満月が綺麗な夜だった。
白い銀河を照らす光に酔ったのか、その者は人を殺した。
躊躇うことなく、好きでやった。
魔力弾で男だか女だか判別できないような姿に作り替えられた死体。
両端《ターミナル》へと続く高架に降り積もって出来た雪原が赤く染め上がっていた。
魔法使い――
暗い感情が押し寄せ、あるいは人格が壊れるか。社会性に合わなくなり、自分で自分の自我を保てなくなり、ついには崩壊した人格者。
ちょっとしたアクシデントがきっかけで、ふっと湧いた感情に流されてなってしまった者や自ら狂気に憑りつかれていった者など多種多様な理由で堕ちていった。
男は後者だった。
「……今日はまだ、いけるか」
つい最近まで、三十一区全土の裏社会を騒がせていた魔法使いの首謀者格と見られる穂高緋真。
彼女を追うため、アンチマジックが捜索の範囲を広げていたせいで、男にはストレスが溜まっていた。
やりたいことをやれなかった苦痛を和らげるには、いささか数が足りないというものである。
遊び飽きたおもちゃと化した死体を見下ろす。
また、別の存在を見つけにいかねばと気持ちを切り替えたところに、苛立たし気な声が聞こえた。
「まさか両端《ターミナル》の側に馬鹿がいやがったとはな……。
――ち……っ。それもかなりヤバいタイプの方かよ!」
俊敏に声がする方に振り向いた魔法使いの先に、黒い服装に身を固めた若い女性が無防備にも突っ立っていた。
戦装束に身を包んだ戦闘員であることは黄色のバッジと併せて、魔法使いは判別することが出来た。
「ふむ……今度は女か――!」
その口ぶりから察するには、判別不能な死体は男だったのだろう。
「かなり殺気立ってるみたいだな。まるで獣かよ」
興奮に耐え切れなくなった魔法使いが魔力弾を撃ち放つ。
生者《おもちゃ》は遊べるからこそ存在意義を持たれる。
だが、これはそっとやちょっとでは壊れない頑丈な生者《おもちゃ》だ。
遠慮なく。暴虐的に。
何でもない風景の一つとしか見えていないのか。女性には魔力弾がどう映っているのか?
呆然として立ち尽くしていた女性は腰に手を当てると、一気にソレを引き抜いた。
その刹那、閃く一本の線が奔り抜ける――!!
魔力弾は女性に到達するまでもなく、その線状で絡めとって投げ捨てる。
高架の白い絨毯が爆ぜて、吹雪のように舞った。
線は女性の手元へと帰っていき、魔法使いはそれが何のかを把握した。
握られていたのは鞭だった。
「絞殺か……いい趣味だ」
「いや、うちにはコイツもあるんだよ――」
抜き出したのは拳銃。
片手には鞭。
もう片手には銃を携え――即発砲。
「届かないな……。人殺しに手馴れていないようだ」
「ああ、気にするなよ。うちはめっちゃくちゃ射撃の腕がわるいだけなんだよ」
「それでも拳銃を使うとはね……そうかなるほど、いや失礼。殺し方にもこだわりを持っているような人だとは思っていなかったのでね」
「んなもん持ってねえよ。てめえと一緒だと思うなよ」
「殺人は息をするのと同じことのように、繰り返し、繰り返し行っている集団が言うことじゃないんじゃないか?」
「息してんのと同じだと……。そうかよ。――だったらよ、無意識に殺せるようにその場から動くなよ。うちはなぁ、てめえの言うところの呼吸が上手く出来ないんだよ」
愉悦を浮かべた魔法使いは望み通り動きを止めて的になる。
命のやり取りは遊び。
死ぬか――。
生きるか――。
どっちでもいい。
殺しは楽しいものなんだと理解してもらえれば魔法使いにとってはそれでよかった。
共感を求めている。
果たして、弾は当たるのか。
狙いを定めて撃った弾は魔法使いの頬を掠めて、少量の流血だけに留まった。
「……っかしぃな? 絶対に当ると思ってたんだけどな、また外れかよ」
頬を掠めて流れた血を舌で舐め取った魔法使いは、魔法を発動。
ノコギリを手にして、猛々しく女性に襲い掛かった。
「また外れ……か。戦闘員と言ってもまだ赤ん坊のようだ。仕方がない。俺は優しい大人だからな、一から教えてあげようではないか」
リロードして再度、拳銃で狙いながら撃つも全弾外れ。
見当違いの方向に流れる銃弾になんて恐れる必要はなく、魔法使いはただ、走った――。
それだけで、ゆうに接近できた魔法使いはノコギリを振りかぶる。
「あーあ。――やっぱこっちでいくか」
弾かれるノコギリ。
女性は鞭で打ち付け、魔法使いの腕にあざを残す。
波のようにしなった鞭を今度は胴にお見舞いされた魔法使いは、雪原に弾き飛ばされる。
「こいつなら当たるんだけどなぁ。なんで拳銃は当たらねえんだか」
相当強く撃ち込まれたのだろう。
魔法使いはのたうち回って、なんとか這い上がろうともがく。
それを女性が愉快そうに見守った。
完全に立場が逆となり果てているように見えるが、魔法使いは強気にも笑みを返してやった。
「銃殺を諦めて、絞殺に戻すか。いい、いいね……! 君にはそっちの方が向いていそうだ。だが、しかし。そう簡単に首を取れるかな」
「だからコイツがあるんだろ」
片手に持った拳銃の存在を見せる。
「当たりもしないのにか?」
「こうすりゃ当たるだろ」
伸ばされた鞭が魔法使いの体を巻き付け、手元にまで引き戻した。
「鞭ってのはな、ただ打ち付けるだけじゃなくて、こうやって縛り付けることもできるんだぜ。
更に言わせてもらうとな、うちの使う魔具――終末無限の世界蛇
だからこうやって簡単に縛ることも出来るんだよ」
両手ごと縛られた魔法使いの体を足で踏みつけ、拳銃を眉間に合わせる。
かなり近い。
合わせるというより、零距離といった方が意味合い的には正しいかもしれない距離。
「面白い! そんなやり方もあるとは……。俺には思いつきもしなかった」
「空っぽの脳みそじゃあ、そりゃ出てきやしないだろうよ」
「ああ、そうだ。そして、君が新しいやり方を教えてくれた。感謝するよ」
本人は喜々とする。女性からすれば狂った野郎にしか過ぎないが。
「そうかい。なら、ありがたく受け取りな」
まるでゴミと対話でもしているのか、ひどく無機質な声を発した。
「いい冥土の土産ができたよ」
「じゃあな。そいつ持ってとっとと消え失せて、詫び入れてこい」
一発に納めず、残った数発の弾丸をありったけぶち込んだ。
超至近距離から放ち、血しぶきが舞う。
たちまち、雪原が赤く濡れていくが、あとから降り積もっていく雪でいずれ隠れるだろう。
――あとには何も残らない。自然が証拠をすべて隠滅してくれる。
鞭と拳銃をそれぞれ腰に戻したところで、足音が三つ雪を踏みしめた。
「ご苦労様です」
それぞれが蒼い軍服のような服装を身に纏っている。腰に吊るすのは警棒。
手に持っている懐中電灯が女性を照らしつける。
その奥側に脳天ぶち抜かれた死体。
「タイミングがいいな。ちょうど、終わったところだぜ。コイツの死体、そっちで処理しといてもらっても構わないよな」
「元より三十区の問題です。わざわざ二十九区の戦闘員の方に手助けしてもらったのですから、後始末ぐらいは任せておいてください」
三人のうち一人が死体に詰め寄って、遺体収納袋を広げだす。そこにもう一人が死体を抱きかかえて袋に突っ込んだ。
「じゃ、うちのコッチでの役目は終わりだな。だったら、帰らせてもらうぜ」
「ご協力感謝します」
立ち去ろうとする女性。
その足が不意に止まった。
背筋を駆け上がらせる謎の違和感。
正体の名を知っている――殺気だ。
女性は拳銃を反射的に構えながら、疾く――振り向いた。
あまりの異様さに三人の警備兵が竦みを上げる。だが、照準はその向こう側を狙っていた。
「げっ! 気づかれたか。後ろからサクッとやっちまうつもりだったんだけどな。いやー失敗したぜ。まさか、そこまで反応がいいなんてよ。
お前、結構やり手の戦闘員なんじゃねえか」
声がしてようやく誰に向けられた拳銃なのかを理解した三人の警備兵は、背後に忍び寄っていた人物にスポットを当てる。
光が目を覆われ、眩しそうにしている近衛覇人の姿が浮かび上がった。
「だ、誰だ……?!」
「ばか! てめえら! さっさと離れやがれ!」
怒声が三人を浴びせる。
動揺し、ただ事ではないと分かったとき。更なる恐怖が三人に襲いかかる。
鋭く尖った、殺意に満ち溢れている表情を浮かべる覇人がいた。
「――遅え」
刹那、空間が歪むと同時に刃を手にした覇人が警備兵の一人を斬り裂いた。立て続けにもう一人の警備兵の首を刎ね飛ばし、土砂降りの朱い雨が降り注ぐ。
そこで、ようやく惨劇を理解した最後の警備兵が逃げ出そうと背を向けたところに――投擲された刃が心臓を貫いた。
一瞬の虐殺を見終えたところで女性は怯むことはなく、むしろより警戒心を高めた。
「てめえ、何者だ? ただの魔法使いじゃねえだろ」
「通りすがりの魔法使いだ」
「てめえ……っ。うそを吐くならもっとマシな嘘を吐けよ」
「いや、マジだっつーの。強いて言うなら、そこの袋に入っている魔法使いに用があったぐらいだな」
遺体収納袋には魔法使いが入っている。どうやら、それが目的らしい。
「お仲間を助けに来たってか。――は………! 笑わせてくれる。こんなくそ野郎でも助ける価値があるなんてな。てめえも頭湧いているみたいだな」
「こいつと一緒にするんじゃねえよ。むしろ、殺してくれたおかげで手間が省けたぐらいだ」
「どういうことだ」
同族の死を喜ぶことはどう考えてもおかしい。
人間の倫理観で言えば、見ず知らずの他人が事故で亡くなった姿を見て、あいつは死んで良かったと言っているようなものだ。
「誰かを殺すことでしか快楽を得られねえようなやつを庇うほど腐った魔法使いじゃねえってことだよ」
快楽殺人。そういった類に入る魔法使いは、表や裏側ですら手を焼くほどの厄介な存在であるらしい。
どちらの世界においても、早々に処分しなければならないという認識は同じということだ。
「そうかよ。だけどな、警備兵を殺したことは言い逃れ出来ないぞ」
「――やるのか? 俺の方がお前よりは強いぜ。B級だろ。そのバッジ」
月で淡く照らされた胸元には、黄色に輝く戦闘員の証がある。
覇人は以前にA級とS級と対峙している。
そのことを女性は知らないが、本能が格上だということは理解出来ていた。
「だからなんだよ。うちらは敵同士だろ。たとえ、てめえの方が強くてもな。やれるところまではやってやるよ」
「やれやれ、無謀だろ」
「言ってろ。あんまり、うちを舐めるなよ――!」
鞭が躍る。
さながら、大蛇のように――
覇人は即座に魔法を発動。
捻じれた空間から半透明状の刃を生み出す。
喰いかからんとする鞭に、餌でもやるように刃を迎え撃たせる。
直線上に動いた鞭の軌道を逸らすことは叶わなく、女性はその刃を捕えるしかなかった。
だが、しかし。それこそは覇人の放った罠だ。
餌に絡みついた鞭はその一瞬だけ――動きが止められている。
駆け出した覇人はすでに、女性との距離を詰めようかとしていた。
「……くそっ」
毒付きながら、刃を放り投げると迫った覇人の振るった刃を後退して回避。
だが、それだけに留めない。
すでに女性の射程圏だ。
後退しながら、拳銃を取り出して数発発砲。確実に当たる距離。
しかし、見事なもので覇人は返す刃で斬り伏せた。
少しの開いた距離は投擲でカバーできる――のだが。
B級を甘く見過ぎている。振るってからの投擲までの動作に時間がある。その間に体制を立て直して、真っ直ぐに飛ぶ刃ぐらいを躱すことは造作もない。
「結構やるじゃねえか」
「うちを舐めるなって言っただろ」
言うだけのことはある。
B級ではあるが、その中でも飛び抜けて強い。A級に勝るとも劣らない実力だ。
このままでは、長引くことは必至だろう。
ここは一気に片を付けるほかない。
それに、覇人には時間が残されていなかった。
女性には内心、焦りが出ている。
もうすぐ、最後の時間が来るが。その時までがこれほど長く感じたことはなかったからだ。
「悪いな。少し本気出させてもらうぜ」
覇人の全面に横一列として浮かび上がる五本の刃。
一つ一つが威圧を放ち、その目標先である女性を捉える。
射出は一瞬――
五本同時では鞭如きでは、すべてを防ぎきることは不可能だ。
ならば、どうするかは必然的に決まっていた。
女性は柔らかい雪原を横に転げる。
だが、その先を見据えていた覇人は次の攻撃を仕掛けた。
縦回転をかけた刃を繰り出す。
高速の回転は雪を舞い踊らせ、さながらジェットスキーの軌跡を生み出す。
迫った一本を鞭で絡めとる。
女性が一連の攻防を退けたときには、飛び上がった雪が風に攫われ、落ちてくる雪と合わさってカーテンのように視界を遮っていた。
この分では覇人にも見えてはいないはずだ。
果たしてどこに行ったのか。
感覚を研ぎ澄まして、次に来る攻撃に備える女性。
――その時だった。
風が哭いた――
雪のカーテンを斬り裂いてきた先は天《そら》。
予感はしていた。
こうも視界が悪ければ、見える位置から繰り出すほかには考えられない。
女性は先ほど鞭で絡めた刃で刃を相殺させる。
そのまま、先を目指す――
狙うは街灯の頂点に立っている覇人。
その届く距離。
覇人は飛び上がって躱した後。急降下で叩き付けるように刃を振るった。
入れ違いに街灯に絡まってくれたおかげで、女性は直撃を喰らう前に終末無限の世界蛇
空中で振り向きながら街灯の拘束を解いて、着地した覇人へと向けると、ついには腕を捉えることに成功した。
「やっと捕まえた」
このまま、いつもの戦術通りに獲物を近寄らせて拳銃で撃ち抜けば決着はつく。
たったそれだけのことであった。
しかし――
「戦場では、油断が一瞬の隙になるってことを知らねえみたいだな。
――いいぜ。俺が教えてやるよ」
捕まった腕に刃を地面に突き刺して固定すると――
残ったもう片方の腕で終末無限の世界蛇《ヨルムンガンド》を手繰り寄せ始める。
「――! な、なんだよそいつは……っ?! 無茶苦茶すぎんだろ! お前……」
「縮」の力で対抗するが、惜しくも体を固定していた覇人の力任せさに負ける。
釣りあげられた魚のように宙へと投げ出される女性。
瞬時――二人は薄暗い闇に灯る光を見た。
まるで夜の向こう側に在る満月のような。
そんな光が二つ加速して近づいてくる。
その日、線路としての労働を果たすことになる最終便――貨物列車である。
同時に、ふたりの戦いの終わりを告げる時間切れの合図でもあった。
割って入りくる貨物列車の上空に到達した女性は、覇人の腕の拘束を解き、コンテナの上に着地する。
「いいタイミングに来てくれた!」
覇人は追うことはなく、そのまま貨物列車が過ぎ去っていく姿を眺める。追う理由すらもないからだ。
今夜、この場で戦うことになったのは成行きでしかない。
「それにしても、あいつ……。最後まで全力を出さなかったな。
――あー疲れた……っ! あのままやり合っていたら、間違いなくうちが殺されていたかもな。
ほんと、いい仕事してくれるよ。サンキューな――」
腰を下ろし、疲労した身体に冷えたコンテナの温度が伝わる。
火照った状態では丁度いい気持ちになった。
貨物列車が去り、一人残された覇人。
もう、手の届かない距離にまで消えた。
覇人は未練がましいくらいの声でつぶやいた。
「あれが二十九区で活躍するB級戦闘員か。……俺以外ではまともに相手できそうにねえな。いや、そういやあの姉ちゃんはたしか……元C級だったな。てことは、二人だけってことか。
先行きは明るくなさそうだぜ」
これから向かう先を拠点にしている戦闘員は、思っていたよりは強い。
だが、ここで争ったことで相手のおおまかな実力が得れたことには運が良かったと言えるかもしれない。
覇人は転がった死体に目を向けた。
「さて、魔法使い
頭が亡い死体。心臓が亡い死体。胸が亡い死体。
警備兵である三人の死体の駆除は、魔法使いである覇人にはどうすることも出来ない。
数も多い。陽が明ければ両端《ターミナル》では騒ぎが始まるだろう。
「余計なことしちまったな」
凄惨な現場に能天気な声が響く。
だが、このぐらいのことは裏社会では日常茶飯事である。
星の数ほどの死体を見てきた覇人は、もう見慣れていた。
こういうときの対処は放っておくに限る。
警備兵は表の治安維持組織、警察の一部だ。ならば、ここは表側に任せることが得策である。
「とりあえず、こいつは持ち帰っておくか」
話し相手がいないこの現場で、覇人は遺体収納袋を持ち去った。
今日もまた――死体が量産された。