魔法と人の或る物語   作:シロ紅葉

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29話

 規則正しい針の音色が無音の客間に響く。

 ゆっくりと、しかし確実にその時に向けて、一秒を刻んでいく。

 

「いよいよだけど。彩葉ちゃん、茜ちゃん、ゆっくりと休めたかしら?」

「バッチリだよ」

 

 目は冴えわたり、夕方までの疲れた表情は綺麗さっぱりと消えた表情で答える彩葉。

 

「彩葉ちゃんはずっと寝ていましたもんね。すやすやと寝息もかいていましたよ」

 

 彩葉と同じ部屋で休んでいた茜は、隣で緊張感の欠片も感じられないような彩葉の寝顔を直接見ていた。

 

「図太いというか、緊張感がないというか、度胸だけは大したものね」

 

 半ば、呆れたように話す緋真。

 だが、それもこの状況では逆に心強くもあり、感心もあった。

 

「どこでも寝れるのってある意味特技だよね」

 

 頭を掻きながら、苦笑いとともに応える彩葉。

 

「茜ちゃんはそうでもなさそうね」

「さすがにこの状況では眠るなんてことは出来ませんよ。ですが、体の疲れは十分に取れていますので、いけます」

「無理はしないでね」

 

 

 客間をでて廊下に出る。

 カーテンが靡き、外からの寒風が入り込んでいる。

 冷却されている屋敷。もう随分前から開いていたのだろう。

 屋敷周りに建っている街灯、雲の切れ間から差し込む月が廊下を仄かに照らす。

 

「さむ……っ! なんで開いてるの? それに……なにか臭くない?」

 

 風に乗って、鼻孔を刺激する臭いが彩葉たちに不快感を与える。

 

「この臭いは――灯油、ですか。でも、どうして……?」

「もしもの時のための保険をかけておくって言ったでしょ」

「灯油で? 嫌な予感しかしないんだけど……」

 

 充満していた臭いは窓から出て行っていたが、微かに漂う残り香から彩葉と茜は不安を覚える。

 

「この屋敷にはなにも仕掛けていないから、安心しなさい」

「では、外に?」

「そうよ。だから外では私の言う通りに動きなさい。勝手なことをしたら巻き込まれてしまうわよ」

 

 二人に疑問符が浮かぶ。

 巻き込まれるほどの大きなものを仕掛けているのか、と。

 それはもはや保険と言えるのかどうかは曖昧だ。

 そんなことを考えながら、歩いていく。

 廊下を突き当りまで進んでいくと、扉がある。

 開いた途端、空に浮かぶ黄色い天然の光源が失われた。

 玄関前の広間には窓がないためだ。

 緋真はすぐさま人差し指に魔法を駆けると、闇を切り裂くように、広間が炎の明るみに包まれた。

 まるで幽霊屋敷を探索しているかのような錯覚を覚え、彩葉は言葉もなく、気づかぬうちに茜の裾を掴んでいた。

 

「彩葉ちゃん。くっ付き過ぎですよ」

「……だって、不気味じゃん。絶対に何かでるよ……っ!」

 

 恐怖で声が裏返りそうになる彩葉。

 

「ぐっすり眠れる度胸はあるのに、こういうのはダメなのね」

 

 

 ――と、その時。

 

 

 木造の古びた柱時計のすべての針が、頂点を指した。

 

 

「あ――っ!」

「零時を回りましたね」

 

 三人は緋真の魔法で照らされた柱時計を確認する。

 

「――時間ね。行くわよ」

 

 玄関に向かう。

 足がそちらへと一歩踏み出した。

 その刹那。

 

 ――深夜零時を告げるかのように一本のコール音が広間に響き渡る。

 

「「「―――っ!!!」」」

 

 彩葉はビクつきながらも、三人はほぼ同時に反応する。

 

「もうやだー。怖いこの屋敷」

 

 かつてないほどに萎んだ声を張り上げる彩葉。それに反比例するように茜の裾を握る力は強まる。

 

「こういう仕様ってことではないですよね」

「そんな不気味な電話は嫌ね。しかし、この時間――いや、なぜ誰もいないと分かっている屋敷に電話が鳴るのかしら?」

 

 本来はありえない現象。

 相手はこの家の主が滞在していないことを知らないのか。はたまた礼儀知らずのものか。どちらともつかないが、緋真の頭にはそれ以上に最悪の予感がよぎった。

 

 ”……まさかね”

 

 無機質になり続ける電話の呼び出し。

 もう一分以上は鳴っている。

 恐らくはこの家に誰かがいる、と分かった上でやっていること。

 緋真はこれ以上待ってても鳴りやまないだろうと判断し、恐る恐る受話器を取った。

 

「こんばんわ。ブロンズ色のお姉ちゃん。

 ――隠れんぼはお終いだよ」

 

 その直後だった。

 

 外と内を遮断している玄関が木端微塵に弾け飛ぶ――ッ!!

 

 壁がバラバラのブツ切りにされた欠片《パーツ》が転がる。

 

 コール音の遮断が合図だったかのような瞬く間の出来事。

 

 目を塞ぐ爆たる突風、耳を潰す破砕音。肌を撫でる派生された熱。鼻孔に火薬が染みた臭気。口に注がれる味気ない空気。                                                                 占めて五感を支配する感覚機能。

 

 三人は理解する必要もなく、一瞬の遅れを取って振り向く。

 屋敷の外壁の破壊が終了され、緋真は直感的に正体を理解した。

 

 それが可能な類――爆発。硝煙がそれを表す。

 

 そこから一つの小さな人影が現る。

 シルエット上に映るその正体を緋真にはすぐに分かった。

 会ったことはないが、噂は聞いている。

 爆発の類を主武器《メイン》にする戦闘員。

 一言の警告をいれる辺り、実に彼女らしい。

 だから、驚きなどはない。                             

 

――それは想定された最悪の結末。

 

 昼間に聞かされた時点で、必然だったのだ。

 

「み~つけた。お姉ちゃん!」

「月……ちゃん……」

 

 晴れていく硝煙から姿を見せたのは――最強のA級戦闘員。水蓮月。

 

「やはりあなただったのね」

「初めまして。ブロンズ色のお姉ちゃん。――もう、逃がさないよ」

 

 捕縛。

 明確な殺意の乗った言葉に、逃れは出来ず、帰り道はなく、ここでお終いという絶対の意志。

 

「また派手にやりやがったな」

 

 その背後から一人の男が付いてくる。

 

「あの人は……私に傷をつけた人です」

「――! そう。あの男が茜ちゃんを――」

 

 やはり緋真には見覚えのない人物だった。ただ、戦闘員であることは分かっている。

 察するに、月と同等クラスの実力はあるだろうことは。

 だが、その推測は裏切られることになる。

 

「もう、おそいよぅ。殊羅はS級なんだから、月にもしものことがあったら殊羅のせいになるんだからね」

「S級、ですって……っ!?」

 

 一切動揺を見せなかった緋真が驚愕に張り付いた。

 現状、もっとも危険な存在。それはA級をも上回る最上級の階級。

 

「なるほどな。あんたがオッサンからガキ一人連れて逃げ出した魔法使いか。……そうは見えないがな」

 

 外見からして、緋真には凶悪さの一欠けらの微塵もない。

 細く、しなやかな肢体。見る者をも圧倒させるほどのブロンズの髪。あらゆる人を落ち着かせてくれる色合い。整った顔立ちは並の女性以上だろう。

 

「人を見掛けで判断すると痛い目に遭うわよ」

 

 絶望的状況に精一杯の強がり。守るべき存在がいるだけで、どこまでも強気になれるのが緋真の強みでもある。

 目の前にはA級とS級。

 一体全体どんな星の下で生まれたらこんな不運に巻き込まれるのか。

 いまは、彩葉と茜の魔法使いなり立ての新人がいる。そんな二人にこの境地を切り抜ける術などなく、勝算は薄い。

 

「痛い目に遭うのはそっちだよ。ブロンズのお姉ちゃんの所為でたくさんの人が死んだんだから。絶対に許さないっ!」

 

 一人は殺気立つ。

 そんな月を見て避けては通れないことだと悟る緋真。

 

「そう。だったら許さなくてもいいわ。だけど――この子たちに手を出したら、子供でも手加減はしないわ」

 

 魔法を発動。

 緋真の腕にとぐろを巻くように炎が発生する。

 

 そして、腕から発射された炎は大地をすべり、龍の吐く息《ブレス》の如し。

 

 炎は月、殊羅の横を駆け抜け、屋敷の塀を焼失させた。

 

「す、すごいです……。これが、緋真さんの魔法の威力ですか」

「こんなの人に当たったら絶対死んじゃうよ」

 

 緋真は本気の一撃で威嚇した。

 もとより当てるつもりなんてない。ただ、自らの力を誇示するため。そして、茜を傷付けたことへ対する怒りだ。

 

「やっぱり、危険な魔法使いだ」

 

 過ぎ去った炎の軌跡から熱を感じ取りながら月は言った。

 殊羅は消し飛んだ塀を呆然と見つめ、やがて喜々とした笑みを浮かべた。

 

「こいつはいい……予想以上だ。久しぶりに俺を楽しませてくれそうな奴だ」

 

 

 死んだ壁の残骸を踏み越えて、外に出る。

 そこで、改めてその脅威が伝わる。

 

 塵となった草花の生命。焼却された大地。殺された塀。

 

 すべてがたったいま起こったことだと、彩葉と茜が受け入れるには時間がかかった。

 

「魔法って……こんなことが出来るの?」

「信じられません。これが……こんなことが人間に可能だなんて……!」

「怖い思いをさせてしまったてごめんね。これもあなたたちを守る為に、こうするしかなかったのよ」

 

 三十一区、最東端が三日前に焼失したことは耳に新しい。

 原因は目の前にいる魔法使いによるものだ。

 その魔法使いの背中は頼もしい。

 新しくできた二人の妹たちには弱気なところは見せられないという姿がありありと窺がえる。

 例え、どれだけ格上の相手がいようとも守り抜くためには、自分がどれだけの力を持っているか分からせる必要があった。

 

「月、お前さんには少し荷が重そうだな」

「そんなことないよ。確かにすごく強そうだけど、月の方がもっと強いもん」

 

 胸を張って断固として答える月。

 

「それに、あのお姉ちゃんは、月の戦闘員としての誇りにかけて絶対に許したくないのっ!」

「やれやれ、少し興味が出たんだがな。今回は譲ってやるとするか。お守りがいるようだと、全力も出せねえだろうからな」

「今回って……。次回があったらダメなの。ここで終わらせなきゃ、もっと色んな人が辛い目に遭うんだから」

「……だとよ。くく……せいぜい生き残ってくれよ」

「殊羅~~~っ!!」

 

 期待の意味も込めて殊羅は楽しげに笑った。

 昼間に見かけた時とは違って生気があり、愉しみを見つけたようだ。

 

「これが、戦闘員ですか……? 私、もっと容赦のない人たちだと思っていたのですが、」

「そうだよね。私ももっとこう、遠慮なさそうな人だと思っていたよ」

 

 彩葉たちが直接戦闘員とぶつかるのはこれが初めてだった。

 いままでは人間として、戦闘員をみてきた。その様子からすれば、魔法使いに対して余計な感情を持たず、機械のように殲滅するだけだという印象しかなかった。

 

「油断していないで。彩葉ちゃん、茜ちゃんは魔法を発動して。――そして、私が合図したら屋敷に沿って裏に逃げて」

 

 普段は余裕そうに構えている緋真がこの時は切羽詰まっているようだ。

 それだけに彩葉、茜にも緊張感が増し、すぐに魔法を発動する。

 彩葉の右手には純白の刃と黒の柄が織りなすコントラストが映える刀を創造する。

 続けて、茜もクリスタルのように透明感漂い、幾何学模様が描かれた銃を創造する。

 その様子をみた殊羅は感嘆の声を漏らす。純粋に感心しているようだ。

 臨戦態勢の整った三人を確認し、月は懐から真っ赤な血のような小石を取り出す。

 

「――それね。たまに戦闘員が使っているところをみるけど、一体何かしら?」

「火薬の練り込まれた魔具――血晶だよ。これで、さっきそこの玄関を壊したんだから」

 

 月の目線の先には、瓦礫の山。

 これほどの規模の爆発をあの小さな石ころで出来ると考えると、彩葉と茜はゾっとした。

 

「お姉ちゃんたちには何もしないから安心して――!」

 

 その時――小石が緋真目がけて投擲される。

 瞬時に緋真は炎で飲み込み、月と殊羅の視界を遮るように襲い掛かる。

 

「走って!!」

 

 疾――――ッ!!

 

 ほぼ同時に彩葉と茜は駆け出す。

 先頭に体力のある彩葉が茜を連れて、失速することなく無我夢中に。

 あんなものを見てしまえば、いかに自分たちが無力であるかを思い知らされた。

 この場を生き残るには緋真の指示だけが頼りだった。

 

 戸惑うこともない。

 

 考えることもない。

 

 振り向くこともなく。

 

 ただ、走るだけ。

 それがいま出来ること。

 その後を緋真は追いかける。が、その眼前に血晶が横切る。

 崩落する屋敷の壁。

 もう少し、早く駆けていたら巻き込まれるところだっただろう。

 

「ブロンズのお姉ちゃんは逃がさない」

「あの二人はいいのか?」

 

 一歩も動かず、成行きを見ていた殊羅が訊く。

 

「――って! こら~っ! どうして殊羅はそこにいるの。早く追いかけなくちゃいけないんだよ」

「……雑魚に用はないんだが。ま、任務でもあるから行ってやるか」

 

 ダラダラと動き始める殊羅。

 

「ただし、殺してもダメ。怪我をさせてもダメだからね。お姉ちゃんたちは魔法使いでも悪い人たちじゃないから」

「……面倒くせぇな」

 


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