魔法と人の或る物語   作:シロ紅葉

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94話

 すっかり話し込んでいる最中にも、車は閑散とした道路を駆け抜けていく。建物もほとんどなくなっていき、山道を上っていく。そろそろ朝の通勤や通学で忙しくなりだそうとする時間帯ではあるけれど、ここではそんな人たちを見かけるようなことはない。騒がしくなりだそうとする町並みも視界に納める間もなく、人里離れた道路を突き進むばかり。

 山道を通り抜けていると、トンネルが見えてくる。人気の少ない寂れた道路に薄暗さが立ち込めているトンネル。

 何か変な物が出て来そうな気配を漂わせて出迎えてくる。いや、むしろそういった手合いにとっては好条件とすら思える絶好の場所じゃないかと。いまが深夜でなくて良かったと心から思えてくる。

 

「そういえば、聞きそびれていたことがあったんだが」

 

 トンネルに入った瞬間、一瞬の暗さが覆ったあと、急に思い出した風に纏が切り出した。

 

「覇人。お前、この車を盗んだ時に説明をしてくれる手筈になっていなかったか。特に俺には話しておかなければならないこともあったようだし」

「あ、そんなことも言ってたね」

 

 一息つけたときには、あまりの疲れでそのまま休んでしまったせいでそのまま忘れてしまっていた。

 

「キャパシティに着くまでの間に話したらどうなのよ」

「あぁ……それか……まあそろそろいいか」

 

 あれだけ強気に出ていたくせに、やっぱり言いにくいことみたいで躊躇いが伺える。勢いで言っただけ。という感じなのかもしれない。

 

「色々言っておくことはあるが、とりあえずはそうだな。まず、俺の実年齢だけどな、お前らと同じ年じゃねえんだ」

 

 いきなり疑問が湧いて出てくるけど、口を挟まずにまずは最後まで話を聞いておこっと。

 

「俺の年齢は丁度二十歳。実はお前らより年上なんだよ」

 

 言い切った覇人に対して、私たちが返すのはちょっとした短い沈黙。

 

「……何の冗談?」

 

 かろうじて言えたのはそれだけ。私が代表して、多分みんなが一斉に思ったことを聞いてみた。

 

「冗談なんかじゃねえよ。その証拠に車の運転も出来るし、酒やたばこも吸ってんのはお前らも知っていることだろ」

「いや、それは、そうだが――」

 

 そういう一面があることは知っている。ただそれって、悪ガキぶっているだけなんじゃなかったっけ。

 

「免許証。もう一度みせなさいよ。それで嘘か本当かはっきり分かるでしょ」

 

 覇人は片手でポケットから一枚のカードを取り出し、蘭に手渡してくる。それを後部座席に座っている私と茜ちゃんが覗きこんで確認してみた。

 そこには確かに私よりも二つ上の生年月日と年齢が記入されていて、間違えようもなく、覇人は現在二十歳を証明していた。

 

「な? それで信じてくれたか」

「本当に年上……なんですね。そういえば、覇人くんの飲酒や喫煙を見かけるようになったのも、ここ最近のことだったような……気がします」

「あまりにも自然すぎたから気にしてなかったけど、そうだったかも」

 

 深夜徘徊は出会った当初からだとは思うけど。

 

「覇人が俺たちよりも年上だとしても、なぜ年齢を誤魔化して学生の振りをしていたんだ? ――ああ、そうか。キャパシティの魔法使いとして関わりがあったのか」

「勘がいいな。ま、そういうこった」

 

 構成員や目的が不明の秘密犯罪結社――キャパシティ。覇人は魔法使いの死体を集め回る回収屋という役目があった。

 

「知っての通り、俺は回収屋として三年前にあの町に向かったんだよ。初めは正体を隠すために、彩葉の家に身を寄せるつもりだったんだけどな」

「え? 私の家!?」

「お前の親父はキャパシティの幹部だからな。身を隠すには丁度いい場所だろ」

「あ、そっか。そうだよね。でもじゃあなんで来なかったの?」

 

 覇人とは一度も自宅で顔を合わせたことがなかった。初対面のときは、たしか高校に入ったときだったはず。

 

「彩葉の側にキャパシティ関係者を置いて、危険にさらしたくなかったって両親に断られちまったんだよ」

「へ、へぇそうなんだ」

 

 父さんと母さん。そんなにも私のことを気にかけてくれていたなんて、全然知らなかった。私って本当に大事にされていたんだと再度認識させてくれるいい話だ。

 

「ま、そのあとに本音も聞かされたけどな。娘の側に年頃の男なんて置けるかってな。おかげでしばらく野宿させられたぜ」

「へ、へぇ……」

 

 その話しはいらなかったね。でも、その当時と言えば私はまだ中学二年生。覇人が二つ上だから、高校一年の十六歳ぐらいかな。

 あー、だとしたら一つ屋根の下で突然現れた男と暮らすのは私も生理的になんか嫌かも。

 父さん、母さん。断ってくれてありがとう。

 

「ま、そのあと高校でお前と出会ったのは偶然だけどな」

「あー! 分かった。それでなんだね」

「な、何がですか?」

 

 奇声にも近い大きな声を出した私に茜ちゃんは驚きつつも訪ねてくる。そう、あれは私が進学先の高校を選ぶときのことだった。

 

「私が高校を選んだときの話しなんだけどさ。母さんは特に気にすることもなく、茜ちゃんがいるから安心できるって言われたんだけど、父さんには何故か猛反対されたことがあったんだよ」

「そう……なんですか。そんなこと初めて聞きましたけど」

「それでさ、あまりにも父さんがしつこすぎたから、ムキになって意地でも今の学校に行ってやったの」

「なんでそんなにこだわったのよ」

 

 高校選びのこだわり。それは制服とか距離が近いとかやりたいことがあるとか。人それぞれあるのだろうけど、私のこだわりは二つあった。

 

「学校が近いと通学が楽だし、なにより茜ちゃんがいるから」

「――……彩葉ちゃん」

 

 照れたような、感極まっているように茜ちゃんは反応示す。そういえば言ったことなかったね。今さらながらにもちょっと恥ずかしいこと言ったかも。

 

「しょうもない理由ね」

「高校選びなんてそんなもんだと思うよ」

「へぇ、そうなの? まともに学生生活なんて送っていないから、あたしにはよく分からないわ」

 

 興味なさげに答える蘭。そっか、蘭は私とは天と地ほどの違いがある人生を歩んできたんだった。戦闘員としてずっと裏社会に属し、壮絶な過去を持っている。当然のように歩むべきだった人生を蘭は送れていないんだ。

 この話しはもうやめた方がよさそう。蘭の過去を抉っているようで、これ以上この話題を続けるのはあまりにも酷い。

 

「……話を戻しましょうか。彩葉ちゃんの家に住まわせてもらえなくなった覇人くんは、そのあとどうしたのですか?」

 

 場の雰囲気が悪くなりそうだったのを察した茜ちゃんは、元の話題に切り替えてくれる。それに覇人もすぐに乗っかってきてくれた。

 

「ああ、そうだな。あれから俺は正体を偽装して、本来の目的を達成させるために一番都合の良い場所。――纏。お前の学校の同じクラスの転校生として潜入することにしたんだ」

「俺の……クラス?」

 

 突然、関わることになった纏は驚きを隠せない様子だった。

 

「当時から天童守人はそこそこ有名な戦闘員だったからな。その息子であるお前の側にいれば、連中の情報や行動も把握できるだろうと考えたわけだ。纏、お前との出会いは偶然なんかじゃなく、意図的に俺から近づいただけのことだったんだよ」

「……俺を利用しようとした。ということか」

 

 身もふたもない纏の言葉に対して、胸を痛めた覇人は沈黙を続けた後、重い口を開く。

 

「……ああ。悪いことをしたと思ってるよ」

 

 今度は纏が口を閉ざしてしまう。こうもあっさりと認めて、謝られてしまっては返す言葉もすぐには見つからないのだろう。

 

「あんたの後ろめたい気持ちは理解してやれるわ。あたしだって、ろくな人生送ってきていないのだし、同情もする」

 

 この場で唯一肩を持てるのは蘭ぐらいのものだった。

 だって、何も知らずに真っ当に生きてきた私や茜ちゃんでは、到底分かり得ないような深い闇だろうから。

 

「許してくれって言うつもりはねえ。さすがに都合が良すぎるってなもんだろうしな」

 

 覇人の言葉には感情が乗っていない。ただ淡々として口調だった。

 

「別に騙していたことに対して、責める気なんてないさ」

「……へぇ。そりゃまたなんで?」

「友達……だからじゃダメなのか?」

 

 至極それが当然である風に纏は返した。予想にもしていなかった返答なのか、覇人は面食らったような表情をしていた。

 

「お前が俺のことをどう思っていようが勝手だけどな。ただ一個言わせてもらうと、俺はお前のことを初めから利用するつもりで近づいただけだ。目的を遂行するための手段として、お前を使ったんだぜ」

「じゃあ、なんだ。友達と思っていたのは俺だけだった。とでも言うつもりかよ? 悪友を演じていたのも俺を騙し抜くためだとでも言うつもりか」

「……いや、それは」

 

 覇人が何か言おうとして、結局何も言えずに押し黙る。

 

「俺はお前のことを詳しくは知らない。けど、お前がそんなに器用なことが出来る奴ではないことぐらいは分かっている。俺と……俺たちと過ごした時間をお前は心底楽しんでいた。そんな部分もあったはずだ」

 

 魔法使いであり、キャパシィ関係者でもある覇人。そんな事情を抱えながらも覇人は、普通の学生らしく生きていた。年齢のことだってそう。だって、教えてくれるまで本当にちょっと悪ぶった同級生だとしか思っていなかったんだし。

 纏の指摘通り、覇人は役者には向かないような人間なのだから。

 

「まぁ……確かに。お前らと青春していたような気もしなくもねえな」

「遊び半分、仕事半分。それがお前の素だろう。そういう染み込んだ自然さは簡単に覇誤魔化されるものじゃないぞ」

「……かもな」

 

 利用するつもりが、いつの間にか友達関係に発展してしまっていた。相手に情を持ってしまっていたのだから、そもそも覇人は任務に徹しきれてはいないんだ。

 

「やれやれ。お前らを騙してきたってのに責めることもしねえなんてな」

「うーん、別に責める必要ないんじゃない? 覇人の秘密がちょっとでも知れたから、それでいいや。て思うし」

「あんたって自分のことはあまり話さないから、謎が多いのよね」

「そうですよ。あまり不安や悩みを抱えるのは良くないのですから、私で良ければいくらでも話してくれていいのですよ」

 

 裏社会に関われば、大体が闇を抱えている。そんな風なことを殊羅がいつか言っていた。

 その言葉通り、この場にいる全員が何かを持っている。

 暗い過去や第三者には明かしづらいこと。色々な物を持っている。

 だけど、私たちはそれらを話して受け止められる関係性がある。裏社会に咲いた友情だって、美しいものだよね。

 

「この際だ。他に話しておきたいことがあるのなら、全部話してくれて構わないぞ」

「ありがたいことだけど、これ以上は遠慮させてもらうわ。気持ちの整理がついたらまた話させてくれねえか」

 

 せっかくいい雰囲気になってきているというのに、まさかのここで幕を下ろすと!

 

「なんで? なんかこう、色々とぶっちゃけ合おう! 的なノリだったじゃん」

「それはあんただけでしょう……」

「い、彩葉ちゃん。あまり無理強いさせてはダメですよ」

 

 あり? なんか私空回りしてる? 空気読めてなかった? 辛気臭くなった雰囲気を飛ばしてしまおうと思ったんだけど、余計なことしたのかな。

 

「なんつーか。あれを言ったら、ボロカスに責められると思ってたんだよ。なのに、お前らと来たら何も言わねえから、話す気が失せちまったんだよ」

 

 私たちのせい? 責められた方が良かったというのも変な気がするけど。ま、いっか。気持ちの整理とか言ってたし、気にしてもしょうがないよね。

 

「そうか。じゃあ、その時が来るまで待つよ」

「そう……だな。たぶん、その時を迎えたときには、全部終わっちまった後になるだろうしな。いい頃合いになりそうだ」

「それは――どういう……?」

「……いずれ、嫌でも分かることだ」

 

 思わせぶりな発言をして、表情に陰りを現した覇人。そんな影を照らすのは、不意に差し込んだ外の陽光だった。

 トンネルを抜けたのだ。

 すっかり朝日が昇った外の光は、陰鬱としたトンネルの暗さに目が慣れていたせいもあって、眼を突くような刺激的な攻撃を浴びせてくる。

 眩しさに顔をしかめながら、徐々に視界が慣れてくるのを待ち続けること数秒。ようやく朝の陽ざしを我が物とした瞳が捉えたのは、それはもうとても美しい風景だった。

 雲の少ない晴れ渡る青空が、鏡面のように張った水面に映り込んでいる。

 まるで空を切り取って水面に浮かべているみたい。心が洗われる風景とはこういうのを言うのかもしれない。

 流れていく車窓から覗いても景色が変わることはなく、どこまでも遠く向こう側まで青空は上下に広がっている。こんなにも空が青いことが贅沢だと感じたのは初めてだ。

 橋のすぐ下付近の海岸には、朝の賑わいに包まれた町も覗けた。区画の中心地のような忙しなく行き交う人々や車の渋滞が起こっているわけでもない。騒々しさからかけ離れた穏やかな町。

 山一つ隔てたトンネルを介して、知らない世界に飛ばされてしまったような。あのトンネルはさながら異次元に繋がる装置のようだ。

 

「……綺麗ですね」

「うん……綺麗」

 

 本当に凄い物を見たからこそ、出てくる感想はただ一言だけになる。それ以外に余計な装飾なんて必要ない。むしろ、せっかくの価値ある物を台無しにしてしまいそうだから、一言に感情を込めるのだ。

 気が付けば、私はこの景色に虜になってしまっていた。

 

「これが、二十九区の誇る絶景の観光名所。世界で唯一、壁の内側に広がる海か」

「――う、海……!? これが……全部?」

 

 驚いた。まさか、これが海だなんて。湖かと思っていたよ。

 一般的に海は魔障壁の外側に満ちた広大な塩水のこと。普通、見ようと思えば両端《ターミナル》から繋がる接続の橋じゃないと見れない。一応、壁面に流れている水は海水ということになっているけど、どちらかというと川としか思えない規模だ。

 だから、これが海だなんて言われてもいまいち実感が湧いてこない。

 

「遠くの景色を見てみなさい。うっすらとした影が見えるでしょう」

「あ、本当ですね。あれは、一体……?」

「山……? なわけないよね」

 

 海の背景になっている影は高くそびえ立ち、まるで壁のようにそびえ立っている印象がある。……あれ? いま何となくそう思っただけなんだけど、あれって本当に壁だったりして。 

 

「あれだけ大きければ薄々気づくかもしれないけど、あれは魔障壁よ」

「ということは、ここは区画の端っこの方まで来ているんですね」

 

 区画を取り囲む魔障壁。それが見えることが端っこだという何よりの証拠。

 

「海が広がっているおかげで壁の全容が把握できるな」

「こうして眺めてみると、とてつもなく巨大なのが分かりますね」

「静かで綺麗な海が拝めて魔障壁の全体も分かる。結構変わった景色だよね」

 

 両端《ターミナル》や接続の橋からでも海と反対側の魔障壁を見ることは出来る。けど、こことは距離感が違いすぎるし感覚も違う。壁越しから眺めていた分では、魔障壁が近かったこともあって、圧迫感があった。

 

「そうだな。上から下まで一望できるおかげで解放感のようなものがあるな」

 

 視界一杯に広がる海と魔障壁はこの二十九区でしか味わえない絶景と言えるね。

 私たちが逃げられないように閉じ込めている檻なのに、皮肉なことに絶景と思わしてくれる演出をしていた。

 

「見惚れんのもいいけどよ、そろそろ目的地だぜ」

 

 半分ぐらい何しにここに来たのか忘れそうになっていた。魔性だ。魔性だよ、この眺めは。魔障壁もあるしね。それは関係ないか。

 橋を渡りきった先には断崖絶壁になっている丘がある。そこにはいくつかの建物があるだけで、あとはほとんど山だ。

 もう少し、海から離れた内陸の方に視線をずらせば、家々が連なっているのが分かるのだけど、それも小規模に過ぎない。はてさて、目的地はどちらなのか。言われるまでもなく、なんとなく分かっているつもり。

 

「崖の側に立っている白い建物。あれが、キャパシティなんですね」

 

 何度かネットや雑誌、テレビなどで見かけた病棟。うっすらと覚えている記憶も確か、あんな感じだった。

 

「ああ、そうだ。裏社会で暗躍する秘密犯罪結社“キャパシティ”……いや、“白聖教団”の拠点だ」

 

 いままでにも沢山の人の目に触れ、利用してきたであろう病院。その実態は、魔法使いが運営する秘密犯罪結社。

 きっかけは、母さんの残した手紙まで遡る。

 父さんと母さんが私の元から去っていき、追いついた時には無惨な姿になっていた。そうして、魔法使いへと堕ちてしまった私の運命は大きく変わっていった。

 新しい出会いもあった。

 二度と会えないと思った仲間たちともまた繋がれた。

 何度も殺されかけた。

 裏社会の過酷さに挫けそうになった。

 もう駄目だと思ったこともあった。だけどその度に心強い仲間が寄り添ってくれた。

 悲しいときには励まし合った。

 苦しいときには助け合った。

 振り返れば、生きていくことに精一杯になっていた。

 思えば、遠く長い道のりだった。その苦難を乗り越え、ようやくたどり着くことが出来たんだ。

 

「やっと、着いたんだね」

 

 いままでの軌跡の感傷に耽りながら、私たちはこの瞬間をついに迎えた。


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