が記憶喪失だという点だ。
直感だが、近右衛門はそれは真実であり、少女が麻帆良学園や関東魔法協会に害を成す存在ではないとも感じていた。しかし一方で少女が何かを隠している事も察していた。
「貴方が力尽くで――というのなら、私は抵抗のしようも無いけど」
成程、少女の言うとおりそれは簡単だろう。此処に至るまで少女の素振り、立ち振る舞いを見る限り荒事に向いている様子はない……或いは全くの素人である事は想像に難くない。
だが迂闊にそれを実行しては成らない、とこれまた近右衛門の勘が警鐘を鳴らすのだった。
それは、少女がこの状況で不利を承知で隠している事情ないし事実。それを知るという事は相応の責を負わなくては成らないという事だ……いや、それ以前に実力行使に訴え出た途端、少女は先と矛盾するようではあるが、打倒し難い敵と成るのではないか? という危惧も感じていた。
無論、生徒の安全を守る学園長という役職。そして関東の裏を守る魔法協会の理事という役職を鑑みれば、この不審人物の隠す事情を……況してや危険物とも取れるカードの事を考えれば、尚更に実力行使してでも知って置くべきではないかとも理知的な面も訴えて来ている。
しかしそう考える度に先の“少女が害の成す存在ではない”という勘が大きく疼くのだった。
そうして微かな時間、それでも熟考して近右衛門は結論を下す。
「それは止して置こう。君のような可愛らしいお嬢ちゃんを相手に力だけで事を収めるのは、我ら世の平和を守らんとする“
近右衛門は己の勘を信じることにした。
◇
「――それを踏まえて君には、この麻帆良に留まって貰う」
矛を収めた形にした学園長に少し意外に思うも、次に出たその言葉で真意を察する。
「なるほど、強固な結界を抜け、危険そうなカードを所持し、尚且つ記憶喪失なんて言う不審者を手元に置いて監視しようという訳ね」
「まあ、そういった面も無くもないが、君が記憶喪失という点をわしは信じておってのう。そういった子供を無碍に扱って放逐するというのも……ほらなんじゃ、流儀に反するじゃろう」
更に出てきた意外な言葉に呆気に取られる。何故ならその言葉には全く裏を感じさせない、そう…本当に善意のみで出たものだと理解できたからだ。
そんな私を見て、ほっほっほっ、とバルタン笑いをする学園長。
――こうして麻帆良学園に留まる事となり、此処で一夜を明かした私は翌日思っても無い事態に直面する事になる。